2024/01/02 - 2024/01/02
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ウェンディさん
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アレは2022年の秋の話。
友人からベトナムに少数民族に会いにトレッキングに出るのだけれど、一緒に行かない?とお誘いがありました。
残念ながらその時は私は行けなかったのですが、実家に帰省した際に少数民族旅の話を母にしたところ、“自分も行ってみたい”と。その様子は、まるで猫がチュールに引き寄せられる勢いで、話を聞いてからはあっという間に母の脳内はベトナムお花畑状態に・・・。
ベトナムは私自身も興味のあるエリアでしたので、行ってみたいという気持ちはありました。
でもベトナムはまだ訪れたことのない土地で、全くの未知の場所。
ベトナム語は勉強していませんし、ベトナムで通じると言われているフランス語だって挨拶程度しか分かりません。
しかも母が望んでいるのは一般的な旅行会社が企画する王道ベトナム観光ではなく、ベトナム北部の少数民族の方々に密着するかなり特殊な旅。
更にネックとなるのは母の年齢で、もう80歳も目の前。
この年代にさしかかってくると、ちょっと転げただけでも骨折したり、軽い咳から肺炎を起こしたりする可能性もあり、そんな状況ではさすがの私だって“行きたいならば、連れて行ってあげるよ”なんて軽々しく口にはできませんでした。
しかし、行きたい!といわれたら、なんとかその道を探し始めるのが私。
探しても無理だったら諦めるのは仕方がないこと。
探しもしないのにギブアップだなんて、それではつまらないでしょ。
まずは、最初に情報をくれた友人にベトナムでハザン省ドンバン県の自然環境や伝統文化保護活動を行っている方を紹介してもらい、そこから先はとんとん拍子で話が進み、2023年の年末から2024年の年始のベトナム旅が決まりました。
トレッキング旅の実現までこぎ着けたのは、最初に少数民族の旅を教えてくれた“きなこさん”、そして、お正月という時期にも関わらず80歳の母の旅を支えてくださったハザンサポートプランニングの小倉靖さんのお陰で、お二人に感謝しています。
☆80歳の女子旅ベトナム旅程☆
12/28 JAL夜行便-12/29ホーチミン着
12/29 Tang Hoang Long Hotel / Ho Chi Minh
12/30 Tang Hoang Long Hotel / Ho Chi Minh
12/31 Golden River Hotel / Hoi An
1/1 Mitisa Hotel /Da Nang
1/2 Lang Tay Home Stay/ Ha Giang
1/3 Nha Co Lao Xa Home Stay/ Lao Xa
1/4 The lover lolo Home Stay/ Lung Cu
1/5 Lam Tung Hotel/ Dong Van
1/6 Golden Jungle House/ Ha Giang
1/7 JAL夜行便 - 1/8日本着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 徒歩 飛行機
PR
-
80歳の母と私のベトナム旅の始まりは2023年12月末のサイゴンから。
でも、サイゴンやホイアンの旅行記は山ほどあるし、婆様を連れた私達の旅でもそれほど目新しい情報があるわけでもない。
せっかく旅の記録として残すならば、まだ情報量の少ないハザン省(ハジャン省 Ha Giang)を最初の旅行記にすると私は決めていた。
だって、コレを読む方達はみんな80歳のばあちゃんがトレッキングをしつつ少数民族の暮らしを味わう旅なんて無謀すぎるし、第一、無理なんじゃない!?て感じたはず。
・・・確かにその通り。
私もそう思う処はあったけれど、旅のペースをスローにし、できることを愉しむ旅とするならば、いくつになったって、100歳になったって、旅は可能。
もちろん、旅する婆様ご本人の健康管理や体力維持も大事な課題。
旅をエンジョイするには、まずは健康第一ということで、ベトナム旅が決まってからの母の課題は、少数民族の村巡りトレッキングをする歩く力を鍛えることとなった。
(写真:トレッキングの様子) -
そんな80婆さまの健康維持方法は、週に1回のクラシックバレエ教室。
成熟したオトナ対象のクラスなので子供のように可愛らしくは装わないが、それでもバーレッスンを愉しみつつ、姿勢の維持、足腰の鍛錬をしてきた。
その甲斐があり、ハザン省での母は元気そのもの。
歩くスピードはゆっくりで急な階段の上り下りの際には多少のサポートは必要だが、全て自分の足でトレイルを歩き通してきた。
ベトナム最北端のルンクー村(Lung Cu)のカフェ・クックバック(Café Cuc Bac)では、オーナー所有のLoLo族の民族衣装をお借りして、気分はもう少数民族LoLo族の婆ちゃん、略してLoLo婆(ばぁ)。
80ばあちゃんのコスプレなので顔などは年相応だけれど、姿勢などは日頃の鍛錬の成果よね・・・と娘の私も感心!
と、云う感じで、80歳でもやればできるハザン省の少数民族を訪ねるトレッキング旅の旅行記、ここからスタート!
You Tube:Café Cuc Bacにて
https://youtube.com/shorts/PkzLhwXCPDU?si=RJw3WbtEsIoEva_h -
ハザン旅の始まりはハノイのノイバイ国際空港から。
前夜はダナンで宿泊し、ダナンからの朝いち07:40の飛行機でハノイへとやって来た。
(ダナンの市内中心部から空港までは早朝のタクシーで9万5千ドン/15分。高額な専用送迎車なんて頼まなくても、ホテルで安全なヴィナサン・タクシーを呼んで貰えば安く移動可能)
飛行機は定刻より30分遅れの離陸でノイバイ空港着が09:44。
荷物をピックアップしたら、ハザン旅でお世話となる小倉さんと到着ロビーで合流する。ノイバイ国際空港 (HAN) 空港
-
小倉さんは、ハザンの自然の豊かさや今なお続く伝統文化に魅せられ、その保護活動をされている方で日本在住でありながらでも月一以上のペースでベトナムへと渡っている。
彼は、私達の様な旅人のアテンドをしたり、保護活動のためハザン省やドンバン(Dong Van)県の担当者と交渉の場を設けたりと活動を続けている方で、今回のハザン旅も小倉さんの知識と経験を総動員して、80歳の母でも歩けそうなトレイルを選んで旅程を組んでいただいた。
ドライバーさんは小倉さんのハザンでの相棒とも云うべき、ルアンさん。
ルアンさんは本当は旅行会社の社長さんなのだが、今回は高齢者を連れた旅なので、融通が利く方にドライバーをお願いしたいと云うことで、運転していただけることとなった。
(旅行記2枚目の写真のお二人の男性が小倉さんとルアンさん)
ハザンまでは車で4-5時間かかるので、途中にある大きな町タンジェン(Tan Yen)でランチ休憩。
この辺りは川魚が有名なので、川魚の煮物と唐揚げをメインに地元の野菜と一緒にいただく。
ちょっと甘めに煮付けられた大きな魚は甘露煮風で、小さな小魚はワカサギの唐揚げみたいな感じ。
川魚なので泥臭いかもと思ったがそんなことはなく、美味しくいただいた。
ただその量が4人分としては若干多く、全部食べきれずに残してしまったのがもったいなかった。 -
町をでてしばらくすると省境のゲートがあり、ここから先が私達の目的とするハザン省だ。
ハザン省に入ると増えてくるのが、梅の実のような果実を販売する露店。
残念ながら写真は撮れなかったが、果実酒の材料にするらしいとのこと。 -
14時前にはハザン市に入り、ドライバーを務めるルアンさんのお宅で休憩する。
ルアンさんの奥さんはハザン省の山奥でのみ採れる稀少な茶葉の販売業をしているとのことで、せっかくの機会なのでその貴重なお茶を飲ましていただく事に。
日本人にとっては“お茶”といえば緑茶やほうじ茶、麦茶をイメージすることが多いが、ベトナムの北部のハザン省でのお茶は、緑茶のみ。それも甘味を感じる玉露系ではなく、渋みの強い緑茶であり更にウーロン茶的な香りのする発酵茶がここでは“お茶”と呼ばれている。
そのベトナム茶の淹れ方にも作法があり、その仕草は台湾茶道に共通する部分もあるのだが、ベトナム茶のお作法は独自にベトナムで発達したものとのことだ。
そのお手前をルアンさんの奥さんが披露してくれた。 -
休憩後は早速、本日のホームステイ先へ。
ベトナムには54種族の少数民族がいると言われていて、その内18種族の少数民族がハザン省で暮している。
この日に私達の宿泊地として訪れた少数民族の村はタイ族の村。
少数民族の村は、ごく普通にハザン市の中心部から車で15分も走らない処には点在していて、旅人が希望するならばホームステイとして受け入れてくれるお宅も多い。
しかし、昔ながらのそれぞれの種族に特有な伝統的な住居スタイルで生活をしている少数民族の村というのは現在はそれほど多くはなく、昔ながらの住居を捨て近代的な家が集まる集落へと変わった村も少なくはない。 -
1/2の夜を過ごすのはハザン市の中心部から5kmほど離れたところにあるChang地区で、小倉さんの友人の方のお宅(Lang Tay Homestay)を宿とすることになった。
その昔はハザン省でホームステイといえば宿泊者は家の家族と同じフロアの床で雑魚寝スタイルが多かったそうだが、コロナ禍を経た昨今では、きちんとゲスト用のコテージや小部屋がある処も多く、Lang Tay Homestayにも2部屋の小部屋があるコテージとドミトリースタイルの部屋がある。
“コテージの個室に宿泊するなんて、そんなのは軟弱ホームステイだ”と言われれば、“そうだね”と肯定しかできないが、元気とはいえ、80歳の母を連れての旅では睡眠時などはある程度プライバシーが保たれる部屋を貸していただける方が、母も安心して眠れるし、十分な質の良い睡眠は健康維持には不可欠だ。
ホームステイのスタイルに利用する旅人の年齢や状況に応じて、様々な選択肢があるのはありがたい。
(写真:Lang Tay Homestayのコテージ内部) -
夜に私達が寝るのは個室だが、彼ら少数民族のメイン住居である高床式の建物でくつろぐのは自由。
せっかく昔ながらの伝統的なスタイルを見せていただける機会なのだから、その生活スタイルを愉しまないとね。
だけど、まずは日が暮れる前に村の中を散歩に行かなくては。
時間は限られているのだから。 -
この日訪れた村は、タイ族の集落。
タイ族はベトナムの少数民族の中で一番の大所帯であり、主に平地や盆地で生活をする。
その伝統的な住居スタイルは木造の高床式住居。
亜熱帯性気候の湿度の高い平地では、地面に近いエリアは風通しも悪く、暑い場所。
だから住居の1階部分は風通しの良い柱だけの空間として、2階部分を居住区として生活している。
多分だが、1階エリアで生活をしないのは、様々な害獣による被害から身を護る意味もあると思う。
ベトナムの隣国では川にはワニや毒蛇が生息し、水辺近くの生活には死の危険が伴う国も多い。ハザン近郊に毒蛇やワニがいるという話は聞かなかったが、いたとしてもおかしくはない気候のエリア。
睡眠時の無防備な時にそんなヤツラに襲われるのは御免被りたいと誰もが考えるはずなので、多分、平地に住むリスクも考慮しての高床式住居なのだろう。 -
タイ族の高床式住居の1階部分はただの風を通すだけの場所ではなく、農作業の器具を保管したり、米の代わりにもなるトウモロコシを乾燥したり、燃料の薪を乾燥したりとその役割は多い。
このハザン市近郊のタイ族の高床式住居の柱は四角形だが、同じタイ族でも山間のエリアのタイ族では柱の形状が丸柱となるそうだ。
高床式住居の屋根はシュロの葉で葺いてあり、10年から15年に1回の頻度で葺き替えるとのこと。
シュロの葉は防水性も高く雨漏りもほとんどないらしいが、その頻度で新しくするのは確かに手間がかかり、維持メンテナンスが大変なのは理解できる。
ベトナムの少数民族のそのほとんどが、その昔は農業や手工芸のみで生活をしていたが、昨今はなかなか自給自足の生活だけでは必要な現金を得ることができず(電気代、ガス代、様々な工業製品を購入する為には現金収入が必須)、町に働きにでて生計を立てる場合も多い。
しかし、タイ族は生活の地として平地を選んだことにより、耕作、酪農、養魚、豊富な水といった生産環境に恵まれ、今も自給自足で生活し自家生産の作物等を市場で販売し現金収入を得ている家庭も多いそうだ。 -
タイ族の村に行くと何処の家にもあるのが、大きな池と作物畑。
池には食用となる川魚が泳ぎ、鴨も食用として飼われている。 -
家畜には鶏はもちろんだがガチョウの様な食用鳥の種類も多く、豚も飼われている。
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また、どの家にも必ずいるのは農耕作業用の水牛。
トラクターを必要とする大規模な水田耕作ではなく、あくまでも家族を養い、当座の現金収入を得るための水田なので小回りがきく水牛が大活躍している。 -
更に路地にはフルーツもたくさん。
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たわわに実をつけるのは、バナナの木。
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ドラゴンフルーツ(写真)、パッションフルーツ、マンゴーの木などの南国系フルーツの木がアチコチに植えられていた。
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日本でもよく見かける樹木もあったのだが、果実の付き方が日本とは全く異なっていて最初は「まさか・・・」となったのだが・・・
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木の根元に鈴なりに実をつけるのはイチジクの木。
果実の形を見ればおなじみのイチジクだと納得するが、ところ変われば実の生り方も変わるっているヤツだろうか。 -
タイ族の村は緑が多く、私が子供の頃の日本の農村風景を彷彿とさせる、自然豊かな光景。
-
家庭によっては伝統的な木造住宅の維持が難しくなり、家の土台をメンテナンスが簡単なコンクリートに変えてしまったお宅もある。
「訪れる度に昔ながらの木造住宅が取り壊され、田舎の風景は減っていてしまう」と案内をしてくださった小倉さんはお話されていた。 -
タイ族の村の夕方散歩は1時間弱。
この日滞在した村のタイ族は100世帯ほどだが、ハザン近郊には1000世帯以上のタイ族が居住しているとのことだ。
村の中をのんびりと歩いていたら、あっという間に夕焼けの時刻へとなっていた。
ステイ先へと戻ったら、高床式住居の二階へ。 -
少数民族の村の各家庭の何処の家にも猫がいて、こちらのご家庭にも親子猫が2匹。
ホームステイのお客さん慣れしているので、抱っこさせてはくれるが、膝の上に長居はしてはくれない。 -
高床式住居の2階部分は板張りで、使われている木材は何世代も前の住居から再利用を繰り返しているとのこと。
近年では開発により森がどんどん少なくなり、新しく木造の高床式住居を建築しようと思っても、太く丈夫な木材は手に入らないらしい。 -
家の中はシュロの屋根が張り出し、家の内部に太陽の熱を取り込まない造りだが、基本的に外壁が解放されているので、家の中に暗さはなく、湿度も感じない。
-
梁の上にあるのは神棚。
少数民族は基本的には土着の神を信仰する八百万の神的な信仰心を持つ方が多いとのこと。
もちろん、仏教やイスラム、キリスト教など宗教の自由は認められている。 -
お子さんが一人いらして(奥様が臨月で、もうそろそろ二人目のお子さんが生まれたころかな?)、室内の壁にはアルファベット表が貼られていた。
英語の勉強かと思ったのだが、ベトナム語のABC表だった。
ベトナム語は昔から話されていたベトナム独自の言葉だが、その昔は漢字による漢文で記されていた歴史がある。
しかし漢文表記のベトナム語の読み書きができたのは限られた文官や王族のみで、現在は漢字表記によるベトナム語表記は日常生活では使われていない。
その代わり使用されているのは、ローマ字の表記方法を応用したチュ・クオック・グーと呼ばれる現在の文字。
チュ・クオック・グーの読み方はローマ字と同じなので単語の発音そのものは簡単に思えるが、文字の上下に様々なタイプの強調記号や発音記号が付属するため、ベトナム語を学習するのは本のみでは難しく、現地の人達の中に入り耳で覚えるのが一番良さそうだ。
ベトナムの少数民族の間では彼ら独自の言葉(54種類の少数民族の言葉)が存在し、現在もその言葉は継続して少数民族の中では使われ続けているのだが、ハザン近郊の少数民族の村ではその独自の言葉自体を使う方達も減ってきている。 -
家の中では、夕食の支度が始まっていた。
部屋の片隅に置いてあるかごの中には、レタス、里芋、ルッコラ、ニンニクなど馴染みのある食材ばかりだ。 -
でも、このオレンジ色のカボチャみたいなのは一体何だろう?
煮物にするのだろうか。
正解は小倉さんが教えてくれた。
この実はウリの仲間のガック(Gac)で、リコピンがトマトの 70倍と多く、ビタミンEも多く含む栄養豊富なフルーツで、東南アジアでは割とメジャーな食材とのことだった。 -
このガックをどうやって食べるのかと聞いたら、お米と一緒に炊き込むとお米を食べるだけで完全栄養食に近いものができるとのこと。
ちょうど炊き上がったものがあったので少しだけ試食させていただいたが、味付けはしていなく、ちょっと癖のあるご飯という風味だった。
この日はこのガックの炊き込みご飯は神棚に供える為に炊き、その翌日に食べるそうだ。 -
ホームステイ初日なので、台所仕事にも興味津々。
台所は火を使うので、1階部分へと降りるのかと思ったら、台所があったは2階の端っこのエリア。
プロパンガスで料理を作るそうだ。
ガスは火力が強いので調理には便利だが、木造住宅では剥き出しの木材への引火が怖いのでは・・・?とこちらに来る前は考えていたが、キッチンを見せていただいて納得。
キッチン廻りは防火用の壁で覆われて、万一、ガスが火を噴いても簡単には引火しにくい構造に改築してあった。 -
奥様が料理を作っている。
「Spring Roll ?」とたずねたら、そうだよ。と、背後から旦那様が返事をしてくれた。
こちらのご家庭の旦那様は、バイクツアーのガイドもやっているので、英語が堪能だ。 -
奥様が台所で揚げ物をしている間、旦那様はなにをしていたかというと、囲炉裏の準備。
緯度的には沖縄より南にある亜熱帯性気候のベトナムだが、ハザンのある山岳エリアは冬の夜はそれなりに冷え込むので、冬は囲炉裏の暖かさが必要となる。 -
囲炉裏に使われるのは、裏の林で拾ってきた木などを乾燥させたモノだが、木材は貴重なので、燃やせるモノは何でも燃やす。
トウモロコシの茎を乾燥したモノも、良い燃料になるのだって。 -
旦那様が作っているお料理は煮物。
どんな風に仕上がるのか夕食が愉しみ。 -
18:00
私達は未だ気温が暖かな時間帯にシャワーに行き、湯冷めしないように暖かくしてお食事の場へ。
食事は昔ながらの伝統的な床に直接座るスタイル。
この日は、フランスからのゲストもいらしていて、みんなで食事を囲む。 -
少数民族の村では、夕食の時には必ずついてくるのもがある。
それは”Happy Water”
Happy Water。
旅の前にその言葉を最初に知ったとき、ものすごい嫌な想像が頭をよぎった。
Happy=ハイ 気分が高揚しハイになるドリンクとは何だろうか。
その時に私の頭の中を駆け巡ったのは、禁断の薬物、麻薬の阿片(アヘン)。
ベトナムの北部エリアはかつてフランス統治時代、フランス軍によって密かにアヘンの原料となる罌粟の栽培が行われた土地であり、此処ハザンはまさにその最前線。
まさか・・・アヘンが・・・と考えてしまったが、そんな心配はしなくて大丈夫。
Happy Waterとはその文字の通り、幸せになれる飲み物 =つまり各家庭で作られる“”どぶろく(自家製のお酒)“のコト。
米が豊富なタイ族の集落では米からどぶろくを造り、ソレを客人に振る舞い皆でハッピーになることができる。そんな飲み物がHappy Waterだ。 -
Happy Waterの飲み方には作法があり、杯に口をつけるときには必ず周囲のヒトと乾杯をしなくてはならない。
もちろん、酒が苦手な方には強要はされないので、年配者の母は飲むまねで唇を杯につけるだけ。
更に、Happy Waterを飲むときには少数民族ごとのそれぞれの言葉でのかけ声があり、タイ族の場合は「モンハイバーゾー、ハイバーゾー、ハイバーウォン」と3種の呪文を皆で唱えてから、杯を空にする。
モン・ハイ・バー・ゾー:1・2・3・Go
ハイ・バー・ゾー: 2・3・Go
ハイ・バー・ウォン: 2・3・Drink
と訳すそうだ。 -
この日の夕食の際の共通語は英語。
お酒が入ると脳の中の語学の回路が繋がりやすくなるので、久しぶりの英語だったが、思い出しながらの会話を愉しんだ。 -
夕食の献立は、茹でインゲン、春巻き、白菜の煮物、根菜の煮物などいろいろあったが、お一番のおいしかったのはアヒルの丸焼き。
Lang Tay Homestayに宿泊するチャンスがあれば、アヒルのローストの事前リクエストをお忘れ無く!
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ねもさん 2024/01/29 21:52:38
- ベトナム
- ウェンディさん お久しぶりです。
前にも同じようなこと言ってたらゴメン(たしか利尻山?)
ウェンディさん一家は3代にわたって旅人&冒険者と思います✌️ 4代目はどうか知りたい(笑)
旅行記、続きが楽しみ(^o^)
- ウェンディさん からの返信 2024/01/30 19:02:08
- 4代目は?
- ねもさん ご無沙汰しております。
4代の数え方ですが、誰を基準にするのかでも見方が変わりますね。
娘を4代目とするとして、女性だけに視点を向けるならば。
3代目が私、2代目が80歳になる母、そして1代目が私の祖母となります。
祖母は大正時代生まれので女学校時代は袴が制服だったそうです。
あの時代の女性にしては珍しく、女学校を卒業した後は師範学校へと進学し、フルタイムで務めていたそうで、仕事を辞めてからも習い事が講じて師匠の資格を取るなど、人生を謳歌していた方でした。
そういう意味では、彼女もチャレンジ精神あふれる方だったのではと思います。
良きにつけ悪しきにつけ人生を愉しんでいた女性でしたので、私の中にもそんな血が流れているのは確か。
人生は愉しまなくちゃ、もったいないですものね。
ウェンディ
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