2009/03/15 - 2009/03/15
8位(同エリア765件中)
ウェンディさん
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2009年3月にペルーを旅しました。
64歳の母と一緒の旅。
心配していた強行軍のナスカの旅は、難なくクリア。
母との旅は順調かと思われましたが、旅の3日目のクスコの地で、高山病の症状が顔を覗かせました。
高山病は、標高2500mを超える地域で発症することがある病気で、3000m以上の高さに急に登った時などに発症しやすいとされています。
今回訪れたペルー・クスコは都市部で標高約3000m、郊外にあるタンボマチャイ遺跡では標高約3800mにもなります。
高山病は、症状が悪化すると肺水腫・脳浮腫をおこし、死に至る可能性のある病気。
決して高山病を甘く見ていたわけではありませんが、山登りをそこそこする母なら多分大丈夫だろう。と思っていました。
しかし、クスコの地で旅行者を待ち構えていた高山病は、私達を見逃してはくれませんでした。
幸いにも母は眼の持病があったため、日本の眼科医より高山病予防薬とされるAcetazolamideアセタゾラミド(商品名 Diamoxダイアモックス)を処方してもらえた為、重症化はせず大事には至りませんでしたが、高山病、甘く見てはいけません。
クスコに到着早々、高山病を発症!
でも、高山病になんか負けずにクスコの街歩き・遺跡めぐりを楽しんだ日の旅日記です。
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Prologue:ナスカの大地にピラミッド!
http://4travel.jp/travelogue/10788969
高山病に負けるな!五感で味わうクスコ
http://4travel.jp/travelogue/10790450
64歳だって歩けます!インカ道1日トレッキング
http://4travel.jp/travelogue/10325316
ワイナピチュ登山とインカ橋
http://4travel.jp/travelogue/10326803
空中都市マチュピチュ 〜歩いて・歩いて・歩き回る〜
http://4travel.jp/travelogue/10792436
Epilogue:聖なる谷を巡り、インカの精神Andinaに出会う
http://4travel.jp/travelogue/10329592
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- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
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-
イチオシ
クスコへのフライトの日。
リマ朝6:00発のフライト(LAN PERU)で、クスコへと向かいます。
この日の起床は3:00。
ホテルにピックアップのクルマが来たのは3:45。
朝食付きのホテルでしたが、朝食は泣く泣くあきらめました。
クスコへ向かう飛行機の中で、夜が明け初め、遠くに雪を冠ったアンデスの峰が見えました。
こんな風景を目にすると、憧れのアンデスにやっと来ることができた!と感慨も深くなります。 -
飛行機の前の谷に赤茶けた街が見えてきました。
クスコです。
マチュピチュへのゲートシティとなるクスコ。
征服者であるピサロを黄金の亡者へと変えてしまったクスコ。
クスコへの期待で、胸がドキドキです。
クスコへの飛行機、実は、日に何便もあります。
どうしてLAN PERUのこんなに朝早い便に搭乗したのか。それには理由があります。
クスコはアンデスの谷の間に作られたすり鉢状の都市。
クスコを取り囲むアンデスの山々の標高は4000mを超え、クスコはその中の盆地の様な場所です。
山と云えば、霧。
このクスコでは、山に囲まれているため、飛行機の離発着にはレーダーでの誘導が難しく、有視界で管制を行っています。
だから、一度濃霧が発生してしまうと、クスコへの到着・クスコからの出発便は遅延・キャンセルとなってしまうのです。
全便がキャンセルとなる日は少ないようですが、霧による遅延は比較的多く発生するため、遅延が起きても一番最初に出発する早朝便を選びました。
そして、航空会社も便数が一番多いLANPERUを選択。
もっと運賃が安い航空会社もありましたが、国内線を多く飛ばしているLAN PERUならば、いざという時の機体の手配も早いだろう。と考えたからです。
(と、さも自分が飛行機を選んだかの様ですが、ペルー国内手配をお願いした西河ツアーズさんに教えていただきました。) -
クスコへは1時間30分のフライトで、7:30に到着しました。
空港ピックアップのお兄さんの車に乗り、ホテルへと向かいます。
クルマの窓からは、赤茶けた煉瓦でつくられたクスコの町。
ワンちゃんまでなんだか赤茶けている??
それは、ワンコの躰に着いた赤土のせいですね。 -
朝日がクスコの町を優しく照らし出します。
こんな風景を見せられたら、テンションは上がりまくりです。
そして、ホテル San Agustin Internationalに到着し、お部屋の準備ができるのを待つ間、ロビーでコカ茶を飲みながら、明日からの日程(マチュピチュへのトレッキングの注意事項等)について旅行会社の方から話を聞きます。
この時に、私と母の顔色について彼から指摘を受けました。
「唇が真っ青で、顔色が非常に悪いです。息苦しさや心臓の苦しさ、頭痛はありませんか。」と。
そして、「もし体調が悪い場合は無理せずに、でも絶対にベットで眠らないで。眠ると高山病の進行が一気に進みます。できればゆっくり街歩きでもして、新鮮な空気を吸い体をゆっくりと動かして。水分もいつもよりも多めにとるように。」とも言われました。
私も母もその時は、全く自覚症状がなかったので、大丈夫です。と答えましたが、お部屋に行き、鏡を見てびっくり。
まるで病人の様な青白い顔色。
しまった!と思い、母は持参した高山病予防薬を飲みました。
そして、私も気休めに頭痛薬のEVEを服用。
帰国してから知ったことですが、高山病予防薬は、できれば高山に入る6時間前位から服用するのが効果的だそうです。
私達の日程であれば、今朝の起床時に飲み始めていればベストだったのですね。 -
イチオシ
朝食も食べていなかったのに、あまり空腹感を感じなかった私達。
朝のお散歩として、クスコの町へ繰り出すことにしました。
実は、この空腹感を感じないというのも高山病の症状の一つですが、私達は全く気が付かずお散歩に出かけてしまいました。
ホテルは、クスコの中央広場であるアルマス広場へも徒歩5分と非常に良い立地で、ホテルからアルマス広場への道にはインカの石組みのある道であるLoreto(ロレト)通りがあります。
ロレト通りは、クスコでも一番長いインカの石組みが残る通りで、この通りに足を踏み入れた瞬間、目の前に広がるカミソリ1枚も通らないと云われる石組み。
本当にその通り。
朝の柔らかい光が照らしだすインカの石組み、美しい光景でした。 -
ロレト通りからアルマス広場にでる角にあったのが、写真のIgresia de la Compania de Jesus(ラ・コンパニア・デ・ヘスス)教会。
クスコの町には教会が沢山。
日本語で、教会と云ってしまうと一括りですが、キリスト教の方から見れば、それぞれ違いがあります。
このラ・コンパニア・デ・ヘスス教会は、スペイン語表記(Jesus)からも分かるようにイエズス会系の教会で、クスコで最も優美な教会とされています。
スペインによる統治後、キリスト教がこの地にやってきてインカの民に改宗をせまり、そのための施設として教会を建築しましたが、同じキリスト教でも宗派間の勢力争いがあり、そのために宗派ごとの教会が中心地には建設されたということです。ラ コンパニーア デ へスス教会 寺院・教会
-
アルマス広場を散歩していたら、教会の鐘の音。
見上げたら大きな鐘がある、教会。
でも、ガラン・ゴロンと鳴っているのはこの鐘ではありませんでした。
鐘楼が美しいこの教会の名前はIgresia y Convento La Merced(メルセー)教会です。ラ メルセー教会 修道院 寺院・教会
-
イチオシ
教会が続きますが、この写真は、クスコで最大の教会であるCatedral(カテドラル)。
その昔、インカの民を強制的にキリスト教に改宗させるために建てられた教会で、もともとこの地に立っていたのは、インカの民の神であるピラコチャのための神殿。征服者たちは、そのピラコチャ神殿を破壊しその上にキリスト教の教会を建て、彼らにキリスト教への改宗を迫りました。
現代でも同様ですが、人間、宗教という御旗があればどんなことでもやらかしてしまう。
当時の宣教師たちは、これがインカの民衆のためと信じていたのでしょうけれども…。
教会の前の階段にひとり、ぽつんと座るAndinaの青年。
この時の私の想いを表しているかのように見えました。クスコ大聖堂 寺院・教会
-
このカテドラルで興味深いのは、インカの民に似せられて作られた褐色の肌色のマリア像と最後の晩餐の絵。
この最後の晩餐は、スペイン人とインカ人との間に生まれた子であるメスティソ画家Marcos Zapataが描いたとされていて、着目点は、晩餐のプレートに乗っている御馳走がクイと云われる大きなネズミであること。
このクイ、クスコの様な山間部では大切な栄養源。昔から各家庭にはクイを飼育する小部屋があり、蛋白源として重宝されてきたと云われています。
勿論、今でもクイは貴重な蛋白源であることには変わりなく、夕方になると街角の屋台にはクイの丸焼きを調理する香ばしい香り。
これは、クスコならではの匂いですね。 -
学校がありました。
子供たちが通学していきます。
ここでは、親が付き添って通学する子供が多かったようです。 -
クスコの町歩きは、まだまだ続きます。
1500年代の征服当時、スペインからやってきた人々はインカの建物を壊し、古いインカの石組みはそのまま残し、その上に当時の西洋の最先端の技術を用いた家を建てました。しかしそれらの西洋式の建物は1650年の大地震で全て崩壊し、クスコに残ったのはインカ時代につくられたこのインカの石組みだけだったということです。
そして、現代になっても、このインカの石組は未だに現役で家の基礎を固めています。 -
この写真の中央の石は有名な12角の石(石の角が12角)です。
接着剤を用いずに、切り出した石を組み合わせて作られたこの石垣、見事です。
石の継ぎ目の何処を見ても、隙間は感じられません。
12角の石、12という数字には月数を表したもの、神聖なるインカの王を表したものと諸説あるようですが、私の考えは、職人さんたちの遊び心。
もし、私が石組職人だったとしていたら、いつも四角の石組みではつまらない。
ちょっと複雑なものにも挑戦したくなってしまう。それもほかの職人がやらないような複雑な物。
遊び心説の根拠は、この12角の石の周りの石垣には沢山あった8角・10角の石。
きっと、この12角の石を組んだ職人さん、チャレンジ精神にあふれていたのではないかな。12角の石 旧市街・古い町並み
-
12角の石の近くにある14角の石がこの写真。
周りにある他の石のほとんどが四角形。
なのに、この部分だけが14角。
職人さんが自分の腕を証明するために遊んだとしか思えないでしょ。 -
実は、この14角の石の大きさはそんなに大きくなく、手のひら二つ分位。
14角の石があるのは、写真の門を取り囲む石垣の中。
14角の石は小さめなので、ぼうっと歩いていたら見落としてしまいそうです。
探しに行く方は、この門(高さが2m位)を覚えておいてくださいね。
そして、この門の形に着目!
インカの遺跡では、二重門、三重門となっている門が沢山。
インカだけでなく、古代遺跡の聖なる場所を表す扉には、この様に多重門となっていることが多く、エジプトのピラミッドの中にあるファラオの魂が通過するという偽扉も、やはり多重門構造。
日本の鳥居だって、多重構造の場所が沢山。
人間のDNAの中には、神が通過する門=多重構造という意識が埋め込まれているのかもしれません。 -
インカの石垣を眺めていて不思議に思ったことが何個かありました。
その一つが、この写真。
石垣のところどころの石の下部には、二つの突起や二つのへこみ。
何のためにこの凸凹を石垣用の石に刻んだのか、その理由が私には、思いつきませんでした。
帰国してからも、少し調べてみましたが、この凸凹の理由について書いてある文献等には行きあたらず、未だに未解決です。
どなたか、インカの石垣のこの凸凹の利用方法・作製理由等ご存知の方がいらしたら、教えてください! -
そして、次の不思議はこの穴。
石垣に開いていた二つの穴。穴は石垣の裏まで貫通していたと思います。
私だったら、家畜等を繋ぐために使うかな。と思いますが、こちらも本当の利用目的はなんなのでしょう。
こういう時、ガイドさんが同行していないと疑問点ばかり増えてしまい、頭の中が???で一杯になってしまいます。 -
クスコの町はすり鉢状。
だから、アルマス広場から少し離れると、山肌に向かって緩やかな坂道になります。
そんな坂道を登って・下って、人々の生活風景を見て回ります。 -
たまに写真に収めることの出来ない程の急坂もあり、なかなか街歩きも良い運動です。
-
クスコの町歩きを約2時間楽しみ、出発点のアルマス広場に戻ってきました。
-
まだ11時前なので、アルマス広場には観光客よりも地元の人が沢山。
皆さん、ベンチに座り、寛いでいます。アルマス広場 (クスコ) 広場・公園
-
朝ご飯がまだだったので、見つけたマクドナルドで朝食にしようかと思いましたが、母から告白が…。
少し前から頭痛がしてきて、体もなんだかだるく、熱っぽい。
高山病の症状が出てきたようです。 -
マクドナルドでの朝食はあきらめて、ホテルに戻ることにします。
でも、せっかくなので朝マックの価格調査。
エッグマフィン・セットが6ソル、ベーコーンエッグマフィン・セットが7ソル。
当時は1ソル=33円でしたので、約200円と230円です。 -
朝一番に通ったインカの石垣が美しいロレト通りを、朝とは逆にホテルに向かって歩きます。
実はこの時、私の頭の中には、小さな鐘がチリチリと鳴る様な偏頭痛にも似た痛みがありました。
高山病の魔の手は、私をも見逃してはくれませんでした。 -
この写真、写真左がインカのカミソリの刃1枚だって入らない石組み。
そして、右は後世に作られた接着剤であるセメントで固められた石組み。
どちらが美しいかと云ったら、勿論インカの石組み。
見ていると、すがすがしい気分になる程きっちりと組まれています。 -
ホテルまでの帰り道の途中、インカの石垣の切れ間に小さな扉を発見。
今朝は閉まっていましたが、今は開いています。
門をくぐると、そこは中庭の様な四角いスペースにお土産屋さんが4,5件並んでいました。
そして、店番のニャンコが私達をお出迎え。
高山病の症状が出ているというのに、母と私は、インカ文明特有の模様の布製品に目が釘付け。
ついつい30分近くをこの中庭のお店で過ごしてしまいました。
勿論、素敵な布製品を何点かお買い上げ。
お散歩の終わりに可愛い布製品を購入できて大満足です。
そしてその後ホテルに戻り、ロビーでコカ茶をもらい、お部屋でゆっくりと休憩しました。
この日の午後は、14:00からクスコ郊外の遺跡に行くグループツアーに参加を申し込んでいるので、なんとかそこまでには体調を戻しておかなくてはいけません。 -
ホテルでゆっくりと休んだ私達、何となく食欲も出てきてので、持参していたお煎餅を食事代わりとしました。
高山病予防薬が効いてきたのか、母の高山病の症状もそれ以上は悪くならなかったので、再度、薬を服用し13:40にグループツアーの集合場所に向かいます。
集合場所は、朝、物憂げな青年が座っていたカテドラルの石段。
そんなところで、きちんとツアーに合流できるか心配でしたが、ペルー人のガイドさんが、私達を見つけてくれました。
お昼すぎに訪れたカテドラルの前の広場は、まるでアンデスの民の社交場。
土産物のお店を広げる人、編み物をする人、民族衣装を着てリャマと一緒にお声がかかるのを待っている人。様々な人がいますが、みなさん楽しげに隣に座っている人と話をしていました。
此処、カテドラルから午後の遺跡めぐりがスタートします。
まずはカセイドラルの中を静かに拝見します。
礼拝堂の中にはお祈りをされている方もいるので、ガイドさんも小さな声で、でも、詳しく説明してくれました。 -
続いて、カセイドラルの前から歩いて10分の処にあるコリカンチャに向かいます。
コリカンチャとはアンデスの言葉ケチュア語で太陽の神殿を意味し、インカ時代、この太陽の神殿には黄金色に輝く金の畑があり、金で作られた祭壇もあったと云われています。
しかしそれらの金の彫像は全て、黄金に目がくらんだ征服者たちによって溶かされ、スペインに輸送されてしまいました。
そして、太陽の神殿部分は壊され、残されたインカの石組みの上に布教のためのIglesia de Santo Domingo(サントドミンゴ教会)が建てられました。
写真はインカの石組みと現在の教会の様子です。
インカの石組みの緻密さと後から作られた教会の建築の違いが、よくわかります。サント ドミンゴ教会(コリカンチャ/ 太陽の神殿) 寺院・教会
-
現在のコリカンチャの中庭(写真)は、コロニアルな雰囲気ですが、インカ文明の全盛期、インカ王が眺めていたのはどんな庭だったのでしょうか。
-
コリカンチャの石組みに小さな石を発見。
写真の黒くなっている部分が、その石。
大きさは親指の爪位。
観光客が面白がって触るので、小さな石とその周りは黒く光っていました。 -
現在のサントドミンゴ教会(旧コリカンチャ)の全体を、道路の反対側から眺めた写真です。
インカの石組み部分、その後16世紀以降に建てられた教会部分、そして近年、発掘を再開し修復を始めた部分が分かります。
それにしても、クスコの天気は、めまぐるしく変わります。
朝は晴天でしたが、お昼頃は雨が降り出しそうな曇天、そしてまた青空。
山岳気候、そのままです。 -
少し歩いてから大型の観光バスに乗り、クスコ郊外の遺跡へと向かいます。
最初に訪れたのは、サクサイワマンの遺跡で、スペイン人の侵略に対し反旗を翻したインカの王が砦とし陣を張った場所と云われている場所です。
写真の3段からなる石垣、1個の石が1m四方以上の大きさです。この石垣一段ずつがインカの世界観である天界・地階・冥界であり、それぞれのシンボルであるコンドル・ピューマ・蛇が治める世界を表しています。
また、インカ時代のクスコ市は地界のシンボルであるピューマを形どって町を形成されたとされていて、この巨石遺跡のあるサクサイワマンはピューマの頭に当たるとも言われています。 -
イチオシ
サクサイワマンの砦の上には、登ることができます。
ただし、ツアーのガイドさんから一言、注意が入りました。
「今、息苦しかったり体調が思わしくない方は登らないでください。過去に心臓疾患で亡くなられた方がいます」と。
母に、どうするか尋ねたところ、遺跡の下で待っているという返事。
やはり、まだ体調が戻っていないようです。
私は、まだ頭痛があるものの食事後に飲んだ頭痛薬が効いてきたのか、かなり楽になっています。
なので、母のことがちょっと心配でしたが、一人で登ってみることにしました。
登る時間は10分位と短いですが結構な急登でしたので、母は登らなくて正解でした。
そして、写真がサクサイワマンの砦から見えたクスコの街(写真)。
赤茶けた街・煉瓦色の街クスコが一望できます。サクサイワマン 史跡・遺跡
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反対側の山に目を向けると、山肌には有名なVIVA EL PERUの文字。
これを目にして、クスコに来たのだな。と改めて実感しました。 -
次に向かったのは、タンボマチャイの遺跡。
この遺跡には若さを保つという聖なる泉があります。
このタンボマチャイ遺跡より上には高い山は無く、コンコンと湧き出る聖なる泉の水源は現代になってもわかっていません。
インカ時代、インカの王はこの聖なる泉で沐浴し、若さを保っていたそうです。
タンボマチャイの遺跡があるこの地の標高は3800m。バスの中では携帯酸素ボンベを吸っている方もいて、なんだか半数位の人が、元気がありません。
タンボマチャイの聖なる泉にはバスの駐車場から15分ほど標高を上げる方向に歩かなければ行くことができません。つまり、登り道です。
ガイドさんからは先ほどの遺跡と同じ説明があり、年配の方はバスの中で待機することにした方が多かったです。
母はと云うと、「行く」という返事。
母と一緒に上り坂をゆっくり歩きます。
そして、無事に聖なる泉に到着。
泉では、水をポリタンクに汲む地元の方や、水を帽子に汲み更にその水を体のあちこちに付けお祈りをする観光客、流れ出る泉の水をごくごくと飲む人。皆さん、それぞれの手法で聖なる泉を堪能していました。
私と母は、取りあえず泉の水で手を洗い、ついでに汗をかいた顔も洗い、すっきり。タンボマチャイ 史跡・遺跡
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時刻は午後5時半。
太陽高度もかなり低くなり、山肌を柔らかく染め上げます。
写真は、赤い遺跡・プカプカラです。
インカ時代にはここに要塞があり、タンボマチャイで沐浴するインカ王を狙う輩がいないか見張っていた。
そんな歴史のある場所ですが、今、残っているのは赤い壁だけでした。プカ プカラ 史跡・遺跡
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この日、最後に訪れたのはケンコー遺跡(写真)。
インカ時代の占いの場とされていて、生贄の血を流しその血の流れ方により吉兆を占ったと云われています。
遺跡の中にはミイラを作るために使われた石の台もありました。ケンコー モニュメント・記念碑
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そして午後7時に、集合場所であったアルマス広場(写真)に戻り、ツアー解散です。
午前中のクスコの街散策、そして午後からのインカ時代の遺跡めぐり。
現在も生活の一部として人々に使われているインカの石組みと、もう生活からは離れた存在となってしまったインカの石組み。
今までは知識としてでしか知らなかったクスコの今と昔を、自分の目で確認し、触感で感じ、そしてその空気の匂いとして感じました。
高山病を甘く見ていたことで多少症状が出てしまいましたが、薬のお蔭で、この日の夕食は美味しく食べることが出来ました。
明日は、この旅の一番の目的、マチュピチュ遺跡へのインカ古道1日トレッキング、朝一番のバックパッカー列車で出発です。
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この旅行記へのコメント (12)
-
- tomvoさん 2013/07/15 08:25:48
- ゆっくり読ませていただきました。
- すばらしい旅行記です。
拝見していて、まるでベテランの案内人の説明を聞いているようデジックリと読ませていただきました。
過去にあまり高山病の注意、あるいは罹った感じなどありませんでしたが、ヨーク分かりました。
冠動脈にステントが入っている私はマチュピツに行きたいのを抑えていましたが、これですっかり諦めがつきました。
ハワイ島のキラウエア火山も登らなくて正解でしたね。
ありがとうございました。
- ウェンディさん からの返信 2013/07/15 10:15:07
- RE: ゆっくり読ませていただきました。
- tonboさん こんにちは。
コメントありがとうございます。
クスコでの高山病(山酔い)は、通常の場合、酸素吸入をして1日くらいユックリ高度順応すれば、大事に至らないことが多いようです。
旅行記の序文で怖さをあおる様な表現をしてしまい、ゴメンナサイ。
ただ、もう少し高度が高い(ボリビア・ラパスの様に4000m以上)場合、本当に重症化する傾向多いので、予防薬を事前に服用する等の注意が必要だそうです。
tonboさんのイグアスの旅行記を拝見しました。
あの大瀑布のすぐそばまで、私も行ってみたいです。
ブラジルは、パンタナールを含め、行きたいところが沢山あるのですが、ポルトガル語と云うのが敷居の高いところ。
日本からのツアーだと好きな場所でゆっくりできないので、行くのならば、じっくり腰を落ち着けられる個人旅行(といってもサラリーマンですので旅の期間は9日間しかないのが悲しいところです)。
tonboさんのイグアスの素敵な写真を見てしまうと、優先順位がグンと上がってしまいます。
また、他の旅行記にもお邪魔させてくださいね。
ウェンディ
-
- aoitomoさん 2013/07/07 23:40:40
- 五感で味わえてラッキー?!
- ウェンディさん
旅行記のタイトルみて吹き出しました〜
「五感で味わう」って、味わわなくていいものまで味わったのですね〜
クスコでは、高山病になりかけても不思議じゃない標高ですからね。
お母さんがアセタゾラミドを上手に処方してもらえたのはウェンディさんの入れ知恵であることが濃厚に疑われますね〜
しかし、何はともあれ薬持っててよかったですね。
アセタゾラミドが高山病予防にいいというのは知りませんでした。
薬理作用を考えれば頷けますが、高山病予防の効能は記載されていないので簡単には処方してもらえませんし、ウェンディさんよく知ってましたね。
さすが登山一家です。
インカの石組クイズは色々楽しめそうですね。
高地独得の澄んだ景色やクスコの街並み、高山病の症状にヒヤヒヤしながらも楽しめました。
aoitomo
- ウェンディさん からの返信 2013/07/08 07:15:26
- RE: 五感で味わえてラッキー?!
- aoitomoさん おはようございます。
旅行記タイトルの五感の意味、言いたかったところまで分かっていただきありがとうございます♪ クスコにはマチュピチュの前後泊を含め3泊しましたが、酸いも甘いもありました。
さて、今回の旅で母が日本から持参した高山病予防薬ダイアモックスですが、決して高山病の万能薬ではありません。あくまでもこの薬が対処できるのは山酔いと云われる初期の高山病だけです。また、胃を荒らす成分が入っていますので胃の保護剤とカリウム(K)も一緒に服用します。更に利尿作用もあります。旅行記には書いてありませんが、ダイアモックス服用中は低K血症を防ぐために、母は、おやつにはバナナ(Kが豊富)を、そして水分もいつもより多めに摂取するようにしていました。
今回の旅では日本から持参したこのお薬ですが、クスコの薬局でも購入可能です。現地での商品名はソローチェピル(Sorojchi pill)。私はペルーでは日本から持参した頭痛薬で乗り切りましたが、ボリビアの時は4000mでしたので、現地到着1時間後にはこの薬を薬局で買い、服用しました。服用時の注意事項は、ダイアモックスの場合と同じです。
aoitomoさんが南米の高山地帯にお出かけの際は、現地で購入できる Sorojchi pill の名前、覚えておいてくださいね。
ウェンディ
-
- 鼻毛マンさん 2013/07/07 15:58:25
- クスコには僕もたいへん思い入れがあります
- ウェンディさん、こんにちは!
僕が初めてウェンディさんの旅行記を拝見したのがインカ道。
そう言われてみれば、マチュピチュにいったのにクスコの旅行記が無いのがちょっと不思議だった思いがありましたが、やっぱりあったのですね。旅行記。
僕もクスコには特に思い入れがあります。
リマから飛行機移動して降り立ったら、ここがペルーとは思えないほど安全そうな街なみ。
こんな高地なのに街を走り回っている不思議な日経の記者。
そして、クスコの石組みの隙間を見つけて、紙を挟んでは写真を撮っているいすゞ自動車のエンジニア。
観光地として素晴らしい地だけに、そこを訪れる人々も変り者が多かったなぁと、今では懐かしい思い出です。
僕はそんな変り者の中、数少ない常識人として吐き溜めに鶴の状態でした。
さーて、ウェンディさんは他の旅行者からどんなふうに見られていたのでしょう。
石の凹凸、設計者の視点で見ると、あれは石と石を組み合わせるときのオスとメスなのではないのでしょうか。
写真で見る限りですが、凹んでいる石だけでなく、凹んでいる石もあるので、重ねた上下や左右でずれないようにしているのかなぁと感じました。
あくまでインスピレーションですが。
朝06:00にマチュピチュに行く列車から見たクスコの風景。
真っ暗な駅を出た列車はスイッチパックしながら登る。
登っている最中に徐々に太陽が登ってくる。
霞がかった赤茶けたクスコの街をオレンジ色の太陽の光が暖かく照らしてゆく。
僕がこの世の中でもっとも美しいと感じたシーンです。
そんなシーンを僕も母に見せてあげたいけど、ちょっと無理かなぁと思ってます。
それでは、次の旅行記楽しみに待っています。
- ウェンディさん からの返信 2013/07/07 19:43:08
- RE: クスコには僕もたいへん思い入れがあります
- 鼻毛マンさん こんにちは。
クスコは私が今まで訪れた中で、一番のお気に入りの街です。
何処が?なぜ?と聞かれてしまうと、その答えを明確には云うことができません。
人々の生活の息吹、街に漂う空気、人々の優しさ…。
その答えを探しだすのは難しい…、クスコが好きだから、好き♪なのです。
大好きな街だから、お気に入りの街だから、いつかクスコの旅行記を書こうとは考えていましたが、のんびり構えていたら、あの旅からもう4年。
これ以上引っ張ると、私の記憶の引き出しの何処に収納したのかわからなくなりそうでしたので、記憶の一葉、一葉を記憶の棚から取り出し、クスコの旅日記として紡ぎました。
旅行記から、私のクスコに対する想い、読み手の方に伝わったでしょうか。
インカの石垣の石の凹凸、確かに運搬の時、オス・メスをかみ合わせれば、運搬時にコロを用いて運んだとしても、途中で上に重ねてある石が転げ落ちることもありませんね。
想像ですが、石垣の内側で石と石が接している面、この面の石の表面に凹凸が作られていて隣り合う石同士がガッチリと噛み合わさるようになっているのならば、1650年の大地震の時も石同士にズレが起こりにくくなり、征服者達が建てたコロニアルな建築物は壊れてもインカの石組みは崩れなれなかったという事実を説明できますね。
さて、ペルーを旅行していた時の私、周りの方からどのように見られていたのでしょうか。今はボリビアに一人で行ったり日常には役に立たない言語を喜んで学習したりと、親からも周りからも、変わっているね。と言われています。ペルー旅行は4年前ですので、そんなに昔ではありません。ですから、きっと現在と同じく「天水桶に竜」?? と云われていたのかもしれません。
朝、クスコの駅を発車し、マチュピチュに行くバックパッカー号の車窓から見たすり鉢状のクスコの街、柔らかな朝の光が照らしだす煉瓦色の街クスコ。感動的でしたね。
2年ほど前に、もうバックパッカー号はクスコの街からは発車せずに、あの朝の景色を見ることが出来なくなったという情報を耳にしました。
もし、それが真実だとしたらとっても残念です。
ひなびた列車であるバックパッカー号。あの窓から見るからこそ価値のある景色だったのではないか。と思います。
-
- きなこさん 2013/07/07 10:13:24
- インカ帝国
- おはようございます
いつもながらウエンディさんの旅行記は時間を忘れて入り込んでしまいます
先日行ったインカ帝国展 まだ記憶に新しいので頭の中で交差します
インカ帝国で得た情報とウェンディさんのコメント、う〜〜ん つい唸っている自分です。
あの石垣の凸凹気になりますね
解決されましたか?
これは関係ないかも知れませんが 大阪城の石垣はの石は各々どの藩からのものか分かる様に藩のマーキングがされていて、何ヶ所か歪な所がありソレは石を切るときにノミみたいなのを入れた跡だと聞きました。
高山病はジワジワと忍び寄って来る怖いものなんですね
でも大事に至らなくて良かったです(^^)
朝から素敵な時間を過ごせました 有難うございます
きなこ
山肌を柔らかく染め上げます・・・・なんて素敵な言葉!
- ウェンディさん からの返信 2013/07/07 10:50:43
- RE: インカ帝国
- きなこさん こんにちは。
私も、インカ帝国展(上野)へ行ってきました。行ったのが昨年のGWの狭間の平日だったので激混みでしたが、人をかき分けて展示物とじっくりとお話しをしてきました。
インカの石垣の凹凸の謎、トラベラー讃岐おばさんから“点字表記”というアイディアをもらいました。あり得ますね。
そして、きなこさんの大阪城の石垣同様のマーキング説。これも、なるほど!です。インカ帝国時代、クスコの石垣を作る時に、各村から村人が徴収されていた筈です。その時に自分たちが切り出した石に村を示すマーキング。十分にあり得ます。
インカ時代、帝国政府は文字ではなくキープ(結び目のついた紐:インカ帝国展にもありましたね)で、各村からの税収を管理していたそうです。きっと切り出した石も税の一部として皇帝に献上されていたのでしょうから、どこの村からの石かというのは重要な情報になるはず。
私一人では思いつかなかった情報やアイディア、集まってきて嬉しいです。
ウェンディ
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- pedaruさん 2013/07/07 08:14:30
- クスコ
- ウェンディさん お早うございます。
高山病とは恐ろしい病気なんですね。なぜならせっかくの観光を台無しにするからです。(それが理由かよっ)
迫り来る高山病の予感、ドキドキしますよ、ウェンディさんの記述には・・・
ウェンディさん 私は感動しました。この旅に? 何よりもまず、旅行記の作成の姿勢というか、取り組み方の真面目さに・・です。説明が丁寧で手を抜かない書き方です。私はじっくり読ませて頂きました。石組みに寄せる思い、疑問、そして、征服された人々の気持ちを感じさせる文章でした。普段目にしない光景もたくさん見せて戴きました。
次の旅行記も楽しみです。
pedaru
- ウェンディさん からの返信 2013/07/07 10:26:17
- RE: クスコ
- pedaruさん こんにちは。
旅行記を読んでいただいて、ありがとうございます。
私の旅行記ですが、作成後に読み返していつも思うのが、情報量(文章量)大過ぎ!
もっと、簡潔にスパッとまとめたいのですが、旅先で得た情報・私がそこで感じたこと等を色々と書きたくって、ついつい写真1枚に対する文章が長くなってしまいます。
pedaruさんのトルコ・パムッカレの旅行記、楽しく読みました。ヘルスセンターと化した遺跡プールの描写、読んでいて思わずクスッと笑いがこみあげてきました。
この描写だけで、この景色、見て見たくなりました。
2009年のペルー旅行記、残すのはマチュピチュ遺跡です。
出来上がったころに、また遊びにいらしてくださいね。
ウェンディ
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- 讃岐おばさんさん 2013/07/07 08:06:13
- 素晴らしい石組み!
- おはようございます。
高山病の症状、私は乗鞍の剣ヶ峰へ登った時と、中国に黄龍へ行った時に出ました。
いずれも下山中から胸がムカムカ、吐き気などでした。
苦しいですよね、お母様は本当によく頑張りましたね。
でも、この素晴らしいクスコを歩くには避けて通れない道なんですね。
石組みの謎、面白いですね。
穴が開いているのは排水の為かなと思いましたが、雨はそんなに降らないかな?
突起したのは、目の見えない人の為かな、な〜んて、いろいろ想像するのも楽しいですね。
教会の建物も本当に素晴らしい!
- ウェンディさん からの返信 2013/07/07 10:05:40
- RE: 素晴らしい石組み!
- 讃岐おばさん こんにちは。
コメントをありがとうございます。
黄龍の旅行記を拝見しました。棚田の水の色、なんとも神秘的!です。
あの景色、私も軽度の高山病で済むならば見に行きたいです。
でも、高山病の症状は人それぞれで、3000mのクスコでも高山病が重症化し、即刻低地への移動を医師より命じられる旅行者もいると聞きました。
海外への旅の時は、ついつい無理をしてギュウギュウに予定を詰め込んでしまいがちですが、そんな時が一番危ない気がします。高山地域を旅するときは、余裕をもった日程が大切ですね。
インカの石組みの不思議、きっと私以外にも不思議に思い、解を思いついたトラベラーの方がいるかも。と思い、旅行記に載せてみました。
石垣の石に刻まれた凹凸のデザイン→点字ブロック!そうですね。いい考えです!日本でも駅の手すり等に方向(行先)を表す点字標識が確かにありますね。インカの点字ブロック、点字で何が書いてあったのかな?きっと彼らの生活に密着することでしょうね。
そして、石組みの穴→排水穴。実はこのアイディア、私も考えました。クスコは、そこそこ雨も降るので、このアイディア悪くないのです。でも難点があって、壁に向こうが覗ける穴を開けて、そこから排水するメリットはなんだろう?…そこで、排水穴案は、私の中で思考停止。当時のインカの人の生活に想いを馳せてましたが、なかなかピンとくるアイディアは出てきません。
また、いいアイディアが浮かんだら是非教えてくださいね。
ウェンディ
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