2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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三木城は、美嚢川の南岸の台地、明石の北約19キロ、姫路の東約31キロの地にあり、古くから整備された京都と有馬を結ぶ交通の要所、湯の山街道の脇に築城されました。(ウィキペディア、日本百・続百名城公式ガイド)
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三木城の現在の城下町の光景です。三木城は、長享2年(1492年)前後 に、室町時代から 戦国時代初期にかけての武将、別所則治(生年不詳~1513年)により築城されました。廃城は、江戸時代の元和元年(1615年)です。(同上)
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三木城の現在の城下町の光景です。街道から分岐した裏通りの光景です。三木城は、天正6年(1578年)から約2年に亘って、織田方の羽柴秀吉と別所長治との間で、激しい攻城戦が繰り広げられた、『三木合戦』で知られています。攻め方の秀吉は、『三木の干殺し』と呼ばれる兵糧攻めを行いました。(同上)
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奥に見える小山が、平山城の三木城があった場所です。三木合戦において、神吉城(印南郡)、志方城(印南郡)、淡河城(美嚢郡)、高砂城(加古郡)、端谷城(明石郡)など、東播磨各地の城が支城として別所方に従いました。後ろ盾が、毛利氏でした。(同上)
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古くから整備された交通の要所、『湯の山街道』の案内表示の光景です。『湯の山街道』は、三木から湯の山(有馬温泉)に至る街道の通称とされます。『有馬温泉は、兵庫県神戸市北区有馬町(摂津国)にある、日本三古湯の温泉の一つです。(同上)
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前方に、『湯の山街道』の途中にある商店街のアーケードが見えてきました。アーケード街は、『ナメラ商店街』と呼ばれています。『ナメラ』は『滑原』の漢字が使われていました。(同上)
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城下町に相応しい、『紫雲館剣道場』の看板があった建物光景です。ナメラ商店街のアーケードの入口近くにありました。(同上)
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建物の間から見えていた、三木城址の小山です。『三木合戦』の紹介の続きです。天下統一を目指す織田信長は、天正5年(1577年)に、中国地方の戦国大名毛利輝元を討つため、羽柴秀吉を総大将に任じ播磨に侵攻させました。播磨の守護代である小寺氏や別所氏などの有力武将は、秀吉率いる織田軍に加勢することを約していました。(同上)
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間口の広い、お土産屋さんの店先光景です。『やまかね』の屋号を記した看板がありました。別所氏は、村治(1502~1563年)、安治(1532~1570年)の頃から織田氏とかかわりが深く、長治の叔父重棟は、既に織田方として従軍していました。村治は東播磨の覇権を確保し、1556年に家督を子の安治に譲りました。安治は、足利義昭が三好三人衆に襲撃された際は応援を出し、これを信長に賞されています。(同上)
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イチオシ
『湯の山街道』を右に折れて三木城跡に向かいました。右折直後の光景です。戦国時代の播磨国内の諸勢力は、毛利氏と織田氏の両方と友好関係を結んでいましたた。この二大勢力も播磨を緩衝地帯として、友好関係を保っていました。しかし、信長に京都から追放された足利義昭や、石山本願寺の顕如の要請により、毛利氏は反織田に踏み切りました。(同上)
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通路の脇で咲いていた、メキシカン・ブッシュセージのようです。アメジストセージの呼び名もあります。『三木合戦』の紹介が続きます。播磨国内では、天正5年(1577年)5月に中播磨の御着城主小寺政職が毛利氏と争い、旗幟を鮮明にするなど、多くの勢力が織田氏寄りとなりました。一時期は、播磨のほぼ全域が織田氏の勢力下に入りました。(同上)
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三木城の本丸入口までは、結構きつい上り坂が続きました。しかし、織田氏と別所氏の関係は、天正5年(1577年)10月に加古川城で行われた、秀吉と別所吉親の会談(加古川評定)で生じた不和をきっかけに悪化しました。別所吉親は、三木城主の長治の叔父で、後見人でした。三木合戦の絵解きにも、この当たりのことが紹介されています。(同上)
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三木城の本丸入口まで、まだ坂道が続きます。別所氏当主の別所長治が信長から離反し、毛利氏側に付きました。別所氏の影響下にあった東播磨の諸勢力がこれに同調しました。また、浄土真宗の門徒を多く抱える中播磨の三木氏や西播磨の宇野氏がこれを支援し、情勢が一変しました。(同上)
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上り坂も終点に近くなってきました。左手に神社らしい建物の屋根も見えてきました。別所長治は三木城に篭城し、毛利氏の援軍を待つ方針を決定、ここに三木合戦が開始されました。天正6年3月(1578年5月)のことでした。戦いはこの後、天正8年1月17日(1580年2月2日)まで続きました。(同上)
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坂道を登りきる前に、左に石段を登った場所に稲荷神社がありました。別所氏が離反した理由としてよく挙げられるのが、別所氏の名門意識が、評定での秀吉との対立を招いたというものです。しかし、これは勝者の論理が絡んでいる可能性もあります。これ以外にも、多くの要因が指摘されています。(同上)
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石段の下から眺めた鳥居と、その先の建物光景です。稲荷神社の拝殿は、この建物の背後になる、もう一段高い場所にありました。(同上)
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現地ガイドさんから、三木城と別所長治公の話をお聞きした、休憩所のような吹き抜けの建物光景です。室内に絵馬や合戦図などが掲示してありました。(同上)
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三木合戦の絵図です。『三木合戦絵巻之内・平井山合戦図・別所治定奮戦図』の題字がありました。白馬にまたがった人が治定公です。三木城主の別所長治公の弟です。天正7年(1579年)、兄別所長治の命により叔父・吉親らと共に、800の兵を率いて羽柴秀吉勢を平井山に奇襲しましたが失敗、敗死しました。享年19歳でした。(同上)
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かつての三木城の天守の光景です。『播州三木城復元図』のタイトルがありました。天守については、詳しいことは分かっていません。この絵には、二層の建物が描かれていました。昭和33年(1958年)7月に奉納された絵でした。(同上)
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イチオシ
奉納された絵馬の光景です。筋肉隆々の、逞しい白馬が描かれていました。絵は昭和29年の福本秀翠作、二人の奉納者の名前も記されていました。(同上)
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休憩所の建物の中にあった、『上の丸(うえのまる)・稲荷神社』の表札の光景です。三木城址公園は、上の丸公園とも呼ばれているようです。(同上)
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イチオシ
石段の下から見上げた三木稲荷神社の拝殿光景です。赤い幟には、『稲荷大明神』の文字がありました。稲荷神社は、全国に3万社あるといわれ、その総本宮が伏見稲荷大社です。(同上)
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稲荷神社拝殿のズームアップ光景です。稲荷神社は、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神さまとされます。拝礼の前に鳴らす鈴が中央にありました。(同上)
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絵馬があった休憩所らしい建物から眺めた、稲荷社の周りの石段と石柵の光景です。総本宮の伏見稲荷大社は、奈良時代の和銅4年(711年)2月に鎮座したとされ、平成23年(2011年)に1300年を迎えています。(同上)
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休憩所の屋根の鬼瓦のズームアップ光景です。軒丸瓦は、右三つ巴紋がベースですからよく見かける紋です。因みに、別所氏の家紋は『右三つ巴』です。鬼瓦の紋が、私にとっては珍しい形でした。形は筆記具の水滴のようにも見えました。伏見稲荷は『抱き稲紋』、神紋一覧などにも目を通しましたが、まだ名前が特定できていません。(同上)
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年代を感じさせる石碑の光景です。裳時などが読み取れる状態ではありませんでした。台座も修復された跡がありました。簡素な注連縄が、曰くがありそうでした。(同上)
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石碑と、その周りの置石の光景です。無造作に置かれていましたが、三木城以来の古い石材のように思えました。元和元年(1615年)に廃城となってから、400年が経ちました。(同上)
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最初に登った石段の上にあった石の鳥居の光景です。鳥居の間から、三木の市街光景が見えていました。鳥居は意外と新しく、平成17年(2005年)建立の表示がありました。(同上)
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横から眺めた石段の登った先にあった鳥居の光景です。ネット情報によれば、三木城の標高は48.3メートルと紹介されていました。比高が約20メートルの切崖に囲まれています。(同上)
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石柵の囲いがあった小さな社の光景です。神社名は記されていませんでした。三木稲荷神社の境内社のようでしたが、詳しいことは分かりませんでした。(同上)
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逆光での撮影になりましたが、学校跡のような建物光景です。後ほどネット検索してみましたが、建物の名前は特定できませんでした。三木市立の堀光美術館に隣接する場所です。(同上)
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