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尾張の一宮、真清田神社紹介の締め括りです。古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする古刹です。

2015秋、尾張一之宮・真清田神社(6/6):楼門、神橋、南鳥居、灯籠、社号標、宮前三八市

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2015/10/09 - 2015/10/09

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旅人のくまさん

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尾張の一宮、真清田神社紹介の締め括りです。古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする古刹です。

  • 何度か紹介した楼門の光景です。神橋脇からの撮影です。昭和36年(1961年)に再建された建物です。かつての『尾張造』という特有の建築様式の本殿に相応しい造りのようにも見えます。真清田神社が、国史で初見されるのは承和14年(847年)です。『真清田天神』の神階が無位から従五位下に昇叙されたと記されました。

    何度か紹介した楼門の光景です。神橋脇からの撮影です。昭和36年(1961年)に再建された建物です。かつての『尾張造』という特有の建築様式の本殿に相応しい造りのようにも見えます。真清田神社が、国史で初見されるのは承和14年(847年)です。『真清田天神』の神階が無位から従五位下に昇叙されたと記されました。

  • 今度は神橋の後ろからの正面光景です。一宮に相応しい、堂々とした造りです。仁寿元年(851年)に『真清田神』は官社に列し、またその神階が仁寿3年(853年)に従四位下、貞観7年(865年)に正四位上に昇叙されました。

    今度は神橋の後ろからの正面光景です。一宮に相応しい、堂々とした造りです。仁寿元年(851年)に『真清田神』は官社に列し、またその神階が仁寿3年(853年)に従四位下、貞観7年(865年)に正四位上に昇叙されました。

  • 神橋から真っ直ぐ南に下がって、鳥居の間から眺めた楼門の光景です。真清田神社は、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳に、『真墨田神社・名神大』と記載されました。また『尾張国内神名帳』(尾張国内神名牒)では、『正一位 真清田明神』と記載されています。

    神橋から真っ直ぐ南に下がって、鳥居の間から眺めた楼門の光景です。真清田神社は、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳に、『真墨田神社・名神大』と記載されました。また『尾張国内神名帳』(尾張国内神名牒)では、『正一位 真清田明神』と記載されています。

  • 屋根が銅葺きの、格式高い灯篭の光景です。細長い石柱の上に、木製の中台と火袋が乗った造りです。鳥居の近くにありました。

    屋根が銅葺きの、格式高い灯篭の光景です。細長い石柱の上に、木製の中台と火袋が乗った造りです。鳥居の近くにありました。

  • 『真清田神社』の大きな文字が刻まれた、『社号標』です。揮毫者は大島君川氏です。名古屋に生まれ、県官吏として長く務め、書家として県内の碑文揮毫を多く手掛けた人です。同氏の数え68歳の時の書です。昭和4年(1929年)7月、旧社号標の倒壊により、翌年8月篤志家により奉納再建されました。

    『真清田神社』の大きな文字が刻まれた、『社号標』です。揮毫者は大島君川氏です。名古屋に生まれ、県官吏として長く務め、書家として県内の碑文揮毫を多く手掛けた人です。同氏の数え68歳の時の書です。昭和4年(1929年)7月、旧社号標の倒壊により、翌年8月篤志家により奉納再建されました。

  • 新しく建てられたような席穂の光景ですが、木の枝が邪魔をして文字の一部が読み取れませんでした。

    新しく建てられたような席穂の光景ですが、木の枝が邪魔をして文字の一部が読み取れませんでした。

  • 石碑は読み取れませんでしたが、内容を記した立看板がありました。阿仏尼(あぶつに)詠の歌碑でした。『一宮名さえなつかし二つなく 三つなき法(のり)をまもるなるべし』の和歌でした。阿仏尼は、弘安6年(1283年9頃に記された紀行文、『十六夜日記』の作者です。1から3までの語呂合わせの歌でした。

    石碑は読み取れませんでしたが、内容を記した立看板がありました。阿仏尼(あぶつに)詠の歌碑でした。『一宮名さえなつかし二つなく 三つなき法(のり)をまもるなるべし』の和歌でした。阿仏尼は、弘安6年(1283年9頃に記された紀行文、『十六夜日記』の作者です。1から3までの語呂合わせの歌でした。

  • 江戸時代頃に定められた高札に似た、掟の再現のようです。『定』のタイトルがありました。真清田神社名での禁止条項の次の3か条です。<br />①車馬の乗り入れ<br />②魚類の捕獲<br />③竹木の伐採<br />

    江戸時代頃に定められた高札に似た、掟の再現のようです。『定』のタイトルがありました。真清田神社名での禁止条項の次の3か条です。
    ①車馬の乗り入れ
    ②魚類の捕獲
    ③竹木の伐採

  • 『市民の広場宣言文』のタイトルがあった長文の掲示版です。2003年4月の日付の『宮前三八市広場』の運営に関する宣言文でした。

    『市民の広場宣言文』のタイトルがあった長文の掲示版です。2003年4月の日付の『宮前三八市広場』の運営に関する宣言文でした。

  • 『宮前三八市広場』と、その背後に控える真清田神社の光景です。広場は境内ではなく、市の所有地のようでした。

    『宮前三八市広場』と、その背後に控える真清田神社の光景です。広場は境内ではなく、市の所有地のようでした。

  • 『三八市広場』の周りの花壇で咲いていた草花の紹介です。マツバボタン(松葉牡丹)によく似た、ポーチュラカの花です。スベリヒユ科の多年草で、ハナスベリヒユの和名を持ちます。

    『三八市広場』の周りの花壇で咲いていた草花の紹介です。マツバボタン(松葉牡丹)によく似た、ポーチュラカの花です。スベリヒユ科の多年草で、ハナスベリヒユの和名を持ちます。

  • 真っ赤なサルビアの花です。こちらも『三八市広場』の周りの花壇で咲いていました。シソ科アキギリ属の植物です。

    真っ赤なサルビアの花です。こちらも『三八市広場』の周りの花壇で咲いていました。シソ科アキギリ属の植物です。

  • 商店街方面の光景です。中央に見えているアーケードは、七夕まつりの会場の1つかもしれません。

    商店街方面の光景です。中央に見えているアーケードは、七夕まつりの会場の1つかもしれません。

  • ここからは、真清田神社の見学を終えて、一宮駅に向かう途中の光景です。往きには、右手に見えていた一宮中央斎場の平安会館の建物です。

    ここからは、真清田神社の見学を終えて、一宮駅に向かう途中の光景です。往きには、右手に見えていた一宮中央斎場の平安会館の建物です。

  • 平安会館の並びにあった小さな神社です。その入口の鳥居の光景です。鳥居の幅だけの間口でした。

    平安会館の並びにあった小さな神社です。その入口の鳥居の光景です。鳥居の幅だけの間口でした。

  • 鳥居の横で咲いていた金木犀の花です。秋を代表する香りを持つ樹木です。原産地の中国では『桂』の文字が使われ、乾燥させた花は、お茶の材料にもなります。『神明社』らしい文字が刻まれた石柱がありました。

    鳥居の横で咲いていた金木犀の花です。秋を代表する香りを持つ樹木です。原産地の中国では『桂』の文字が使われ、乾燥させた花は、お茶の材料にもなります。『神明社』らしい文字が刻まれた石柱がありました。

  • 『神明社』らしい小さな社の一番奥の光景です。頑丈な扉の先に、三つの小さな社が祀られていました。

    『神明社』らしい小さな社の一番奥の光景です。頑丈な扉の先に、三つの小さな社が祀られていました。

  • 広い通りの横断歩道を渡った後、振り返って眺めた真清田神社の方角の北東方面の光景です。真清田神社の建物は見えませんでした。

    広い通りの横断歩道を渡った後、振り返って眺めた真清田神社の方角の北東方面の光景です。真清田神社の建物は見えませんでした。

  • 『マツヨイグサ(待宵草)』の黄色い花です。大正浪漫を代表する画家で詩人の竹久夢二の詩歌、『ヨイマチグサ(宵待草)』の名前方が有名になってしまいました。

    『マツヨイグサ(待宵草)』の黄色い花です。大正浪漫を代表する画家で詩人の竹久夢二の詩歌、『ヨイマチグサ(宵待草)』の名前方が有名になってしまいました。

  • 歩道に面した場所に咲いていた、キンモクセイ(金木犀)のオレンジ色の花です。花を見る前に香りで気が付きました。

    歩道に面した場所に咲いていた、キンモクセイ(金木犀)のオレンジ色の花です。花を見る前に香りで気が付きました。

  • キンモクセイ(金木犀)のオレンジ色の花のズームアップ光景です。モクセイ科モクセイ属の常緑小高木です。中国南部原産で、日本には江戸時代に渡来しました。

    キンモクセイ(金木犀)のオレンジ色の花のズームアップ光景です。モクセイ科モクセイ属の常緑小高木です。中国南部原産で、日本には江戸時代に渡来しました。

  • 緑地帯の花壇で撮影した、アカジソ(赤紫蘇)の光景です。見ただけで、梅干しを連想してしまいます。

    緑地帯の花壇で撮影した、アカジソ(赤紫蘇)の光景です。見ただけで、梅干しを連想してしまいます。

  • 廃屋になったような家の前の花壇での撮影です。紫色の実を付けた、ムラサキシキブ(紫式部)です。

    廃屋になったような家の前の花壇での撮影です。紫色の実を付けた、ムラサキシキブ(紫式部)です。

  • 紫色の実を付けた、ムラサキシキブ(紫式部)のズームアップ光景です。ムラサキシキブは、日本、中国、台湾、朝鮮半島に分布するクマツヅラ科の落葉性低木です。

    紫色の実を付けた、ムラサキシキブ(紫式部)のズームアップ光景です。ムラサキシキブは、日本、中国、台湾、朝鮮半島に分布するクマツヅラ科の落葉性低木です。

  • シンボル通りとも呼ばれる、銀座通りのロータリーの光景です。往きにも目にした菱形のモニュメントがありました。ここを右に曲がれば駅正面に向かうシンボル通りです。

    シンボル通りとも呼ばれる、銀座通りのロータリーの光景です。往きにも目にした菱形のモニュメントがありました。ここを右に曲がれば駅正面に向かうシンボル通りです。

  • 同じく、シンボル通りのロータリー部分の光景です。左手の施設は、地下駐車場の入口でした。

    同じく、シンボル通りのロータリー部分の光景です。左手の施設は、地下駐車場の入口でした。

  • シンボル通りと、その先に見える一宮総合駅の光景です。JRと名鉄が共用している新しい駅舎です。

    シンボル通りと、その先に見える一宮総合駅の光景です。JRと名鉄が共用している新しい駅舎です。

  • シンボル通りを駅前まで歩いてきました。スクランブル交差点を渡れば、駅構内になります。

    シンボル通りを駅前まで歩いてきました。スクランブル交差点を渡れば、駅構内になります。

  • 駅前のスクランブル交差点から振り返って眺めた、シンボル通りの光景です。

    駅前のスクランブル交差点から振り返って眺めた、シンボル通りの光景です。

  • JRの尾張一宮駅の正面出入口の光景です。この後、鳴海城址の写真を撮るため、JRではなく、名鉄電車を利用しました。これで、真清田神社の紹介はおしましです。

    JRの尾張一宮駅の正面出入口の光景です。この後、鳴海城址の写真を撮るため、JRではなく、名鉄電車を利用しました。これで、真清田神社の紹介はおしましです。

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