2018/12/19 - 2018/12/21
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旅人のくまさんさん
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昭和11年(1936年)12月、『岡城址』として国の史跡に指定され、平成18年(2006年)4月、日本100名城(95番)に選定されました。また、『岡城公園』として日本さくら名所100選にも選定されています。何よりも、若くして亡くなった天才音楽家の滝廉太郎を偲ぶことが出来るお城です。
- 交通手段
- ANAグループ 新幹線 JR特急 JRローカル
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かつての『西の丸』の御殿があった場所の石垣光景です。夥しい玉石が、比較的緩やかな傾斜で積まれていました。20~30センチ径の丸型の自然石が玉石と呼ばれます。この玉石で築いた石積みは、『玉石積』と呼ばれますが、少しイメージが異なるようです。(岡城・公式サイト)
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『西の丸跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。当初は、寛文4年(1664年)に三代藩主の久清によって普請された隠居所だったようですが、その後、政務の中心の御殿となったとされます。(同上)
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イチオシ
先程の『西の丸跡』のタイトルがあった説明パネルに記された絵図にも記されていた石段と石垣の光景です。絵図には、石段の上に『東門』が記され、その奥に『西丸御殿』が記されていました。(同上)
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『東門跡』の文字が刻まれた、苔生した石標の光景です。『西の丸』の『東門』になるようです。先に紹介した『西の丸御殿』の絵図には、楼門らしい建物が描かれていました。(同上)
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『西の丸跡』から見下ろした、玉石(たまいし)を積んだ斜面の光景です。『玉石積』は、ほぼ大きさの石材を揃え、積む際には、目地が上下に通らないようにするのがポイントのようです。揃えた場合には、多分、滑りによりズレや崩落が生じ易くなるのでしょう。(同上)
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手前の広場が、『西丸御殿跡』、その背後の石垣造りの高台にも建物群が絵図に記されていました。西の丸は、政治の儀礼の場所や、藩主の居住地としての機能があったようです。(同上)
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『西の丸跡』から見下ろした城内の光景です。先に紹介した、『岡城跡』のカラー・イラストの縄張図には、西の丸の周りに朱印状蔵跡、家老屋敷(但馬)跡、武具方跡、賄方跡、家老屋敷(民舞)跡が記されていました。(同上)
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道案内の石標の光景です。『左・西ノ丸跡へ』、『右・本丸跡へ』の文字が刻まれていました。どちらも先ほど見学してきた場所です。石垣だけか残っていない岡城ですが、日本でも屈指の堅城で名城であることが、十分に実感できました。(同上)
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振り返って眺めた、『西の丸跡』方面の光景です。この角度から眺めた玉石積の石垣は、比較的整然としていました。その側面の直立の石垣も見応えがあります。『玉石(たまいし)は、現在の土木工学の分野では、10~50cm程度の粒径の礫(れき)を指し、これよりも大きいものは転石と呼ぶようです。(同上)
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『大手門跡』付近の光景です。岡城の中でも、見どころの一つになっていました。虎口の石垣や、石段が綺麗に残されていました。麓から遠望した時にも絵になる虎口の石垣です。(同上)
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イチオシ
右手に見える石標には、『古大手門跡』の文字が刻まれていました。縄張図には、大手門に隣接する南側の下り勾配の尾根筋に記してありました。滑背坂を上る登城路だったかも知れません。(同上)
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石材が散らばったままになった、曲輪跡らしい場所の光景です。『荒城の月』を偲ぶにはいい場所かもしれません。近くの山並みや、遠くの山並みも祖の『荒城』の借景になっていました。(同上)
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往きにも紹介した、『大手門跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。大手門復元写真と大手門復元図が示されていました。大手門復元写真は、1999年(平成11年)12月頃に、期間限定で復元展示がされた大手門でした。一見すると立派な建物に見えますが、実際には仮設のハリボテでした。(同上)
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外側から眺めた『大手門跡』の光景です。岡城では、1987年(昭和62年)の築城800年祭で、天守も同様の手法で復元されたようです。1987から800を差し引き1187年、岡城は、1185年に源義経を迎えるために築城されたと伝えられています。(同上)
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通過した後で、振り返って眺めた『大手門跡』の光景です。岡城の見どころの一つになっているようです。先程の説明プレートでは、江戸初期の城造りの名人の藤堂高虎の意見で、西向きの門に変更されたと紹介されていました。黒田官兵衛や加藤清正と並んで、城造りの三名人とも呼ばれます。(同上)
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上から見下ろし、大手門に至る急坂の光景です。往きにも観光用の木製の階段を登りましたが、帰りも石段ではなく、こちらを通りました。一段が低く揃えてありますので、随分と上り下りが楽でした。(同上)
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観光用の木製の階段を下った場所から見上げた光景です。石段の造りは、石製の手摺りが付いた、中々風情のあるものでしたが、実用性では観光用の木製階段が勝りましたので、そちらを利用しました。(同上)
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5段に積まれた石の欄干のズームアップ光景です。少々荷重がかかっても倒れないように、しっかりと上下が組み合わされているようです。眼を剥けたくなる魅力がある欄干でした。(同上)
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踊り場から撮影した、先程の石の欄干と上下の通路の光景です。ここからの下りは、緩やかな階段となります。先ほど紹介した石の欄干が、右手に見える石段の登り口の光景です。(同上)
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往きにも目にした、『史跡・岡城跡』の文字が刻まれた石標の光景です。側面に『史跡名勝天然記念物保存法』により、『昭和11年(1936年)12月16日文部大臣指定』されたことが記されていました。旧法時代の史跡石標でした。(同上)
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振り返って眺めた、岡城の『大手門跡』方面の城跡光景です。桜の季節には、また違った景色が楽しめそうです。『大手門跡』は、その石組の見事さから、岡城の人気スポットの一つになっているようです。(同上)
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イチオシ
振り返って眺めた、岡城の『大手門跡』のズームアップ光景です。西洋の石造りの城砦を連想させるような外観と規模に見えました。石積も立派ですが、申し分のない石垣の保存状態です。(同上)
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竹製品などが並べられた、お土産店の光景です。観光客の姿がなく、残念ながら、今日は閑古鳥の一日だったかも知れません。店内にも、人の姿はなかったようです。岡城跡も、ほとんど貸し切り状態で見学させて戴きました。(同上)
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同じく、お土産店の光景です。この場所からも、大手門跡の石垣が見えていました。何度も振り返りたくなる、名城の大手門です。近くから眺めて、その石垣の目にしましたのでしましたので、尚更です。(同上)
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名前:『サザンカ(山茶花)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:サザンカは、日本の固有種です。
その他:椿ではなく、『サザンカ(山茶花)』らしい白い花のズームアップ光景です。常緑広葉樹です。(同上) -
名前:『サザンカ(山茶花)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:サザンカは、日本の固有種です。
その他:『サザンカ』の名は、山茶花の本来の読みである『サンサカ』が訛ったものといわれます。(同上) -
観覧料徴収所の近くまで下山して来ました。振り返って眺めた、お土産店と岡城方面の光景です。観覧料徴収所では、手荷物も与かって戴き、帰りのタクシーも呼んでいただきました。各種のパンフレット類も戴き、本当に親切な対応に恐縮しました。有難うございました。(同上)
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豊後竹田駅の駅舎光景です。殆ど待ち時間なしで観覧料徴収所までタクシーが到着しました。出迎え料金は不要とのことでしたから、往きと同額の乗車料金の支払いでした。安心して利用出来ます。(同上)
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豊後竹田駅前に飾ってあった、門松の光景です。あと10日余りで大晦日、新年となります。お正月に『門松』を玄関や門に飾る意味は、『年神様(としがみさま)』をお迎えするための目印とされます。竹の斜め切りは、『福を招く』意味とされます。その理由は、『そぎ』と呼ばれる切り口が『笑っている口』に似ていることから、『笑う門には福来る』を連想させるためです。『竹』を真横に切った切り口は、『寸胴(ずんどう)』と呼ばれ、『お金が詰まる』の意味とされ、銀行などの門松に使われます。門松を『そぎ』にしたのは、信玄に三方ヶ原で敗れた家康との説もあります。竹を武田家になぞらえて、『次は斬る』との意味合いを込めたとされます。(同上)
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豊後竹田駅の裏側に見えていた『落門の滝(らくもんのたき)』のズームアップ光景です。 落差40メートルで、『下木の滝』の別名を持ちます。『落門の滝』の名前は、江戸時代の豊後の儒学者広瀬淡窓がこの滝のことを詠んだ漢詩の一節『断崖落泉大夫門』から採られたものです。別名の『下木の滝』は地名です。(同上)
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