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イギリスが世界に誇る印象派・ポスト印象派の殿堂ロンドンのコートールド美術館。プレミアムナイトに参加してきました。このイベントでは、特別に展示室内での写真撮影がOK(19:00~20:30)ということでしたが、18:00から20:30までのプレミアムナイトでしたが、18:00から1時間じっくり1回作品を堪能した後、19:00から写真を撮るために2回会場を回り、最後に空いた展示室をじっくりもう一度見て回り、計4回会場を回りました。作品点数は60点とやや少なめですが、印象派の巨匠の代表作、傑作といわれる作品が多数並ぶコレクションは圧巻でした。<br /> プレミアムナイト鑑賞の第2弾はドガの傑作からスタートです。<br />※作品内容等は、HP、図録などを参照しています<br /><br />コートールド美術館展 魅惑の印象派 ・ プレミアムナイト鑑賞 【1】<br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11564453/

コートールド美術館展 魅惑の印象派 ・ プレミアムナイト鑑賞 【2】

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2019/11/09 - 2019/11/09

76位(同エリア4544件中)

旅行記グループ 2019 美術館・展覧会

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+mo2

+mo2さん

イギリスが世界に誇る印象派・ポスト印象派の殿堂ロンドンのコートールド美術館。プレミアムナイトに参加してきました。このイベントでは、特別に展示室内での写真撮影がOK(19:00~20:30)ということでしたが、18:00から20:30までのプレミアムナイトでしたが、18:00から1時間じっくり1回作品を堪能した後、19:00から写真を撮るために2回会場を回り、最後に空いた展示室をじっくりもう一度見て回り、計4回会場を回りました。作品点数は60点とやや少なめですが、印象派の巨匠の代表作、傑作といわれる作品が多数並ぶコレクションは圧巻でした。
プレミアムナイト鑑賞の第2弾はドガの傑作からスタートです。
※作品内容等は、HP、図録などを参照しています

コートールド美術館展 魅惑の印象派 ・ プレミアムナイト鑑賞 【1】
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11564453/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
  • エドガー・ドガ「舞台上の二人の踊り子」1874年<br />印象派を代表する大画家エドガー・ドガ。彼が手がけたバレエの踊り子(バレリーナ)を画題とした作品は、数多くありますがその中でも随一の傑作です。

    エドガー・ドガ「舞台上の二人の踊り子」1874年
    印象派を代表する大画家エドガー・ドガ。彼が手がけたバレエの踊り子(バレリーナ)を画題とした作品は、数多くありますがその中でも随一の傑作です。

  • 「舞台上の二人の踊り子」(部分拡大)<br />ドガは踊り子の一瞬の動きを巧みにとらえています。つま先立ちをする踊り子のふくらはぎの筋肉やトゥーシューズのふくらみが繊細に描写されています。

    「舞台上の二人の踊り子」(部分拡大)
    ドガは踊り子の一瞬の動きを巧みにとらえています。つま先立ちをする踊り子のふくらはぎの筋肉やトゥーシューズのふくらみが繊細に描写されています。

  • エドガー・ドガ「踊り始めようとする踊り子」<br />蝋による制作:1885-90年/ブロンズに鋳造:1923年以前 ブロンズ<br />

    エドガー・ドガ「踊り始めようとする踊り子」
    蝋による制作:1885-90年/ブロンズに鋳造:1923年以前 ブロンズ

  • 「踊り始めようとする踊り子」(横から)<br />ドガが生前発表した彫刻作品は1点だけですが、ドガの没後、アトリエには約150点の彫刻が残されており、後にそれらはブロンズに鋳造されています。

    「踊り始めようとする踊り子」(横から)
    ドガが生前発表した彫刻作品は1点だけですが、ドガの没後、アトリエには約150点の彫刻が残されており、後にそれらはブロンズに鋳造されています。

  • アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて」1892年頃<br />華やかなパリを鋭い観察眼で捉えたトゥールーズ=ロートレック。彼はモンマルトルの歓楽街に通い、そこい生きる人々を身近に観察し描いています。本作のモデルはジャヌ・アヴリル、1890年代にムーラン・ルージュで大変人気を博したダンサーです。当時、彼女は20代前半であったはずですが、実年齢以上に年老いて見え、静かで内向的な姿で描かれています。

    アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて」1892年頃
    華やかなパリを鋭い観察眼で捉えたトゥールーズ=ロートレック。彼はモンマルトルの歓楽街に通い、そこい生きる人々を身近に観察し描いています。本作のモデルはジャヌ・アヴリル、1890年代にムーラン・ルージュで大変人気を博したダンサーです。当時、彼女は20代前半であったはずですが、実年齢以上に年老いて見え、静かで内向的な姿で描かれています。

  • アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「個室の中(「ラ・モール」にて)」1899年頃<br />ラ・モールはモンマルトルの丘の南、ビガール広場にあったカフェ兼レストラン。描かれた女性は高級娼婦と考えられています。

    アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「個室の中(「ラ・モール」にて)」1899年頃
    ラ・モールはモンマルトルの丘の南、ビガール広場にあったカフェ兼レストラン。描かれた女性は高級娼婦と考えられています。

  • エドゥアール・マネ「草上の昼食」1863年頃<br />マネの傑作「草上の昼食」ですが、見慣れた作品とやや違います。<br />

    エドゥアール・マネ「草上の昼食」1863年頃
    マネの傑作「草上の昼食」ですが、見慣れた作品とやや違います。

  • 「草上の昼食」(部分拡大)<br />人物などのタッチがかなり粗い。こちらは、最新の研究でオルセー美術館版の「草上の昼食」を描いている途中、背景の検討をするために描かれたもの(習作)だということがわかっています。

    「草上の昼食」(部分拡大)
    人物などのタッチがかなり粗い。こちらは、最新の研究でオルセー美術館版の「草上の昼食」を描いている途中、背景の検討をするために描かれたもの(習作)だということがわかっています。

  • こちらが、オルセー美術館版の「草上の昼食」1863年<br />※本作は出展されていません。<br />

    こちらが、オルセー美術館版の「草上の昼食」1863年
    ※本作は出展されていません。

  • エドゥアール・マネ「フォリー=ベルジェールのバー」1882年<br />印象派の父と呼ばれるエドゥアール・マネの人生最後の大作で、本展覧会の目玉(展覧会ポスターや図録の表紙)の作品。この絵の周りは人だかりが格段に多かったです。

    エドゥアール・マネ「フォリー=ベルジェールのバー」1882年
    印象派の父と呼ばれるエドゥアール・マネの人生最後の大作で、本展覧会の目玉(展覧会ポスターや図録の表紙)の作品。この絵の周りは人だかりが格段に多かったです。

  • 画面中央にバーテンダーの女性がカウンターに手をついてこちらを見ています。パリの夜の享楽的で華やかな雰囲気とは正反対に、給仕の女性の目はどこか寂し気で憂いを秘めた表情をしています。<br />実は彼女はバーテンダーとしてだけでなく客に買われる売春の対象でもあったのです。<br />

    画面中央にバーテンダーの女性がカウンターに手をついてこちらを見ています。パリの夜の享楽的で華やかな雰囲気とは正反対に、給仕の女性の目はどこか寂し気で憂いを秘めた表情をしています。
    実は彼女はバーテンダーとしてだけでなく客に買われる売春の対象でもあったのです。

  • 手前のバーカウンターの上には鮮やかな色彩と素早いタッチで酒瓶やオレンジが生き生きと描かれマネの技術の高さが見てとれます。

    手前のバーカウンターの上には鮮やかな色彩と素早いタッチで酒瓶やオレンジが生き生きと描かれマネの技術の高さが見てとれます。

  • 背景に描かれたフォリー=ベルジェールは、今もパリの中心部でコメディーなどの芝居に使用されている劇場ですが、当時は、バレエや曲芸、ダンスから珍獣の見世物まで催すミュージックホールでした。

    背景に描かれたフォリー=ベルジェールは、今もパリの中心部でコメディーなどの芝居に使用されている劇場ですが、当時は、バレエや曲芸、ダンスから珍獣の見世物まで催すミュージックホールでした。

  • 作品の細部にわたり、その表現や描写された対象の丁寧な解説があります。

    作品の細部にわたり、その表現や描写された対象の丁寧な解説があります。

  • 資料 ジュール・シェレ「フォリー=ベルジェールにて」1875年 ポスター 装飾芸術美術館所蔵<br />当時のフォリー=ベルジェールの様子がわかるポスターも展示されていました。

    資料 ジュール・シェレ「フォリー=ベルジェールにて」1875年 ポスター 装飾芸術美術館所蔵
    当時のフォリー=ベルジェールの様子がわかるポスターも展示されていました。

  • 資料 ジュール・シェレ ポスター 装飾芸術美術館所蔵<br />(左)「フォリー=ベルジェールにて 正真正銘のザゼル」1879年<br />(右)「フォリー=ベルジェールにて 象とサー・エドモンズ」1877年

    資料 ジュール・シェレ ポスター 装飾芸術美術館所蔵
    (左)「フォリー=ベルジェールにて 正真正銘のザゼル」1879年
    (右)「フォリー=ベルジェールにて 象とサー・エドモンズ」1877年

  • 資料 ジュール・シェレ ポスター 装飾芸術美術館所蔵<br />(左)「フォリー=ベルジェールにて タランチュラ蜘蛛」1880年<br />(中)「フォリー=ベルジェールにて カンガルー・ボクサー」1895年<br />(右)「フォリー=ベルジェールにて パガニーニの亡霊」1878年<br />

    資料 ジュール・シェレ ポスター 装飾芸術美術館所蔵
    (左)「フォリー=ベルジェールにて タランチュラ蜘蛛」1880年
    (中)「フォリー=ベルジェールにて カンガルー・ボクサー」1895年
    (右)「フォリー=ベルジェールにて パガニーニの亡霊」1878年

  • 3. 素材・技法から読み解く <br />ここでは、芸術家たちがどのような素材や技法を使ったのか。どのくらいの時間をかけて、どのように制作したのかなど制作の痕跡に光を当てています。

    3. 素材・技法から読み解く 
    ここでは、芸術家たちがどのような素材や技法を使ったのか。どのくらいの時間をかけて、どのように制作したのかなど制作の痕跡に光を当てています。

    東京都美術館 美術館・博物館

  • オノレ・ドーミエ「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」1870年頃<br />ドーミエは、初期からリトグラフを手がけており、本作にもその制作に用いる油性のクレヨンが使われており、その上を素早い筆づかいで幾度も線を重ねるように褐色の絵の具が覆っています。

    オノレ・ドーミエ「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」1870年頃
    ドーミエは、初期からリトグラフを手がけており、本作にもその制作に用いる油性のクレヨンが使われており、その上を素早い筆づかいで幾度も線を重ねるように褐色の絵の具が覆っています。

  • エドガー・ドガの未完成作品2点

    エドガー・ドガの未完成作品2点

  • エドガー・ドガ「窓辺の女」1871-72年<br />ドガは通常の絵画技法に飽き足らず、顔料と溶剤の違いが生み出す効果をしばしば実験しています。本作は未完成ながら様々な効果を試し、暗い室内に差し込む光の繊細な陰影を効果的に捉えています。

    エドガー・ドガ「窓辺の女」1871-72年
    ドガは通常の絵画技法に飽き足らず、顔料と溶剤の違いが生み出す効果をしばしば実験しています。本作は未完成ながら様々な効果を試し、暗い室内に差し込む光の繊細な陰影を効果的に捉えています。

  • エドガー・ドガ「傘をさす女性」1870-72年<br />未完成のまま今日に伝わる本作は、かなり早い段階で制作の手がとめられており、ドガの没後、アトリエに残されていました。全体はスケッチのようにおおまかに描かれていますが女性の横顔の輪郭や帽子の装飾などは丁寧に描写されています。

    エドガー・ドガ「傘をさす女性」1870-72年
    未完成のまま今日に伝わる本作は、かなり早い段階で制作の手がとめられており、ドガの没後、アトリエに残されていました。全体はスケッチのようにおおまかに描かれていますが女性の横顔の輪郭や帽子の装飾などは丁寧に描写されています。

  • ポール・セザンヌ「曲がり道」1905年頃<br />セザンヌの風景画では最も大きな作品の1つですが、完成されることなく遺されました。

    ポール・セザンヌ「曲がり道」1905年頃
    セザンヌの風景画では最も大きな作品の1つですが、完成されることなく遺されました。

  • ジョルジュ・スーラ「クールブヴォワの橋」1886-87年頃<br />スーラが自ら編み出した点描技法を画面全体に用いた最初の作品とされています。<br />描かれているのは、セーヌ川中洲のグランド・ジャット島からの眺望。

    ジョルジュ・スーラ「クールブヴォワの橋」1886-87年頃
    スーラが自ら編み出した点描技法を画面全体に用いた最初の作品とされています。
    描かれているのは、セーヌ川中洲のグランド・ジャット島からの眺望。

  • 「クールブヴォワの橋」(部分拡大)<br />草むらの緑の中にはピンクや赤の点が置かれ、煙突から出る煙には、オレンジや水色がちりばめられている。影の部分も、黒や灰色ではなく、紺や赤、緑などの色の重なりで表現されています。

    「クールブヴォワの橋」(部分拡大)
    草むらの緑の中にはピンクや赤の点が置かれ、煙突から出る煙には、オレンジや水色がちりばめられている。影の部分も、黒や灰色ではなく、紺や赤、緑などの色の重なりで表現されています。

  • ジョルジュ・スーラ<br />(左上)「舟を塗装する男」1883年頃<br />(左下)「グラヴリーヌの海辺」1890年<br />(右上)「水に入る馬」1883年頃<br />(右下)「釣り人」1884年頃<br />スーラがクロクトンと呼んだ小さな板に描かれた油彩画。スーラはクロクトンで様々な表現の実験を行っています。

    ジョルジュ・スーラ
    (左上)「舟を塗装する男」1883年頃
    (左下)「グラヴリーヌの海辺」1890年
    (右上)「水に入る馬」1883年頃
    (右下)「釣り人」1884年頃
    スーラがクロクトンと呼んだ小さな板に描かれた油彩画。スーラはクロクトンで様々な表現の実験を行っています。

  • 構図において、その厳密さ、秩序立てられた配置が、観る者に強い印象を与えます。

    構図において、その厳密さ、秩序立てられた配置が、観る者に強い印象を与えます。

  • コートールド美術館は、油彩画5点、版画10点、彫刻1点、素描2点を収集するイギリス随一のゴーガン・コレクションを有しています。

    コートールド美術館は、油彩画5点、版画10点、彫刻1点、素描2点を収集するイギリス随一のゴーガン・コレクションを有しています。

    コートールド美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ポール・ゴーガン「メットの肖像」1879-80年 大理石<br />デンマーク出身のゴーガンの妻メットの肖像。

    ポール・ゴーガン「メットの肖像」1879-80年 大理石
    デンマーク出身のゴーガンの妻メットの肖像。

  • ポール・ゴーガン「干し草」1889年<br />コートールドが初めて入手したゴーガン作品の1つ。近代化する大都市パリに嫌気のさしたゴーガンは、昔ながらの素朴な生活が残るフランス北西部のブルターニュに繰り返し足を運び、制作を行っています。

    ポール・ゴーガン「干し草」1889年
    コートールドが初めて入手したゴーガン作品の1つ。近代化する大都市パリに嫌気のさしたゴーガンは、昔ながらの素朴な生活が残るフランス北西部のブルターニュに繰り返し足を運び、制作を行っています。

  • ポール・ゴーガン「ネヴァーモア」1897年<br />ルネサンス期以来、西洋美術の定番中の定番のモチーフ「横たわる裸婦像」を用いて描かれた大作です。ゴーガンが2度目のタヒチ滞在時に一緒に暮らした、現地の島の娘(パウラという13才の娘)をモデルにしていると思われます。浅黒く豊満な肉体、気怠そうな表情が非常に印象的。「私はただありのままの裸体によって、かつて未開人が持っていたある種の豪華さを想起させたかった」とゴーガンは手紙に書いています。<br />画面左上に英語で書き込まれた「ネヴァーモア」という意味深なタイトルは、「もはやない」という意味。当時フランスで流行した詩の一節だそうです。

    ポール・ゴーガン「ネヴァーモア」1897年
    ルネサンス期以来、西洋美術の定番中の定番のモチーフ「横たわる裸婦像」を用いて描かれた大作です。ゴーガンが2度目のタヒチ滞在時に一緒に暮らした、現地の島の娘(パウラという13才の娘)をモデルにしていると思われます。浅黒く豊満な肉体、気怠そうな表情が非常に印象的。「私はただありのままの裸体によって、かつて未開人が持っていたある種の豪華さを想起させたかった」とゴーガンは手紙に書いています。
    画面左上に英語で書き込まれた「ネヴァーモア」という意味深なタイトルは、「もはやない」という意味。当時フランスで流行した詩の一節だそうです。

  • 「ネヴァーモア」の解説ですが、本展の図録はつくりが凝ってて、会場内に解説があった作品については、解説を印刷した透明シートが作品の上に付いており、解説を楽しんだり、絵画だけを鑑賞できるようになっています。

    「ネヴァーモア」の解説ですが、本展の図録はつくりが凝ってて、会場内に解説があった作品については、解説を印刷した透明シートが作品の上に付いており、解説を楽しんだり、絵画だけを鑑賞できるようになっています。

  • ポール・ゴーガン「テ・レリオア」1897年<br />上の作品「ネヴァーモア」の制作から2.3週間後に10日ほどで描かれた作品。タイトル「テ・レリオア」はタヒチ語で夢という意味。

    ポール・ゴーガン「テ・レリオア」1897年
    上の作品「ネヴァーモア」の制作から2.3週間後に10日ほどで描かれた作品。タイトル「テ・レリオア」はタヒチ語で夢という意味。

  • 資料8 ロジャー・フライ「マネとポスト印象派展」のポスター 1910年<br />「マネとポスト印象派展」は、ロジャー・フライの企画によって、1910年にロンドンのグラフトン・ギャラリーで開催されていますが、この展覧会がイギリスにおけるゴーガン受容の転機とされています。<br />

    資料8 ロジャー・フライ「マネとポスト印象派展」のポスター 1910年
    「マネとポスト印象派展」は、ロジャー・フライの企画によって、1910年にロンドンのグラフトン・ギャラリーで開催されていますが、この展覧会がイギリスにおけるゴーガン受容の転機とされています。

  • 会場内の様子ですが、主要な作品には大きな解説がついており見やすい展示です。

    会場内の様子ですが、主要な作品には大きな解説がついており見やすい展示です。

    東京都美術館 美術館・博物館

  • ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールのナビ派の作品。

    ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールのナビ派の作品。

  • ピエール・ボナール「青いバルコニー」1910年<br />1909年ボナールは、モネの睡蓮の連作48点が発表された個展でその表現に魅了され、ヴィヤールと一緒にジヴェルニーのモネを訪ねています。また翌年にはルノワールのもとも訪れています。本作に」は、そうしたモネやルノワールの表現に接近した様子が見受けられます。<br />

    ピエール・ボナール「青いバルコニー」1910年
    1909年ボナールは、モネの睡蓮の連作48点が発表された個展でその表現に魅了され、ヴィヤールと一緒にジヴェルニーのモネを訪ねています。また翌年にはルノワールのもとも訪れています。本作に」は、そうしたモネやルノワールの表現に接近した様子が見受けられます。

  • ピエール・ボナール「オリーヴの木と教会のある風景」1924年頃<br />ボナールは1900年代半ばから南仏へ赴くようになり、地中海の光を描くようになっています。<br />

    ピエール・ボナール「オリーヴの木と教会のある風景」1924年頃
    ボナールは1900年代半ばから南仏へ赴くようになり、地中海の光を描くようになっています。

  • ピエール・ボナール「室内の若い女」1906年頃<br />室内の様子はボナールが好んで描いた主題の1つ。女性はマルトの名で知られる、恋人であり後に結婚するマリア・ブルサン。

    ピエール・ボナール「室内の若い女」1906年頃
    室内の様子はボナールが好んで描いた主題の1つ。女性はマルトの名で知られる、恋人であり後に結婚するマリア・ブルサン。

  • エドゥアール・ヴュイヤール「屏風のある室内」1909-10年頃<br />描かれた室内は、パリにあったヴュイヤールのアトリエ。<br />

    エドゥアール・ヴュイヤール「屏風のある室内」1909-10年頃
    描かれた室内は、パリにあったヴュイヤールのアトリエ。

  • シャイム・スーティン「白いブラウスを着た若い女」1923年頃<br />大きな目と強い赤い唇、黒い髪がとりわけ目を引く作品。

    シャイム・スーティン「白いブラウスを着た若い女」1923年頃
    大きな目と強い赤い唇、黒い髪がとりわけ目を引く作品。

  • アメデオ・モディリアーニ「裸婦」1916年頃<br />モディリアーニの裸婦像の白眉といえる作品。モデルは、ハーバート・ベアーボーム・ツリー卿の娘、女優、モデルのアイリス・ツリー。

    アメデオ・モディリアーニ「裸婦」1916年頃
    モディリアーニの裸婦像の白眉といえる作品。モデルは、ハーバート・ベアーボーム・ツリー卿の娘、女優、モデルのアイリス・ツリー。

  • X線調査から、顔と身体の筆づかいがまったく異なることがわかったそうです。

    X線調査から、顔と身体の筆づかいがまったく異なることがわかったそうです。

  • オーギュスト・ロダン「叫び」<br />原型:1886年以前/ブロンズに鋳造:1962年から63年<br />

    オーギュスト・ロダン「叫び」
    原型:1886年以前/ブロンズに鋳造:1962年から63年

  • オーギュスト・ロダン「パ・ド・ドゥ B」原型:1911年/以後別の《ムーヴマン B》と結合/ブロンズに鋳造:1965年

    オーギュスト・ロダン「パ・ド・ドゥ B」原型:1911年/以後別の《ムーヴマン B》と結合/ブロンズに鋳造:1965年

  • オーギュスト・ロダン「ムーヴマン A(拡大作)」<br />原型:1911年以降/ブロンズに鋳造:1956年

    オーギュスト・ロダン「ムーヴマン A(拡大作)」
    原型:1911年以降/ブロンズに鋳造:1956年

  • オーギュスト・ロダン「ニジンスキー」<br />原型:1912年/ブロンズに鋳造:1958年<br />ニジンスキーは、革新的な舞台でパリに衝撃を与えたバレエ・ダンサー。

    オーギュスト・ロダン「ニジンスキー」
    原型:1912年/ブロンズに鋳造:1958年
    ニジンスキーは、革新的な舞台でパリに衝撃を与えたバレエ・ダンサー。

  • オーギュスト・ロダン「花子」<br />制作:1908年/ブロンズに鋳造:1910年以降<br />(アレクシス・リュディエによる<br />花子(本名:太田ひさ)は、20年近くヨーロッパで活躍し人気を博した女優。

    オーギュスト・ロダン「花子」
    制作:1908年/ブロンズに鋳造:1910年以降
    (アレクシス・リュディエによる
    花子(本名:太田ひさ)は、20年近くヨーロッパで活躍し人気を博した女優。

  • グッズも充実していました。展示60点中48作品がポストカードになっていたり、ポスター、トートバッグ、Tシャツなど

    グッズも充実していました。展示60点中48作品がポストカードになっていたり、ポスター、トートバッグ、Tシャツなど

  • お洒落なミニトートバッグ

    お洒落なミニトートバッグ

  • 充実した作品だけでなく、展示方法やグッズ等も含め2019年度ベストな展覧会の1つでした。

    充実した作品だけでなく、展示方法やグッズ等も含め2019年度ベストな展覧会の1つでした。

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