2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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大阪湾の周りの名城巡りです。3日間で9箇所を巡りました。その4箇所目の洲本城紹介の締め括りです。石垣遺構が素晴らしい続日本百名城に選ばれた名城でした。
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イチオシ
本丸址で見頃を迎えていた、椿の花越しに眺めた模擬天守の光景です。須賀らしい石垣遺構が残っていましたが、建物遺構はなく、つい、模擬天守の写真紹介が増えてしまいました。1585年に城主となった脇阪安治時代に天守が築かれたのは間違いないようですが、詳細な記録は残っていないようです。
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『本丸』の標識の光景です。1585年に城主となった脇阪安治(1554~1626年)の略歴などの紹介です。はじめ、近江国の浅井長政に仕えましたが、1573年に浅井家が滅亡したことで、羽柴(豊臣)秀吉に仕えました。賤ヶ岳の戦で貢献し、賤ヶ岳七本槍の一人として名を上げ、3千石の恩賞を受田ことを手始めに数々の武勲を挙げました。1585年の32歳の時には、1万石から2万石、更に3万石となって洲本城主になりました。1609年の56歳の時に、5万3万石に加増の上移封され、大洲城主となりました。1614年、61歳の時の大坂冬の陣、大坂夏の陣では、どちらにも味方せず、翌年に隠居して子に家督を譲りました。亡くなったのは1626年、隠遁先の京都、73歳でした。
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『武者走台』の標識の光景です。『武者走台』への登り石段が設けられた場所に設置してありました。2~3メートルくらいの高さに見えました。
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この石段も『武者走台』への登り口のようでした。10段ほどの石段ですから、3メートル程はありそうです。
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石垣の一部の石が落下していましたが、この石段も『武者走台』への登り口のようでした。足元が悪そうでしたから、登るのは止めました。
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見頃だった、ピンク色の椿の花の光景です。複数の株により、一叢になっていました。彩りの少ないこの時期、一番の彩りになっていました。
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模擬天守のズームアップ光景です。屋根瓦は葺き替えられていましたが、昭和3年(1928年)建築の鉄筋コンクリート製の建屋自体は、既に90年近くの年数を経ています。木造建築ではありませんから、解体修理という具合にはいきませんが、耐震対策は行われたようです。
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自由時間での見学の後、再集合場所は、駐車場に留め置きになったバスでした。ここからは、その帰り道での撮影です。この辺りは、まだ本丸エリアです。
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少し脇道に逸れて撮影した石垣と楓の落葉光景です。数本の楓の落葉で、地面が紅く彩られていました。その色も、既に赤色から枯葉色に変わり始めたようです。
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地上近くに大きな切株があった、本丸の高石垣の光景です。白っぽい石と、茶色っぽい石が混ざり合って積まれていました。『表面が出来るだけ平らになるよう施工された野面積』と呼んでみたくなる積み方でした。野面積でも、大きな石を割って使うとき、平らな面を表に揃えることがあるようです。茶色の石にその傾向がみられるようでした。
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往きには通らなかった本丸大石段の下りの光景です。意図的に、登り難く、下り難いようにしたとも思える、石段の不揃いな段差でした。石段を下りる人の姿にも、その雰囲気がありました。登山用のステッキを手にした人は、大いに助かったようです。
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イチオシ
上部程、鋭角になった石積のコーナー部分のズームアップ光景です。下部の方は算木積風の部分がありましたが、鋭角になった上部では大きな石1個が選ばれて積み上げられていました。算木積が完成する前の過渡的な石積のようにも見えました。
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同じ石垣の下部部分と、右奥の石垣光景です。この石垣が、本丸の南面になるようです。前に迫り出した石垣部分は、近年に積み直されたような雰囲気がありました。その手前に崩落したらしい土塁部分が見えていました。
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本丸石垣と、その左側の本丸大石段の光景です。往きにも紹介しましたが、一番印象に残った場所ですから、帰りにも写真紹介しておきます。
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最後にもう一枚、本丸の高石垣と、本丸大石段の光景です。大石段には、下り難そうな姿の一団が見えました。
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上下4列の案内標識があった場所の光景です。上から左向きの天守閣二段目が同じ方角の西の丸、三段目が奥の方向きの八王子神社、東の丸と武者溜、一番下が手前向きの馬屋(月見台)と再集合場所になった駐車場の表示でした。
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修復工事中の石材などが保管された場所のようです。積み上げた石材などに青いシートが被せられ、周リに赤いカラーコーンが置かれていました。
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眼下に見えてきたのは『日月池(じつげついけ)』の光景です。谷地の湧き水を、石垣を築いて池にしています。また、近くには『日月井戸』もあります。山上の城とでは、水は生命線です。湧き水を利用したり、各城塁の石垣の基礎石溝からの雨水を集め、また、ひさごの滝からの清水を、この池と井戸へと流れるような仕組みにしていたととされます。
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左側の石垣は本丸石垣ではなく、本丸より一段低くなった南側の曲輪跡らしい場所の南面の石垣のようです。その先に石の鳥居が見えました。道路標識に記してあった『八王子神社』の鳥居のようでした。『八王子神社』の祭神の『八王子命』は、アマテラスがスサノオと誓約した時に生まれた五男と三女のようです。
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草書体で記された記念碑でしたから、全文を読み解くことができませんでした。昭和27年(1952年)に建立された奉仕会の記念碑のようでした。『御勤』らしいタイトルと、『従三位、89歳』等の落款がありました。
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草書体で記された記念碑とその周りの光景です。この辺りは洲本城の『東の丸』のエリアになるようです。背後に鬱蒼とした林がありました。
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同じく、鬱蒼とした林があった『東の丸』のエリアの背後の光景です。『東の丸』に隣接した北側には、『東の丸二段の曲輪』が縄張り図に記されていました。小高くなった場所のようです。
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イチオシ
『日月の池(じつげつのいけ)』の光景です。日常の用水や、籠城のために備えられた池と井戸です。今も枯れることはありませんが、改造され、地下の土管から池に引水されているようです。
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『日月の池』に下りる石段の光景です。城内の雨水を集めやすい場所に『日月の池』がありました。とりあえず、池の縁まで下りてみました。
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横に回って眺めた、『日月の池』と『日月の井戸』の光景です。井戸は、写真中央上部の囲いの中にあります。井戸の底には大きな岩盤を埋めていて、その岩盤には『日月の彫り物』があるようです。名前の由来とされます。
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この広い通りは、『工事中・通行止』の表示がありました。推測ですが、石垣か道路の補修工事が行われているのかも知れません。道の左側には頑丈な柵が設けられ、何度も目にした輪違紋の幟が並んでいました。
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道路の中央に『この先・車両通行止』の表示があった場所です。手前左側には、『天守閣・徒歩4分』の表示がありました。『南の丸』の東側を通って「本丸」に向かうコースです。
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『馬屋(月見台)』の標識の光景です。洲本市観光協会の案内板には、『曲輪の先端部に自然石が数個一列に並び、 祭祀的な場所と思われる』との記述もあります。馬屋曲輪の石垣の一部には、石垣が二段に積まれた『腰曲輪』と記された部分もあります。
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『馬屋(月見台)』から眺めた大阪湾の光景です。『紀淡海峡』と呼ばれている海域とされます。高台になっているこの場所からは、サントピアマリーナ、ヨットハーバー、由良、友が島も眺めることができるようです。
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淡路島の洲本城の見学を終えた後、次は四国に向かいました。四国では、続日本百名城の勝幡城と、日本百名城の徳島城を見学の予定です。写真は、鳴門海峡に架かる大鳴門橋を渡る時の光景だったようです。
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