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熱田神宮に由来する名前の、『宮の渡し』の紹介です。東海道53次の41番目の『宮宿』から、42番目の『桑名宿』までの海路の距離から、『七里の渡し』とも呼ばれました。

2015秋、宮の渡し(2/2):宮の渡し(七里の渡し)、時の鐘、宮の渡し公園、アベリア、芙蓉

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2015/10/07 - 2015/10/07

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旅人のくまさん

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熱田神宮に由来する名前の、『宮の渡し』の紹介です。東海道53次の41番目の『宮宿』から、42番目の『桑名宿』までの海路の距離から、『七里の渡し』とも呼ばれました。

  • 左手前は『熱田湊常夜灯』、中央奥が『時の鐘』の建物光景です。現在は。『宮の渡し公園』の中に再建されています。

    左手前は『熱田湊常夜灯』、中央奥が『時の鐘』の建物光景です。現在は。『宮の渡し公園』の中に再建されています。

  • 『宮の渡し公園』の中から眺めた北側方面の光景です。江戸時代には、『宮宿』の一部として栄えた場所とされます。

    『宮の渡し公園』の中から眺めた北側方面の光景です。江戸時代には、『宮宿』の一部として栄えた場所とされます。

  • 伊勢湾に注ぐ、堀川の下流方面の光景です。橋が重なって見えました。手前が、東海道新幹線の鉄橋のようです。

    伊勢湾に注ぐ、堀川の下流方面の光景です。橋が重なって見えました。手前が、東海道新幹線の鉄橋のようです。

  • 『七里の渡し』の文字が刻まれた、まだ新しい石碑の光景です。

    『七里の渡し』の文字が刻まれた、まだ新しい石碑の光景です。

  • 『七里の渡し船着場跡』のタイトルがあった黒色の石版です。寛永2年(1625年)に常夜灯が設けられ、船の航行の目印になっていたことなどが紹介されていました。

    『七里の渡し船着場跡』のタイトルがあった黒色の石版です。寛永2年(1625年)に常夜灯が設けられ、船の航行の目印になっていたことなどが紹介されていました。

  • 葦の茂み越しに眺めた堀川の光景です。『宮の渡し』付近は、堀川と新堀川の合流地点となります。こちらは堀川の下流方向ではなく、新堀川への上流方向になるようです。

    葦の茂み越しに眺めた堀川の光景です。『宮の渡し』付近は、堀川と新堀川の合流地点となります。こちらは堀川の下流方向ではなく、新堀川への上流方向になるようです。

  • 既に紹介した『時の鐘』の光景です。撮影した方角を代えての紹介です。蔵福寺から場所を代えて、昭和58年(1983年)に再建された建物です。

    既に紹介した『時の鐘』の光景です。撮影した方角を代えての紹介です。蔵福寺から場所を代えて、昭和58年(1983年)に再建された建物です。

  • 読み難くなっていた、『時の鐘』の紹介プレートです。この場所に再建された昭和58年(1983年)3月の日付がある、名古屋市名の紹介プレートです。

    読み難くなっていた、『時の鐘』の紹介プレートです。この場所に再建された昭和58年(1983年)3月の日付がある、名古屋市名の紹介プレートです。

  • 歌川広重が描いた、『隷書東海道・宮』の絵のレプリカです。歌川広重(1797〜1858年)は、江戸時代末期の浮世絵師です。安藤広重の呼び方もされます。安藤は本姓、広重は号ですから、本人はこの呼び方は使っていないようです。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家です。東海道五十三次は非常にポピュラーな題材であり、広重作だけでも30種あまりの木版画シリーズが作られました。

    歌川広重が描いた、『隷書東海道・宮』の絵のレプリカです。歌川広重(1797〜1858年)は、江戸時代末期の浮世絵師です。安藤広重の呼び方もされます。安藤は本姓、広重は号ですから、本人はこの呼び方は使っていないようです。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家です。東海道五十三次は非常にポピュラーな題材であり、広重作だけでも30種あまりの木版画シリーズが作られました。

  • 『宮の渡し公園』の光景です。歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高いとされます。欧米では『ジャパンブルー』、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて『ヒロシゲブルー』とも呼ばれます。

    『宮の渡し公園』の光景です。歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高いとされます。欧米では『ジャパンブルー』、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて『ヒロシゲブルー』とも呼ばれます。

  • 同じく、木陰から眺めた『宮の渡し公園』の光景です。『ヒロシゲブルー』は、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響を与えました。

    同じく、木陰から眺めた『宮の渡し公園』の光景です。『ヒロシゲブルー』は、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響を与えました。

  • 『宮の渡し公園・七里の渡し船着場跡』のプレートです。『宮の渡し公園』が建設された時に設置されたようですが、その時期の情報がはっきりしませんでした。

    『宮の渡し公園・七里の渡し船着場跡』のプレートです。『宮の渡し公園』が建設された時に設置されたようですが、その時期の情報がはっきりしませんでした。

  • 『宮の渡し公園・七里の渡し船着場跡』のプレートが取付けてあった小さな建物の光景です。

    『宮の渡し公園・七里の渡し船着場跡』のプレートが取付けてあった小さな建物の光景です。

  • 宮の渡しや熱田神宮などが記された観光案内図です。左端の方に旧東海道が記されていました。その西の端が宮の渡しです。

    宮の渡しや熱田神宮などが記された観光案内図です。左端の方に旧東海道が記されていました。その西の端が宮の渡しです。

  • 大きな自然石に刻まれた『宮の渡し公園』の文字です。この石碑にも、『宮の渡し公園』が開園された日時は刻まれていなかったようです。

    大きな自然石に刻まれた『宮の渡し公園』の文字です。この石碑にも、『宮の渡し公園』が開園された日時は刻まれていなかったようです。

  • 『伊勢湾台風』のタイトルがあった大きな看板の光景です。昭和34年(1959年)9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風は、強風と折からの高潮被害に見舞われ、2千人近くの命が奪われました。その記憶を留めるための説明看板です。

    『伊勢湾台風』のタイトルがあった大きな看板の光景です。昭和34年(1959年)9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風は、強風と折からの高潮被害に見舞われ、2千人近くの命が奪われました。その記憶を留めるための説明看板です。

  • 『伊勢湾台風』の大きな説明看板があった周りの光景です。看板の右横のポールに、浸水水位を示す赤い線がありました。看板は、その意味合いも解説していました。看板より高い2.5メートルの浸水水位です。

    『伊勢湾台風』の大きな説明看板があった周りの光景です。看板の右横のポールに、浸水水位を示す赤い線がありました。看板は、その意味合いも解説していました。看板より高い2.5メートルの浸水水位です。

  • コンクリート舗装面に描かれていた『七里の渡し』の浮世絵です。広重が沢山描いた絵の中の1枚かも知れません。常夜灯と帆船と松が描かれていました。

    コンクリート舗装面に描かれていた『七里の渡し』の浮世絵です。広重が沢山描いた絵の中の1枚かも知れません。常夜灯と帆船と松が描かれていました。

  • 宮の渡し公園の見学を終え、帰る途中に、振り返って眺めた公園付近の光景です。上流が新堀川に繋がる堀川沿いの光景です。

    宮の渡し公園の見学を終え、帰る途中に、振り返って眺めた公園付近の光景です。上流が新堀川に繋がる堀川沿いの光景です。

  • 宮の渡し公園から東に少し歩いた場所にある横断歩道橋の光景です。交通量の多い幹線道路を二本越えることができる横断歩道橋です。その幹線道路は、国道19号線の伏見通りと、大津通りです。

    宮の渡し公園から東に少し歩いた場所にある横断歩道橋の光景です。交通量の多い幹線道路を二本越えることができる横断歩道橋です。その幹線道路は、国道19号線の伏見通りと、大津通りです。

  • 国道19号線を跨ぐ横断歩道橋の上からの眺めです。往きに渡った歩道橋が北側に見えていました。右奥が熱田の杜の光景です。

    国道19号線を跨ぐ横断歩道橋の上からの眺めです。往きに渡った歩道橋が北側に見えていました。右奥が熱田の杜の光景です。

  • 歩道橋の上から眺めた、熱田の杜の光景です。こちらは、大津通りに架かる歩道橋だったようです。

    歩道橋の上から眺めた、熱田の杜の光景です。こちらは、大津通りに架かる歩道橋だったようです。

  • 横断歩道橋を降りる途中の光景です。左手にタマホームのビルが見えました。歩道の下に『伏見通り』の表示がありました。

    横断歩道橋を降りる途中の光景です。左手にタマホームのビルが見えました。歩道の下に『伏見通り』の表示がありました。

  • 地下鉄の伝馬町駅から『宮の渡し』に向かう途中、街路で見かけた木々の花や草花の紹介です。纏めて祖愉快する最初は、低い緑樹帯によく使われているアベリアの花です。

    地下鉄の伝馬町駅から『宮の渡し』に向かう途中、街路で見かけた木々の花や草花の紹介です。纏めて祖愉快する最初は、低い緑樹帯によく使われているアベリアの花です。

  • ピンク色の芙蓉の花です。背丈ほどの高さでした。高くなり過ぎないよう、定期的に剪定されているようです。

    ピンク色の芙蓉の花です。背丈ほどの高さでした。高くなり過ぎないよう、定期的に剪定されているようです。

  • ピンク色の芙蓉の花のズームアップ光景です。フヨウ(芙蓉)は、アオイ科フヨウ属の落葉低木です。モクフヨウ(木芙蓉)と呼ばれることもあります。

    ピンク色の芙蓉の花のズームアップ光景です。フヨウ(芙蓉)は、アオイ科フヨウ属の落葉低木です。モクフヨウ(木芙蓉)と呼ばれることもあります。

  • マジシャンのような、シチヘンゲ(七変化)の花の色です。ランタナとも呼ばれる、クマツヅラ科シチヘンゲ属の常緑小低木です。中南米が原産です。

    マジシャンのような、シチヘンゲ(七変化)の花の色です。ランタナとも呼ばれる、クマツヅラ科シチヘンゲ属の常緑小低木です。中南米が原産です。

  • 道路の緑樹帯で咲いていた花ですが、名前は分かりませんでした。猫じゃらし(エノコログサ)を大きくした感じの草花です。

    道路の緑樹帯で咲いていた花ですが、名前は分かりませんでした。猫じゃらし(エノコログサ)を大きくした感じの草花です。

  • 野菊の1種のようです。背丈は1メートルを越していました。シオン(紫苑)当たりでしょうか。紫式部の源氏物語にも登場する草花です。

    野菊の1種のようです。背丈は1メートルを越していました。シオン(紫苑)当たりでしょうか。紫式部の源氏物語にも登場する草花です。

  • 濃いピンク色の秋バラの光景です。道路に面した民家の脇で咲いていました。バラ(薔薇)は、バラ科バラ属の総称とされます。

    濃いピンク色の秋バラの光景です。道路に面した民家の脇で咲いていました。バラ(薔薇)は、バラ科バラ属の総称とされます。

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