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尾張の一宮、真清田神社の紹介の続きです。境内末社の、三八稲荷神社などの紹介です。市(いち)が立つ日の3と8日に因む名前とされます。

2015秋、尾張一之宮・真清田神社(5/6):三八稲荷神社、拝殿、赤い鳥居列、蕃塀、狛狐

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2015/10/09 - 2015/10/09

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旅人のくまさん

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尾張の一宮、真清田神社の紹介の続きです。境内末社の、三八稲荷神社などの紹介です。市(いち)が立つ日の3と8日に因む名前とされます。

  • 真清田神社の境内末社の『三八稲荷神社』の赤い鳥居の光景です。祭神は、『倉稲魂命(うかのみたまのみこと)』です。

    真清田神社の境内末社の『三八稲荷神社』の赤い鳥居の光景です。祭神は、『倉稲魂命(うかのみたまのみこと)』です。

  • 三八稲荷神社の拝殿の光景です。社の柱なども、鳥居と同じように朱塗りでした。

    三八稲荷神社の拝殿の光景です。社の柱なども、鳥居と同じように朱塗りでした。

  • 三八稲荷神社の拝殿の内部の光景です。和銅4年(711年)の初午の日に、に伏見稲荷社の宇迦御霊神(倉稲魂命)が伊奈利の山に降り立った日とされ、初午の日の大祭が行われます。初午(はつうま)は、2月の最初の午の日を指します。

    三八稲荷神社の拝殿の内部の光景です。和銅4年(711年)の初午の日に、に伏見稲荷社の宇迦御霊神(倉稲魂命)が伊奈利の山に降り立った日とされ、初午の日の大祭が行われます。初午(はつうま)は、2月の最初の午の日を指します。

  • 天上から釣り下がった、『三八稲荷大明神』の赤い提灯の列です。三八稲荷神社の別の呼び名です。

    天上から釣り下がった、『三八稲荷大明神』の赤い提灯の列です。三八稲荷神社の別の呼び名です。

  • 真清田神社の境内の南外から眺めた、稲荷神社の光景です。正面に目隠しの衝立のような建物がありました。『蕃塀(ばんべい)』と呼ばれる施設です。正殿を直視できないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされますが、目的についての定説はないようです。

    真清田神社の境内の南外から眺めた、稲荷神社の光景です。正面に目隠しの衝立のような建物がありました。『蕃塀(ばんべい)』と呼ばれる施設です。正殿を直視できないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされますが、目的についての定説はないようです。

  • 『蕃塀(ばんべい)』のズームアップ光景です。記録上最古の尾張の蕃塀は、承応2年(1653年)に補修された、『紙本著色真清田神社古絵図』に描かれた真清田神社の蕃塀とのネット情報もありました。因みに、伊勢神宮の蕃塀は、内宮、外宮共に8世紀以前に遡るようです。

    『蕃塀(ばんべい)』のズームアップ光景です。記録上最古の尾張の蕃塀は、承応2年(1653年)に補修された、『紙本著色真清田神社古絵図』に描かれた真清田神社の蕃塀とのネット情報もありました。因みに、伊勢神宮の蕃塀は、内宮、外宮共に8世紀以前に遡るようです。

  • 『御由緒』の題字があった立看板の光景です。今日との伏見稲荷神社のご分霊のご祭神は、衣食住の祖神と紹介されていました。

    『御由緒』の題字があった立看板の光景です。今日との伏見稲荷神社のご分霊のご祭神は、衣食住の祖神と紹介されていました。

  • 『三八稲荷大明神』の付近の境内光景です。中々分からなかった、『三八稲荷』の名前の由来ですが、奥州須賀川総鎮守の神炊館神社のHPに、『商売繁盛を願い、「市神稲荷」として信仰を集めたこの神社は、当時の市が三の日と八の日に催されたことから「三八稲荷」と呼ばれます』との記載がありました。市が立った日が『三八』の語源とするものです。正門になる南側の鳥居の前の市が立つ広場は、『宮前三八市広場』と呼ばれていますから、同じ語源で間違いないようです。<br />(追記)ウィキペディアには、『元は「新稲荷社」として境内西北に鎮座したが、戦後に「三八稲荷社」に改称して現在地に遷座。社名「三八(さんぱち)」は、戦前まで真清田神社社前で開かれた織物中心の市「三八市」に由来する』と紹介されていました。<br />

    『三八稲荷大明神』の付近の境内光景です。中々分からなかった、『三八稲荷』の名前の由来ですが、奥州須賀川総鎮守の神炊館神社のHPに、『商売繁盛を願い、「市神稲荷」として信仰を集めたこの神社は、当時の市が三の日と八の日に催されたことから「三八稲荷」と呼ばれます』との記載がありました。市が立った日が『三八』の語源とするものです。正門になる南側の鳥居の前の市が立つ広場は、『宮前三八市広場』と呼ばれていますから、同じ語源で間違いないようです。
    (追記)ウィキペディアには、『元は「新稲荷社」として境内西北に鎮座したが、戦後に「三八稲荷社」に改称して現在地に遷座。社名「三八(さんぱち)」は、戦前まで真清田神社社前で開かれた織物中心の市「三八市」に由来する』と紹介されていました。

  • 稲荷神社に付き物の狐の置物です。狛犬と同じような感じです。伏見稲荷のQ&amp;Aからの引用です。『稲荷大神様」のお使い(眷族)はきつねとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。』と解説されていました。

    稲荷神社に付き物の狐の置物です。狛犬と同じような感じです。伏見稲荷のQ&Aからの引用です。『稲荷大神様」のお使い(眷族)はきつねとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。』と解説されていました。

  • 一対になった『狛狐』のもう一方の光景です。続いて、『稲荷』の語源についての、伏見稲荷のQ&amp;Aからの引用です。『山城国風土記の逸文では「イネが生った」ところより社名としたとありますが、他にもいろいろな説があります』と解説されていました。

    一対になった『狛狐』のもう一方の光景です。続いて、『稲荷』の語源についての、伏見稲荷のQ&Aからの引用です。『山城国風土記の逸文では「イネが生った」ところより社名としたとありますが、他にもいろいろな説があります』と解説されていました。

  • 三八稲荷神社脇の赤い鳥居の列の光景です。この先は、西の鳥居の横まで続いているようです。

    三八稲荷神社脇の赤い鳥居の列の光景です。この先は、西の鳥居の横まで続いているようです。

  • 『開運殿』の表札があった、目立たない建物の光景です。市民の手作りまつり『杜の宮市』の準備会場などとして使われていました。

    『開運殿』の表札があった、目立たない建物の光景です。市民の手作りまつり『杜の宮市』の準備会場などとして使われていました。

  • 社務所の建物と、その前に並んだ二本の大楠の光景です。建物が小さく見えるほどの大きさでした。

    社務所の建物と、その前に並んだ二本の大楠の光景です。建物が小さく見えるほどの大きさでした。

  • 樹種は分からなかった、古木の光景です。二本ならんで広場の中央に立っていました。

    樹種は分からなかった、古木の光景です。二本ならんで広場の中央に立っていました。

  • 古木の根元に置かれていた、案内版です。右の矢印が本殿と宝物館など、左の矢印が参集殿と結婚式場です。自動車清祓所の案内もありました。

    古木の根元に置かれていた、案内版です。右の矢印が本殿と宝物館など、左の矢印が参集殿と結婚式場です。自動車清祓所の案内もありました。

  • 上部が剪定されたのでしょうか、幹の大きさに比べて、コンパクトな枝振りの楠の古木の光景です。根元が石で囲ってありましたが、少し窮屈そうです。

    上部が剪定されたのでしょうか、幹の大きさに比べて、コンパクトな枝振りの楠の古木の光景です。根元が石で囲ってありましたが、少し窮屈そうです。

  • 西の鳥居が見える場所までやって来ました。帰りも、この鳥居を潜ることにしました。

    西の鳥居が見える場所までやって来ました。帰りも、この鳥居を潜ることにしました。

  • 寄進された品が記されていた石柱の光景です。塀の代わりに並んでいました。神馬用馬具、金屏風や金額が記されたものもありました。

    寄進された品が記されていた石柱の光景です。塀の代わりに並んでいました。神馬用馬具、金屏風や金額が記されたものもありました。

  • 西の入口の鳥居の光景です。竹筒に挿した榊が飾られていました。その榊の先端には熨斗紙がありました。

    西の入口の鳥居の光景です。竹筒に挿した榊が飾られていました。その榊の先端には熨斗紙がありました。

  • 大鳥居の前にあった、こちらも大型の石灯篭の光景です。がっちりとした基礎の上に建てられたシャープなデザインの灯篭です。

    大鳥居の前にあった、こちらも大型の石灯篭の光景です。がっちりとした基礎の上に建てられたシャープなデザインの灯篭です。

  • 往きにも眺めた、『三八稲荷神社』の赤鳥居の光景です。先ほど、この反対側になる南側の入口からも眺めました。

    往きにも眺めた、『三八稲荷神社』の赤鳥居の光景です。先ほど、この反対側になる南側の入口からも眺めました。

  • 振り返って眺めた、西側の鳥居に続く参道の光景です。先ほどの赤鳥居の入口は、この参道の右手、大鳥居の手前にありました。

    振り返って眺めた、西側の鳥居に続く参道の光景です。先ほどの赤鳥居の入口は、この参道の右手、大鳥居の手前にありました。

  • 南の入口にもあった、『真清田神社』の文字が記された大きな『社号標』の光景です。ベースは同じ人の書かも知れませんが、二つの『社号標』は、別の揮毫でした。

    南の入口にもあった、『真清田神社』の文字が記された大きな『社号標』の光景です。ベースは同じ人の書かも知れませんが、二つの『社号標』は、別の揮毫でした。

  • この後、真清田神社の周りを反時計回りに正門になる、南の鳥居まで向かいました。その途中の街路光景です。

    この後、真清田神社の周りを反時計回りに正門になる、南の鳥居まで向かいました。その途中の街路光景です。

  • 三八稲荷神社の前までやって来ました。三八稲荷神社の正門になる、南側の朱塗りの山門の光景です。

    三八稲荷神社の前までやって来ました。三八稲荷神社の正門になる、南側の朱塗りの山門の光景です。

  • 三八稲荷神社の前を通り過ぎ、更に東方向に歩いた場所の光景です。真清田神社の南側に商店が並んでいました。

    三八稲荷神社の前を通り過ぎ、更に東方向に歩いた場所の光景です。真清田神社の南側に商店が並んでいました。

  • 同じく、振り返って眺めた真清田神社の南面の商店街の光景です。左端に見えるのは、宝物館の建物です。

    同じく、振り返って眺めた真清田神社の南面の商店街の光景です。左端に見えるのは、宝物館の建物です。

  • 楼門が見える位置までやって来ました。真清田神社の周りを、反時計回りに1/4周したようです。南門の鳥居よりは北側に位置する場所です。

    楼門が見える位置までやって来ました。真清田神社の周りを、反時計回りに1/4周したようです。南門の鳥居よりは北側に位置する場所です。

  • 南西側から見上げた楼門の建物上部の光景です。昭和36年(1961年)11月竣工の建物です。

    南西側から見上げた楼門の建物上部の光景です。昭和36年(1961年)11月竣工の建物です。

  • 楼門の前に置かれていた、神社行事予定表が記された表示板です。右端には、昭和天皇の和歌が記されていました。

    楼門の前に置かれていた、神社行事予定表が記された表示板です。右端には、昭和天皇の和歌が記されていました。

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