2018/12/19 - 2018/12/21
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旅人のくまさんさん
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大分と福岡の名城巡りの、大分府内城の紹介です。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高(生年不詳~1600年)が府内の荷落に築城を始め、その後、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利(1562~1612年)が完成させたお城です。
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イチオシ
外側から眺めた『大手門』の光景です。正式名は『多聞櫓門(たもんやぐらもん)』です。昭和20年(1945年)の大分大空襲で消失し、1965年(昭和40年)に復元されました。大分府内城は、大分城、荷揚城(にあげじょう)、白雉城(はくちじょう)とも呼ばれます。(府内城・公式サイト)
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24時間利用可能なように、開け放しの『大手門』の中にセットされていた、百名城巡りのスタンプ置き場の光景です。使い終わった後、インクが乾燥しないよう、廃品利用のCDケースの中に印鑑を戻すようになっていました。(同上)
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根元から伐採された大木の光景です。枯れずに新芽を伸ばしていました。『トチノキ(栃ノ木)』の葉に似ているようでしたが、別種かもしれません。トチノキですと、ムクロジ科(トチノキ科)トチノキ属の落葉広葉樹です。セイヨウトチノキは、パリのシャンゼリゼ通りの並木のマロニエの名前で、よく知られています。(同上)
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大手門の周りの石垣のズームアップ光景です。『打込み接ぎ(うちこみはぎ)』の石垣でした。大分府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城です。『府内城』という名称は、大分市中心部が中世に府内と呼ばれていたことに因みます。 (同上)
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右端に見えるのは、二重櫓の『着到櫓』になります。現在は『大手門』と呼ばれている、『多聞櫓門(たもんやぐらもん)』を、側面から護る役割があったようです。『着到櫓』は、かつての『東丸』の西南角に位置します。
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お堀のコーナー部分の光景です。縄張図を参照しますと、この堀の内側には、本丸エリアの北側を除く三方に『内堀』が描かれていました。その内堀は埋め立てられてしまったようです。角に立つ建物は、『着到櫓』です。(同上)
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建設途中の天守閣のような姿に見えますが、天守閣の姿を模擬したイルミネーションでした。ネット情報を探せば、イルミが青く輝く天守閣の姿を見ることができます。地元新聞などでも取り上げていました。『正保城絵図』等では、層塔型の白い四重天守が描かれているようです。(同上)
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『サザンカ(山茶花)』の花の光景です。ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹です。『サザンカ』の名は、山茶花の本来の読みである『サンサカ』が訛ったものとされます。漢字表記の『山茶花』は、中国語でツバキ類一般を指す『山茶』に由来します。
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『サザンカ(山茶花)』の花のズームアップ光景です。ツバキ科の植物には、 ツバキ、サザンカ、チャ(茶の木)、ナツツバキなどが含まれます。中国で山茶花が『山茶』と呼ばれる所以のようです。
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『サザンカ(山茶花)』の落花光景です。冬の季語にされるなど、サザンカには寒さに強いイメージがありますが、原種のサザンカは特に寒さに強い性質ではないようです。四国、九州といった暖かい地域が北限で、開花時期に寒気に晒されると花が落ちます。ただし、品種改良された園芸種には寒さに強く、真冬でも花を咲かせる品種が多くあります。
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隅櫓の光景です。城内側から眺めた『着到櫓』になるようです。現在位置が、かつての『東丸』です。『着到櫓』は、その西南角に位置します。修復工事用らしい、足場が組まれていました。(同上)
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イチオシ
二層の隅櫓ののズームアップ光景です。先ほど紹介した、『東丸』の『着到櫓』とは別の隅櫓になるようです。少し不確かな記憶ですが、『東丸』の東北に位置する隅櫓、もしくは縄張図では『平櫓』と記された、東南の隅櫓かも知れません。(同上)
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『天守台』の光景です。府内城の中心となる建物として、慶長7年(1602年)年に竹中重利により4層式の高さ約16メートルの天守閣が築かれましたが、寛保3年(1743)年の大火災により焼失しました。それ以降,天守閣は再建されることはありませんでした。(同上)
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大樹に育った『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。寺院や神社でもよく見かけるソテツです。ソテツ類の中で日本に自生がある唯一の種とされます。ソテツ類は、古生代末から中生代にかけて繁栄した植物です。現生のものは、生きている化石とも呼ばれます。(同上)
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左端がイルミネーションの天守閣、右端が、天守閣のない天守台の光景です。ネット情報では、青く輝くイルミの天守閣と、ライトアップされた庭園などを同時に見ることができます。(同上)
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江戸時代の儒学者で漢詩人の『広瀬淡窓(1782~1856年)の七言絶句の漢詩碑です。『桂林荘雑詠』の中の『休道』です。『休道他郷多苦辛 同袍有友自相親 柴扉暁出霜如雪 君汲川流我拾薪』の七言絶句です。淡窓の私塾ははじめ『桂林荘』として設立され、その跡地が公園にな利ました。(同上)
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背後にビル群が見える、城郭内の日本庭園の光景です。後ほど紹介しますが、天守台からの光景は、眼下の日本庭園と、その背後の大分市街光景が相まって、一興がありました。(同上)
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石灯篭と、その周りに配された庭石が見所の日本庭園の一角の光景です。石灯篭には、春日灯篭が選ばれていましたが、意識的に年代物の灯籠が選ばれているようでした。池があった場合は、雪見灯篭も配されたかもしれません。(同上)
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こちらには、三段に積まれた、石灯篭風の庭石の姿がありました。この辺りも、緩やかに盛り上げられた築山が築かれていました。見せる庭園として、かなり力が入っているようでした。(同上)
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天守台の石垣が右奥に見える、日本庭園の光景です。東南側方面からの光景だったようです。天守台に近い場所に、ソテツの姿があり、その左に天守台をライトアップする灯具の姿が見えました。(同上)
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天守台の姿が、庭木で隠れてしまうような場所からの光景です。その隙間から、天守台の野面積の石垣が見えていました。天守台は、府内城の本丸に残る、大切な遺跡のようです。(同上)
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低く剪定された五葉松らしい庭木と、その周りに半円状に配された庭石の光景です。その中でも目立つ白石には、上面に幾筋もの亀裂と、側面に浅い孔がありました。かなりの銘石のようです。(同上)
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随所に高木が配された日本庭園の光景です。高木は、背後の天守台を意識したような選定に見えました。その周りには、大きく横に広がった立派な松や、石灯篭が複数置かれて、こちらも見所になっていました。(同上)
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こちらも日本庭園の随所に配された、高木の庭木の光景です。念入りに剪定がされているような姿dした。その周りには、背丈の低い樹木などが配されて、景観を引き締めていました。(同上)
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庭園の寄贈者が記されたプレートの光景です。天守台から眺めた庭園もこの後紹介しますが、天守台からの眺めの方が見応えがありました。『寄贈・藤澤孝夫、平成9年3月』の表示がありました。(同上)
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天守台の東北角当たりから眺めた、日本庭園とその背後のイルミの天守の光景です。日本庭園には、植木のほか、石灯篭や石橋なども配されていました。纏めて寄贈されたもののようです。(同上)
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寄贈された日本庭園の紹介が続きます。この辺りには、一定の間隔を開けて、大小の銘石が配されていました。その周りは芝生で、背後に高い樹木がありました。篤志家の寄贈もあって、整備された日本庭園のようです。(同上)
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大小の銘石が配された、日本庭園の紹介が続きます。石組では、この辺りが一番の見どころになっているようでした。その背後には、二層の隅櫓の姿が見えていました。(同上)
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イチオシ
手入れをされた庭木をバックにした天守台の光景です。ネット情報によれば、庭園と天守台もライトアップされていました。1605年(慶長10年)旧暦11月に描かれた『府内絵図』の天守台部分には、『天守・四重・上重二間・三間。高 水ヨリ上棟瓦マテ・十六間半』、また天守台を表す内側の線に沿って、南北面の線に『八間』、東西面の線に『七間』と記されているようです。(同上)
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半ば樹木の陰になってしまいましたが、隅櫓と長塀の光景です。縄張図を参照しますと、天守の北側に位置する二層の建物の『人質櫓』になるようです。1861年(文久元年)に再建された建物で、1963年(昭和38年)2月に大分県の史跡に指定されました。(同上)
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