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熱田神宮の創建は、社伝によれば景行天皇43年(113年)、日本武尊が亡くなり、その妃の宮簀媛命が草薙神剣を尾張一族の祭場だった熱田の地に祀った時とされます。

2015秋、熱田神宮(5/7):神宮歴史解説パネル、信長塀、本殿へ

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2015/09/30 - 2015/09/30

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旅人のくまさん

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熱田神宮の創建は、社伝によれば景行天皇43年(113年)、日本武尊が亡くなり、その妃の宮簀媛命が草薙神剣を尾張一族の祭場だった熱田の地に祀った時とされます。

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  • 平成25年(2013年)の熱田神宮1900年祭の時に設置された歴史紹介のパネル紹介の続きです。年代ごとのエピソードを交えた分かりやすいパネルでした。

    平成25年(2013年)の熱田神宮1900年祭の時に設置された歴史紹介のパネル紹介の続きです。年代ごとのエピソードを交えた分かりやすいパネルでした。

  • 『中世・蓬莱伝説』のタイトルの9枚目の説明パネルです。『天照(アマテラス)』とされる『熱田大神(アツタノオオカミ)』が中国に渡り、楊貴妃になったとする蓬莱伝説のエピソードも紹介されていました。

    『中世・蓬莱伝説』のタイトルの9枚目の説明パネルです。『天照(アマテラス)』とされる『熱田大神(アツタノオオカミ)』が中国に渡り、楊貴妃になったとする蓬莱伝説のエピソードも紹介されていました。

  • 『中世・室町時代・足利将軍』のタイトルの10枚目の説明パネルです。応英6年(1419年)と長禄2年(1458年)の遷宮では、足利将軍から援助を受け、檜扇や装束類の奉納を受けたことが紹介されていました。名古屋最古の石橋とされる『二十五丁橋』は、この頃架けられました。

    『中世・室町時代・足利将軍』のタイトルの10枚目の説明パネルです。応英6年(1419年)と長禄2年(1458年)の遷宮では、足利将軍から援助を受け、檜扇や装束類の奉納を受けたことが紹介されていました。名古屋最古の石橋とされる『二十五丁橋』は、この頃架けられました。

  • 『近世・安土桃山期(1)・織田信長』のタイトルの11枚目の説明パネルです。織田信長の桶狭間の戦いには大宮司の千秋季忠藻参戦したことが紹介されていました。戦勝祈願のお礼の『信長塀』が寄進されました。

    『近世・安土桃山期(1)・織田信長』のタイトルの11枚目の説明パネルです。織田信長の桶狭間の戦いには大宮司の千秋季忠藻参戦したことが紹介されていました。戦勝祈願のお礼の『信長塀』が寄進されました。

  • 『近世・安土桃山期(2)・豊臣秀吉』のタイトルの12枚目の説明パネルです。秀吉は熱田門前調の発展のために押売、狼藉・建か公論禁止などの禁制を公布し、1591年には母の大政所(おおのまんどころ)が参拝し、社殿の造営を命じ、大樹宇治家に領地を与えました。

    『近世・安土桃山期(2)・豊臣秀吉』のタイトルの12枚目の説明パネルです。秀吉は熱田門前調の発展のために押売、狼藉・建か公論禁止などの禁制を公布し、1591年には母の大政所(おおのまんどころ)が参拝し、社殿の造営を命じ、大樹宇治家に領地を与えました。

  • 『近世・江戸時代(1)・徳川家康』のタイトルの13枚目の説明パネルです。家康が幼少の頃、熱田町の加藤図書助宅に、織田が他の人質として3年程幽閉されていたことが紹介されていました。本宮、別宮・八剣宮の修復造営を援け、尾張の国の検地では、神領地として年貢や諸役が免除しています。

    『近世・江戸時代(1)・徳川家康』のタイトルの13枚目の説明パネルです。家康が幼少の頃、熱田町の加藤図書助宅に、織田が他の人質として3年程幽閉されていたことが紹介されていました。本宮、別宮・八剣宮の修復造営を援け、尾張の国の検地では、神領地として年貢や諸役が免除しています。

  • 『近世・江戸時代(2)・尾張藩主・徳川義直』のタイトルの14枚目の説明パネルです。尾張徳川家の初代藩主の義直公が、『鵄尾琴』を奉納したこと等が紹介されています。

    『近世・江戸時代(2)・尾張藩主・徳川義直』のタイトルの14枚目の説明パネルです。尾張徳川家の初代藩主の義直公が、『鵄尾琴』を奉納したこと等が紹介されています。

  • 『近世・江戸時代(3)・貞享の大修理』のタイトルの15枚目の説明パネルです。毎年幕府に修復の西岸を続けた結果、1686年に第5代将軍の綱吉の命で80年ぶりの修復工事が行われたことが紹介されていました。これ以降、尾張藩主の命により定期的に修復が行われるようになりました。参詣した芭蕉は『笈の小文』に、『磨ぎ直す鏡も清し雪の花』の句を詠みました。

    『近世・江戸時代(3)・貞享の大修理』のタイトルの15枚目の説明パネルです。毎年幕府に修復の西岸を続けた結果、1686年に第5代将軍の綱吉の命で80年ぶりの修復工事が行われたことが紹介されていました。これ以降、尾張藩主の命により定期的に修復が行われるようになりました。参詣した芭蕉は『笈の小文』に、『磨ぎ直す鏡も清し雪の花』の句を詠みました。

  • 『近世・宮の宿』のタイトルの16枚目の説明パネルです。東海道五十三次の『宮の宿』から次の桑名宿へは、海の七里を船で渡ったことが紹介され、大名宿の本陣は2軒、一般用の旅籠は248軒、人口が1万人を超える街道一の賑わいだったようです。広重の絵でも紹介され、『七里の渡し』とも呼ばれた船着き場は、今も海に面した場所に常夜灯が建っています。

    『近世・宮の宿』のタイトルの16枚目の説明パネルです。東海道五十三次の『宮の宿』から次の桑名宿へは、海の七里を船で渡ったことが紹介され、大名宿の本陣は2軒、一般用の旅籠は248軒、人口が1万人を超える街道一の賑わいだったようです。広重の絵でも紹介され、『七里の渡し』とも呼ばれた船着き場は、今も海に面した場所に常夜灯が建っています。

  • 『近代・明治維新の頃』のタイトルの17枚目の説明パネルです。明治天皇と、その父の孝明天皇との関わりの紹介です。明治天皇は、明治元年(1868年)6月、王政復古の報告に、伊勢神宮と熱田神宮に勅使を遣わしたとされます。

    『近代・明治維新の頃』のタイトルの17枚目の説明パネルです。明治天皇と、その父の孝明天皇との関わりの紹介です。明治天皇は、明治元年(1868年)6月、王政復古の報告に、伊勢神宮と熱田神宮に勅使を遣わしたとされます。

  • 『近代・明治期・ご改造』のタイトルの18枚目の説明パネルです。明治4年(1893年)、名叔父政府から官幣大社に指定され、1893年、尾張造りの社殿から神明造りの社殿に改造されたことが紹介されていました。

    『近代・明治期・ご改造』のタイトルの18枚目の説明パネルです。明治4年(1893年)、名叔父政府から官幣大社に指定され、1893年、尾張造りの社殿から神明造りの社殿に改造されたことが紹介されていました。

  • 『近代・大正期・勅祭社となる』のタイトルの19枚目の説明パネルです。大正6年(1917年)、例祭に勅使が派遣される勅祭社になったことなどが紹介されていました。

    『近代・大正期・勅祭社となる』のタイトルの19枚目の説明パネルです。大正6年(1917年)、例祭に勅使が派遣される勅祭社になったことなどが紹介されていました。

  • 『近代・大正天皇と献詠祭』のタイトルの20枚目の説明パネルです。明治39年(1906年)、皇太子時代の大正天皇がクスノキ(樟)を植樹されたことなどが紹介されていました。100年以上経ったクスノキは、本宮の前で大木に育っています。記念植樹を機にした献詠祭は、今も続いています。

    『近代・大正天皇と献詠祭』のタイトルの20枚目の説明パネルです。明治39年(1906年)、皇太子時代の大正天皇がクスノキ(樟)を植樹されたことなどが紹介されていました。100年以上経ったクスノキは、本宮の前で大木に育っています。記念植樹を機にした献詠祭は、今も続いています。

  • 『近代・大正期・日本武尊千八百年祭』のタイトルの21枚目の説明パネルです。大正3年(1914年)に行われた記念祭の紹介です。この一連の説明パネルは、平成25年(2013年)の千九百年祭で作成されたものです。

    『近代・大正期・日本武尊千八百年祭』のタイトルの21枚目の説明パネルです。大正3年(1914年)に行われた記念祭の紹介です。この一連の説明パネルは、平成25年(2013年)の千九百年祭で作成されたものです。

  • 『現代・戦後の復興』のタイトルの22枚目の説明パネルです。昭和20年(1945年)の空襲で境内の建物の大半が消失し、昭和24年(1949年)に復興のための造営会が結成され、昭和30年(1955年)、皇大神宮(内宮)の正殿を譲り受け、本殿として遷座が行なわれたことが説明されていました。

    『現代・戦後の復興』のタイトルの22枚目の説明パネルです。昭和20年(1945年)の空襲で境内の建物の大半が消失し、昭和24年(1949年)に復興のための造営会が結成され、昭和30年(1955年)、皇大神宮(内宮)の正殿を譲り受け、本殿として遷座が行なわれたことが説明されていました。

  • 『未来へ』と題した23枚目となる締括りの説明パネルです。1955年に遷宮された本殿は平成21年(2009年)に遷宮し、神楽殿や授与所も更新されたことなどが紹介されていました。

    『未来へ』と題した23枚目となる締括りの説明パネルです。1955年に遷宮された本殿は平成21年(2009年)に遷宮し、神楽殿や授与所も更新されたことなどが紹介されていました。

  • 草薙の剣が祀られたのが熱田神宮の始まりとされ、その1900年祭が行われた時に作成された歴史解説パネルの最後の紹介です。

    草薙の剣が祀られたのが熱田神宮の始まりとされ、その1900年祭が行われた時に作成された歴史解説パネルの最後の紹介です。

  • 境内にあった案内標識です。歴史解説パネルの紹介の次は、信長塀の紹介です。11枚目の説明パネルでも紹介されていました。

    境内にあった案内標識です。歴史解説パネルの紹介の次は、信長塀の紹介です。11枚目の説明パネルでも紹介されていました。

  • 信長塀の光景です。熱田神宮の平面図には、四分割された信長塀が記載されていました。その中で最も長い南西側部分です。

    信長塀の光景です。熱田神宮の平面図には、四分割された信長塀が記載されていました。その中で最も長い南西側部分です。

  • 同じく、信長塀の南西部分の光景です。永禄3年(1560年)5月19日、織田信長は、上洛途上にあった今川義元の大軍勢を桶狭間で破りました。史上有名な『桶狭間の戦い』です。 未明に清洲城を出陣した信長は、熱田神宮で必勝祈願をしました。

    同じく、信長塀の南西部分の光景です。永禄3年(1560年)5月19日、織田信長は、上洛途上にあった今川義元の大軍勢を桶狭間で破りました。史上有名な『桶狭間の戦い』です。 未明に清洲城を出陣した信長は、熱田神宮で必勝祈願をしました。

  • 信長塀の脇にあった高床式の小さな社の光景です。正参道の西側に位置します。正参道を挟んで、東側にも同形の社がありました。電撃作戦により今川軍に大勝した信長は、戦勝のお礼としてこの築地塀を築造・寄進しました。

    信長塀の脇にあった高床式の小さな社の光景です。正参道の西側に位置します。正参道を挟んで、東側にも同形の社がありました。電撃作戦により今川軍に大勝した信長は、戦勝のお礼としてこの築地塀を築造・寄進しました。

  • 信長塀のズームアップ光景です。土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねて、上部を桟瓦で葺いた優雅で重厚な築地塀です。

    信長塀のズームアップ光景です。土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねて、上部を桟瓦で葺いた優雅で重厚な築地塀です。

  • 信長塀の西南部分の北面の光景です。先ほど紹介した塀の内側になります。下部の方は苔生していました。

    信長塀の西南部分の北面の光景です。先ほど紹介した塀の内側になります。下部の方は苔生していました。

  • 同じく、信長塀の西南部分の北面の光景です。境内の西端近くで北に直角に折れ、車祓所の出入口手前で一旦途切れます。

    同じく、信長塀の西南部分の北面の光景です。境内の西端近くで北に直角に折れ、車祓所の出入口手前で一旦途切れます。

  • 兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに、日本三大土塀の一つとして有名です。その信長塀の端面の光景です。

    兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに、日本三大土塀の一つとして有名です。その信長塀の端面の光景です。

  • 建設当初は400メートルほど、その内の120メートルほどが現存している信長塀の光景です。

    建設当初は400メートルほど、その内の120メートルほどが現存している信長塀の光景です。

  • 第三鳥居の光景です。正門になる南門の近くの第一鳥居から、直線上に並んだ三つ目の鳥居になります。

    第三鳥居の光景です。正門になる南門の近くの第一鳥居から、直線上に並んだ三つ目の鳥居になります。

  • 平成21年(2009年)に遷宮した本宮と同時期に更新された、授与所の建物光景です。神札、御守の授与のほか、ご祈祷の申込みを受付ける建物です。通常、社務所と呼ばれている施設のようです。

    平成21年(2009年)に遷宮した本宮と同時期に更新された、授与所の建物光景です。神札、御守の授与のほか、ご祈祷の申込みを受付ける建物です。通常、社務所と呼ばれている施設のようです。

  • 本殿方面の光景です。前方に見える楠の大樹が、大正天皇が皇太子時代に植樹され、百年ほど経った樹のようです。

    本殿方面の光景です。前方に見える楠の大樹が、大正天皇が皇太子時代に植樹され、百年ほど経った樹のようです。

  • 本殿に向かって、左手方面にあった建物光景です。『祈祷殿・長床(きとうでん・ながとこ)』と呼ばれる建物です。

    本殿に向かって、左手方面にあった建物光景です。『祈祷殿・長床(きとうでん・ながとこ)』と呼ばれる建物です。

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