2018/12/19 - 2018/12/21
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旅人のくまさんさん
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大分と福岡の名城巡りです。中津藩は、多くの偉人・賢人を輩出しました。その内の一人が『学問のすゝめ』で有名な『福沢諭吉(1835~1901年)』です。中津の西洋風の文化・生活様式の出発点は、諭吉らが尽力した学校だったとされます。
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『旧中津藩主・奥平家』のタイトルがあった説明パネルの光景です。奥平家が一躍脚光を浴びたのは、1575年の長篠の戦い、僅か500の兵で長篠城に籠城し、1万5千の武田勢の猛攻に耐えました。中津城に入場したのは、享保2年(1717年)、奥平家7代の昌成が10万石で入城しました。(中津城・公式サイト)
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中津城の城内光景です。『旧中津藩主・奥平家』のパネル紹介の続きです。奥平家7代の昌成から始まり、15代の昌邁まで155年間続いて明治維新を迎えました。今回の見学で印象に残ったのが、奥平家の蘭学に対する取り組みでした。殊に、第9代昌鹿、第11代昌高公が大きな功績を挙げられたようです。奥平神社の『たにし祭』が長篠城籠城に因むものであることも紹介されていました。(同上)
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イチオシ
見学を終えた後、振り返って眺めた『中津城』の城郭光景です。中央が天守閣、その右手前が大鞁櫓です。左端には、奥平神社の屋根も見えています。貸し切り状態でしたから、ゆっくりと見学でき、写真撮影もできました。(同上)
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この後紹介する、『扇型の石垣』に設けられた出入口のようです。2カ所設けられていた出入り口の一つになるようです。奥平家では後々、家運を高めた『長篠の戦い』を『開運戦』と呼び、現在では戦いに勝利した5月21日頃に戦勝記念である『たにし祭り』が行われています。(同上)
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イチオシ
この後紹介する、『扇型の石垣』の石垣の一部になるようです。門扉の痕跡の残る石垣とされます。この写真の左側に、算木積の石垣部分が見えています。先ほど紹介した『たにし祭り』は、奥平神社例大祭です。長篠城籠城戦において、奥平信昌(貞昌)公の率いる籠城部隊が、城内の食料が尽きても、堀の「たにし」を食べて織田・徳川の援軍が到着するまで、城を守り通した事に由来しています。(同上)
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『扇型の石垣』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右側の絵図に、椎木門を潜った先に『扇型の石垣』が描かれていました。奥平貞昌公が、『信昌』と名を改めたのは、長篠の戦いで大きな戦功のあったことで、信長公の一字を配慮したためです。(同上)
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概ね南側方面の光景になるようです。木々の間から高い石碑が見えていました。福沢諭吉に因むもので、この後紹介します。中津城の北側には、黒田孝高(官兵衛)が築いた、『打込み接ぎ』の石垣に、細川忠興が増築した『野面積み』の石垣が繋がる、珍しい場所があります。年代的に言えば、『野積み』に『打込み接ぎ』が増築になるところです。(同上)
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中津城公園に建つ、『独立自尊碑』の光景です。この碑は、福沢諭吉の偉業を称え、明治37年(1904年)7月、福沢家のご意思に沿って、大分県共立教育会により建立されました。当時は公園地中央にありましたが、昭和7年(1932年)10月に、現在の位置に移設されました。福沢諭吉は4男5女の9人の子どもに恵まれました。世間では女の子を軽視する傾向があるが、こんなばかげたことはない、自分は子どもを男女でわけへだてをしたことがなく、9人の子がみな娘だってかまわないと『福翁自伝』で述べています。(同上)
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中津城公園に建つ、『独立自尊碑』の土台の周りの光景です。その横には、先ほど見学した、中津城資料館と黒田官兵衛資料館の道案内標識がありました。福沢諭吉は、生涯で50冊以上の著作を残しました。その代表的なものは、『西洋事情(全10冊)』、『学問のすすめ(全17編)』、『福翁自伝』などです。(同上)
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かつての『椎木門跡』付近の石垣と鳥居の光景です。概ね、東向きに開かれた門のようです。その中央に石の鳥居が建っていました。『本丸南東隅に位置する入口。絵図をみると、入って西側正面(鳥居の右前方)は塀でふさがれ、北側に折れて門をくぐるという「枡形虎口」の構造であった』、と紹介されていました。(同上)
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中津城公園の周りの石垣とその上に建つ銅像の光景です。石垣は中津城の遺構です。中津城は、1587年に入国した、城造りの名人の一人の黒田孝高(官兵衛)が、1588年から築城に着手した城で、九州最古の近世城郭の一つです。同じ年に建築された他の城はその後破却されたため、九州で唯一当時の石垣が地表面に見えるのが中津城とされます。(同上)
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高い場所に建っていた、日本歯科医師第一号の『小幡英之介先生銅像』のズームアップ光景です。明治4年(1874年)に医制が公布され、小幡英之介は明治5年にこの試験を歯科を専門として受験し、合格しました。(同上)
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『日本歯科医師第一号・小幡英之介先生銅像』のタイトルがあった説明パネルの光景です。小幡英之介は中津市出身、慶応義塾を卒業後、慶応義塾を福沢諭吉の片腕として創設運営した叔父の小幡篤次郎の勧めで医者の修行をしました。後に、米国人歯科医エリオットの元で歯科医療を学び、日本における歯科医師第一号となりました。(同上)
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中津城の東面の出入口と、その中央に建つ鳥居の光景です。城内側から眺めた、東側方面の光景になります。往きには南側の鳥居を潜りましたが、帰りはこの鳥居を潜りました。(同上)
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『中津城旧地図』のタイトルがあった観光案内パネルの光景です。30カ所ほどの写真も添えられていました。現在位置が記された、『椎木門跡』に建てられていました。中津城は、北は周防灘、西は中津川に面した、中津川の河口に位置しています。(同上)
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『椎木門跡』の北側方面の石垣光景です。石垣の上には、長塀が再建されていました。中津城の石垣は、自然石を加工せずに使った野面積が特徴ですが、この辺りは、打込み接ぎで積み直されているようにも見えました。写真の左端に、先ほど紹介した、『独立自尊碑』が見えていました。(同上)
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潜った後で、振り返って眺めた東側の出入口と鳥居の光景です。かつての『椎木門跡』になるようです。中津城址の城跡を、石垣や再建されたらしい城塀に留めた一角の光景になるようです。(同上)
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ここからは、往きとは違った道を通ってJR中津駅に向かう途中の城下町光景です。この塀は、学校の外回りの塀のようです。この辺りは、勝手の中津城の縄張り内になるようです。(同上)
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『大手門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。中津城三の丸の東端に位置する大手門(追手門)と紹介されていました。『馬出し無しの枡形門』とも紹介されていました。『桝形』には、徒歩武者250名ほどが収容できたようです。(同上)
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中津城下町跡の要所に掲示されていた『中津の偉人・賢人」の紹介パネルです。『川村矯一郎(1852~1891年)』は、『更生保護の創始者』です。政治犯として3度の入牢の経験を踏まえて、出獄人の保護運動に取り組んだ人で、現在の更生保護制度の源流を作った人と紹介されていました。(同上)
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『中津市立・南部小学校』の正面玄関光景です。かつての生田家老屋敷などがあった場所に建つ小学校です。南部小学校の敷地は、『大手屋敷』と呼ばれた家老の生田家(1800石)の屋敷と、隣の『中の屋敷』と呼ばれた奥平図書(2600石)の屋敷があった場所の一部を含んでいます。(同上)
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『中津市立・南部小学校』に残る、小倉城所縁の石垣光景です。明治4年(1871年)、福沢諭吉の建議により、『大手屋敷』に西日本有数の英学校の中津市学校が創立されました。『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』で有名な『学問のすゝめ』は、この市学校を創立するときに、中津の青少年に学問の重要性を説くために書かれ、翌年刊行され大ベストセラーになりました。(同上)
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同じく、『中津市立・南部小学校』の周りに残る、小倉城所縁の石垣光景です。市学校の組織づくりには福沢諭吉、小幡篤次郎などが関わり、学校の規則はすべて慶應義塾の規則に従って定められ、教員は主に慶應義塾の中津出身者が派遣されました。明治6~9年には、生徒数が600名ほどにもなりました。(同上)
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イチオシ
『中津市立・南部小学校』の周りに残る、中津城所縁の石垣光景です。石垣の脇に説明パネルがあったようですが、撮影を忘れてしまいました。大手門~中津城三の丸の東端に位置する『大手門(追手門)』の石垣になるようです。『馬出無しの枡形虎口』の造りとされます。(同上)
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『御用屋敷遺跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。この看板が建つ現在地は、大手門と商人町の境に当たり、幕末の絵図では、内堀と武家屋敷が描かれた場所です。発掘調査により、屋敷跡と、内堀の町人町側の石垣が検出されました。(同上)
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中津城下町跡の要所に掲示されていた『中津の偉人・賢人』の紹介パネルです。『前野良沢(1723~1803年)は、『蘭学の開祖』です。中津藩医で、杉田玄白(1733~1817年)たちと協力して、オランダ語の解剖書、『ターヘル・アナトミア』を翻訳したものが『解体新書』です。(同上)
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中津城下町跡の要所に掲示されていた『中津の偉人・賢人」の紹介パネルです。『田中信平(1748~1824年)』は、『中津の和菓子のけんちんの発案者』です。町の外科医をしながら、書、画、料理などでも才能を発揮した人です。本格的な中国料理の解説書『卓子式(しっぽくしき)』を1784年に出版しました。(同上)
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中津城の見学を終え、JR中津駅に向かい、次の見学地の続日本百名城の181番、小倉城を目指しました。小倉駅で特急電車から、普通電車に乗り継ぎ、小倉城の最寄駅となる『西小倉駅』で下車しました。乗車券は、大分駅から水城駅まで購入していましたが、小倉駅での下車は出来ず、1駅先の西小倉駅での途中下車としました。何とも不思議なJR西日本の料金体系でした。(同上)
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西小倉駅から小倉城までは歩いて10分ほどの距離です。その途中の道路標識の光景です。『清張通り』の63号線を直進方向に、『小倉城』が表示されていました。小倉城見学の後、城内にある北九州市立の『松本清張記念館』にも立ち寄る予定です。小倉は、清張さんが芥川賞を受賞した『或る小倉日記伝』の舞台の地です。(同上)
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前方に見えてきたのは、小倉城のお堀と石垣のようです。松本清張さんの紹介に戻ります。作家としては異例の四十二歳からのスタートでしたが、作家生活四十余年、その作品は長篇、短篇他あわせて千篇に及びます。私が最も愛読した作家です。単行本、文庫本、全集を合わせて数百冊は、今も蔵書にしています。(同上)
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