2019/08/08 - 2019/08/08
2位(同エリア202件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/08/08
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車での移動
セビリア→エボラ
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ディアナ公園見晴らし台
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10月5日通り
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ヒラルド広場
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サン・フランシスコ教会(人骨堂)
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プーブリコ庭園
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この旅行記スケジュールを元に
エボラというと、エボラ出血熱を想像してドッキリする方も多いのではないでしょうか。
特に新型コロナウィルスが蔓延している今日この頃ですので、感染症には敏感になっているかと思うのですが・・・・。
でもエボラ出血熱は「Ebora」
ここポルトガルのアレンテージョ地方エボラ県にあるエボラは「Evora」です。
私自身このツアーに参加しなければ、ほとんど知らなかった街です。
1つだけ知っていたのが納骨堂です。でもそれ以外は全然知りませんでした。
そして旅行前に情報収集していると、意外なことに古代ローマ神殿もあることもわかりました。小さな街かと思っていたのですが、興味がグーーーーンと広がりました。
【旅程】
8月2日(金)
羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着
ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)
↓
フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着
ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)
8月3日(土)
バルセロナ市内観光
カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ広場→カテドラル
↓
タラゴナ
ラス・ファレラス水道橋
↓
バレンシア
8月4日(日)
バレンシア観光
ラ・ロンハ
↓
ラ ・マンチャ地方
クエンカ市内観光
↓
ラ・マンチャ地方
カンポ・デ・クリプターナ
↓
マドリッド
8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館
↓
トレド観光
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド
8月6日(火)
コルドバ観光
花の小径→メスキータ
↓
グラナダ
アルハンブラ宮殿
8月7日(水)
グラナダ市内観光
カテドラル
↓
ミハス
↓
セビリア
フラメンコショー鑑賞
8月8日(木)
セビリア市内観光
スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔
↓
エヴォラ歴史地区観光●
ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会●
↓
リスボン
8月9日(金)
ロカ岬
↓
ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント
↓
シントラ観光
シントラ王宮
↓
リスボン
8月10日(土)
リスボン発7時15分→フランクフルト11時15分着
ルフトハンザ航空LH1173便(3時間)
↓
フランクフルト18時10分発→
8月11日(日)
羽田12時15分着
ルフトハンザ航空LH716便(11時間05分)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
-
Evora(エボラ)に向かう途中です。
スペイン国境から約12kmに、Elvas(エルヴァス)があります。
ご覧のように世界遺産にもなっています。
国境防衛都市エルヴァスとその要塞群として指定されています。
昔はスペインの領土だった事もありました。
Amoreira Aqueduct(アモレイラ水道橋)、サンタ・ルジア要塞などがあります。 -
車を降りてランチに向かう際に、こんな大きなレリーフのような物をみかけました。
ここエボラもスペイン同様かなりの暑さでした。
こちらのお父さん、上半身裸です。(-_-;)
それぐらい暑かったんです。 -
Ooooooooh!!!
ここにある事がわかっていても、声を上げずにはいられません。
やっぱり古代ローマは凄いです。 -
イチオシ
エボラの旧市街(城壁に囲まれている部分)は、1986年「エボラ歴史地区」として世界文化遺産に指定されています。
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イチオシ
Templo de Diana(ディアナ神殿)
1世紀頃の古代ローマ神殿です。
BC57年にエボラは共和制ローマの支配下になりました。
そして当初は初代ローマ皇帝のアウグストゥスを祀るために、この神殿が建てられました。街の中心にあって存在感がありです! by noelさんディアナ神殿 城・宮殿
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2-3世紀頃にかけて、ディアナに捧げるための神殿として改築されました。
完全とは言えないまでも、14本のコリント式の柱廊がしっかりと残っています。
またよく見ると柱頭に描かれている彫刻も、割といい状態で残っていることがわかります。
*ディアナ神とはローマ神話の狩猟と貞潔の女神です。ギリシア神話ではアルテミス神です。またギリシア神話のセレーネーと同様に月の女神のルーナと同一視もされていました。
ちなみにアルテミス神はオリュンポス12神の一人です。本来は小アジア起源で、その崇拝の中心になっているのがエフェソスです。アルテミス神殿は、古代七不思議の1つとされていて、エフェソスのアルテミスは多くの乳房を持つ大母神像です。
【ちょっと小話】
ある地方でのこと、この地方では古くからディアナ神を信仰していました。聖ニコラウスの頃も、若干の農民たちはディアナ神を崇拝していました。
・・・ここからはキリスト教徒側からみた内容です・・・・
この女鬼に捧げられた神木とやらの下で邪教の供犠を行なっていました。聖ニコラウスは、この悪習を絶滅し、神木を切り倒させました。女鬼はこれを恨みに思い、聖ニコラウスにどのように復讐しようかと考えました。そしてミュディアコンという油を用意しました。これは普通の油と違い石にかけても、水の中でも燃える強力な油でした。ディアナは信心深そうな女の姿に身をやつし、小舟に乗り込んで、聖ニコラウスの教会へ参詣に行く人たちを乗せた船に海上で会うと、自分もニコラウス様のお参りに行きたいがどうしてもいけないため、この油を教会まで持って行き、その外陣の壁に塗ってほしいと願いました。
ただその船の中に聖ニコラウスそっくりの風采の人が乗っていて、今の人が言った事と何を渡されたか聞きました。するとその人は、今の女はいかがわしいディアナ神であると言いました。そしてその聖ニコラウスに似ている人の指示に従い、油を海に注ぐと、水が焔をあげて炎々と燃え続けました。一応無事に彼等はニコラウスの教会に辿り着き、聖ニコラウスを目の当たりにし、航海中の悪魔から身を守ってくれたのは聖ニコラウスであるとわかりました。
このようにキリスト教への変遷の時期には、かつての古代ローマやギリシアの神々はこんな悪者にされていました。
勿論ご承知のように、キリストも同様に受難時期がありました。
(黄金伝説1より) -
青空に神殿が映えています。
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この神殿は今では柱廊が14本ですが、当時は28本あったようです。
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Royal de Luxe(ロワイヤル・ド・リュクス)
横浜開港150周年の際にも、これとは別ですが「ラ・マシン」による巨大オブジェが披露されました。
「ロワイヤル・ド・リュクス」はこの巨大な人形が生きているようにパフォーマンスをします。
Aix-en-Provence(エクス=アン=プロヴァンス)に設立したパフォーマンス劇団です。
私は教会の事で頭がいっぱいで、彼らがここにいたことに気づきもしませんでした。これは夫が撮った1枚です。
こんな大きな物に気づかないなんて本当に信じられません。
いったいどこを見ていたのでしょう。 -
白くて綺麗な建物です。
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正面の建物は教会になっていて、右の建物と繋がっているようです。
Igreja dos Loios(ロイオス教会)と Convento dos Loios(ロイオス修道院)
ちなみに左側に続く建物はPalacio dos Douques de Cadaval(カダバル公爵邸)です。 -
こちらがランチをいただくPousada(ポサーダ)です。
昔は修道院でした。
ところでポサーダと言うのは、スペインのパラドール同様、国営ホテルです。
古城や修道院や貴族の館などを改築したものです。 -
Pousada Convento de Evora (ポサーダ・コベント・デ・エボラ)
レストランを利用しました。雰囲気が良かったです。 by noelさんポサダ コンベント デ エヴォラ ヒストリック ホテル ホテル
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先ほどの教会は、この建物に対して左後方に直角に建っています。
建物は2階建てで、回廊を中心に造られています。
下はレストランで、ゴシック様式とマヌエル様式、そしてアラブの影響を残しています。
上は客室でルネッサンス様式となっています。 (31の部屋とプレジデンシャル・スィートがあるようです)
正面はゴシックと新古典様式になっています。
*マヌエル様式と言うのは、15世紀の後半から16世紀頃、ここポルトガルで流行った建築様式です。リスボンにあるジェロニモス修道院やベレンの塔などもそうです。 -
レストランは階下です。
階段には大きな燭台が両脇にあります。
夜はこの灯りでレストランに誘われるのでしょうか・・・。
修道院時代は、夜はこの灯りを頼りに階段を降りたのかもしれません。 -
中庭に面したレストランでのランチです。
私たちの席は、昔は回廊部分でした。 -
庭の片隅にはミニチュアの可愛いお家もありました。
15世紀に残った中世の城の上に建てられたこの修道院は、1755年の地震でひどく損傷を受けました。 -
こんな落ち着いた席もあるようです。
元は修道院でしたので、天井部分の梁など歴史ある造りになっています。 -
それではいただきます。
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トマトと玉ねぎとチーズのサラダ
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バカリャウ(干しダラ)とほうれん草いため
上にかかっているパウダー状の物が、ちょっと粉っぽかったです。 -
トルタ・デ・ラランジャ(オレンジケーキ)
日本の伊達巻に似ているお菓子と思ってください。
これにコーヒーか紅茶付きです。 -
Igreja de Sao Joao Evangelista-Igreja dos Loios
(聖ヨハネ・エバンジェリスタ(伝道者教会)ーロイオス教会)
1485年にムーア人の城の廃墟の上に建設されました。
オリベンサ伯爵D.ロドリゴ・アフォンソ・デ・メロ伯爵の要請で建てられました。(アルフォンソ5世の従者です)
この教会はポルトガルで最も美しく、しかも保存状態のいい教会です。
ポサーダと教会は1910年以来、国指定記念の建造物となっています。地球の歩き方を見て、行きました。アズレージョが美しいです。 by noelさんロイオス教会 寺院・教会
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このファサードは、ゴシック様式の柱廊で、低めのアーチです。
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私の観たかった青いアズレージョです。
スペインでもちょっとだけ見かけましたが、側廊全体のアズレージョには吃驚です。
一面に描かれているとは思ってもみませんでした。 -
側廊には、ロイオス会にとって非常に重要な聖人である聖ロレンソ(ローレンス)の生涯の7つのエピソードが描かれています。
1711年に署名されたこれらのアズレージョのパネルは、著者であるアントニオ・デ・オリベイラ・ベルナルデスの偉大な作品の1つです。 -
このアズレージョの絵は、施しをしているような場面のように見えます。
聖ロレンソ(ローレンス)は、St. Laurentius (聖ラウレンティウス)のことでしょうか・・・。
彼は殉教の際に、生きたまま熱い鉄格子の上で火あぶりにされました。ただ刑を執行している兵士に向かって、こちらはもう焼けたから、反対側にした方がいい、と言ったそうです。このためか彼は火災や、やけどや熱病から守ってくれる聖人でもあります。 -
写りが悪いのですが、18世紀の壮大なアズレージョで覆われた身廊は息をのむ美しさです。
これを見ただけでポルトガルに来た甲斐があったと思いました。
時間がなかったため、身廊の写真はこれ1枚だけです。
アズレージョも美しいのですが、真っ白な丸い天蓋もその美しさを際立たせているように思えました。 -
内陣は複雑なデザインのヴォールトで覆われています。
そして見事なアズレージョがここにも。
ところで、このアズレージョですが、スペインでもアスレホとして見てきました。
まずそのルーツですが、イスラム教の装飾タイルでした。これはアルハンブラ宮殿で観ましたが、このような絵ではなく、幾何学模様、草花模様などが主でした。
イスラム教では偶像を崇拝することが禁止されています。
ところがジブラルタル海峡を越えて、スペイン、ポルトガルとイベリア半島に入ってきて、キリスト教と融合した事により、キリストやマリア、人間なども描かれるようになったのです。
イスラム教ではモザイク画として描かれていましたが、もっと描写が細やかなため、埋め込むのではなく描くスタイルへと変わっていきました。
特にマジョルカ焼きのように、直接彩色する方法が使われるようになり、そのテーマもこの教会にもあるように、歴史や宗教行事や神話等々多岐にわたるようになってきたのです。
その後、オランダの東インド会社が中国などの東洋の物を輸入してくるようになりました。そして今度はオランダの職人たちが、これを真似してデルフト焼きと呼ばれる青と白の焼き物を大量に製作しヨーロッパに広げていったのです。その影響を受けてアズレージョもこのように青と白に変わっていきました。
この教会も18世紀になって作られましたので、影響を受けて造られていると思われます。 -
主祭壇です。
カダヴァル公爵と夫人の墓碑があります。大理石でできていて、しかも黄金に輝いています。 -
そして身廊の主祭壇に向かう中央通路の、ほぼ中央の左のあたりの足元にあったのが、これです!
人骨堂です。
堂というので、別の場所にあると思ってましたので、意外な場所に驚きました。
また礼拝してた方の中に子どもがいて、これを覗いていたのですが、その子がいなかったら、気づきませんでした。
奥の方にあるのは骸骨です。
また井戸もあります。
それにしても、人骨堂がある事を知らずに、この教会でこれを目にしたら、事件性があると思ってしまいます。(-_-;) -
こちらは別の祭壇です。
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また別の祭壇です。
窓が大きく明かりが入ってきます。
聖母子像、無原罪の聖母など聖母マリアに関するものが多いような気がします。7本の蝋燭がありますが、ヨハネの黙示録に基づいているのでしょうか・・・。
ヨハネが語り掛ける声は誰かを確認しようと後ろを振り向くと7つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような「キリスト」がおられた、という神からの啓示があります。こちらにあるのも金の燭台です。 -
聖具室には、15世紀初頭のフレスコ画があります。これは修復で明らかにされた天使に挟まれたカルバリー像です。ホセデエスコバルによるものです。
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こちらも小さな礼拝堂のようです。
とても質素です。
こちらには様々な物がありました。宝物室とか聖具室のような・・・。 -
聖母子像でしょうか。
大理石のようです。 -
楽譜もありました。
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黄金に輝やいています。
この礼拝堂はカダヴァル公爵によって建てられました・・・・・という感じのことが書かれているようです。
1888年11月20日生まれ
1935年2月16日死亡
カダバル公爵のために祈ります。 -
燭台と振り香炉です。
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架け十字架や香炉のようです。
聖水盤でしょうか。 -
金の聖杯、下にあるのは聖水入れか水差しでしょうか・・・。
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これはファサードの足元に刻印されていたものです。
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ここエボラではポサーダでランチをして、その後は大聖堂やサンフランシスコ教会などの外観を少しだけ観る予定でした。
ただ私はサン・フランシスコ教会の骸骨堂に入場したいと思っていました。
そこでちょっと考えたのが、サン・フランシスコ教会に入場できないのであれば、ポサーダに隣接するロイオス教会に、ちょっとだけでも行ってみることでした。
こちらにも人骨堂があります。
そんなわけで超特急で観光をし、ポサーダに戻ることができました。
ランチ後ポサーダではガイドさんと待ち合わせ。
現地のガイドさん、実はロイオス教会に行ったことがないとのこと・・。
それでどうだったか聞かれました。
たぶんこの顛末が、ガイドさんにちょっと伝わったみたいでした。
それは後ほど・・・。 -
Miradouro do Jardim Diana(ディアナ公園見晴らし台)
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この写真の中には写っていないと思いますが、Aqueduto da Agua de Prata(プラタ水道橋)がここから近くにあります。この水道橋は水道橋のアーチの中に家やお店、倉庫が造られているものもあります。
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青空とエボラの街並みが綺麗です。
ここは夜は街の中で最も風が心地よく流れる場所だそうです。
ちなみに昼は暑いです・・・・(-_-;) -
Dr. Francisco Barahona (フランシスコ・バラオナ博士)の胸像です。
下にいるのはディアナ女神でしょうか。
Dr. Francisco Eduardo de Barahona Fragoso(フランシスコ・エドゥアルド・デ・バラオナ・フラゴソ)は、1843年10月7日、キューバで生まれました。 Esperansa(エスペランサ)1世の息子です。コインブラで法律を学びました。彼は農業に専念し、そして裕福な農業改革者の未亡人と結婚し、ここエボラに移り住みました。そして芸術的および文化的活動を行い孤児の支援、障碍者のためのホステルを設立、結核の取り組みのための支援、ポルトガル美術の発展と保護や寄付など・・・エボラのために尽力しました。 -
胸像の裏側です。
下の方に面白い物がありました。
何を表しているのかはわかりませんが、5匹の狼のようなもの、また王冠のような物から手が伸びています。手にはナイフのような物を握りしめています。 -
目の前に見えるのはエボラ美術館です。
そしてその屋根の上の方には、その先にあるカテドラルの尖塔のような物が見えます。 -
さて、古代ローマ遺跡を後にして、次に向かいます。
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カテドラルの尖塔が見えます。
ちょうど交差部です。
6つの小塔に囲まれているようです。 -
Se de Evora(エボラ大聖堂)
正式名は、 Basilica Se de Nossa Senhora da Assuncao (Basilica Cathedral of Our Lady of Assumption)です。
聖母被昇天大聖堂とでもいえばいいでしょうか。
聖母マリアに捧げられた大聖堂です。屋上からの眺めが素晴らしいです。 by noelさんエヴォラ大聖堂 (カテドラル) 寺院・教会
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ファサードです。
1184年から1204年に建てられました。この時の建物は小規模でしたが、聖母マリアに捧げられました。
1280年から1340年までに初期ゴシック様式で拡張されました。
14世紀にはゴシック様式の回廊が、16世紀初期にはマヌエル様式の礼拝堂が、18世紀初頭にはバロック様式の礼拝堂が建設されました。 -
こちらでは、12使徒がいて迎えてくれます。
1330年に作られました。
ペテロ、アンドレ、大ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、シモン、小ヤコブ、ユダ(タダイ)、イスカリオテのユダです。 -
外観はまるで要塞のように見えます。
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チケットを購入して上から観ていきます。
まずはこの螺旋状の階段を上がって行きます。 -
塔の屋上のテラス部分に出てきました。
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エボラの街の中でもこの大聖堂は高いので、街が一望できます。
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壮大な眺めですが、あまり前に出過ぎると危ないですから、気を付けてくださいね。
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鐘楼の方を眺めています。
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屋根の部分に上がっています。
ところどころに明り取りがあります。 -
近くで見るとかなり凝った造りになっています。
特に塔の部分は逆半円状です。
そして塔は6つの小さな塔に囲まれていて、更にその小さな塔も同様にもっと小さな6つの塔に囲まれていて、中には入っていませんが、まるでマトリョーシカのよう。 -
テラスですが、足元は水平になっているわけではなく、聖堂の造りと同様に傾斜していて、ちょっと歩きにくいのでご注意ください。
塔は16世紀に建てられたようですが、右と左では全然違います。 -
下に降りてきました。
中庭になっています。回廊からの眺めです。
オレンジの木々があります。 -
回廊にはこのように歴代の司教の棺がありました。
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回廊の天井部のヴォールト
この回廊は、1317年から1340年にかけゴてシック様式で建設されました。 -
こちらは司教の像も刻まれているgisant(ジザン)です。
この司教の生前の姿を表したものです。
この大聖堂には様々なタイプの棺がありました。 -
石棺の上には冠と司教杖が置かれていました。
また棺にはその司教が描かれています。 -
こちらはキリストの十字架降架の場面のようです。
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パイプオルガンです。
このオルガンはイベリア半島最古のオルガンだそうです。
1584年9月月8日、天正遣欧使節で伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名が、こちらにもやってきました。そして当時にしては珍しいこのパイプオルガンの音色を聴いたようです。
ちなみに経路は
1582年2月20日長崎出発→マカオ→マラッカ→コチン(インド)→
1583年11月10日ゴア着→コチン→喜望峰通過→
サンタ・エレーナ島→1584年8月11日リスボン着
そしてローマに行く前に、ここエボラにやってきました。 -
パイプオルガンの横にあった小さな祭壇のようです。
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礼拝堂ですが、1718年から1746年の間に、全体を再建しました。
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残念なことに工事中でした。
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薔薇窓からは、神々しく光が差し込んできています。
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告解室でしょうか。
暗くてわかりにくくなってしまいました。 -
小さな礼拝堂でしょうか・・。
アズレージョが美しいです。 -
夫は聖堂には入場しないで待っていましたので、超特急で観ました。
そんなわけで、ちょっと消化不良な状態です。 -
ツアーの皆さんとはこの先で待ち合わせしています。
Rua 5 de Outbro(10月5日通り)
この名前の由来ですが、1910年10月5日に起こった共和革命からきてます。
国王マヌエル2世を廃位し、ポルトガル第一共和政が成立しました。それを記念してできた通りです。カテドラル前のメイン・ストリート by noelさん10月5日通り 散歩・街歩き
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土産物屋さんがずらりと並んでいます。
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鶏の置物ですが、ちょっとユニークです。
伝統工芸品の「ガロ」です。ポルトガル語で雄鶏のことです。
ラッキーアイテムです。 -
お母さんと坊やです。
キックボードに乗っていますが、石畳なのでガタガタです。
それからこのお二人の後ろのお店ですが、とってもおしゃれな缶詰め屋さんです。
Comur - Conserveira de Portugal
まるで缶詰の博物館のように整然とディスプレイされてます。
たかが缶詰・・・されど缶詰です。
お値段はちょっとお高めです。でもカラフルで綺麗ですし、缶詰に年号が書いてます。まるで年代物のワインのようです。たくさんあるので誕生年の物もあります。
お土産にもいいかもしれません。
残念ながら写真を撮り忘れました。 -
Praca do Giraldo(ヒラルド広場)付近だったと思います。
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分岐点にきました。
左の坂道を下って行きます。 -
コルクの鍋敷きです。
ここポルトガルはコルクの生産でも有名です。
なんとなく買っちゃいました。 -
アズレージョのマグネットです。
スペインでもたくさんありました。 -
お店の前に無造作に置いている木ですが、これはコルクの木だそうです。
コルクはコルクガシという木の樹皮でできています。
コルクガシはイベリア半島だけでなく、北アフリカやイタリアなどでも栽培されていますが、ポルトガルが全世界の半数以上を占めているそうです。 -
白い建物が見えてきました。
今回のツアーでは、こちらに入場する予定ではありませんでした。
現地のガイドさんの計らいで、希望者のみ入場が可能になりました。
本来は個人入場の列に並ぶところ(思ったよりも入場を希望する人が多かったおかげで)係員に交渉していただき、団体割引+長い列に並ばずに入場できました。
感謝しています。
ただこのために予定よりは、エボラ滞在時間が長くなってしまったようです。
添乗員さんごめんなさい。m(__)mずっと見たかった人骨堂 by noelさんサン フランシスコ教会 (エボラ) 寺院・教会
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Igresia de Sao Francisco(サン・フランシスコ教会)
ファサードですが、ゴシック様式とムーア様式が混在したものです。
この地域では非常に多くのモニュメントなどに、混在した物が見られます。
この教会は1910年にナショナル・モニュメントに指定されました。
1226年のロマネスク様式にとって代わり、1475-1550年にかけてゴシック様式で建てられました。(マヌエル様式の影響を受けて) -
Capela dos Ossos da Igresia de S.Francisco Historic chapel Lined with human bone(納骨堂)
この教会の右側に納骨堂があります。
こちらでは5000体に及ぶ人骨を、壁や柱の装飾に使っています。この納骨堂は修道士の祈りと瞑想の場所として使われていました。
礼拝堂は17世紀に3人のフランシスコ会修道士が主導して建てられました。 -
世界にはカタコンベ、クリプト、納骨堂、骸骨堂などが数多くあります。
特に昔は生と死が密接で、これらの場所は生きている人間が亡くなった人と対話できる場所でした。日本人の感覚では骸骨=怖いというイメージなのですが・・・。
このような納骨堂は全世界にあります。例えばイタリア、フランス、スペイン、スイス、イギリス、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ドイツ、オーストリア、セルビア、ギリシャ、スロヴェニア、エジプト、ペルーパプアニューギニアそしてポルトガル・・・などなどにもあります。 -
こちらが納骨堂です。
5000体に及ぶ人骨です。
壁や柱の装飾に使われています。
ある記録によると、骨を掘り出したのは、エボラの貴族が墓地を狩猟場にしようとしたからだそうです。 -
壁の模様のように見えるかもしれませんが、これは全て人間の骨、頭蓋骨などです。なぜかアズレージョと綺麗にマッチしています。
このように死を生々しく見せようとしたのは、黒死病などの疫病が蔓延して精神的にもダメージが多かったためだとも言われているようです。
死から免れることのできる人間はいません。
他の納骨堂などでも、図像には教訓的な事が書かれていることがありました。
「神の宣告により汝の身分がどうあれ、善人と悪人のいずれであれ、汝は虫に喰われる運命。あぁ、我等を見よ、死に絶え、悪臭を放ち、腐り果てた姿を。汝らもまたこのようになるのだ。」と。
確かに然りです。 -
ところどころにライトが当たって、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
この頭蓋骨と長骨に覆われた柱は、キリストの受難と伝統的なメメント・モリのシンボルが描かれたアーチの天井に続いています。
納骨堂の一部はナポレオン戦争の後の1810年に改築されていて、その際に天井の絵が完成したのか、あるいは修復されたようです。 -
礼拝堂は、修道院と懺悔室があった場所にあります。
長さ約61.3フィート、幅33フィート(18.7m x 11m)の3つの身廊があります。
面積ではヨーロッパ最大のようです。
自然光が3つの小さな隙間から入ってきます。
昔はマディラ島のフンシャルにもフランシスコ会の納骨堂がありましたが、現存していません。この納骨堂は18-19世紀初頭まではポルトガルで最も有名な骸骨堂で、この納骨堂を凌ぐほどでした。船の停泊地として人気のマディラ島にあったので、多くの人が訪れました。
しかも他の納骨堂の手本となったほどでした。
アイルランドでは珍しい納骨所があるキラーニという小さな町がありますが、ここを訪れた観光客がこのマックロス大修道院の小さな納骨室の内装をフンシャルのようにしてはどうか・・・と言われたほどだったようです。
ちなみに、このエボラに来る前に通り過ぎたエルヴァスにも納骨礼拝堂があります。 -
骨と頭蓋骨はセメントで結ばれ、漆喰で白く塗られ、死を象徴して描かれたレンガがドームを築き上げます。
骨以外にルネサンス様式とバロック様式の宗教像や絵画も骨礼拝堂を飾っています。 -
この5000体の骸骨は、こちらの修道院のお墓や、エボラの他の教会や墓地から集められました。
この世の虚しさを省察するための場所でした。
ここはまた「Casa do Desengano(幻滅の館)」の名前でも知られ、1728年の記録によると悔悛を促すための部屋でもあったようです。 -
16世紀には、市内にほぼ42の修道院の墓地があり、あまりにも多くのスペースを占めていました。 その解決策として僧侶たちは骨を掘り出し、それらを使用してこの礼拝堂を建設し、このようにきれいに装飾しました。
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骨の礼拝堂は、刑務所建築の記念碑です。
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3つの小さな窓があって、そこから自然光が入ってきます。
壁にはめ込まれた長骨が柱間とピラスター(付柱)を形作り、ピラスターは天井のアーチのリブと交わっています。 -
天井部分はさすがに普通のようだと思って見ていたら、やっぱり天井にも頭蓋骨が綺麗に並べられていました。
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祭壇ですが、神々しく輝いています。
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十字架に磔にされたキリスト像は、痛々しいです。
ところで納骨堂に、このように磔刑象はよくありますが、アダムが亡くなったのと同じ場所で(ゴルゴダの丘)、キリストが磔にされたと信じられているからです。
キリストが犠牲になることで、人間の原罪を贖い、死を克服し人類に永遠の命を授けてくれました。この主題を絵画で表現する際には、アダムのものと思われる頭蓋骨を十字架の足元に置くのが普通でした。
*ゴルゴダとは、アラム語で頭蓋骨の意味です。
ラテン語 calva (頭蓋) からカルウァリアとも言います。
頭蓋骨に似た形の丘を言います。
あるいはアダムの頭がここに埋められているという古い伝説のためにこう言われているようです。 -
3つのライトが当たって不思議な情景を醸し出しています。
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順番が逆になってしまいましたが、入口にはこのように書かれています。
「NOS OSSOS QUE AQUI ESTAMOS PELOS VOSSOS ESPERAMOS」
「私たちは、あなたが来るのを待ってます。」・・とでも言えばいいのでしょうか。
「Memento Mori」
「メメント・モリ」(ラテン語)
「我等が皆死ぬ運命にあることを忘れるなかれ」という警句を表した場所でもあります。
入口の上部には煉獄にいる魂を描いた小さな絵がかかっていて、1728年に遡る記録からここでリンボにいる魂に祈りを捧げられていたことがわかります。
こうした礼拝堂のほとんどで、万聖節と万霊節には死者の魂を記念して、リンボに入る魂のために祈りを唱える特別な礼拝が執り行われました。
*リンボとは、天国と地獄の間にあるもので、洗礼を受けずに亡くなった子ども、異教徒、キリスト教に接することのなかった人の霊魂が行くところのことです。 -
ご覧のようにかなり混みあっていました。
特に7-9月の観光シーズンは、大勢の観光客が来るため、礼拝堂は温度と湿度が上昇します。つまり菌類の成長を促すことになります。結果的にはミイラが痛んでしまうそうです。
それとイタズラ書きも問題になってるようです。
その他1990年頃には骨や歯を盗む行為が後を絶たなかったようです。このような事態に観光客が骨の壁に触れないようにプレキシガラスが間に設置されました。
これはエボラだけではありません。他でも窃盗が問題になりました。
残念な事です。 -
確か入口付近だったと思います。
このアズレージョは、割と古い時代の物でしょうか・・・。
白とブルーのアズレージョではありません。 -
天井部分ですが本当に綺麗です。
骨の保存については先史時代に遡りますが、その中でも特に頭蓋骨は特別な物でした。骨の中でも耐久性があり、人間と一目で識別できます。しばしば崇敬の対象にもなりました。
さてミイラ製造の過程ですが、Colatoio(濾過器)と呼ばれる乾燥室での乾燥が含まれていました。そこで死骸は空気の循環を良くするため下を水が流れている鉄格子の上に置かれました。乾燥の工程には8か月もかかることもありました。乾燥が済んだ遺骸は酢で洗われて、天日にさらされました。
(これはイタリアのパレルモの例です。)
ギリシアのアトス山の修道院では、骨はワインで洗われて、礼拝堂の離れの一室に置かれました。そして頭蓋骨に死者の名前を書くか刻みつける習わしがありました。このように識別できるようにしておくことで、後に聖人化された際にも容易に誰であったのかがわかりました。 -
頭を垂れている状態の骸骨です。
どうもこの状態で見ると、首吊りに見えて息苦しくなってしまいます。
他の骨は芸術的ですが、これは生々しく感じました。
これは何かを啓示でもしているのでしょうか。
・・・実はこれではないと思うのですが、ここには身元不明の大人と子供のミイラがありました。2人は父子で、父親が母親を殴り、息子は母親に従わなかったため、彼女が父子に呪いをかけました。その呪いが2人の死後効果を発揮し、地面が岩のように固くなったため、墓掘り人は彼らを埋葬ることができませんでした。そして同じような非道な行いをすれば、彼らのようになると戒めるため、修道士が彼らの遺体を展示しました。 -
十字架を背負ってを歩くキリストが描かれているアズレージョです。
-
これは納骨堂の入口のあたりにあった祭壇だったと思います。
-
ペパーミントグリーンの爽やかなイメージです。
聖杯のような物が描かれています。
ちょっと面白い例があります。それはイタリアのローマにあるSanta Maria della Concezione(サンタマリア・デッラ・コンチェツィオーネ)修道院付属教会の地下の骸骨堂ですが、天井に取り付けられた小さな骸骨が、魂を計量する天秤と、腓骨と蹠骨でできた鎌を掲げて死神の姿を表しています。これは幼くして亡くなった
バルベリーニ家の子どもと言われています。
この天秤ですが、エジプトの死者の書の中で描かれている、死者の霊魂が死後の行く先を決める天秤(心臓とマアト神の羽の重さで決めます)にちょっとだけ似てるような・・・気がしました。(笑) -
こちらは人骨堂ではなく教会です。
身廊から内陣方向です。
単一の身廊になっていて、側面には12の礼拝堂があります。
教会は壮大な比率を示しています:36 x 34 x 24 mあります。
最初のフランシスコ会は1224年にガリシアからエボラに到着しました。ゴシック様式の教会と1376年に建てられた回廊の一部の跡のみが、元から残っています。 -
主祭壇は16世紀初頭のルネッサンス様式です。
ただ聖歌隊席などは、別の様式で作られました。右はルネッサンス様式、左はバロック様式です。 -
祭壇です。
-
扉を囲んでいる美しいアズレージョ
-
ちょっと覗いたら、こんなお部屋がありました。
テーブルも置かれていました。 -
Jardim Publico(プーブリコ庭園)
-
Vasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ)の像です。
ポルトガルの航海者として1498年、南アフリカの喜望峰を回ってインドのカリカッタに到達し、インド航路をヨーロッパで初めて確立しました。(そして大量の香辛料を持ち帰りました。)
これによってポルトガルは海外各地に、植民地や交易体制を築いていきました。
ヴァスコ・ダ・ガマの父は騎士階級の出身でした。また母もイギリス起源の名家でした。港町のシーネスという町で生まれ育ち、航海に対してもかなりの知識などを持ちあわせていたと推察されます。また宮廷での教育も受けていたようです。 -
私が知っているヴァスコ・ダ・ガマの像より、痩せているように思うのですが・・。
ヴァスコ・ダ・ガマは1519年から1524年の5年間、ここエボラに住んでいた事もあったそうです。
Casas Pintadas de Vasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ邸宅)もあったそうです。
この木は胡椒の木です。ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見したことにより、この胡椒の木が植えられたのではないかと勝手に思っています。
胡椒は香辛料として貴重な宝です。これによりポルトガルは巨万の富を得ました。 -
公園の一角に、こんな寛げるテラス席がありました。
ポルトガルは日本にとっては、種子島への鉄砲の伝来やフランシスコ・ザビエルによるキリスト教の布教活動、南蛮貿易等々・・・歴史的には密接な繋がりがあります。
さて、この後は首都リスボンに向かいます。旅も大詰めになってきました。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ミランダさん 2020/11/07 21:45:25
- 懐かしいエヴォラ
- こんにちは。
私達は、2011年にエヴォラを訪れました。
noelさん達がお食事をなさったポサーダに泊まりました。それで風景がとても懐かしく、一言書いている次第です。
大聖堂には行って、屋上にも上った記憶があるのですが、聖フランシスコ教会のことは全く知らず、納骨堂を見逃してしまいました。リスボンからそれほど遠くなかった記憶がありますので、またいつか、行きなおしたいと思います。
私達が納骨堂を初めて見たのもポルトガルでしたが、ここではなく、ファロでした。もっとずーっと小さい納骨堂です。それを機に、納骨堂フェチ(?)になりまして、以降、あちらこちらで見ています。
様子が手に取るようにわかる旅行記、ありがとうございました。
(ミランダ)
- noelさん からの返信 2020/11/07 23:32:48
- Re: 懐かしいエヴォラ
- ミランダさん、こんばんは。
エヴォラにも行かれてらしたんですね。
しかもポサーダに宿泊なさって羨ましいです。
良かったでしょうね。
しかも納骨堂はファロにもあったんですね。ビーチのイメージがあるのですが。ご覧になられて良かったです。
そして納骨堂フェチとは面白いです。
でも、お気持ちはわかります。
もしもエヴォラを再訪されることがありましたら、どうぞ聖サンフランシスコ教会に行かれてくださいね。
ついでにポサーダの隣の教会にも、小さな物がありました。
行く機会があるといいですね。
noel
-
- hot chocolateさん 2020/07/21 00:11:15
- サン・フランシスコ教会の納骨堂!
- noelさま
こんばんは。
エボラは、pedaruさんの旅行記で知りました。
その時、「今の時期、エボラ→エボラ出血熱→新型コロナを連想して、心臓によくないです。エヴォラですね。」とコメントしたことがありました。(笑)
エヴォラの地名はその時初めて知ったのですが、サン・フランシスコ教会の納骨堂は、私の想像の域をはるかに超えていました。
納骨堂では、人骨を壁や柱の装飾に使っていて、修道士の祈りと瞑想の場所として使われていたという事ですから。
日本人の感覚では、納骨堂とか骸骨堂と聞くと、何かおどろおどろしいものを感じますが、この納骨堂は(写真で遠くから拝見すると)一種芸術的な美しさも感じられます。
実物をご覧になって、骸骨の生々しさ・怖さをお感じになりましたか。
それとも漆喰などで固められた装飾のような、現実とはかけ離れた世界をお感じになりましたか。
貴重な旅行記を拝見させていただきました。
hot chocolate
- noelさん からの返信 2020/07/21 21:28:36
- RE: サン・フランシスコ教会の納骨堂!
- hot chocolateさま、こんばんは
いつもありがとうございます。
> エボラは、pedaruさんの旅行記で知りました。
> その時、「今の時期、エボラ→エボラ出血熱→新型コロナを連想して、心臓によくないです。エヴォラですね。」とコメントしたことがありました。(笑)
確かに私も初めて知った時には、エボラ出血熱を連想してしまいました。(汗)
> エヴォラの地名はその時初めて知ったのですが、サン・フランシスコ教会の納骨堂は、私の想像の域をはるかに超えていました。
本当に納骨堂は、ぱっと見た瞬間は、とても骨には見えませんでした。
ただ、近くで見ると明らかに骨であることがわかります。
> 日本人の感覚では、納骨堂とか骸骨堂と聞くと、何かおどろおどろしいものを感じますが、この納骨堂は(写真で遠くから拝見すると)一種芸術的な美しさも感じられます。
日本人の感覚では、亡くなった人をこのような形にするというのは、理解しがたいものかと思います。ただ、ヨーロッパではそれほど珍しいことではありません。
> 実物をご覧になって、骸骨の生々しさ・怖さをお感じになりましたか。
> それとも漆喰などで固められた装飾のような、現実とはかけ離れた世界をお感じになりましたか。
私自身は、このことを知って出かけたので、怖さは感じませんでした。
また、既に骨になっているので、生々しさも感じませんでした。
ある意味ミイラを見ているのと同じ感じだったと思います。
ただ、死について改めて考えさせられた気がしました。
ところで、hot chocolateさんの旅行記、楽しく拝見しました。
世界各地での猫ちゃん、まるでテレビで放映している「世界猫歩き・・・・」のようでした。
特に表紙のペトラ遺跡の猫ちゃん、可愛いですね。
ウルウルした目に魅きつけられてしましました。
実はヨルダンにも行きたいので、コロナが収束した折には、行ってみたいです。
それまで元気でいてほしいです。
それから hot chocolateさんのお宅のEvaちゃん、ホントに可愛いですね〜。
コロナが収束するまでは、他の皆さんの旅行記など拝見して、我慢します。
hot chocolateさんの旅行記も楽しみにしてます。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
noel
-
- sanaboさん 2020/05/18 23:11:20
- EVORAの納骨堂に圧倒されました!
- noelさん、こんばんは
遂にポルトガルに上陸ですね。とはいえ、スペインとは地続きですけど(笑)
旅行記のタイトルを拝見したとき、エボラ=エボラ出血熱=レムデシビルと
連想してしまう今日この頃ですが、noelさんのお蔭で
EboraとEvoraの違いをしっかりと学習できました^^
私もポルトガル旅行の際にエボラ訪問を検討したのですが
日数的に厳しくて諦めたのでした。
納骨堂はちょっと怖いような気もしましたけど
天正少年使節団が訪れその音色を聴いたというオルガンを
一目見たいと思ったのでした。
ですので今回noelさんの旅行記で拝見できて嬉しかったです。
それにしてもサンフランシスコ教会の納骨堂のインパクトには
度肝を抜かれました!
現地ガイドさんの計らいで見学ができて良かったですね^^
日本人としては遺骨を埋葬することによって安らかに眠れる…みたいな
観念がありますけど、あんな風に(窓もありましたし)陽の下で
人目に晒してしまうのは、やはり宗教観の違いなのでしょうね。
天井のアーチ部分に並ぶ頭蓋骨はまるでレース模様のようにも
見えてしまいました。
ロイオス教会の足元の人骨堂にも驚きました。
(あの鉄格子にはガラスもはめられているのですよね?)
大聖堂の屋上テラスからの景色は壮観ですね~!
noelさんがマトリョーシカに例えられた塔が本当に可愛らしくて
まるでお城みたいだと思いました。
そして何よりnoelさんがご覧になれて嬉しかったのが
古代ローマ神殿だったと思います。
ディアナ神と聖ニコラウスのお話も興味深かったです。
ご主人さまが「ロワイヤル・ド・リュクス」の巨大な人形の
お写真を撮られている間、noelさんは神殿に目と心を
奪われていたのでしょうね(´艸`*)
素晴らしい力作にすっかり行った気分になれました♪
今度はリスボンですね。また楽しみにしています^^
sanabo
- noelさん からの返信 2020/05/19 22:14:02
- RE: EVORAの納骨堂に圧倒されました!
- sanaboさん、こんばんは
コメントありがとうございます。
ついにポルトガルまで辿り着くことができました。(^_^;)
> 旅行記のタイトルを拝見したとき、エボラ=エボラ出血熱=レムデシビルと
> 連想してしまう今日この頃ですが、noelさんのお蔭で
> EboraとEvoraの違いをしっかりと学習できました^^
ありがとうございます。
やはりEbora と Evora 間違いやすいですよね。
私も最初にこの地名を耳にした際にはそう思いました。
> 私もポルトガル旅行の際にエボラ訪問を検討したのですが
> 日数的に厳しくて諦めたのでした。
そうですね。
確かにEvoraは少し離れていますよね。
sanaboさんの行程では行きにくかったと思います。
>天正少年使節団が訪れその音色を聴いたというオルガンを,
>一目見たいと思ったのでした。
> ですので今回noelさんの旅行記で拝見できて嬉しかったです。
ただ天正少年使節団が聴いたオルガンは、見るには見ましたが
大忙しで見て、写真を撮って、ハイおしまい、という感じでした。
それもこれも、大聖堂のテラスから街を見ていたからでもありますが・・・。
いい景色でしたが。
> それにしてもサンフランシスコ教会の納骨堂のインパクトには
> 度肝を抜かれました!
> 現地ガイドさんの計らいで見学ができて良かったですね^^
はい。以前から知っていたので行ってみたいと思ってました。
ただツアーだったので、予定では入場しないはずだったのに実際に見ることができて嬉しかったです。
> 日本人としては遺骨を埋葬することによって安らかに眠れる…みたいな
> 観念がありますけど、あんな風に(窓もありましたし)陽の下で
> 人目に晒してしまうのは、やはり宗教観の違いなのでしょうね。
> 天井のアーチ部分に並ぶ頭蓋骨はまるでレース模様のようにも
> 見えてしまいました。
確かに美しく飾られて、まさか骨だとは遠目だとわからないかもしれません。
日本人の観念では、気持ちのいいものではありませんよね。
やはりヨーロッパでは、そんな宗教観の違いなども目の当たりにして、それが結構興味深かったりします。
でも、うちの親など連れて行ったら吃驚して腰をぬかしてしまいそうです。
> ロイオス教会の足元の人骨堂にも驚きました。
> (あの鉄格子にはガラスもはめられているのですよね?)
はい。そうでした。
ガラスがあって安心しました。ただあまりにも無造作で吃驚でした。
> そして何よりnoelさんがご覧になれて嬉しかったのが
> 古代ローマ神殿だったと思います。
はい。勿論古代ローマの足跡を辿ると、あってもおかしくないのですが、
でも実際に目の前にどーーーーんと出現すると、青空に映えた神殿は美し過ぎました。
本当にsanaboさんは、私の事をご理解いただいてます。(笑)
> ディアナ神と聖ニコラウスのお話も興味深かったです。
ちょっと余計かな・・・とも思ったのですが・・・。
> ご主人さまが「ロワイヤル・ド・リュクス」の巨大な人形の
> お写真を撮られている間、noelさんは神殿に目と心を
> 奪われていたのでしょうね(´艸`*)
確かにその通りです。
また主人も少しぐらいは、私に教えてくれても良さそうなものですが・・・。
> 素晴らしい力作にすっかり行った気分になれました♪
> 今度はリスボンですね。また楽しみにしています^^
ありがとうございます。
リスボンは、以前のsanaboさんの旅行記で色々教わった事も多かったんです。
参考になりましたし、楽しみにもして出かけました。
それからsanaboさんの旅行記もこれで終わりですね。
本当に旅行記としての完成度の高さ、感動的です。
また後程、訪問させていただいますね。
ありがとうございました。
noel
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