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JR松阪駅から約20分の松坂城(まつざかじょう、三重県松阪市殿町)は天正12年(1584)、近江国日野城主で織田信長の二女(冬姫)を正室とする蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)が秀吉命により12万5千石で松ケ島城に入城した後、伊勢湾を臨む松ケ島では城下町の発展に将来が懸念されるとして現在の城地である四五百森(よいほのもり)に新しく造った梯郭式(ていかくしき、本丸を城郭の隅に配し、その周りを二の丸・三の丸が囲む型式)平山城です。<br /><br />城郭の概要については、東に表門(大手門)、南に裏門(搦手門)を構え、四五百森最上地を本丸とし、本丸の西北部には三重五層の天守を構え、更に本丸は上段と一段低い下段とに分かれ、本丸の南側には二の丸を配し、外郭には深田や城郭の北部を流れる阪内川から引いた水堀を巡らせて防御性を高めています。<br /><br />城内に立てられた「松坂城跡」説明によれば次のように記されています。<br /><br />「国史跡 松坂城<br /><br />松坂城は、蒲生氏郷(がもう・うじさと)が天正16年(1588)この四五百森(よいほのもり)に築城した平山城である。<br /><br />蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若山市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠(はっとり・かずただ)、文禄四年(1595)に古田重勝(ふるた・しげかつ)と城主が変わり、元和五年(1619)に徳川頼宣(とくがわ・よりのぶ)が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。<br /><br />城は北を大手に、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。<br /><br />三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓が聳え立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二ノ丸には寛政6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。<br />明治14年(1882)松阪公園となり、現在に至っている。」<br /><br />氏郷は商工業の発展に熱心で城下町建設の際旧地の松ケ島住人を強制的に移住させると共に、旧領の近江商人を呼び寄せ、彼らの商業活動を自由なものにします。<br /><br />天正18年(1590)氏郷は陸奥国伊達氏の牽制を含め秀吉仕置き後の監視監督を目的として会津60万石を以て移封、代わって服部一忠(はっとり・かずただ、生誕不詳~1595)が3万5千石で入封しますが文禄4年(1595)豊臣秀次失脚に連座し知行地没収後切腹を命じられます。<br /><br />続いて文禄4年(1595)、古田重勝(ふるた・しげかつ、1560?1606)が入城、慶長5年(1600)の関ヶ原戦いで徳川方として参陣した結果2万石加増し5万5千石、元和5年(1619)、古田氏が石見国浜田藩主に転付後は、南伊勢は全領徳川御三家の紀伊藩の知行地となり、松坂城は南伊勢を統治する城として城代が配され、明治維新まで続きます。

伊勢松阪 信長を義父に持つ蒲生氏郷が松ケ島から移転して築城し旧領近江より多数の商工人を呼び寄せ城下町を発展させた『松坂城』訪問

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2015/01/05 - 2015/01/05

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83

滝山氏照

滝山氏照さん

JR松阪駅から約20分の松坂城(まつざかじょう、三重県松阪市殿町)は天正12年(1584)、近江国日野城主で織田信長の二女(冬姫)を正室とする蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)が秀吉命により12万5千石で松ケ島城に入城した後、伊勢湾を臨む松ケ島では城下町の発展に将来が懸念されるとして現在の城地である四五百森(よいほのもり)に新しく造った梯郭式(ていかくしき、本丸を城郭の隅に配し、その周りを二の丸・三の丸が囲む型式)平山城です。

城郭の概要については、東に表門(大手門)、南に裏門(搦手門)を構え、四五百森最上地を本丸とし、本丸の西北部には三重五層の天守を構え、更に本丸は上段と一段低い下段とに分かれ、本丸の南側には二の丸を配し、外郭には深田や城郭の北部を流れる阪内川から引いた水堀を巡らせて防御性を高めています。

城内に立てられた「松坂城跡」説明によれば次のように記されています。

「国史跡 松坂城

松坂城は、蒲生氏郷(がもう・うじさと)が天正16年(1588)この四五百森(よいほのもり)に築城した平山城である。

蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若山市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠(はっとり・かずただ)、文禄四年(1595)に古田重勝(ふるた・しげかつ)と城主が変わり、元和五年(1619)に徳川頼宣(とくがわ・よりのぶ)が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。

城は北を大手に、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。

三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓が聳え立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二ノ丸には寛政6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。
明治14年(1882)松阪公園となり、現在に至っている。」

氏郷は商工業の発展に熱心で城下町建設の際旧地の松ケ島住人を強制的に移住させると共に、旧領の近江商人を呼び寄せ、彼らの商業活動を自由なものにします。

天正18年(1590)氏郷は陸奥国伊達氏の牽制を含め秀吉仕置き後の監視監督を目的として会津60万石を以て移封、代わって服部一忠(はっとり・かずただ、生誕不詳~1595)が3万5千石で入封しますが文禄4年(1595)豊臣秀次失脚に連座し知行地没収後切腹を命じられます。

続いて文禄4年(1595)、古田重勝(ふるた・しげかつ、1560?1606)が入城、慶長5年(1600)の関ヶ原戦いで徳川方として参陣した結果2万石加増し5万5千石、元和5年(1619)、古田氏が石見国浜田藩主に転付後は、南伊勢は全領徳川御三家の紀伊藩の知行地となり、松坂城は南伊勢を統治する城として城代が配され、明治維新まで続きます。

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル
  • JR紀勢線松阪駅舎<br /><br />当該駅(JR東海担当)はJRと共に近畿日本鉄道が並走しており、JR駅舎の反対側に駅が置かれています。

    JR紀勢線松阪駅舎

    当該駅(JR東海担当)はJRと共に近畿日本鉄道が並走しており、JR駅舎の反対側に駅が置かれています。

  • 松阪駅周辺地図<br /><br />早速に駅前の地図にて松阪城の所在を確認、そして途中の歴史遺跡にも立ち寄りたいと思います。

    松阪駅周辺地図

    早速に駅前の地図にて松阪城の所在を確認、そして途中の歴史遺跡にも立ち寄りたいと思います。

  • 三井家発祥の地<br /><br />家伝によれば三井家の遠祖は近江南部を治める六角氏に仕える武士であったが信長の上洛に伴う戦いで六角氏は滅亡、三井家は伊勢に逃れ松ケ島に居住するようになったそうです。慶長年間に高安の子高俊が武士を廃業し松阪に質屋兼酒屋を開き商人としての三井家が始まったそうです。

    三井家発祥の地

    家伝によれば三井家の遠祖は近江南部を治める六角氏に仕える武士であったが信長の上洛に伴う戦いで六角氏は滅亡、三井家は伊勢に逃れ松ケ島に居住するようになったそうです。慶長年間に高安の子高俊が武士を廃業し松阪に質屋兼酒屋を開き商人としての三井家が始まったそうです。

  • 発祥地由来石碑<br /><br />石碑には次のように記されています。<br /><br />「松阪の雲だ大商人、三井家の父祖、三井高利は、1622年にこの地にうまれた。高利は父祖伝来の士魂と母の商才を継承し幼少より刻苦勉励して当地第一流の商人となった。1673年に至って宿志を遂げるべく江戸に越後谷呉服店を開店し、以後、三井家は発展を遂げ、江戸、京都、大阪に呉服店、両替店を経営するわが国商業史に残る大商人となった。高利の定めた三井家の店章 丸に井三文字 は、現在も日本経済の発展に大きく寄与している三井系企業各社に受け継がれている。<br /><br />当地は、1956年松阪市教育委員会により史跡に指定され、高利の祖父母、父母の五輪塔、高利「産湯の井」と伝承される井戸、高利十世者三井高棟の筆になる記念碑などが在する。」

    発祥地由来石碑

    石碑には次のように記されています。

    「松阪の雲だ大商人、三井家の父祖、三井高利は、1622年にこの地にうまれた。高利は父祖伝来の士魂と母の商才を継承し幼少より刻苦勉励して当地第一流の商人となった。1673年に至って宿志を遂げるべく江戸に越後谷呉服店を開店し、以後、三井家は発展を遂げ、江戸、京都、大阪に呉服店、両替店を経営するわが国商業史に残る大商人となった。高利の定めた三井家の店章 丸に井三文字 は、現在も日本経済の発展に大きく寄与している三井系企業各社に受け継がれている。

    当地は、1956年松阪市教育委員会により史跡に指定され、高利の祖父母、父母の五輪塔、高利「産湯の井」と伝承される井戸、高利十世者三井高棟の筆になる記念碑などが在する。」

  • 歴史町名「本町(ほんまち)」<br /><br />天正16年(1588)に松ケ島から移住してきた町名で、地誌によれば江戸に店を持つ三井、小津、伊豆蔵等の14名の名前が連なる木綿商人を主とする町であったとのことです。

    歴史町名「本町(ほんまち)」

    天正16年(1588)に松ケ島から移住してきた町名で、地誌によれば江戸に店を持つ三井、小津、伊豆蔵等の14名の名前が連なる木綿商人を主とする町であったとのことです。

  • 旧長谷川邸<br /><br />説明によれば長谷川家は江戸時代から江戸時代以来三井家、小津家、長井家等と共に江戸に店を有する豪商で、木綿仕入問屋として伊勢はもとより尾張・三河から木綿を松阪本家で仕入れこれを販売していた商人でありました。

    旧長谷川邸

    説明によれば長谷川家は江戸時代から江戸時代以来三井家、小津家、長井家等と共に江戸に店を有する豪商で、木綿仕入問屋として伊勢はもとより尾張・三河から木綿を松阪本家で仕入れこれを販売していた商人でありました。

  • 旧長谷川邸説明

    旧長谷川邸説明

  • 旧長谷川邸公開日程<br /><br />訪問日はあいにく公開の日ではありませんでした。

    旧長谷川邸公開日程

    訪問日はあいにく公開の日ではありませんでした。

  • 本居宣長宅跡<br /><br />門扉の傍らに立っている説明板によると次の内容になっています。<br /><br />「近世を代表する国学者本居宣長(1730〜1801)が、12歳から72歳で生涯を閉じるまでの60年間を過ごした場所である。宣長はここで医者を開業する傍ら、日本の古典を研究し、「古事記」や「源氏物語玉の小櫛(たまのおぐし)」など78種206冊に及ぶ著述を成し、また全国500余名の門人を指導した。言わばこの地は、近世国学が大成された記念すべき場所である。<br />宣長の住んだ居宅は、明治42年に保存と公開のため松阪公園へ移築され、宣長の書斎の名前である「鈴屋(すずや)」の<br />名称で今も親しまれる。<br />現在、旧宅跡に礎石とともに残る家は、宣長の長男春庭(はるにわ)の旧宅と本居家の土蔵である。<br />この2つの建物も昭和42年に特別失跡に指定され、往時の姿を今にとどめている。」<br />      平成16年9月14日<br />                        松阪市教育委員会

    本居宣長宅跡

    門扉の傍らに立っている説明板によると次の内容になっています。

    「近世を代表する国学者本居宣長(1730〜1801)が、12歳から72歳で生涯を閉じるまでの60年間を過ごした場所である。宣長はここで医者を開業する傍ら、日本の古典を研究し、「古事記」や「源氏物語玉の小櫛(たまのおぐし)」など78種206冊に及ぶ著述を成し、また全国500余名の門人を指導した。言わばこの地は、近世国学が大成された記念すべき場所である。
    宣長の住んだ居宅は、明治42年に保存と公開のため松阪公園へ移築され、宣長の書斎の名前である「鈴屋(すずや)」の
    名称で今も親しまれる。
    現在、旧宅跡に礎石とともに残る家は、宣長の長男春庭(はるにわ)の旧宅と本居家の土蔵である。
    この2つの建物も昭和42年に特別失跡に指定され、往時の姿を今にとどめている。」
          平成16年9月14日
                            松阪市教育委員会

  • 本居宣長宅跡石柱

    本居宣長宅跡石柱

  • 本居宣長説明板<br /><br />

    本居宣長説明板

  • 本居宣長宅

    本居宣長宅

  • 本居宣長宅

    本居宣長宅

  • 本居宣長宅

    イチオシ

    本居宣長宅

  • 特別史跡「本居宣長宅跡碑」

    特別史跡「本居宣長宅跡碑」

  • 本居宣長邸風景

    本居宣長邸風景

  • 宣長の「松の木」

    宣長の「松の木」

  • 宣長の「松の木」<br /><br />宣長が大切にしていた松の木が残されています。<br /><br />

    宣長の「松の木」

    宣長が大切にしていた松の木が残されています。

  • 「松の木」説明

    「松の木」説明

  • 松坂城表門跡

    松坂城表門跡

  • 松坂城下地図

    松坂城下地図

  • 松坂城古今絵図

    松坂城古今絵図

  • 松坂城古今絵図(拡大)

    松坂城古今絵図(拡大)

  • 表門石垣

    表門石垣

  • 松阪城表門跡

    松阪城表門跡

  • 表門石垣

    表門石垣

  • 松坂城跡石柱<br /><br />表門跡には「史跡 松坂城跡」と刻された石柱が立っています。

    松坂城跡石柱

    表門跡には「史跡 松坂城跡」と刻された石柱が立っています。

  • 表門(大手門)口

    表門(大手門)口

  • 松坂城跡説明板<br /><br /><br /><br />「 国史跡 松阪城跡<br />           指定 平成23年2月7日<br />           面積 47、337.30 m2<br /><br />松坂城は、蒲生氏郷が天正16年(1588)この四五百森に築城した平山城である。<br /><br />蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠、文禄4年(1595)古田重勝と城主が変わり、元和5年(1619)徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。<br /><br />城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。<br /><br />三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二ノ丸には寛政6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。<br /><br />明治14年(1881)松坂公園となり、現在に至っている。」<br /><br /><br /> ー 城跡案内図 (略) ー<br /><br /><br /><br />    平成24年3月9日<br />                   松坂市教育委員会 」<br />       

    松坂城跡説明板



    「 国史跡 松阪城跡
               指定 平成23年2月7日
               面積 47、337.30 m2

    松坂城は、蒲生氏郷が天正16年(1588)この四五百森に築城した平山城である。

    蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠、文禄4年(1595)古田重勝と城主が変わり、元和5年(1619)徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。

    城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。

    三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二ノ丸には寛政6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。

    明治14年(1881)松坂公園となり、現在に至っている。」


     ー 城跡案内図 (略) ー



        平成24年3月9日
                       松坂市教育委員会 」
           

  • 松坂城跡古地図(拡大)

    松坂城跡古地図(拡大)

  • 本丸下段石垣<br /><br />突き当りは左右に分かれ、右折は歴史民俗資料館、左折は二の丸を経て旧本居宣長宅にそれぞれ繋がります。

    本丸下段石垣

    突き当りは左右に分かれ、右折は歴史民俗資料館、左折は二の丸を経て旧本居宣長宅にそれぞれ繋がります。

  • 松坂城跡石碑

    松坂城跡石碑

  • 「蒲生氏郷と松坂城跡」説明

    「蒲生氏郷と松坂城跡」説明

  • 本丸下石垣

    本丸下石垣

  • 本居宣長記念館・鈴谷旧宅

    本居宣長記念館・鈴谷旧宅

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 市街展望<br /><br />二の丸跡から市街を一望します。

    市街展望

    二の丸跡から市街を一望します。

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 藤棚

    藤棚

  • 本丸下段石垣<br /><br />藤棚を過ぎると本丸下段石垣を右側に見ながら進みます。

    本丸下段石垣

    藤棚を過ぎると本丸下段石垣を右側に見ながら進みます。

  • 本丸・本居宣長旧宅方向案内<br /><br />二の丸の突き当りには本丸・本居宣長旧宅・御城番屋敷方向を示す案内板があり、自分はひとまず本居宣長旧宅に向かいます。<br /><br />

    本丸・本居宣長旧宅方向案内

    二の丸の突き当りには本丸・本居宣長旧宅・御城番屋敷方向を示す案内板があり、自分はひとまず本居宣長旧宅に向かいます。

  • 本居宣長旧宅門<br /><br />国学者である本居宣長の旧宅「鈴屋」が城郭の中に移設されています。

    本居宣長旧宅門

    国学者である本居宣長の旧宅「鈴屋」が城郭の中に移設されています。

  • 本丸への道<br /><br />城郭には必ず見られる「L字」形の路が造られ、敵の進入の際の勢いを鈍らせる役割を果たしています。

    本丸への道

    城郭には必ず見られる「L字」形の路が造られ、敵の進入の際の勢いを鈍らせる役割を果たしています。

  • 中御門跡

    中御門跡

  • 本丸下段跡広場

    本丸下段跡広場

  • 月見櫓跡<br /><br />本丸下段隅には月見櫓跡の土台が残っています。

    月見櫓跡

    本丸下段隅には月見櫓跡の土台が残っています。

  • 太鼓櫓跡

    太鼓櫓跡

  • 本丸上段石段

    本丸上段石段

  • 本丸上段石段

    本丸上段石段

  • 本丸上段跡石柱

    本丸上段跡石柱

  • 本丸上段跡

    本丸上段跡

  • 金の間櫓跡

    金の間櫓跡

  • 松坂開府の碑

    松坂開府の碑

  • 「松坂開府の碑」説明

    「松坂開府の碑」説明

  • 本丸下段<br /><br />本丸上段から下段を一望します。

    本丸下段

    本丸上段から下段を一望します。

  • 本丸上段広場

    本丸上段広場

  • 本丸上段<br /><br />本丸を囲む石垣台は要所に建てられている大型櫓と大型櫓を多聞櫓でつなぎ、本丸全体の防御力を向上させています。<br /><br />

    本丸上段

    本丸を囲む石垣台は要所に建てられている大型櫓と大型櫓を多聞櫓でつなぎ、本丸全体の防御力を向上させています。

  • 敵見櫓跡

    敵見櫓跡

  • 天守台石段<br /><br />天守台は本丸北西の地に築かれています。

    天守台石段

    天守台は本丸北西の地に築かれています。

  • 天守台石柱<br /><br />天守台の上には「天守閣跡」の石柱が立っています。氏郷はここに三層の天守を建てますが1644年(紀州藩支配領の頃)に暴風で倒壊してしまいます。

    天守台石柱

    天守台の上には「天守閣跡」の石柱が立っています。氏郷はここに三層の天守を建てますが1644年(紀州藩支配領の頃)に暴風で倒壊してしまいます。

  • 本丸上段<br /><br />天守台跡から本丸上段のすべてを捉えます。想像するしかありません常時臨戦態勢が整えられ、かなり高度な防御力があったようです。

    本丸上段

    天守台跡から本丸上段のすべてを捉えます。想像するしかありません常時臨戦態勢が整えられ、かなり高度な防御力があったようです。

  • きたい丸跡<br /><br />

    きたい丸跡

  • きたい丸跡石柱

    きたい丸跡石柱

  • きたい丸跡広場

    きたい丸跡広場

  • 本丸上段下石垣<br /><br />きたい丸跡広場から本丸上段の石垣を眺めます。

    本丸上段下石垣

    きたい丸跡広場から本丸上段の石垣を眺めます。

  • 本丸上段下石垣

    本丸上段下石垣

  • 鐘の櫓跡

    鐘の櫓跡

  • 石垣<br /><br />「野面積み」(積み石を加工しない形での石積み方法)と隅角は後年に積み直ししているようにも窺えますが稜線が不明確ながらも「算木積み」(長手の石を左右交互に積み重ねる方法)手法は氏郷在任時代の築城技術を象徴しています。

    石垣

    「野面積み」(積み石を加工しない形での石積み方法)と隅角は後年に積み直ししているようにも窺えますが稜線が不明確ながらも「算木積み」(長手の石を左右交互に積み重ねる方法)手法は氏郷在任時代の築城技術を象徴しています。

  • 松阪市立歴史民俗資料館への道

    松阪市立歴史民俗資料館への道

  • 「助左衛門御門跡」標柱

    「助左衛門御門跡」標柱

  • 「松阪市立歴史民俗資料館」門扉

    「松阪市立歴史民俗資料館」門扉

  • <br />「松阪市立歴史民俗資料館」説明


    「松阪市立歴史民俗資料館」説明

  • 搦手門方向道

    搦手門方向道

  • 搦手門方向道<br /><br />下る道の途中を振り返ります。

    搦手門方向道

    下る道の途中を振り返ります。

  • 升形

    升形

  • 松坂城跡説明板<br /><br />現在位置を指し示しています。

    松坂城跡説明板

    現在位置を指し示しています。

  • 裏門への道

    裏門への道

  • 裏門跡石柱

    裏門跡石柱

  • 裏門(搦手門)跡<br /><br />

    裏門(搦手門)跡

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