1974/08/05 - 1974/08/07
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを
船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回はポーランドの古都クラコフ2泊3日で何のトラブルも無く旅を楽しめました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
旅行記の周辺地図
-
昭和49年8月6日
クラコフのフランコフスキーホテルで
1zlotyズウォティ8.59円で23ドル6555円両替
8月5日、16時50分発のクラコフ行は田園地帯を走った。
ヨーロッパ有数の農業大国の広大な田園風景はのどかで牛馬なども
見られた。
途中、激しい雷雨に見舞われ、列車が30分近く停車した。
それにしても車内の照明は貧弱で顔が判別出来る程度。
電力事情は良くないのだろう。
21時半頃 クラコフに到着した。駅前は真っ暗に近い状態で、
「さて?」と辺りを見渡したらタクシーがいたので助かった。
フランコフスキーホテルに向かった。
ワルシャワのホテルより良かった。 -
昭和49年8月6日
聖マリア教会
聖マリア教会は市場広場の東隅にあり、1222年に創立されたが、
現在の建物は14世紀中頃から15世紀にかけて創られたものである。
二つある塔のうち高い方は80mの高さがあり、
毎日、塔の上からは、一時間おきにラッパが吹き鳴らされ、演奏中に突如途絶する。
中世、モンゴル軍の襲撃に逢った際、ラッパ吹きが危険を周知させるためラッパを吹いている最中に矢で射殺されたという言い伝えがある。
それに倣い、この伝統は中世から連綿と続いている。 -
昭和49年8月6日
聖マリア教会の前で
礼拝堂にあるマリアの祭壇は15世紀の作でゴシック様式の
物としてはヨーロッパ最大の祭壇として数えられている。 -
昭和49年8月6日
市場広場で
市場広場は、ほぼ正方形の4万?で東京ドームの広さで
中世ヨーロッパ最大の広場であある。 -
昭和49年8月6日
市場広場で
後方の建物は広場の中央に建ち、14世紀に建てられた後、
16世紀にルネッサンス様式に建て替えられた織物館である。
現在も雑貨品などを売る店が並んでいる。 -
昭和49年8月6日
14世紀に建てられた市公会堂の塔からのクラコフ市街地 -
昭和49年8月6日
ワベル城内
市場広場からグロスカ通りを南に行くと、
ビスガ河の畔に聳え立つゴシック・ルネッサンス様式の
ワベル城が見えて来た。
この城はポーランドでも最も美しい城で、
現在のものは、1390年頃建造された。 -
昭和49年8月6日
ワベル城内で
城郭内にある大寺院は、ゴシック様式の建物で
14世紀中頃に建てられた。
3つの礼拝堂を持ち、北側にあるジギスムント塔には
2.4mのポーランド最大という鐘が下がっている。 -
船で一緒だったKさんは8月末にここを訪れたとか。
全く同じ場所で撮ったのが面白い。 -
昭和49年8月6日
ビスガ河の畔で
ワルシャワの南方約320キロの所にあるクラコフは
ポーランド第2の都市である。
14世紀から16世紀にかけてはポーランドの首都でもあった。
現在でも今なお文化の高さを誇る古都である。 -
昭和49年8月6日
ワベル城の近くで
第2次世界大戦の戦火からは幸いにして逃れたので街そのものが
中世の博物館のような趣を呈している。
街の南側をビスワ河が流れ、市場広場を中心にいろいろな建物が
見られる。 -
昭和49年8月6日
ワベル城の近くで
歴史的に見ると8〜9世紀に既にスラブ族の集落を形成し、
10世紀末にはかなり高度の文化を持つ都市となった。
13世紀になると3度タタール族の侵入を受けたが立ち直り
1320年にポーランドの首都になった。 -
昭和49年8月6日
ワベル城の近くで
中部ヨーロッパにおける最古の大学の一つである
クラコフ大学が創立されたのも軌を一にして、
1364年である。
地動説のコペルニクスもこの大学で15世紀末に学んでいる。 -
昭和49年8月6日
ワベル城の近くで
15〜16世紀のルネッサンスの波はここにも例外なく押し寄せ、
多くのルネッサンス様式建築物が建てられている。
17〜18世紀にかけてのスウェーデン軍の侵攻により、
発展は衰えを見せたが古都として旅情をそそる街として残った。 -
昭和49年8月6日
バルビカンとフロリアニュスカ門
バルビカンと呼ばれる馬蹄形の防壁で1499年に建てられ、
数少ないヨーロッパ中世の遺物である。
夜、中世の野外劇の公演があった。
その後ろにあるのが旧市街を取り巻く城壁の門で1300年頃の建造。 -
昭和49年8月7日
昨夜は、余りにも静か過ぎてなかなか眠れなかった割には、
ホテルの近くの教会から聞こえてくる荘重なパイプオルガンの響きとミサによって、今朝は心地よく目覚めた。
窓を押し開けるとうっすらと朝陽が差し込み、教会に急ぐ
人々がベランダの朝顔を通して見えた。
今回の旅で初めて安らぎを感じた瞬間だった。 -
昭和49年8月7日
聖フランシスコ教会のステンドグラス
人影の無い静かな聖フランシスコ教会の礼拝堂にある
美しい聖母マリアのステンドグラスを見ていると、
敬虔な信者でもないのに心が休まる思いがした。 -
昭和49年8月7日
聖フランシスコ教会のステンドグラス -
昭和49年8月7日
ワルシャワからブラチスラバまでの乗車券カバー -
昭和49年8月7日
ワルシャワからブラチスラバまでの列車クーポン券
156.80zlotyズウォティで1346円
8月7日、8時前駅で朝食を食べてブラチスラバに向かった。
途中、カトヴィツェ(Katowice)駅で乗り換える時、苦労したが、
ここでも親切なポーランド人に助けられた。
次号に続く。 -
昭和49年8月5日
ワルシャワからクラコフまでの移動距離316.8キロ、
横浜港からクラコフまでの移動距離11,009.6キロ
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