2013/05/21 - 2013/05/26
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旅人のくまさんさん
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バリ島内の見学の始まりです。最初は北部のウブド芸術村に向かいました。このところバリ島は、朝夕の交通ラッシュでの渋滞が厳しいようです。バリ島は、インドネシア独立の英雄、ングラ・ライ将軍の故郷、その銅像も目にしました。(ウィキペディア、るるぶ・バリ島)
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ここはまだ、バリ島で泊まったメアリ・バリ・ホテルの敷地内の光景です。観光バスが迎えに来てくれて、現地ガイドさんの先導でバリ島の観光に出発しました。今日の最初の見学先は、ウブド芸術村のプリ・ルキサン美術館と王宮等の見学です。1996年の見学の時には、まだデジカメが普及していませんでしたから、写真撮影はしていません。今回は存分に撮影できそうです。写真は、野草のようですが、緑の葉をバックにした、白色とブーゲンビリアらしいピンクの花の光景です。
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暫くはバスの中からの光景になりますので、その間を利用して、バリ島の歴史について簡単に紹介しておきます。『バリ島の歴史を知ろう・バリ島物知りコラム』を参照させていただきました。バリ島の歴史は、紀元前3世紀頃に始まったとされます。日本で例えれば、『縄文時代(約1万5千年前~約2千300年前)』が終わり、『弥生時代(紀元前300年頃~紀元250年頃)』が始まる頃です。
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〇紀元前300年頃:東アジアで発達していたドンソン文化(青銅器文化)が、バリ島にも影響を及ぼします。現在プナタランサシ寺院に安置されている銅鼓は、この時代の品物と言われています。また、稲作文化もこの時代に広まりました。
(注)ドンソン文化は、ベトナム北部の紅河流域を中心に成立した東南アジア初期の金属器文化です。 -
イチオシ
インドネシア独立の英雄、ングラ・ライ将軍の像です。インドネシア独立時に活躍した将軍(当時中佐)です。『ダスティ・ングラ・ライ(1917~1946年)』は、バリ島のバドゥン県チャナンサリ村に生まれました。士官学校を優秀な成績で卒業し、インドネシアの独立宣言後に発足した共和国人民治安軍の本部のあるジョグジャカルタに入り、派閥抗争のあった共和国人民治安軍を一つにするために尽力しました。インドネシア独立戦争では、バリ島においてゲリラ戦術で8ヶ月間戦い抜い抜きましたが、オランダ軍とのバドゥン県マルガの戦闘で、人民治安部隊を率い96名が降伏勧告を拒否し、壮絶に戦って玉砕しました。この中には、12名の元日本兵がいました。(ウィキペディア)、その後の調査や元日本兵、元バリ兵の証言などで、更に詳しいことが分かっています。
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インドネシア独立の英雄、ングラ・ライ将軍について紹介の続きです。グスティ・ングラ・ライは、デンパサール国際空港の正式名称ングラ・ライ国際空港としてその名前を残しました。バドゥン県最北の生誕地近くの村の空港からの道路(ングラ・ライ・バイパス)とサヌールからヌサドゥアへの道路の交わる交差点の真ん中にングラ・ライの像があります。バリ島には、複数の像があります。(同上)
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バリ島の古代からの歴史紹介に戻ります。
〇紀元前4~5世紀頃:ジャワ島との交流が盛んになり、政治はジャワ王の影響が強くなり、この頃、ジャワ島を通じヒンドゥ教、仏教がバリ島に伝来しました。
〇8世紀初頭:ヒンドゥ教の高僧ルシ・マリカンディアがアグン山詣でのためバリ島に渡り、その途中チャンプアンに立ち寄り、グヌン・ルバ寺院を建立しました。 -
〇8世紀初頭:ルシ・マリカンディア僧が立ち去った後も、弟子たちがこの地に残り、ウブドの街を作っていきました。アグン山を訪れたルシ・マリカンディアは、その後バンジャールやスバック(水利組合)の基礎を作っていきますが、その後の歴史については、不明な部分が多いとされます。
(注)スバックシステムは、世界遺産の棚田の基礎になっています。 -
〇913年頃:スリ・クサリ・マルデワにより『マルデワ王朝』が興り、バリ島全土を支配します。
〇11世紀頃:マルデワ王朝と東ジャワのクディリ王朝の繋がりが強くなり、多くのジャワ文化がバリ島に伝わります。この頃高僧クトゥランにより、カヤンガン・ティガ(村にある3つのお寺)、家寺などの習慣がバリ島に伝わります。 -
〇1248年:東ジャワのクディリ王朝を滅ぼしたシンガサリ王国にバリ島は征服されますが、8年後そのシンガサリ王朝が滅びたために、再びマルデワ王朝による支配がはじまります。
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〇1342年:シンガサリ王国を滅ぼしたインドネシア最後のヒンドゥー教王国マジャパヒト(マジャパイト)王国がバリ島を征服します。『マルデワ王朝(913~1342年)』は滅び、マジャパヒト王国の影響力が強いゲルゲル王朝が設立され、バリ島は間接的にマジャパヒト王国に支配されます。
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〇16世紀:マジャパヒト王国がイスラム勢力により衰退すると、王国の貴族、僧侶、工芸師などがバリ島に逃げてきました。その事により、ジャワヒンドゥ教の影響が強い現在のバリ・ヒンドゥ文化が確立しました。また、その結果ゲルゲル王朝は他の島から影響を受けないバリ島独自の王国となりました。
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〇16世紀:この頃、ジャワから高僧のダン・ヒャン・ニラハタがバリ島を訪れ、タナロット寺院やウルワツ寺院等を建立しました。
〇1651年(バリ島王国時代):家臣の謀反などにより、ゲルゲル王朝が朝廷をクルンクン(現在のスマラプラ)に遷都、前後して、ゲルゲル王朝の力が衰退し、各地の実権はその土地の貴族、豪族の手に渡ってしまいました。 -
〇17~18世紀(バリ島王国時代):各地の貴族・豪族が独自の王国を乱立し、バリ島には8つの王国ができます。クルンクン王国・カランガッサム王国・ギャニャール王国・バドゥン王国・タバナン王国・バンリ王国・ムングィ王国・ブレレン王国の8石です。ムングイ王国は後に消滅し、残った7つの王国がバリ州の県となりました。
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〇19世紀:オランダによるバリ島植民地化が進み、各地の王家を支配下に置くようになりました。
〇1849年:ブレレン王国ププタン(※)
〇1906年9月20日:バドゥン王国ププタン(※)
〇1908年4月20日:クルンクン王国ププタン(※) -
これにより、すべての王国はオランダ軍の支配下となり、オランダはバリ島全土を植民地としました。
〇1920年:オランダ王立郵便船会社の定期船がシガラジャ港に就航し、バリ島がオランダを通じ広くヨーロッパに紹介され、バリ島観光が始まりました。 -
〇20世紀:ウォルター・シュピースやルドルフ・ボネ等多くの芸術家たちがバリ島ウブドに滞在し、西洋文化と融合したウブド芸術が確立していきます。
〇ププタン:ここで、先ほどの年表に記された、『ププタン』について説明しておきます。『ププタン』とは、バリ語の『終焉(Puput)』を語源とする『血の最後の一滴まで、敵に対して抵抗すること』と言われる、重たい言葉です。(続きます) -
イチオシ
〇ププタン:オランダ軍がバリ島を植民地化するために、各王国を攻撃した際、圧倒的武力差があるなか、いくつかのバリ島王族は降伏を選ばず、このププタンを選びました。銃器を持った多くのオランダ軍に囲まれた王族たちは、王族ゆかりの寺院で神への祈りを済ませると、王宮(プリ)に火を放ちました。老人や病人はクリス(聖剣)で自害したと伝わります。(続く)
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〇ププタン:燃え盛る王宮を後に、綺麗に着飾った王は御輿に乗り、ガムランの音が鳴り響く中、王宮の門からオランダ軍の前に行進を行います。その後ろには、重臣や婦女子たちが続きました。制止の命令を全く聞かず、近づいてくる行軍に恐怖を覚えたオランダ軍は、銃弾を行進する王たちに浴びせました。(続く)
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〇ププタン:次々と倒れる人々を乗り越え、さらに行進は続き、オランダ軍の銃撃は行進に参加したすべての人々が倒れるまで続きました。この惨劇を『ププタン=死の行進』と人々は伝えました。
ブレレン王国、バドゥン王国、クルンクン王国の王族たちは、このププタンにより全員殉死し、オランダ軍はバリ島全土を支配下に置きました。(続く) -
〇ププタン:しかし、無抵抗な王たちを圧倒的な武力で皆殺しにしたオランダ軍の行為は、世界的に非難を浴びました。オランダはバリ島を植民地化したにもかかわらず、バリ島の伝統文化を保全する政策を取ることになりました。
デンパサールにあるププタン広場は、バドゥン王国のププタンの現場であり、記念碑が建っています。(続く) -
〇ププタン:また、クルンクンのスマラプラ宮殿横には、クルンクン王国のププタン記念碑があり、内部にはププタンの様子が描かれたジオラマがあります。現地を訪れた際はぜひ立ち寄りたいものです。:バリ島旅行アドバイザー:とりいただし氏、(ププタンの説明終わり)
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次に紹介するのは、インドネシアの第二次世界大戦と独立時の出来事です。
〇1942年2月:日本軍がバリ島侵攻を開始し、バリ島沖海戦を経て、僅か20日間でバリ島にいたオランダ軍は全面降伏、日本軍によるバリ島統治が始まります。
〇1944年9月:当時の日本国。小磯首相が、インドネシアに対する将来の独立容認を謳った、いわゆる『小磯声明』を発令し、これにより独立運動が活発化。(続く) -
〇1945年4月:スカルノ氏(後、初代大統領)がバリ島来島、インドネシア独立に向け演説を行い、バリ島内にも独立の気運が高まりました。
〇1945年8月:スカルノ氏がジャカルタでインドネシア共和国の独立を宣言。
〇1946年3月:再び植民地化を狙うオランダ軍がバリ島に上陸し、各地でゲリラ戦が勃発します。(続く) -
〇1946年11月20日:バリ島西部のマルガ(現タバナン県)で、『イ・グスティ・ングラ・ライ中佐』が率いる義勇軍94名がオランダ軍との戦いで全滅。この義勇軍には、旧日本軍の残留兵士も加勢していて、この事もあってバリ人の対日感情は良好と言われます。全滅については異説もあります。(続く)
(注)義勇軍参加の元日本兵の遺族達は、今も慰霊式典に招待されています。 -
〇ングラ・ライ中佐はバリ島では英雄とされ、国際空港やバイパスにその名前が冠され、旧Rp50,000札の肖像にもなっています。
〇マルガにある英雄墓地には、独立戦争で戦死した人々1,372名が埋葬され、その中には、義勇軍に加勢した12名の旧日本軍兵も埋葬されています。
〇1946年12月:ゲリラ戦を鎮圧したオランダはバリ島を親オランダの『東インドネシア国』帰属の自治地域として間接統治を行うようになりましたが、その後も、各地で反オランダ勢力とのゲリラ戦が起こりました。(独立前後の歴史紹介はお終いです) -
最後に、リゾート地としてのバリ島の出来事を少しだけ紹介します。
〇1966年:サヌールに日本の敗戦賠償金によりバリ・ビーチ・ホテル開業。
〇1967年:ングラ・ライ国際空港開港。
〇1983年:ヌサドゥアにパッケージ型高級リゾートを開発する政策により、ヌサドゥア・ビーチホテル開業。(以上です) -
休憩と買い物を兼ねて、立ち寄ったお店の紹介です。その敷地内にあった小さな洞に飾られた、お供え物の光景です。お供え物の風習は、17年前のバリ島旅行でも印象に残った一つでした。今も守られている、ヒンドゥ教の教えに基づくようです。ところで、インドネシア独立戦に参加した元日本兵の離隊の言葉です。
〇敢えて大命に抗して、独自の行動に出でんとす
言うなかれ 敗戦の弱輩 天下に用無しと
〇生を期して米英の走狗たらんよりは 微衷に殉じて火に寄る虫とならん
〇天道は正義に拠る 世界史の赴くところ 叉正義に有非ずして何ぞ?
〇敢えて不遜の行動に出ずるゆえん 願わくばご容赦あらんことを 戦友諸君(残留日本兵の証言) -
親鳥は籠の外にいて、自由の身でした。
〇先ほど紹介した言葉は、インドネシア独立戦に参加した宮山継夫氏の『離隊の言葉』(昭和20年12月9日)です。宮山氏は東京帝大卒ですが、将校にならず兵で通した気概を持つ人でした。戦友宛にインドネシア独立のためにインドネシア軍に加担する意義を激白したものです。当時は30歳の青年でした。(同上) -
イチオシ
ひな鳥は、鳥籠の中に入れられていました。
〇宮山継夫氏は、独立戦争を生き残り、戦後の1952年、北部スマトラより、第一回の帰国団で日本に帰国しています。日本帰国後、北スマトラ石油開発株式会の役員として、再度インドネシアに来ています。氏は、1988年9月、68歳で死去しましたが、この『離隊の言葉』は、東京の自宅に残されていたものです。(同上) -
立寄ったお土産店の店内光景です。この後、展示品も個別に紹介します。買い物もしましたので、写真撮影もOkでした。魅力的な品で溢れていました。今回も少しだけ記念品を買い求めました。
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