2016/10/12 - 2016/10/13
163位(同エリア402件中)
worldhusiastさん
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- 旅行記348冊
- クチコミ204件
- Q&A回答16件
- 1,006,243アクセス
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<行った所>
トンネル博物館、バシチャルシァ広場、ラテン橋、サラエボ1878-1918(博物館)、アヴァズ・ツイスト・タワー、スナイパー通り、国立博物館、歴史博物館、Yellow Fortress、セルビア正教会・・・他多数
★
東京から、飛行機を使わず陸路・海路で、ユーラシア大陸を横断する旅行です。
サラエボにやってきました。
これまで一連の旅行で散々立ち寄ってきたイスラムが濃い目の都市もついに最後です。
そしてここは、ユーラシア横断で南ルートを通る人にとっておそらくハイライトの一つになると思います。
イスラム教だけでなく、キリスト教、ユダヤ教などが入り乱れます。
それだけなら旅行先として魅力なのですが、一定の年齢以上の人にはどうしても内戦のイメージがあると思います。
現在は戦火はなくなり、普通の町の様相。
ただ、ロマなど貧民層がおり、軽犯罪には注意が必要です。
かつてオスマン時代だったこともあり、全体的にトルコの地方都市といった雰囲気。
イスタンブールに向かうバスで隣に座った学生がトルコの大学は高額なのでサラエボの大学に通っているといっていたのを思い出します。
さて、サラエボでは市内や郊外に博物館がいくつかあるのですが、展示内容が全然違います。
旧石器時代・・・サラエヴォ市博物館(ブルサ・ベジスタン)
ローマ時代・・・国立博物館
オスマン時代・・・サラエヴォ市博物館
オーストリア・ハンガリー時代・・・サラエヴォ市博物館
サラエボ事件・・・サラエボ1878-1918
ボスニア紛争・・・歴史博物館
サラエボ包囲・・・トンネル博物館
全部行かなきゃ網羅できないじゃん!ヽ(`Д´)ノ
トンネル博物館は遠くにあるので、個人では行きにくい場所もめぐれるツアーを事前に申込みました。
その他の見所は歩きやトラムなどを利用して周れます。
今回はサラエボの見所を概ね網羅したと思いますがそのせいで旅行記が超長くなりすみません。。
読む際はザッピング方式がおすすめです。
ちなみに、サラエボの見所をまとめるとこんな感じです。
<絶対行きたい>
トンネル博物館、バシチャルシァ広場、ラテン橋、サラエボ1878-1918(博物館)、アヴァズ・ツイスト・タワー
<できれば行きたい>
スナイパー通り、国立博物館、歴史博物館、Yellow Fortress、セルビア正教会
その他は歩くルート上にあれば寄ってみるくらいでよいでしょう。
旅行記の最後に、サラエボからベオグラードへの移動も書きました。
85日目 ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル
http://4travel.jp/travelogue/11182435
の続きです。
-----------------------------85日目(2016/10/11)---
モスタルからの続き
↓バス
17:52 サラエボ・バスターミナル(連邦側)
18:10 サラエボ中央駅前
↓トラム
18:27 バシチャルシァ広場前
18:35 夕食@イナット・クーチャ
19:36 ホテル着 ≪サラエボ泊≫
-----------------------------86日目(2016/10/12)---
10:05-10:35 Svrzo's House
11:00-13:58 Times of Misfortune Tour@Sarajevo Insider
・Bijela Tabija
・Martyrs' Memorial Cemetery on Kovaci
・オリンピック・スタジアム(車窓)
・Gradsko groblje Bare(遠景)
・スナイパー通り(車窓)
・トンネル博物館
14:09 昼食@Ceva bdzinica ur Specijal
14:44 Seher Cahaja's Bridge、旧市庁舎
14:50 Coppersmith Street
14:53 バシチャルシァ広場、セビリ、チャルシイスカ・ジャミーヤ
14:58-15:10 旧正教会 (Stara pravoslavna crkva)
15:15 キャラバンサライ跡
15:20-15:35 ガジ・フスレヴ・ベグ・コンプレックス
(メドレセ、ハニカ、博物館、ジャミーヤ、
時計塔、バザール(ベジスタン))
15:40-15:56 ブルサ・ベジスタン
16:02-16:10 Emperor's Mosque
16:15-16:18 St. Anthony's Church & Franciscan Monastery
16:22 Burial Chamber of Seven Brothers
16:26 メイダン公園とMusic Pavillion
16:29 ラテン橋
16:32-16:52 サラエボ1878-1918
17:06-17:30 ユダヤ人博物館(旧シナゴーグ)
17:35 フェルハディヤ・ジャミーヤ
17:39-17:47 カトリック大聖堂(イエスの聖心大聖堂)
17:57 Army Hall
18:28 夕食@KONYALI ≪サラエボ泊≫
-----------------------------87日目(2016/10/13)---
10:11-10:20 Yellow Fortress
10:54-11:15 Despic's House
11:20-11:30 新シナゴーグ
11:34 Drvenija Most(橋)
11:39-11:52 セルビア正教会
11:58 ガジ・フスレヴ・ベグ・ハマム
12:00 スリ未遂!→警察署→日本大使館
13:00 マーケット・ホール、青空市場(マルカレ市場)
13:07 Eternal Flame
13:09 軽食@Pikant
↓タクシー
13:33 ホテル・ホリデイ(旧ホリデイ・イン)
13:35-14:35 国立博物館
14:39-15:21 歴史博物館
15:30 チトー像@サラエボ大学
15:47-16:25 アヴァズ・ツイスト・タワー
↓トラム
17:28 夕食@Aeroplan ≪サラエボ泊≫
-----------------------------88日目(2016/10/14)---
5:23 ホテル
↓タクシー
5:32 バスターミナル
6:00 サラエボ・バスターミナル(連邦側)
↓バス
ベオグラードへ続く
<写真はバシチャルシァ広場>
全体のルートはGoogle mapで↓
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=z1Gu1WLgvovM.k5bW8XTFkRBI
- 旅行の満足度
- 4.5
-
85日目(2016/10/11)
17:52
モスタルからバスで3時間弱。
サラエボのバスターミナルに到着しました。
サラエボにはバスターミナルが複数あり、ここはサラエボ中央駅に隣接する「連邦側」のターミナル。
次のベオグラード行きのチケットを買っておきます。
ボスニアとセルビアの歴史的背景のためか本数が少ないので要注意です。 -
両替所もあります。
-
10月半ばだというのに、なんだかえらい寒いんですが・・・
ビルの上の電光掲示板をみると「6℃」!
冬は最高気温が-10℃を下回ることもあるので、そのくらいの気温でもおかしくないんですね。
ウインドブレーカーとパーカーを重ね着して凌ぎましたが雨が降ると厚手のコートと手袋が恋しくなります。 -
こちらが隣にあるサラエボ中央駅。
一国の首都のメインの駅ですが無骨な灰色のコンクリートの建物にしかみえません。 -
18:08
ホテルはバシチャルシァという観光の中心部にとりました。
中央駅前にあるトラム乗り場から一本で向かいます。
行き先が違うトラムもあるので、乗り込むときに運転手に聞いた方が安心です。
時間帯によってはバシチャルシァ方面に行くトラムがかなり少なくなるようなので、スナイパー通りまで出て、左側に見える停車場で待った方が早いことがあります。 -
トラムの中も無骨な感じ!
-
チケットはキオスクか運転手から購入します。
運転手から買うと1.8マルカでした。
車内の改札機に通して完了です。
トラム(1番)
18:10 中央駅→18:27 バシチャルシァ広場
BAM 1.80 -
18:27
トラム1番はスナイパー通りを東に進み、旧市庁舎でぐるっと旋回して西に向かうルート。
バシチャルシァに行きたい、と言ったらバシチャルシァ広場前の停車場に着きました。
もう真っ暗! -
夜のバシチャルシァ広場。
雨も降っているし、ずっと突っ立ってると話しかけてきそうな人もいるし、やっぱり安心して夜の町歩きはできない感じかな。。 -
18:35
ミリャツカ川を渡ったところにあるレストランで夕食にします。 -
レストラン内部。
ライフル銃とか飾っている・・・
テーブルにはベルトなども置いてありました。
古いオスマン時代の家を改装しているらしく、展示も博物館的な雰囲気にしているのかも。 -
ボスニア・スペシャリティーズを注文。
右にある葉っぱはヤプラク(ヤブラク)。
おそらく葡萄の葉だと思いますがクセがなく、中はお肉。
手前の玉ねぎの肉詰め(ドルマ)は見たままの味。
肉と野菜の煮込みも想像通りの味。
サラエボでオクラを食べられるとは思わなかったw
中央はお米。リゾット状になっていました。
全部汁に浸かっていて同じ味がするのですが、あっさりめのトマトベースのスープでおいしいのでOK。
サワークリームとよく合います。
しょっぱくも辛くもなく、かなりマイルドなので食べやすかったです。 -
ボスニアン・コーヒーはトルココーヒーみたいな感じでした。
おいしかったです。ごちそうさまー!
夕食@イナット・クーチァ
Sarajevski Sahan BAM14
Bosnican coffee BAM 2 -
19:36
ホテルに到着。
感想はクチコミのほうに書きましたが、設備もサービスも大変満足。
次来るときもここでいいかも。
そもそもサラエボに来る用事があるかわかりませんがw
いったんおやすみなさーい。
Central Hotel Sarajevo
Double room Single use
1泊 EUR 78.80
★☆★サラエボ泊★☆★ -
86日目(2016/10/12)
9:53
おはようございます。
この日は11時から予約していたツアーがあるので、それまでの時間で一箇所観光に行くことに。
Gazi Husrev-begova通り。
ここは貴金属店が並んでいます。 -
しかし寒いっ!!
山の方をみると・・・雪!?
サラエボは盆地になっているので、周りの山に雪が降ると影響を受けてより寒くなるみたい。 -
10:05
サラエボ最初の観光はSvrzo House。
10時開館とのことですが、開いていない・・・?
と思ったら、すぐに係員が来て開けてくれました。
17世紀に建てられたオスマン時代の典型的な家で、火事で焼失した後18世紀に再建されたものだそう。
Svrzo House
入場料 BAM 3(共通券あり) -
入ったところ。
中は応接室や客間であるSelamlukと自宅であるHaremlukに区別されています。 -
葡萄がなっていました!
おしゃれ。 -
まずはSelamlukから。
左上は2階にあがってすぐの部屋。
パネルがなく詳細不明。。
コーランを置く台がありますね。
右上はKamarijaというバルコニー。
アラビア語の月に由来する名前で、月光を受ける場所なんだとか。
左下はHalvatという応接室。通りに面しています。
右下は"coffee hearth"、コーヒーの炉端という名前。
ここでコーヒーをつくって、応接室に持っていってたみたいです。 -
続いてHaremlukへ。
-
左上は寝室、右上は女性の部屋。
金銀の刺繍をしたスカーフやキルトなどを作っていたそうです。
左下はダイニングルーム。広くてうらやましい限り。
右下は別棟になっていました。
Large Halvatで、当時のハイソな人々が集う場所だったそうです。 -
最後に台所。
屋根がないのが特徴なんだそうです。 -
ちょっとわかりにくいのですが
日が差しこんでいます。
屋根がないというよりは窓がないというのが正確なのかも。 -
10:41
日帰りツアーはこちらのサラエボ・インサイダーで行いました。
ラテン橋そばの事務所で待ち合わせ。
外は寒すぎたので中に入れていただいて時間まで待ちます。
事務所内はとても狭く数名でいっぱいになってしまいそうな感じ。
大人数のときは厳しいかもしれないです。
この会社はたくさんのツアーを催行しているのですが、今回はTimes of Misfortune(不運の時代)というツアーをチョイス。
このツアーはテーマに沿っていることと、トンネル博物館とその他個人で行きにくい場所を巡れるのがいいところ。
Times of Misfortune Tour@Sarajevo Insider
EUR 27+チップ -
11:03
定刻の11時にガイドさんがやって来ました。
写真右に切れてしまっているのがガイドさんです。
見た目かなりいかつい感じ。。
1974年生まれと意外と若い(!?)
英語は早めでしたが聞きやすく、わかりやすかったです。
ツアーは終始この専用車で移動するのでとっても楽でした。 -
11:13
ツアーご一行は、まずは謎の高台へ。
Bijela Tabija
見学自由 -
1992年に始まったサラエヴォ包囲では、空港を除く周囲をセルビア側に囲まれており、写真の奥の方はセルビア勢力の支配地域だったそうです。
-
この高台からはサラエボの市内が見渡せます。
低地になっている部分がいわゆるサラエボで、左右に山があり、そこはセルビア勢力がいたとのこと。
上の写真はこの背後にあたるので三方を山とセルビア勢力に囲まれていたわけです。 -
謎の高台にあった謎の廃墟。
ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってからあちこちに廃墟があって、このぐらいでは驚きません。 -
第3の門。
市内と謎の高台Bijela Tabijaの間にあります。
サラエボはかつて壁が3つあり、その一番外側のものでした。 -
続いては第2の門。
第3の門とは車で3分程度の距離。 -
第2の門を抜けると、墓地・・・
サラエボは墓地があちこちにあります。
さっきの高台の写真で中央左よりに見える墓地がこれです。
Martyrs' Memorial Cemetery on Kovaci -
このときは墓地の中に入れませんでしたが、翌日近くまで入ってみました。
墓標を見ると、ボスニア・ヘルツェゴビナ初代大統領アリヤ・イゼトベゴヴィッチのものでした。 -
その足で墓地の上にあるイエロー・フォートレスに来てみました。
(※ツアーでは訪れていません)
Yellow Fortress
見学自由 -
要塞は土台だけしか残っておらず、中は何もありません。。
-
サラエボ中心部が一望できます。
-
アップ!
バシチャルシァ地区がよく見えます。
向こうに見える新市街は高層ビルがちらほらあるんですね。 -
11:55
再び話をツアーに戻します。
車窓から見えたのはサラエボ市内北にあるオリンピック・スタジアム。
立ち寄りはありませんでした。 -
車はスタジアム近くの駐車場で停車。
テレビ塔の手前にかなり広大な白いものが広がっていますがすべて墓標。。すごい数。
紛争中、あまりの死者の多さにスペースが足りず、グラウンドをお墓にしたそうです。
Gradsko groblje Bare -
車で移動中。
オリンピックスタジアムの周辺もお墓になっていました。
奥にさっき見たオリンピックの塔が見えますね。 -
トンネルの出入口が二つ並んでいるように見えます。
そんなの日本中あちこちにあるよと言われてしまいそうですが、このトンネル、右側は封鎖されています。
片側は未完成だそうですが、ちょっと経緯を忘れてしまいました。。すみません。
Tunel Ciglane -
スナイパー通りにでました。
サラエボ包囲の際、この通りを動くものはすべてビルに潜んだセルビアの狙撃兵に射殺された、というエピソードからその名がつきました。
現在はトラムが走る幹線道路で一番メインの通りになっています。
無骨コンクリ系の共産的なビルも立ち並んで、見る者を楽しませてくれますw -
スナイパー通りから見えるこのモスクはマレーシアが建設したんだそうです。
-
通り沿いでは、廃墟ももちろん見ることができます。
-
これは廃墟ではなくて、サラエボのテレビ局。
これまた無骨コンクリ系。
Televizija Sarajevo -
12:32
イリジャというエリアに入って細い道を走り、ようやく到着したのがサラエボで一番の見所であろうトンネル博物館です。
個人で行かれる方は、イリジャはサラエボ市内から走ってくるトラムの終点なので、そこからタクシーで直接来るか、バスでskolaまで行ってから2kmほど徒歩
という手もあるようです。
さっそく建物の壁がぼこぼこに撃たれてしまっています。。
トンネル博物館
入場料(ツアー代金込) -
建物前にあるこちらは当時のトンネルの出入り口。
-
実際に爆弾が落ちたところはこのように赤くして残しています。
サラエボ市内も同様です。
ついミャンマーなど東南アジアのキンマを思い出してしまいますが、まったく違うものでした。 -
博物館にあった図。
南北がひっくり返っていますが、サラエボがセルビア側に包囲されていたというのがよくわかります。
くぼみになっているところが空港。
空港は国際連合のために開放されていたそうです。
ここに密かにトンネルを掘り、フリーエリアからサラエボ内に物資を運んだり時には人が往来したり。
トンネルは800mあったそうなのですが、約3%にあたる25mほどが博物館内に残っています。
図の一番左の出っ張っているところがツアーの最初に寄った謎の高台。
サラエボ包囲でトンネルが実際に使用されている様子は映像資料で見ることができました。
本当に貴重な命綱だったということがわかります。 -
ちなみに空港はすぐそこ。
写真だと近くに見えないかもしれませんが肉眼で見るとまあまあ近いです。
空港をまたぐようにして、こちら側までトンネルがあったわけですね。 -
こちらは難民の部屋の再現。
ガラス越しになってしまってうまく撮れない! -
小さな展示室もありました。
こちらはトンネルを掘った道具など。 -
トンネル断面の模型。
-
時にはこのようなこともあったそうです。
-
ガイドの話によると卵をよく運んでいたんだとか。
日持ちする上、火をあまり使わずに食べられるからとのこと。 -
いろいろな有名人が見学に来ていたんですね。
日本人にも来てほしいなー。 -
ふと足元を見ると、モルタルの砲弾がコンクリに食い込んでいます。
飛んできたままだそうです。なんて恐ろしい。。 -
実際のトンネルを歩いてみます。
-
思ったよりは高さがありました。
1.5mくらいはあるんじゃないかと思います。
今はたった25mしかなくあっという間に渡り終えてしまいますが、当時ここを行き交った人が何を考えていたかを思うと一歩一歩が重くなります。 -
14:09
ツアーはこれでおしまい。
出発したラテン橋に帰ってきて解散。
たった3時間ですがなかなか充実した内容で満足。
お腹が空いてきたのでランチにします。 -
チェヴァピを注文。
挽肉の団子を薄いパンにはさんで食べるボスニアを代表する料理です。
豚肉以外の肉をミンチにしたものだそうです。
肉がやや塩味きつめ。パンによく合います。
しつこくなってきたら付け合せの生玉ねぎでさっぱり。
ジャンクな味ですが、ぱくぱくいけちゃいます。
ごちそうさまー。
ランチ@Ceva bdzinica ur Specijal
Cevapi porcija BAM 6 -
14:44
では、ここからはサラエボ中心部の見所をおおむね東から西に向かって順に見ていきます。
川の北に位置する旧市街は東西に3(途中から4)本並行に走る通りがあり、北と南にトラムが走っています。
南側の道路沿いからスタート。
最初はSeher Cahaja's Bridge。
橋の右側に前日のレストラン イナット・クーチャがあります。 -
橋の近くには旧市庁舎があります。
オーストリア・ハンガリー帝国時代の新ムーア様式で、スペインや北アフリカのイスラム芸術などが見られるとのこと。
1949年まで市庁舎として使われ、その後は図書館に転用されました。
ところが、1992年の戦争で全焼。
現在のこの建物は2014年に修復が完了したものだそうです。 -
入口にはこんな看板が。
200万を超える蔵書が炎に消えた、忘れるな、覚えておけ、そして警告せよ!と書かれています。 -
中にも入れるはずなのですが、訪問した10/12、13とも閉店ガラガラ。
残念。。 -
建物外には・・・ケーブルカー!?
昔はバシチャルシァからトレベヴィッチ山の展望台までケーブルカーがあったそうですが、戦争で破壊されてしまったそうです。
それがようやく、なんと2017年4月に再開見込だとか!
しまった、半年早く来てしまったw
完成後行かれた方の体験談を待つこととしましょう。 -
旧市庁舎からはコッパースミス通りを通って広場に向かいます。
この通りはちょっとひと気がないので、トラムのある大通りを歩いた方がよいのかも。 -
こちらがトラムが通る北の通り。
前の写真の間違い探しのような写真になってしまったw -
イチオシ
14:53
バシチャルシァ広場。
ここがサラエボ旧市街の中心です。
この辺りは人が多いので今度はスリに気をつけねば。。
ついでに鳩も多い。。
バシチャルシァ広場(Pigeon square)
見学自由 -
広場のシンボルはこのセビリ(水のみ場)。
一応下のほうから今もちびちび水が出ています。 -
広場で目立つミナレットが見えますが、これはチャルシイスカ・ジャーミヤ。
閉館。入れませんでした。。 -
14:58
広場の近く、北の通り沿いにある旧正教会に立ち寄り。
旧正教会 (Stara pravoslavna crkva)
参拝自由 -
建物は教会じゃないみたいな感じですが、一応入口上にはフレスコ画がありました。
残念ながら内部撮影は禁止。
入ると、祭壇の三方を取り囲むように回廊が。
金色を基調にしたイコノスタシスで、大きな柱のようなものがその手前に二つ並んでいました。
回廊部分にはイコンが並びます。
古そうな木に描かれた聖母とキリストのイコンはガラスケースに囲われていました。 -
小さな展示室が併設されています。
聖ジョージや最後の晩餐などのイコン、カーペットなど聖具を展示していました。 -
再びバシチャルシァへ戻ってきました。
真ん中の通りです。
長屋のような建物はキャラバンサライ(隊商宿)跡だそうです。 -
小道をはさんで隣にはガジ・フスレヴ・ベグ・なんちゃら、という施設が並ぶエリア。
ガジ・フスレヴ=ベグ(現代トルコ語ではガジ・フスレヴ=ベイ)という15世紀の人がモスクやらバザールやらを建設したそうです。 -
このときは人が多くてよくわからなかったこともあり、翌日に改めて来ることに。
一番東にある普通の建物がガジ・フスレヴ・ベグ・メドレセ。
神学校です。 -
すぐ横の建物はガジ・フスレヴ・ベグ・ハニカというイスラム神秘主義スーフィズムの学校です。
窓がないあたりが神秘的(違 -
さらに隣にあるのがガジ・フスレヴ・ベグの博物館。
-
セット券があるようなのですが、訪問時モスクは改装工事中だったので博物館単体で支払うことにしました。
ガジ・フスレヴ・ベグ・ミュージアム
(Kurshumli Madrasah)
入場料 BAM 3 -
もともと神学校だったのを博物館に転用しているようです。
中庭があって回廊形式、というのはいかにも神学校ですね。
おそらくかつて個室だった部分を展示室にしているような感じ。 -
展示はあまり多くありません。
左上はガジ・フスレヴ・ベグの寄付に関する書類のコピー(1585年)。
余白たっぷりに手書きで書かれています。
右上はコーランです。
左下はSrmali cover。
金の糸による刺繍が施された絹織物。
右下はガジ・フスレヴ・ベグの家系図。
なんと下の方が古いのでちょっと見づらい。。
オスマン帝国8代皇帝バヤズィト2世の孫、ということは、7代皇帝メフメト2世のひ孫!
真のセレブだったんですね。 -
ミュージアムと道を挟んで向かいにあるのがガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ(モスク)。
改装中で中には入れませんでした。 -
聞くと、入るのはだめだけど、扉からの撮影ならOKでした。
ミフラーブや正面の左右上部にあるのはもしやムカルナスでは!?
イランで散々見たムカルナスですが何度見てもきれいだなと思います。 -
すぐそばに時計塔が見えますが、どこから塔に入れるのかよくわかりません。。
建物の中に建っているみたい? -
翌日、たまたま時計塔の近くのレストランAeroplanに入ったのですが→
-
そこから時計塔が間近に見られました。
これもガジ・フスレヴ・ベグの資金により建設されたそうですが、建設年は不明。
オスマン時代にボスニア・ヘルツェゴビナに建設された21の時計塔のうち最も高い30mあるそうです。 -
内部には入れませんでした。
構造を説明するパネルで想像することにします。 -
そのさらに西に並ぶのはガジ・フスレヴ・ベグ・バザール(ベジスタン)。
ガジ・フスレヴ・ベグの死後建設されたもので、絹や綿の織物などが売られていたそうです。
1879年の火事で崩落し、二次大戦後修復されたものだそうです。 -
内部はなかなか雰囲気があります。
-
15:40
こちらはかつての絹取引所だったブルサ・ベジスタン。
オスマン時代、現在のトルコのブルサは絹の名産地で、その絹を取引していたそうです。
ブルサは一連の旅行で行きましたが、絹の話は一度も聞きませんでした。。
カラキョズとイスケンデル・ケバブくらいしか思い出がない。。
#こちらで行っていました→ http://4travel.jp/travelogue/11061217
現在は博物館になっています。
サラエヴォ市博物館
入場料 BAM 3(共通券あり) -
柱とかは当時のままなのかもしれませんが、取引所の雰囲気は全然ありません。
-
左上の旧石器時代からスタート。
と思いきや、続く右上と下の展示はオスマン時代のもの。
時代とびすぎー -
さらにオーストリア・ハンガリー帝国時代の展示に。
どれも深い解説はありませんでしたが、雰囲気は伝わります。 -
16:00
ここでちょっとバシチャルシァから離れます。
ブルサ・ベジスタンからミリャツカ川を渡ってすぐにあるEmperor's mosqueへ。
最古の部分は16世紀建造だそうです。
Emperor's mosque with the Isa-bey hammam
見学自由 -
モスクの前には小さな噴水。
-
内部は祈りにふさわしい重厚な雰囲気。
-
天井はシンプル。
-
16:15
少し南にいったところには教会がありました。
ネオ・ゴシック様式で、1914年建築だそうです。
本当にいろんな宗教が交差しているんですね。
1894年建造のFranciscan Monasteryも隣接しているのですが、こちらは入れませんでした。
St. Anthony's Church
見学自由 -
重たいドアを開けて教会の内部へ入ります。
-
壁画はコンテンポラリーな感じでした。
-
16:22
Burial Chamber of Seven Brothers。
1ブロックほど西に行ったところにありますが閉まっていて入れず。。 -
川のほうに戻ったところにあるオーストリア広場横は公園のようになっていました。
そこにあったこちらはミュージック・パヴィリオン。
1911年にオーストリア・ハンガリー当局によって建設されたもの。
実はこの南側、現在防衛省になっているあたりはかつて軍の宿舎があり、休日などに軍の音楽隊のステージとして使われていたそうです。
現在はカフェになっています。 -
そしてその近く、ミリャツカ川にかかるのがラテン橋です。
-
再びバシチャルシァ地区に戻ります。
ラテン橋を渡ったところにあるのがサラエボ1878-1918という博物館。
何が有名かというと、建物の写真左側にいくとわかります。 -
そこには看板が。
まさにここが、1914年、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が襲撃された場所。
サラエボ事件として有名ですね。
これを契機に第一次世界大戦がはじまったわけです。
犯人は青年ボスニア党で秘密組織黒手組のセルビア人プリンツィプ。
彼の名をとり、ラテン橋をプリンツィプ橋とよんだ時期もあったそうです。 -
この通りはフランツ・ヨーゼフ通り。
現場はちょうどこのあたりですね。
さっきのツアーでお世話になったinsider社のすぐそばです。 -
博物館の中に入ってみました。
なんと一部屋、この見えている範囲のみ!
正直、もっといろいろあるのかと思っていました。
サラエボ1878-1918
入場料 BAM 4(共通券あり) -
展示はオーストリア・ハンガリー時代からスタート。
写真上部のように、事件とはあまり関係ない展示です。
左下は皇太子夫妻のマネキン。
右下の地図は事件の流れがよくわかります。
皇太子夫妻は軍事演習視察のため、市の西にある鉄道駅から旧市庁舎の方向へ車で向かっていました。
パレードのため、車の屋根は開いていました。
黒手組のメンバーは道路沿いに間隔をあけてスタンバイ。
最初チャブリノヴィッチがCumurija橋付近で爆弾を投げつけますが、爆発までタイムラグがあったため皇太子夫妻の後ろを走る車で爆発し暗殺失敗。
犯人は逮捕され、車列はスピードを上げて旧市庁舎へ逃げ込みます。
爆発で負傷した市民を見舞うため、皇太子夫妻は病院に向かいます。
ところが、運転手にルート変更を伝えていなかったため、来た道を戻り、途中で右折しフランツ・ヨーゼフ通りに入ってしまいます。
この博物館があった場所は当時カフェで、そこでカフェ中だったプリンツィプが、車列めがけて発砲。
皇太子夫妻に命中し、間もなく死亡してしまいます。 -
黒手組の7人。
大きい写真はプリンツィプです。
暗殺後、服毒死する計画だったそうですが全員失敗しています。
しかもプリンツィプは未成年だったため死刑にならず、懲役20年。
結局1918年、結核などにより獄中死しています。
他の6人のうち、2人は長生きしたようです。
イリイッチ:絞首刑
チャブリノヴィッチ、グラベジュ:結核により獄中死
メフメトバシッチ:5年後出所→第一次大戦後に服役→市内で殺害
ポポヴィッチ(下段左):4年後出所→サラエボ博物館の学芸員
チュブリロヴィッチ(上段中央):4年後出所→ベオグラード大学教授→ユーゴスラビア森林相
一人すごい出世している・・・ -
市庁舎前の皇太子夫妻の写真。
これから車に乗り込もうとしているように見えます。
襲撃された車も手前に写っていますね。
現在はウィーン軍事史博物館に保存されているそうです。 -
Bosnische Post紙の号外。
襲撃があった、という見出しがついています。 -
プリンツィプが着ていた服(レプリカ)。
-
暗殺に使った銃(レプリカ)も展示されていました。
-
17:06
お次は、トラムの走る北側の通り付近にあるユダヤ人博物館へ。
ユダヤ人博物館
入場料 BAM 3(共通券あり) -
この博物館はユダヤ教の教会にあたるシナゴーグに併設されています。
こちらがシナゴーグ。
シンプルすぎ! -
展示されていたものを少しご紹介。
左上はサラエボ・ハッガーダー。
ハッガーダーは祭事で読む冊子のこと。
世界で最も古いハッガーダーの一つだそうです。
これはレプリカで、後半で訪れる国立博物館にも展示があります。
右上は薬草を売る薬局の家の再現。
左下はケトゥバーという結婚契約書。
シナゴーグを取り囲む2階の回廊にも展示があります。 -
上段と左下はパレスチナからの訪問団の展示。
右下はホロコーストの展示です。
いろいろ生々しい写真もありましたが、ここでは割愛します。 -
17:35
真ん中の通りに戻ったら目に付くのがフェルハディヤ・ジャミーヤ。
閉館で入れず。 -
17:39
今度はカトリック大聖堂が現れました。
相変わらずいろんな宗教てんこもり状態ですね。
カトリック大聖堂
(Cathedral of Jesus' Sacred Heart、イエスの聖心大聖堂) -
教会に入る足元にも被弾を示す赤いペンキがありました。
-
残念ながら内部撮影は禁止。
大聖堂というだけあり、広い造りになっています。
アーチやステンドグラス窓などの周りはオレンジとベージュのような色のボーダーで囲むデザイン。
主祭壇は少し黒ずんだ感じのグレーで四人の聖人像が並んでいました。
フレスコ画やステンドグラスは写実的。
見入ってしまいます。 -
17:54
1ブロック南にも教会が。
今度はセルビア正教会です。
この時間は閉館だったので翌日改めて訪問しました。
セルビア正教会(Synod Orthodox Church)
BAM 2 -
広い!
なんと豪華なイコノスタシス!
壁全面! -
カーテンが開いており至聖所が見えていました。
-
絵は結構写実的。
内部は明るい雰囲気でした。 -
教会の前には・・・健康器具!?
-
教会前は広場のようになっています。
平日の夕方、高齢者がチェスを楽しんでいました。 -
不思議な像もあります。
-
広場の南側にあるのはArmy Hall。
入れず仕舞いでしたが、コンサートをやっているときは中に入れるみたいです。
19世紀に建造されたもので、オペラなどが上演されていたんだとか。
暗くなってきたのでこの日の観光はここまで。
★☆★サラエボ泊★☆★ -
87日目(2016/10/13)
10:54
この日はいい天気!
気温は寒いので、日差しはとてもありがたい!
10℃くらいはあるみたい?気温二桁だと幾分楽です。
旧市街の見学の続きです。
まずはDespic's House。
サラエボ事件現場から2ブロック西へ行ったところにあります。
Despic's House
入場料 BAM 3 -
えっ!セット券があったの!?
知らなかった。。
Svrzo's House(3マルカ)、Despic's House(3マルカ)、ユダヤ人博物館(3マルカ)、ブルサ・ベジスタン/サラエヴォ市博物館(3マルカ)、サラエボ1878-1918(4マルカ)に10マルカで入れるチケットらしいです。
今までどこにも書いてなかったぞ・・・損しちゃった。 -
左上はMakso Despic氏。
右上の大きな部屋はその名も「Big room」。
リビングルームだそうですがここで演劇をさせていたというのでオドロキ。
左下は父の部屋。
右下は母の部屋です。 -
2階にあがると、まだ部屋がありました。
家の大きさ自体はそんなでもないと思いますが、部屋がたくさんある印象です。 -
左上は階段のぼったところにあった部屋。
Kubelija roomというそうです。
クローゼットの裏に階段が隠れており、1階の父の部屋とつながっているんだとか!
右上は食器棚。あんまり入ってないような・・・?
下段は食堂。食堂にイコンが飾ってありました。 -
11:20
川を渡って、今度は新シナゴーグへ。
大きい立派な建物です。
新シナゴーグ
見学料 BAM 2 -
訪問時シナゴーグ内部は締め切られていて、係員が鍵を開けて見学させてくれました。
建物2階に上がり、この扉の向こうが礼拝する場所です。 -
緑!
ちょっとイメージと違います。 -
中央の台には聖具などが並べられていました。
-
Drvenija Mostを渡って再び旧市街側へ。
なぜかこの橋は曲がっています。 -
11:58
北の通りにでました。
こちらはガジ・フスレヴ・ベグ・ハマム。
閉館ガラガラ。。 -
ガジ・フスレヴ・ベグ・ハマムから青空市場に歩いていたら、いつのまにか背中側に周っていたかばんを開くような音がしたのでとっさに振り返ると、浅黒い肌の女がかばんをあけているー!
女の手を握って怒っていると、人がワラワラ集まり、近くにいた男性が何か電話している・・・
程なくして警察官が来て、一緒に警察署へ。
このとき、もう一人浅黒く汚い肌の女もいることに気付きました。 -
貴重品など手荷物を確認したのですが、何も取られていませんでした。よかった・・・
警察官からは書類を出す必要がないということだったのですが大使館がなんとかとか言っている・・・
けど話が通じない・・・ -
念のため日本大使館へ・・・
事情を説明したところ、結局今回のケースでは来る必要がなかったみたいです。
対応していただいた職員さんはとてもいい方で、いろいろ注意点などを教えていただきました。
しかしこんなのは70ヶ国程度旅行していて初めて。
初心を忘れてはいけませんね。戒め。
みなさんもスリに遭わないように、かばんを持つ位置や貴重品のしまい方など気をつけましょう! -
13:00
気を取り直して。
こちらが青空市場(マルカレ市場)。 -
野菜や果物がいっぱい。
楽しそうだけど、スリ未遂現場のすぐそばでちょっと嫌な気分。
足早に去ることに。 -
近くにはマーケットホールがあります。
これも歴史的な建造物。
1895年建造で、オープン当初から市場として使っているそうです。 -
現在も市場になっています。
ここはお肉やチーズなどが目立ちます。 -
13:07
トラムのある北側の通りと交わるところにはエターナル・フレームがありました。 -
次のスポットにはトラム移動にしようかとも思ったのですが、スリ未遂の一件があったのでタクシーに乗っていくことに。
車窓から見えたのはWartime Memorial for Children of Sarajevo。 -
13:33
タクシーでスナイパー通りへやってきました。
タクシー
エターナル・フレーム前→国立博物館前
BAM 5 -
この黄色いビルはホテル・ヨーロッパ。
かつてはホリデイ・インで、戦争中も営業を続け、ジャーナリストたちが宿泊していたそうです。
しかも宿泊客の死亡者は一人もいないんだとか(!) -
13:35
道路挟んで向かいにある国立博物館へ。
資金の問題で2012年から閉館していたそうですが、訪問時にはオープンしていました。
スナイパー通りに面した大きなビル。
実は、中庭を取り囲むように4つの建物で構成されており、オフィス・図書館である1棟を除く3棟を見学できます。
入ったところは考古学、庭園挟んで向かいは自然史、考古学から見て左が民俗学の展示になっています。
この建物も戦争で多大な被害が出たそうですが、見た感じ綺麗になっています。
国立博物館
入場料 BAM 6 -
まずは考古学棟から見学をスタート。
右上 2-3世紀イリジャ出土のモザイク
左下 4世紀Zenica出土の墓標:30歳で亡くなった息子のためのものだそう
右下 Skifos, Teba
他に、コインや岩絵などの展示がありました。 -
考古学棟の一番の見所と思われるのはサラエボ・ハッガーダー。
ガラスの向こうの部屋に安置されておりこれ以上近づくことはできません。
ユダヤ人博物館にもありましたが、あれはレプリカでした。
こちらはおそらく本物なんでしょうね。
でも見えない! -
これが限界。
サラエボ・ハッガーダーの詳細についてはW○kipedia先生に。。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sarajevo_Haggadah -
中庭へ。
手入れがされ、きれいです。 -
酸漿!?
サラエボで見るとは。。ちょっと感動。 -
一画では石がたくさん並んでいました。
これは2016年に世界遺産に登録されたステチュツィ、巨大な中世の墓碑です。
ちなみに、自然史棟と民俗学棟は撮影禁止でした。
自然史は、キノコ、鳥、蝶、虫などの模型など。
海の生き物はありませんでした。
民俗学は、19世紀の家庭、刺繍や編み物している様子、男たちがパイプ吸っている様子などをマネキンで表現していたり、オスマン時代の金持ちの家を再現していました。 -
14:39
続いては隣接する歴史博物館へ。
入口はこの写真の左奥側にあります。
1階は入口、2階がメインの展示、地下一階にも小さな展示があります。
歴史博物館
入場料 BAM 5 -
メインの展示室はこれだけ。
思ったより小さい。。 -
中は写真展示がメイン。
右上のようにいくつか物の展示もあります。
その右上は衛星電話。
ボスニアの大統領職(?、原文はpresidency)のメンバーの事務所に置かれたものだそうです。
左下。外界との連絡を遮断するためにテレビ塔や新聞社の建物が破壊されています。しかしその新聞社はサラエボ包囲中も新聞を発行し続けたそうです。
右下は包囲中の家の様子。
この再現ではちょっとわかりにくいのですが、台所が部屋の中央に配置されているのが特徴なんだとか。
食事のほかにカード遊びや睡眠など寛ぐことのできる最も安全な場所だったようです。 -
ブラック・ルーム、暗幕の部屋というのがあり、この内部は人によってはショッキングに感じる写真が含まれているとのこと。
写真もあるのですが、ここでは割愛します。 -
瓦礫の中でコンサートや演劇を開いていた、というのも驚きです。
-
地下一階は、銃の展示室。
狭くほこりっぽい部屋に夥しいほどの銃が展示されていました。
係員同伴で説明を受けながら見ていくスタイルでした。 -
庭もあったのですが出られませんでした。
ガラス越しに怪しげな廃品たちを見物です。 -
見学を終えて、出入口の横を見ると巨大な石が。
この石の下に戦争と冷戦の犠牲者のモニュメントがあるそうです。
石の下って・・・ -
トラムの走る大通りを渡ります。
何度も登場していますが、この写真の奥、地図で言うと西側がスナイパー通り。
今は至って普通の平和な通りです。 -
博物館のすぐそばにサラエボ大学があります。
その敷地内にヨシップ・ブロズ・チトーの像がありました。
チトーが通称だったとは知りませんでした。。 -
15:44
サラエボ最後の見所はアヴァズ・ツイスト・タワー。
中央駅のすぐそばにあり、超目立ちます。
アンテナをのぞく高さは142mだそうです。
そう聞くと大したことないのですが、間違いなくサラエボでは超高層。 -
入口はこちら。
セキュリティ・チェックもなにもなく入場できます。
チケット購入もここでは不要です。 -
自分でエレベータを探し、35階まであがります。
-
さらにもうワンフロア、階段であがります。
するとゲートがあり、そのゲートに直接お金を入れて入場します。
コインのみなので、1マルカ硬貨を予め用意しておきましょう。
それにしても激安!
アヴァズ・ツイスト・タワー展望台
入場料 BAM 1 -
展望台は屋外スタイル。屋根がないので天候に注意です。
ガラスではなく柵なのはポイント高いですね。 -
眺望を順番に見ていきます。
まずは北東方向。
とりたてて見るものはありません。
住宅地が広がっています。 -
東。
バシチャルシァの方角です。 -
バシチャルシァ周辺をアップ!
写真左端やや上にイエロー・フォートレスとイゼトベゴヴィッチのお墓が見えます。
市庁舎、モスクのミナレット、教会の塔の部分は見えますが、ちょっと判別しづらいですね。 -
南東方向。
写真奥の山はケーブルカーができそうなトレベヴィチ山。
サラエボ包囲中はあそこはセルビア人勢力の地域でした。
手前の黄色いホテルが旧ホリデイ・インです。 -
南方向。
旧ホリデイ・インの左奥の低層のビル群が国立博物館、その右のさらに小さな建物が歴史博物館です。
その向かいの広大な敷地はアメリカ大使館。
実は通りから大使館の方向に向けて撮影するのは禁止されており、カメラを持って歩いていると係員から質問されることがあります。
でも、上空からは丸見え。
Google mapの衛星写真でも丸見えだし、いいんだろうか。。 -
南西方向。
中央駅や連邦側バスターミナルがよく見えます。
スナイパー通りも奥のほうに見えますが、その周囲は意外にも高層ビルが立ち並んでいるんですね。 -
北西方向。
山の上にテレビ塔が見えますね。
向こう側にはお墓が広がっていました。 -
北方向。
オリンピックスタジアム跡が写真中央奥にかろうじて見えています。
この展望台、北側と北東側の間がつながっていないのですが、なんとかぐるり一周見渡せました。 -
眺望の後はサラエボ最後の夕食で締めくくり!
トラムでバシチャルシァまで戻ってきました。
時計塔のある区画にあるレストランAeroplan。
ボサンスキ・ロナッツというボスニア料理をチョイス。
一言で言えばトマトスープです。
じゃがいもがホクホク!
スープはコクがありとてもおいしい!
お肉が入っていましたが、やや硬め。脂身も多い。。
野菜がいっぱい取れるので、長旅の人にはおすすめです。
夕食@Aeroplan
ボサンスキ・ロナッツ BAM 11
コーヒー BAM 3
★☆★サラエボ泊★☆★ -
88日目(2016/10/14)
サラエボもおしまい。
バスターミナルに向かいます。
4:30起床ですよ・・・早すぎ。
タクシーはチェックアウト時に呼んでもらいました。
街は真っ暗で、街灯はぽつぽつある程度。歩いている人は皆無。
歩いていくのはさすがに躊躇われます。
タクシー
5:23 セントラルホテル前→5:32 バスターミナル(連邦側)
BAM 8(言い値 BAM 10) -
バスターミナルは暗いですが、中は明かりが点いていてちょっと安心。
待合室などでタバコを吸う人が多く、朝から服がタバコ臭くなります。。
チケットはサラエボ到着時に購入していたのでゲートを通過してバスを探します。 -
バスはこちら。
なんとこのバスに単身の日本人女性がいました。
なんたる奇遇w
定刻どおり出発です!
バス
6:00 サラエボ・バスターミナル(連邦側)
→13:34 ベオグラード・バスターミナル
BAM 47 -
6:55
オリンピックスタジアムを右手に見て、しばらく田舎町を進みます。
6:40くらいから山登り。
だんだん白みだしてきました。 -
7:08
やがて山を下り、最初の停留所はOlovo。
5分ほど停車して、出発です。 -
7:32
どんどん山を下っていきます。
7:35にグラダニ・バスターミナルに到着。
ここは18分も停車しました。 -
8:10
もう山は紅葉ですね。きれいー。 -
8:55
やがて川が見えてくると国境はもうすぐ。 -
まるで渓谷のようです。
-
対岸はもうセルビア。
-
9:13
セルビアとの国境に到着。
ボスニア側は係員が乗り込んでパスポートを回収する方式でした。
パスポートが返ってくるのを待っている間、男性二人組が荷物を持って出て行きました。。
なんだろう。 -
ボスニア・ヘルツェゴビナ出国!
クロアチアから入国したときはスタンプなかったのに(というか審査すらなかったのに)、今度はスタンプがありました。
男性二人組も戻ってきました。
何があったんでしょうね。。 -
国境はさっきから見えている川。
国境線をバスで超えています。 -
橋を渡りきったところでセルビア側の入国審査。
こちらも係員乗り込み・パスポート回収方式でした。 -
セルビアに入国!
9:46出発です。
ボスニア出国の手続き開始から30分でセルビア入国終了。
すごくスムーズだった印象です。 -
セルビアに入ると、しばらくは農村の風景。
これまでのような幹線道路でないのか、途端に道が悪くなり、カーブも続き、バスが結構揺れます。 -
10:00
ボスニアに比べると家はかわいいかもw
10:30
ロズニツァのバスターミナルに到着。
10分間停車するので体を動かすのを兼ねてトイレに行ったら有料でした。
セルビアの小銭持っていない!と思ったらボスニアの小銭でもいいらしい。
定価はRSD 0.25ですが、BAM0.50でOKでした。 -
11:28
さっきから変わり映えしませんが、本当に景色が変わりませんw
道の状態はロズニツァから急に普通に戻ったみたい。 -
11:32
運転手たちが昼食休憩。
スレプチェヴィチという村にあるMićo Bradinaというレストランです。
20分近く停車するので、お茶など飲んでもいいのかも。
私はここで両替させてもらいました。
レートはあんまりよくないのですが、全くセルビア・ディナールを持ってなかったのでつい。。 -
12:10、シャバツのバスターミナルに到着しますが1人降りただけ。
12:16、サヴァ川を通過します。 -
12:41
久々の地平線!w
ユーラシア大陸横断アジア編では散々見ましたが、もしかしたらトルコ以来かもしれませんね。 -
13:23
だんだん高い建物が見えてきてベオグラードが近づいてきたみたいなので、旅行記を区切ります。
気付けば写真掲載200枚オーバー・・・反省w
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88-89日目 セルビア ベオグラード
http://4travel.jp/travelogue/11182437
へ続く→→→
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