2018/04/29 - 2018/05/05
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ウズベキスタンのある中央アジア。
かつて、この辺りはシルクロードの中継地であり、多くの民族が出会い、別れを告げる交易都市でした。
駱駝に荷を積んだ隊商が何千・何万と行き交い、その中には旅の途中で愛する者と出会い、この地に根を下ろした人たちもいました。
だから、現在のウズベキスタンは多民族国家。
ウズベキスタン人と括られながらも、その人種のルーツは実に多様です。
そのようなウズベキスタンですが、国の西、死にゆく海;アラル海のあるカザフスタンとの国境エリアはウズベキスタンの中でもかなり特殊。
カラカルパクスタン共和国と呼ばれるその地域では、その他の地域のウズベキスタン人とは顔つきも言葉も異なるカラカルパク人が暮らしています。
カラカルパクスタン共和国はウズベキスタンが内包する自治国家(州)で、その首都はヌクス。
カラカルパクスタン共和国には独自の憲法や国旗、国家がありますが、憲法に関してはウズベキスタン国家憲法の範囲内と制限されています。
町の人々はウズベキスタン語をほとんど話さず、カラカルパク語でした。
私自身も、ウズベキスタンについて調べ始めるまでカラカルパクスタン共和国という名の国家が存在することを露も知りませんでした。
だから、どんなところなのかと興味を持ち調べてみたら、知らないことがゾクゾク!
今でこそ、辺境とか不毛の地と言われるカラカルパクスタン共和国ですが、1000年~2000年前には高度な文明が栄えていて、古代文明の名残であるカラ遺跡(城壁遺跡)が砂漠の中に残されています。
ウズベキスタンはイスラム文化国だとばかり思っていましたが、其処にそれ以上に古い文化遺跡があるならば見て、感じてみたい。
そう考えた母と私はヒヴァでの滞在を2泊3日とし、その内の1日をカラカルパクスタン共和国の砂漠地帯にあるカラ巡りに当てることにしました。
カラ巡りには半日のお気軽王道コースと丸一日の辺境コースがあり、私たちのセレクトは、もちろんカラを1日楽しむ辺境コース。
今回の旅行記では、カラ巡りの半日(AM:辺境地域)を紹介します。
☆★ この世の果て〈地獄の門;Darvaza Gas Crater〉へ♪ 旅程 ☆★
□4/29 成田09:25-11:50仁川15:45-19:20タシケント(大韓航空)
□4/30 タシケント06:10-07:50ウルゲンチ(ウズベキスタン航空)
ウズベキスタン→徒歩で国境越え→トルクメニスタン
クフナ・ウルゲンチ遺跡→地獄の門へ(テント宿泊)
□5/1 地獄の門→国境越え→ヒヴァ
□5/2 ヒヴァ観光
■5/3 カラ巡り/カラカルパクスタン共和国
ウルゲンチ21:00-23:45タシケント(ウズベキスタン航空)
□5/4 タシケント観光
タシケント21:20-
□5/5 07:35仁川
10:00-15:00 ソウル・トランジットツアー
仁川17:40-20:00成田(大韓航空)
☆★ 2018 トルクメニスタン&ウズベキスタン旅行記☆★
【1】74歳の挑戦は中央アジアの北朝鮮!? http://4travel.jp/travelogue/11357817
【2】人生初のテント泊は地獄の淵で https://4travel.jp/travelogue/11361217
【3】独裁者政権の国って…? https://4travel.jp/travelogue/11368500
【4】ヒヴァで両替難民となる https://4travel.jp/travelogue/11384186
【5】ホレズム国で異文化交流 https://4travel.jp/travelogue/11578357
【6】潜入!カラカルパクスタン共和国 https://4travel.jp/travelogue/11579369
【7】地図にない“失われた砂の国” https://4travel.jp/travelogue/11668444
【8】タシケント別腹 バザール紀行 https://4travel.jp/travelogue/11669984
姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅☆
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
【姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅】
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- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
-
イチオシ
2018年5月3日の朝5時半。
母と私は早起きして、ヒヴァの早朝散歩。
ヒヴァの町は昨日1日を使ってくまなく見て回ったので、もう地図なしで十分に歩ける。 -
美人の水があるパフラヴァン・マフムド廟。
さすがにこの時間では、美人水を飲みに来ている方はいない。
私はこの日の朝は、汲みたての美人水で顔を洗ってみた。 -
朝6時を過ぎると、城壁越しの朝日が古都ヒヴァの中にも射しこんでくる。
-
イチオシ
時間によって異なる顔を見せてくれたカルタ・ミナルに会えるのもコレが最後。
お別れとなると、やっぱり名残惜しいよね。
オレンジ色の朝日がミナルのタイルを優しく照らしていた。 -
宿で朝食をいただいて宿代のお支払いをしたら、迎えの車に荷物を積み込む。
この日はウズベキスタン人の運転手付きの車を夕方までチャーターして、国境(州境)を超えて、カラカルパクスタン共和国へのドライブの日。
車の手配は宿Islambek Khiva(イスラムベック・ヒヴァ)の若主人に昨日の内に依頼しておいた。 -
Islambek Khivaでは空港送迎やブハラへの送りなどの車の手配代行をお願いできる(写真参照)。
料金表も決まっていて明瞭会計で、何よりも嬉しいのが、ネットでウズベキスタンの旅行代理店に英語で依頼するときの半額以下で手配できること。
カラ巡り辺境コースは代理店経由だと100US$以上が相場だが、宿では39US$で手配できた。
ただし、空港(駅)への出迎え以外は宿泊予定客が宿へと到着してから手配開始で、更に支払いにUS$は使えず現地通貨のウズベキスタン・スムで支払う。
参考情報として、2018年の手配代金を残しておく。
カラ巡り(辺境コース):39US$/1台
ウルゲンチ空港(駅)への送迎:5~10 US$/1台
トルクメニスタンとの国境シャワットへの送り:35US$/1台
ブハラへの送り:39US$/1台 -
私たちの宿の出発は7時40分。
宿の若主人にお支払いした金額の何割かを手にしたドライバーが向かったのは、ガス・ステーション。
この日の走行予定距離は260km。
カラカルパクスタン共和国へと入るとスタンドがあっても燃料の在庫が無いことが多く、ウズベキスタン内で車の燃料タンクは満たしておかなければならない。
今回の車の手配で、その手配料金が安いのにはそれなりの理由がある。
旅行会社手配と一番大きな違いは、ドライバーの英語が片言(日本の中1レベルよりも下)で、まず、複雑な意思疎通はできない。
だから、どうしても難しい話が必要な場合はドライバーのスマホから宿の若主人に電話をしてもらい、彼を介しての会話となる。
私たちを宿から送り出すときに、若主人は何かトラブったら遠慮無くドライバーの電話を借りて電話をしてね!と言ってはくれたが、言葉が通じないというのは、若干の不安要因だった。 -
私たちを乗せた車はウルゲンチの町を抜け、アムダリア川を越える。
アムダリア川の対岸は、もうカラカルパクスタン共和国。
一応、国境ラインはあるがパスポート・コントロールはなかった。 -
この日の、ヒヴァ発のカラ巡りの車の動きを地図に入れてみた。
ヒヴァから日帰りでアクセス可能なカラ(城壁遺跡)は7カ所あり、半日または1日で巡るコースが一般的だが、遺跡好きの方にお勧めなのは辺境地域を巡る1日コースだ。
半日コースはアヤズ・カラ、トプラク・カラ、キジル・カラの3カ所を巡る王道ルート。
1日コースでは、グルデュルス・カラ、コイクリルガン・カラ、ジャンバス・カラ、カルクケズ・カラの4カ所+半日コースの3カ所を巡る。
ランチを食べる場合は、アヤズ・カラ近くの湖の畔のユルタ食堂かボストンの町になる。
地図の中の赤いラインはウズベキスタンとカラカルパクスタン共和国のおおまかな国境。
赤い線(アムダリア川)より北側がカラカルパクスタン共和国だ。 -
ウズベキスタン側からアムダリア川を渡ってもしばらくは風景は変わらないのだが、ルーニーの町を過ぎたくらいから少しずつ道ばたの様子は寂れた風に変わり、土地もあまり豊かではない感じ。
土壌に塩分が多くて緑の野菜は育ち難いのかもしれない。 -
ヒヴァの町を出発して1時間半後の9時10分。
最初のカラ(城壁遺跡)であるグルデュルス・カラ(Gulgursun Kala)へと到着した。 -
カラカルパクスタン共和国のカラの情報は英語でもその情報量は少なく、日本語なんて数えるほどしかない。
私が旅の前に情報収集の参考にして現地に印刷して持参したのは、JICA青年海外協力隊の方が作っている“ヒヴァ・ホレズム観光情報発信局(ウズベキスタン)”のサイトで、このサイトには紀元前から続くカラの歴史が詳しく記されている。
参考サイト:http://www.visitkhiva.net/sightseeinginfo/visitkala/basicharf/
こちらのサイトが無かったら、カラに行ってもその背景が分からずに、ただの古い砂の遺跡としか思えなかったかもしれない。 -
カラは城壁であり、現代まで残っているのはその外壁のみ。
日干し煉瓦で作られた土壁は補修されなければ崩れるのみで、自然の崩壊に任されるままとなっている。 -
グルデュルス・カラの一部には昔の城門であった小部屋がまだ壊れずに残っていて、その内部へも自由に出入りできる。
-
イチオシ
遠目に見ると、ただの砂壁に見えるカラも遺跡の中に入ってしまうと迷路の様。
なんだかスターウォーズの砂の惑星の中を探検しているような感じだった。 -
現在、砂だらけの半砂漠化したように見えるグルデュルス・カラだが、昔は緑豊かな土地だったという話だ。
この地に古くから残る伝説によると、その昔、グルデュルスという美しい王女がいてグルデュルス王女が恋をしたのは敵対する国であるカルムイクの王子。
カルムイク軍は恋に盲目となった王女の手引きで城の城内へと侵入しこの町を占領したのだが、敵に寝返ったグルデュルス王女は、その後どうなったのか。
カルムイク国の王子は幼い王女の恋心を利用しただけ。
王子は母国を裏切るような王女は信用ならないと、王女を馬の尻尾にくくりつけ町中を引き回し、晒し者にした。
その時の王女の血が城壁や町に飛び散り、それ以来、この地は作物のとれない砂漠化した雑草しか育たない痩せた土地となってしまった。
伝説はそう伝えている。 -
グルデュルス・カラが全盛期だったのは12世紀頃で、その頃のコインが遺跡の中で発掘されている。
そして、13世紀に入る頃には町は廃れ、捨てられた。
伝説を信じるならば王女の悲しい物語が砂漠化を招いたのであろうが、実際にこの場所が痩せた土地となってしまったのは、川の流れの移動だろうと推測される。
川は100年単位で、ゆっくりとその流れの形を変えて移動する。
12世紀以前、グルデュルス・カラのすぐ側には豊かな流れの川があり(もしかして現在のアムダリア川かもしれない)、川から水路を引き、田畑にはたっぷりと水が行き渡っていた。
しかし、川は生き物でありその流れの形がいつしか代わり、12世紀の終わりに近づく頃にはグルデュルス・カラの近くに水場はなくなり、町は捨てられ、水場に近い別の場所に町が再建されたのだろう。 -
ヒトが捨ててしまった砂の城;グルデュルス・カラ
このまま砂漠化が進行すれば、現存する壁もいずれは砂へと変わり、崩れ去ってしまうのだろう。 -
でも、あと数百年その姿があり続けるならば、カラの存在は有意義なモノとなる。
ヒトが去ったあとの砂の城壁。
其処は、日陰となれば涼しい場所。
現在のグルデュルス・カラの住民は野鳥。
彼らは、壁の亀裂を利用した巣で、子育てをしていた。 -
次に訪れたのは、2つ目のコイクリルガン・カラ(Koykirolgan Kala)。
ここは珍しく、ちゃんと名前を記した看板があった。 -
コイクリルガン・カラは紀元前4世紀から紀元4世紀の800年間に渡り栄えた町の遺跡。
-
直径が45mの二重の城壁により護られた円形遺跡で、その外壁が円形を保っているのは現在でも分かる。
-
円形の内側には土壁で区切られた小部屋のような建築物が残っている。
この小部屋が作られたのが西暦400年頃だとしても今から1600年以上も昔の建物。
年簡に雨の降らない日が300日あるこのホレズム王国(太陽の王国)だからこそ、そのままの形を保ちながら残っているのだろう。 -
コイクリルガン・カラについては、研究が少しだけ進んでいて、タシケントにある歴史博物館でも取り上げられており、博物館にはその模型があった。
博物館の説明によると、二重壁の外壁に観測所がある天文台の様な施設であろうとのことだった。 -
そして、コイクリルガン・カラは陶器の製造場所でもあったらしい。
これらの陶器は、コイクリルガン・カラの砂の中から見つかったモノだが、年代を調べると天文台として建物が使われていた時代と陶器工場の時期は一致せずに、陶器の方がかなり後。
天文台として使われた後にしばらく放置され、その後、陶器工場として再スタートを切ったために800年という長い年月にわたり、建物が使われてきたということなのかもしれない。 -
現在残るコイクリルガン・カラの遺跡は二階建ての建物中心部がほとんど。
-
イチオシ
母にスケールとして立って貰ったが、彼女の身長と比較すると建物の壁の高さがそれなりに高いことを分かっていただけるだろうか。
傾斜が緩やかな斜面を伝い1階部分へ降りてみたが、日陰の部分はひんやりとして涼しい。
気温が30℃近いこの日でも、砂壁の中の体感は26℃程度かな。
もしかして、屋根をつければ現在でも居住利用可能かもしれない。 -
痩せた土地なので大振りの花が咲く雑草は少ないのだが、コイクリルガン・カラの周囲にはこの黄色い花が数多く咲いていた。
-
3つめのカラであるジャンバス・カラ(Jambas Kala)へと到着したのは10時半頃。
-
ジャンバス・カラは保存状態がかなり良好で、二階建ての外壁の城壁が一部は風化が進んでいるものの、城内を取り囲むように残っている。
-
ジャンバス・カラは長方形の形をした城で、特徴は二階建て城壁に縦に開けられた矢狭間。
坂の途中に建築されたジャンバス・カラからは坂を攻め上がってくる敵が丸見え。
矢狭間は高さにより角度が変えてあり、あらゆる角度で敵に矢を射かけることができたそうだ。 -
外壁の外側は現在は崩れた砂で埋もれている部分が多く、ジャンバス・カラが坂に建てられたとは想像しにくいが、今あるサラサラの砂は城壁が崩れ落ちてできた砂達だ。
-
ジャンバス・カラの城壁は二重構造で、その二重城壁の間を歩くことができる。
-
城壁の周囲が砂で埋まっていると、あまり城壁の高さは感じないのだが・・・
-
昔の高さをそのまま維持している部分(当時の2階の床部分)に立つと、結構な高さだ。
ジャンバス・カラが現役時の城壁の高さが20mだったらしいので、私が立つこの場所は多分10mくらいの高さ。
突風が吹いて転がされて落ちたら、下手したら命を損ねる高さだった。 -
ジャンバス・カラ城壁はそのサイズが、200m×170mの長方形型。
-
城壁のほぼ全体が現在も残っていて、紀元前4世紀~紀元後4世紀に使われた砂城の城壁の2階部分を歩くことができる。
-
城壁に空けられた矢狭間から城の外を覗く。
500年の間、この城壁は居住する住民を護っていた。 -
イチオシ
城壁の上を一周する途中で、いったん高いところから下り、遺跡の外からジャンバス・カラを眺める。
-
夜、城壁の内側で獣脂が灯り、その揺れる炎がちらちらと矢狭間を通して見える風景。
下からジャンバス・カラを見上げると、闇夜に輝く星船のように見えたのではないかな。 -
ジャンバス・カラを歩き回っている内に時刻は正午近くになり、気温も急上昇。
2018年の春は比較的気温の上昇が抑えめだったらしいのだが、それでも日中は暑い。
体感が33℃を超えると、もう炎天下に立っているのはかなり厳しくなってくる。 -
ジャンバス・カラには、1000人ほどの住民が暮らす居住区があり、敷地内にはゾロアスター教の寺院跡が残されている。
-
ゾロアスター教の起源については諸説あり、一説ではホレズム王国がゾロアスター教の発祥の地ではないかと言われている。
火を崇め、死後は鳥葬により清浄な骨と還るゾロアスター教。
その昔、この場所にも沈黙の塔があり、人が亡くなるとその臭いを嗅ぎつけた鳥が空を舞っていたのかもしれない。 -
あまりに気温が上がってきたので、母(74歳)に「暑いならば、クーラーの効いている車に戻って休んでいても良いよ」と伝えたのだが、彼女の砂城への興味は暑さに勝ったらしい。
-
母はペットボトルの水をゴクゴク飲みながら、日陰を選んで城壁を歩いていた。
-
そして、何を思ったか、おもむろに城壁の上から城内へと下りるように歩き出した。
-
実は、母は花に関しては特異的な視力を持っている。
視力なのか嗅覚なのかは私には分からない特殊才能で、遠くにいてもかわいらしい花が分かるらしい。 -
ジャンバス・カラの中央部分(居住区部分は)現在は砂壁も何も残っていない荒野。
どうやら城壁の上を歩いているときに、下に咲く花の存在を感じ取ったらしかった。 -
これら3枚の写真は母がスマホで撮った写真だが、写真の中にはわざわざペンでスケール取りまでしてあるモノもあった。
-
炎天下の遺跡の中、野の花を求めて歩き回る母。
こんなに暑いのにどれだけ花が好きなのだか・・・と娘の私でもあきれるほどだった。 -
ジャンバス・カラは大きな遺跡なので、ぐるりと遊びながら一周すると軽く1時間は経過していて、車に戻るとドライバーさんが私たちに対して、あきれ顔で待っていた。
-
カラ巡りの辺境コース旅行記での最後の紹介が、4つ目のカルクケズ・カラ。
実はこのカルクケズ・カラは、もともと宿で紹介されたコース案内には記載されていなかったが、私たちが遺跡好きと判断したドライバーのおじさんは、英語の基本単語のみで、私たちに行きたいかどうか聞いてくれたカラだ。 -
カルクケズ・カラは大カルクケズと小ナルクケズの2つに分かれていて、小カルクケズ・カラは今はほとんど更地の野原で、カラの遺跡はほとんど何も残っていない。
なので、行くのは大カルクケズ・カラのみ。 -
カルクケズ・カラは、もしかしてハーレム!?疑惑のある砂城で、城として利用されていたのは紀元前4世紀~紀元後8世紀の頃。
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カルクケズとはウズベキスタン語で40人の女性を表す。
そして、その40人の女性は全て愛人だったかもしれない疑惑があった。
その昔、一人の女性に夢中になった王が彼女のためにカルクケズに城を作ったのに、結局彼女は他のオトコのモノに。
頭に血が上った王はその腹いせに40人の愛人をそのカルクケズ城に住まわせ、ハーレムとしていたのではないかと長年言われてきた。 -
でも、1900年台初旬に行われた遺跡の発掘研究の結果、40人の女性を意味するカルクケズはハーレムではなく、女性のための学校や職業支援施設だったらしいことが判明し、ハーレム疑惑は解消されたと言うことだ。
-
大カルクケズ・カラはそのほかのカラ同様に二重壁で覆われていて、現在でも一部分にその名残を見ることができる。
-
イチオシ
しかし、そのほとんどが風化してしまい、城壁があったと言われなければこの場所がどのような場所で会ったのは想像しがたい状況だ。
-
城の内部の大地はカラカラに干からび、亀甲状の割れ目が走り、雑草の姿すらないドライな環境。
この場所も、水場の移動と共に住民がいなくなってしまったのかもしれない。 -
大カルクケズ・カラにはミナレット(尖塔)の痕跡や邸宅跡も残っているということだったが、素人ではどれのことか分からず残念!
せめて運転手さんが英語が話せればなぁ~、教えてもらえるのだけれど・・・ね。 -
イチオシ
カラカルパクスタン共和国辺境のカラ巡り。
ただの砂の城壁を見るだけで飽きてしまうかと思いきや、そんなことは無い。
それぞれの時代の背景を背負っている砂の楼閣;Kala。
じっくりとその歴史と向き合えるカラ巡りは予想以上に面白かった。
カラ巡りの後半;続きの旅行記は、王道コースのアヤズ・カラ、トプラク・カラ、キジル・カラの美しいフォルムを紹介しようと思うのだが、その時期は、しばらく先の紹介となるかもしれない。
あと1週間とちょっとでやって来る2019年の年末は、再び母と共にイスラムの国に文化を愛でる旅にでる。
イスラム教の国家はあちこち行っているのでそれなりに免疫はあるつもりだが、今まで旅をしてきたのはスンニ派が主流の国で、今回のターゲットは初めてのシーア派主流の国。
そちらの速報が、令和2年の最初の旅行記になるかな。
前の旅行記:【5】ホレズム国で異文化交流
https://4travel.jp/travelogue/11578357
続きの旅行記; 【7】地図にない“失われた砂の国” https://4travel.jp/travelogue/11668444
(写真:ジャンバス・カラ)
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この旅行記へのコメント (2)
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- TKさん 2019/12/23 13:36:53
- 想像を掻き立てるカラ
- ウエンディさん
こんにちは
いつもながらの迫力ある旅行記楽しみました。
「美人の水があるパフラヴァン・マフムド廟。
さすがにこの時間では、美人水を飲みに来ている方はいない。
私はこの日の朝は、汲みたての美人水で顔を洗ってみた。」
==>ますます、美しいウエンディさんになったことでしょう!
ヒバからのカラ巡り。昔の城塞の様子を思いめぐらし、想像を掻き立てる荒城めぐり楽しいそうです。
なんの予備知識を持たないまま、カラへ訪問すると、単なる土の塊ですが、説明を聞くと、昔の城の様子が想像でき、わくわくした経験があります。
城壁の上に立って、360度広がる大荒野を見回すと、はるか彼方からキャラバン隊が来る様子を想像した記憶があります。
カラ見学、飽きませんね。
次の旅行記も楽しみにしています。
TK
- ウェンディさん からの返信 2019/12/24 07:26:50
- RE: 想像を掻き立てるカラ
- TKさん こんにちは
UZというと、イスラム時代やモンゴル軍銃撃後に作られた建築物が有名でイスラムが入ってくる以前の拝火教がメインだった時代のカラ遺跡が残っていると言うことは、私自身もUZについて調べ始めるまで知らないことでした。
今は城壁のみが残る荒涼としたカラ遺跡ですが、その昔はシルクロードのさきがけの街道路がオアシスのある町同士を繋ぎ、旅人を迎え入れ、送り出し、そして時代と共に消滅していったのでしょう。
砂の壁を見て想像をたくましくするしかないですが、夜に矢狭間から漏れる城内の光は空に瞬く星のようにキラキラと輝いていたのではないでしょうか。
砂漠のミナレットから立ちのぼる色のついた狼煙
太陽を受けて輝くオアシスの水
様々な伝説の元となる歴史がたくさん紡がれてきたのでしょうね。
ウェンディ
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