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尾張一之宮の真清田神社の紹介です。

2015秋、尾張一之宮・真清田神社(2/6):楼門の社紋、本殿、拝殿、服織神社、幸福楠

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2015/10/09 - 2015/10/09

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旅人のくまさん

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尾張一之宮の真清田神社の紹介です。

  • 楼門の扉に飾られた大きな社紋、『竹ノ輪に九枚笹』の光景です。使われ始めたのは後年のことで、宮司家の紋なのか、神社としての紋なのか、はっきりとしたことは解っていないようです。

    楼門の扉に飾られた大きな社紋、『竹ノ輪に九枚笹』の光景です。使われ始めたのは後年のことで、宮司家の紋なのか、神社としての紋なのか、はっきりとしたことは解っていないようです。

  • 本殿と、その正面の拝殿光景です。戦災により焼失し、昭和32年(1961年)に再建された建物です。用材は名古屋営林局より払い下げの木曽檜が使われ、扉や柱桁などは、伊勢神宮から下賜された古材が使用されています。

    本殿と、その正面の拝殿光景です。戦災により焼失し、昭和32年(1961年)に再建された建物です。用材は名古屋営林局より払い下げの木曽檜が使われ、扉や柱桁などは、伊勢神宮から下賜された古材が使用されています。

  • 手水舎の光景です。真清田神社の境内には、このほかに『神水舎』と呼ばれている古い時代からの井戸水もあります。

    手水舎の光景です。真清田神社の境内には、このほかに『神水舎』と呼ばれている古い時代からの井戸水もあります。

  • 楼門の光景です。一宮空襲による消失は免れましたが、昭和36年(1965年)11月に再建された建物です。

    楼門の光景です。一宮空襲による消失は免れましたが、昭和36年(1965年)11月に再建された建物です。

  • 本殿と、その正面の拝殿のズームアップ光景です。昭和32年(1961年)10月竣工、同年11月1日に本殿遷座祭が斎行された建物です。

    本殿と、その正面の拝殿のズームアップ光景です。昭和32年(1961年)10月竣工、同年11月1日に本殿遷座祭が斎行された建物です。

  • 『桃丘亭』の建物光景です。表千家13世家元即中斎好みの茶室とされます。吉田萬次市長の時代、昭和25年(1950年)10月の竣工です。

    『桃丘亭』の建物光景です。表千家13世家元即中斎好みの茶室とされます。吉田萬次市長の時代、昭和25年(1950年)10月の竣工です。

  • 寄進の酒樽のようです。地元の『真清田』、『鬼ころし』をはじめ、全国の有名な蔵元のお酒が並んでいました。

    寄進の酒樽のようです。地元の『真清田』、『鬼ころし』をはじめ、全国の有名な蔵元のお酒が並んでいました。

  • 高く積まれた石垣の上に置かれた『神馬』の光景です。左前脚を上げた姿が、神馬の共通したポーズのようです。

    高く積まれた石垣の上に置かれた『神馬』の光景です。左前脚を上げた姿が、神馬の共通したポーズのようです。

  • 石垣の上の『神馬』のズームアップ光景です。お腹には、真清田神社の金色の社紋がありました。『竹ノ輪に九枚笹』の紋です。

    石垣の上の『神馬』のズームアップ光景です。お腹には、真清田神社の金色の社紋がありました。『竹ノ輪に九枚笹』の紋です。

  • 『服織(はとり)神社』のタイトルがあった案内看板の光景です。祭神の、『萬幡豊秋津師比賣命(よろずはた とよ あきつし ひめのみこと)のこと等が紹介されていました。

    『服織(はとり)神社』のタイトルがあった案内看板の光景です。祭神の、『萬幡豊秋津師比賣命(よろずはた とよ あきつし ひめのみこと)のこと等が紹介されていました。

  • 『服織(はとり)神社』のタイトルがあった案内看板の後ろにあった樹木のズームアップ光景です。

    『服織(はとり)神社』のタイトルがあった案内看板の後ろにあった樹木のズームアップ光景です。

  • 『服織(はとり)神社』の文字が刻まれた、『社号標』の石柱の光景です。一宮の主軸産業である機織工業の繁栄を願う『一宮七夕祭り』では主役となる神社のようです。

    『服織(はとり)神社』の文字が刻まれた、『社号標』の石柱の光景です。一宮の主軸産業である機織工業の繁栄を願う『一宮七夕祭り』では主役となる神社のようです。

  • 大楠の根元の光景です。『幸運楠』の石碑が立っていました。気が付きませんでしたが、『御縁楠』や『夫婦楠』もあるようです。

    大楠の根元の光景です。『幸運楠』の石碑が立っていました。気が付きませんでしたが、『御縁楠』や『夫婦楠』もあるようです。

  • 『幸運楠』の樹上の光景です。ネット情報では、樹齢千年以上との紹介もありましたが、裏付け情報の確認はできませんでした。

    『幸運楠』の樹上の光景です。ネット情報では、樹齢千年以上との紹介もありましたが、裏付け情報の確認はできませんでした。

  • 『服織(はとり)神社』の建物正面光景です。七夕祭りで有名ですが、縁結びの神様でも人気が上昇しているようです。

    『服織(はとり)神社』の建物正面光景です。七夕祭りで有名ですが、縁結びの神様でも人気が上昇しているようです。

  • 各地に神社でよく見かける、さざれ石(細石)の光景です。長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものを指します。国歌の『君が代』の歌詞に歌われることで、その名が知られています。

    各地に神社でよく見かける、さざれ石(細石)の光景です。長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものを指します。国歌の『君が代』の歌詞に歌われることで、その名が知られています。

  • 『服織(はとり)神社』の周りの光景です。公式HPには、一宮七夕祭りには、毎年約130万人が見物に訪れ、土曜夕方には『御衣奉献行列』、金曜夜には『提灯まつり』が行われると紹介されていました。

    『服織(はとり)神社』の周りの光景です。公式HPには、一宮七夕祭りには、毎年約130万人が見物に訪れ、土曜夕方には『御衣奉献行列』、金曜夜には『提灯まつり』が行われると紹介されていました。

  • 愛鷹社、天神社と犬飼社が祀られている三末社の鳥居と狛犬の光景です。公式HPには、昭和32年(1957年)8月、社務所南側から当地に遷座したと紹介してありました。

    愛鷹社、天神社と犬飼社が祀られている三末社の鳥居と狛犬の光景です。公式HPには、昭和32年(1957年)8月、社務所南側から当地に遷座したと紹介してありました。

  • 三末社の前にあった狛犬の光景です。鳥居に向かって右手の雄の獅子です。普段見ることが多い獅子像とは、かなりデザインが異なっていました。

    三末社の前にあった狛犬の光景です。鳥居に向かって右手の雄の獅子です。普段見ることが多い獅子像とは、かなりデザインが異なっていました。

  • 鳥居に向かって左手の雌獅子です。普段見ることが多い獅子像とは、顔付き、足や尾の表現などのデザインが異なるようです。

    鳥居に向かって左手の雌獅子です。普段見ることが多い獅子像とは、顔付き、足や尾の表現などのデザインが異なるようです。

  • 正面から眺めた三末社の光景です。屋根付の賽銭箱が前にありましたので、屋根だけの光景になりました。

    正面から眺めた三末社の光景です。屋根付の賽銭箱が前にありましたので、屋根だけの光景になりました。

  • 愛鷹社、天神社と犬飼社の三末社が一体として祀られた社の光景です。

    愛鷹社、天神社と犬飼社の三末社が一体として祀られた社の光景です。

  • もう一度正面から眺めた、愛鷹社、天神社と犬飼社が祀られている三末社の光景です。

    もう一度正面から眺めた、愛鷹社、天神社と犬飼社が祀られている三末社の光景です。

  • 横長の蝋燭立の光景です。三末社の近くにありました。今は使われていないようです。あるいは、特別の日だけに使用されるのかも知れません。

    横長の蝋燭立の光景です。三末社の近くにありました。今は使われていないようです。あるいは、特別の日だけに使用されるのかも知れません。

  • 斜め前から眺めた、服織神社の本殿光景です。ネット情報では、一宮七夕祭りで飾られた社殿の写真などが紹介されていました。

    斜め前から眺めた、服織神社の本殿光景です。ネット情報では、一宮七夕祭りで飾られた社殿の写真などが紹介されていました。

  • 社伝によれば、真清田神社の鎮座は、初代天皇の神武天皇33年とされます。初代の神武天皇から十数代の初期天皇の実在性については、諸説があります。文字通り、鎮守の杜の光景です。

    社伝によれば、真清田神社の鎮座は、初代天皇の神武天皇33年とされます。初代の神武天皇から十数代の初期天皇の実在性については、諸説があります。文字通り、鎮守の杜の光景です。

  • 今度は斜め前から撮影した、『服織神社』の『社号標』の光景です。側面に、『神社本庁統理・徳川宗敬・謹書』の落款がありました。・徳川宗敬(むねよし:1897〜1989年)は、三戸徳川家の出身、大正5年(1916年)、20歳で一橋徳川家の養子となり、大正9年(1920年)、池田仲博侯爵の長女と結婚、12代目当主となった人です。戦後参議院議員を務めたほか、農学博士の肩書を持ち、生涯、緑の保護運動に力を注いだ人とされます。

    今度は斜め前から撮影した、『服織神社』の『社号標』の光景です。側面に、『神社本庁統理・徳川宗敬・謹書』の落款がありました。・徳川宗敬(むねよし:1897〜1989年)は、三戸徳川家の出身、大正5年(1916年)、20歳で一橋徳川家の養子となり、大正9年(1920年)、池田仲博侯爵の長女と結婚、12代目当主となった人です。戦後参議院議員を務めたほか、農学博士の肩書を持ち、生涯、緑の保護運動に力を注いだ人とされます。

  • 境内末社の『厳島社(いつくしましゃ)』の鳥居の光景です。厳島神社は、広島県廿日市市の厳島に本社がある神社です。式内社で、安芸国一宮です。

    境内末社の『厳島社(いつくしましゃ)』の鳥居の光景です。厳島神社は、広島県廿日市市の厳島に本社がある神社です。式内社で、安芸国一宮です。

  • 『厳島社(いつくしましゃ)』の文字が刻まれた石柱のズームアップ光景です。厳島は『神に斎く(いつく = 仕える)島』が語源とされます。

    『厳島社(いつくしましゃ)』の文字が刻まれた石柱のズームアップ光景です。厳島は『神に斎く(いつく = 仕える)島』が語源とされます。

  • 境内の池の上に架かる赤い橋と、その中間にあった鳥居の光景です。宮島の『厳島神社』のイメージを演出したもののようです。

    境内の池の上に架かる赤い橋と、その中間にあった鳥居の光景です。宮島の『厳島神社』のイメージを演出したもののようです。

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