
2017/05/02 - 2017/05/08
2位(同エリア434件中)
ウェンディさん
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- 旅行記382冊
- クチコミ2265件
- Q&A回答130件
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- フォロワー350人
2017年のゴールデンウィークに御年73歳になる母と共にウズベキスタンの碧い都市を歩いてきました。
今回のウズベク旅にはいくつか目標としていたことがあり、その1つが【海外での寝台列車にチャレンジ】でした。
日本でも一度も利用したこともない寝台列車を海外で初挑戦って無謀すぎない?
ウズベク語もロシア語も話せない私たちなのに、いきなりハードル上げ過ぎではない?
本当に大丈夫かな?
私自身でもそんな風に思っていたので、現地で私たちを見たウズベキスタンの人達はもっと心配してくれていたのでしょう。
駅の係員さんも、車掌さんも、他の乗客の方も、初めてのことだらけで戸惑う私達に優しく手を差し伸べてくれました。
そんな母と私のウズベキスタン旅の起点はタシュケント空港。
「列と云う概念がこの国にはないのかぁ!!!」と叫びたくなるようなカオスなイミグレ大突破から物語は始まります。
☆★2017G.W. スタンの国へ行ってみよう♪母と娘で歩くシルクロード 旅程☆★
■5/2 成田09:25-11:50インチョン15:45-19:20タシュケント(大韓航空)
タシュケント駅22:05-寝台列車-05:55(+1)ブハラ駅
■5/3 ブハラ観光
□5/4 アイダクル湖・キジルクム砂漠への一泊二日ツアーへ
□5/5 キジルクム砂漠-サマルカンド
□5/6 サマルカンド観光
□5/7 サマルカンド観光
タシュケント21:20-
□5/8 07:35インチョン10:10-12:30成田(大韓航空)
☆★旅行記☆★
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺★甘い話には裏がある https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ソウルを昼に出たKorean Airがウズベキスタンの首都タシュケントへと到着したのは夕闇迫る19:20。
成田からは10時間の空旅で、トランジットの4時間を含めると総時間は計14時間。
大きな遅延も無い順調な旅の滑り出しだ。タシュケント国際空港 (TAS) 空港
-
到着するまでの機内では3本の映画を見る位の時間のゆとりもあったが、ウズベキスタンへの出入国する旅人には映画を楽しむ事よりももっと大事な、絶対に必須なコトがある。
やらなければならないこと…とは税関申告書の作成。
税関申告書はどこの国に入国する時でも書かなければならない書類だが、ウズベキスタンの場合はちょっと厄介。
出入国の際に、その時に身に着けている・鞄に入っている全ての貴重品、例えば、カメラ、携帯、指輪、PC…から現金までの品名を漏らさず申告し、その時価を記入しなければならない。
特に現金の場合は、金種の区別も必要で、円、ドル、ユーロ、ウォン…をそれぞれ端数まできっちりと書かなくてはならない。
もし書類に書き間違いがあった場合など係官が不審と思われる点があった場合、持ち物はその場で全てが没収される可能性がある。 -
イチオシ
今回の旅でウズベキスタンまでの翼に大韓航空を選んだ理由。
価格、総飛行時間の短さ、到着後の国鉄への接続の良さ…など理由はいくつかあるのだが、その理由の1つに航路があった。
ソウル→タシュケントの航空路から考えた時に、このフライトは天山山脈の上を飛ぶ可能性が予想され、その可能性に賭けてみた。
天山山脈はいつか見てみたいと思っていた地域。
映画を見ながらも、チラチラと目線は窓の下へ。
タクラマカン砂漠を超え崑崙山脈を越えた飛行機は、天山山脈の上空へ。
宇宙の青の空の下、白き峰々が地平線まで続く風景。
眼下には、神々しいまでの青と白の世界が広がっていた。 -
そんな景色を楽しみながらタシュケントへと向かったのだが、到着したタシュケント国際空港で私たちを待ち受けていたのは、カオス。
入国審査の窓口は全部で8個程度あったのだが、そこの前の空間には列というモノは存在しなく、列らしきものが出来上がるのは遥か前方に見える窓口に近づいてから。
イミグレ・エリアには外国人用・自国民用の案内表記も無く、さすが旧ソ連だと実感させられた。
更に機内預け入れ荷物がでてくるまでは、30分の休憩時間。
ラストの関門である税関申告書の提出所でも1人に費やす所要時間が5分程度とのんびりとしていて、全てウズベキスタン時間で物事が運んでいた。
そんなに大きくはない飛行機だったのですんなり入国できるかと思いきや、飛行機を降りてから空港のゲートを出るまでに要した所要時間は70分。
空港入口で待っていてくれる筈の送迎のドライバーさんが、帰ってしまわないかとハラハラしていたが、ドライバーさんはちゃんと手に【Wendy+1】のプレートを掲げて待っていてくれた。
(写真:送迎車の中から夜のタシュケントの町を眺める。思ったよりも都会でビックリ!) -
車内でドライバーさんに闇両替をお願いして、米ドルをウズベキスタンの通貨:スムに両替してもらい、お買い物の練習へ。
【闇両替についてはhttp://4travel.jp/overseas/area/europe/uzbekistan/tashkent/tips/12661122/ を参照。レート比などを詳しく紹介♪】
この日の旅程は、タシュケントでは宿泊せずにこのままタシュケント駅へと向かい、22時発の夜行列車に乗り、最初の目的地であるブハラ(ウズベク語:Buxoro、英語:Bukhara)へと向かう。
飛行機の中で軽く食事はしているがそれは5時間前。
列車の中で空腹となってしまっては眠れなくなってしまう可能性があり、夜食を買っておく方が良いよ♪とのドライバーさんからのアドバイス。
駅にも売店はあるけど美味しくないし、製造が古いからね…とのドライバーさん談も。
ドライバーさんが保護者となってカフェテリア方式のレストランへと行き、今晩の夜食をテイクアウトで購入した。
カフェテリアでは、ドライバーさんが料理の内容を説明してくれるので、ウズベク語が出来なくても大丈夫。
お会計の金額も英語で教えてくれたので、ウズベキスタンでの初めてのお買い物は首尾よく完了できた。 -
空港から20分ほどのドライブでタシュケント駅へと到着。
駅は旅の前に予想していたよりも近代的だった。
ドライバーさんとはタシュケント駅のセキュリティ・チェックでお別れだ。
ここで、ちょっと旅行記とは話が逸れてしまうが、旅の前に私がQA掲示板で質問した内容について私なりの回答を上げておきたい。
(参照URL:http://4travel.jp/os_qa_each-56860.html)
このQAでは、「タシュケント駅に荷物の一時預かり所は存在するか。ある場合には、旅の最終日にタシュケント駅の荷物一時預かりにスーツケースを預けての市内観光が可能か」を質問したのだが、今回、私がタシュケント駅で目にした状況からすると、多分だが、タシュケント駅構内に荷物預かりがあったとしても、その利用は極めて難しかったのではなかろうか…と思う。
その理由は、駅構内へと入るための厳しいセキュリティ・チェック。
駅の中へは基本的には列車の切符を持っている人しか入れず、見送りの人がついて行けるのもセキュリティ・チェックの手前までだ。
例え荷物預かり所が駅にあったとしても、駅舎内のその場所に荷物を預けて市内観光に行き再び駅へと荷物を取りに戻った時、列車の切符を持たない旅人が駅舎内へと入れてもらう事は可能なのか。
ウズベク語が堪能であれば、荷物を取りに駅構内へと入りたい旨の状況説明も可能だろうが、英語は基本的には通じないこの国で、セキュリティの係員と押し問答をするのはかなり難しいであろうことが予想される。タシケント駅 駅
-
タシュケント駅には乗車時刻の45分ほど前に到着したのだが、待合室はこの通りの混雑で、空いているベンチを探すのも大変。
そして、駅舎内のアナウンスは私の理解できないウズベク語かロシア語で、何を言っているのかもさっぱりわからない。
とりあえず駅舎内の空ベンチに腰を下ろし休憩しつつ、耳は理解できない言葉を話しているアナウンスに向ける。
ウズベク語は全然分からないのだがアナウンスの中で唯一聞き取れたのが、列車の目的地である【ブハラ】という地名。
この時の時間が発車時刻30分前。
駅員さんに切符を見せると出発ホームを英語で教えてくれた。 -
ウズベキスタンでは、駅や空港は撮影禁止とされている場所。
だから、私もおおっぴらにはカメラは出さずにスマホでメールをしている体を装いながら、シャッター音がでないカメラアプリで駅の中を盗み撮り。
撮っているのが見つかると何百万円以上の罰金らしいから、かなりまずいんだけどね。 -
駅の出発ホームは5番線。
母はココまでの旅でさすがに疲れているので、ベンチでひとやすみ。
ウズベキスタンの人達は年配者にとても親切で、明らかに目上と分かる人にはかならず席を譲ってくれる。
今回、ここでチョットお疲れ気味の母の写真を載せたのはウズベク旅でのスーツケースのサイズを紹介するため。
母は、いつもの海外旅行だとお土産がタップリ入る大きなスーツケースを使うのだが、ウズベク旅では小さめサイズの自力で持ち上げられる大きさにしてほしいと、お願いしておいた。
ウズベキスタンの駅にはエスカレーターやエレベーターはなく、基本は自分で荷物を持ち上げて階段を上り下りしなければならなく、自分のキャパを超えたサイズのスーツケースでは駅の階段の上り下りだけで疲れ切ってしまうだろう。
本来ならば背中に担ぐバックパックが最適な選択肢なのだろうが、73歳のおばあちゃんにバックパックは酷というモノだ。
年配の方に限らず、腕力に自信のない女性の方がウズベキスタンを個人で旅する場合には、荷物は小さくを心掛けておく方が良いと思う。ウズベキスタン鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
-
列車は出発時刻の15分前に入線し、乗客の乗り込み開始。
駅構内のアナウンスは何を言っているのかさっぱりわからないので、本当に5番線の列車が22時に発車するブハラへの夜行列車なのかは分からなくドキドキだったが、列車に乗りこむ時の駅員さんのチェックで、切符を回収されたので合っていたらしい。
この写真は翌朝にブハラ駅で撮影したものだが、ちゃんと列車の車体にはBUXORO行き-TOSHKENT-BUXOROと表示があったので、夜に焦らずにきちんと見ていれば乗車時に悩む事はなかっただろう。 -
今回のウズベキスタン旅の基本は旅行会社を通さないスタイルの個人旅で、宿泊予約サイトを通しての宿泊予約を行い、移動のタクシーの手配などは現地にて自分で行ったが、列車の事前予約など個人旅行者では手配不可能なパーツについては、在ウズベキスタンの旅行会社であるAdvan Tourに依頼をした。
Advan Tourへと依頼した内容は、以下の通り。
・列車の切符手配
・アイダクル湖への1泊2日ショートトリップの仲介
・最終日のサマルカンド→タシュケントの専用車の手配
・旅の初日のタシュケント空港から→タシュケント駅の専用車の手配
4つ目の空港から駅までの専用車手配は無くても良かったのだが、到着して早々の闇両替をお願いするドライバーさんは信頼出来る人の方が良かったので、敢て専用車手配をお願いした。
Advan Tourは外国人旅行者の扱いに慣れていることもありその対応は花丸で、手渡された列車の切符にも別添で英語の翻訳の紙を付けてあった。
この翻訳紙が無かったら、ウズベク語満載のこの切符から自分の乗る車両や座席番号を読みとるのに苦労したと思う。
参考URL Advan Tourのホームページ:http://www.advantour.com/
(写真:列車の切符、Advan Tourによる英語翻訳つき) -
ウズベキスタンでは自国民または新旧ロシア領以外の国からの旅行者は列車の切符をインターネット経由で直接予約購入することは出来ないが、ウズベキスタンに到着後ならば駅の窓口で買うことは可能だ。
その場合は、旅行社を通すときの様に手厚い英語の翻訳はついてこないので、自分で切符の中身を読み解く必要がある。
その際に役に立つのが、先ほどのAdvan Tourのホームページ。
ホームページでは、こんな風に切符の読み解き方まで説明してくれている。 -
タシュケントからブハラまでの夜行寝台列車には二等(Platskart)、一等(Compartment)、特等(SV)の3種類の座席クラスがあり、母と私が利用したのは一等の寝台車両で、手配会社への支払いは一人35米ドルだった。
そして切符に指定されていた車両は5号車、コンパートメント番号は25と27。
5号車という車両番号はすぐに探し出せたが、乗りこんでからどこにコンパートメント番号が表示されているのか分からず、暫くは狭い通路をキョロキョロ。
ようやく扉の左端に小さく表示されている番号を見つけた。 -
扉を開くと、そこには二段ベッドが二つでベッド数は計4個。
このコンパートメントの寝台番号は25から28で、私たちに割り当てられた番号は25と27。
さてさて、この場合はどこの寝台を使うのが正解なのか。
正解は、結局分からなかった。
取り合えず母と私は左右の下段の寝台をキープし、もし違っていたら教えてもらえるでしょ♪と楽観的に考えることに。
あとからウズベク人のオジサンとオバサンが来たのだが、その二人は上の寝台を普通に使っていたので、私たちの寝台の選択は間違っていなかったのだろう。ウズベキスタン鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
-
コンパートメント内にはスーツケースを立てて置ける様なスペースはないので、スーツケースはベッドの下に横置きに収納する。
-
イチオシ
荷物をしまったら、あとは列車内の探検!
とはいうものの、探検できるのはこの車両だけなので、そんなに広い場所ではない。
列車内は全てが木製で、私のイメージするアガサ・クリスティの世界そのもの。
小さな柔らかい色の電球が車内をほんわかと照らし出していた。 -
列車の窓からホームを見ていたら、向かい側に近代的な列車が到着。
どうやらサマルカンドからの最終列車の様だ。
タシュケント到着日の旅程の選択肢としては、この日はタシュケントで宿泊して翌日の新幹線(のように早い列車)でブハラに行く方法も考えられたのだが、夜行列車を選択して正解。
こんな風な情緒あふれる木製の内装列車に乗ることができるチャンスなんてそうそうあるモノではないし、昼間の列車ではクリスティの世界に浸れる列車旅はできなかっただろう。
(駅ホームの風景は列車の窓から隠れて撮影) -
列車は定刻にタシュケント駅を出発して、ゴトゴト…と進む。
けっこう、横揺れが大きいかも
まずは寝台に横向きに腰をかけて、夜食の時間。
先程、駅へ来る途中でテイクアウトした夜食は、ウズベキスタンの郷土料理のドルマとベイクド・ポテト。
ドルマとはひき肉とお米をブドウの葉で包んで煮込んだお料理で、ドルマの中にはナスなどのお野菜もたっぷりと詰まっていた。
ドルマの味は薄味で美味しかったが、油の使用量がかなり多く、冷めたら油が白い油脂として固りそうなくらい入っていた。
(参考情報として、カフェテリアで購入した上記2品の代金は約2万スム(約320円)。) -
列車が出発して暫くすると車掌さんがシーツ、掛布団カバー、枕カバーのセットを持ってきてくれる。
シーツの使い方は昔のYH的で、ベッドのマットレスと掛布団の間にシーツを入れて、寝る人の体が直接寝具には触れないシステム。
このシーツは翌朝に自分で回収して、ベッドの端に畳んでおいておけばOKだ。 -
夜食後もしばらくは廊下の手すりにもたれてウズベキスタンの夜景を眺めていたのだが、さすがに23時近くにはもう体が限界。
日本との時差は5時間なので、日本時間では朝の4時に当たる時間。
自然と上瞼と下瞼がくっついてしまいそう。
母と二人で、寝台に横になる。
起きているとゴトゴトと感じる横揺れも、ベッドに横になるとまるで揺りかごのような気持ち良い揺れ。
母なんておやすみなさいと呟いてから、ものの1分で完全に寝息に変わっていた。 -
翌日5/3の午前2時半。
列車が駅に停車した時に、母はトイレへ。
そして戻ってきた時に私の耳元で、ちょっと廊下へ出てごらんと囁く。
列車はサマルカンド駅に停車していて、駅のホームにはサマルカンド・ナンの売店が出ていた。
夜中という時間にも関わらず、停車時間中に列車を降りてナンを買いに行く乗客の姿もあった。
ナンとはウズベキスタンの主食である円形のパンなのだが、各地方のパンの中でサマルカンド地方のナンであるサマルカンド・ナンが一番おいしいとされている。サマルカンド駅 駅
-
ナンさんのお隣には、ソーセージや飲み物を売る売店も出ていた。
売店のオジサン、目をこすって、とっても眠そう…。 -
せっかく目が覚めたので私もお手洗いへ…とトイレに着いたところで、列車はサマルカンド駅を出発。
ゴトォン、ゴトォンと横揺れする中で撮ったトイレの写真はもうブレブレ。
写真がこれだけブレるというコトは、用を足すのもそれだけ容易ではなかったことは言うまでもない。 -
そんな状態の中でも根性で用を足して、立ち上がり、便器洗浄のレバーを探す。
どう見ても水洗式トイレなのに、なかなか私の目に水洗レバーは飛び込んこない。
それでもどこかに水洗のレバーがある筈と一生懸命探してようやく見つけた足踏みペダル。
足踏み式水洗ペダルがあったのは、便座の足元だった。 -
朝5時。
眠りの浅い母(こんなこと書いたら怒られるかな)は、お目覚めの時間。
あと1時間もしたらブハラへと到着するので、私もベッドから起き上がり静かに身支度を整える。
基本的に何も着替えずに洋服のまま寝たので、朝することは歯を磨き顔を洗って髪の毛を梳くだけ。
朝の準備は5分で終了。
同室のウズベク人の二人はまだ寝ているので、コンパートメントを出で廊下からゆっくりと夜明けを迎えるウズベキスタンの原野を眺める。 -
朝5時半前に、地平線の果てがふわりと頬を染めたかのような朱色に。
-
そして、その直後に日の出。
ウズベク旅の中で日の出を見たのは、この日が最初で最後だった。 -
列車は定刻の朝5:55にブハラ駅へと到着。
(写真は列車の中から撮影)
この列車はブハラ止まりなので乗客は皆、列車から降りて歩き出す。ブハラ駅 (カガン駅) 駅
-
そんな雑踏の中に紛れて、私もホームの様子をスマホでカシャリ。
でも、堂々とカメラで撮影している旅行者も居たので、もしかしたら以前よりも駅に関しては写真撮影禁止のルールが緩くなっているのかもしれない。 -
駅名はブハラ駅だが実際に駅があるのはカガンという町で、そこからブハラの町中までは少し距離がある。
駅からブハラの町までは路線バスラインもあるのだが、朝6時前では始発バスもまだ走っていなく、ブハラの町までの移動手段はタクシーしかない。
ウズベキスタンのタクシーには黄色い車体(写真)の正規のタクシーと、普通乗用車を勝手に商用利用している白タクの2種類があり、駅前には客待ちのドライバーさんたちが山となっていた。
タクシーは、安心できる正規タクシーが良いな…と思っていたのだが、その雑多なドライバーの中から正規タクシーの運転手さんを探し出すことは至難の業。
客待ちのドライバーさんは、口々にブハラまでか…と聞いてくる。
結局、どの人が正規タクシーのドライバーさんなのか…は分からずに、ひとりのドライバーさんと交渉開始。 -
私が捕まったドライバーさんの車は、白い乗用車。
見事に白タクだった。
ドライバーさんが言うには、ブハラまでの運賃は5万スム。
(2016版のガイド本には高くて1万5千スムとの参考価格)
早朝とは云え、5万スムはボリ過ぎだよね…ということで、私の言い値は2万スム。
お互いに歩み寄って、3万スムで交渉は成立した。 -
ブハラ駅からブハラの町の中心部までの所要時間は10分弱。
この日に宿泊予定の宿:ホテル クルジンの看板の傍でタクシーを降ろしてもらった。
荷物を降ろしてくれたドライバーさんに約束の金額3万スム(約450円)を支払ったのだが、ドライバーさんは「足りない」と言う。
彼曰く「一人3万スムだから、二人で6万スムだ」
どうやら東洋人の母娘というコトで、ドライバーに舐められたようだ。
私は、きっぱりと「最初に決めたのは3万スム。それ以上を払う気はない」ことを伝え、そのまま踵を返し、ホテルの方向へ歩きだした。
途中で後ろを振り返ると、ドライバーさんも無謀な要求であったことを自覚していたのか、そのまま車に戻っていた。
メーター制ではない白タクの場合、この様なトラブルは良くあることなのだろう。 -
この日に宿泊を予約した宿ホテル クルジン(Khuzjin)は、古いメドレセ(神学校)の寄宿舎を改装した宿で、古いウズベキスタンの住居スタイルを愉しめる宿だ。
中庭を取り囲むように客室の扉が並んでいる。 -
メドレセ独特の亀甲装飾に母の眼はキラキラ…。
ココだけで、かなり楽しそうだった。
一方の私は、宿の女主人と格闘中。
この宿はBooking.comから予約していて、予約時に早朝に着くのでアーリー・チェックインをさせてね。とリクエストをかけ、その了解も貰っていた。
だから、私はearly check inしたい旨を女主人に伝えたのだが、あろうことか彼女は英語が話せない。
彼女は片言の英語で、”Check in 1 o’clock”と云うだけ。 -
英語が通じないこの状態では埒が明かないので、スーツケースだけを預かってもらう事にして、ウェルカム・ティーを頂くことに。
珈琲を飲みながら、母と本日の行動の作戦会議を開始。
時間はまだ朝7時にもなっていないので、各観光施設はまだ見学時間が始まっていない。
だから朝1番の行動は、地理を把握するための町探検に決定! -
町探検の始まりは、まずはホテル探検から。
まだお客さんは寝ている人が多い時間帯なので、抜き足差し足…でホテルの敷地内をクルクルと回っていたら、上へと続く階段を発見。 -
ネコとナントカは高いところが好きなので、母と私は迷わず階段を登り、建物の屋上へ。
-
イチオシ
屋上部分は平らではなく、等間隔にお椀をひっくり返したような盛り上がりがあり、その上には煙突の様な飾り。
最初は、このお椀型+煙突が何なのか分からなかったが、すぐにコレが各客室の丸屋根天井に開けられた灯りとり窓兼排気塔であることに気が付いた。
ウズベキスタンのメドレセの丸屋根造りは中央アジアのイスラム圏に独特の建築方法で、同じイスラム圏でも欧州寄りのモロッコに残る神学校の寄宿舎の造りとは全く異なっていた。 -
部屋は中庭を取り囲むように配置されているので、向かい側の屋上を眺めると、丸屋根と排気塔がピョコピョコ生えていて、なんだか可愛らしい光景だった。
-
ホテル内探検で足慣らしをした後は、ガイドブックの地図を見ながら歩く町探検へ。
宿の目の前にある建物も古いメドレセで、どこを見ても物珍しい光景でワクワク。 -
町歩きの最初の目的地は、ブハラの観光の中心でもあるリャビ・ハウズ(ラビハウズ)と呼ばれる池だ。
リャビ・ハウズは宿から歩いても5分とかからない場所で、少し歩けばひょいっと到着する筈だったのだが、幾ら歩いても目的の池に辿り着くことが出来なかった。
地図の中でも大きめの道を起点にして地図の通りに歩くのだがどうやっても辿り着けずに、アレ…この通り、さっきも通った道だよね…という状態。
俗にいう迷子というやつだ。
道は単純なのに、何故そこへと辿り着けないのか、私にはさっぱりその理由が分からなかった。
でも、迷う理由が分からなくても、私達には口がある。
通りすがりのオジサンに「リャビ・ハウズ?」と聞いたら、方向を教えてくれた。
英語は通じないだろうから、単語で勝負作戦だ。
とりあえず地図を無視してオジサンの示す方向へと歩いたら、目的地であるリャビ・ハウズ(写真)へと到着した。
リャビ・ハウズはブハラの町の中心にある泉で、この池は今でこそ町の人達の憩いの場だが、その昔に王の妃が我儘で、土地の持ち主の家を水攻めにして壊し無理やりぶんどった土地に造った池だとのこと。
日本だったら、霊感ポイントにでもなっていそうな気がする。ラビハウズ その他の料理
-
リャビ・ハウズの池の傍の石に座り、もう一度ガイドブックの地図を広げて現在地の確認をする。
太陽の位置と建物の方向から東西南北を判断し、現在地とこれからの向かうべき方向を頭に叩き込む。
池の周りでは、地元のおばさまたちが箒を片手に街路のお掃除中。
このお掃除風景はウズベキスタンの田舎町ではよく見られる光景で、その昔は各家庭のお嫁さんが毎朝、一番高級な晴れ着を着て家の前を掃除していたそうだ。
どうして掃除なのに晴れ着なのか…と思うだろうが、これは晴れ着でなければ意味のない行為で、晴れ着を着て毎日外でお掃除することで、お嫁さんは嫁ぎ先で大事にされています。というアピールをしていた。
だから、どの家でもお舅さん達はお嫁さんに素敵な晴れ着をプレゼントしていたらしい。ラビハウズ 滝・河川・湖
-
リャビ・ハウズの池の周りには神学校やハナカがあり、この写真は、ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ。
ハナカとはシルクロードを渡る巡礼が宿泊した巡礼宿の事で、日本でいえばお寺の宿坊に当たる。
現在もイスラム巡礼の宿坊となっているのかどうかは不明だったが、観光客の見学は出来ない様だったのでもしかすると現役で今も宿坊として使われているのかもしれない。 -
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカはただの宿坊だが、その装飾は靑を基調としたイスラム装飾。
コーランの句さえもカリグラフィーとしてデザイン化したその装飾は17世紀のイスラム芸術の色を強く残している。 -
イチオシ
リャビ・ハウズの池の周りで地図の方向の確認をした母と私は、再び町歩きにチャレンジ。
今度は、リャビ・ハウズの前の石畳を起点とするので、迷子にはならない筈だ。
歩き出して最初に見えてきたのは、タキと呼ばれる昔にバザールであった建物だ。
ブハラにはタキと呼ばれるバザール跡地が3か所、その昔の形のまま残されていて、この建物がその1つ目でタキ・サラフォンという名前だ。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
-
タキ・サラフォンの中へと入るとその中は東西南北から繋がる道がクロスする十字路になっていて、バザールへとやって来るお客さんが何処の方向からでもアクセスできる造りとなっていた。
タキがバザールとして全盛期を迎えていた頃、タキ・サラフォンは両替商が多く集まるバザールだったそうだ。
タキの交差点の部分は、天井が高くその丸屋根がドーム形状となっていた。(まるでこの日のホテルの部屋の屋根みたいだ) -
母が見上げる丸屋根部分はこんな風で、天窓から注ぐ光がタキの中を明るく照らしだす仕組みになっている。
イスラム装飾には結構ゴテゴテした壁装飾が多いが、タキの装飾はとてもシンプル。
無駄をそぎ落としたようなタキのこの造りは私の好みだった。
そしてこの日の午後、天窓からの差し込む光の角度が変わる時間帯にもう一度「シンプル・イズ・ベスト」を愉しみがたいためにこの同じタキ・サラフォンを再訪した(午後の写真は下)のだが… -
朝に見た静寂のタキの空間は、日中にはお土産屋さんが所狭しと軒を並べる空間へと変わっていた。
午後にコレを見せられた私は、「今朝のタキは何処へ行ってしまったのか」と少しだけ憤慨。
商魂たくましいのは良い事だとは思うが、このタキだって世界遺産の中なんだけどねぇ…。 -
タキ・サラフォンを抜けて、そのまま道なりに進むと、通り沿いの建物には古そうな扉。
-
建物自体はレストランのようだったが、この扉はどう見てもかなりの年代もの。
扉一面に彫刻が施され、非常に手間をかけ作ったもだというコトが素人目に見てもよくわかる。 -
そしてそのまま真っ直ぐ歩いて行くと、目の前には高くそびえる塔であるミナレットの姿が見えてきた。
ブハラ歴史地区 旧市街・古い町並み
-
ミナレットの脇にはメドレセがあり、如何にも由緒ありげな建物集団だ。
-
しかし、こんなデザインのミナレットは、事前学習の写真では見たことがなかった。
ミナレットには細やかな装飾が彫り込まれていて、ただの塔ではないことは確かなのだが、ガイドブックにはこのミナレットに関する写真も説明もなかった。
コレは、何という名前のミナレットなのか。
此処は一体、どこなのだろうか。
母と私は、またしても迷子となってしまったようだ。
ミナレットの近くまで行くとその壁には名前が彫ってあるプレートがあり、そこにはX’OJA KALON(ホッジャ カロン)と書いてあった。
そこで、もう一度ガイドブックの地図を目を皿のようにして眺めて、その建物名を探したところ、見つけた!
でも、それは私が現在位置として思い込んでいた場所からは遥かに離れた場所だった。
実際の現在地と私の頭の中で現在地と思い込んでいた場所の誤差は、直線距離でも1km以上。
町の中の道は緩いカーブを描いていて、正しいと思われる方向に向かって歩いているつもりでも、実際はかなり大きく弧を描く道を歩いていて、私は行きたい場所とは正反対の方向へと辿り着いていた模様だ。 -
私は度重なる迷子に若干、焦っていたのだが、母はいたってマイペース。
時間はまだ8時だし、街歩きも楽しいから、迷うのも楽しいよ~と。
歩いていたのは完全に観光地を外れたエリアで、道沿いには小学校もあった。
この日は水曜日だったので、朝の8時はちょうど通学の時間帯。 -
ブハラの小学校には制服があるらしく、女の子は白いタイツにジャンパースカート。
男の子はチャコールグレーのブレザーに同色のズボン。
一見するとカッコいいのだが、その背中に担ぐリュックの模様はサッカーをするミッキーマウスだった。
2回の迷子体験を糧に、地図に描かれている道幅と実際の道の状態との関連などをシッカリと学習した私たちは、ようやく地図の読めるオンナに少しだけ近づいた。
この日のブハラ町探検の行先は特に決めてはいなく、何処へ向かうのかも気分しだいのユルユルな街歩き。
コレはある程度旅程をきっちりと組む私にしては珍しい旅程だ。
今回の旅は「予定は未定」を基本とする旅。
「ウズベキスタンの古都の面白さは町の中を彷徨うコトで、ふらりと歩くことがブハラの隠し持つ魅力に近づく道である…」と思っていた。
だから、町の中で道に迷う事は初めからある程度は想定済。
ブハラでは見てみたい遺跡やモスクなどがいくつかはあったが、その場所を目的とするのではなくそこまでの街歩きを楽しむ。
そのような町探検が目的の旅だ。 -
通常、町歩きや観光では“近場から順に巡る”とか“遠くから順に巡る”など、歩く距離の効率を最優先とするのが基本だが、ウズベキスタンの古都ではその場所の遠近よりもっと優先すべき事象がある。
優先すべき事象;それは、光の方向。
ウズベキスタンの古いイスラム建築はタイル装飾や煉瓦装飾、漆喰装飾をその基本とするため、太陽の位置と建物の関係が悪いと、その美しさが半減してしまう。
特に陽が高い時間帯は建物にダイレクトに強烈な日差しが当たり、せっかくの美しい装飾が凹凸すらはっきりとわからないほど白光りしてしまったり、または逆に暗い影の中に入ってしまう場合もある。
だから、この日のブハラ町探検では効率的に町を歩く事よりも、個々のイスラム建築が一番美しく出来る時間帯を重視して、町巡りの計画を立ててみた。
その計画の中で、朝イチの見学場所として候補になったのが、イスマイール・サーマーニ廟だ。
イスマイール・サーマーニ廟は町の中心から少し離れた場所にあり若干遠いのだが、道に迷ったおかげでその近くまで来ていた母と私は、まずはイスマイール・サーマーニ廟付近から巡ることに。
廟に向かう途中の道は、緑の葉がふさふさと茂る街路樹が多い道。
基本は自動車用の道だが、ロバ馬車も違和感なく景色に溶け込んでいた。 -
さわさわと揺れる木の葉の下を歩きながら目的地に向かう途中、ひとりのオジサンが頭上の木の枝へと手を伸ばし、何かを手中に収め、ソレを口の中へと持って行く光景を目撃した。
私は、もしかしてイモムシ食べてる…?とか想像してしまったのだが、考えるよりも動作が先に出る母は、ためらいもなくオジサンの元へ行き「それ、なぁに?」と堂々と日本語で質問。 -
オジサンは手の中に持っていた白いものを母の掌の上に乗せてくれて、そこから一粒を自分の口元へ。
そして、母に“美味しいよ”とジェスチャー。
私も母の手から一粒をつまみあげて、口の中へ。
ちょっと酸味があるが、ベリー系の香りを伴う甘い木の実だ。
頭上の木をよく眺めると、手の届くところには沢山の熟した実がなっていて、オジサンは次々ともいでは母の手の上に乗せてくれた。
木の実は白く柔らかくなったものが熟していて甘く、まだ黄緑色が強いものは渋みが残る。
あんまり食べたらお腹を壊しそうだったのでほどほどの数にしておいたが、それでも10粒程度をオジサンに貰ったのかもしれない。 -
朝8時半に、イスマイール・サーマーニ廟へと到着。
先程オジサンから木の実を貰った場所からイスマイール・サーマーニ廟へとすんなりと来れていたならば、多分10分もかからなかったはずだが、母と私は相変わらず地図の読めないオンナを継続中で、更に途中で道を聞いたオジイチャンが全然反対の方向を教えてくれたものだから、イスマイール・サーマーニ廟に辿り着くまでに要した時間は約30分。
でも、来ることは出来た。
イスマイール・サーマーニ廟への入場料は母(シニア料金)と私の二人で合わせて7000スム(2017年現在は入場料にカメラ持ち込み代金が最初から含まれている)。
2016年版の歩き方ガイド本では一人1000スムの入場料金となっていたので、少なくとも2倍以上の値上がり率だ。
観光費用のスーパーインフレは、イスマイール・サーマーニ廟に限った話ではなく全ての観光施設で同じような値上げ幅だった。イスマイール サーマーニ廟 史跡・遺跡
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イチオシ
イスマイール・サーマーニ廟は9世紀に建てられた現存する世界最古のイスラム建築で、当時の王の霊廟として建築された建物だ。
この建物の特筆すべき点は非常に古いという点だけではなく、煉瓦(レンガ)が作る曲線美。
建物の表面には美しい数学的でもある幾何学模様が施されているが、この装飾模様は彫刻ではなく、その殆ど全ての紋様が四角い煉瓦を組み合わせて作られている。
イスマイール・サーマーニ廟の外観の写真はガイドブック等で目にし、建物が四角い煉瓦で作られているという説明も読んではいたが、建物の四隅の円柱形の柱までを四角の煉瓦で作っているとは思いもしなかった。 -
しかし、ブハラの地で実際に目にしたイスマイール・サーマーニ廟の円柱は私の仮定を覆すもので、ほんとうに四角い煉瓦を様々な角度で組み合わせて、建物の円柱部分を作り上げていた。
(写真:前の写真の建物左端の円柱部分の拡大。煉瓦の組み合わせる角度を変えることで円柱の曲面を演出している) -
見れば見る程、規則的で幾何学的な模様の壁に、思わずうっとりとしてしまう。
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廟の中も同様に煉瓦装飾で埋め尽くされている。
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そんな廟の中で唯一、四角い煉瓦ではない部分を発見!
さすがに環状装飾は四角の煉瓦だけでは造りきれなかったらしい。 -
ウズベキスタンのある中央アジアのエリアは昔から民族間の土地争いの激しい区域で、このブハラの地も幾度となく戦火に巻き込まれ、以前の王が建てた建物は征服者により破壊しつくされている。
本当であれば、このイスマイール・サーマーニ廟も13世紀のモンゴル襲来のときに、跡形もなく壊されていた筈の建物だ。
それが何故、現代まで残っているのか。
そのマジックをやってのけたのは砂漠の砂。
元々ブハラはシルクロードのオアシス都市で、砂の中にある宿場だった。
そして、イスマイール・サーマーニ廟があったのは廟という名が示す通り、墓地であった場所。
チンギス・ハーンがこの地を襲い征服した時、この墓地のエリアは風で流れてきた砂漠の砂が作り出した砂丘の中に埋もれ、建物の存在が見つからなかったらしい。
そして、その後19世紀になるまで煉瓦つくりのイスラム建築;イスマイール・サーマーニ廟は砂の中に沈んでいたそうだ。 -
砂に中で数百年では建物の壁が砂の圧力に負けて崩れてしまいそうだが、煉瓦で作られたイスマイール・サーマーニ廟の壁の厚さは1.8m。
1.8mとはかなり尋常ではない壁の厚さで、まるでイスマイール・サーマーニ廟が700年近くを砂の揺りかごの中で眠ることを想定され作られたようにも感じてしまう。 -
イチオシ
タップリと1200年前のイスラム建築を堪能した後は、来た道を戻る。
その途中で、カザフスタンから観光に来たというおばさま方に写真に誘われて、一枚パチリ。
カザフのおばさま方の服装の色はウズベキスタンではどちらかというと控えめでだが、右端の方の民族的な模様はとても素敵。 -
イスマイール・サーマーニ廟から元来た道を戻ってきた…筈だったのだが、何故か辿り着いたのはブハラの庶民の台所であるデフコン・バザール。
どうやらまた地図の方向を90度勘違いして歩き始めたらしい。
でも、せっかく来てしまったのだから、少しバザールも見てみようかな…と中を巡ってみる。 -
日用品、野菜…様々な市が立っていたが、日本と異なっていたのはお肉屋さん。
肉屋さんは完全分業制で、牛肉店、羊肉店、鶏肉店と肉の種類によって店舗が分かれていた。 -
コチラのお母さんのお店はパン屋さんで、パイ生地で作ったブハラ・ナンや蜂蜜を販売していた。
ウズベキスタンでは養蜂が盛んで、大きな幹線道路では採れたて蜂蜜を販売する屋台が立ち並ぶ地域も有り、蜂蜜好きな私としては蜂蜜が非常に気になったのだが、入れてある容器がペコペコのペット容器でとても日本までの空輸には耐えられそうもなく断念。
次回ウズベキスタンへと行く時は、ガラスの大きな空き瓶を持って行こうかな。
バザールをふらふら歩くのも面白くて、もっと歩きたかったのだが、母から少々ギブアップのお知らせが…。
どうやら、朝早くから歩き通していたので、疲れが出てきたらしい。
バザール見学はサワリ程度で終わらせて、お店のお兄さんに聞いた道を頼りに次の目的地方向にカフェを探しながら歩き出す。 -
イチオシ
その途中で、母はインド系の女性にナンパされ、写真を一緒にパチリ。
疲れているはずなのに、その笑顔。
やはりオンナは女優魂を忘れないのか! -
歩いている途中で、地元のお爺ちゃんたちが寛ぐチャイハナを発見。
チャイハナとはウズベキスタン式のカフェの事だ。
受付のオジサンに、お茶を飲むジェスチャーをしながらOK?と聞いたら、どうぞ…と椅子席まで案内してくれた。
母はしばし、椅子に腰をおろし休憩の時間。
私は、お爺ちゃん達のゲームを見せてもらいに、ゲームをするお二人の傍へ。
ゲームの合間にカメラを見せたら、写真撮って良いよと、ニコリと笑ってくれた。
ウズベキスタンの男性は、けっこう大柄でいかつい顔の人も多いが、笑うと、とってもチャーミング。
お爺ちゃんたちの脇に私もイスを動かして、ゲームの見学の時間。 -
ゲームはサイコロを転がして、その目の合計または差で得点が決まるようで、サイコロを振っては相手の駒を自分の方へ引き寄せたり、場所替えをしたり。
簡単そうに見えたが、そのルールはなかなか複雑そうだ。
私が暫く見学した後にお茶をオーダーするために席に戻ったら、今度は母がお爺ちゃんのところへ。
疲れたと言っても、楽しそうなものは見たいらしい。
母が仕入れてきた情報によると、このゲームは「シーシベイス」という名前で、その意味するところは「6か10か」という事らしい。
しかし、ウズベク語が話せない母がどのようにこの情報を手に入れたのか、私はまだ知らない。 -
チャイハナと呼ばれる喫茶店は同じ中央アジア圏のトルコにもあるが、トルコのチャイハナのメインの飲み物はトルコ・コーヒーだ。
でも、ウズベキスタンのチャイハナはトルコとは異なり、コーヒーは置いていない。
有るのは、チャイ(お茶)だけだ(ビールも有るらしいが…)。
チャイにはブラックとグリーンの二種類があり、私たちはブラックをお願いした。 -
茶葉の見た目は日本茶に似ているが、その味はウーロン茶に似ている。
味はウーロン茶よりだが、出がらしになるころにも烏龍茶葉独特のエグミは無く、さっぱりとした切れ味で、飲みやすいお茶だった。 -
チャイにはおつまみも付いてきて、ナッツやドライフルーツをつまみながらのティータイム。
ドライフルーツは日本で食べるよりも甘さが控えめだが、果実感がタップリでジューシー。
機械ではなく太陽の力を利用した天日干しでドライフルーツを作っているのかもしれない。
このチャイハナでのお会計は、たっぷりとお湯の入ったチャイとナッツのおつまみ付きで1万スム(約160円)だった。
美味しいチャイと甘いドライフルーツで糖分も補給し、元気を回復した母と私は再び町探検へ。
母の様な少しだけお姉さんな方と旅をする時は、その行程では無理をしないで、本当に疲れ切る前に休憩をとることが大事。
この日も朝9時の段階で休憩をしていなかったら、母は疲れでこの後の町歩きが出来なかったかもしれない。 -
イチオシ
ブハラの町探検では綴りたいことはまだまだたくさんあるが、相変わらず文章量の多い旅行記なので、旅行記第二部はチャイハナでの休憩まで。
続きの旅行記では、ブハラのメインの観光地である古い神学校(メドレセ)やモスクを紹介♪カラーン モスク 寺院・教会
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そして、絶景チャイハナの情報も…。
名前は知られているのに、ガイドブックの情報だけではその場所が特定できない絶景チャイハナ【チャシマイ・ミロブ】。
このチャイハナのテラスからは、一般の旅行者では見ることのできないと思っていた288の丸屋根が並ぶ不思議な光景を見ることが出来た。
母と娘のBuxoro(ブハラ)町探検はまだ始まったばかり。
ガイドブックからは分からない現地の空気や匂いを感じられるような旅行記を綴ってみたいと思っている。
前の旅行記:闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪
http://4travel.jp/travelogue/11240625
続きの旅行記:古のオアシスが微睡む夢
http://4travel.jp/travelogue/11247059チャシマイ ミロブ カフェ
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この旅行記へのコメント (4)
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- みかりさん 2017/05/23 00:39:45
- ウズベキスタン!
- ウェンディさん、こんばんは!
GWの旅行はウズベキスタン親子旅だったんですね。
ウェンディさんの旅は毎回、BS系の旅番組みたいでワクワクします。
私も一時期中央アジアに興味を持った事があって・・・ウズベキスタンの
イスラム建築や装飾の町を見てみたいと思った事があるんです。
でも「スタン」がついてしまうと、どうしても治安だったりテロ等に
巻き込まれてしまわないか・・・不安になりますよね。
そのくらい私にとっては未知の国の部分があるので楽しく拝見してます♪
それにしても・・・ウェンディさんのお母さん、足腰丈夫で体力ありますね。
自分で荷物を持っての海外の寝台列車とかもハードですよね。
前から思っていたんですが、海外の食べ物は基本的に何を食べても
大丈夫ですか??私は香りが強い物がダメなので、食べ物でも苦しみそう・・・
紹介されていたシンプルなボットン便所もしゃがめ無さそう。(苦笑)
シンプルな町並みながら建物の装飾がホントに美しいですね。
トルコブルーの屋根をもったモスク・・・こんな建物見てみたいです。
また続きも楽しみにしています!
みかり
- ウェンディさん からの返信 2017/05/23 21:05:30
- RE: ウズベキスタン!
- みかりさん こんばんは♪
今回のウズベキスタン旅ですが、私も調べ始める前は「スタン」の付く国は危ないのではないか。と思っていました。
だって、アフガニスタン…とか思い浮かべてしまいますよね。
でも、調べだしてみたら、イスラム教の国ではありましたがロシアの70年(だったかな…)の統治下でイスラムの形がゆっくりと変わり、今ではかなりゆる〜いイスラム国となり、テロの危険性はそれほど高くない国だと分かりました。
命の危険という意味では、現在の北の方が何をするか分からないので、日本の方が危機感に溢れている気もします。
母も私も海外での食事を含め、けっこう平気で何でも食べる方だともいます。
ウズベキスタンでも、オジサンが獲ってくれた木の実から、モスクで出会ったお爺ちゃんがくれたドライフルーツ(どうやら私が子ども扱いされた気もしていますが)迄、なんでも口に入れていました。
ウズベキスタン料理はアジア風な味付けもあり比較的日本人の口に合い、食べやすかったですが、全般的に油分は多めですね。
今回の旅は現地6日間と短い滞在でしたが、最後の2日の夕食はもう現地食はできれば遠慮したい…と胃が主張していたので、レストランでの食事はパスしました。
でも、夕食を食べない訳にはいかないですよね。
で、どうしたかというと…。
現地でお皿とスプーンを買って、更にバザール(市場)で、出来合いの野菜のサラダを買って、宿の部屋でシンプルなサラダ夕食。
勿論、バザールでは新鮮な果物も買ってきて、豪華デザート付。
ウズベキスタンのバザールには生鮮食料品も有りますが、酢で加工されたサラダもあり、その中でもウズベク人参のサラダの人参らしい味がおいしくって…。
次にウズベキスタンに行く時も、是非、このバザール夕食調達は実践しようと思っています。
ウズベキスタンは親日の方が多く治安も良いので、中央アジアの入門編(練習編)としてはうってつけの国です。
食事は旅の手法次第でなんとでもなるので、みかりさんも是非、チャレンジしてみてくださいね。
私も今回の旅で中央アジアが癖になりそうなくらい気に入っていて、今回の旅の経験を踏み台に、次なる「スタン」のプランを脳内妄想中です。
ウェンディ
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- yoshiboさん 2017/05/22 09:10:47
- タクシー
- はじめまして。
私の知人で、60歳にて英国の短期英語学校へ行かれ、それから世界中を旅された方が居られます。旅行記を数冊 自費出版されてますし、旅行中にメールでほとんど毎日状況を知らせてくださいました。
その中で、各国でタクシーに騙される話しが盛り沢山でした。本当に色々なだまし方があるものだと感心しました。
到着してから、「あれは一人分だから 二人分だせ」とは、運転手も走りながら考えたのでしょね。
次の被害者を出さない為にも、毅然とした態度で対応された事は立派だと思います。
楽しい旅行記 楽しみにしています
- ウェンディさん からの返信 2017/05/22 21:49:50
- RE: タクシー
- yoshiboさん はじめまして。
海外でのタクシーは、慣れないと緊張しますよね。
特に今回は、掴まえてしまったのが白タクの運ちゃんで、朝まだ6時前だというのに、頭をフル回転の料金交渉から。
更に降りる時にはまさかの二人分請求というオマケつき。
トラブルという程大きな問題ではありませんが、ウズベキスタンの白タクではこんな理不尽な要求もあるという事例として旅行記&口コミに投稿いたしました。
海外でタクシーに乗る時は、やはり相場をある程度調べておかないと、運転手の言い値が適正価格かどうかが分からない点がありますね。
私もガイドブックの情報をベースに、インフレが進んでいても1年間で倍程度と思っていたので運転手の言い値(5万)を3万にディスカウントしてもらいましたが、コレが通じるのもウズベキスタンの云う国だから。
他の国では、海外からの旅行者なのに(海外旅行者=お金持ちとみなす国も多いですよね)けち臭く値切ったりすると、そのままタクシーが追いはぎに変貌する可能性もあり、その辺の見極めは大事だと思います。
また、明らかにその国内でのノーマルな運賃より下の価格を提示するのもルール違反ですね。
タクシー運転手さんは自分の仕事に誇りを持っているでしょうし、それを安く見積もられたら良い気分はしないでしょうから。
タクシーに乗るにも、国ごとのルール(暗黙の了解の様なモノ)があり、個人旅行者にはそれを読み取る能力も旅力の一つとして必要なのだと思います。
ところで、yoshiboさんのお友達はバイタリティに溢れていますね。
定年時期を超えられてからイギリス留学し、世界中を飛び回り、その足跡を本として記録に残す…なんて、お仕事を卒業した後のちょっと長めの卒業旅行と卒論みたいでで素敵です。
ウェンディ
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