2012/12/14 - 2012/12/19
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異国情緒が漂うマラッカのオランダ広場などの紹介です。最後にサンチャゴ砦を見学してプトラジャヤに戻りましたが、その帰路では激しいスコールに見舞われました。見学中でしたら、傘もまったく役立たないような降り方でした。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)
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再度紹介する、オランダ広場の光景です。一度紹介したオランダ広場の建物ですが、ズームアップ光景等を含めて、もう一度紹介します。写真は、オランダ広場の象徴的な建物、1753年にオランダによって建設されたプロテスタント系のキリスト教会です。(同上)
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すでに紹介しましたが、ズームアップで紹介するオランダ広場の噴水の光景です。イギリス統治時代になった19世紀に、イギリスによって造られた噴水とされます。正式な名前かどうか分かりませんが、『ヴィクトリア女王噴水』の呼び名もあるようでした。(同上)
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『ヴィクトリア女王噴水』の下部のズームアップ光景です。『ヴィクトリア女王(1819年~1901年)』は、19世紀に大英帝国が最も繁栄していた、ハノーヴァー朝時代の第6代女王(在位:1837~1901年)です。(同上)
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イチオシ
この建物もすでに紹介しましたが、『時計台』です。プラナカン豪商のタン・ベン・スィ氏が、亡くなった父親の「タン・キム・セン氏」に弔意をこめて1886年に建立された時計台です。1982年改修の際、日本の「セイコー」が1982年8月31日の独立記念日に寄付した時計が使われていますが、メンテナンスを巡っての指摘もされているようです。(同上)
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オランダ広場の花壇の光景です。色とりどりの花が咲き競っていました。背丈が揃った低めの草花で揃えてありました。(同上)
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石碑のようですが説明文の文字が読み取れませんでした。生存年らしい(1143~1185)や、文中に1139年らしい表示もありました。赤い塗装がありますが、かなり古いもののようです。(同上)
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オランダ広場に建つ、『スタダイス』と呼ばれる建物の出入口光景になるようです。地元では広場の名前としても使われているようです。(同上)
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ネット情報によれば、無料で入場できる『建築博物館』のようでした。丘の上には、セントポール寺院がありますが、今回は見学する時間がありませんでした。(同上)
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手前が『建築博物館』、その先に見えるのがムラカ・イスラム博物館』の建物光景です。いずれも、時間の都合で、外観だけの見学になりました。(同上)
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イチオシ
外観だけの見学のイスラム教がテーマの博物館の『ムラカ・イスラム博物館』の光景です。紹介文には、『この美術館は、単にイスラム教に関する文書や人工物を展示するだけでなく、どのようにイスラム教がマラッカに伝わったか、どのようにイスラム教が国全体に広まっていったかを研究するセンターとしても貢献している。』、と紹介されていました。(同上)
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『ホウオウボク(鳳凰木)』の赤い花の光景です。花の美しさで知られる、マメ科ホウオウボク属の落葉高木です。原産は、マダガスカルです。一見してすぐに分かるマメ科の葉の形です。(同上)
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見事な大木だった、『ホウオウボク(鳳凰木)』の根元の光景です。『ホウオウジュ(鳳凰樹)』と呼ぶことも多いようです。英名が不死鳥に因む『フェニックス・ツリー』です。(同上)
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マラッカにある『サンチャゴ砦』の遺跡光景です。大航海時代、東西貿易の要衝であったマラッカの歴史は、列強による支配の歴史ヲ持ちます。マラッカは、1511年からポルトガル、1641年からはオランダ、そして1795年からはイギリスの占領下に置かれました。1511年、ポルトガルの統治が始まると同時に建設されたのが、このサンチャゴ砦です(トラベルJP)。(同上)
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『サンチャゴ』は、スペイン語・ポルトガル語で、聖ヤコブに因む名前とされます。そのサンチャゴ砦の正式名は『ファモサ要塞』です。ポルトガル軍によってこの砦が築かれた当時、このすぐ側までマラッカ海峡の海が広がっていて、敵からの攻撃を防ぐ最前線としての機能を持っていました。『サンチャゴ砦』は、セントポールの丘の麓に位置します。(同上)
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当時のポルトガルにとっての『敵』は、主にオランダでした。海上交易の要衝として、マラッカの地は列強にとって垂涎の的でしたから、各国の攻防の地となりました。オランダとの戦いに備えて建造された石造りのサンチャゴ砦の堅牢要塞の前には、ポルトガル軍によって造られた大砲が備えられました。そのレプリカのようです。(同上)
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イチオシ
ポルトガル植民地時代、マラッカ海峡から攻めて来る敵の侵攻に備えた砦が4カ所に設置されていましたが、現存するのはサンチャゴ砦のみです。今も残される堅牢な要塞は、往時の威光が窺える貴重な歴史遺産です。トンネル入口の上部に刻まれたレリーフ装飾は、砦を作ったポルトガルではなく、奪ったオランダによるものです。砦正面に刻まれた、歴史を感じさせる彫刻には、宣教師と兵士、船が描かれています。(同上)
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名残惜しく、もう一度振り返って撮影した『サンチャゴ砦』の光景です。この砦が今日まで残ったエピソードの紹介です。1795年に英国が防衛上必要のなくなった砦を破壊するため爆薬をセットし破壊される寸前、スタンフォード・ラッフルズ卿が『この建造物は、偉大な開拓者の英知を後世に伝える貴重な資料だ!』と力説し、爆破が中止されました。(以上)(同上)
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『スタンフォード・ラッフルズ卿(1781~1826年)は、イギリスの植民地行政官で、シンガポールの創設者です。マレー半島南端の島シンガポールの地政学上の重要性に着目し、ジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得しました。動物学、歴史学など、当時の諸科学に多大な興味を寄せた人とされます。(同上)
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『独立宣言記念館』の建物光景です。『英領植民地時代の1912年にイギリス人将校らの社交組織『マラッカ倶楽部』タウンハウスとして建てられたコロニアル様式のビルを独立記念博物館として公開しています。大英帝国の植民地からの開放、マラヤ連邦独立に関する歴史と文化の展示物を一般に公開している博物館です。』(マラッカの美術館と博物館ガイド)(同上)
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これでマラッカの見学はお終いです。先程の『独立宣言記念館』の説明文には、『旧日本軍による3年半の占領期の資料もあります。昭和16年12月8日未明、真珠湾攻撃に先駆けてマレー半島コタバルに上陸を開始し、わずか2ヶ月半でシンガポールを陥落させた山下将軍の絵画も展示されています。』とも紹介されていました。(同上)
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プトラジャのホテルに戻る途中の光景です。車中ですから、影響は少ないですが、激しいスコールに見舞われました。前回の2007年の時も雷雨を伴う激しいスコールに見舞われました。フィリピンのマニラ旅行の時は、午後の時間帯で、毎日スコールがあった記憶です。(同上)
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前回旅行の2007年のスコールの時に比べれば、今日の方がまだ穏やかでした。前回は10~20秒間隔で、落雷や雲間放電を繰り返していました。日本で普通に経験する雷よりは、エネルギー豊富なようでした。(同上)
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激しかったスコールでしたが、あっという間に止みました。2007年の旅行の時には、徐行運転でないと走れないくらい視界が悪化しましたが、今回は、スピードを落とす程度での走行ができました。(同上)
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白色と、紫色の花が並んで咲いていました。紫の花には、半の縁に刻みがありませんが、白い花には刻みがありましたので、二種の花のようです。スコールが止んだ後の小休止の時に撮影しました。(同上)
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日本では見掛けたことがない、五弁の黄色とオレンジの花が同じ株に咲いていました。水平に開ききった五弁の花でした。花の名前は特定出来ていません。(同上)
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今日の昼食は、マラッカでのニョニャ料理でした。ニョニャ料理は、中国の料理方法にマレー料理を融合させたものとされますが、夕食も良く似た煮込み料理でした。旅行計画書には『中華料理』と紹介されていた、この日の夕食です。(同上)
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同じく、この日の夕食の紹介です。鶏肉を沢山使った、此方も煮込み料理でした。味ではかなり違っていましたが、見た目にはほとんど区別が付きませんでした。(同上)
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プトラジャで三泊したホテルの紹介です。浴室の光景です。申し分のない設備と広さのホテルでした。さすがに、マレーシアの行政新首都として開発中の連邦直轄領に建てられたホテルです。(同上)
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大小と硬軟の組み合わせで、四つの枕が置いてありましたので、一つだけを残して、あとの三つはこちらのソファーに片付けておきました。(同上)
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二連泊したホテルを引き払って。明日は、午前中にクアラルンプール市内を見学した後、マレー鉄道でキャメロン・ハイランド方面に向かいます。今晩の内に荷物を纏めておくことにしました。快適に過ごせたホテルでした。(同上)
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