2013/12/28 - 2014/01/05
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ウェンディさん
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70歳の母と旅したヨルダン。
この旅では、死海・月の谷砂漠・薔薇色に輝くペトラ遺跡・ダーナ自然保護区を巡りましたが、旅の中で一番体力を必要としたのは今回の旅行記で紹介するペトラ遺跡でした。
冬のペトラならばそんなに暑くないから楽勝!と考えていましたが、1日をフルに使って10時間歩き回っても、1日ではメジャーな見どころを回りきるのは無理で、夕方にはもうヘロヘロ。
朝日に輝くエル・ハズネ、犠牲祭壇トレイル、ワディ・ファラサ(Wadi Farasa)トレイル、そしてエドディルまでの10時間を歩き抜いたペトラ遺跡での1日を紹介したいと思います。
そして今回の旅の緒言では、ヨルダンの水事情について、ほんの少し紹介します。
日本は四季のある国。
6月には梅雨があり、恵みの雨が大地を濡らします。
どこへ行っても豊かな水量を誇る河川があり、渇水の夏を除いては生活用水に困るという事はまずありません。
しかし、私と母が旅したヨルダンでは、水はとっても貴重なモノ。
雨が降っても、その水は乾燥した大地に吸いとられ、川までたどり着く水はごく僅か。
河川の水は人々の生活を潤すには十分ではなく、ヨルダン政府は近隣諸国より真水を買い付けています。
そして、ヨルダンには日本では馴染みのない【水の日】と云う日があります
【水の日】とは国から居住区に水が供給される日で、その日は週に1回か2回のみ。
水の日が来ると、その日は洗濯日和。その地区の住民はお洗濯に励みます。
では、【水の日】ではない日はどの様に生活するのか。
ヨルダン家庭の屋上や地下室に必ずあるのが特大の水タンク。【水の日】にはそのタンクが国からの供給水で満タンになり、各家庭では次の【水の日】まで計画的に水を利用することになります。次の【水の日】までの間にタンクの水キレを起こしてしまった場合は、日常生活の炊事・洗濯等の水仕事はできないことに…。
そんな時は、水屋さんの出番。水屋さんとはタンクローリーで水を売る業者のことで、水屋さんを呼ぶと、水屋さんはタンクに水を供給してくれるそうです。
でも、その水の価格は、国が支給する水の5倍以上の価格。
ヨルダンでは水はとっても貴重なモノなのです。
ツアー旅行者が泊まるホテルでは真水を大量に確保してあり、シャワーの水が水切れ…なんていうことは起こりません。
でも、ヨルダンの水事情を知ってしまった以上、水の無駄使いはできませんでした。
私達も、滞在中はできるだけ水を無駄にしない様、大切に使いました。
また、あまり知られていないことですが、ヨルダンの水事情の改善に日本も少なからず貢献しているのです。ヨルダン北部の森林地帯ジェラシュには北部ヨルダンの水甕ともいうべき大きなダムがあり、ダムの建築にあたり日本は無償資金援助をしたそうです。
旅程(2013/12/28〜2014/1/5)
・12/28 成田21:20−05:10アブダビ経由(エティハド航空)08:20
・12/29 −9:50アンマン、マダバ(聖ジョージ教会、ネボ山)、死海
・12/30 死海、カラク城、ワディ・ラム
・12/31 ワディ・ラム・ジープツアー、ペトラ
☆1/1 ペトラ、 ペトラ・バイ・ナイト
・1/2 ペトラ
・1/3 ダーナ自然保護区 トレッキング
・1/4 ジェラシュ、アンマン15:25−20:25アブダビ経由(エティハド航空)22:10
・1/5 −13:05成田
ヨルダン旅行記
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
【1】70歳の母、死海で溺れる:http://4travel.jp/travelogue/10847115
【2】鎖帷子の音を聞き、岩砂漠の宴を楽しむ:http://4travel.jp/travelogue/10848555
【3】砂漠ツアーは命がけ!:http://4travel.jp/travelogue/10849252
【4】ペトラを歩いて10時間:http://4travel.jp/travelogue/10850853
【5】闇夜に浮かぶ砂漠の薔薇…そして遭難未遂:http://4travel.jp/travelogue/10851316
【6】アイベックスを探してダーナ谷をトレッキング:http://4travel.jp/travelogue/10852796
【7】2000年の時空の彼方に:http://4travel.jp/travelogue/10854363
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
PR
-
朝4時起床。
70歳のおばあちゃんの朝は早い。
彼女はごそごそと起きだし、身支度を開始。
何でも、歳をとると眠るのにも体力が必要で睡眠が細切れになるとのこと。
ソレに遅れること30分、私も起きて身支度をする。
昨日は午後からの雨で、ペトラ遺跡はほんのサワリ部分を見られただけ。
今日は天気も回復という事なので、期待は大!
朝食は朝六時半から。
約1時間半の朝の自由時間。
二人でガイドブックを読み込み、遺跡の予習に励む。
(写真:朝6時頃のワディ・ムーサの町)ペトラムーンラグジュアリーホテル ホテル
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朝7時過ぎにホテルを出発し、ペトラのゲートに向かう。
ここは、昨日も歩いたシーク。
シークは大昔の地殻変動によりできた岩の回廊で、遠い昔にその回廊を雨水が流れ、長い年月をかけ表面を削り滑らかにしたという。
この写真の岩の造形も水が作った芸術と云われている。
何に見えるか…。
その答えは象。
長い鼻と大きな耳を持つ象。目の位置には窪みまである。
硬さの異なる岩肌が削り取られて作られた象、面白い。シーク (ぺトラ) 山・渓谷
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朝のシークは観光客の姿もほとんどなく、静寂な場所。
日が当たれば薔薇色に輝く岩のマーブル模様もなんだかオトナの雰囲気の色。
地面には2000年前の石畳を再現した石がところどころ敷かれ、昨日の雨が水たまりをつくり、シークの岩肌の色を映し出している。
そして、シークで注目したいのが、写真左側の崖に沿って掘られている窪み。
この窪みは天然の造形ではなく、ナバテアの人たちが作ったもの。
ナバタイ人たちは、シークの両脇に水路を作り、6km離れたアイン・ムーサ村の水源から遺跡まで水をひいていた。 -
写真の陶器の管が、当時使われていたナバテアの水道管(翌日に行ったペトラ博物館にて撮影)。
この管を何個もつなげ水路を作り、砂漠地帯のペトラ遺跡の中でも水が豊富に使えたと云う。
ナバタイ人は水利技術に長けた民族で、民族名のナバタイとは【水を掘る人】という意味の古い言葉。
水を制する者は世界を制す…。この地方では、今も昔も水は重要だったという事だ。 -
シークの中の岩は入り組み、岩角を一つ曲がるごとに次はどんなマーブル模様が現れてくるのかワクワクする。
-
イチオシ
そして、最後の角を曲がると、あの景色。
コドモの頃、映画で見たあの薔薇色の遺跡・“エル・ハズネ”が、シークの細い割れ目から顔をのぞかせる。
昨日も見た景色なのに、何度見てもここの場所で胸がドキドキしてしまう。
この時の時刻は朝8:00。
日の出が6:30なので、エル・ハズネに日が当たるのは8時頃かと考えていたのだが、それはちょっと早すぎたようだ。エル・ハズネが彫られている岩肌に当たる太陽光の位置は、まだかなり上の方。
太陽高度は1時間に15度変化することを考えると、冬にエル・ハズネが太陽光を浴びて輝き始めるのは午前9時(冬時間)位となりそうだ。
今日も1時間、エル・ハズネと対話する時間が出来てしまった。
その時間を利用して、エル・ハズネの装飾の一つ一つを丁寧に観察する。 -
9時過ぎ、エル・ハズネの上の方に光が当たり始める。
光りが当たった瞬間、遺跡の色は燃え立つような薔薇色に変化する。
遺跡表面の凹凸が強調され、立体感が倍増する。エル ハズネ 史跡・遺跡
-
イチオシ
9時半過ぎ、下の柱にも日が当たるようになり、朝、最初に見た姿とは、全く異なる姿。
エル・ハズネが大きな岩山に彫り込まれたのは、紀元前1世紀の頃。
その頃から、約2100年。この遺跡は訪れる者に感動を与え続けている。
この遺跡を作ったナバテアの王様も、2100年後にこのような観光スポットになっているとは想像しなかっただろう。
しかし、このエル・ハズネは2100年もの間ずっと人気スポットであったわけではない。
十字軍の頃までは要塞として利用されていたが、それ以降は19世紀になるまでは、忘れさられていた(地元の人以外には)遺跡だった。 -
19世紀にエル・ハズネを再発見したのは、探検家のヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハント。
写真はペトラの再発見から27年後にデイビット・ロバートにより描かれた発掘当時のエル・ハズネの様子。
現在の遺跡と比較してみると、上部はあまり変わりがないが、当時は下部のコリント様式の柱に欠損があったのだと分かる。 -
ここで、少しペトラ遺跡の顔ともいうべきエル・ハズネについて何枚かの写真で紹介。
エル・ハズネは別名Treasury:宝物殿と呼ばれている。
その名前の由来がこの写真の壺。
エル・ハズネの全体像の中央上部にこの壺が彫り込まれていて、昔のベドウィンの人たちはこの壺の中には金銀財宝が眠っていると考え、壺を破壊して宝物を手に入れようと壺を銃撃した。
だから、壺の表面にはブツブツと開いた銃弾の跡を見ることができる。
それで、この壺の中に宝は入っていたのか…。
この石の壺は、壺の形でくりぬかれた石の塊。宝物なんてどこにもなかった。
現在、この壺型の部分は納骨壺を模した物ではないか。このエル・ハズネは王の墓として建てられたのではないか。という説が有力となっている。 -
エル・ハズネの1階と2階部分を分ける部分には、同じモチーフが連続して彫り込まれている。
これは、カレンダーを表しているとされていて、4本の柱の上の横長の部分のワイングラスの模様は全部で7個あり、曜日を表すらしい。
そして、三角屋根の上には横並びの小さな二重丸模様。この模様は全部で30個あることから日を表すと云われている。
では、月は何処で表すのか。
ガイドブックによると、柱の数は12本なので柱の数で月を表すとあるが、私はちょっとだけその説に疑問。
エル・ハズネの全体写真を眺めていただくと理解しやすいが、1階部分には6本の柱、2階部分前方にも6本の柱。確かに足せば12本=12か月だが、2階部分は入り組んだ構造になっていて後ろの方にも実は柱が8本隠れている。全部足したら柱の数は20本。
ナバタイ人は20か月制で暦を運用していたのだろうか。 -
この写真を見ると、2階部分の柱の構造が分かると思う。
そして、エル・ハズネの脇の壁には四角い跡が沢山。
多分、この跡は遺跡を岩から彫り出すときに組んだ櫓の跡だと思うのだが、岩に押し跡が残る程の櫓って、どんなに硬い素材なのだろうか。
もしかすると、この四角い模様は別に意味があるかもしれない。 -
イチオシ
時刻はあっという間に10時。
もっとゆっくりとエル・ハズネを見ていたかったのだが、今日はやらなければならないミッションが4つもある。 -
〜本日のミッション〜
1.朝日を浴びるエル・ハズネを見る。
2.犠牲祭壇トレイルを2時間で歩き、岩のマーブル模様を楽しむ。
3.遺跡の再奥のエド・ディルまで歩き、エル・ハズネと対比する。
4.ペトラ・バイ・ナイトに参加する。
まだまだ、ミッション1が終了したばかり。
遺跡のゲートが閉まるのは日没時間の16時半。
先へ進もう! -
“ファサード通り”と言われる方向に向けて歩き出す。
この先は、まだ足を踏み入れていない場所。
どんな景色が待ち構えているのか。 -
暫く岩山の間を歩くと、急に視界が開け、右手に縦長の穴の開いた岩山が現れた。
マンションみたいな作り。
これは、墓であるとされる遺跡で“岩窟墓地”と呼ばれている。
墓の建物は階段状に作られ、死者が階段を登って天に還ると云われている。
エジプトのピラミッドも階段状。ピラミッド=墓説は今は下火となっているが、もしかしたら人間の中には死者の魂が登るところは階段状と DNAに織り込まれているのかもしれない。 -
岩窟墓地の隣には“王家の墓”がある。
王家の墓は紀元前1世紀ごろの王の墓とされている遺跡で、マーブル模様の岩肌に、4つの墓と思われる建物が彫り込まれている。
写真右側の建物は、彫り込まれた室内のマーブル模様も非常に美しいと評判の場所なのだが、本日は指を咥えてお預け。
明日、じっくりと拝見することにする。王家の墓 史跡・遺跡
-
本日2つ目のミッションを始める地点までやってきた。
その地点とは、Why Not Shopというお茶屋兼お土産屋さん。
でも、ここで買い物やお茶をするわけではない。
ここのお店の脇がスタートとなる“犠牲祭壇”トレイルを歩くのだ。
このトレイルは、ガイドブックでもメジャーなトレイルとして紹介されているので、簡単だろうと高を括っていた。
でも実際歩いてみると、結構登りが急で、特に後半は道がわかり難い。
分かれ道にも看板は無くなんとなくの感覚で道を進む。
そんなトレイルだった。 -
最初は歩きやすい階段道。
岩と岩の間に作られた階段道をホイホイと歩く。ワディ ファラサ トレイル アクティビティ・乗り物体験
-
しばらく行くと、道は岩と岩の間の隙間を縫うような道に変わる。
階段状の岩もあるが、岩角がすり減っているところがあり、足のつき方が悪いと、滑ったりもする。 -
イチオシ
こんな道だが、道端にはお土産屋さんがあり、土産品を売っている。
お土産屋さんの枯れ木を利用したディスプレイが、いい味。
でも、私だったらトレッキングしている時に重いものは持ちたくないので、ここではよほどのことがない限りお買い物は避けたいところだが、ここで商売になるのだろうか。
実は、ここのお店の役割、それはお土産屋さんとしてだけではない。
写真の樹からぶら下がっているお土産の下に淡い白い煙が映っているのが分かるだろうか。
この煙はたき火から出ているもの。
このお土産屋さんでは、旅人にベドウィン・ティを提供している。
多分、水も売っているのだと思う。
ベドウィン・ティの価格は、たいていが1JD(約160円)。
トレッキングで疲れた体には最高のご褒美だ。
ただ、一つ注意してほしのは彼らが使っている水とコップ。
水は多分ミネラルウォーターではなく、コップも前の人が使ったものを軽く拭いただけの物。
私はあまり気にならないが、潔癖症のヒトには無理かもしれない。 -
イチオシ
歩き出して約1時間後の11時過ぎ、頂上にある“犠牲祭壇”に到着。
ここからの眺望は素晴らしく、ペトラ遺跡を形作る岩山、そしてその背後にあるベドウィンの村までを見ることができる。犠牲祭壇 史跡・遺跡
-
この場所が犠牲祭壇と云われている理由は、写真の祭壇。
神聖なものを意味する3段の階段と、その上には生贄を置いたとされる円形の窪み。
大きい窪みの中には、更にもう一つ小さな円形の窪みが彫り込まれ、更に生贄から流れ出る血を流すための排水路までがご丁寧についている。
生贄が人間だったかどうかは定かではないらしいが、この地方では人間を生贄として捧げる部族もあったらしいので、可能性は捨てきれない。 -
犠牲祭壇を通り越して少し先に行くと、反対側の眺望が良い場所に出る。
ここから見えるのが、旅行記【1】で紹介した十戒を神から授かった男モーゼのお兄さんアーロンが眠る山ジャバル・ハールーン。
左手の奥の山の山頂に白い建物があり、そこにアーロンは眠っているらしい。
本当か?と思うが、墓所の扉は開くことはないとのこと。
旧約聖書という壮大な歴史物語の登場人物が眠る場所があるというだけでも、なんだか胸が高鳴る。 -
先ほどこの山に登り始める時に右手に見えていた王家の墓が真下に見え、更にその向こう側の柱廊通りまでを眺めることができる場所に立つ。(写っているのは母ではなく、別のオバサマ)
ここまでの1時間の上り道、結構急登だと思ったが、この景色をみて納得。
1時間でここまで辿り着く為には、確かに坂はあの位の急坂でないと難しい。
ここの犠牲祭壇で小休憩。
トリクリニウムという3段の椅子状の石段に腰を掛け、オレンジを食べる。
歩き疲れた体にオレンジの酸味が染み渡る〜 -
山頂にはオベリスクもある。
オベリスクは2本建っていて、それぞれナバテアの男女の神の姿を現している。
ペトラ遺跡を作ったナバテア人は、岩山を削って、掘って、彫って神殿遺跡を作り上げた。
その技術はこのオベリスクも例外ではない。
オベリスクは、どこかの岩山から切りだしてきた石を地面に置いているわけではなく、岩山をオベリスクのとんがり部分だけを残して、削り取るという手法で作られている。
いったい、どれだけの労力を必要としたのだろうか。
その根気と粘り強さ…現代に生きる私達も見習うべきだと思う。 -
山頂からカスル・アル・ビントに向けての道を下る。
この道は道幅も広く、歩きやすい。
写真は、途中にある“ライオンのモニュメント”。
ライオン??
私には象にしか見えないと思っていたのだが、現在残っているのはライオンの胴体と4本の足のみで、たてがみのある顔の部分は風化して消えてしまったとのこと。
頭の中で、顔を補ったら、前足の1本を振り上げ今にも獲物に襲いかかろうとしてるライオンに見えてきた。ワディ ファラサ トレイル アクティビティ・乗り物体験
-
ここら辺の岩は、どこもかしこもマーブル模様。
そのマーブル模様の岩の中に人工的に造られたと思われる穴を発見。
探検家気分の私達、早速その穴を調べに行く。 -
近づいてみると、その穴は建物の入口らしいと判明。
穴まで登る石階段も掘り込まれている。
入口から中へ入ると、その天井は赤と茶のマーブル模様。
この付近には説明看板もなく、何のための建物なのかもわからない。
もしかして、まだ調査中なのかも…。 -
トレイルの周りの岩は見渡す限りの薄い茶色〜チョコレート色が彩る美しいマーブル模様。
岩の模様を見ているだけで飽きないくらい。 -
そして、美しい岩を利用した遺跡もこのトレイル(Wadi Farasaトレイル)には沢山ある。
この区域はワディ・ファラサ(ファラサ谷)と呼ばれ、枯れ沢の周りには小さな遺跡群があり、現在も発掘作業が進められている。
写真上の遺跡は“庭の墓”。
そして下の写真は庭の墓の向かいにある遺跡で、その名は“カラード・トリクリニウム”。ちょうどカラード・トリクリニウム内壁に光が入る時間帯だったので、岩のマーブル模様がピンクがかって見え、美しい。
カラード・トリクリニウムはペトラ遺跡でただ一つ、建築物の中にも柱が彫り込まれ内装が施されている遺跡だ。ワディ ファラサ トレイル アクティビティ・乗り物体験
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写真上が“ルネッサンスの墓”で、美しいマーブル模様の岩に作られている。
写真下がその内部で、実際に人骨や埋葬品(盗掘の対象とはならなかったもの)が見つかっている。墓穴の大きさは、そんなに大きくない。ナバタイ人は小柄だったのだろうか。
ここまで山を下ってくると、もう急坂は無い。
あとは、テクテク歩くだけ。
ちょっと小休止で、昼食タイム。
今日の昼食はリンゴと日本から持参したアミノ酸ゼリー。
15分間休憩して、また歩き出す。 -
歩いて行くと見えてきたのは、山肌に穴の開いた遺跡風の処。
今朝ほどみた岩窟墓に似ているが、ここはどうやら違う場所。
多分、“エル・ハビス城”という十字軍の砦跡だと思う。
そしてこの砦跡は、現在もベドウィンの住居として使われている。
少し近づいてから望遠レンズで覗いてみたら(写真下)、岩穴の前には、簡易テントがあり、子ども達が遊んでいる。洗濯物まで干してあったから、住居として利用で間違いないだろう。 -
道でベドウィンの子ども達に会った。
彼らは手に絵葉書のセットを持ち、1ダラー、1ディナール、1ユーロと言いながら観光客に近寄ってくる。
通貨の単位が何であれ、1という設定には変わりがないらしい。
それならば1ドルで買うのが一番お得だね。
ペトラ遺跡の中には土産物を売っている子供たちが沢山いる。
でも、皆が皆、遺跡の中で暮らすベドウィンの子ども達ではないと思う。
その理由が靴。
エル・ハズネの近くでロバや駱駝の斡旋を仲介している子供たちは英語・スペイン語が達者で、着ているものも年季は入っているが小ざっぱりとしている。そして、彼らは靴下をはき、比較的質の良い靴を履いている。NIKE, PUMA等の靴も多い。彼らが夜を過ごすのは近隣の村の家々。
一方、遺跡のトレイルの中で出会うベドウィンの子ども達は、靴はたいてい草履で足も素足。片言の英語を話すが、意思疎通ができる程ではない。彼らは遺跡の中にあるナバテア人の住居跡をリユースしてそこに居住している。
ここで出会った彼女たちは、後者:遺跡の中で暮らすベドウィンの子ども達。Helloは通じるが、それ以上の会話はできない。でも、お互いにニッコリ笑顔でご挨拶。 -
12:15 トレイルの最終地点“カスル・アル・ビント”に到着。
平均所要時間2時間と言われるこのトレイルを、休憩時間を含めて2時間で歩いた私達。
ミッション2はこれにて終了。
でも、まだまだ歩けるね。
写真のカスル・アル・ビントとはペトラ遺跡の中で最重要である祭殿・神殿かもしれないと云われている建物で、その名前が意味するのはファラオの娘の宮殿。
私がこの写真を撮っているために建っている場所が生贄を置いたとされる場所のすぐ隣で、右端にはコリント形式の輪状の柱がある。そして、目の前にそびえる壁は高さ23m。地震による壁の崩壊を防ぐために壁と壁の隙間には木制のクッション材が嵌め込まれている耐震構造の神殿だ。
紀元551年に起きた大地震には耐えた神殿だったが、時の経過には逆らえず、現在はこのような姿に…。 -
トレイルを完全に下ると、そこはもう、観光客と駱駝・ロバの客引きの嵐。
日本人とみると、ロバ、駱駝…と云いながら客引きのお兄さんたちが近寄ってくる。 -
さあ、ここからはペトラ遺跡の一番奥にある“エド・ディル”に向けて出発。
スタートタイムは13:00。
一番気温が高くなる時間帯で、セーターを着ていると汗ばむくらい。
エド・ディルまでのトレイルは、団体ツアーでもペトラ遺跡に丸1日とっているツアーならば訪れることの多い場所で、歩くのが難しい人にロバに乗って登るという手もある道。
だから、この道には沢山の観光客。
ひたすら登るだけの道を歩いて行く。 -
道は上り道だけれど、整備されているので先ほどまでのトレイルに比べたら歩きやすい道。母よりも年上と思われる方もユックリだけれど歩いている。
母はというと、自分で心拍数を考えて、息が上がらないスピードで一歩一歩着実に登っている。
コレならば大丈夫そう。 -
エド・ディルまでの道の途中には“ライオンの墓(ライオンのトリクリニウム)”という神殿があり、葬儀を司った場所と云われている。
マーブル模様の岩肌にはワイン瓶の形に開いた穴。
そして、そのワイン瓶の穴の下の壁には2頭のライオンの像が彫り込まれて、更にワイン瓶の上の神殿の飾り彫りの部分には蛇の髪の毛を持つメドゥーサとナバテアの神を表す二重丸の彫り物がある。
ナバタイ人は、交易を糧として生活していた。
だから、仕事上、色々な宗教に接する機会があり、宗教もかなり自由奔放のいいとこどり的な感じ。 -
階段道はこんな感じで、そんなに大変ではない。
上りは結構疲れるので、なかなか周りの壁の色合いなどを眺めるゆとりはないかもしれないが、是非顔をあげて歩いてほしい。
様々な色の岩肌の景色が疲れを和らげてくれるはず。 -
エド・ディルのある高台に到着。ここまでの所要時間は上り始めから1時間15分。
母の年齢にしては頑張った時間だと思う。
高台から、ペトラの遺跡を見下ろす。
いい景色! -
とうとうペトラ遺跡の一番奥にあるエド・ディルに到着。
ここで本日の第3ミッション達成!
エド・ディルはペトラでも一番大きいモニュメントとされ、高さ45m、幅28m。
修道院(Monastery)として利用されていたとされるが、本当は何に使われていたのかは未だに分かっていない。エド ディル 史跡・遺跡
-
ミッション1〜3の達成をお祝いして、ベドウィン・ウィスキーで乾杯!
ここのベドウィン・ティ(ベドウィン・ウィスキー)はエド・ディル価格で、下の遺跡で飲む時の3倍の一杯3JD(約480円)。でも、コップも大きめで、ハーブの種類もミント、セージと好きなモノを選べるので私的にはお勧めのカフェ。お茶に砂糖が入っていないものポイントが高い。 -
母がカフェのベンチで休憩している間、私はエド・ディル探検へ。
エド・ディルはペトラの中では珍しく中に入ることができる遺跡。
ただ、問題が一つ。
エド・ディルの入口である穴。その穴が開いている場所は地上から1.5m以上の高さにある。
歩くのは得意だが、体の柔軟性はなく、運動音痴な私がこのエド・ディルの入口を登るのはImpossible!
どうしたモノかと思って眺めていたら、エド・ディルの中で遊んでいたベドウィンの少年たちに声をかけられた。私を引っ張り上げてくれるという。
子ども達が5人がかりで大人の私を上から持ち上げる。洋服の背中部分、片手、髪の毛、彼らは掴めるところを見つけ私を掴み、力づくで持ち上げる。私も縁に手をかけて、ヨイショ!…。
やっとの思いで登った。
登ったと思ったら、子供たちからお金頂戴攻撃。
多分そう来ると思っていたから、ポケットの中の飴玉をお礼にプレゼント。
でも、飴玉の種類は、黒飴と生姜飴。
日本テイストの飴だったが、彼らは喜んで食べてくれた。 -
エド・ディルの中の空間は広い部屋。
正面には神聖な場所を示す3段の階段と祭壇。
そして、壁には修道院説の根拠となっている十字架が彫られているという話だったのだが、私はその十字架を見つけることができなかった。
子ども達はというと、次のターゲットを見つけて、また持ち上げている。 -
イチオシ
カフェの裏には小高い丘があり、そこはエド・ディルを眺めるためのビューポイント。
ユックリと休憩した母を連れて丘を登る。
確かに、丘の上から見るエド・ディルは陰影がはっきりしてカッコいいかも。
ペトラの顔というべきエル・ハズネは女性的な造形。そして、ペトラの最奥にあるエド・ディルはラインもシャープで男性的。 -
そして、この絵は旅行記の最初の部分で紹介したデイビット・ロバートが描いたエド・ディル。
エド・ディルは、200年前と今では、ほとんどその姿は変わっていない。
きっと、今、見ている姿は、建てられた当時とほとんど同じなのだろう。 -
15時過ぎ。そろそろエド・ディルの山を下りる時間。
もう行こうか。と歩き始めたその時、観光客がざわついた。
皆がエド・ディルの上を見上げている。
写真では分かりにくいが、2階部分の右から2番目の柱の上部。
そこにヒト影があるようだ。 -
その証拠写真!
かなりきわどい部分を歩いているのはベドウィンの青年たち。
彼らは、遺跡の屋根と屋根の間、多分1m以上の間隔があるように思われる部分を、屋根の上で助走をつけてジャンプ!
下で見ている私達がドキドキしてしまう。
高さ45mの高さでの、命綱をつけない曲芸。
落ちたら死んでしまう。 -
下りは早い。約30分で下ることができた。
その途中で見つけた光景。
もともとは、ナバタイ人の住居跡。そこをベドウィンの人たちが車のガレージとして利用している。 -
時刻は15:30。
太陽もかなり傾き、遺跡の列柱の影も長く伸びる。
この場所は大神殿のテメノスと云われる広場。
広場に敷き詰められた六角形の敷石の上を歩く。
大神殿には、劇場型の集会場も残っており、見どころは沢山ある。
ペトラ遺跡のゲートには日没の16:30には戻らなければならなく、かなり急ぎ足で大神殿を見て回る。 -
西日は王家の墓も照らしだす。
王家の墓は、今朝、横目で見てきたマーブル模様の岩肌が美しい遺跡。
でも、この日はもうタイムアウト。
遺跡の見学をしている時間は残されていない。
駱駝に乗る観光客の脇をテクテク歩く。
実は、駱駝やロバに乗るのは楽なのだが、動くスピードを考えると歩く方が早かったりする。
だから、私は歩く派。 -
今日の旅の出発地点エル・ハズネに戻ってきた。
この角度で見る夕方のエル・ハズネもなかなか恰好が良い。
時刻は16:10。
ここからゲートまでの道は平地だが、緩い角度の上り坂。
疲れ果てている足には堪える道だ。 -
さすがの母も、もう限界。
歩くのが辛そう。
そんな時は馬の利用。
馬曳きに交渉し、エントランスまでを5米ドルで母を運んでもらう。
そして、今晩のペトラ・バイ・ナイトのチケットを買いにチケット販売窓口へ。
実は、このペトラ・バイ・ナイトのチケットは専用車の運転手のYazan君に購入をお願いできることになっていたのだが、昨日、彼に確認したら、チケットは当日販売なので、昨日の段階では買うことができない。だから、自分で買いに行って欲しい。と云われた。
まあ、嫌がっているのを無理にお願いするのは悪いしね。と当日に自分で買いに行くことにした。
無事にペトラ・バイ・ナイトのチケットを入手することができたので、問題は無いのだが、全く怠惰な運転手君だ。
この日は10時間かけて遺跡を歩き回り、足はもう棒の様。
夕食のサンドイッチ(シュワルマ)を購入し、ホテルの部屋でゆっくりとお食事。
この日の夕食はチキンのシュワルマとカカブのシュワルマ。そして、日本から持参したお蕎麦のカップ麺。
この日は1/1だったので、年明け蕎麦の豪華夕食。
久しぶりのお蕎麦は美味しかった! -
そうそう、この日の4つ目のミッションはまだ終わっていない。
最後のミッションはペトラ・バイ・ナイトへの参加。
ペトラ・バイ・ナイトとは、蝋燭の光で照らしだされたシークの中を歩き、エル・ハズネ迄歩くという物。
蝋燭の灯りが照らしだすシークは幻想的で美しい。
その中を歩き、古代ナバテアの雰囲気に浸る。
その様子は次回の旅行記で…。
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この旅行記へのコメント (10)
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- わんぱく大将さん 2014/02/12 05:27:14
- そういえば嫁に行ったな
- ウェンディさん
アルコイの旅行記、見ていただき時が流れてしまいました。 ねぎ食べに行った日に風邪ひいて、ダウン。 今回知恵熱もでて。
ロンドンで仕事していた頃、日本からきた同僚がヨルダンに旅行にいき、そのまま帰らぬ人に。 要は、嫁に行ってしまいました、その国に。
そんなことを考えながらお写真のみですが、(すんません、年いくと、長文読むのがしんどくて)見せていただきました。
大将
- ウェンディさん からの返信 2014/02/12 20:43:31
- RE: そういえば嫁に行ったな
- 大将さん こんにちは。
賢者さんのさわやかで恰好よい笑顔に惹かれて、アルコイの旅行記を拝見しました。
大将さんの昔の同僚の方がヨルダンへと嫁いで行かれたのですね。
アラブの男性は優しいですが、微妙に優柔不断…なところがあり、きっと彼女は、そんなところも全て丸ごと包み込める位、心の大きな方だったのでしょう。
冬は空気も乾燥し、気温の変動の激しい季節。
体をお大事になさってくださいね。
また、大将さんの旅行記に遊びに行きます。
ウェンディ
-
- 旅するうさぎさん 2014/02/03 21:01:03
- ペトラ遺跡
- ウェンディさん、こんにちは。
ペトラ遺跡の旅行記を拝見しました。
以前、叔母が、ペトラ遺跡の絵葉書を現地から
私に送ってくれたことがありました。
私の叔母は、ウェンディさんと同じような旅先、
つまり、世界中の秘境や遺跡や大自然を、好んで旅していた人だったんです
(今は年を取って、のんびりの旅に移行していますが)。
その時、初めてぺトラ遺跡というものを知ったのですが、
お礼の電話を叔母にかけたら、
「いや〜、参った、参った! 歩いた、歩いた!」
と言っていたので、一体、ペトラってどんな所なんだろう? と思いました。
その時にネットで遺跡の姿は確認したものの、
どんなふうに歩いて、どんなふうに大変だったのかは分からなかったので、
ウェンディさんのぺトラの旅行記を拝見して、
ああこういうことだったのね、と分かりました(^^)
凄いですね! ウェンディさんは10時間も歩いたのですか!!
お母様も健脚ですね!
私だったら間違いなく、ロバさんや駱駝さんに乗せてもらうと思います(笑)
この遺跡も風格があって、素晴らしいですね。
旅するうさぎ
- ウェンディさん からの返信 2014/02/04 21:10:15
- RE: ペトラ遺跡
- 旅するうさぎさん こんばんは。
ペトラ遺跡は、有名なところだけならば5時間もあれば見てしまえるのですが、ちょっと欲張って、あそこも・こちらも…となると2日間あっても足りませんでした。
トレイルを沢山歩きましたが、歩くことが苦にならないくらい印象的な光景が次々と目の前に現れて、昼食休憩の時間がもったいないと感じる程。
きっと旅するうさぎさんの叔母様も、私達と同じく遺跡に魅せられてしまい、休憩することも忘れて歩き回られたのだと思います。
ロバさんや駱駝さんに乗るチャンスは沢山あったのですが、写真を撮りたいということもあり、自分のペースで歩く方が楽かな♪と思い、私は結局乗れずしまい。
今思うと、想い出作りに乗ってみても良かったのかな。と思います。
今日の関東地方は、午後から雪景色。
夕闇が迫る中、白く雪を冠った畑が蒼く浮かびあがり、関東地方とは思えない幻想的な青の景色の中を帰宅しました。
寒いですが、雪景色の夕暮れ、幻想的でいいですよね。
ウェンディ
-
- こあひるさん 2014/01/18 16:42:57
- マーブルの美しさ・・・
- ウェンディさん、こんばんは。
曲線を描くピンクの岩の谷を抜けると・・・エル・ハズネ・・・。
4トラではお馴染のシーンですが・・・4トラ知るまでこんなところがあるなんて知らなかったのですから、ありがたい情報社会です。
エル・ハズネもすばらしいですが、マーブル岩の様々な色彩・・・ひとつとして同じものがない模様・・・見ていて飽きないですね。
祭壇からの眺めも・・・神さまに捧げる場所としてふさわしいですね。
お水事情・・・日本にいるとピンときませんからね〜。コップを洗っていないのも、お水が貴重なこちらの国では当たり前なんでしょうね。
観光客からみれば遺跡でも、地元の人々からすれば生活の場所。垣間見える生活感が面白いです。
こあひる
- ウェンディさん からの返信 2014/01/19 09:49:59
- RE: マーブルの美しさ・・・
- こあひるさん こんにちは。
ペトラ遺跡の薔薇色の谷であるシークは、滞在中に4往復もしました。
4回目ともなると道を覚えてしまい、次にどんな景色が来るのかも分かっているのですが、岩の角を曲がる度に、光の角度が前回と異なり、目の前には新しい世界。
そして、遺跡の中には“〜の墓”も沢山あり、その中のマーブル模様も、日本では目にすることのない美しい縞模様。
次の旅行記【5】(先ほどアップ完了!)で紹介する壺の墓のマーブル模様や洞窟博物館のマーブルはペトラでも有数の美しさです。
ガイドブックを読んでいる感じでは、ペトラ遺跡は今は使われていない古代の遺跡…という印象を受けましたが、実際に足を運んでみて感じたのは、今も息づいている遺跡ペトラでした。
紀元前のナバテア遺跡は、キリスト教会、十字軍の要塞…そして今は、ベドウィンの住居。
きっと、昔のナバテア王もビックリしていると思います。
ウェンディ
-
- aoitomoさん 2014/01/18 13:49:11
- トレイルも楽しそう〜
- ウェンディさん
ヨルダンの水事情勉強になりました。
やはりシークの造形美は最高ですね〜
時間帯により明るさや日光の角度で色や模様が変化するのも面白いです。
というか、写真撮りが手をぬけませんね。
シークの隙間から除くエル・ハズネがやはり感動しますね〜
犠牲祭壇トレイルも楽しそうです。
ワイルドなベドウィン・ティを売るお土産屋さんも絵になります。
犠牲祭壇先の高台からの景色もいいですね。
カスル・アル・ビントへ行く途中の物売りの子供たち。
こんな小さいころから仕事させられているんですね。
というよりも子供だから旅行者も財布のひもが緩くなるのですが・・
エド・ディルまでのトレイル
「階段道」も削って造られたのかはわかりませんが素晴らしいです。
しかし、ワイルドウェンディさんはともかくお母さんも体力ありますね〜
70才には全然見えないですね。
エド・ディルも立派です。
ベドウィンの子供たちが穴の上に上げてくれるサービス。
そしてお金頂戴攻撃。おきまりの展開ですが、
飴玉持参もおきまり対策ですね。
それより子供たちエド・ディルの遺跡の上では遊ばないでほしいですね。
長生きできないですから。
帰りに疲れたら馬曳きと交渉して移動できるのも便利です。
夜はペトラ・バイ・ナイトということでさすが元気ですね〜
続き、楽しみです。
aoitomo
- ウェンディさん からの返信 2014/01/18 15:03:42
- RE: トレイルも楽しそう〜
- aoitomoさん こんにちは。
ペトラ遺跡、観光客が足を踏み入れることができる場所は、そんなに広くは無いのですが、歩き回るのが大好きな私でも1日歩き回ったらもうヘトヘト。
夜に開催されるペトラ・バイ・ナイトは、母が疲れすぎていた場合には、彼女はホテルで休憩している予定だったのですが、この日の帰りに馬を使って体力を温存したことで、母も夜に再度シークを歩き、ペトラ・バイ・ナイトへ行くことができました。
私が、もし今度ペトラに行く方にアドバイスする機会があるならば、その一つは確実に決まりです。
---ペトラ・バイ・ナイトへ行く予定の場合には、1日歩きぬく日の夜は避けるべし---
今回の旅行記であえて最初にヨルダンの水事情について書いたのには実は理由があります。
それは、帰国便に乗るアンマンの空港のトイレで耳に挟んだ言葉。
ある日本人旅行者の方が、お友達と今回の旅行についてお話をされていました。
とても楽しかった様子が伝わってきたのですが、その会話の中で、彼女はお風呂には毎日バスタブに湯を張りシャワージェルを使って入浴し、とても快適だったとお話されていました。
多分、彼女はヨルダンでは真水は貴重であるという事を知らなかったのだと思います。
高いツアー代金を払い一流のホテルに宿泊しているのだから、それくらいのサービスの享受は当然と云われれば返す言葉もないのですが、もし、仮にツアー仲間の誰かがヨルダンの水事情を知っていて、そんなことをネタに話をしていたならば、彼女はもう少し節水を心掛けたのではないかな。と…。
そんなことを考えて、あえてヨルダンで一番人気の観光地ペトラ遺跡・旅行記のトップにヨルダンの水事情について書いてみました。
ウェンディ
-
- きなこさん 2014/01/18 09:02:37
- ヨルダンウイスキー
- おはようございます
う〜〜〜ん たっぷり楽しませて頂きました。活字に飢えていたので沁み入りました(^^)
ペトラ遺跡のマーブル模様の岩肌!壮大感が伝わってきました。
そっと手のひらで撫でるとナバタイ人の喧騒が伝わってきそうですね
エドディルで飲まれたヨルダンウイスキーは格別の味で体に沁み込んでいったのでしょうね 潔癖症でない私もトライです
そうそうペトラバイナイトは再開されているんですね、私達の日程でも一応曜日を合わせてあるので今から楽しみです。
きなこ
- ウェンディさん からの返信 2014/01/18 12:04:13
- RE: ヨルダンウイスキー
- きなこさん こんにちは。
ペトラ遺跡の岩の茶色のマーブル模様。
キャラメル色・ココア色・ミルクチョコ色…色々な色があってとっても素敵でした。写真にしてあらためて見てみると、その良さは8割くらいしか出ていないので、実際にきなこさんの目で見てみたらうわぁ〜綺麗!!!ってな感じになると思います。
琥珀色の液体であるベドウィン・ウィスキーは、トレッキングして疲れている時にいただくと、最高に美味しいです。清潔さという面では疑問符がつく飲み物ですが、サハラでベドウィンのテントにステイした”きなこ親子”ならば大丈夫!
安心して沢山召し上がってください。
そして、ペトラバイナイトは再開されていました。
ベドウィンの部族間の争いで観光の目玉の一つを中止にしてしまうなんて、ここは未だにアラビアのロレンスの世界なのですね。
ウェンディ
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