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延喜式(927年)にも記載されている古い神社。尾張物部氏の武器庫が神社になったと伝えられる。境内には元古井、古井ノ坂といった地名の由来の元となった古井戸があります。

2015秋、今池の高牟神社(1/3):郷社石碑、鳥居と蕃塀、撫で牛、境内末社、拝殿、狛犬

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2015/11/05 - 2015/11/05

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旅人のくまさん

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延喜式(927年)にも記載されている古い神社。尾張物部氏の武器庫が神社になったと伝えられる。境内には元古井、古井ノ坂といった地名の由来の元となった古井戸があります。

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  • 外から眺めた、高牟神社の赤い鳥居の光景です。ここから400メートル程の距離にある筒井町の物部神社と並び、かつての豪族、物部氏に所縁の神社です。

    外から眺めた、高牟神社の赤い鳥居の光景です。ここから400メートル程の距離にある筒井町の物部神社と並び、かつての豪族、物部氏に所縁の神社です。

  • 『郷社・式内・高牟神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。千種区今池町にある高牟(たかむ)神社は、物部氏の武器庫が神社になったと伝わります。社名の『高牟』は古代武器の象徴だった『鉾(鉾)』の美称です。

    『郷社・式内・高牟神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。千種区今池町にある高牟(たかむ)神社は、物部氏の武器庫が神社になったと伝わります。社名の『高牟』は古代武器の象徴だった『鉾(鉾)』の美称です。

  • 境内の西側に位置する、高牟(たかむ)神社の鳥居の光景です。右奥には、南側の鳥居も見えています。

    境内の西側に位置する、高牟(たかむ)神社の鳥居の光景です。右奥には、南側の鳥居も見えています。

  • ブロンズ製の撫で牛の光景です。顔や胴、脚など、撫でられた場所が艶やかになっていました。お腹に梅鉢紋がありますから、天神様に所縁の牛です。

    イチオシ

    ブロンズ製の撫で牛の光景です。顔や胴、脚など、撫でられた場所が艶やかになっていました。お腹に梅鉢紋がありますから、天神様に所縁の牛です。

  • 境内側から眺めた石の鳥居の光景です。延長5年(927年)に纏められた『延喜式神名帳』には、尾張国愛智郡(愛知郡)17座の内の小社、『高牟神社』に比定されています。

    境内側から眺めた石の鳥居の光景です。延長5年(927年)に纏められた『延喜式神名帳』には、尾張国愛智郡(愛知郡)17座の内の小社、『高牟神社』に比定されています。

  • 平安時代(794〜1192年)末期に纏められた、尾張国内神名帳では、『高牟久天神』の記載があります。『高牟天神』と記載する写本もあるようです。

    平安時代(794〜1192年)末期に纏められた、尾張国内神名帳では、『高牟久天神』の記載があります。『高牟天神』と記載する写本もあるようです。

  • 境内の南側から眺めた、鳥居と衝立のような建物光景です。衝立のような建物は、『蕃塀(ばんべい)』と呼ばれる施設です。正殿を外から直視できないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。『透垣(すいがい)』とも呼ばれ、尾張名所図会にも描かれています。

    境内の南側から眺めた、鳥居と衝立のような建物光景です。衝立のような建物は、『蕃塀(ばんべい)』と呼ばれる施設です。正殿を外から直視できないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。『透垣(すいがい)』とも呼ばれ、尾張名所図会にも描かれています。

  • 『式内・高牟神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。最初に紹介した『郷社』の文字がないのは、この石碑の方が、あとから建てられたためのようです。

    『式内・高牟神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。最初に紹介した『郷社』の文字がないのは、この石碑の方が、あとから建てられたためのようです。

  • 境内の南側にある鳥居近くからの光景です。東側に当たる右手の樹木の陰に、庫裏らしい建物がありました。

    境内の南側にある鳥居近くからの光景です。東側に当たる右手の樹木の陰に、庫裏らしい建物がありました。

  • 南側正面から眺めた社殿の光景です。拝殿の奥に流造の本殿があります。紅葉が彩を添えていました。

    南側正面から眺めた社殿の光景です。拝殿の奥に流造の本殿があります。紅葉が彩を添えていました。

  • 左側に『北野神社』の石碑があった、境内末社の光景です。高牟神社には、合計11の境内末社が祀られています。

    左側に『北野神社』の石碑があった、境内末社の光景です。高牟神社には、合計11の境内末社が祀られています。

  • 『元古井発祥之地』の文字が刻まれた石碑の光景です。昭和60年(1985年)3月に、宮司によって建てられたものです。古くは『常世の草香島(くさかじま)』と呼ばれ、あちこちから清水湧き出ていたと伝わります。

    『元古井発祥之地』の文字が刻まれた石碑の光景です。昭和60年(1985年)3月に、宮司によって建てられたものです。古くは『常世の草香島(くさかじま)』と呼ばれ、あちこちから清水湧き出ていたと伝わります。

  • 高牟神社境内では、今も井戸から清水が湧き出ています。ここから1キロほど南には 以前サッポロビールの工場があり, 『名古屋名水生ビール』が販売されていました。その余った水は、鶴舞公園に供給されていました。

    高牟神社境内では、今も井戸から清水が湧き出ています。ここから1キロほど南には 以前サッポロビールの工場があり, 『名古屋名水生ビール』が販売されていました。その余った水は、鶴舞公園に供給されていました。

  • 名古屋市教育委員会名での、『元古井伝説地』の立看板です。『常世の草香島』と呼ばれていた場所が、後に井となり、『元古井(もとこい)』の津名の発祥地となったことや、この一帯に尾張物部氏の集落があり、武器や農具を納めた場所が高牟神社になったことなどが紹介されていました。

    名古屋市教育委員会名での、『元古井伝説地』の立看板です。『常世の草香島』と呼ばれていた場所が、後に井となり、『元古井(もとこい)』の津名の発祥地となったことや、この一帯に尾張物部氏の集落があり、武器や農具を納めた場所が高牟神社になったことなどが紹介されていました。

  • 菅原道真由縁の天神社の撫で牛と、その先に見える元古井の井戸の光景です。この日も、その水を汲みに来た人達の姿がありました。

    菅原道真由縁の天神社の撫で牛と、その先に見える元古井の井戸の光景です。この日も、その水を汲みに来た人達の姿がありました。

  • 小振りな鳥居の先に見えるのは、纏めて祀られた境内末社です。左から、多賀社、金刀比羅社、厳島社、神明社、白山社と津島社です。

    小振りな鳥居の先に見えるのは、纏めて祀られた境内末社です。左から、多賀社、金刀比羅社、厳島社、神明社、白山社と津島社です。

  • 注連縄が張られた、境内の古樹の光景です。クスノキ(楠)かと思いましたが、別種でした。先に紹介した、高牟神社の境内末社の11社は、北野天神社、高牟龍神社、多賀社、金刀比羅社、厳島社、神明社、白山社、津島社、徳義稲荷社、祖霊社と秋葉社です。

    注連縄が張られた、境内の古樹の光景です。クスノキ(楠)かと思いましたが、別種でした。先に紹介した、高牟神社の境内末社の11社は、北野天神社、高牟龍神社、多賀社、金刀比羅社、厳島社、神明社、白山社、津島社、徳義稲荷社、祖霊社と秋葉社です。

  • 名古屋市保存樹の標識です。樹種が確認できませんでした。神社に多い大木の、クスノキ(楠)、イチョウ(公孫樹)、ケヤキ(欅)以外の樹木です。

    名古屋市保存樹の標識です。樹種が確認できませんでした。神社に多い大木の、クスノキ(楠)、イチョウ(公孫樹)、ケヤキ(欅)以外の樹木です。

  • 石灯篭の列と、その背後の境内末社の光景です。右端には赤鳥居の光景がありました。

    石灯篭の列と、その背後の境内末社の光景です。右端には赤鳥居の光景がありました。

  • 境内末社の徳義稲荷社の赤鳥居の光景です。最初に紹介した、外から眺めた赤い鳥居です。高牟神社の西北側に位置します。

    イチオシ

    境内末社の徳義稲荷社の赤鳥居の光景です。最初に紹介した、外から眺めた赤い鳥居です。高牟神社の西北側に位置します。

  • 境内末社が鎮座している一角の光景です。石畳の参道を挟んで、小振りな石製の鳥居がありました。

    境内末社が鎮座している一角の光景です。石畳の参道を挟んで、小振りな石製の鳥居がありました。

  • 境内末社の光景です。赤い鳥居の先になる、徳義稲荷社です。高牟神社の北西角に位置する場所です

    境内末社の光景です。赤い鳥居の先になる、徳義稲荷社です。高牟神社の北西角に位置する場所です

  • 境内末社の中央に祀られているのは、祖霊社です。撮影している場所の背後に、石製の鳥居がありました。

    境内末社の中央に祀られているのは、祖霊社です。撮影している場所の背後に、石製の鳥居がありました。

  • 小振りな赤い鳥居と、その奥に祀られた秋葉社の光景です。祖霊社の右隣の位置です。

    小振りな赤い鳥居と、その奥に祀られた秋葉社の光景です。祖霊社の右隣の位置です。

  • 本殿は流造(ながれつくり)とされる、高牟神社の拝殿光景です。拝殿正面は唐風の造りでした。ご祭神は、高皇産霊神、神皇産霊神、応神天皇の三神です。

    イチオシ

    本殿は流造(ながれつくり)とされる、高牟神社の拝殿光景です。拝殿正面は唐風の造りでした。ご祭神は、高皇産霊神、神皇産霊神、応神天皇の三神です。

  • 本殿は流造(ながれつくり)とされる、高牟神社の社殿光景です。屋根が反り、屋根が前に曲線形に長く伸びて向拝(こうはい:庇)となった社殿造りです。全国で最も多い神社本殿形式とされます。

    本殿は流造(ながれつくり)とされる、高牟神社の社殿光景です。屋根が反り、屋根が前に曲線形に長く伸びて向拝(こうはい:庇)となった社殿造りです。全国で最も多い神社本殿形式とされます。

  • 高い台座の上に据えられた狛犬の光景です。拝殿に向かって左手の吽形の雌獅子です。

    高い台座の上に据えられた狛犬の光景です。拝殿に向かって左手の吽形の雌獅子です。

  • 同じく、高い台座の上に据えられた狛犬の光景です。拝殿に向かって右手の雄獅子です。台座に社紋の橘のレリーフがありました。顔だけ見ますと、阿形のようですが、足元に子獅子がいますので雌獅子です。

    同じく、高い台座の上に据えられた狛犬の光景です。拝殿に向かって右手の雄獅子です。台座に社紋の橘のレリーフがありました。顔だけ見ますと、阿形のようですが、足元に子獅子がいますので雌獅子です。

  • 全体に苔が生えてきた狛犬の光景です。阿形の雄獅子です。台座の部分は、あとから入れ替えられたような造りでした。

    全体に苔が生えてきた狛犬の光景です。阿形の雄獅子です。台座の部分は、あとから入れ替えられたような造りでした。

  • こちらも全体に苔が生えてきた狛犬の光景です。阿形の雄獅子です。こちらも台座より前に造られた狛犬のようでした。拝殿前には、二対の狛犬がいました。

    こちらも全体に苔が生えてきた狛犬の光景です。阿形の雄獅子です。こちらも台座より前に造られた狛犬のようでした。拝殿前には、二対の狛犬がいました。

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