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世界文化遺産に登録されているマラッカの街並み光景の紹介です。下街には道教寺院やお土産店などに、華僑文化らしい、濃い中国文化が残されていました。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)<br />

2012暮、マレーシア旅行記2(6/32):12月15日(4):マラッカ、世界遺産の旧市街、骨董品街、青雲亭

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2012/12/14 - 2012/12/19

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旅人のくまさん

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世界文化遺産に登録されているマラッカの街並み光景の紹介です。下街には道教寺院やお土産店などに、華僑文化らしい、濃い中国文化が残されていました。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)

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  • 『慈済無私』の扁額があった周りの光景です。中華風の赤ちょうちんなどの飾りなどがありました。先程『古色蒼然』と表現した壁面の装飾は、意外と新しいものに見えました。『慈済無私』の手前にも、『道』で始まる扁額がありましたが、読み取れませんでした。(同上)

    イチオシ

    『慈済無私』の扁額があった周りの光景です。中華風の赤ちょうちんなどの飾りなどがありました。先程『古色蒼然』と表現した壁面の装飾は、意外と新しいものに見えました。『慈済無私』の手前にも、『道』で始まる扁額がありましたが、読み取れませんでした。(同上)

  • 1645年代建立のマレーシア最古の中国寺院とされる『青雲亭』の紹介です。『慈済無私』の金文字が記された扁額の光景です。古色蒼然とした飾りが一面にあった建物の入口光景です。開け放たれた扉から、中の様子も眺められました。『慈済』とは、『慈悲為懐、済世救人』(慈悲を懐にいだき、世を救済し人々を助ける)という意味とされます。また、『無私』は、私心のないことを意味します。(同上)

    1645年代建立のマレーシア最古の中国寺院とされる『青雲亭』の紹介です。『慈済無私』の金文字が記された扁額の光景です。古色蒼然とした飾りが一面にあった建物の入口光景です。開け放たれた扉から、中の様子も眺められました。『慈済』とは、『慈悲為懐、済世救人』(慈悲を懐にいだき、世を救済し人々を助ける)という意味とされます。また、『無私』は、私心のないことを意味します。(同上)

  • これまで目にした記憶がない花でした。まるで大きなトウガラシのような花の姿でした。その花のところで頃には、本当の花が姿を現し始めていました。想像ですが、『コエビソウ(小海老草)』のような咲き方のようにも見えました。キツネノマゴ科の植物で、『ペロペロネ』の呼び名もあります。(同上)

    これまで目にした記憶がない花でした。まるで大きなトウガラシのような花の姿でした。その花のところで頃には、本当の花が姿を現し始めていました。想像ですが、『コエビソウ(小海老草)』のような咲き方のようにも見えました。キツネノマゴ科の植物で、『ペロペロネ』の呼び名もあります。(同上)

  • 壁際に古い碑が立ち並んだ小部屋の光景です。正面左の碑には、『甲必丹李公』で始まり、『碑』で締め括られた金文字がありましたから、顕彰碑のようでした。『甲必丹』は、中国語の『カピタン(指導者)』の意味のようでした。インドネシアとマレーシアが、ポルトガルとオランダの植民地時代に導入された制度のようです。外国人の首長制度は、ビジネス、生計、または定住のために来た華人指導者を駐在員のリーダーとして任命していました。(同上)

    壁際に古い碑が立ち並んだ小部屋の光景です。正面左の碑には、『甲必丹李公』で始まり、『碑』で締め括られた金文字がありましたから、顕彰碑のようでした。『甲必丹』は、中国語の『カピタン(指導者)』の意味のようでした。インドネシアとマレーシアが、ポルトガルとオランダの植民地時代に導入された制度のようです。外国人の首長制度は、ビジネス、生計、または定住のために来た華人指導者を駐在員のリーダーとして任命していました。(同上)

  • 『護法永安』の扁額があった祭壇の光景です。この建物は、2007年9月の旅行の時にも紹介しました。この扁額の『法』は法律とは異なり、仏教での真理、仏の教えを意味する言葉とされます。護法のほか、法会(ほうえ)、法灯、法話、正法(しょうぼう)、説法、伝法、仏法や妙法などの使い方もされます。(同上)

    『護法永安』の扁額があった祭壇の光景です。この建物は、2007年9月の旅行の時にも紹介しました。この扁額の『法』は法律とは異なり、仏教での真理、仏の教えを意味する言葉とされます。護法のほか、法会(ほうえ)、法灯、法話、正法(しょうぼう)、説法、伝法、仏法や妙法などの使い方もされます。(同上)

  • 名前:『ヘリコリア』<br />分類:オウムバナ科オウムバナ属<br />分布:マレーシア、シンガポール、フィリピン、沖縄に分布します。<br />その他:ヘリコリアは、花茎が立ち上がり「鳥のクチバシ」の様な苞をつけるタイプと、「ロブスターの爪」の様な苞が垂れ下がるハンギングタイプに分けられます。(同上)<br />

    名前:『ヘリコリア』
    分類:オウムバナ科オウムバナ属
    分布:マレーシア、シンガポール、フィリピン、沖縄に分布します。
    その他:ヘリコリアは、花茎が立ち上がり「鳥のクチバシ」の様な苞をつけるタイプと、「ロブスターの爪」の様な苞が垂れ下がるハンギングタイプに分けられます。(同上)

  • 賑やかにお参りしていた地元の若い女性の方達です。ここからは『青雲亭』の紹介です。『青雲亭(中国読み:チェン・フン・テン)』は、明の武将で海軍提督の『鄭和(1371~1374年)』の功績を讃えて建立されました。軍功を挙げて永楽帝に重用され、南海への計7度の大航海の指揮を委ねられました。その船団は東南アジア、インド、セイロン島からアラビア半島、アフリカに及びました(トラベルガイド)。(同上)

    賑やかにお参りしていた地元の若い女性の方達です。ここからは『青雲亭』の紹介です。『青雲亭(中国読み:チェン・フン・テン)』は、明の武将で海軍提督の『鄭和(1371~1374年)』の功績を讃えて建立されました。軍功を挙げて永楽帝に重用され、南海への計7度の大航海の指揮を委ねられました。その船団は東南アジア、インド、セイロン島からアラビア半島、アフリカに及びました(トラベルガイド)。(同上)

  • 『青雲亭』は、儒教、タオイズム、観音菩薩、現世利益を願う中国仏教が混合しているありがたいお寺とも呼ばれます。中央は心を穏やかに護る観音菩薩、右には正義と平和を司る仏様、左は海運を司る仏様が祀られています。御本尊は、観音菩薩です。(同上)

    『青雲亭』は、儒教、タオイズム、観音菩薩、現世利益を願う中国仏教が混合しているありがたいお寺とも呼ばれます。中央は心を穏やかに護る観音菩薩、右には正義と平和を司る仏様、左は海運を司る仏様が祀られています。御本尊は、観音菩薩です。(同上)

  • 青雲亭の建物は、中国南部の建築様式で風水の原則に従って配置されています。屋根には陶器で出来た繊細で美しい装飾が施されています。本堂内部は漆塗りで調度品も含め絢爛豪華。建材はすべて中国から運ばれたものです。写真は、通路脇のような場所に設けられた。賑やかな飾りです。(同上)

    イチオシ

    青雲亭の建物は、中国南部の建築様式で風水の原則に従って配置されています。屋根には陶器で出来た繊細で美しい装飾が施されています。本堂内部は漆塗りで調度品も含め絢爛豪華。建材はすべて中国から運ばれたものです。写真は、通路脇のような場所に設けられた。賑やかな飾りです。(同上)

  • 明の武将で海軍提督だった『鄭和』は、本姓は馬、初名は三保(三宝)で、宦官の最高位である太監だったことから、中国では『三保太監』あるいは『三宝太監』の通称で知られます。鄭和は、中国を代表する『海の英雄』ですから、艦船や島嶼などを中心にその名が付けられたものが多数存在します。鄭和については、後ほど詳しく紹介します。(同上)

    明の武将で海軍提督だった『鄭和』は、本姓は馬、初名は三保(三宝)で、宦官の最高位である太監だったことから、中国では『三保太監』あるいは『三宝太監』の通称で知られます。鄭和は、中国を代表する『海の英雄』ですから、艦船や島嶼などを中心にその名が付けられたものが多数存在します。鄭和については、後ほど詳しく紹介します。(同上)

  • また、本堂の右奥、他の神様の下にひっそりと地蔵のような珍しいトラの神様が祀られています。中国文化ではトラは尊い存在で、『野獣の王』として敬われています。悪事を取り去ってくれる(食べてくれる)、事故を未然に防いでくれる、泣く赤ちゃんをなだめてくれる、仕事の成功の手助けなどのご利益があると信じられているようです。(同上)

    また、本堂の右奥、他の神様の下にひっそりと地蔵のような珍しいトラの神様が祀られています。中国文化ではトラは尊い存在で、『野獣の王』として敬われています。悪事を取り去ってくれる(食べてくれる)、事故を未然に防いでくれる、泣く赤ちゃんをなだめてくれる、仕事の成功の手助けなどのご利益があると信じられているようです。(同上)

  • 右から読んで、『祖印重光』の金文字の扁額が掛かった祭壇の光景です。『祖印』は、『同じ師匠の教えを汲む者(玄侑宗久公式サイト)』の意味があるようです。『重光』とは、『光が重なること。重なった光』の意味とされ、勲章名などに使われています。中央上部に、その『祖印』と呼ばれる金銅像が置かれているようです。(同上)

    右から読んで、『祖印重光』の金文字の扁額が掛かった祭壇の光景です。『祖印』は、『同じ師匠の教えを汲む者(玄侑宗久公式サイト)』の意味があるようです。『重光』とは、『光が重なること。重なった光』の意味とされ、勲章名などに使われています。中央上部に、その『祖印』と呼ばれる金銅像が置かれているようです。(同上)

  • 『憧引皈依』らしい文字が記された扁額の光景です。『憧引』は、『憧れ、引かれる』意味のようです。『皈依』は、『帰依する』意味と同じようです。中央に、道教の神様らしい髭の長い人がいました。髭が立派な道教の神様では、『関羽(かんう)』が最初に思い浮かびます。中国では『財神』として祀られています。(同上)

    『憧引皈依』らしい文字が記された扁額の光景です。『憧引』は、『憧れ、引かれる』意味のようです。『皈依』は、『帰依する』意味と同じようです。中央に、道教の神様らしい髭の長い人がいました。髭が立派な道教の神様では、『関羽(かんう)』が最初に思い浮かびます。中国では『財神』として祀られています。(同上)

  • 夥しい位牌が祀られた部屋のようです。参拝のための大きな線香立てが、部屋の中央に置かれていました。マラッカと、青雲亭の歴史を物語っているようでした。仏教や道教の華僑の人達を祀る位牌のようでした。中国の位牌は、故人の戒名や法号を記した板で、儒教にルーツを持っているようです。(同上)

    夥しい位牌が祀られた部屋のようです。参拝のための大きな線香立てが、部屋の中央に置かれていました。マラッカと、青雲亭の歴史を物語っているようでした。仏教や道教の華僑の人達を祀る位牌のようでした。中国の位牌は、故人の戒名や法号を記した板で、儒教にルーツを持っているようです。(同上)

  • 正面右側の顕彰碑の上部には、『曽公徳頌碑』の文字が、左側の顕彰碑には『重興青雲亭碑記』の題字がありました。右側が地元で功績のあった方の顕彰碑、左側は青雲亭が再興された時のいきさつを記した碑のようでした。(同上)

    正面右側の顕彰碑の上部には、『曽公徳頌碑』の文字が、左側の顕彰碑には『重興青雲亭碑記』の題字がありました。右側が地元で功績のあった方の顕彰碑、左側は青雲亭が再興された時のいきさつを記した碑のようでした。(同上)

  • 『青雲亭』の扁額が掛かった入り口の左右の揮毫の紹介です。右側には『青蓮開佛国:せいれん・ぶっこくをひらく』、左側には『雲雨潤蒼生:うんう・そうせいをうるおす』の文字がありました。右側が『佛・菩薩の目を通して、佛の国を開く』の意味、左側が『雲雨のように、人々を潤す』の意味のようです。(同上)

    『青雲亭』の扁額が掛かった入り口の左右の揮毫の紹介です。右側には『青蓮開佛国:せいれん・ぶっこくをひらく』、左側には『雲雨潤蒼生:うんう・そうせいをうるおす』の文字がありました。右側が『佛・菩薩の目を通して、佛の国を開く』の意味、左側が『雲雨のように、人々を潤す』の意味のようです。(同上)

  • 右から読んで『雲山第一』らしい文字が記された扁額の光景です。マレーシアの山を指したものか、華僑の人の故郷の中国の山を湛えたものか、判断が付きませんでした。落款が読み取れれば、ヒントになったかも知れません。(同上)

    右から読んで『雲山第一』らしい文字が記された扁額の光景です。マレーシアの山を指したものか、華僑の人の故郷の中国の山を湛えたものか、判断が付きませんでした。落款が読み取れれば、ヒントになったかも知れません。(同上)

  • 右から読んで『慧眼観世』の金文字が記された扁額の光景です。『慧眼』は、『物事の本質を鋭く見抜く洞察力(コンバクト)』、『観世』は、推測も入りますが、『観世音菩薩(観音菩薩)』の略字として用いられているようでした。(同上)

    右から読んで『慧眼観世』の金文字が記された扁額の光景です。『慧眼』は、『物事の本質を鋭く見抜く洞察力(コンバクト)』、『観世』は、推測も入りますが、『観世音菩薩(観音菩薩)』の略字として用いられているようでした。(同上)

  • 先程の『慧眼観世』の扁額の後ろの部分のズームアップ光景です。こちらには『救世婆心』の扁額があり、道教の神様らしい若い女性の像がありました。道教の若い女性の神様ですと、『媽祖(まそ)』が有名です。親しみを込めて『媽祖婆』とも呼ばれますから、此方の扁額の文字とも一致します。その背後に、観音菩薩像らしい像もありました。(同上)

    イチオシ

    先程の『慧眼観世』の扁額の後ろの部分のズームアップ光景です。こちらには『救世婆心』の扁額があり、道教の神様らしい若い女性の像がありました。道教の若い女性の神様ですと、『媽祖(まそ)』が有名です。親しみを込めて『媽祖婆』とも呼ばれますから、此方の扁額の文字とも一致します。その背後に、観音菩薩像らしい像もありました。(同上)

  • 内側から眺めた、青雲亭の出入口門の光景です。建物の屋根飾りも見応えがありましたが、ゆっくりと撮影する余裕がありませんでした。透かし窓なども、中国建築の特徴を現わしているようでした。(同上)

    内側から眺めた、青雲亭の出入口門の光景です。建物の屋根飾りも見応えがありましたが、ゆっくりと撮影する余裕がありませんでした。透かし窓なども、中国建築の特徴を現わしているようでした。(同上)

  • 前回旅行の時にも紹介した、赤漆で仕上げがされた狛犬(獅子像)です。朱の漆の上に金泥での装飾も施されていました。なぜか、お坊さんのように、頭を剃り上げた狛犬でした。日本風の分類でいえば、口を開けた阿形の狛犬、あるいは獅子です。手にしているのは、模様が入った玉のようです。(同上)

    前回旅行の時にも紹介した、赤漆で仕上げがされた狛犬(獅子像)です。朱の漆の上に金泥での装飾も施されていました。なぜか、お坊さんのように、頭を剃り上げた狛犬でした。日本風の分類でいえば、口を開けた阿形の狛犬、あるいは獅子です。手にしているのは、模様が入った玉のようです。(同上)

  • こちらは、大きな口を閉じた、吽形の狛犬です。お揃いの頭をしていました。こちらの雌獅子も手に何か持っているように見えましたが、判然としませんでした。(同上)

    こちらは、大きな口を閉じた、吽形の狛犬です。お揃いの頭をしていました。こちらの雌獅子も手に何か持っているように見えましたが、判然としませんでした。(同上)

  • 道教の神様が祀られているような雰囲気の部屋の紹介です、部屋の中央に線香立てがあり、その奥に三体の神様らしい像などが並んでいました。右手前の柱には『海南潮見賢勲猷』等の文字が、左手前の柱には、『州居郷情』で始まる文字が読み取れました。

    道教の神様が祀られているような雰囲気の部屋の紹介です、部屋の中央に線香立てがあり、その奥に三体の神様らしい像などが並んでいました。右手前の柱には『海南潮見賢勲猷』等の文字が、左手前の柱には、『州居郷情』で始まる文字が読み取れました。

  • 左から読んで、『海南会館』の文字が記された扁額の光景です。チャイナタウン・中華街には地縁、血縁、業縁による組織があり、その集会場が會館(中華會館)です。中国の海南省、海南市は、中国最南部に位置する、海南島と付属の島嶼からなり、省都は海口市です。(同上)

    左から読んで、『海南会館』の文字が記された扁額の光景です。チャイナタウン・中華街には地縁、血縁、業縁による組織があり、その集会場が會館(中華會館)です。中国の海南省、海南市は、中国最南部に位置する、海南島と付属の島嶼からなり、省都は海口市です。(同上)

  • こちらは右から読んで、『雷州会館』の文字が記された扁額が掛かった出入り口光景です。『雷州(らいしゅう)』は、中国にかつて存在した州で、唐代から元初にかけて、現在の広東省雷州市一帯に設置されました。清朝のとき、雷州府は広東省に属し、海康・遂渓・徐聞の3県を管轄し、1913年に中華民国により雷州府は廃止されました。(同上)

    こちらは右から読んで、『雷州会館』の文字が記された扁額が掛かった出入り口光景です。『雷州(らいしゅう)』は、中国にかつて存在した州で、唐代から元初にかけて、現在の広東省雷州市一帯に設置されました。清朝のとき、雷州府は広東省に属し、海康・遂渓・徐聞の3県を管轄し、1913年に中華民国により雷州府は廃止されました。(同上)

  • 保留していた、『鄭和』の紹介です。宣光元年(1371年)に中慶路昆陽州宝山郷(現在の雲南省昆明市晋寧区)でムスリムの次男として生まれました。本姓の『馬』はサイイド(預言者ムハンマドの子孫)であることを示し、滇陽侯だった父の名は「米里金」とされますが『馬哈只』の名で知られていました。(同上)

    保留していた、『鄭和』の紹介です。宣光元年(1371年)に中慶路昆陽州宝山郷(現在の雲南省昆明市晋寧区)でムスリムの次男として生まれました。本姓の『馬』はサイイド(預言者ムハンマドの子孫)であることを示し、滇陽侯だった父の名は「米里金」とされますが『馬哈只』の名で知られていました。(同上)

  • 鄭和は、チンギス・ハーンの中央アジア遠征のときモンゴル帝国に帰順し、元の世祖(初代皇帝)の治世に雲南平章政事として雲南の発展に尽力した、『サイイド・アジャッル・シャムスッディーン・ウマル』の来孫(5親等の直系親族)、第二代皇帝の『成宗(在位:(1294~1307年))の治世に中書平章政事を務めた『サイイド・アジャッル・バヤン』の曾孫に当たります。鄭和がムスリムの出だったことは、後に永楽帝が鄭和を航海の長として使おうと考えた理由の一つだと考えられています。馬三保が生まれた年には、既に漢地は洪武帝の建てた明のほぼ支配下にあり、元は梁王国の拠る雲南など数か所で勢力を保つのみでした(続く)。(同上)

    鄭和は、チンギス・ハーンの中央アジア遠征のときモンゴル帝国に帰順し、元の世祖(初代皇帝)の治世に雲南平章政事として雲南の発展に尽力した、『サイイド・アジャッル・シャムスッディーン・ウマル』の来孫(5親等の直系親族)、第二代皇帝の『成宗(在位:(1294~1307年))の治世に中書平章政事を務めた『サイイド・アジャッル・バヤン』の曾孫に当たります。鄭和がムスリムの出だったことは、後に永楽帝が鄭和を航海の長として使おうと考えた理由の一つだと考えられています。馬三保が生まれた年には、既に漢地は洪武帝の建てた明のほぼ支配下にあり、元は梁王国の拠る雲南など数か所で勢力を保つのみでした(続く)。(同上)

  • 天元3年(1381年)、馬三保が10歳の時に明は雲南攻略の軍を起こし、翌天元4年(1382年)に梁王国は滅亡しました。父を殺された馬三保は、捕らえられて去勢され、洪武16年(1383年)頃に燕王朱棣(後の永楽帝)に12歳で宦官として献上されました。洪武帝の没後に起きた靖難の変において、馬三保は功績を挙げ、建文帝から帝位を奪取した『朱棣(永楽帝:在位1402~1424年)』より宦官の最高職である太監に任じられました。さらに永楽2年(1404年)には鄭姓を下賜され、以後は鄭和と名乗るようになりました(続く)。(同上)

    天元3年(1381年)、馬三保が10歳の時に明は雲南攻略の軍を起こし、翌天元4年(1382年)に梁王国は滅亡しました。父を殺された馬三保は、捕らえられて去勢され、洪武16年(1383年)頃に燕王朱棣(後の永楽帝)に12歳で宦官として献上されました。洪武帝の没後に起きた靖難の変において、馬三保は功績を挙げ、建文帝から帝位を奪取した『朱棣(永楽帝:在位1402~1424年)』より宦官の最高職である太監に任じられました。さらに永楽2年(1404年)には鄭姓を下賜され、以後は鄭和と名乗るようになりました(続く)。(同上)

  • 鄭和の指揮した船団の中で、最大の船は『宝船(ほうせん)』と呼ばれました。『明史』によれば長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)、8,000t、マスト9本であり、小さく見積もっても長さは約61.2m、1,170トン、マスト6本という巨艦とも言われます。給水艦や食糧艦、輸送艦も艦隊に加わっていたと推測されています。艦隊の参加人員は、ほぼ2万7000人前後です。(続く)

    鄭和の指揮した船団の中で、最大の船は『宝船(ほうせん)』と呼ばれました。『明史』によれば長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)、8,000t、マスト9本であり、小さく見積もっても長さは約61.2m、1,170トン、マスト6本という巨艦とも言われます。給水艦や食糧艦、輸送艦も艦隊に加わっていたと推測されています。艦隊の参加人員は、ほぼ2万7000人前後です。(続く)

  • 鄭和の大航海は、『第1次航海(1405~1407年)』に始まり、『第7次航海(1430~1433年)』まで続きました。第1次から第3次の航海は、中国商船の往来が頻繁であった海域内でしたが、第4次以降は、さらに遠方へと艦隊を進出させ、イスラム商人の海域であるインド洋やアラビア海にも及んでいます(以上)。(同上)

    鄭和の大航海は、『第1次航海(1405~1407年)』に始まり、『第7次航海(1430~1433年)』まで続きました。第1次から第3次の航海は、中国商船の往来が頻繁であった海域内でしたが、第4次以降は、さらに遠方へと艦隊を進出させ、イスラム商人の海域であるインド洋やアラビア海にも及んでいます(以上)。(同上)

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