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尾張の古社、氷上姉子神社(ひかみあねごじんしゃ)の紹介です。式内社で、旧社格は郷社、現在は熱田神宮の境外摂社です。併せて末社・元宮も紹介します。

2015秋、氷上姉子神社(1/2):境内への石段、鳥居、手水舎、氷上姉子神社拝殿、元宮へ

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2015/10/08 - 2015/10/08

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旅人のくまさん

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尾張の古社、氷上姉子神社(ひかみあねごじんしゃ)の紹介です。式内社で、旧社格は郷社、現在は熱田神宮の境外摂社です。併せて末社・元宮も紹介します。

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  • JRの大高駅から、歩いて氷上姉子神社に向かいました。その途中の光景です。『氷上山(火上山)』と呼ばれる丘陵上に鎮座します。熱田神宮の創祀以前に、三種の神器の一つ、『草薙剣』が奉斎された地とされます。

    JRの大高駅から、歩いて氷上姉子神社に向かいました。その途中の光景です。『氷上山(火上山)』と呼ばれる丘陵上に鎮座します。熱田神宮の創祀以前に、三種の神器の一つ、『草薙剣』が奉斎された地とされます。

  • 住宅地を通り過ぎ、高架道路の下を潜って、氷上姉子神社に向かいました。『尾張国熱田太神宮縁記』(熱田宮縁記)には、ヤマトタケルがミヤズヒメを想って詠んだとする次の歌(現代語訳)があります。<br />『愛知潟 氷上姉子は吾来むと 床避るらむや あはれ姉子を』<br />『愛知潟(あゆちかた)』の原表記は、『阿由知何多』、『氷上姉子』は、『比加彌阿禰古』です。<br />

    住宅地を通り過ぎ、高架道路の下を潜って、氷上姉子神社に向かいました。『尾張国熱田太神宮縁記』(熱田宮縁記)には、ヤマトタケルがミヤズヒメを想って詠んだとする次の歌(現代語訳)があります。
    『愛知潟 氷上姉子は吾来むと 床避るらむや あはれ姉子を』
    『愛知潟(あゆちかた)』の原表記は、『阿由知何多』、『氷上姉子』は、『比加彌阿禰古』です。

  • 氷上姉子神社への案内看板が見えてきました。ヤマトタケルニミコト(日本武尊)は、第12代景行天皇の皇子です。その妃となったのが『ミヤズヒメノミコト(宮簀媛命)』とされます。

    氷上姉子神社への案内看板が見えてきました。ヤマトタケルニミコト(日本武尊)は、第12代景行天皇の皇子です。その妃となったのが『ミヤズヒメノミコト(宮簀媛命)』とされます。

  • 『熱田神宮摂社・氷上姉子神社』の石碑が建てられた神社への石段脇の光景です。表参道は別にありましたが、往きはこの石段を登りました。

    『熱田神宮摂社・氷上姉子神社』の石碑が建てられた神社への石段脇の光景です。表参道は別にありましたが、往きはこの石段を登りました。

  • 石段を登った先にあった鳥居の光景です。その先に拝殿が見えました。表参道の三の鳥居になります。

    石段を登った先にあった鳥居の光景です。その先に拝殿が見えました。表参道の三の鳥居になります。

  • 氷上姉子神社の木製の鳥居のズームアップ光景です。後ほど紹介しますが、表参道の入口に二の鳥居がありました。

    氷上姉子神社の木製の鳥居のズームアップ光景です。後ほど紹介しますが、表参道の入口に二の鳥居がありました。

  • 氷上姉子神社の境内の光景です。登ってきた石段は、この方角にありました。

    氷上姉子神社の境内の光景です。登ってきた石段は、この方角にありました。

  • 手水舎(てみずや・ちょうずや)の光景です。小振りながらも、銅葺き屋根の格式を感じさせる造りです。

    手水舎(てみずや・ちょうずや)の光景です。小振りながらも、銅葺き屋根の格式を感じさせる造りです。

  • 『漱水』の光景です。右手にある龍のブロンズ像から、水が注がれていました。

    『漱水』の光景です。右手にある龍のブロンズ像から、水が注がれていました。

  • 手水舎の柱に、『手水の作法』が案内されていました。どちらの神社も共通しているようですが、4項目に整理して表示してありました。

    手水舎の柱に、『手水の作法』が案内されていました。どちらの神社も共通しているようですが、4項目に整理して表示してありました。

  • 氷上姉子神社の拝殿光景です。現在の本殿は、明治26年(1893年)に熱田神宮別宮の八剣宮社殿を移築したものとされます。昭和61年(1986年)に修理が加えられています。渡殿、幣殿、拝殿、社務所は昭和61年(1986年)の再建とされます。

    氷上姉子神社の拝殿光景です。現在の本殿は、明治26年(1893年)に熱田神宮別宮の八剣宮社殿を移築したものとされます。昭和61年(1986年)に修理が加えられています。渡殿、幣殿、拝殿、社務所は昭和61年(1986年)の再建とされます。

  • 氷上姉子神社の拝殿正面のズームアップ光景です。昭和61年(1986年)に再建された唐屋根を持った拝殿です。ご祭神は、『宮簀媛命(みやすひめのみこと)』です。

    氷上姉子神社の拝殿正面のズームアップ光景です。昭和61年(1986年)に再建された唐屋根を持った拝殿です。ご祭神は、『宮簀媛命(みやすひめのみこと)』です。

  • 『氷上姉子神社』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の立看板です。『寛平熱田縁起』を引用して由緒が記されていました。現在地に移ったのが持統天皇4年(690年)と紹介されていました。仲哀天皇4年(195年)、天火明命の子孫で尾張国造だった乎止与命(おとよのみこと)の館趾の地に創建されたとの言い伝えがあります。その館跡が、『元宮』とされます。

    『氷上姉子神社』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の立看板です。『寛平熱田縁起』を引用して由緒が記されていました。現在地に移ったのが持統天皇4年(690年)と紹介されていました。仲哀天皇4年(195年)、天火明命の子孫で尾張国造だった乎止与命(おとよのみこと)の館趾の地に創建されたとの言い伝えがあります。その館跡が、『元宮』とされます。

  • 昭和61年(1986年)に再建された唐屋根を持った拝殿に懸かる『氷上姉子神社』の扁額です。現代では『氷上』の名にあやかって、『スケートの神様』とも呼ばれているようです。

    昭和61年(1986年)に再建された唐屋根を持った拝殿に懸かる『氷上姉子神社』の扁額です。現代では『氷上』の名にあやかって、『スケートの神様』とも呼ばれているようです。

  • 『氷上姉子神社』の扁額が懸った、拝殿の光景です。拝殿の奥に本殿が置かれているようです。愛知で女子スケートの強豪選手を輩出しているのは、『姉子』の名前にもあやかっているようです。

    『氷上姉子神社』の扁額が懸った、拝殿の光景です。拝殿の奥に本殿が置かれているようです。愛知で女子スケートの強豪選手を輩出しているのは、『姉子』の名前にもあやかっているようです。

  • 熱田神宮などにもみられる菊の御紋が入った提灯です。皇室で使われている、八重菊を図案化した『十六八重表菊』のようです。

    熱田神宮などにもみられる菊の御紋が入った提灯です。皇室で使われている、八重菊を図案化した『十六八重表菊』のようです。

  • 熱田神宮別宮の八剣宮社殿を移築したとされる、『氷上姉子神社』の本殿は、『尾張造』とされる貴重な様式のようですが、残念ながら見えませんでした。本殿が拝殿などの他の社殿と結合した複合社殿形式の一つで、尾張一宮の真清田神社などに残されています。

    熱田神宮別宮の八剣宮社殿を移築したとされる、『氷上姉子神社』の本殿は、『尾張造』とされる貴重な様式のようですが、残念ながら見えませんでした。本殿が拝殿などの他の社殿と結合した複合社殿形式の一つで、尾張一宮の真清田神社などに残されています。

  • 『氷上姉子神社』の見学を終え、次は『末社・元宮』への移動です。『氷上姉子神社』の境内から眺めた三の鳥居の光景です。

    『氷上姉子神社』の見学を終え、次は『末社・元宮』への移動です。『氷上姉子神社』の境内から眺めた三の鳥居の光景です。

  • 表参道から振り返って眺めた、三の鳥居方面の光景です。車はこの辺りまでは入れるようでした。

    表参道から振り返って眺めた、三の鳥居方面の光景です。車はこの辺りまでは入れるようでした。

  • 帰り道の表参道光景です。低い石段の上に、木製の柱の上に乗った灯篭が並んでいました。

    帰り道の表参道光景です。低い石段の上に、木製の柱の上に乗った灯篭が並んでいました。

  • 表参道を下って、入口付近までやって来ました。ここにも鳥居がありました。道路を挟んだ先にも鳥居が見えましたが、そちらは、後ほど紹介する元宮・末社のものです。

    表参道を下って、入口付近までやって来ました。ここにも鳥居がありました。道路を挟んだ先にも鳥居が見えましたが、そちらは、後ほど紹介する元宮・末社のものです。

  • 『氷上姉子神社』の鳥居は、元々は三つあったようです。この場所の鳥居が二の鳥居になります。その脇に置かれていた神社の縁起を記した石碑です。

    『氷上姉子神社』の鳥居は、元々は三つあったようです。この場所の鳥居が二の鳥居になります。その脇に置かれていた神社の縁起を記した石碑です。

  • 『熱田神宮境外摂社・氷上姉子神社』のタイトルがあった縁起を記した石碑のズームアップ光景です。ご祭神の『ミヤズヒメノミコト(宮簀媛命)』を始めとする縁起が記されていました。

    『熱田神宮境外摂社・氷上姉子神社』のタイトルがあった縁起を記した石碑のズームアップ光景です。ご祭神の『ミヤズヒメノミコト(宮簀媛命)』を始めとする縁起が記されていました。

  • 写真を撮影しているこちら側が『氷上姉子神社』の参道入口、道路を挟んだ、向こう側が『元宮』の参道入口です。

    写真を撮影しているこちら側が『氷上姉子神社』の参道入口、道路を挟んだ、向こう側が『元宮』の参道入口です。

  • 外側から眺めた、氷上姉子神社の鳥居の光景です。その先の参道脇に、鬱蒼とした鎮守の杜の光景がありました。

    外側から眺めた、氷上姉子神社の鳥居の光景です。その先の参道脇に、鬱蒼とした鎮守の杜の光景がありました。

  • 最初に登った石段横に建てられていた石碑と同じ作りのようです。こちらにも『熱田神宮摂社・氷上姉子神社』の文字がありました。

    最初に登った石段横に建てられていた石碑と同じ作りのようです。こちらにも『熱田神宮摂社・氷上姉子神社』の文字がありました。

  • 一番下に、『史蹟散策路』の地図があった案内標識です。大高城址、斎山稲荷社と大高旧市街の酒蔵方面が矢印表示されていました。

    一番下に、『史蹟散策路』の地図があった案内標識です。大高城址、斎山稲荷社と大高旧市街の酒蔵方面が矢印表示されていました。

  • 『末社・元宮』の文字が刻まれた石碑です。『宮簀媛命(みやすひめのみこと)』の館跡とも言われる『元宮』は、現在は氷上姉子神社の境内摂社に位置付けられているようです。

    『末社・元宮』の文字が刻まれた石碑です。『宮簀媛命(みやすひめのみこと)』の館跡とも言われる『元宮』は、現在は氷上姉子神社の境内摂社に位置付けられているようです。

  • 『末社・元宮』の入口にあった鳥居の光景です。祀られているのは、氷上姉子神社と同じ、『宮簀媛命(みやすひめのみこと)』です。

    『末社・元宮』の入口にあった鳥居の光景です。祀られているのは、氷上姉子神社と同じ、『宮簀媛命(みやすひめのみこと)』です。

  • ちょっとした登山になった、『末社・元宮』への参道の光景です。その途中に、天照大神を祀る小さな社の神明社がありました。

    ちょっとした登山になった、『末社・元宮』への参道の光景です。その途中に、天照大神を祀る小さな社の神明社がありました。

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