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ぱんスキュさん
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2014年8月8日~24日
バルト諸国+ポーランド、WW2関連のダークツーリズム・旧ソ連とナチスの痕跡を巡る旅(18)
ヘルシンキin→タリン→リガ→シャウレイ→ヴィリニュス→カウナス→クライペダ→ニダ→カリーニングラード→グダンスク→ワルシャワ→【クラクフout】
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2014年8月19日
この日の午後にワルシャワを立ち、旅の最終目的地のクラコウへ到着。ここではたっぷり4泊し、近郊の街も含めてじっくり散策です。
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まずはこの旅の裏?テーマである、ユダヤ人を巡る旅から。東欧最大のゲットーがあったと言われるカジミェシュ地区を中心に散策。今はオシャレなスポットとしても知られる同地ですが、こういった歴史もあってこその深み。事前にユダヤ教について勉強していったお陰で、色々意義深い旅に。
まずはこの地区に7つあると言われる新旧シナゴーグを回ったり、ゆかりの地を巡ったり。そして観光カートでゲットー跡などの遺構を見学しながら、最後はシンドラーの工場跡博物館へ。ここがまた素晴らしく洗練された展示で、当時のクラコフ及びユダヤ人が置かれた状況を知ることができました。
★
WW2前のクラクフの人口は約25万人、そのうち1/4はユダヤ人だったそうです。しかし戦中にゲットーに隔離されたあげく、最後は強制収容所に移送されていった結果、現在では200人ほどのユダヤ人しかクラコフにはいないそうです。
ポーランドの寛容の精神を体現したユダヤ・コミュニティが破壊されたのはつくづく残念な話。しかし、かすかに残されたユダヤ人ゆかりの地を巡ることで、そのユニークかつ芳醇な文化に触れることができ、その特異性とユダヤの文化について理解を深めることができました。
日本ではユダヤについて誤解と偏見があるようですが、だからこそきちんと知ることができたことは、この旅にきて良かったなと思えたことの一つです。
◎クラクフ・ゲットー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月19日午後
ワルシャワからクラコフへと到着。高速鉄道で3時間ほどの道のりは快適でした。まずはワルシャワからの続きでユダヤ人の歴史をたどります。(街並みの散策やオススメ店は次の旅行記でご紹介:)) -
クラコフのユダヤ人の歴史を知るには、旧市街地の南東にある【カジミェシュ地区】へ足を延ばす必要があります。
14世紀にカジミェシュ公3世が新たに作ったカジミェシュの町が、歴史の流れの中で次第にユダヤ人居住街として発展していきます
ユダヤ偏見が強かった中世ヨーロッパの中でも、ポーランドは13世紀にボレスワフ敬虔公によって発令された【カリシュの法令】によりユダヤ人の諸権利が認められており、比較的寛容な土壌であったと言われています。
◎ユダヤ人の自由に関する一般憲章」(カリシュの法令)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%81%AE%E6%B3%95%E4%BB%A4カジミエシュ地区 散歩・街歩き
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カジミェシュ地区の地図。
90年代まで再開発等がなされなかった古い街で建物が混み合っていたため、目的物を探すには地図がとても役に立ちました。 -
この地域には、シナゴーグやユダヤ博物館、ユダヤ文化センターなどがあります。地味にひっそりとあるものも多いので、地図等とニラメッコして回ります。古い街並みが残っていますが、近年は改装してオシャレなお店もどんどんできてるようです。
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こういう古着屋さんやブティックとかをポツポツ見かけました。洒落てるなー!
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また古い建物を改装し、オシャレなバーレストランに改装しているところも。
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ユダヤ人経営と思われるオシャレなカフェ。扉の動物はヘブライ文字で出来ている。
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今年の夏に行われた、ユダヤ音楽フェスの広告看板。古くからある地域ですが、そこかしこにユダヤの新しいカルチャーの芽が見て取れます。
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壁を使ったユダヤ人アーティストのギャラリー展示。こういうの、スキです。
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PLAC NOWY=ノヴィ(新)広場。カジミェシュ地区の中心地ともいえる場所で中央には円形の建物群があります。。戦前はコッシャー肉の屠畜場だったそうですが、現在は市場や屋台などが並んでいます。
ノビ広場 広場・公園
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ノヴィ広場の少し北にある、伝説のクラブ・ライブスポット【ALCHEMIA】でランチ。このクラブの発展から、90年代には荒廃していたカジミェシュ地区の再生が始まったと言われている。内装も料理もとてもオシャレで、夜にはクラクフのヒップな人々が集うスポットになるらしい。
http://alchemia.com.pl/アルケミア バー
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では北の方から7つのシナゴーグを巡っていきます。これらのシナゴーグ一覧はこちら。
http://www.krakow-info.com/synagogs.htm
1.テンプルシナゴーグ (Temple Synagogue)
19世紀に進歩派のシナゴークとして設立されました。テンペル シナゴーク 寺院・教会
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中はネオロマンス様式の豪華な造り。2階は1階部分をぐるりと見下ろせるギャラリー状の構造になっています。ホールが2つあり、コンサート等にも使われている様子。また廊下には写真や絵画などの展示物がありました。
テンペル シナゴーク 寺院・教会
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テンペルシナゴーグのすぐ近くにはユダヤコミュニティセンター=JCCもあった。約200人という少ない人口ながらも、コミュニティは確実に存在するんだなあ。
http://www.jcckrakow.org/en/ -
2.クパ・シナゴーグ
17世紀に建てられたらしい。中は見学可能だそうですが残念ながら閉まっていました。。かなりひっそりした佇まいなので、周りの建物にまぎれそうな感じです。クパ シナゴーク 寺院・教会
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3.イザークシナゴーク
ここも内部はユダヤ人の主にWW2前後の映像の公開がされているそうですが、この日はクローズしていました。イザーク シナゴーク 建造物
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入口。内部にはコッシャーショップやレストランなどがあるようです。また外にあった看板によるとイベント等も開かれている模様。
イザーク シナゴーク 建造物
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近くにある、イザック・シナゴーグの創設者である「アイザック・ヤクボビッツ」邸の跡地を利用している【ホテル エデン】。なんとミクワー(ユダヤ教の儀式の沐浴用浴槽)併設!
◎ミクワーについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%BC
これ、通常の浴槽より深くて体がすっぽり収まる特殊仕様の浴槽なんです。ミクワ―の儀式は本来は川や泉などで行われていました。Hotel Eden ホテル
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ノヴィ広場のすぐ東側にあるシェローカ通り(Szeroka)。ここに面して3つのシナゴーグがあります。
この写真のレストランの白いテントが貼られた奥に、4.ポッパー・シナゴーグが。 -
ポッパー・シナゴーグの近影。ゴシック式の見た目がとても美しいシナゴーグでした。
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レストランの表示にはkosher=ユダヤ教食コッシャーの表示が!この地域のレストランはヘブライ表記・コッシャーフードのお店が多数あり。
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5.レム・シナゴーグ
16世紀の設立のかなり古い建物。戦争を経てなお、よくぞ残っていたなあと思う。レム シナゴーク&墓地 建造物
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敷地内の外壁には、ホロコーストで亡くなった祖先を祀る石板がいくつも掲げられていました。
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ここのシナゴーグの特徴は、古いユダヤ人のお墓が併設されていることです。戦争で荒れたお墓も被害は少なかったお蔭で、今は整えられています。
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ユダヤ人のお墓。形が特徴的である。ちなみにユダヤ式の埋葬方法は、遺体を白い布で巻いてユダヤ人専用墓地に土葬します。日本だと横浜の外人墓地などに埋葬されることもある。
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外から眺めると、鉄格子にダビデの六芒星が。
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ここで修学旅行?!と思しき、若いラビ(お坊さん)の一群に出会いました。伝統的な格好に身を包んでいるのに、ポケットからデジカメを取り出してパシャパシャやっていた、そのギャップにウケましたw
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レム・シナゴーグ内部。古い建物で質素な感じです。ここでも若ラビ集団が写真を撮っていましたw
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6.ハイシナゴーグ
全景を取り忘れてしまったのでイベント案内の看板のみ。小さめですが本屋など併設しており、中ではイベントやコンサートなど開催されていました。ハイ シナゴーク (シナゴーク ヴィソカ) 建造物
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7.オールド(ステラ)シナゴーグ
レムシナゴーグ・ポッパーシナゴーグと同じシャローカ通りにある大きめのシナゴーグで、クラカウのみならずポーランド最古のシナゴーグと言われている。
現在は博物館となっていて、ユダヤの文化や風俗などを紹介した展示がずらーっと並んでいる。 -
入口。右側で入場料10ズオティを払います。
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内部。中はシナゴーグの片鱗はありますが、やはり博物館としての佇まいである。
スタラシナゴーク (ユダヤ博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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では展示を見ていきましょう。印象に残ったものを紹介します。
昔のクラクフとカジェミジュ地区の地図。二つの街は以前は別々の区域だったことが分かります。 -
食器や肉切り包丁などについて。ユダヤ教食のコッシャーに適合した食肉にするためには、イスラム教食のハラールのように頸動脈を切って血抜きを丁寧に行う必要があります。ちなみに牛・鶏はOKですが豚肉はNG。これは様々な理由があるみたいです。
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ハッラー(ハーラ)と呼ばれる編みパン。安息日や祝祭日には欠かせない食べ物。肉と乳を一緒に食べるのはユダヤ教ではNGなので、通常はバターやミルクなどの乳製品は入りませんが、コッシャーの良いイーストを使うのでとても美味しいです。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ハッラー -
ユダヤ教の大切なお祝い事、パスオーバー(過越の祭)についての説明。キリスト教のイースターに近い日付ですが、『出エジプト』にちなんだ全く異なるお祭りです。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/過越 -
パスオーバーの時期には、特別な料理(イースト抜きの種なしパンなど)を食べ、食器も特別なものを使うらしい。
食品工場などではこの時期はいつものコッシャーフードを作るラインが止まり、清掃のちパスオーバー専用の食品を作るのだとか。それで一年分の利益を稼ぐ会社もあるらしい…
ちなみに株式売買などの取引もこの期間は休みになる。ユダヤ教にとってそれだけ大切な祭だということです。 -
ユダヤ人の婚礼。独特の衣装が目につきます。…そしてユダヤ人はよく踊る。悲しいときも楽しいときも、彼らは本当によく歌い踊る。
この辺がよくまとまっています。
http://togetter.com/li/246160 -
お土産コーナー。地図あり写真集ありその他物販ありのなかなか充実した売り場です。
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ヘブライ語とイディッシュ語(東方ユダヤ語)のアルファベット一覧マグカップ。これは熱い!ポストカード版もあったのでそちらを購入しました。
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イスラム教でもお馴染みの手のお守り・ハムサと、ユダヤ教のシンボルの燭台・メノーラのマグネット。こちらは全て陶器の手作り品、素朴でかわいい…
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ハムサ -
シナゴーグ巡り終了。
お次の目的地はシンドラーの工場跡博物館。ちょっと離れていたのでどう行こうか悩みましたが、広場で客引きをしていたこの観光カートに連れて行ってもらうことに。 -
日本語オーディオ付きのカートの料金表。本当は周遊なんですが、博物館で下ろしてもらうという片道コースを頼み、確か80ズオティくらいで交渉成立だったと思う。
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カートは狭い住宅地も広い幹線道路も、ゲットーゆかりの地を紹介しながら極めてマイペースですり抜けていく。
乗っている時の動画はこちら
https://youtube.com/watch?v=uHaPKAdLMPo -
屋根の高さが違う建物が並ぶ。これは建てられた時代が異なるからで、一番低いものがゲットー時代の建物です。
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歴史的に重要なところにはマークがつけられていた。
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ここにはゲットー内部の古い建物がたくさんみられました。
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Apteka Pod Orlem=通称イーグル薬局
この薬局は100年ほど前にできましたが、この地にクラコフ・ゲットーが作られるとゲットー内に唯一となる薬局になります。この店にはユダヤ人のインテリ層が集っていたようで、現在ではクラコフ歴史博物館の分館となっています。
http://www.mhk.pl/branches/eagle-pharmacy -
近くにあった英雄広場。ここはゲットー内にあった広場です。この時はホロコーストに関係した展示がなされていました。
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ゲットーの壁跡。街からは離れたところにありますが、今なお壁の面影を残す貴重な場所です。
ゲットー ウォール 建造物
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20分ほどのショートトリップのち、シンドラーの工場跡博物館へ到着。かつての工場後を改装し、2010年に博物館として開館されました。
シンドラーの工場 博物館・美術館・ギャラリー
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入口。残チケット数が表示されていましたが、時間内に入れば大丈夫だと思います。夏は20時閉館、90分前が最終入場です。
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入口に併設の売店。『シンドラーのリスト』やホロコースト関連書籍、図録、写真集、オリジナルグッズなど。
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隣のカフェスペースには、映画撮影時にスピルバーグ監督が使用したキャップなどの展示が!
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中の展示は、オスカー・シンドラーについてというよりは、WW2前後のクラコフの街の歴史博物館といった趣です。
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時系列式やテーマ別の展示や当時を体感させる仕組みなど、ワルシャワの【ワルシャワ蜂起博物館】と対を為すような博物館だと思った。
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双眼鏡で遠くの戦線の様子を覗き見る。
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またナチス・ドイツがクラクフ及びポーランドを占領しじわじわと支配地域を広めていく様が、映像によって分かるようになっています。
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ナチス・ドイツのハーケンクロイツがポーランドを席巻…
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クラクフの街中にもナチスの掲示板が作られるようになった。見入る人々。
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ワルシャワ蜂起博物館同様、残虐な写真は子供の目の触れない高さに隠して展示してあります。
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クラコウの街はワルシャワのような完全破壊を免れたため、戦前の建物は運よく保存状態が良かったとのこと。
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それでも色々な被害を受けました。例えば道路名。ポーランド風の名前は外され、ナチス・ドイツにちなんだ名前をつけられた。
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取り外されたポーランド語の道路名や地名看板の数々…
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戦時下でユダヤ人が置かれた状況について。彼らは壁で囲まれたゲットーという地域に隔離され、出入りを厳しく制限され満足な物資を手に入れることも難しかった。
博物館の造りもゲットーの壁の内部にいるかのよう。 -
クラコフのゲットー全図。
-
ゲットーに押し込まれたユダヤ人たちは、やがてプワシュフ強制収容所に送られました。そこでの過酷な日々の中で、シンドラーが労働力になるユダヤ人を付帯収容所へと助け出したこともよく知られています。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/クラクフ・プワシュフ強制収容所 -
オスカー・シンドラーが執務を行っていたデスク。享楽的だとか自身の利益のためだとか言われた彼ですが、wikiを見ると明確な意思を持ってユダヤ人をナチスの手から救おうとしていたと書かれています。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/オスカー・シンドラー -
シンドラーの工場は軍需工場として琺瑯製品を生産していました。その生産に携わった約800人のユダヤ人労働者は、人間の尊厳が守られ命が助かったケースも多かった。
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ポーランド国民軍の活躍について。ワルシャワ蜂起博物館で度々登場したPにイカリのマークでお馴染み、ポーランドの地下組織軍です。
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1944年8月1日、ワルシャワ蜂起が勃発。これによりワルシャワの街は瓦礫となった…
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破壊され、粗末なバラックと墓石が立ち並んでいた市街地。
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床屋談義コーナー。市井の人々がこの状況をどう捉えていたのか、吹き出し等で表されていた。
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市街戦の様子。
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そして最後にはスターリン=ソビエトの勝利となった。それはWW2後にポーランドが共産主義権に属するという運命の始まりであった…
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ここで展示は終わり。最後は戦争で亡くなった人々を悼む祈りの場が。
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オスカー・シンドラー博物館の外表示。ワルシャワとはまた違った状況に置かれたクラクフのWW2前後の状況を知るにはとても良い展示でした。
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最後はリマン通りよりバスに乗ってクラクフ市内へと戻ります。
クラクフのユダヤ文化…もしWW2がなければ、世界でも有数のユダヤ人都市となっていただろうこの街。多文化共生のモデル都市になっていたかもしれないという未来を夢想すると、返す返すも惜しいことだと思います。けれどこれらのシナゴーグなどはWW2中に馬小屋や物置になっていたことを考えると、私たちはこうしてその文化の痕跡をたどることができるのは、また幸運なことであるとも思う。
ぜひクラコフの街の散策で、もう一つの可能性を感じ取って下さい。
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