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 アンコールトムの見学の後、次はタ・プロム遺跡に向かいました。こちらの遺跡も2007年以来、2回目の見学となります。

2014春、カンボジア旅行記2(35/47):3月22日(6):アンコール・トム、ライ王のテラス、タ・プロム遺跡、西門から入場

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2014/03/18 - 2014/03/23

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

 アンコールトムの見学の後、次はタ・プロム遺跡に向かいました。こちらの遺跡も2007年以来、2回目の見学となります。

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  • アンコール・トム遺跡の紹介の続きです。この辺りには、全体像がはっきりとする遺跡の光景はありませんでした。広範囲に散らばった遺物の石材です。

    アンコール・トム遺跡の紹介の続きです。この辺りには、全体像がはっきりとする遺跡の光景はありませんでした。広範囲に散らばった遺物の石材です。

  • 木陰に周壁跡らしい石造物が見えていました。次に見学に向かっているライ王のテラスは、遺跡中心部の北側に位置しますから、同様に、北側の位置する周壁遺跡のようです。

    木陰に周壁跡らしい石造物が見えていました。次に見学に向かっているライ王のテラスは、遺跡中心部の北側に位置しますから、同様に、北側の位置する周壁遺跡のようです。

  • アンコール・トムの見所の一つ、ライ王のテラスです。その中心施設がライ王の座像です。ライ王の座像の人物は、ライ病患者であったバラモン教の富の神クベーラ、マハーデーヴァ、ヤショヴァルマン一世、地獄の神ダルマージャの像など諸説があります。

    アンコール・トムの見所の一つ、ライ王のテラスです。その中心施設がライ王の座像です。ライ王の座像の人物は、ライ病患者であったバラモン教の富の神クベーラ、マハーデーヴァ、ヤショヴァルマン一世、地獄の神ダルマージャの像など諸説があります。

  • ライ王の座像の正面光景です。諸説があったライ王の座像の主人公説ですが、お尻に刻まれた文から、ダルマージャ(地獄の神)説が有力となったようです。ライ王のテラスの大きさは、高さ約6メートル、一辺が約25メートルです。

    イチオシ

    ライ王の座像の正面光景です。諸説があったライ王の座像の主人公説ですが、お尻に刻まれた文から、ダルマージャ(地獄の神)説が有力となったようです。ライ王のテラスの大きさは、高さ約6メートル、一辺が約25メートルです。

  • ライ王のテラスからの眺めです。こちらの方面は樹林でした。ダルマージャ(地獄の神)の像はレプリカで、オリジナルの像は首都プノンペンの国立博物館の中庭にあるようです。

    ライ王のテラスからの眺めです。こちらの方面は樹林でした。ダルマージャ(地獄の神)の像はレプリカで、オリジナルの像は首都プノンペンの国立博物館の中庭にあるようです。

  • 同じく、ライ王のテラスからの眺めです。ダルマラージャは、地獄に落ちて苦しんでいる者たちの哀れな嘆きを聞くと、自分の天国行きをもたらした功徳のすべてを地獄の住民たちに引き渡すと宣言した説話が残ります。

    同じく、ライ王のテラスからの眺めです。ダルマラージャは、地獄に落ちて苦しんでいる者たちの哀れな嘆きを聞くと、自分の天国行きをもたらした功徳のすべてを地獄の住民たちに引き渡すと宣言した説話が残ります。

  • 『アンコール・トム・ツーリスト・フロー』のタイトルがあった観光案内図です。初心者コースが青の実線で、リピーターコースが青の破線で記されていました。

    『アンコール・トム・ツーリスト・フロー』のタイトルがあった観光案内図です。初心者コースが青の実線で、リピーターコースが青の破線で記されていました。

  • 地上に散り敷いていた、10センチほどの黒い物体です。よく見ますと、豆の鞘の形をしていました。マメ科の樹木の合歓木の実のようでした。

    地上に散り敷いていた、10センチほどの黒い物体です。よく見ますと、豆の鞘の形をしていました。マメ科の樹木の合歓木の実のようでした。

  • 小さな子供の面倒をみながら遊んでいた、地元の子供さん達です。写真に反応したVサインのようです。真似をした小さな子供さんは、1本指のV風サインでした。飴玉か何かを持参すべきでした。いつも反省しています。

    小さな子供の面倒をみながら遊んでいた、地元の子供さん達です。写真に反応したVサインのようです。真似をした小さな子供さんは、1本指のV風サインでした。飴玉か何かを持参すべきでした。いつも反省しています。

  • アンコール。トムの見学を終えて立寄った小休止の場所です。バス乗り場までか、遺跡周遊の電気自動車が並んでいました。

    アンコール。トムの見学を終えて立寄った小休止の場所です。バス乗り場までか、遺跡周遊の電気自動車が並んでいました。

  • 小休止した広場にあったお土産屋さんです。ココナツヤシや、ミネラル・ウォターも販売されていました。

    小休止した広場にあったお土産屋さんです。ココナツヤシや、ミネラル・ウォターも販売されていました。

  • お店は多少ありましたが、時間つぶしをするには、少し退屈な場所でした。この辺りの地雷撤去は済んでいるのでしょうが、森の中を散策する気持ちは湧きませんでした。

    お店は多少ありましたが、時間つぶしをするには、少し退屈な場所でした。この辺りの地雷撤去は済んでいるのでしょうが、森の中を散策する気持ちは湧きませんでした。

  • この辺りは自然林ではなく、植林のような雰囲気がありました。いかにも木材に適した雰囲気の、下枝が伐採された一直線に伸びた樹林です。

    この辺りは自然林ではなく、植林のような雰囲気がありました。いかにも木材に適した雰囲気の、下枝が伐採された一直線に伸びた樹林です。

  • 小休止の場所の近くにあった大木の光景です。樹種は分かりませんが、かなりの幹回りの大きさでした。

    小休止の場所の近くにあった大木の光景です。樹種は分かりませんが、かなりの幹回りの大きさでした。

  • いつの間にか椅子席が用意されていました。この場所でバスを待つ観光客が増えてきたためのようでした。

    いつの間にか椅子席が用意されていました。この場所でバスを待つ観光客が増えてきたためのようでした。

  • 写真に収めることはできませんでしたが、この付近では蝶の大群の乱舞を目にしました。花が咲いている場所ではありませんので、少し高い場所で乱舞していました。

    写真に収めることはできませんでしたが、この付近では蝶の大群の乱舞を目にしました。花が咲いている場所ではありませんので、少し高い場所で乱舞していました。

  • そろそろ再集合の時間です。この日はアンコール・トムの見学に始まり、次のタ・プローム遺跡、バンテアイ・スレイ遺跡、最後はオプショナルのトンレサップ湖クルージングと、このあとも盛り沢山です。

    そろそろ再集合の時間です。この日はアンコール・トムの見学に始まり、次のタ・プローム遺跡、バンテアイ・スレイ遺跡、最後はオプショナルのトンレサップ湖クルージングと、このあとも盛り沢山です。

  • 広大なアンコール・トム遺跡の見学を終えて、次はタ・プローム寺院の見学です。2007年の見学の時に、熱帯雨林の申し子の様な、ガジュマルの生命力と迫力を実感した遺跡です。

    広大なアンコール・トム遺跡の見学を終えて、次はタ・プローム寺院の見学です。2007年の見学の時に、熱帯雨林の申し子の様な、ガジュマルの生命力と迫力を実感した遺跡です。

  • タ・プノール遺跡の西側の入口門の光景です。観音菩薩の四面像が西塔門に刻まれていました。12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡です。この観音像は、当初の仏教寺院の名残です。

    イチオシ

    タ・プノール遺跡の西側の入口門の光景です。観音菩薩の四面像が西塔門に刻まれていました。12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡です。この観音像は、当初の仏教寺院の名残です。

  • インド考古調査局によるタ・プノール遺跡の調査結果のパネル展示です。遺跡の保守に先立って行われた調査のようです。インド考古調査局は、イギリスの考古学者アレキサンダー・カニンガム(1814〜893年)によって設立され、インド各地の仏教遺跡やインダス文明遺跡などの発掘調査を主導してきたインド政府の組織です。

    インド考古調査局によるタ・プノール遺跡の調査結果のパネル展示です。遺跡の保守に先立って行われた調査のようです。インド考古調査局は、イギリスの考古学者アレキサンダー・カニンガム(1814〜893年)によって設立され、インド各地の仏教遺跡やインダス文明遺跡などの発掘調査を主導してきたインド政府の組織です。

  • 『タ・プノール寺院の保護(conservation)と、復興(restoration)に関するインド・カンボジア共同プロジェクト』のタイトルがあったパネルです。

    『タ・プノール寺院の保護(conservation)と、復興(restoration)に関するインド・カンボジア共同プロジェクト』のタイトルがあったパネルです。

  • 中央上部の写真は、衛星写真に寺院のエリアを赤線で示したものです。日本語の説明書きを拾い読みしますと、創建当時は『ラジャヴィハラ(王家の僧院)』と呼ばれ、ジャヤー・ヴァルマン7世がいくつかの仏像を寄進したことなどが紹介されていました。現在は西門からの見学路になっていますが、本来の正門は東門であることも紹介されていました。

    中央上部の写真は、衛星写真に寺院のエリアを赤線で示したものです。日本語の説明書きを拾い読みしますと、創建当時は『ラジャヴィハラ(王家の僧院)』と呼ばれ、ジャヤー・ヴァルマン7世がいくつかの仏像を寄進したことなどが紹介されていました。現在は西門からの見学路になっていますが、本来の正門は東門であることも紹介されていました。

  • タ・プローム遺跡の復元平面図の紹介です。中央祠堂がある、その中心部の図面のズームアップ光景です。この地図の赤丸の施設番号は、以下に写真説明してあります。ただし、?と?番は、この図面の外になる、右側にあります。

    タ・プローム遺跡の復元平面図の紹介です。中央祠堂がある、その中心部の図面のズームアップ光景です。この地図の赤丸の施設番号は、以下に写真説明してあります。ただし、?と?番は、この図面の外になる、右側にあります。

  • これまでに保全された主要な施設について、保全前後の写真が紹介されていました。上から順次説明します。丸印の番号は元写真に付けられた施設番号です<br />○1列目左:?の保全後:西側三〜四番周壁間の大道(参道) <br />○1列目右:?の保全後:西側四番周壁入口門<br />○2列目左:?の保全前:西側三〜四番周壁間の大道(参道) <br />○2列目右:?の保全前:西側四番周壁入口門<br />○3列目:?の保全後:西側五番周壁<br />○4列目:?の保全前:西側五番周壁<br />

    これまでに保全された主要な施設について、保全前後の写真が紹介されていました。上から順次説明します。丸印の番号は元写真に付けられた施設番号です
    ○1列目左:?の保全後:西側三〜四番周壁間の大道(参道)
    ○1列目右:?の保全後:西側四番周壁入口門
    ○2列目左:?の保全前:西側三〜四番周壁間の大道(参道)
    ○2列目右:?の保全前:西側四番周壁入口門
    ○3列目:?の保全後:西側五番周壁
    ○4列目:?の保全前:西側五番周壁

  • これまでに保全された主要な施設について、保全前後の写真紹介の続きです。<br />○1列目左:?の保全後:東側三番回廊の南翼 <br />○1列目右:?の保全後:西側五番周壁入口門<br />○2列目左:?の保全前:東側三番回廊の南翼○2列目右:?の保全前:西側五番周壁入口門<br />○3列目左:?の保全後:中央祠堂<br />○3列目右:?の保全前:中央祠堂<br />

    これまでに保全された主要な施設について、保全前後の写真紹介の続きです。
    ○1列目左:?の保全後:東側三番回廊の南翼
    ○1列目右:?の保全後:西側五番周壁入口門
    ○2列目左:?の保全前:東側三番回廊の南翼○2列目右:?の保全前:西側五番周壁入口門
    ○3列目左:?の保全後:中央祠堂
    ○3列目右:?の保全前:中央祠堂

  • 説明プレートの撮影ができませんでしたが、カンボジアの貴重な固有種の樹木だったようです。黒檀のような色合いをしていました。

    説明プレートの撮影ができませんでしたが、カンボジアの貴重な固有種の樹木だったようです。黒檀のような色合いをしていました。

  • 根がコブのようになった大木の根元付近の光景です。十字架風の遺物が半分土に埋まっていました。

    根がコブのようになった大木の根元付近の光景です。十字架風の遺物が半分土に埋まっていました。

  • 非常に珍しい固有種の大木には、名札が付けられていると現地ガイドさんからお聞きしました。子の名札には、地元名らしい『CHAN(チャン?)』の文字がありました。ネット検索では、『ebenaceae』の表示で、カキノキ科の植物であることが分かりました、それ以外の詳細は不明です。

    非常に珍しい固有種の大木には、名札が付けられていると現地ガイドさんからお聞きしました。子の名札には、地元名らしい『CHAN(チャン?)』の文字がありました。ネット検索では、『ebenaceae』の表示で、カキノキ科の植物であることが分かりました、それ以外の詳細は不明です。

  • 現地ガイドさんが、非常に珍しいカンボジアの固有種の樹木と話されていた一つ、『CHAN(チャン?)』のズームアップ光景です。熱帯雨林に育つ樹木のようです。

    現地ガイドさんが、非常に珍しいカンボジアの固有種の樹木と話されていた一つ、『CHAN(チャン?)』のズームアップ光景です。熱帯雨林に育つ樹木のようです。

  • 中央祠堂に入場する入口門辺りになるようです。風化の進んだ黄色の石板には、小さな神像、あるいは仏像が何体も刻まれていました。

    イチオシ

    中央祠堂に入場する入口門辺りになるようです。風化の進んだ黄色の石板には、小さな神像、あるいは仏像が何体も刻まれていました。

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