2015/01/04 - 2015/01/04
157位(同エリア415件中)
滝山氏照さん
JR山陽線明石駅北へ徒歩5分の明石城(あかしじょう、兵庫県明石市明石公園)は元和3年(1617)信濃国松本より入封した譜代大名小笠原忠真(おがさわら・ただざね、1596~1667)に対し将軍秀忠は西国外様大名の抑えとして当地に築城を命じます。
明石は古来から交通の要所であり、山陽道が通り、北には丹波あるいは但馬へ通じる街道が往来し、南には淡路島を経て四国へ通じるルートとなっており、この要衝の地に堅固の城砦を造り、豊臣恩顧の西国大名の動きを封じる必要があったと思われます。
明石城について兵庫県作成パンフレットには次のように記載されています。
「 明 石 城 の 築 城
元和三年(1617)、小笠原忠真(ただざね)が信州松本より明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1Km程の所にあった船上(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。
現在の明石城は、元和四年(1618)徳川二代将軍秀忠が、西国諸藩に対する備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことに始まる。秀忠は姫路城主であった本多忠政の指導を受けるよう命じ、3カ所の築城候補地をあげ、現在の地が選ばれた。幕府は普請費用として銀壱千貫目(時価31億円程度)を与え、3名の普請奉行を派遣している。
石垣の普請(=現在の土木工事)は元和五年(1619)の正月に始められ、工事は町人請負で行われたとされる。本丸、二ノ丸等の城郭中心の石垣、三ノ丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年八月中旬に終わり、幕府より派遣の普請奉行はその任務を終えて江戸へ帰参している。幕府直営工事は本丸、二ノ丸、三ノ丸までで、その他の郭の石垣・土塁工事は幕府と小笠原氏の共同工事で行われている。
普請を終え同年九月から藩主忠真により、櫓、御殿、城門、堀などの作事(=現在の建築工事)が始められ、その用材は幕府の一国一城令により廃城となった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てられたとされている。創建当初の坤櫓(ひつじさるやぐら)については次の資料があり、伏見城の建物を幕府からもらい受け、移築されたことを示している。『坤ノ櫓ハ伏見御城ノ櫓ナリシヲ此度公儀ヨリ公エ下サレコレヲ建テル』(小笠原忠真年譜)『幕府から伏見御城の三重櫓一つ下され、御本丸未申の角に立候也』(笠系大成附録)。各建物の建築は元和六年(1620)四月に完了した。
築城当時の明石城は、本丸に御殿を築き、四隅に三層の櫓を配したが、天守台の石垣は築かれたものの、天守閣は建てられなかった。」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル
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坤櫓と巽櫓
JR明石駅ホームから高石垣の上に建つ西側の坤(ひつじさる)櫓と東側の巽(たつみ)櫓、そして二つの櫓を結ぶ白壁の長塀を捉えます。いずれも重要文化財に指定されている三重櫓です。 -
明石城正面入口
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明石城公園地図
正面入口に脇には野球場、陸上競技場や図書館などを含む広大な公園化された敷地の中に本丸、二ノ丸、東ノ丸、稲荷曲輪などが天守台と共に配置されています。 -
中堀風景
大手橋から中堀東方向を一望します。 -
中堀風景
同様に大手橋から西方向を見ます。 -
虎口
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虎口石垣
石垣の上には灯籠が設置されています。 -
虎口石垣
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虎口
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明石城歴代藩主紹介
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日時計前広場
広場前から樹林を越えて坤櫓が視野に入ります。 -
イチオシ
坤櫓・巽櫓
高石垣のうえに坤櫓・巽櫓を東西に配置した本丸石垣が聳えています。 -
本丸石垣
打込みハギの石垣が長く築かれています。 -
本丸石垣(近景)
石垣に沿って坤櫓方向に向かいます。 -
坤櫓石垣下
打込みハギの石垣が見事です。 -
坤櫓石垣下
隅角の稜線は見事に決まっています。 -
坤櫓石垣下
更に隅角は長板状の岩を左右交互に積んで重圧に耐えられる算木(さんき)積みとなっています。 -
登城路
坤櫓石垣下に作られている登城路を上がって行きます。正面の石垣は天守台にあたり、築城の際から天守閣は建てられていませんでした。 -
登城路
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登城路
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桜堀
本丸の北端にあたる桜堀が見えてきます。尚桜堀の北に隣接する球技場や市立図書館はかつては北ノ丸跡にあたります。 -
本丸虎口
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本丸跡
本丸には四辺を守る坤(ひつじさる)・巽(たつみ)・乾(いぬい)・良(うしとら)の4基の三重櫓が建てられていましたが、現在では、坤・巽の2基のみとなっています。 -
本丸跡
散歩道の他は緑地帯が作られて完全に公園化されています。 -
本丸跡
本丸に藩の政庁と藩主住居を兼ねる御殿が造られていたそうです。 -
艮(うしとら)櫓跡説明
明石城は天守台は設置されたものの天守閣は造らず、本丸の四方に三重の隅櫓設けており、北東隅には艮(うしとら)櫓と呼ばれる隅櫓が配置されています。 -
艮(うしとら)櫓跡
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艮(うしとら)櫓跡
本丸の北東隅のここに三重の櫓が建っており、五間(9.1m)四方の広さで、高さは六間一尺九寸(11.4m)であったとのことです。現在は櫓の礎石が置かれています。 -
艮(うしとら)櫓跡説明
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巽櫓
良(うしとら)櫓から巽櫓方向を捉えます。 -
巽櫓
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JR明石駅
巽櫓付近からJR明石駅舎方向を一望します。 -
巽櫓
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虎口
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人丸塚
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人丸塚説明
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横山蜃楼(よこやま・しんろう)句碑
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白塀
巽櫓(東側)と坤櫓(西側)を繋ぐ長い白塀とその先の坤櫓を捉えます。 -
坤櫓
西側の隅櫓である三重の坤櫓が控えています。一国一城令により廃城となった伏見城の一櫓を幕府より拝領し移設した経緯があります。 -
天守台跡
坤櫓の北側には石垣で高台を造った天守台が見えます。新城の築城にあたり幕府から3名の奉行が派遣され本丸、二ノ丸は幕府の手により縄張がなされます。然しながら天守台は造ったものの天守閣は造られませんでした。 -
天守台方向
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天守台跡
左側に坤櫓を見据えて天守台に入ります。 -
市街展望
天守台跡から南西方向のビル群を眺めます。 -
二ノ丸跡方向
本丸跡広場を過ぎて二ノ丸跡方向に移動します。 -
本丸跡石垣下
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本丸跡石垣下
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ひぐらし池方向
二ノ丸跡方向から右側階段を降りると本丸跡から離れてひぐらし池に着きます。 -
二ノ丸跡
本丸の東側に隣接する二ノ丸跡の中央部は庭園となっており通路に面した所にベンチが置かれて訪問者が休憩できるようになっています。 -
明石城地図
所々に掲げている地図には現在地の場所を示し、位置関係が判るようになっています。 -
JR明石駅
高石垣の二ノ丸跡からJR明石駅方向を展望します。手前の深い森林が歴史の長さを感じさせます。 -
東ノ丸跡方向
二ノ丸跡から更に東ノ丸跡へ進みます。 -
東ノ丸跡
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東ノ丸跡
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東ノ丸跡枡形
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市立図書館・明石駅方向分かれ道
市立図書館敷地はかつての北ノ丸跡にあたり、広大な明石城の一部でした。 -
桜堀方向石段
この急崖な石段は城郭の北側にあたる桜堀に連絡しています。 -
東ノ丸枡形
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東ノ丸枡形
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薬研堀方向
薮に覆われたままのため薬研(やげん)堀の状況が見えません。 -
箱堀方向
こちらは樹木に覆われており樹間から箱堀の視界がよくありません。 -
明石城案内図
東ノ丸跡入口にまで来ました。これからは城郭東端に沿って下っていきます。 -
東ノ丸跡通路
東ノ丸跡入口に設置の明石城案内地図の位置から今来た路を振り返ります。 -
市立文化博物館の通り
城郭東端と文化博物館道路に並行した小路を下ります。 -
箱堀跡
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公園東入口
枡形の東入口から東芝生や藤見池等の公園に入ります。 -
明石城案内図
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升形入口
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巽櫓と坤櫓
東芝生広場から巽櫓(右側)とその向こうにある坤櫓(左側)の優雅な姿ががそれぞれ視野に入ります。この辺り一帯は三ノ丸跡でしたがその後庭園などさまざまな形に姿を変えています。 -
藤見池(うじみいけ)橋
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藤見池周辺
渡橋から藤見池を捉えます。 -
藤見池周辺
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藤見池
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明石城櫓
東芝生公園を共に二つの隅櫓を覗います。この一帯から第1野球場に至る敷地はかつての三ノ丸跡に相当していたと言われます。 -
大手門
再び大手門に戻ってきました。ここには「時打ち太鼓」があり、時に合わせて武士姿の人形が動くとの説明があります。 -
大手門枡形
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内堀
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内堀
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内堀
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明石城(夜景)
夕暮れ時になりましたが再びJR明石駅ホームから明石城の二つの隅櫓を捉えます。尚JR明石駅全体も外堀から外郭に相当していたと思われます。
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