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三種の神器の内の一つ、草薙の剣が御神体として伝えられる熱田神宮は、伊勢の神宮につぐ由緒と社格を持つ神社とされます。

2015秋、熱田神宮(3/7):別宮・八剣宮、徹社、眼鏡之碑、二十五丁橋、佐久間灯籠

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2015/09/30 - 2015/09/30

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

三種の神器の内の一つ、草薙の剣が御神体として伝えられる熱田神宮は、伊勢の神宮につぐ由緒と社格を持つ神社とされます。

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  • 右斜め前から眺めた、別宮・八剣宮の光景です。脇を通って、正参道に向かおうとしましたら、しめ縄で通行禁止の表示がされていました。

    右斜め前から眺めた、別宮・八剣宮の光景です。脇を通って、正参道に向かおうとしましたら、しめ縄で通行禁止の表示がされていました。

  • 知我麻神社と別宮・八剣宮の見学の締め括りです。別宮・八剣宮の脇は通行禁止でしたから、知我麻神社側から入場した参道を元に戻りました。

    知我麻神社と別宮・八剣宮の見学の締め括りです。別宮・八剣宮の脇は通行禁止でしたから、知我麻神社側から入場した参道を元に戻りました。

  • 正参道に戻って、第一鳥居の光景です。コリ異を潜って北側からの撮影です。境内の周りの光景が垣間見えました。

    正参道に戻って、第一鳥居の光景です。コリ異を潜って北側からの撮影です。境内の周りの光景が垣間見えました。

  • 正参道の上空を見上げた光景です。広い参道ですが、左右の鎮守の杜が上空を覆っていました。

    正参道の上空を見上げた光景です。広い参道ですが、左右の鎮守の杜が上空を覆っていました。

  • 『徹社(とおすのやしろ)』の鳥居とその奥の社殿の光景です。天照大神の和魂(にぎみたま)が御祭神とされます。神様には、荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされます。

    『徹社(とおすのやしろ)』の鳥居とその奥の社殿の光景です。天照大神の和魂(にぎみたま)が御祭神とされます。神様には、荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされます。

  • 『徹社(とおすのやしろ)』の社殿光景です。和魂(にぎみたま)は、慈しみ、加護をしてくれる神様とされます。

    『徹社(とおすのやしろ)』の社殿光景です。和魂(にぎみたま)は、慈しみ、加護をしてくれる神様とされます。

  • 更に近寄って撮影した『徹社(とおすのやしろ)』の社殿光景です。和魂(にぎみたま)は、大和魂(おおにぎみたま)に繋がる考えのようです。

    更に近寄って撮影した『徹社(とおすのやしろ)』の社殿光景です。和魂(にぎみたま)は、大和魂(おおにぎみたま)に繋がる考えのようです。

  • 『常夜灯』の大きな文字が刻まれた石灯篭の光景です。ほとんど装飾を施していない、実用的な石灯篭に見えます。

    『常夜灯』の大きな文字が刻まれた石灯篭の光景です。ほとんど装飾を施していない、実用的な石灯篭に見えます。

  • 北東側から眺めた、『別宮・八剣宮』の背後の光景です。境内を取り囲む塀が完備されていました。

    北東側から眺めた、『別宮・八剣宮』の背後の光景です。境内を取り囲む塀が完備されていました。

  • 『棒の手発祥地』らしい文字が刻まれた石碑の光景です。落款は徳川義親公の名前でした。徳川義親公(1886〜1976年)は、尾張徳川家第19代当主で、植物学者、侯爵で貴族院議員だった人です。交友関係が広く、ユニークな活動をされた人です。

    『棒の手発祥地』らしい文字が刻まれた石碑の光景です。落款は徳川義親公の名前でした。徳川義親公(1886〜1976年)は、尾張徳川家第19代当主で、植物学者、侯爵で貴族院議員だった人です。交友関係が広く、ユニークな活動をされた人です。

  • 地元新聞で紹介された記憶がある、『眼鏡之碑』です。モデルになった人や、制作をした縄文人もびっくりかも知れません。

    地元新聞で紹介された記憶がある、『眼鏡之碑』です。モデルになった人や、制作をした縄文人もびっくりかも知れません。

  • 縄文土器の中では、エイリアン説も飛び交う土偶のアップ光景です。もちろんレプリカです。熱田神宮の許可を受けて、昭和57年(1982年)、名古屋眼鏡商業協同組合六十周年を記念して設置された遮光器土偶です。

    縄文土器の中では、エイリアン説も飛び交う土偶のアップ光景です。もちろんレプリカです。熱田神宮の許可を受けて、昭和57年(1982年)、名古屋眼鏡商業協同組合六十周年を記念して設置された遮光器土偶です。

  • 『二十五丁橋』の名前が付いた、名古屋市内では最も古い石橋とされます。板石が25枚並んでいることからの命名です。現在は立ち入り禁止です。

    『二十五丁橋』の名前が付いた、名古屋市内では最も古い石橋とされます。板石が25枚並んでいることからの命名です。現在は立ち入り禁止です。

  • 『二十五丁橋』』のタイトルがあった立看板です。名古屋名所図会や名古屋甚句で紹介された、名古屋で最古の石橋と紹介されていました。

    『二十五丁橋』』のタイトルがあった立看板です。名古屋名所図会や名古屋甚句で紹介された、名古屋で最古の石橋と紹介されていました。

  • 『二十五丁橋』が詠いこまれた相撲甚句の石碑です。『ア〜宮の熱田の二十五丁橋で エ〜ア〜西行法師が腰をかけ 東西南北見渡して これ程涼しいこの宮を たれが熱田とヨ〜ホホ ア〜アア名をつけたエ〜 トコドッコイ ドッコイショ』と紹介されていました。

    『二十五丁橋』が詠いこまれた相撲甚句の石碑です。『ア〜宮の熱田の二十五丁橋で エ〜ア〜西行法師が腰をかけ 東西南北見渡して これ程涼しいこの宮を たれが熱田とヨ〜ホホ ア〜アア名をつけたエ〜 トコドッコイ ドッコイショ』と紹介されていました。

  • 正参道に戻りました。その正参道に架かる橋の光景です。かつて、神功周囲を巡っていたお堀の一部かも知れません。

    正参道に戻りました。その正参道に架かる橋の光景です。かつて、神功周囲を巡っていたお堀の一部かも知れません。

  • 正参道に架かる橋の上から眺めた西方向の光景です。先ほど見学してきた『二十五丁橋』が見えました。

    正参道に架かる橋の上から眺めた西方向の光景です。先ほど見学してきた『二十五丁橋』が見えました。

  • 正参道と東参道の合流点にある、佐久間灯篭の名前が付いた大きな石灯篭です。愛知郡御器所城主の佐久間盛次の四男である勝之が、海上で台風に遭いながら難を逃れたことから、寛永7年(1730年)、そのお礼に寄進したと伝えられています。

    正参道と東参道の合流点にある、佐久間灯篭の名前が付いた大きな石灯篭です。愛知郡御器所城主の佐久間盛次の四男である勝之が、海上で台風に遭いながら難を逃れたことから、寛永7年(1730年)、そのお礼に寄進したと伝えられています。

  • 度々紹介する熱田神宮境内の平面図です。現在位置が、『佐久間灯篭』がある横に表示されていました。

    度々紹介する熱田神宮境内の平面図です。現在位置が、『佐久間灯篭』がある横に表示されていました。

  • 正参道と東参道の合流点に設置された『佐久間灯篭』は一対でした。灯籠は明治24年(1891年)の濃尾地震などにより、三度倒壊していますが、いずれも復元されました。

    正参道と東参道の合流点に設置された『佐久間灯篭』は一対でした。灯籠は明治24年(1891年)の濃尾地震などにより、三度倒壊していますが、いずれも復元されました。

  • 熱田神宮境内にある、『きよめ茶屋』の光景です。休憩所を兼ねた施設です。

    熱田神宮境内にある、『きよめ茶屋』の光景です。休憩所を兼ねた施設です。

  • 先に紹介した、『二十五丁橋』の名前が付いた、名古屋市内では最も古い石橋の光景です。先ほどは、反対側になる南側から見学しました。

    先に紹介した、『二十五丁橋』の名前が付いた、名古屋市内では最も古い石橋の光景です。先ほどは、反対側になる南側から見学しました。

  • 南神池と、その畔に建つレストランの光景です。建物は、きよめ茶屋の建物の一部のようです。水源は神宮内の自然湧水のようです。

    南神池と、その畔に建つレストランの光景です。建物は、きよめ茶屋の建物の一部のようです。水源は神宮内の自然湧水のようです。

  • 南神池の光景です。境内には、この池の北側にある勾玉池の二つがあります。湧水がある場所は、『お清水さん』として東北に位置します。

    南神池の光景です。境内には、この池の北側にある勾玉池の二つがあります。湧水がある場所は、『お清水さん』として東北に位置します。

  • 南神池の中には、二匹の石亀さんがいました。その内の一匹です。泳いでいるような姿でした。本物の亀さんが、一匹だけ甲羅干しをしていました。

    南神池の中には、二匹の石亀さんがいました。その内の一匹です。泳いでいるような姿でした。本物の亀さんが、一匹だけ甲羅干しをしていました。

  • もう一匹の石亀さんです。こちらは首を伸ばした姿です。自然石ではなく、組石で表現されていました。

    もう一匹の石亀さんです。こちらは首を伸ばした姿です。自然石ではなく、組石で表現されていました。

  • きよめ茶屋のレストランの前からの光景です。二匹並んだ亀さんの光景です。ネット検索では、この岩から溢れるほどの亀さんが甲羅干しをしている写真がありました。

    きよめ茶屋のレストランの前からの光景です。二匹並んだ亀さんの光景です。ネット検索では、この岩から溢れるほどの亀さんが甲羅干しをしている写真がありました。

  • 場所を代わりましたが、まだ南神池の西の畔です。西側になる牌後に東屋風の建物がありました。

    場所を代わりましたが、まだ南神池の西の畔です。西側になる牌後に東屋風の建物がありました。

  • 同じ場所からの東側方面の光景です。先ほどの東屋は、この池の景色を眺めるための建物のようでした。

    同じ場所からの東側方面の光景です。先ほどの東屋は、この池の景色を眺めるための建物のようでした。

  • 『南神池』に注ぐ疏水の光景です。水源は確認できませんでしたが、『お清水さん』と同様、熱田神宮境内での湧水のようでした。

    『南神池』に注ぐ疏水の光景です。水源は確認できませんでしたが、『お清水さん』と同様、熱田神宮境内での湧水のようでした。

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