2019/08/03 - 2019/08/03
17位(同エリア7232件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/08/03
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バスでの移動
サン・パウ病院→ガウディ公園
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9時50分頃 ガウディ公園
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徒歩での移動
10時15分頃 ガウディ公園→10時20分頃 サグラダ・ファミリア
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10時25分頃 サグラダ・ファミリア誕生のファサード
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10時42分 サグラダ・ファミリア 内陣
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10時45分 サグラダ・ファミリア ステンドグラス等
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10時55分頃 サグラダ・ファミリア 受難のファサード
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11時05分頃 サグラダ・ファミリア 付属学校
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11時25分頃 サグラダ・ファミリア ミュージアムショップ
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サグラダ・ファミリア 栄光のファサード
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この旅行記スケジュールを元に
スペイン旅行はバルセロナからスタートしました。
そしてその中でもサグラダ・ファミリアは群を抜いて人気のある場所です。
ただ個人的にですが、その割にはよく知らないのも事実です。
写真でよくお目にかかる生誕のファサードはともかく、中の様子はほとんど知らない状態ででかけました。
でも知らなかったからこそ驚きがあり、感動もありました。
【旅程】
8月2日(金)
羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着
ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)
↓
フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着
ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)
8月3日(土)
バルセロナ市内観光●
カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア●→カタルーニャ広場→カテドラル
↓
タラゴナ
ラス・ファレラス水道橋
↓バレンシア
8月4日(日)
バレンシア観光
ラ・ロンハ
↓
クエンカ市内観光
↓
ラ・マンチャ地方
カンポ・デ・クリプターナ
↓
マドリッド
8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館
↓
トレド観光
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド
8月6日(火)
コルドバ観光
花の小径→メスキータ
↓
グラナダ
アルハンブラ宮殿
8月7日(水)
グラナダ市内観光
カテドラル
↓
ミハス
↓
セビージャ
フラメンコショー鑑賞
8月8日(木)
セビージャ市内観光
スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔
↓
エヴォラ歴史地区観光
ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会
↓
リスボン
8月9日(金)
ロカ岬
↓
ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント
↓
シントラ観光
シントラ王宮
↓
リスボン
8月10日(土)
リスボン発7時15分→フランクフルト11時15分着
ルフトハンザ航空LH1173便(3時間)
↓
フランクフルト18時10分発→
8月11日(日)
羽田12時15分着
ルフトハンザ航空LH716便(11時間05)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
-
サン・パウ病院からサグラダ・ファミリアに向かいます。
遠くにちらりと見えます。
この通りはガウディ通りです。 -
サグラダ・ファミリアは高いいので全景を撮ろうした場合、近くだと上手く撮れません。
そこで少しだけ離れた場所から撮りました。 -
こちらから見えるのは生誕のファサードです。
ガウディが作ったのが、このファサードです。 -
池があります。
水面に映ったら良かったのですが・・。
水はあまり綺麗とは言いにくいです。(-。-; -
高い所にクレーンを上げての作業です。
ずっと未完成と言われていましたが(完成には300年要すると)、2026年には完成する予定です。
何しろ設計したガウディの頭の中での構想で、残された1枚のスケッチだけが頼りだったのですから仕方ありませんでした。
元々は資料はありましたが、スペイン内戦で消失してしまったのです。
ただ2つの理由で工期の短縮が見込まれることになったのです。
1 ITを駆使したテクノロジー
2 教会への寄付が観光資源で潤沢になったこと
つまり今は猛烈な勢いで建設されています。ですから、今見たこのサグラダ・ファミリアは2度と見ることができません。ちょっと見てない内に違う姿になると現地のガイドさんのお話でした。
ちなみに2026年はガウディ没後100年を迎える年です。
ガウディは1926年6月10日にトラムに轢かれて亡くなりました。
2026年は記念すべき年になりそうです。 -
左側のファサードは栄光のファサードです。
完成したら、正面になる予定のファサードです。 -
2010年11月7日
ローマ法皇であるBenedict XVI (ベネディクト16世)が訪れ、この大聖堂で司教、神父約6500人の参列のもと、聖別のミサが執り行われました。
800人の聖歌隊の歌声は、さぞや荘厳な雰囲気を醸し出したことでしょう。
そしてローマ法王が聖堂に聖水を注ぎ、法王庁が認定するバシリカになりました。
その際に、正門は栄光の門とすることになりました。 -
ガウディ公園の中の池です。
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ガウディ公園です。
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こちらには滑り台やブランコなどの遊具もあります。
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Carrer de Mallorca(マリョルカ通り)からの撮影です。
このファサードの前の通りは車は進入できませんでした。
多くの人が一生懸命写真撮影をしています。
夢中になりすぎてスラれないようにしてください。 -
圧巻の高さと形状です。
今まで様々な教会を見ましたが、これが教会とは思えません。
「ガウディの未完の建築物」というだけならわかりますが・・・。
ただ「ガウディ」という名前だけ一人歩きして、私自身それほど彼自身の事を知っているわけでもありません。
しかもこの建物は、ガウディが最初に建築し始めたわけでもありませんでした。 -
元々はサン・ホセ教会が贖罪教会として、建築家のフランシスコ・ビリャールが建設を始めました。しかも無償で引き受けました。
1882年に着工したものの、意見が合わずに辞任することになったのです。 -
この旅行記の前のバルセロナの旅行記にも書きましたが、実はガウディは自分の先輩で教鞭をとっていたモンタンネール(サン・パウ病院、カタルーニャ音楽堂などを建設)と師弟コンビで、マルトレイの案として、サンタ・エウラリア大聖堂のコンペに応募して落選してました。
この時モンタンネールが題字を、ガウディが作図を担当してました。
かのガウディも、まだまだ当時は若輩だったのです。
でも、このサグラダ・ファミリア建設の後継者を決める際に、マルトレイはモンタンネールではなく、ガウディを推薦しました。
それだけ若輩者の彼に才能を見出したのでしょうか?
いずれにしても凄いことです。
もしこれがモンタネールが作っていたら、全然違う建物になっていたでしょう。
・・・モンタネールだけではなく、他の人でもそうでしょう。 -
1番左の塔はベルナベの塔
2番目の塔はシモンの塔
3番目の塔はタダイのユダの塔
1番右の塔はマタイの塔
イエスの塔ができたら、世界一の高さの教会になります。
今はドイツのウルム大聖堂が世界一で、161.53mです。
完成したら、172.5mの予定です。 -
中央にあるのはイトスギ(生命の樹)です。
その下の文字JHSはイエスの象徴です。 -
生誕のファサードには3つの門があります。
左は希望の門
真ん中は慈愛の門
右は信仰の門です。 -
サグラダ・ファミリアは世界文化遺産に登録されましたが、それはガウディが建築した生誕のファサードと地下聖堂で、これは全体的にみれば1/4にも満たないほどです。
ただし残念ながら地下聖堂は見ることができませんでした。 -
このサグラダ・ファミリアは初代のフランシスコ・ビリャール、2代目のガウディ・・・・・そして9代目のジョルディ・ファウリによって最終的に造られようとしています。
そしてその中に主任彫刻士として福岡出身の外尾悦郎氏がいます。
日本人として誇らしいです。 -
イトスギとイエスの象徴の文字が見えます。
イトスギは生命や豊穣を表す樹です。
私はこのイトスギが好きです。
ゴッホの絵にもありますが、ダ・ヴィンチの受胎告知の中にも描かれています。
またイトスギはキリストが磔にされた十字架の樹でもあるとも言われています。
その他、死や哀悼や絶望などを表すとも。
そんなわけで、墓地でよく見かけます。
スペインの作家にミゲル・デリーベスという人がいますが、「糸杉の影は長い」という作品があります。(個人的は「異端者」という作品の方が好きですが・・・・。)
彼の作品を読んで、スペインへの思いは膨らみました。、 -
生誕のファサードの前の路上には小さな店が並んでいます。
時間帯によって幾分違うと思いますが、この辺りは日を遮る場所がありません。
愛煙家の連れは、お店でちょっとした物を買って、少しだけ陰になる奥の方で細々と煙草を吸わせてもらってました。 -
こちら側には蛇、カエル、トカゲ、カタツムリなどがあしらわれています。
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1883年にプロジェクトを開始した後、ガウディは地下室を建設しました。
1925年11月30日に、センターダルサリアのサンベルナベに捧げられたファサードの最初の鐘楼の建設が完了しました。
ただ1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、躓いて転倒し、たまたま走ってきたトラムに轢かれてしまいました。この日眼鏡を家に忘れたために段差に気づかなかったのかもしれません。
彼は浮浪者と間違われて(晩年は身なりに無頓着でした)手当てが遅れ、事故発生後3日目に73歳で亡くなりました。
サグラダ・ファミリアの地下礼拝堂に埋葬されています。 -
ガウディ亡き後、1938年の終わりに、共同研究者であるドメネク・スグラニェスが仕事の指揮を引き継ぎました。
1936年から1939年までの期間に、地下室とサグラダ・ファミリアの仮設学校から火災が発生し、プラノール、図面、元の写真などがが失われてしまいました。
1939年から1940年にかけてFrancesc de Paula Quintana (フランチェスク・デ・パウラ・キンタナ)とガウディの協力者のVidal(ヴィダル)によって地下室を復元しました。 -
突出した白い丸い部分はファサード前で、ちょっと下がって全体を見られるようになっています。
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サグラダ・ファミリアの公式サイトですが、スペイン語、英語、そしてカタルーニャ語で対応してます。
やはりカタルーニャの問題が大きいのがわかります。 -
実はバルセロナの南西30kmにシッチェス市の港町ガラーフがあります。
ここにグエルが葡萄を栽培し、ワインを醸造している酒蔵があります。
Bodega de Garraf(ボデーガ・デ・ガラーフ)です。
最上階には家族のための礼拝堂もあるそうです。二等辺三角形の屋根の斜面が急な面白い建物です。
「我々は翌日シッチェスへ行った。会堂でひとつのモダンな家が私の注意をひいた。ガウディである。」
・・・・これは1928年にバルセロナを訪れたル・コルビュジェが、これを見た時の印象だそうです。
* Eusebi Guel(エウゼビ・グエイ(カタルーニャ語))グエルはガウディのクライアントであり・・・むしろパトロンとしてガウディをバックアップした人です。ご存知のようにグエル公園、グエル邸、グエル別邸、グエル館、コロニア・グエル教会地下聖堂など、グエルの依頼で建築した作品の数々です。
* Le Corbusier(ル・コルビュジェ)は上野の国立西洋美術館など「ル・コルビュジエの建築作品」として7か国17作品が2016年に文化遺産に登録されました。(1887-1965年)
ガウディが1852年-1926年ですから35年ガウディの方が年長です。でも同時代を生きていました。 -
サグラダ・ファミリアと糸杉の対比
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イチオシ
マリナ通りから撮影しました。
人人人・・・・です。 -
これは1915年頃の建築開始当初の風景です。
人家もなく、家畜の牛が歩き回っている様子です。
【写真】
ナショナル ジオグラフィック 謎を呼ぶ 大建築より
National Geographic Creative -
では教会内部に入ります。
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入口です。
セキュリティチェックがあります。 -
まず、生誕のファサードから見学します。
サグラダ・ファミリアのミニチュアがありました。
小さいですが、よくできています。 -
こちらは反対側です。
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この窓はまるでハチの巣のようです。
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真下から上を見上げて撮った写真です。
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まずは生誕のファサードから見ます。
こちらにはイエスの誕生の物語が刻まれています。
つまりナザレの聖家族の物語です。
このサグラダ・ファミリアはイエスとその母であるマリアと父であるヨセフに捧げられました。 -
上の方に見えるのが、聖母マリアの戴冠
下の方に見えるのが、受胎告知です。 -
聖母マリアの戴冠の場面です。
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聖母マリアの戴冠をもう少しズームします。
聖母マリアの体が天に上げられ、復活したキリストの栄光にあずかったとするのが聖母被昇天で、その後天国で戴冠される聖母マリアを表わしています。
聖母はキリストのかたわらに座し、戴冠してキリストの祝福を受けています。
マリアの献身的な神への愛に対して、冠を授けているイエスが描かれています。 -
受胎告知の場面です。
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少しズームしました。
聖母マリアに天使(ガブリエル)が降り、聖霊によってキリストを妊娠したことを告げます。
そしてマリアがそれをを受け入れます。 -
イエスの誕生の場面です。
マリアはヨセフと婚約していましたが、一緒になる前に天使から懐妊を告げられました。(受胎告知)
マリアの親類のザカリアとエリザベトには子どもがいませんでした。
マリアは天使から懐妊のお告げを受けて、エリザベトを訪れました。
マリアと縁を切ろうとしていたヨセフでしたが、天使にマリアを受け入れるように告げられて結婚したのです。
そして生まれてくる男の子は「自分の民をその罪から救う」と言われていました。 -
生まれたイエスと右にはマリア、そして左にはヨセフがいます。
そして両側には楽師たちがいます。
誕生を告げるラッパを吹き鳴らしています。
またハープやシターやオーボエのような物を演奏している姿が見られます。
まさに天上の音楽です。
イエスはベツレヘムで生まれました。
ベツレヘムは古代イスラエル王ダヴィデの町です。 -
この楽師や合唱隊は天使象です。
これらの天使はスペイン内戦で破壊されたため、日本人彫刻家の外尾悦郎氏によって修復されました。 -
イエスの誕生場面の左下には東方の三博士が見えます。
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東方三博士の礼賛の場面です(下の方に見えます)
東方の三博士(三賢者)は救世主であるイエス・キリストが誕生した事を知り、乳香、没薬、黄金を贈り物として捧げました。
三博士の名前です。
Melchior メルキオール黄金(王権の象徴、青年の姿の賢者)
Balthasarバルタザール乳香(神性の象徴、壮年の姿の賢者)
Casperカスパール没薬(将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者) -
羊飼いの礼拝の場面です。
天使は羊飼いにイエスが生まれた事を告げました。
ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
というお告げを聞いて、光に導かれてベツレヘムに向かい、そして布にくるまってる飼い葉桶の赤ん坊を見つけました。天使のお告げ通りでしたので神を崇め賛美しました。 -
学者たちと応答するイエス
12歳になったイエスは、エルサレム神殿で学者たちと問答したが、その賢明さにマリアとヨセフは驚きました。 -
右下の方にあるのが
ヨセフとマリアと働くイエス -
左がエジプトへの逃避
右が幼児の虐殺の場面です。 -
エジプトへの逃避
東方の三博士がベツレヘムに向かう際に、ヘロデ王から幼子の居場所がわかったら知らせるように言い使っていました。
ただしイエスへの礼拝を終えて、戻ろうとした際に夢のお告げで、ヘロデ王のもとには帰らないように告げられました。
そこで三博士はお告げに従って、帰りは別の道を通って帰ったのです。
天からのお告げを受けたヨセフ(マリアの夫)は、ヘロデ王が幼子を探して殺そうとしているから、エジプトに逃げるように言われました。 -
エジプトへの逃避
ここに描かれているヨセフのロバは、きっと老いた痩せたロバだと思ったガウディは、たまたま通りかかった老婆が連れていた痩せたロバを得るため、老婆を無理矢理説得、その場でロバの石膏を取ってしまったそうです。
思い込んだら、人の言うことを聞かなかったようです。ちょっと吃驚です。 -
幼児の虐殺
ヘロデ王は東方の三博士に裏切られ激怒し、ベツレヘムとその近隣に住んでいた2歳以下の男の子を全員虐殺しました。 -
可愛そうに何も罪もないのに虐殺される幼子。
-
確かこちらは海の亀だったと思います。
左右にあって向かって右側が海よりにあるので海の亀。
そして左が山方向にあるので山の亀だそうです。 -
これは生誕のファサードの扉です。
3つの門があります。
左が希望の門、ブロンズの扉にアイリスが描かれています。
そして、これが中央の慈悲の門です。
夫婦を象徴する蔦が描かれています。
また、右の信仰の門は、棘のない薔薇の花が描かれています。 -
さていよいよ教会の内部へ入ります。
ラテン十字を基本としたネオ・ゴシックの内部ですが、初代建築家のフランシスコ・ビリャールが設計したものですが、ガウディはこれを森に覆われたような空間にしました。
柱は木の幹のように伸びて、そして枝が分かれています。
ちょうど交差部と後陣にイエス、マリア、ヨセフの頭文字を図案化したモザイクデザインを配しています。 -
Oooooh!
吃驚しました。そしてサグラダ・ファミリア=生誕のファサードという私の公式は覆りました。
こちらは今度完成した暁には正門のファサードから入ると正面になります。
主祭壇の上には小麦とぶどうで飾られた天蓋があります。
天蓋のぶどうの房はキリストの血を、小麦はキリストの身体を表しているらしいです。 -
この生々しいキリスト像ですが、これは聖堂内に三面鏡を持ち込んで、その前にセットを組んで、衣装を身に着けたモデルに、同様のポーズをさせて作ったものです。ガウディは現場主義だとは言いますが、本当に徹底してます。
それにしてもこのポーズをとらされたモデルは、しんどかったでしょう。
それから祭壇に使われているのはヴェネチアン・ガラスとのことです。 -
よーく御覧ください。
本物のように見えます。本当にこれを見た時ドキッとしました。 -
美しいステンドグラス
-
教会は祈りの場です。
それゆえ仕方がないのかもしれませんが、薄暗いイメージがどうしても拭えません。
これだけ光が差し込んでくるのには本当に驚かされました。 -
このステンドグラスは他の教会などのステンドグラスとは全然違います。
宗教的なものは描かれていません。
そして主要な柱には4種類の太さと形があり、それらは全て最上部では円になっているようです。
12面(高さ約21m)、10面(高さ約17m)、8面(高さ約14m)、6面(高さ約10m)
上記の数字を見ればわかるように、根元の部分の面の数と直径は、その柱にかかる荷重で決めています。
まるで植物のようです。
大理石、目の粗い石、斑岩の3種類があります。
170mを超える高い塔に立つ部分にはイランからの高級斑岩が使われています。 -
こちらは西側のステンドグラスです。受難の門側です。
全体的に赤いグラデーションになっています。 -
ご覧のようにあくまでも教会ですので、祈りの場でもあります。
お祈りする方のお邪魔にならないようにしなければなちまsrん。
またこの部分ではお喋りや写真撮影は禁止です。 -
薔薇窓が美しいです。
面白いのはこのステンドグラス部分に文字が刻まれています。
中には「Mont Serrat」(モン・セラット)の文字もありました。
モンセラットはバルセロナから近い山です。ギザギザな山(鋸山)です。
岩山が迫ってきて迫力があります。
Monasterio de Montserrat(サンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂)があり、黒いマリア像があります。
ガウディはモニュメントの第一秘跡を手がけました。
そしてこの山からインスピレーションを得ていたと言われています。
確かにそう思います。他の方の写真を拝見したたけで、私自身も思いました。
またアーサー王の聖杯伝説とも関係があるので、以前からモンセラットに行きたくて、今回もかなり悩みました。そしてとりあえずは先延ばしになってしまいましたが・・・・。(-_-;) -
美しい光が零れ落ちてきます。
まるで地中海の太陽のようです。 -
イチオシ
ガウディは自然から着想を得て建築していることがわかります。
自然に美しさを見出し、自然界に完全な実用性が存在するのなら、それは崇高な装飾になるはずだと思ったのです。 -
赤が基調となっている暖色系のステンドグラスです。
-
青が基調となっている寒色系のステンドグラスです。
東側の生誕の門側です。 -
青と緑とパープルのグラデーションがなんとも見事です。
また日の出や日の入りの事も計算したであろうと思われます。 -
美しい薔薇窓です。
袖廊部分だったように思います。
中央に聖人と思われる像があります。
そういえば先ほど、ステンドグラスに刻まれた文字について触れましたが、確か教会に関わる修道僧の名前が刻まれていると伺ったと思います。確か・・・。 -
ちょうど中央身廊あたりです。
教会の内部に「森」を作るために樹木の特徴を柱に取り入れました。
この上部の方は巨木の幹と枝の分かれ目の部分を見事に表現しています。 -
受難の門側の翼廊部分だったように思います。
ガウディは従来のゴシック様式の大聖堂などでは、美しくないと言って嫌っていました。
これは横の方向の荷重を斜めに渡したFlying buttress(フライング・バットレス(飛梁))で支えるものです。
ドイツのケルン大聖堂やフランスのノートルダム大聖堂・・・などなどゴシック建築です。
そしてガウディはゴシック様式を少し逸脱して、横方面の荷重を身廊の柱にかけるという独特な方式をとりました。
建築には詳しくありませんが、彼がなしえた事はかなり画期的なことだと思います。
ただ、私はガウディではないので、ケルンの大聖堂もノートルダム大聖堂も大好きです。 -
聖堂内の上方に柱が伸びています。
日の光を強調しているようです。
そして枝分かれした樹木のような柱が支えている天井は、棕櫚の葉のモチーフで飾られています。これは殉教のシンボルです。 -
教会の屋根は孫弟子によって作られました。
高さは60mです。大木のような柱で支えられています。
光が差し込むようにトップライトが付いています。
光を拡大し、そして拡散しているかのようです。 -
光がまばゆく、なんだかレントゲン写真のようです・・・。(スミマセン変な表現で。素人なのでパっと見た瞬間そう思っただけです。)
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下から映し出した写真です。
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ここにはたくさんの文字が刻まれています。
そして中央部分には浮彫のように刻んであります。 -
受難のファサード側だったように思います。
十字架の上には像があります。 -
螺旋階段です。
かたつむりの殻やカエデの種にも螺旋の形などが見られます。
自然からインスピレーションを多く受けているはずです。 -
それでは外に出て彫刻を見ます。
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受難のファサードの扉
受難のファサードはイエスの受難と死、そして復活を表しています。
彫刻家Josep Maria Subirachs(ジョセップ・マリア・スビラックス)が、彫刻と扉を手掛けています。(~1986年) -
このちょっとカクカクちょっと渥美清風の彫刻もスビラックス氏が作りました。
おそらく生誕のファサードと比べると、違和感を感じる人も多いでしょう。
実は私もその1人でした。
まずは左のイエスに対してイスカリオテのユダが接吻しようとしているものです。
よく見るとユダの後ろの下の辺りには蛇がいます。
蛇はユダに引き渡すようにそそのかしています。
蛇は悪魔の象徴です。 -
イエスの左の後ろにある数字は魔法陣です。
縦4×横4の計16の数字からなる暗号です。
通常の魔法陣と違って12と16がありません。そして10と14が2つずつあります。
これには310通りの足し算のしかたがありますが、全て33になります。(33歳はイエスの年齢とのこと。) -
磔刑にかけられ死んでしまったイエスです。
左の下に蹲っているのはマグダラのマリアです。
聖母マリアは手で顔を覆って嘆いています。そして横でヨハネが慰めています。
また、イエスの右下には頭蓋骨があります。
これは「死」を意味します。 -
右側の下の方に見えるのは、イエスがゴルゴダの丘へと十字架を背負って歩いている様子です。
そして中央はヴェロニカがイエスのことを憐れんで、布を差し出している場面です。(これが後に聖骸布と言われます。) -
使徒のペトロです。
大司祭の家に連れてこられ、「お前はイエスの弟子か」と問われましたが、3度も否定しました。
そしてそんな自らを恥じています。 -
ペトロをズームします。
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ペトロの後ろにいる3人の女性です。
そして左下のあたりに鶏がいます。
この女性たちはイエスの事を否定した事を暗喩しています。
キリストはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言しました。
ペトロが再三問われたのですが3度目に否定した後に鶏が鳴いたため、キリストの予言を思い出してしまって絶望してしまっている有名な場面です。 -
柱に抱き着いている人の像です。
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A(アルファ)→Ω(オメガ)
ギリシア語、アルファベットの最初と最後の文字で古来の考えに従えば宇宙の鍵を意味します。
アルファとオメガというこの順序でしばしば配列されるこの大文字はヨハネの黙示録22章13にあるキリストの告白を表しています。
「私はAでありΩである。最初の者にして最後の者。初めであり終わりである。」
この文字は既にコンスタンティヌス帝時代よりも前から象徴記号として使われていたようです。
そして4世紀にはギリシア、小アジア、パレスティナ、アラビア、ヌビア、イタリア、ガリア、そして北アフリカで特に普及していたようです。
とりわけ墓碑銘、石棺、典礼の書物などに・・
後にはアンフォラ、他の容器などに、指輪や貨幣、煉瓦やその他多くの日用品によく見られます。
カタコンベのフレスコにはAとΩの文字は5世紀前には現れていないとのこと。 -
LC.22 60
聖書の数??? -
左の像は剣のような物を持っています。
イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌスにしては、長さが短いので違うような気もしますが・・・。
(解説を聞き損なってしまいました。) -
東の壁の大窓です。
ガウディが崇拝していたフェリペ・ネリの彫刻が置かれています。
珪藻などの自然に見られるパターンに従って、自然光をたくさん取り入れられる窓にしています。 -
上を見上げると、4つのファサードが見えます。
これはイエスの12人の使徒に捧げられました。
3つのファサードに対して、それぞれ4つの鐘楼があります。 -
だいたいの教会にはガーゴイルなどを象った吐水口がありますが、ガウディは教会の建築によって追いやられてしまったトカゲなどの野生生物を刻んでいます。
-
サグラダ・ファミリア付属学校です。
-
この場所は以前は空き地でした。
そこにガウディは学校を建てました。それは聖堂で働く職人の子どもたちのためでした。 -
カタルーニャ・レンガで造られています。
簡単な木型による手製のテラコッタです。 -
17世紀のスペインの哲学者の言葉に「良いものは単純ならばなお良い」とあります。
これは葉っぱ状の屋根です。葉の形を取り入れて錐状面という曲面になっていて、かなりの重さに耐えられるのだそうです。
そして雨水のはけも良いようです。 -
ちなみにル・コルビュジェは、先のバルセロナ訪問の際に、この学校のことも気に留めていたようです。
とても簡素に見えるのですが、しかも仮設の建物だったのにカタルーニャ・ヴォールトの工法を駆使しているのだそうで、やはり傑作なのですね。 -
薔薇窓部分ですが、外側から見ても美しいです。
-
ミュージアムショップです。
-
Carrer de Mallorca(マリョルカ通り)からの撮影です。
こちらが栄光のファサード、つまり正門になる予定です。
このファサードから入ると、内陣が前方に見えることになります。 -
お土産物屋さん「Ringels」
こちらは栄光のファサードの向かい側にあるお店です。
このファサードは正門となる予定です。 -
栄光のファサードを作っているところです。
道路を1本挟んで、先ほどの土産物屋さんのすぐ目の前です。
正門になるのに狭すぎです。
そこで目の前の建物を取り壊すという方向で計画されているのだそうです。
つまりは先ほどのお店も立ち退かなければいけません。
住民の方々は勿論反対しているそうです。
何かいいアイデアがあればいいのですが・・・。 -
サグラダ・ファミリア、2026年の完成を楽しみにしてます。
ただその反面、ずっと完成しないのも悪くはないような気も・・・。
Adios(Adeu)~~~!
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この旅行記へのコメント (5)
-
- solty75さん 2021/06/01 21:34:19
- コロナが終わったら・・・
- はじめまして
素敵な旅行記のシェアをありがとうございます。海外旅行はしばらく難しそうですがコロナが終わったら行ってみたい場所です!
solty75
- noelさん からの返信 2021/06/02 20:21:02
- Re: コロナが終わったら・・・
- solty75さん、こんばんは。
私の方こそありがとうございます。
サグラダ・ファミリアは、外観だけは知っていましたが、中に入ったら、更に感動しました。
コロナが収束して、海外に行けるようになるといいですね。
その際には、是非行ってみてくださいね。
noel
-
- sanaboさん 2019/09/20 01:26:33
- サグラダ・ファミリアの旅行記、圧巻でした☆彡
- noelさん、こんばんは
サグラダ・ファミリアだけをまとめられた旅行記、
なんと素晴らしい力作なのでしょう☆彡
先日一度拝見し、今日またじっくり拝読させていただきました。
詳細な解説はもちろんのこと、ポイントを押さえた的確なお写真を
きちんと撮っていらっしゃることにとても驚き感心しました。
あれだけの大きな建造物ですし、見所が沢山ありすぎますから
私だったら興奮しすぎたりパニクってどこを撮ったらよいのか
わからなくなりそうです(笑)
それにしてもガウディさんが躓いてトラムに轢かれ
亡くなられたなんて残念でなりませんね。
完成までの歳月を見届けることは無理だったにしても、せめて
資料がスペイン内戦で消失することなく残されていたなら
今とは違う姿の聖堂になっていたのかしら、とか考えてしまいます。
でも9人の建築家のリレーにより、素晴らしい大聖堂が
まもなく完成するのですね。
生誕のファサードのレリーフ彫刻の各場面は有名な場面なだけに
noelさんの丁寧で詳細な解説を興味深く拝読し理解が深まりました。
そしてnoelさんの「サグラダ・ファミリア=生誕のファサード」という
公式を覆したという教会内部の見事さは驚嘆に値しますね!
生々しいキリスト像やあの天蓋、ステンドグラス、どれをとっても
唯一無二のものばかり…
まだまだたくさんの見どころを完全網羅してお写真とともに
解説して下さっているnoelさんには脱帽です!
noelさんの旅行記を参考書として是非ともバルセロナを訪れたいと思います♪
本当に見事な旅行記で圧巻でした☆彡
sanabo
- noelさん からの返信 2019/09/20 23:08:03
- RE: サグラダ・ファミリアの旅行記、圧巻でした☆彡
- sanaboさん、こんばんは
いつもありがとうございます。
> なんと素晴らしい力作なのでしょう☆彡
そんな、トンでもないです。
でもありがとうございます。
写真は、またしても焦って撮ってしまってお恥ずかしい結果になりました。
> それにしてもガウディさんが躓いてトラムに轢かれ
> 亡くなられたなんて残念でなりませんね。
そうなんです。お気の毒だったのが、着の身着のままだったせいで、浮浪者に間違われて手当が遅れてしまったのは残念でした。
もしかしたら、もう少し長生きできたのかもしれません。
このサグラダ・ファミリアという建築物については、それほどの期待をして行かなかったのですが、そのせいか驚きと感動が大きかったです。
そして、sanaboさんの南仏の旅行記、ついに完結しましたね。
どうもお疲れ様でした。
お馴染みになったマルシェに並ぶ籠バッグ、プロヴァンスのプリント、カラフルな色に目が移ります。
14ユーロの布地はほしいなぁ〜と思いながら拝見しました。
それから石垣に書かれた「CEZANNE」の文字、よく発見しましたね。
結構小さな文字のようですが。
さりげないsanaboさんの目線、いいですね〜。
それからセザンヌは、サント・ヴィクトワールが本当にお好きだったのでしょうね。
ちょっと特徴のある山の形が印象的でした。
そして、まさかまさかエクス・アン・プロヴァンスで磯野浪平さんをお見掛けするなんて・・・・・。
それにしても可笑し過ぎです!
見ていて気付いたのですが「ミラボー大通り」のミラボーはフランス革命の指導者のようですが・・・。
確か南フランス出身だったと思ってはいたのですが、意外なところでお目にかかりました。
四頭のイルカの噴水、確かに鱗がついてますね。
知らない状態で作ったのだから仕方がありませんが・・・・。
本当に旅行記を仕上げるのに、旅行に行ったのよりも長い時間を費やされましたよね?
その甲斐あって素晴らしい作品に仕上がりました。
次はイギリス旅行も楽しみにしていますね。
まずは、ありがとうございました。
noel
- noelさん からの返信 2019/09/20 23:13:47
- 追伸
- 追伸:
ゴッホの作品を追い求めてのパリ、アムステルダム、ニューヨークなどの旅行記も楽しみにしています。
noel
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