2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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有岡城は、南北朝時代に伊丹氏により築城され、天正11年(1583年)に廃城となりました。荒木村重が大改修した日本最古とされる惣(総)構えの城は、織田信長の大軍による攻撃に一年に亘って耐えました。(ウィキペディア、日本百・続百名城公式ガイド)
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有岡城の旧名は伊丹城、南北朝時代に摂津国人の伊丹氏によって建築されました。文明4年(1472年)に改築されるまでは、伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城とされました。残念ながら、その遺跡は残されていません。(同上)
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イチオシ
現在の有岡城址の東面の石垣光景です。戦国期の伊丹城は、その東側は伊丹川を挟んで崖となっていて、更に東側は駄六川と猪名川による天然の要害になっていたとされます。ただし、この石垣は、明治時代の鉄道工事で、東側半分ほどが削られた跡に積まれた石垣のようです。(同上)
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有岡城址の木々の光景です。木の実を食べに来ていたドバトさんの姿がありました。キジバトさんもいたようですが、写真には撮れませんでした。(同上)
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同じく、有岡城址に木の実を食べに来ていたドバトさんの姿がありました。小さな緑色の実が生っていました。(同上)
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石垣の上に見える紅葉と黄葉の木々の光景です。有岡城址跡の主郭を、時計回りにほぼ1周してきたようです。(同上)
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有岡城に到着した時にも撮影した、城址の石垣の下から見上げた楓の紅葉と、公孫樹の黄葉の光景です。名古屋を出かける時には、防寒対策を考えましたが、風もなく小春日和の一日になりました。(同上)
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同じく、城址の石垣の下から見上げた楓の紅葉と、公孫樹の黄葉の光景です。城跡では、満天星躑躅の紅葉も目にしました。(同上)
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ツートンカラーのピンク色のセキチク(石竹)の花の光景です。セキチクは、ナデシコ科ナデシコ属の植物です。カワラナデシコ(河原撫子)とよく似ています。(同上)
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赤色というより朱色に近い、セキチク(石竹)の花の光景です。ナデシコ科ナデシコ属の植物です。セキチクとカワラナデシコの見分け方は、花の切れ込が深い方がカワラナデシコになります。(同上)
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濃いピン黄色のセキチク(石竹)の花の光景です。石竹は、葉が竹に似ていることからこの名がついたと言われています。(同上)
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茜色を帯びたセキチク(石竹)の花の光景です。原産は中国で、日本では平安時代には栽培されていてようです。(同上)
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中心部分が紅く色付いた、ハボタン(葉牡丹)の光景です。彩りの少ない季節に貴重な植物で、門松飾りなどの添え物にも使われています。アブラナ科アブラナ属の多年草です。(同上)
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有岡城の南面の石垣と、その傍らにあった花壇の光景です。有岡城は、織田軍に攻められ天正7年(1579年)に落城し、翌天正8年(1580年)に村重に代わって、池田之助が城主になりました。之助が美濃に転封になり、天正11年(1583年)に廃城となりました。之助は、天正8年の荒木村重討伐では父や弟の輝政と共に活躍しましたが、秀吉と家康が争った天正12年の長久手の戦いで討ち死にしました。(同上)
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現在の有岡城址の西南角から眺めた堀跡の光景です。再集合で、全員が揃うまでの間、写真を撮りながら時間調整をしました。第317次発掘調査(平成19年~20年)の報告書からの紹介です。『主郭部の発掘調査では、主郭部の周囲に内堀と土塁が設けられていることがわかり、内堀の規模は幅約15m、深さ約2.5m以上で、石垣はなく、素掘りの堀であることも確認されました』と記されていました。(同上)
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イチオシ
西側から眺めた有岡城址の主郭部の光景です。相変わらず、小春日和の好天が続いていました。(同上)
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再集合場所の有岡城址の入口です。全員が揃ったところで、歩いて有岡城下町跡と、猪名野神社に向かいました。猪名野神社は、有岡城の遺構の『北ノ砦跡』の土塁が残る古社です。(同上)
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ここからは、有岡城の『北ノ砦跡』の土塁が残る、猪名野神社に向かう途中の光景です。有岡城の城下町跡を見学しながら猪名野神社に向かいました。この通りは、東西の『伊丹酒蔵通り』です。(同上)
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『伊丹酒蔵通り』の街並み光景です。かつての有岡城の惣構えの城内になる場所です。惣構えの城の範囲は南北1.7キロ、東西0.8キロとされ、周囲は土塁と堀で囲われていました。(同上)
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同じく、『伊丹酒蔵通り』の街並み光景です。西側方面の光景になります。一番手前はクラシックな造りのお寿司屋さんの『楽(ガク)』、その隣はハイカラな造りの『創作華・扇(セン)』のお店でした。(同上)
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『伊丹酒蔵通り』の街並み光景が続きます。逆光での撮影になりましたが、大衆食堂化、野宮さんらしいお店でした。清酒の町・伊丹らしく、銘酒の1升瓶がウィンドウに並んでいました。(同上)
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東西の『伊丹酒蔵通り』の先に新しいビルの光景がありました。北海道から全国展開し、さらに世界に間口を広げ始めた家具店、ニトリの建物でした。(同上)
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イチオシ
発掘調査資料によれば、『江戸時代の大溝』が見付かった場所とされます。『調査区を南北方向にのびる大溝は、大型の川原石で壁面を積み上げていますが、その下には丸太や大きな板材が基礎に使われています。石うすが使われているところもあります。この大溝の一部は現在のニトリ南側に復元して展示されています』と紹介されていました。(同上)
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発掘調査で、『江戸時代の大溝』が見付かったニトリの南側の光景です。現在は、伊丹市伊丹1丁目、江戸時代のメインストリート『本町通り」に面した場所で、3軒の酒蔵が立ち並んでいたところとされます。(同上)
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『伊丹郷町(ごうちょう)の大溝跡』のタイトルがあった平成15年の発掘調査の説明パネルの光景です。発掘調査時の状況が写真と図面を交えて紹介されていました。江戸時代の古絵図にも描かれている水路で、酒蔵からの排水が目的だったとされます。有岡城時代の堀を埋めて作られた、石造りの水路です。重なって発見された有岡城の堀跡は、幅が6メートル、深さが3メートルと大規模でした。(同上)
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再建された『伊丹郷町(ごうちょう)の大溝跡』の脇に造られた土塀風の壁の端末部分のズームアップ光景です。鬼瓦付きの本瓦が乗せられていました。(同上)
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横から眺めた、『伊丹郷町(ごうちょう)の大溝跡』の光景です。発掘調査結果を踏まえて再建されたものです。溝の広さは1~1.2メートル、深さは、1~1.5メートルです。(同上)
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ニトリノ店舗の前から振り返って眺めた、東方向の『伊丹酒蔵通り』の光景です。この通りの延長線上に、有岡城址やJRの伊丹駅があります。(同上)
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『伊丹郷町』のタイトルがあった説明パネルの光景です。地元のHPの前段には、『猪名川の西岸から武庫川にかけて広がる平野の「猪名野」は、「しなが鳥ゐなの・・」と詠まれる歴史ある地域でした。14世紀ごろから、およそ300年にわたり伊丹氏が猪名川の西岸に築いた伊丹城に居住しました』と紹介されていました。(同上)
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同じく、『伊丹郷町』のタイトルがあった説明パネルの光景です。地元のHPの後段には、『伊丹郷町は、酒造業が近衛家の奨励のもと一層発達し、江戸をはじめ諸国に送り出されていきました。酒造家のもとには、全国から文人墨客がやってくるようになり、酒屋の旦那衆も俳諧をたしなむなどして、文化的香りの高い町としても発展してきました』と紹介されていました。(同上)
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南北の広い通りを渡って、さらに西方面に向かいました。南北の大通りは、『県道13号尼崎池田線』です。その北方面の光景になります。(同上)
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