2015/01/05 - 2015/01/05
291位(同エリア367件中)
滝山氏照さん
JR松阪駅より徒歩約10分、教主山・来迎寺(らいごうじ、三重県松坂市白粉町)は阿弥陀如来を本尊とする戦国時代前期において伊勢国司である北畠材親(きたばたけ・きちか、1468~1518)によって松ヶ島城下に創建と伝えられ、天正16年(1588)に織田信長次女を正室(相応院)とする蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)の松阪城築城に伴い現在地に移転したという天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の寺院です。
松阪市役所のホームページでは当寺について下記の通り爽快されています。
『来迎寺本堂(らいごうじほんどう) 国指定重要文化財
概要
・ 1棟
・ 享保16年(1731)
・ 白粉町 来迎寺
・ 外陣:寄棟造、本瓦葺・内陣:宝形造、本瓦葺
・ 昭和63年5月11日
来迎寺は天台真盛宗に属し、永正年間の創建と伝え、松ヶ島にあったが、天正16年(1588)蒲生氏郷による松阪築城に伴い、城下の白粉町に寺地を拝領して現在に至っている。享保元年(1716)の松阪大火の際、表門(現裏門)を除いてことごとく焼失した。
本堂は、享保11年から再興にかかり、同16年に完成した複合仏堂で、前後に並ぶ外陣(げじん)と内陣(ないじん)を合の間で繋いでいる。前方の外陣は桁行(けたゆき)7間、梁間(はりま)4間、寄棟造、本瓦葺、前面に向拝(こうはい)3間をつける。後方の内陣は、身舎(もや)の周囲に裳層(もこし)を巡らした宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦葺の建物。身舎は方3間、阿弥陀、観音、勢至の三尊来迎像を配し、その背後の壁には二十五菩薩像来迎像を描く。本堂は複雑な外観を持つとともに内部の空間構成は豪壮で、意匠的にも優れており、江戸時代中期を代表する建造物である。
なお、本堂の再建にあたっては松阪が生んだ豪商三井家が深く関わっており、再興費は8,700両にもなったという。なお、境内建物のうちで裏門が最古に属し、現表門(鐘楼門)は文政4年(1821)に、客殿は明治2年(1765)に完成している 』。
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次に散歩した樹敬寺について境内に建てられた説明板には下記の通り紹介さ
れています。
『 樹 敬 寺 の 文 化 財
樹敬寺は浄土宗に属し、京都知恩院の末寺、天正16年(1588)、蒲生氏郷の松坂城下建設に伴い、松ヶ島城下より現在地に移った古刹の一つである。
本居宣・春庭墓
国指定史跡 昭和11年9月3日指定
時代 江戸時代
墓碑には宣長と妻勝の戒名「高岳院石上道啓居士」「円明院清室惠鏡大姉」(ともに宣長自筆)を刻む。その背後に長男春庭と妻壱岐の墓がある。なお、この墓地内には宣長の先祖小津家と、子孫の本居家との墓碑26基が並ぶ。
木造地蔵菩薩立像
県指定有形文化財 昭和62年3月27日指定
時代 鎌倉時代
像高83センチ、寄木造、漆箔像、右手を下げて錫杖をもち、左手は肘を曲げて掌上に宝珠を捧持する通常の姿。玉眼のあて木に「嘉元22(4)年(1306)」と墨書があり、確かな造像時期がわかる像である。また、この像は「踊橋地蔵」ともいい、かつては松ヶ島の舞踊橋筋の地蔵堂にあったという伝承を持つ。
2006年3月24日
松坂市教育委員会 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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