2018/12/21 - 2018/12/25
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binchanさん
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12月23日日曜日、旅行三日目。
今日は彰化市を観光していますが、私のいつもの癖で歴史に偏った内容になっています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11:52
八卦山抗日保台史蹟館。1895八卦山抗日保台史蹟館 博物館・美術館・ギャラリー
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甲午戦争(日清戦争)と乙未戦争(日本では台湾平定作戦とも)に関する資料館です。
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最初のコーナーでは日清戦争について詳しく展示されています。
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清国海軍北洋艦隊司令の丁汝昌が英国海軍顧問らとともに日本軍に降伏する図とされています。しかし丁汝昌はこの前に自殺をしているのでこれは想像図とのこと。
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清の近代化は自強運動。そういや世界史で習ったな。自強って特急や通りの名前としてなじんじゃってます。
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日本軍が澎湖諸島を制圧した記念碑。
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馬関条約に臨む李鴻章。
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ここからは乙未戦争のコーナー。
日清戦争の結果日本に割譲されることになった台湾が、台湾民主国として日本に対抗した戦争です。 -
台湾民主国の旗。
アジアで最初に誕生した民主主義の国なのだそうです(国際社会には承認されていませんが)。民主主義を標榜することによって米欧のシンパシーを得て割譲を撤回させる目的と言われています。遼東半島は割譲が撤回されたのに、台湾の人々の世界中に見捨てられた感はいかばかりなものか。 -
旗の説明。レプリカなんですね。
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台湾民主国で発行された官銀票。兵は手弁当の義勇軍だとしても、武器を買うには資金が要りますもんね。
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郵便切手も発行されていました。歳入を増やすためらしいですが、切手を発行すると国は儲かるの?
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館内はこんな通路があったりして複雑な構造。以前は何の建物だったんだろう。
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パンフレットを見たら第二次世界大戦後に掘られた地下防空坑道だったんだそうです。1951~1979年にかけて掘られ、600人が避難することができたそうです。
写真は防空洞時代の油缶(石油?)を貯蔵しておく倉庫の扉。 -
説明板もありました。
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戦争の顛末が映像で紹介されてますがナレーションは聞き取れないし、字幕も早すぎて読めない。
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頼るはパネル展示。
説明文を読んで、この戦争に対する現在台湾のスタンスを読み取ろうと思ってたくさん写真を撮ってきました(現地で読んでいると何日もかかる)。ただ、ニュアンスを全て読み取る語学力はないので以降のコメントは日本語のネット情報を参照しながら考えた感想です。 -
割譲後、清の官吏や軍隊は原則大陸に戻ることになっていたのですが、台湾に残る選択をした人たちもいました。台湾民主国の上層部を形成したのはそういった清の官吏らで、彼らはもともと大陸育ちでした。なのでいざ日本軍が上陸してくると、戦うことなく敗走するものが続出しました。初代民主国総統「唐景崧」も日本軍上陸から10日も経ずに大陸へ逃亡しています。彼らにとって台湾は死守すべき故郷ではないのですから。
日本軍は台湾北東部(現宜蘭縣澳底)から上陸し、基隆を攻略し台北へと進攻。その頃台北は基隆から潰走してきた民主国兵による略奪や暴力による混乱の中にありました。台北の住民は日本軍に治安維持を依頼するために文書を起草するのですが、署名しようとする人はいませんでした。そんな中、手を挙げたのが辜顯榮という人物です。彼とほか3名の西洋人が日本陣営に赴き、台北は無血開城となったのでした。 -
これが辜顯榮に関する史蹟館パネルの記述です。見方によっては売国奴でもある人物ですがそれほど否定的な表現ではないと思います。
彰化(鹿港)出身の貿易商で、この功績で日本時代は貴族院議員も務める名士でしたし、今でも辜家は名門です。史蹟館のすぐ近くには顯榮氏の母親の墓地があります。 -
6月2日、艦上で清の全権代表から日本への台湾の授受式が行われ、17日には台北で始政式が執り行われました。台湾統治は始まったわけですが、台北から先にはまだ抵抗勢力が存在しています。そんな中、日本軍は桃園、新竹へと進むことに。
ある場所では歓待を受け、そうかと思えばゲリラ攻撃を受ける。日本軍にとっては受け入れてくれるのは誰で、誰に襲われるのかがわからない状態だったそうです。 -
さらに三角湧(現在の三峡)で部隊潰滅という敗北もあり、窮した日本軍は恭順する住民を顧みない無差別な掃蕩作戦を展開してしまいます。
これは私の感想ですが、これまで台湾住民は支配者が日本に変わっても、生活できるならそれでいいと思っている人も多かったんじゃないかと思います。今までは清に支配されていたわけですから。それがこの掃蕩作戦によって一気に皆殺しに遭う恐怖に駆られたのではないでしょうか。
このパネルの文によると、台湾の富商らは様子見をしていて、民主国側に全面的な協力をしていなかったようです。台湾側も一枚岩ではなかったのですね。 -
日本軍は新竹、苗栗と南下を続け、苦戦しながらも台中を攻略。彰化へあと一歩という大肚溪河畔に陣を敷きます。
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抵抗軍も準備をしていました。知府(府の知事)や知縣(県の知事)は地方の有力者を集め義勇軍を結成。南部に拠点を置く黒旗軍(後述)からも部隊が派遣されます。大肚溪を最前線とし、八卦山に砲台を設置して日本軍を迎え撃つ構えでした。
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8月28日早朝、日本軍は大肚溪の渡河を開始。右翼隊が八卦山を攻撃し、八卦山會戰の幕が切って落とされました。
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彰化城は八卦山が陥落すると容易に制圧されてしまう地勢だそうです。その八卦山砲台陥落の一報を受けるや否や、知府の黎景嵩は早々に逃走。兵らも員林や鹿港へと撤退を余儀なくされます。その後鹿港も制圧され、乙未戦争最大の合戦は日本軍の勝利で終わったのでした。
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台湾民主国初代総統唐景?司とナンバーツーだった丘逢甲らが早々に清に帰ってしまった後、人々の期待は劉永福に集中します。劉は太平天国の乱に参加して敗北した後ベトナム王朝の傭兵部隊としてフランスを撃破、清に戻って台湾へと派遣された人物。武装集団の統領から清の武将に、そして台湾民主国の将軍になったという経歴です。黒旗軍という配下の軍隊はフランス軍に勝利したという実績で、台湾の人々にとても信頼されており、劉は台湾民主国将軍として台南で陣営を構えていました。
しかし彼はあくまでも清(というか大陸の政権)に軸足を置いていました。おそらく民主国の将軍となったのも、勝利を得たのち清へ復帰する望みを持っていたからでしょう。民主国を宣言したとはいえ年号を「永清」とするなど、当初の指導者が清から離れようという意図がなかった形跡は多いです。そして劉は民主国二代目総統を依頼されても固辞して決して自らその地位には就きませんでした。
台南が包囲されると劉もまた大陸へと去ってしまいますが、彼の中でそれは当然のことだったんでしょう。台湾で死んでも何もならないけれど、大陸に戻れば巻き返しのチャンスだってあり得ます。彼は後に中華民国のためにも働いたので、ある意味捲土重来に貢献したと言えなくもない…。
ちなみに初代総統の唐景崧は台湾でも大陸でも尊敬されていない様子ですが、劉永福は大陸ではまあまあ英雄、台湾でも評価は高いようです。 -
八月末、日本軍はついに難関の彰化を攻略。その後も他里霧(現在の斗南)での戦闘などを経て、劉永福が待ち構える府城台南へと進軍します。しかし風土病に苦しめられ赤痢が蔓延。南への進攻をしばし休止し兵士に休養させました。
9月17日、司令部は計画を練りなおし、近衛師団は嘉義まで陸路、混成第四旅団を増派して布袋口から上陸、さらに第二師団が枋寮から上陸して鳳山を攻めるという新たな作戦を開始しました。最後は三方から台南を囲んで一斉攻撃する予定です。
かたや抵抗軍は武器も食糧も尽き、孤立無援の窮状でした。
日本軍は10月16日に鳳山城を攻め取り、23日には台南城の総攻撃が始まる予定でした。しかして、この時劉永福逃亡の情報が伝わります。
19日、日本軍が小南門外に到達した時、城門は閉ざされ少数の哨兵が居たものの、城外には日章旗と米国旗がかけられていました。イギリスの伝教師と台南の有力者らが日本軍を迎え、台湾民主国最後の砦も無血で陥落したのでした。 -
その時のイギリス人伝教師がこの方です。
当時キリスト教徒が日本軍と結託しているという流言が飛び、十数名の信者が犠牲になったのだそうです。 -
台南入城後、樺山総督が大本営に送った有名な報告です。
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総督によって平定宣言がなされた後も住民の抵抗は続きました。
ウィキペディアによると漢人による抵抗は1902年まで続き、原住民族の抵抗は、最後の未帰順蕃と言われたブヌン族タマホ社の1933年帰順をもって終結となったとあります。 -
このパネルでは、そもそもこの戦争は台湾民主国にとって勝ち目のない戦いだったと述べています。竹籬鬥菜刀だったと。(このことわざの意味が実はよくわかりません。どなたか教えてください。)西部での激戦を思うと、なんだか切ないですね。
下部の記述は乙未戦争に関する文学です。文学の道の碑にあった「譲台記」も取り上げられていますね。作者は当事者だったとのことなので、いつか読んでみたいと思いますが私の語学力ではいつになることやら。 -
パネル展示のコーナーの先は、
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ビデオ上映コーナー。
識者へのインタビューですがほぼ聞き取れないし字幕も追いつけない。10回くらい見てればわかったかもしれませんがそうすると何時になっても出られないので…。 -
さらっと見ておしまい。
家族連れが一緒に見てましたが、子供はず~っとスマホでゲーム。お母さんはウロウロ。真剣に見ているのはお父さんだけでした。 -
12:21
次の目的地「紅毛井」を探しています。史蹟だから看板があると思うんだけど…。この洗濯場みたいなのはその井戸水かな? -
これかな?でも紅毛井って書いてないし。
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と思ったらありました。碑文が半分になっちゃってます、文化財なのに。
17世紀中期にオランダ人が開鑿したと伝えられる井戸で、現在まで絶えることなく水が湧き出ています。紅毛井は台湾各地にありますが、今でもその水を使った洗濯場があるなんてロマンあるなあ。 -
紅毛井に神様を祀る堂を作った時の碑。献金した人の名前が彫ってあります。
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12:40
次の目的地へはバスで向かうので員林客運のバスターミナルに向かっています。
途中で孔子廟発見。孔子廟 寺院・教会
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時間がないので写真撮るだけ。
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古月民俗館。ここも時間がないのでスルー。
古月民俗館 建造物
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ランアバウトのオブジェ。桃?
バスアプリをチェックしながら歩いてますが、予想以上にバスが早く進行している!急げ。 -
12:51
あ、もうバスが来てる。と大急ぎで乗り込みましたが、 -
ぜんぜん出発しません。彰化で時間調整のようです。
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バスの窓からターミナルの文字を撮影。なんとか入った。
12:00
員林客運6738路バスにて彰化発。溪湖へと向かいます。
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