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草薙神剣が御神体として祀られている熱田神宮の本宮の紹介です。神明造りの神殿で連想するのは同津の建築家のブルーノ・タウトです。桂離宮や伊勢神宮の建築美を再発見してくれました。

2015秋、熱田神宮(6/7):本殿、神楽殿、土用殿、竜神社、御田神社、清水社

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2015/09/30 - 2015/09/30

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旅人のくまさん

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草薙神剣が御神体として祀られている熱田神宮の本宮の紹介です。神明造りの神殿で連想するのは同津の建築家のブルーノ・タウトです。桂離宮や伊勢神宮の建築美を再発見してくれました。

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  • 熱田神宮の本宮(ほんぐう)の正面光景です。明治26年(1893年)までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。現在の建物は平成21年(2009年)に遷座された建物です。

    熱田神宮の本宮(ほんぐう)の正面光景です。明治26年(1893年)までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。現在の建物は平成21年(2009年)に遷座された建物です。

  • 本宮に向かって左前から眺めた建物の上部光景です。伊勢神宮に代表される神明造は、出雲大社に代表される大社造や住吉大社に代表される住吉造と共に、もっとも古い神社建築様式とされます。大相撲国技館の土俵の上の屋根も神明造です。

    本宮に向かって左前から眺めた建物の上部光景です。伊勢神宮に代表される神明造は、出雲大社に代表される大社造や住吉大社に代表される住吉造と共に、もっとも古い神社建築様式とされます。大相撲国技館の土俵の上の屋根も神明造です。

  • 同じ場所から眺めた、拝殿方面の光景です。提灯の紋は五七の桐では無く、菊紋でした。十六葉の菊の文様は、天皇家の家紋ですが、許可を貰って熱田神宮も使っているようです。

    同じ場所から眺めた、拝殿方面の光景です。提灯の紋は五七の桐では無く、菊紋でした。十六葉の菊の文様は、天皇家の家紋ですが、許可を貰って熱田神宮も使っているようです。

  • 拝殿の横からの眺めです。神明造りの建物が並んでいました。奥の方が本殿、拝殿との中間が幣殿(へいでん)のようです。

    拝殿の横からの眺めです。神明造りの建物が並んでいました。奥の方が本殿、拝殿との中間が幣殿(へいでん)のようです。

  • 神明造は、狭義では萱葺(かやぶき)に限りますが、一般には板葺や銅葺を含めます。伊勢神宮の摂社・末社・所管社のほぼすべては板葺です。熱田神宮の屋根は、銅葺です。

    神明造は、狭義では萱葺(かやぶき)に限りますが、一般には板葺や銅葺を含めます。伊勢神宮の摂社・末社・所管社のほぼすべては板葺です。熱田神宮の屋根は、銅葺です。

  • 屋根を支える側面の破風(はふ)は継手でとどまらず、先端が飛び出し千木(ちぎ)と呼ばれる構造になります。拝殿に向かって左側の千木の光景です。

    屋根を支える側面の破風(はふ)は継手でとどまらず、先端が飛び出し千木(ちぎ)と呼ばれる構造になります。拝殿に向かって左側の千木の光景です。

  • 同じく、拝殿に向かって右側の千木の光景です。屋根の上に棟に直角になるように平行して並べられた部材は、鰹木(かつおぎ)と呼ばれています。鰹木を有する建物は、茶臼山古墳などの埴輪としても出土しています。

    同じく、拝殿に向かって右側の千木の光景です。屋根の上に棟に直角になるように平行して並べられた部材は、鰹木(かつおぎ)と呼ばれています。鰹木を有する建物は、茶臼山古墳などの埴輪としても出土しています。

  • 少し離れた場所から撮影した、拝殿正面の光景です。熱田神宮が神明造に変ったのは、明治26年(1893年)、当時の角田忠行大宮司の明治政府への働きかけがあったからとされます。角田忠行大宮司(1834〜1918年)は、尊王思想が篤い人だったようです。島崎藤村の『夜明け前』の『暮田正香』のモデルとなった人物とされます。

    少し離れた場所から撮影した、拝殿正面の光景です。熱田神宮が神明造に変ったのは、明治26年(1893年)、当時の角田忠行大宮司の明治政府への働きかけがあったからとされます。角田忠行大宮司(1834〜1918年)は、尊王思想が篤い人だったようです。島崎藤村の『夜明け前』の『暮田正香』のモデルとなった人物とされます。

  • 楠越しに眺めた拝殿の光景です。角田忠行大宮司は、幕末の文久3年(1863年)2月の足利三代木像梟首事件に首謀者の一人として関与し、幕吏に追われて伊那谷に潜伏した経歴を持ちます。藤田東湖の門人で、皇室に縁の深い熱田神宮の地位の向上のため働いたとされます。明治13年(1880年)熱田神宮大宮司となり、大正3年(1914年)までその職を務めました。

    楠越しに眺めた拝殿の光景です。角田忠行大宮司は、幕末の文久3年(1863年)2月の足利三代木像梟首事件に首謀者の一人として関与し、幕吏に追われて伊那谷に潜伏した経歴を持ちます。藤田東湖の門人で、皇室に縁の深い熱田神宮の地位の向上のため働いたとされます。明治13年(1880年)熱田神宮大宮司となり、大正3年(1914年)までその職を務めました。

  • 秋の日が短くなるのは早く、現在時刻は16時頃ですが、随分と影が長くなってきました。祈祷殿長床方面の光景です。

    秋の日が短くなるのは早く、現在時刻は16時頃ですが、随分と影が長くなってきました。祈祷殿長床方面の光景です。

  • 寄生木(やどりぎ)が着いた枝先のズームアップ光景です。本体はクスノキだったようです。寄生木は、ビャクダン科ヤドリ属の植物です。

    寄生木(やどりぎ)が着いた枝先のズームアップ光景です。本体はクスノキだったようです。寄生木は、ビャクダン科ヤドリ属の植物です。

  • 大正天皇が皇太子時代に植樹されたらしい樟の光景です。植樹されて100年以上が経っています。

    大正天皇が皇太子時代に植樹されたらしい樟の光景です。植樹されて100年以上が経っています。

  • お神籤が結び付けられた竹製の架台です。奥の方には絵馬も架かっていました。

    お神籤が結び付けられた竹製の架台です。奥の方には絵馬も架かっていました。

  • 斜め前から眺めた、神楽殿の光景です。平成9年(1998年)に遷宮された本宮と一緒に更新された建物のようです。

    斜め前から眺めた、神楽殿の光景です。平成9年(1998年)に遷宮された本宮と一緒に更新された建物のようです。

  • 斎館(さいかん)の建物正面光景です。背後の勅使館と宮庁とに繋がっているようです。斎館とは、神職が祭典神事に先立って先籠し、潔斎する建物とされます。

    斎館(さいかん)の建物正面光景です。背後の勅使館と宮庁とに繋がっているようです。斎館とは、神職が祭典神事に先立って先籠し、潔斎する建物とされます。

  • 神楽殿の建物正面光景です。祈願者席は300席以上が用意されているようです。

    神楽殿の建物正面光景です。祈願者席は300席以上が用意されているようです。

  • 神楽殿の建物正面のズームアップ光景です。青地の幕に染め抜かれた白い文様は、熱田神宮の社紋の五七の桐です。

    神楽殿の建物正面のズームアップ光景です。青地の幕に染め抜かれた白い文様は、熱田神宮の社紋の五七の桐です。

  • ガラス窓越しの撮影ですから、ピントが合いませんでした。雅楽に合わせた巫女の舞姿です。

    ガラス窓越しの撮影ですから、ピントが合いませんでした。雅楽に合わせた巫女の舞姿です。

  • 雅楽殿の近くにあった案内標識です。随分前に見学した記憶がありますが、『こころの小径』沿いの小さな社を見学することにしました。

    雅楽殿の近くにあった案内標識です。随分前に見学した記憶がありますが、『こころの小径』沿いの小さな社を見学することにしました。

  • 『こころの小径(こみち)』の案内図です。16時を過ぎますと、左回りの参拝ルートは、清水社で通行止めになります。

    『こころの小径(こみち)』の案内図です。16時を過ぎますと、左回りの参拝ルートは、清水社で通行止めになります。

  • 『こころの小径(こみち)』の左回りの参拝ルートで最初に目にするのは、『龍神社(りゅうじんしゃ)』です。境内社の龍神社の祭神は、『吉備武彦命(きびたけひこのみこと)』、と『大伴武日命(おおともたけひのみこと)』です。日本武尊の東征に従った神々とされます。高床式の社殿でした。

    『こころの小径(こみち)』の左回りの参拝ルートで最初に目にするのは、『龍神社(りゅうじんしゃ)』です。境内社の龍神社の祭神は、『吉備武彦命(きびたけひこのみこと)』、と『大伴武日命(おおともたけひのみこと)』です。日本武尊の東征に従った神々とされます。高床式の社殿でした。

  • 『龍神社』の北隣に位置する『御田神社(みたじんじゃ)』です。祭神は『大年神(おおとしのかみ)』です。五穀豊穰の守護神とされます。

    『龍神社』の北隣に位置する『御田神社(みたじんじゃ)』です。祭神は『大年神(おおとしのかみ)』です。五穀豊穰の守護神とされます。

  • 斜め前から見上げた土用殿の建物光景です。第二次大戦で焼失し、昭和46年(1971年)に元の位置に再建された建物です。

    斜め前から見上げた土用殿の建物光景です。第二次大戦で焼失し、昭和46年(1971年)に元の位置に再建された建物です。

  • 土用殿の横から眺めた神楽殿の光景です。周りには、建物の一部として、立派な石垣が積んでありました。

    土用殿の横から眺めた神楽殿の光景です。周りには、建物の一部として、立派な石垣が積んでありました。

  • 土用殿の建物正面光景です。宝庫造(井桁組)と呼ばれる建築様式です。

    土用殿の建物正面光景です。宝庫造(井桁組)と呼ばれる建築様式です。

  • 先ほど見学した土用殿方面の光景です。『こころの小径』に戻ってから見上げた光景です。

    先ほど見学した土用殿方面の光景です。『こころの小径』に戻ってから見上げた光景です。

  • 『清水社(しみずしゃ)』付近の光景です。時間も16時を回っていますが、鬱蒼とした鎮守の杜の中でした。

    『清水社(しみずしゃ)』付近の光景です。時間も16時を回っていますが、鬱蒼とした鎮守の杜の中でした。

  • 『清水社(しみずしゃ)』の案内立看板です。『罔象女神(みずはのめのかみ)』を祀ります。目の神様とされます。

    『清水社(しみずしゃ)』の案内立看板です。『罔象女神(みずはのめのかみ)』を祀ります。目の神様とされます。

  • 『お清水』のタイトルがあった立看板です。湧水の中にある苔生した石は、1529年頃の享禄の古図にも描かれているようです。

    『お清水』のタイトルがあった立看板です。湧水の中にある苔生した石は、1529年頃の享禄の古図にも描かれているようです。

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