カンポ・デ・クリプターナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
クエンカを後にして、次はラ  ・マンチャ地方のカンポ・デ・クリプターナに向かいました。<br />ここには風車があります。<br />スペイン文学の中でも世界的に有名なドン・キホーテがありますが、このドン・キホーテの話の中に、風車を巨人と思って突進していく場面があります。そんなユーモアもあるドン・キホーテですが、この他にも所縁の地があります。<br />その1つがプエルト・ラピセです。観光で訪れる予定には入ってはいませんでしたが、ちょっと立ち寄ることになりました。ただし、ほんのちょっとだけでしたが。<br /><br />【旅程】<br /><br />8月2日(金)<br />羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着<br />ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)<br />↓<br />フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着<br />ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)<br /><br />8月3日(土)<br />バルセロナ市内観光<br />カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ広場→カテドラル<br />↓<br />タラゴナ<br />ラス・ファレラス水道橋<br />↓<br />バレンシア<br /><br />8月4日(日)<br />バレンシア観光<br />ラ・ロンハ<br />↓<br />クエンカ市内観光<br />↓<br />ラ・マンチャ地方<br />カンポ・デ・クリプターナ●<br />↓<br />マドリッド<br /><br />8月5日(月)<br />マドリッド市内観光<br />プラド美術館<br />↓<br />トレド観光<br />カテドラル→サント・トメ教会<br />マドリッド<br /><br />8月6日(火)<br />プエルト・ラピセ●<br />コルドバ観光<br />花の小径→メスキータ<br />↓<br />グラナダ<br />アルハンブラ宮殿<br /><br />8月7日(水)<br />グラナダ市内観光<br />カテドラル<br />↓<br />ミハス<br />↓<br />セビージャ<br />フラメンコショー鑑賞<br /><br />8月8日(木)<br />セビージャ市内観光<br />スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔<br />↓<br />エヴォラ歴史地区観光<br />ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会<br />↓<br />リスボン<br /><br />8月9日(金)<br />ロカ岬<br />↓<br />ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント<br />↓<br />シントラ観光<br />シントラ王宮<br />↓<br />リスボン<br /><br />8月10日(土)<br />リスボン発7時15分→フランクフルト11時15分着<br />ルフトハンザ航空LH1173便(3時間)<br />↓<br />フランクフルト18時10分発→<br /><br />8月11日(日)<br />羽田12時15分着<br />ルフトハンザ航空LH716便(11時間05分)

2019年夏 Don Quijote Campo de Criptana & Puerto Lapice (ドンキホーテ)

247いいね!

2019/08/04 - 2019/08/06

2位(同エリア41件中)

noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2019/08/04

  • クエンカ15:20〜カンポ・デ・クリプターナ17:10

  • カンポ・デ・クリプターナ〜マドリッド

2019/08/06

  • マドリッド 〜 プエルト・ラピセ

  • プエルト・ラピセ 〜 コルドバ

この旅行記スケジュールを元に

クエンカを後にして、次はラ ・マンチャ地方のカンポ・デ・クリプターナに向かいました。
ここには風車があります。
スペイン文学の中でも世界的に有名なドン・キホーテがありますが、このドン・キホーテの話の中に、風車を巨人と思って突進していく場面があります。そんなユーモアもあるドン・キホーテですが、この他にも所縁の地があります。
その1つがプエルト・ラピセです。観光で訪れる予定には入ってはいませんでしたが、ちょっと立ち寄ることになりました。ただし、ほんのちょっとだけでしたが。

【旅程】

8月2日(金)
羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着
ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)

フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着
ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)

8月3日(土)
バルセロナ市内観光
カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ広場→カテドラル

タラゴナ
ラス・ファレラス水道橋

バレンシア

8月4日(日)
バレンシア観光
ラ・ロンハ

クエンカ市内観光

ラ・マンチャ地方
カンポ・デ・クリプターナ●

マドリッド

8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館

トレド観光
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド

8月6日(火)
プエルト・ラピセ●
コルドバ観光
花の小径→メスキータ

グラナダ
アルハンブラ宮殿

8月7日(水)
グラナダ市内観光
カテドラル

ミハス

セビージャ
フラメンコショー鑑賞

8月8日(木)
セビージャ市内観光
スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔

エヴォラ歴史地区観光
ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会

リスボン

8月9日(金)
ロカ岬

ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント

シントラ観光
シントラ王宮

リスボン

8月10日(土)
リスボン発7時15分→フランクフルト11時15分着
ルフトハンザ航空LH1173便(3時間)

フランクフルト18時10分発→

8月11日(日)
羽田12時15分着
ルフトハンザ航空LH716便(11時間05分)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
  • クエンカを後にして、次はカンポ・デ・クリプターナに向かいます。<br /><br />Don Quijote de la Mancha(ドン・キホーテ  ・デ・ラマンチャ)はあまりにも有名な作品ですが、ただちょっと長いので今まで全然読んでいませんでした。<br />でもスペインのこのラ ・マンチャ地方を旅するのに読まないのはもったいないと思い、長編ではなく「ドレの絵で読むドン・キホーテ  」を読みました。<br />原作は、<br />Miguel de Cervantes Saavedraミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ作です。

    クエンカを後にして、次はカンポ・デ・クリプターナに向かいます。

    Don Quijote de la Mancha(ドン・キホーテ ・デ・ラマンチャ)はあまりにも有名な作品ですが、ただちょっと長いので今まで全然読んでいませんでした。
    でもスペインのこのラ ・マンチャ地方を旅するのに読まないのはもったいないと思い、長編ではなく「ドレの絵で読むドン・キホーテ 」を読みました。
    原作は、
    Miguel de Cervantes Saavedraミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ作です。

  • 風車が見えてきました。<br />ドン・キホーテの時代には風車が27台あったと推定されていますが、20世紀当初は13台になってしまいました。<br /><br />「風車論考」によると、スペインにあった風車の数は、<br />トレド県に20台<br />クエンカ県に34台<br />シウダ・レアル県に50台あったようです。<br />ただ一箇所に集中しているのではなくて、分散されていたようです。<br />でも、ドン・キホーテによると、前方の丘陵地に30-40の風車が立ち並んでいたようですから、誇張して書いてあったのかと思います。<br />・・というか、それぐらい多く見えたのかもしれません。

    風車が見えてきました。
    ドン・キホーテの時代には風車が27台あったと推定されていますが、20世紀当初は13台になってしまいました。

    「風車論考」によると、スペインにあった風車の数は、
    トレド県に20台
    クエンカ県に34台
    シウダ・レアル県に50台あったようです。
    ただ一箇所に集中しているのではなくて、分散されていたようです。
    でも、ドン・キホーテによると、前方の丘陵地に30-40の風車が立ち並んでいたようですから、誇張して書いてあったのかと思います。
    ・・というか、それぐらい多く見えたのかもしれません。

  • ドン・キホーテのルートであることを示しています。

    ドン・キホーテのルートであることを示しています。

  • さて、ドン・キホーテ  の内容を要約すると次の通りです。<br />まずは有名な書き出しですが・・・名は思い出したくないが、マンチャのさる村に・・・・・・・、とあります。<br />名前を思い出したくないなんて、よっぽど嫌気でもさしてる村のように思えますが、「思い出すほどもないどうでもよい村」のことのようです。<br />簡単に日本流で言えば「むかし、むかし、あるところに・・・」らしいです。<br />「En un lugar de la Mancha, de cuyo nombre no quiero acordarme.」<br /><br />ですから、マンチャ高原モンティエール平原のこの村は、そんなどこでもあるような村だったのでしょう。<br /><br />主人公はアロンソ・キハーノという50歳ぐらいの郷士です。(郷士というのはイダルゴと言って下級貴族です。日本で言えば江戸時代の下級武士でしょうか・・・。土佐藩でいうと坂本龍馬のように下士の郷士ぐらいの身分のように思います。<br />龍馬ファンの方、引合いに出してしまって、お気を悪くなさらないで下さい。<br /><br />ところでラ・マンチャのとある村というのは、トレド近郊のエスキビアスだそうです。この村はぶどう酒とコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)の富裕郷士の館が多い村だったそうです。<br />そしてドンキ・ホーテのモデルは、セルバンテスの若い妻カタリーナ・デ・サラサールの親戚関係の人らしいです。

    さて、ドン・キホーテ の内容を要約すると次の通りです。
    まずは有名な書き出しですが・・・名は思い出したくないが、マンチャのさる村に・・・・・・・、とあります。
    名前を思い出したくないなんて、よっぽど嫌気でもさしてる村のように思えますが、「思い出すほどもないどうでもよい村」のことのようです。
    簡単に日本流で言えば「むかし、むかし、あるところに・・・」らしいです。
    「En un lugar de la Mancha, de cuyo nombre no quiero acordarme.」

    ですから、マンチャ高原モンティエール平原のこの村は、そんなどこでもあるような村だったのでしょう。

    主人公はアロンソ・キハーノという50歳ぐらいの郷士です。(郷士というのはイダルゴと言って下級貴族です。日本で言えば江戸時代の下級武士でしょうか・・・。土佐藩でいうと坂本龍馬のように下士の郷士ぐらいの身分のように思います。
    龍馬ファンの方、引合いに出してしまって、お気を悪くなさらないで下さい。

    ところでラ・マンチャのとある村というのは、トレド近郊のエスキビアスだそうです。この村はぶどう酒とコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)の富裕郷士の館が多い村だったそうです。
    そしてドンキ・ホーテのモデルは、セルバンテスの若い妻カタリーナ・デ・サラサールの親戚関係の人らしいです。

  • キハーノは農業を営む下級貴族の郷士ですが、時代遅れの騎士道物語を夢中になって読み耽っていました。<br />そして朝から晩まで読んでいたため、睡眠不足になり、ついに気がふれてしまい、騎士道物語にでてくる魔法、決闘、けが、愛の告白などの幻想で頭がいっぱいで夢が現実のように思ってしまいました。そして自分は遍歴の騎士として冒険の旅に出て、巨人や悪人をこらしめ世をただす必要があると考えてしまいました。<br />そして愛馬を「ロシナンテ」と名付けました。<br />また、かの勇敢な騎士アマディスが自分の生まれ故郷の名をつけていたのですが、それを真似て「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗ることにしたのです。<br />そして近くに住む娘を思い姫「ドゥルシネア・デル・トポーゾ」と呼ぶことにしました。(勿論勝手にそう思い込んでるだけです。)<br />また後に近所のちょっと頭が弱い農夫「サンチョ・パンサ」を自分の従者として旅に出ました。<br />そして野畑に30-40ぐらいの風車を目にしました。<br />「サンチョ、あそこに立ちはだかる長い腕をした巨人たちを見よ!地上の悪を取り払い平和を実現するために、わしはやつらと戦うつもりじゃ。奴らを懲らしめ戦利品を押収すれば我々も潤うというものだ。」と。<br />するとサンチョが「旦那様、何をいいなさるね。あそこにいるのは巨人なんかじゃねえだよ。ただの風車ですだ。あれは腕ではなく風車の翼だがね」と。<br />「サンチョ、あれは間違いなく巨人だ。怖いならお前はここにとどまり、わしは巨人たちと決死の戦いを挑んでいる間、祈ってくれ。」と言いました。<br /><br />ドン・キホーテが風車に近づいた時、風が吹いて風車の翼が動き始めました。ドン・キホーテはドゥルシネア姫を思いながら、風車に突撃しました。<br />そして吹き飛ばされ、立ち上がれなくなりました。<br /><br />・・・というのが、この風車の冒険のお話です。

    キハーノは農業を営む下級貴族の郷士ですが、時代遅れの騎士道物語を夢中になって読み耽っていました。
    そして朝から晩まで読んでいたため、睡眠不足になり、ついに気がふれてしまい、騎士道物語にでてくる魔法、決闘、けが、愛の告白などの幻想で頭がいっぱいで夢が現実のように思ってしまいました。そして自分は遍歴の騎士として冒険の旅に出て、巨人や悪人をこらしめ世をただす必要があると考えてしまいました。
    そして愛馬を「ロシナンテ」と名付けました。
    また、かの勇敢な騎士アマディスが自分の生まれ故郷の名をつけていたのですが、それを真似て「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗ることにしたのです。
    そして近くに住む娘を思い姫「ドゥルシネア・デル・トポーゾ」と呼ぶことにしました。(勿論勝手にそう思い込んでるだけです。)
    また後に近所のちょっと頭が弱い農夫「サンチョ・パンサ」を自分の従者として旅に出ました。
    そして野畑に30-40ぐらいの風車を目にしました。
    「サンチョ、あそこに立ちはだかる長い腕をした巨人たちを見よ!地上の悪を取り払い平和を実現するために、わしはやつらと戦うつもりじゃ。奴らを懲らしめ戦利品を押収すれば我々も潤うというものだ。」と。
    するとサンチョが「旦那様、何をいいなさるね。あそこにいるのは巨人なんかじゃねえだよ。ただの風車ですだ。あれは腕ではなく風車の翼だがね」と。
    「サンチョ、あれは間違いなく巨人だ。怖いならお前はここにとどまり、わしは巨人たちと決死の戦いを挑んでいる間、祈ってくれ。」と言いました。

    ドン・キホーテが風車に近づいた時、風が吹いて風車の翼が動き始めました。ドン・キホーテはドゥルシネア姫を思いながら、風車に突撃しました。
    そして吹き飛ばされ、立ち上がれなくなりました。

    ・・・というのが、この風車の冒険のお話です。

  • 案内板がありました。

    案内板がありました。

  • ドン・キホーテのルートは、カスティーリャラマンチャの主要な自然および文化空間をカバーする2,500キロメートルの距離からなっています。<br /> 歴史的な小道、小川、トレイル、川岸・・・マンチャカスティリャ州の148の市町村にまたがる10か所からなっています。

    ドン・キホーテのルートは、カスティーリャラマンチャの主要な自然および文化空間をカバーする2,500キロメートルの距離からなっています。
    歴史的な小道、小川、トレイル、川岸・・・マンチャカスティリャ州の148の市町村にまたがる10か所からなっています。

  • Tierra de Gigantes(巨人の国)<br />確かに巨人と間違ったわけですから、ここは巨人の国です。

    Tierra de Gigantes(巨人の国)
    確かに巨人と間違ったわけですから、ここは巨人の国です。

  • 特に風車の羽の部分ですが、これが巨人の手に見えたそうです。<br />サンチョ同様、私にもそうは見えませんが・・・・。<br /><br />

    特に風車の羽の部分ですが、これが巨人の手に見えたそうです。
    サンチョ同様、私にもそうは見えませんが・・・・。

  • それにしても青空に白い風車が映えます。

    それにしても青空に白い風車が映えます。

  • ここには何もなくて、あるのは風車だけです。<br />何もないため、暑さを遮ってくれるものもありません。<br />灼熱地獄のようでした。<br />そうは言いつつも、短い時間の滞在なので、充分楽しんでいました。

    イチオシ

    ここには何もなくて、あるのは風車だけです。
    何もないため、暑さを遮ってくれるものもありません。
    灼熱地獄のようでした。
    そうは言いつつも、短い時間の滞在なので、充分楽しんでいました。

  • Miguel de Cervantes Saavedra(ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ)は「ドン・キホーテ」の作者ですが、あまりにも有名でありながら実際には良く知らなかったのも事実です。<br />少し吃驚したのが、あの有名な戦い「レパントの海戦」に参加したのだそうです。1571年10月7日に起こった、ギリシアのコリント湾口のレパント沖で、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍による海戦でです。<br />この戦争で左手の自由が利かなくなってしまいました。ただその後も従軍を続け、帰還する際にアフリカの海賊に捕虜にされてしまいました。またスペインの無敵艦隊にも食糧係でしたが参加しました。

    Miguel de Cervantes Saavedra(ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ)は「ドン・キホーテ」の作者ですが、あまりにも有名でありながら実際には良く知らなかったのも事実です。
    少し吃驚したのが、あの有名な戦い「レパントの海戦」に参加したのだそうです。1571年10月7日に起こった、ギリシアのコリント湾口のレパント沖で、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍による海戦でです。
    この戦争で左手の自由が利かなくなってしまいました。ただその後も従軍を続け、帰還する際にアフリカの海賊に捕虜にされてしまいました。またスペインの無敵艦隊にも食糧係でしたが参加しました。

  • ついでに風車の歴史をちょっとだけ調べてみると、オランダかと思いきや、実はもっともっと古い歴史がありました。<br /><br />まずはBC36年頃、古代エジプトに遡ります。<br />これは確かではないかもしれませんが、灌漑に使われたらしいです。<br />この説は説得力があると思います。<br /><br />そして10世紀頃になって製粉用の風車(ウィンドミル)が中央アジアの今のイランやアフガニスタン付近のペルシャ地域でできました。<br />それが十字軍の遠征などを通して、広くヨーロッパ方面等へ伝わってきたようです。<br />

    ついでに風車の歴史をちょっとだけ調べてみると、オランダかと思いきや、実はもっともっと古い歴史がありました。

    まずはBC36年頃、古代エジプトに遡ります。
    これは確かではないかもしれませんが、灌漑に使われたらしいです。
    この説は説得力があると思います。

    そして10世紀頃になって製粉用の風車(ウィンドミル)が中央アジアの今のイランやアフガニスタン付近のペルシャ地域でできました。
    それが十字軍の遠征などを通して、広くヨーロッパ方面等へ伝わってきたようです。

  • この風車は駐車場から一番近くにあった風車です。<br />名前がついています。<br />Cariariです。

    この風車は駐車場から一番近くにあった風車です。
    名前がついています。
    Cariariです。

  • それにしても、この風車の羽の部分はどう見ても巨人の手には見えませんが、そこまで思いつめると見えるのでしょうか・・・。

    それにしても、この風車の羽の部分はどう見ても巨人の手には見えませんが、そこまで思いつめると見えるのでしょうか・・・。

  • ちなみに風車に挑んで倒れたドン・キホーテは「魔法使いのフレストンが、巨人を風車の形に変えたのに違いない。<br />だが最後にはわしの善の剣が、奴の悪行をこらしめる日がくるだろう。」<br />その後サンチョに助け起こされて、ロシナンテの背にどうにか乗ることができました。そして色々な冒険に巡り合えそうな人通りの激しいプエルト・ラピセへの道を辿ることにしました。

    ちなみに風車に挑んで倒れたドン・キホーテは「魔法使いのフレストンが、巨人を風車の形に変えたのに違いない。
    だが最後にはわしの善の剣が、奴の悪行をこらしめる日がくるだろう。」
    その後サンチョに助け起こされて、ロシナンテの背にどうにか乗ることができました。そして色々な冒険に巡り合えそうな人通りの激しいプエルト・ラピセへの道を辿ることにしました。

  • つまり次はプエルト・ラピセへ向かったことになります。

    つまり次はプエルト・ラピセへ向かったことになります。

  • 10 points of interest on the Route of Don Quixote<br />From Toledo to San Clemente and El Toboso Belmonte<br />San Clemente Villanueva de los Infantes through Ruidera<br />Villanueva de los Infantes and Almagro Calatrava la Nueva.<br />Alcudia Valley to Campo de Calatrava through Ruidera<br />From Albacete to Alcaraz and Bienservida<br />De La Roda to Los Campos de Montiel<br />Campo de Criptana to Tomelloso.<br />Almagro Ciudad Real to Toledo and Consuegra<br />Illescas and Esquivias to Carranque<br />De La Hoz del Rio Dulce to Siguenza and Atienza

    10 points of interest on the Route of Don Quixote
    From Toledo to San Clemente and El Toboso Belmonte
    San Clemente Villanueva de los Infantes through Ruidera
    Villanueva de los Infantes and Almagro Calatrava la Nueva.
    Alcudia Valley to Campo de Calatrava through Ruidera
    From Albacete to Alcaraz and Bienservida
    De La Roda to Los Campos de Montiel
    Campo de Criptana to Tomelloso.
    Almagro Ciudad Real to Toledo and Consuegra
    Illescas and Esquivias to Carranque
    De La Hoz del Rio Dulce to Siguenza and Atienza

  • ドン・キホーテの通った10か所<br />・トレドからサン クレメンテ、エル トボソ ベルモンテへ<br />・サン クレメンテ ビジャヌエバ  デ ロス インファンテ  ルイデラを経由して<br />・ビジャヌエバ デ ロス インファンテスとアルマグロ  カラトラバ ラ ヌエバ<br />・アルカディア渓谷からルイデラを経由してカラトラバへ<br />・アルバセテからアルカラスとビエンセルビダへ<br />・デラロダからロス カンポス デ モンティエル<br />・カンポデクリプタナからトメロソ<br />・アルマグロ シウダー レアル トレドとコンスエグラ<br />・イレスカスとダッジからカランク<br />・デ・ラ・オズ・デル・リオ・ダルチェからシグエンサとアティエンツァ

    ドン・キホーテの通った10か所
    ・トレドからサン クレメンテ、エル トボソ ベルモンテへ
    ・サン クレメンテ ビジャヌエバ デ ロス インファンテ ルイデラを経由して
    ・ビジャヌエバ デ ロス インファンテスとアルマグロ カラトラバ ラ ヌエバ
    ・アルカディア渓谷からルイデラを経由してカラトラバへ
    ・アルバセテからアルカラスとビエンセルビダへ
    ・デラロダからロス カンポス デ モンティエル
    ・カンポデクリプタナからトメロソ
    ・アルマグロ シウダー レアル トレドとコンスエグラ
    ・イレスカスとダッジからカランク
    ・デ・ラ・オズ・デル・リオ・ダルチェからシグエンサとアティエンツァ

  • レストランの上に何か小さな物が見えます。

    レストランの上に何か小さな物が見えます。

  • 風車をバックにしたドン・キホーテ(アロンソ・キハーノ)ではないですか。<br /><br />

    風車をバックにしたドン・キホーテ(アロンソ・キハーノ)ではないですか。

  • 拡大するとユニークな顔をしたお姿です。<br />やはり痩せています。

    拡大するとユニークな顔をしたお姿です。
    やはり痩せています。

  • さて、それでは灼熱のカンポ・デ・クリプターナに別れを告げます。

    さて、それでは灼熱のカンポ・デ・クリプターナに別れを告げます。

  • これはインフォメーションでいただいた地図です。<br />ちなみに風車に名前がつけられています。<br />Cariari<br />Inca Garcilaso<br />Quimera<br />Pilon<br />Burleta<br />Lagarto<br />Culebro<br />Infante<br />Poyatos<br />Sar....ro(文字が被さって読めません)<br />

    これはインフォメーションでいただいた地図です。
    ちなみに風車に名前がつけられています。
    Cariari
    Inca Garcilaso
    Quimera
    Pilon
    Burleta
    Lagarto
    Culebro
    Infante
    Poyatos
    Sar....ro(文字が被さって読めません)

  • ホテルに到着しました。<br />Mercaderです。

    ホテルに到着しました。
    Mercaderです。

  • さて、この日はホテルで夕食でした。<br />そしてこちらではクエンカのレストランと同様にワインが無料でサービスされました。せっかくなので、そのワインを頂きました。

    さて、この日はホテルで夕食でした。
    そしてこちらではクエンカのレストランと同様にワインが無料でサービスされました。せっかくなので、そのワインを頂きました。

  • 野菜サラダ

    野菜サラダ

  • ポークソテーに野菜が添えられてます。

    ポークソテーに野菜が添えられてます。

  • プチ・シュークリームのチョコソース

    プチ・シュークリームのチョコソース

  • さて、1日飛ばして8月6日の朝です。この日はマドリッドからコルドバへ向かいます。<br />(8月5日の分は後ほど。今回はドン・キホーテ関連という事でまとめます。)<br />ちょうど朝日が昇ってきました。<br />Aranjues(アランフェス)を撮ろうと思っていたのですが・・・。<br />あのアランフェスコンチェルトのアランフェスだったのですが・・・。

    さて、1日飛ばして8月6日の朝です。この日はマドリッドからコルドバへ向かいます。
    (8月5日の分は後ほど。今回はドン・キホーテ関連という事でまとめます。)
    ちょうど朝日が昇ってきました。
    Aranjues(アランフェス)を撮ろうと思っていたのですが・・・。
    あのアランフェスコンチェルトのアランフェスだったのですが・・・。

  • そして明るくなってきた頃、また風車を見ることができました。<br />Consuegra(コンスエグラ)あたりでしょうか?

    そして明るくなってきた頃、また風車を見ることができました。
    Consuegra(コンスエグラ)あたりでしょうか?

  • こちらも車窓ですが、オスボルネの黒い牛が見えました。<br />反射していてすみません。

    こちらも車窓ですが、オスボルネの黒い牛が見えました。
    反射していてすみません。

  • まだ車窓からの光景です。<br />何にもないのですが。

    まだ車窓からの光景です。
    何にもないのですが。

  • プエルト・ラピセに到着です。

    プエルト・ラピセに到着です。

  • 「Puerto」は峠<br />「Lapice」は「piedra lapicea(ピエドラ・ラピセア)」というこの土地の地質の名前に由来してます。石でできている下層の土のようです。<br />プエルト・ラピセは案外と歴史が古く、古代ローマ時代に建設されたようです。<br />アメンサルカ、アラバ、バスティア、コンサブルム(現在のコンスエグラ)の重要な町を結ぶローマの街道はこの町を通っています。

    「Puerto」は峠
    「Lapice」は「piedra lapicea(ピエドラ・ラピセア)」というこの土地の地質の名前に由来してます。石でできている下層の土のようです。
    プエルト・ラピセは案外と歴史が古く、古代ローマ時代に建設されたようです。
    アメンサルカ、アラバ、バスティア、コンサブルム(現在のコンスエグラ)の重要な町を結ぶローマの街道はこの町を通っています。

  • 右の茶色の建物は教会です。<br />ここは教会の裏手になっています。

    右の茶色の建物は教会です。
    ここは教会の裏手になっています。

  • Calle la Iglesia<br />チャーチ・ストリート<br />教会の通りです。<br />

    Calle la Iglesia
    チャーチ・ストリート
    教会の通りです。

  • こちらはバス専用の駐車場ですが、残念ながら時間が早すぎました。<br />時間は9時から18時までです。<br />この時はまだ8時30分でした。ここで30分待つと後々の時間に影響します。<br />この日はコルドバそしてグラナダに向かいます。夜はアルハンブラ宮殿に入場します。<br />トイレ休憩はサービスエリアになりました。<br />

    こちらはバス専用の駐車場ですが、残念ながら時間が早すぎました。
    時間は9時から18時までです。
    この時はまだ8時30分でした。ここで30分待つと後々の時間に影響します。
    この日はコルドバそしてグラナダに向かいます。夜はアルハンブラ宮殿に入場します。
    トイレ休憩はサービスエリアになりました。

  • ドン・キホーテホーテはこの町の旅籠に泊まりました。<br />しかもこちらでは騎士としての任命を受けた所でもあります。<br />Venta del Quijote(ベンタ・デル・キホーテ)<br />作者のセルバンテスも泊まりました。<br /><br />Cruzcampo<br />Bar la Noria・・写真はスペイン料理のレストランです。<br />

    ドン・キホーテホーテはこの町の旅籠に泊まりました。
    しかもこちらでは騎士としての任命を受けた所でもあります。
    Venta del Quijote(ベンタ・デル・キホーテ)
    作者のセルバンテスも泊まりました。

    Cruzcampo
    Bar la Noria・・写真はスペイン料理のレストランです。

  • 見えにくいのですが、右の端っこにドン・キホーテがいるようです。

    見えにくいのですが、右の端っこにドン・キホーテがいるようです。

  • ちなみにここから後方にはオート・キャンプ場のような場所があるようです。<br />案内に出ていました。

    ちなみにここから後方にはオート・キャンプ場のような場所があるようです。
    案内に出ていました。

  • こちらにもドン・キホーテがいます。<br /><br />ちょっとここでドン・キホーテの話の一部分をピックアップします。<br />************************************************************************************************************<br />プエルト・ラピセの町へ近づいたとき、ドン・キホーテはサンチョに言いました。<br />「サンチョよ。わしの戦う相手が騎士である場合は、わしに加勢するために刀を抜くでないぞ。ただ、相手が身分の賤しいならず者であったら別だが。」と。<br />そして進んで行くと、前方に聖べニート(ベネディクト)修道会の修道士が2人姿を現しました。<br />そして後ろにはラバ引きの2人のビスカヤ人(バスク人)の若者が。<br />またその後ろには馬に乗った4ー5人の男のお供を連れたご婦人が馬車でセビーリャに向かう途中でした。<br />この人たちはたまたま同じ道を通っていただけで、なんの関係もなかったにもかかわらず、ドン・キホーテはサンチョに言いました。<br />「あの黒い人影は、どこか高貴な姫君を掠奪して連れ去ろうとしている魔術師に違いない。吾輩は力の限り、この悪を絶ってみようぞ。」と。<br />サンチョが馬に乗ってるのはただの旅人であることを何度言っても、ドン・キホーテは聞く耳を持ちませんでした。相手がべニート会の修道士だと、名乗っても、そんな言葉には構わず槍を手にして攻撃をしかけました。<br />・・・・。<br />まだまだこの先話は続きます。<br />それにしてもドン・キホーテは万事がこんな感じです。<br />騎士としての正義感だけが一人歩きしてしまってるのですが、勝手に自分で思い込んでしまっているので、いくらサンチョや周囲の人に言われても、それを貫いてしまいます。<br />頭がおかしくなっているので致し方ありませんが、そこが厄介でもあり、また同時に憎めないところでもあります。<br />でも自分の身内にいたら困りますが。<br />この後のストーリーも勝手な思い込みで決闘をしたり、波瀾万丈な話になっています。<br /><br />さて、このように物語は面白可笑しいのですが、実際にこの当時のスペインは2つの権力が支配していました。<br />ビスカヤ人(バスク人)、ベニート派は宗教界、そして精神界を支配していて、誰も刃向かうことができませんでした。<br />特に当時は異端審問が行われてしましたので、常に監視されている息苦しい世の中でした。そしてセルバンテス自身がユダヤ人の血をひいたコンベルソ(ユダヤ人改宗者)だった可能性が高かったようで、異端審問所に目をつけられていたようです。<br />そんなわけで風車が巨人に見えてしまったりしてましたが、これはベニート派を暗喩していたようです。<br />このように気がふれていれば、当時も罰せられることはありませんでしたので、このように描いたのでしょう・・・。

    こちらにもドン・キホーテがいます。

    ちょっとここでドン・キホーテの話の一部分をピックアップします。
    ************************************************************************************************************
    プエルト・ラピセの町へ近づいたとき、ドン・キホーテはサンチョに言いました。
    「サンチョよ。わしの戦う相手が騎士である場合は、わしに加勢するために刀を抜くでないぞ。ただ、相手が身分の賤しいならず者であったら別だが。」と。
    そして進んで行くと、前方に聖べニート(ベネディクト)修道会の修道士が2人姿を現しました。
    そして後ろにはラバ引きの2人のビスカヤ人(バスク人)の若者が。
    またその後ろには馬に乗った4ー5人の男のお供を連れたご婦人が馬車でセビーリャに向かう途中でした。
    この人たちはたまたま同じ道を通っていただけで、なんの関係もなかったにもかかわらず、ドン・キホーテはサンチョに言いました。
    「あの黒い人影は、どこか高貴な姫君を掠奪して連れ去ろうとしている魔術師に違いない。吾輩は力の限り、この悪を絶ってみようぞ。」と。
    サンチョが馬に乗ってるのはただの旅人であることを何度言っても、ドン・キホーテは聞く耳を持ちませんでした。相手がべニート会の修道士だと、名乗っても、そんな言葉には構わず槍を手にして攻撃をしかけました。
    ・・・・。
    まだまだこの先話は続きます。
    それにしてもドン・キホーテは万事がこんな感じです。
    騎士としての正義感だけが一人歩きしてしまってるのですが、勝手に自分で思い込んでしまっているので、いくらサンチョや周囲の人に言われても、それを貫いてしまいます。
    頭がおかしくなっているので致し方ありませんが、そこが厄介でもあり、また同時に憎めないところでもあります。
    でも自分の身内にいたら困りますが。
    この後のストーリーも勝手な思い込みで決闘をしたり、波瀾万丈な話になっています。

    さて、このように物語は面白可笑しいのですが、実際にこの当時のスペインは2つの権力が支配していました。
    ビスカヤ人(バスク人)、ベニート派は宗教界、そして精神界を支配していて、誰も刃向かうことができませんでした。
    特に当時は異端審問が行われてしましたので、常に監視されている息苦しい世の中でした。そしてセルバンテス自身がユダヤ人の血をひいたコンベルソ(ユダヤ人改宗者)だった可能性が高かったようで、異端審問所に目をつけられていたようです。
    そんなわけで風車が巨人に見えてしまったりしてましたが、これはベニート派を暗喩していたようです。
    このように気がふれていれば、当時も罰せられることはありませんでしたので、このように描いたのでしょう・・・。

  • Parroquia de Nuestra Senora de Buen Consejo<br />ベンタ・デル・キホーテの前にある教会です。

    Parroquia de Nuestra Senora de Buen Consejo
    ベンタ・デル・キホーテの前にある教会です。

  • この教区教会は1859年に建てられたネオ・ロマニコの教会です。<br />町の守護聖人である「聖母マリア」と、守護聖人であるサン・アントニオ・アバドは、最も尊敬されています。

    この教区教会は1859年に建てられたネオ・ロマニコの教会です。
    町の守護聖人である「聖母マリア」と、守護聖人であるサン・アントニオ・アバドは、最も尊敬されています。

  • さて小さな町プエルト・ラピセを後にしました。

    さて小さな町プエルト・ラピセを後にしました。

  • 放牧しているようです。

    放牧しているようです。

  • カンポ・デ・クリプターナの小さなお店で買ったコースターです。<br />灼熱の太陽の下に、キホーテと愛馬のロシナンテと従者のサンチョが描かれています。<br />これを見るたびに、あの暑い太陽と乾いた大地を思い出します。

    カンポ・デ・クリプターナの小さなお店で買ったコースターです。
    灼熱の太陽の下に、キホーテと愛馬のロシナンテと従者のサンチョが描かれています。
    これを見るたびに、あの暑い太陽と乾いた大地を思い出します。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • sanaboさん 2019/12/02 01:27:01
    ドン・キホーテの世界観
    noelさん、こんばんは~

    カンポ・デ・クリプターナ編も大変懐かしく拝見しました^^
    私もスペインを訪れていなかったら、ドンキホーテが
    ドン・キホーテ・なのかドンキ・ホーテなのかも
    わからなかったかもしれません(笑)
    そのくらい名前は有名でも、実際にお話を読んでる日本人は少ないですよね。
    読書家のnoelさんのお蔭で、ドン・キホーテの境遇やストーリーを
    より詳しく知ることができました。
    ドン・キホーテのモデルがセルバンテスの奥様の親戚の人らしい、って
    実際にはどの程度までお話に沿った方だったのか、場合によっては
    かなりアブナイ人ですよね?(´艸`*)
    セルバンテス自身も従軍経験があることや、風車の起源が古代エジプトに
    あったことなども初めて知りました。
    また単なる面白可笑しいフィクションかと思いきや、異端審問者として
    目を付けられていたセルバンテスが物語でベニート派を暗喩していた
    ことなど、実は奥深い問題が提起されていたのですね。
    noelさんの旅行記も奥の深い内容の濃い~素晴らしい力作でした☆彡
    時を経てnoelさんと同じ場所の思い出を共有できたのも嬉しかったです^^

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2019/12/02 22:14:14
    RE: ドン・キホーテの世界観
    sanaboさん、こんばんは!

    いつもありがとうございます。

    sanaboさんの辿った道を、私もなぞってきました。
    とはいえ大忙しでザザザザーっとでしたが。

    > 私もスペインを訪れていなかったら、ドンキホーテが
    > ドン・キホーテ・なのかドンキ・ホーテなのかも
    > わからなかったかもしれません(笑)

    確かに日本人にとっては、名前だけが一人歩きしてしまっているような気がします。
    しかも今は量販店のドン・キホーテの方が有名かもしれません。(笑)

    > そのくらい名前は有名でも、実際にお話を読んでる日本人は少ないですよね。
    > 読書家のnoelさんのお蔭で、ドン・キホーテの境遇やストーリーを
    > より詳しく知ることができました。

    ありがとうございます。
    とはいえドン・キホーテは結構長編なので、簡略化したのを読みました。しかも挿絵が多いのでわかり易かったです。
    とにかく風車の場面だけは、読んでおこうと思った程度ですが・・・。

    > ドン・キホーテのモデルがセルバンテスの奥様の親戚の人らしい、って
    > 実際にはどの程度までお話に沿った方だったのか、場合によっては
    > かなりアブナイ人ですよね?(´艸`*)

    確かに(-_-;)

    > また単なる面白可笑しいフィクションかと思いきや、異端審問者として
    > 目を付けられていたセルバンテスが物語でベニート派を暗喩していた
    > ことなど、実は奥深い問題が提起されていたのですね。

    実は偉そうに書いてますが、このことを知ったのが、昨日だったんです。
    それまでは、どうしようもない遍歴の騎士に苦笑いしていたのですが・・・ちょっと一転してしまいました。
    ただセルバンテスの経歴を見ると、頷けるような気もしました。

    またドン・キホーテには贋作もあって、これについては前から知っていましたが、あまり色々書くと混乱しそうでしたのでやめておきました。

    > noelさんの旅行記も奥の深い内容の濃い?素晴らしい力作でした☆彡
    > 時を経てnoelさんと同じ場所の思い出を共有できたのも嬉しかったです^^

    そんな、そんなトンでもないです。
    sanaboさんの旅行記である程度のイメージもできていたので、あの暑さにも耐えられたように思います。
    しかもコンスエグラにも行かれましたよね。プエルト・ラピセでも実際に旅籠にも行かれて羨ましかったです。
    私はプエルト・ラピセでは、ほとんど車からの景色を撮っていたので、写りの悪いこと・・・・・反省です。
    でも旅の思い出は違うかもしれませんが、同じ場所についてsanaboさんと共有できて嬉しいです。
    この後も後追い旅行記を続けますね!

    どうもありがとうございました。sanaboさんの旅行記も楽しみにしています!


    noel
  • 浜ぎんこさん 2019/12/01 19:21:35
    質問です^^
    Hi...noel ちゃ~ん^^

    以前から
    気にかけていた事です。

    海外
    20カ国弱に、行かれてますが
    なぜ・・それぞれの国に、行こうと思われたのですか・・?

    3カ国 や 5カ国なら、感覚で、何となくわかりますが
    20カ国近くになると・・まったくわかりません。。

    Have a nice week...



         
                ・・・浜ぎんこ・・・

    noel

    noelさん からの返信 2019/12/20 22:14:52
    RE: 質問です^^
    浜ぎんこさん、こんばんは!

    お返事が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。m(__)m

    ご質問にお答えしますね!

    > 海外
    > 20カ国弱に、行かれてますが
    > なぜ・・それぞれの国に、行こうと思われたのですか・・?

    実は新婚旅行に行ったきり、しばらく海外は遠ざかっていました。
    夫の仕事の都合もあり、しばらくは国内オンリーでした。

    それでも子育ても落ち着いて海外に出かけようと思ったのは、そもそもは癒しのためでした。
    特にバリ島が好きで何度か行きました。
    海でのアクティビティなど好きな夫に合わせたことが多かったかもしれません。そういいながらも自分も楽しんでいました。
    その他の東南アジアについては、お買い物やグルメが主な目的でした。

    ただ夫の仕事も落ち着き、今までは5-6日しか休みがとりにくかったのですが、長期に休みが取れるようになって、それでようやくヨーロッパ方面に行けるようになりました。
    実は遺跡が大好きなので、主に古代遺跡を巡るのが楽しみなんです。
    古代ローマ、古代ギリシア、古代エジプト、ケルト・・・などなどです。
    それとお城や教会、日本でも神社仏閣に行くと心が凛とします。

    今後もいくつか行きたい所もありますが、夫は腰痛もちで、長時間フライトがきつそうなので、今後はどうなるかわかりません。
    親の介護などもありますし・・・・。
    そんなわけで行ける時に行く、ということで行っていたら、結構あちこち行っていたことになります。
    好奇心を満たすための旅、と言えばいいのかもしれません。

    ですから最近は、バリに行ってのんびりしたい・・・と夫は呟いてます。
    私自身はホントは一人旅でもしたいのですが、夫があまりいい顔をしないので、とりあえずは一緒に旅をしています。(-_-;)

    人によって旅に何を求めるのか、おそらく千差万別かと思います。
    浜ぎんこさんは、なんどもタイに行かれているので、とってもお好きなんだなぁ〜と思ってました。
    それだけリピートして行かれる国もいいですね。

    ではでは、あっという間にもうクリスマスですね〜。
    どうぞ素敵なひと時を!


    noel

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