2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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『三木合戦』から20年経った1600年の関ヶ原の戦いの結果、池田輝政が播磨52万石の大名として姫路城主となると、三木城も六つの支城の一つとなり、次第に存在感が薄れてきました。
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三木城址の本丸跡の紹介の続きです。稲荷神社の前に戻って来ました。最初に前方に見える鳥居まで石段を登りましたが、次の見学場所に向かうため、ここで左に折れました。金物博物館の前を通って、首塚のある雲龍寺方面への移動です。
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落葉が降り積もった木陰に建つ石塔の光景です。上の丸稲荷神社の境内のようでしたが、荒れるままになっていました。奥の方に、赤い鳥居も見えていました。
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ツバキとの区別が、はっきりとはしませんでしたが、サザンカ(山茶花)のピンクの花のようです。咲き終えた花も、蕾もありました。
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この場所も、荒れ果てた稲荷神社の境内の一角になるようです。藤棚のような光景でしたが、手入れがされていないようです。
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石の鳥居越しに眺めた、稲荷神社に隣接する場所にあった神社の光景です。現況図にも二つ神社が記されていましたが、名前が記されていませんでした。『廃社』になったのかも知れません。
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同じく、鳥居を潜って眺めた。稲荷神社に隣接する場所にあった神社の光景です。狛犬が置かれ、灯篭も参道の脇にありましたが、本殿の入口は立入り禁止になっていました。
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日本で最初の金物の町と言われるのが三木市です。その起源は、今から凡そ1500年昔、五世紀の中頃になります。天目一箇命(あめのまひとつのみこと)を祖神とするこの地方の大和鍛冶と、百済の王子恵が丹生山へ亡命してきた時に連れてきた技術集団の韓鍛冶の技術交流に始まります。素晴らしい技術を持った韓鍛冶が三木に住み着き、鍛冶を行いました。
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『古式鍛錬公開実演』の立札の光景です。毎月第一日曜日に開催されている、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀、鋸(のこ)、鑿(のみ)の刃の鍛錬でした。『三木の金物」の話しに戻ります。その後、鍛冶の発達とともに優れた技術を持つ大工職人を数多く輩出し、平城京、平安朝の時代から国宝級の建物を手がけてきたのは、日原大工と呼ばれるこの地方の大工でした。
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三木金物古式鍛錬技術保存会が開催する、『古式鍛錬行事』の平成29年度の年間スケジュール表でした。
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イチオシ
『古式鍛錬行事』が行われる鍛錬場の光景です。野鍛冶のようなオープンな場所でした。囲いの中に、鞴(ふいご)のようなものも見えました。
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三木市の特産と関連する、三木金物博物館の建物光景です。残念ながら、入場して見学する時間はありませんでした。
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文部大臣砂田重民書の落款があった、『村のかじや記念碑』の光景です。その下に文部省唱歌の『村のかじや』の歌詞の銅板プレートもありました。砂田重民氏(1917~1990年)は、兵庫県神戸市出身の政治家です。1977年11月、衆院当選4回ながら福田内閣の文部大臣として初入閣しました。
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鉢植えにされていた黄色のパンジーの花の光景です。三木金物博物館の近くに置かれていました。パンジーは、スミレ科スミレ属の小型の園芸植物です。
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同じく、鉢植えにされていた茜色のパンジーの花の光景です。パンジーは、1800年代の北欧で、アマチュアの園芸家が大きく鮮やかな群性のスミレを作るために、野生のサンシキスミレと野生スミレビオラ・ルテア、さらに近東のスミレのビオラ・アルタイカを交配して生まれたとされます。
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次に向かったのは、別所長治公夫妻の首塚です。その途中、振り返って眺めた神社方面の光景です。赤色の鳥居ではありませんが、上の丸稲荷神社の鳥居のようでした。あるいは、『廃社』になった様な神社の方の鳥居かも知れません。
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見事に褐葉した大木の光景です。褐葉が生じるメカニズムについて紹介します。基本的には、黄葉と同じ原理とされ、黄色成分は色素の『カロテノイド』の生成によるとされます。ただし、タンニン性の物質(主にカテコール系タンニン、クロロゲン酸)や、それが複雑に酸化重合したフロバフェンと総称される褐色物質の蓄積が目立つために褐葉になるとされます。もう一つの褐葉が生じるメカニズムは、本来は紅葉するものが、赤色色素のアントシアンの生成が少なかったりすると褐葉になることがあるとされます。
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赤いカラーコーンを置いて、立入り禁止にされていた建物です。廃校だったようですが、以前は博物館として使用されていたようです。
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赤色の花を咲かせたサザンカ(山茶花)の光景です。三木市の花はサツキですが、推奨花として、サザンカ、サルビアと菊が選ばれています。
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こちらは、ピンク色の花を咲かせたサザンカ(山茶花)の光景です。どちらも端正な花の形をしていました。
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同じく、ピンク色の花を咲かせたサザンカ(山茶花)の光景です。花弁が散らずに、枯れたままになっていましたから、ひょっとしたらツバキの方だったかもしれません。
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街角にあった、『三木城址』の道案内看板の光景です。上の丸駅と、三木駅の案内表示も兼ねていました。上の丸は本丸のことですから、三木城址と同じ方角でした。
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『三木城址』の道案内看板の前から、振り返って眺めた三木城址方面の光景です。道が少しカーブしていまし、距離も離れましたから『三木城址』は見えなくなっていました。
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それほど広い敷地ではなかったようですが、いかにも武家屋敷跡を思わせる門構え、築地塀と庭木や庭石の光景でした。庭石などは、塀の上に半分ほど顔を覗かせていました。
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イチオシ
緑が混じった山の紅葉の光景です。紅葉というより、褐葉の色合いでした。秀吉側の付城にしては近過ぎるようですから、別所側の支城か砦があった小山かも知れません。
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『雲龍寺』の文字が刻まれた寺標の光景です。『三木釜山城主・別所則治公中興開基』の文字が添えてありました。周囲が断崖に囲まれた姿から、釜山城とも呼ばれていたようです。
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『高原山』の山号標示の石標の光景です。『村上天皇勅願時』と『後醍醐天皇御下賜』との文字が添えてありました。村上天皇(926~967年)は、平安時代中期の第62代天皇、後醍醐天皇(1288~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇です。
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『歴史街道・長治公と雲龍寺』のタイトルがあった説明看板の光景です。『三木合戦』の前には雲龍寺は城内にあり、その時に焼失してしまったようです。秀吉に再建を上申したのは、第6代城主の杉原伯耆守であることも紹介されていました。天正12年(1585年)、秀吉から30石の寄進状と制札が下付され、江戸時代に入っては、幕府から朱印状が出されたことも紹介されていました。
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イチオシ
『高源山・雲龍寺』の山門光景です。お寺の再興を秀吉に上申した杉原伯耆守こと、杉原家次(生年不詳~1584年)は、秀吉の正室・寧々(高台院)の母・朝日殿の兄で、寧々の伯父に当たります。前歴は連雀商人とされますが、秀吉が長浜城主に立身出世するとその家老となりました。
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山門付近から眺めた、『高源山・雲龍寺』の本堂光景です。杉原家次の話題をもう少し続けます。家次は秀吉に従い、播州三木・因幡鳥取・備中冠山・近江賤ヶ岳などの戦いに戦功がありました。天正10年(1582年)に信長が倒れた後は京都所司代となり、その後、坂本城から福知山城へ入りました。身内ながら、異例の出世を遂げました。しかし晩年には発狂したとの噂もあり、不自然な死に至りました。
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『別所公首塚』の道案内標識です。天正8年(1580年)1月17日、別所一族の最後に日には、雲龍寺7世の春泰禅師が立ち会っています。長治公は後事を春泰禅師に依頼し、日頃愛用していた天目茶碗などを授けたことなどが、『歴史街道・長治公と雲龍寺』の中に記されていました。
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2017暮、大阪湾の名城巡り(上巻)
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