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名古屋市の筒井町にある物部神社の紹介です。物部氏の始祖は、大和国山辺郡・河内国渋川郡辺りを本拠地とした有力豪族とされます。大石を神体とすることから、石神神社とも呼ばれます。

2015秋、筒井町の物部神社(1/2):鳥居、社務所、幟、石碑、灯篭、境内の黄葉、数多い狛犬

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2015/11/09 - 2015/11/09

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旅人のくまさん

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名古屋市の筒井町にある物部神社の紹介です。物部氏の始祖は、大和国山辺郡・河内国渋川郡辺りを本拠地とした有力豪族とされます。大石を神体とすることから、石神神社とも呼ばれます。

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  • 延長5年(927年)に纏められた延喜式神名帳における、式内社に記載された物部神社の鳥居の光景です。

    延長5年(927年)に纏められた延喜式神名帳における、式内社に記載された物部神社の鳥居の光景です。

  • 物部神社の社務所の光景です。第11代の垂仁(すいにん)天皇の時代に創建したと伝わる尾張地区の古社の一つです。垂仁(すいにん)天皇は、その実在について、肯定と否定の両説があるようです。

    物部神社の社務所の光景です。第11代の垂仁(すいにん)天皇の時代に創建したと伝わる尾張地区の古社の一つです。垂仁(すいにん)天皇は、その実在について、肯定と否定の両説があるようです。

  • 『物部神社・由緒』のタイトルがあった説明看板です。祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)であることなどが紹介されていました。

    『物部神社・由緒』のタイトルがあった説明看板です。祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)であることなどが紹介されていました。

  • 『式内・物部神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。『古事記』によれば、宇麻志麻遲命は、はじめ長髄彦に従っていましたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺して天皇に帰服し、以後、自らの部族である物部氏を率いて皇城守護の任に当たったと伝えます。

    『式内・物部神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。『古事記』によれば、宇麻志麻遲命は、はじめ長髄彦に従っていましたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺して天皇に帰服し、以後、自らの部族である物部氏を率いて皇城守護の任に当たったと伝えます。

  • 社務所の周りの光景です。札が懸かった、この掲示板は、物部神社への寄進者の一覧のようです。

    社務所の周りの光景です。札が懸かった、この掲示板は、物部神社への寄進者の一覧のようです。

  • 同じく、物部神社の社務所の周りの光景です。かつては、尾張国や美濃国には数多くの物部神社が存在しましたが、多くが合祀された結果、現在では尾張国では本社だけが残りました。

    同じく、物部神社の社務所の周りの光景です。かつては、尾張国や美濃国には数多くの物部神社が存在しましたが、多くが合祀された結果、現在では尾張国では本社だけが残りました。

  • 物部神社の社務所の周りの光景の紹介が続きます。境内での行事用の施設でしょうか、スピーカーが設置されていました。

    物部神社の社務所の周りの光景の紹介が続きます。境内での行事用の施設でしょうか、スピーカーが設置されていました。

  • 月見灯篭風の造りの石燈籠の光景です。灯籠は仏教の伝来とともに渡来し、寺院建設が盛んになった奈良時代(710〜794年)から多く作られるようになったとされます。

    月見灯篭風の造りの石燈籠の光景です。灯籠は仏教の伝来とともに渡来し、寺院建設が盛んになった奈良時代(710〜794年)から多く作られるようになったとされます。

  • 『物部白竜社』の文字と赤い家紋が染めに枯れた幟の光景です。ネット情報では、物部神社の白竜社は、もともとは個人で祀られていたものが、この神社に持ち込まれたもののようです。

    『物部白竜社』の文字と赤い家紋が染めに枯れた幟の光景です。ネット情報では、物部神社の白竜社は、もともとは個人で祀られていたものが、この神社に持ち込まれたもののようです。

  • 境内に散り敷いた、黄葉と褐葉の落ち葉です。欅などのようでした。折からの小雨で地面に貼り付いていました。

    境内に散り敷いた、黄葉と褐葉の落ち葉です。欅などのようでした。折からの小雨で地面に貼り付いていました。

  • 落葉よりも、サザンカの花びらが散っていた石灯篭の周りの光景です。椿ですと、花が丸ごと落下しますが、同じツバキ科のサザンカ(山茶花)ですと、花びら単位で散ります。

    落葉よりも、サザンカの花びらが散っていた石灯篭の周りの光景です。椿ですと、花が丸ごと落下しますが、同じツバキ科のサザンカ(山茶花)ですと、花びら単位で散ります。

  • 名古屋市教育委員会名で立っていた立札の光景です。『物部神社』のタイトルがありました。延喜式に記載された神社名が、『愛智郡物部神社』であることが紹介されていました。尾張徳川藩の第3代藩主が、神社の修復に助力したことも記されていました。

    名古屋市教育委員会名で立っていた立札の光景です。『物部神社』のタイトルがありました。延喜式に記載された神社名が、『愛智郡物部神社』であることが紹介されていました。尾張徳川藩の第3代藩主が、神社の修復に助力したことも記されていました。

  • 物部神社の社殿光景です。現在は常駐の宮司は不在で、地域の代表者が交代で管理されているようです。

    物部神社の社殿光景です。現在は常駐の宮司は不在で、地域の代表者が交代で管理されているようです。

  • 奥に見える拝殿と、その手前の両脇に置かれた一対の狛犬の光景です。

    奥に見える拝殿と、その手前の両脇に置かれた一対の狛犬の光景です。

  • 口を開けた、阿形の雄獅子の光景です。体には緑の苔が付いていましたが、口の中には赤い彩色が残っていました。

    口を開けた、阿形の雄獅子の光景です。体には緑の苔が付いていましたが、口の中には赤い彩色が残っていました。

  • 一対になった吽形の雌獅子の光景です。飛鳥時代(592〜710年)に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったとされますが、平安時代(794〜1185年)になって、それぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになったとされます。

    一対になった吽形の雌獅子の光景です。飛鳥時代(592〜710年)に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったとされますが、平安時代(794〜1185年)になって、それぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになったとされます。

  • ズームアップした、阿形の雄獅子の顔の正面光景です。一般に狛犬(こまいぬ)と呼ばれますが、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされます。

    ズームアップした、阿形の雄獅子の顔の正面光景です。一般に狛犬(こまいぬ)と呼ばれますが、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされます。

  • ズームアップした、吽形の雄獅子の顔の側面光景です。狛犬は、神社や寺院の入口の両脇に向き合う形で置かれることが一番多いようです。

    ズームアップした、吽形の雄獅子の顔の側面光景です。狛犬は、神社や寺院の入口の両脇に向き合う形で置かれることが一番多いようです。

  • 鈴と鈴紐が付いた、物部神社の拝殿の正面光景です。鈴紐は、『鈴緒』と呼ぶのが正しいようです。

    鈴と鈴紐が付いた、物部神社の拝殿の正面光景です。鈴紐は、『鈴緒』と呼ぶのが正しいようです。

  • 細長い石造の蝋燭立の光景です。風除けのガラス戸が付いた、まだ新しい蝋燭立でした。物部白竜社の幟は、ここにも並んでいました。

    細長い石造の蝋燭立の光景です。風除けのガラス戸が付いた、まだ新しい蝋燭立でした。物部白竜社の幟は、ここにも並んでいました。

  • 『物部神社・由緒記』のタイトルがあった、まだ新しい説明看板です。末尾の方に年代ごとの主な縁起と、昭和59年(1984年)の例大祭後に建立された由緒記であることが記されていました。

    『物部神社・由緒記』のタイトルがあった、まだ新しい説明看板です。末尾の方に年代ごとの主な縁起と、昭和59年(1984年)の例大祭後に建立された由緒記であることが記されていました。

  • 入口にも、少し小振りな石の鳥居がありましたが、参道途中にもう一つありました。この日の小雨模様と、境内の樹木で薄暗い場所になっていました。

    入口にも、少し小振りな石の鳥居がありましたが、参道途中にもう一つありました。この日の小雨模様と、境内の樹木で薄暗い場所になっていました。

  • 薄っすらと黄葉が始まっていた、境内の樹木の光景です。ケヤキ(欅)当たりのようです。ニレ科ケヤキ属の落葉高木です。

    薄っすらと黄葉が始まっていた、境内の樹木の光景です。ケヤキ(欅)当たりのようです。ニレ科ケヤキ属の落葉高木です。

  • 『物部神社』の本殿光景です。現在の千種駅辺りを中心とする、物部神社や高牟神社がある地域は、古代には物部郷古井村、中世には鳴海荘古井村と呼ばれ、物部氏の拠点があったとされます。

    『物部神社』の本殿光景です。現在の千種駅辺りを中心とする、物部神社や高牟神社がある地域は、古代には物部郷古井村、中世には鳴海荘古井村と呼ばれ、物部氏の拠点があったとされます。

  • 『物部神社』の金文字が記された扁額の光景です。注連縄も張られていました。式内社の物部神社と高牟神社の両社は400メートルほどしか離れていません。このため、江戸時代の尾張名所図会には二つの神社が同一図に描かれています。

    『物部神社』の金文字が記された扁額の光景です。注連縄も張られていました。式内社の物部神社と高牟神社の両社は400メートルほどしか離れていません。このため、江戸時代の尾張名所図会には二つの神社が同一図に描かれています。

  • 真新しい狛犬の光景です。白い眼玉に黒い瞳、白い牙と赤い口の中など、出来立てに近い状態です。

    真新しい狛犬の光景です。白い眼玉に黒い瞳、白い牙と赤い口の中など、出来立てに近い状態です。

  • こちらが口を閉じた吽形の雌獅子の方ですが、空く市だけ空いた赤い口から、真っ白な牙が見えていました。

    こちらが口を閉じた吽形の雌獅子の方ですが、空く市だけ空いた赤い口から、真っ白な牙が見えていました。

  • 境内社らしい小さな社がいくつも並んだ、石柱で囲われた一角の光景です。社の数だけ合祀されているようです。

    境内社らしい小さな社がいくつも並んだ、石柱で囲われた一角の光景です。社の数だけ合祀されているようです。

  • 境内社らしい小さな社がいくつも並んだ場所の入口の前後にも狛犬の姿がありました。入口外の左側部分の雌獅子の光景です。

    境内社らしい小さな社がいくつも並んだ場所の入口の前後にも狛犬の姿がありました。入口外の左側部分の雌獅子の光景です。

  • こちらは、入口外の右側部分の雄獅子の光景です。入口の中にも雄獅子が控えていました。

    こちらは、入口外の右側部分の雄獅子の光景です。入口の中にも雄獅子が控えていました。

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