2018/12/19 - 2018/12/21
156位(同エリア530件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 4,827,784アクセス
- フォロワー205人
大分と福岡の名城巡りで、大分府内城を見学した大分市の紹介です。昨晩は、別府湾などで採れるらしい魚を摘みに美味しいお酒を楽しみました。少し残念だったのが、名物の関サバ、関アジなどが早く売り切れて食べられなかったことです。
- 交通手段
- ANAグループ 新幹線 JR特急 JRローカル
PR
-
大分市で泊まったホテルの紹介です。昨日も少し紹介しましたが、大分駅から、歩いて移動できる距離にありました。朝の時間を節約するため、朝食は予め泊まったホテルで予約しておきました。そのホテルのレストランの入口光景です。込み合う時間帯もあるのでしょうか、時間待ちの席も入口付近にセットしてありました。
-
ホテルのレストランの室内光景です。それぞれのテーブルは準備が出来ていましたが、朝一番に近い時間帯でしたから、人の姿はありませんでした。一番乗りだったかも知れません。仕事で出張の人達が使うのに便利そうで、値段は忘れましたが、お値打ちなそうなホテルでした。
-
朝食は、和食を注文しておきました。バイキング方式だったようですが、小皿単位でセットしてありました。席の横からの撮影でしたが、炊き立てのご飯にアツアツの味噌汁、副食にサラダにデザート、大好きなトマト・ジュースもありました。これ以上の、お代わりは必要ありません。美味しく頂きました。
-
食事の前に撮影しておきましたが、泊まったホテルの自室の紹介です。余分な装飾のない、さっぱりとした室内光景です。色彩もパステルカラー調で、目に優しい色遣いでした。ただし、小さな額でいいですから、1枚だけは絵か写真が飾られた方がいいようです。
-
大型の薄型テレビと、長い造りのデスクの光景です。普段テレビは見ませんが、旅行の時には、ニュースと天気予報には目を通します。私自身が、直接に大きな地震に遭遇したことはありませんが、旅先で、大地震のニュースを目にしたことは何度もあります。
-
清潔に清掃されていた、洗面室の紹介です。アメニティ類も揃っていました。明るい白色基調のタイル張りの部屋で、室内照明も十分でした。右手に見えるのが、バスタブとシャワーです。
-
いつもの習慣で、昨日の内に確認しておきましたが、『避難経路のごあんない』の表示です。出入り口ドアの内側に掲示してありました。緑色に塗りつぶされた箇所が万が一の時の避難経路で、複数経路がありました。泊まった部屋が、中央付近に赤く記されていました。
-
昨晩は、各種のイルミネーションで飾られた駅前付近の光景です。今朝は、荷物を纏めてホテルをチェックアウトし、大分駅に向かいました。昨晩も遠田道ですから、駅までの道を迷うことはありません。
-
『南蛮船』の表示があったカラータイルの光景です。『大友宗麟は、鎌倉時代から約400年続いた大友氏の21代当主でした。キリシタン大名として有名でしたが、当主となった翌年、山口で布教活動をしていたフランシスコ・ザビエルを招き、キリスト教の布教を許可します。長崎の南蛮貿易に先立つ20年前の1550年頃、南蛮貿易をスタートさせています。(大分市公式サイト)』
-
『別府湾と大分川』の表示があったカラータイルの光景です。大分川は、湯布岳に源を発し、大分市をけいゆして別府湾に注ぎます。城下カレイ、関アジ、関サバなどが採れることで有名ですが、鳥にとっては、別府湾と大分川は餌が豊富なのかも知れません。
-
『高崎山たかさきやま)』の表示があったカラータイルの光景です。目が真ん丸のお猿さんの絵でした。『高崎山は野生のサルに餌付けしています。動物園のサル山をイメージされる方も多いと思いますが、高崎山ではサルが自然の状態で、オリもなく観光客のすぐそばまでやってきます。(高崎山自然動物園)』、と紹介されていました。
-
『チキリンバヤシ』の表示があったカラータイルの光景です。『チキリンばやしは、1970年(昭和45年)に制作された大分県大分市の新民謡。作詞:渡辺克己・加藤真一郎、作曲:加藤正人、編曲:市川昭介。1971年(昭和46年)に都はるみによるレコードも発売されている』と紹介されていました。チキリンは、『鉦(かね)』のことです。
-
イチオシ
『府内城址』の表示があったカラータイルの光景です。昨日見学した城址です。『慶長2年(1597年)、12万石を受封して臼杵城から府内に入った石田三成の妹婿、福原直高は、秀吉から築城の命を受け、四神相応の好地である荷落の地、現在の大分市の中心市街地にあたる大分川河口で築城にかかり、城と町の建設を進めました。(大分市観光協会)』、これが府内城の始まりです。
-
『南蛮船』の表示があったカラータイルの光景です。『大友宗麟は、中国明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球、カンボジア、ポルトガルを相手とした海外貿易による経済力、優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定しました。晩年は豊臣秀吉傘下の一大名でした。(ウィキペディア)』
-
関ヶ原の合戦の後、徳川家康はまず黒田長政に勲功として豊前国中津12万石から筑前国名島(福岡)52万石への大幅加増移封をした後、井伊直政や藤堂高虎の勧めもあり、如水にも勲功恩賞、上方や東国での領地加増を提示しますが、如水はこれを辞退しています。大友宗麟と同様、黒田如水もキリシタン大名でした。名は『官兵衛孝高(よしたか)』、洗礼名は『ドン・シメオン』です。
-
イチオシ
大分駅の建物光景です。時計の針は、8時10分前ほどを指しています。黒田如水は、その後は中央の政治に関与することなく隠居生活を送りました。晩年は福岡城に残る御鷹屋敷や、太宰府天満宮内に草庵を構えています。また、上方と福岡を行き来し、亡くなる半年前には所縁の摂津国有馬温泉に、療養滞在しています。慶長9年3月(1604年4月)、京都伏見藩邸で死去しました。享年59歳でした。
-
如水の辞世の句は『おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて』でした。悟りきった心境が窺われる最後の言葉でした。死の間際、如水は自分の「神の小羊」の祈祷文およびロザリオを持ってくるよう命じ、それを胸の上に置きました。遺言は次のことでした。また、キリスト教の教えを踏まえたものでしょうか、家臣の殉死を禁止しています。(続く)
-
黒田如水の遺言です。
〇自分の死骸を博多の神父の所へ持ち運ぶこと。
〇息子の長政が領内において神父たちに好意を寄せること。
〇イエズス会に2,000タエス(約320石に相当)を与え、うち1,000タエスを長崎の管区長に、1,000タエスを博多に教会を建てるための建築資金に充てること。 -
黒田如水の『水五訓(水五則)』と呼ばれる教えの紹介です。『水』は『人』と読み替えてもいいようです。
〇一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり
〇一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
〇一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり(続く) -
〇一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
〇一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり、雪と変じ、霰と化し、疑っては玲瓏たる鏡となり、たえるも其性を失わざるは水なり
*この次に紹介する中津城は、天正16年(1588年)、黒田官兵衛(如水)が、築城したものです。 -
赤煉瓦の壁に設置されていた『大分駅』の表札の光景です。大分市の府内城は昨日の内に見学し、100名城巡りは達成しましたので、今日は同じ大分県の中津市に移動して、続日本百名城の中津城(191番)の見学です。先ほど紹介した、黒田官兵衛が築城したもので、完成したのは細川忠興(ただおき:1563~1646年)の時代とされますが、忠興は、ほどなく小倉城に移っています。
-
大分駅構内の電光表示板の光景です。博多方面は8時12分発の特急『ソニック12号』が表示されていました。現在時刻は8時少し前ですから、丁度いい時間です。中津駅までは1時間弱、9時少し過ぎに到着予定になります。一番左側の表示には、昨日見学した豊後竹田行きの普通車が表示されていました。
-
大分駅構内の光景です。『大分(おおいた)駅』は、大分県大分市要町1番1号にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅で、県庁所在地の大分県を代表する駅です。日豊本線、久大本線、豊肥本線の計3路線が乗り入れていて、このうち日豊本線を所属線としています。1911年(明治44年)に開業した駅です。(ウィキペディア)
-
『ソニック12号』の車内光景です。まだ新しい車両のようでした。最新の時刻表では、大分発が8時19分、中津発が9時03分、福岡県の小倉を経由して、博多着が10時23分になっていました。大分から中津までは1時間弱の行程です。
-
イチオシ
『国東(くにさき)半島』の西側に位置する、半島の付け根を横断する時の光景になるようです。雨上がりのような光景でした。国東半島は、大分県の北東部に位置し、南側を別府湾、東側を伊予灘、瀬戸内海、北側を周防灘に囲まれています。奈良時代から平安時代にかけて、仏教(天台宗)に宇佐八幡の八幡信仰(神道)を取り入れた『六郷満山』と呼ばれる仏教文化が形成された半島です。(ウィキペディア)
-
推測も入りますが、国東半島の西方面の光景が続きます。半島の中心には、標高721メートルの『両子山(ふたごやま)』をはじめとする両子火山群の峰々が聳えていて、半島全体が円に近い火山地形でする。丘陵地と谷が海岸に向かって放射状に伸び、北部の海岸線は小さな入り江と岬が連続するリアス式海岸となっています。(同上)
-
途中駅の光景です。どうやら『国東(くにさき)半島』の西側を横断したようです。半島の南東部にある大分空港も利用したことがあり、部分的には見学した場所もある国東半島ですが、一度ゆっくり見学したい場所です。『日本の秘境100選』の95番に選定されています。
-
大分駅から乗車し、中津駅に到着しました。振り返って眺めた、『中津駅』の標識です。中津駅から、目的の中津城までは歩いて移動できる距離でした。『中津駅(なかつえき)』は、大分県中津市大字島田にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。大分県最北端の駅になります。
-
マンホール蓋に表示してあった『ようこそ城下町の中津へ』のイラストです。日の丸の扇子を持ち、赤い兜を被ったキャラクターは『くろかんくん』でした。400年を経て蘇った黒田官兵衛(1546~1604年)です。中津川市のサイトには、7種類が用意されていると、紹介されていました。
-
中津駅前にあった福沢諭吉像です。『福沢諭吉(1835~1901年)』の像が1万円札に使われたのは、1984年(昭和59年)、今年2018年で、34年が経過しました。2024年からは『渋沢栄一(1840~1931年)』の像の新札に代わる予定です。2024年までは、40年に亘っての『日本の顔』になります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018暮、大分と福岡の名城巡り(上巻)
-
前の旅行記
2018暮、大分の日本百名城(10/31):12月19日(10):大分府内城(3):天守台、西丸櫓
2018/12/19~
大分市
-
次の旅行記
2018暮、大分の日本百名城(12/31):12月20日(2):中津城(1):福沢諭吉像、城下町
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(1/31):12月19日(1):岡城(1):セントレアから福岡空港へ
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(2/31):12月19日(2):岡城(2):大手門、岡城鳥瞰図
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(3/31):12月19日(3):岡城(3):城代屋敷、滝廉太郎像
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(4/31):12月19日(4):岡城(4):本丸、天満神社、晩翠詩碑
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(5/31):12月19日(5):岡城(5):三の丸、本丸石垣、太鼓櫓
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(6/31):12月19日(6):岡城(6):西の丸、西の丸御殿、東門
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(7/31):12月19日(7):岡城(7):豊後竹田駅、猫の駅長さん
2018/12/19~
竹田
-
2018暮、大分の日本百名城(8/31):12月19日(8):大分府内城(1):山里丸、廊下橋
2018/12/19~
大分市
-
2018暮、大分の日本百名城(9/31):12月19日(9):大分府内城(2):大手門、着到櫓
2018/12/19~
大分市
-
2018暮、大分の日本百名城(10/31):12月19日(10):大分府内城(3):天守台、西丸櫓
2018/12/19~
大分市
-
2018暮、大分の日本百名城(11/31):12月20日(1):大分から中津へ:タイル絵、中津駅
2018/12/19~
大分市
-
2018暮、大分の日本百名城(12/31):12月20日(2):中津城(1):福沢諭吉像、城下町
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(13/31):12月20日(3):中津城(2):中津大神宮、中津神社
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(14/31):12月20日(4):中津城(3):城井神社、扇城神社
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(15/31):12月20日(5):中津城(4):奥平家藩主由縁の品
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(16/31):12月20日(6):中津城(5):展示品、甲冑、陣羽織
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(17/31):12月20日(7):中津城(6):陣羽織、長篠合戦図
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(18/31):12月20日(8):中津城(7):城内展示品、陣羽織
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
-
2018暮、大分の日本百名城(19/31):12月20日(9):中津城(8):扇型石垣、大手門
2018/12/19~
耶馬溪・中津・玖珠
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018暮、大分と福岡の名城巡り(上巻)
0
30