2012/12/14 - 2012/12/19
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クアラルンプールらマラッカまでは、片道200キロ弱の長丁場です。高速道路は整備されていますが、片道約2時間かかりました。2007年の旅行の時も移動に車を使いました。既に見学した場所ばかりでしたが、ツアーですから、選択の余地はありません。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)
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名前:『ネムノキ(合歓木)』
分類:マメ科ネムノキ属
分布:イラン、アフガニスタン、中国南部、朝鮮半島、日本に分布。
その他:花が終わりかけていました。(同上) -
名前:『ネムノキ(合歓木)』
分類:マメ科ネムノキ属
分布:イラン、アフガニスタン、中国南部、朝鮮半島、日本に分布。
その他:和名のネムノキは、夜になると葉が閉じて眠るように見えることに由来。(同上) -
名前:『サルスベリ(百日紅)』
分類:ミソハギ科サルスベリ属
分布:中国南部原産
その他:花が美しく、耐病性もあり、しばしば庭や公園などに植えられます。(同上) -
クリスマスツリーになった街路樹の光景です。黄色の樹は公孫樹の黄葉に見えましたが、市色も、青色の葉も造り物のようでした。木の葉を青色に飾った姿は、初めて目にしました。珍しい光景ですが、個人的には共感できる光景ではありません。(同上)
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同じく、クリスマスツリーになった街路樹の周りの光景です。レストランの屋外席らしいセットがありました。青い樹の方に立てかけられた看板に『AIK CHEONG』の赤い文字がありましたが、『益昌珈琲』の宣伝のようでした。(同上)
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イチオシ
大砲が見えるマラッカ海峡の光景です。マラッカ海峡は、マレー半島とスマトラ島(インドネシア)を隔てる海峡です。南東端で接続しているシンガポール海峡とあわせて、太平洋とインド洋を結ぶ海上交通上の要衝となっています。2005年における年間の通過船舶数は9万隻を超えています。(同上)
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マラッカ海峡は、タンカー、コンテナ船などの経済的に重要な物資を運ぶ大型貨物船が海峡を行き交っています。そのことから『オイル・ロード』と呼ばれることもあります。経済的・戦略的にみた世界のシーレーンの中でも、スエズ運河、パナマ運河、ホルムズ海峡に並ぶ、重要な航路の一つとされます。(同上)
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マラッカ海峡の全長は約900キロ、幅は65キロないし70キロです。北西側の海峡入口付近では約250キロに広がります。北西方向から南東方向へとつながる細長い海峡です。スンダ陸棚上にあるために平均水深は約25メートルと浅く、岩礁や小さな島、浅瀬が多く、このため大型船舶の可航幅がわずか数キロの箇所もあります。(同上)
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世界で最も船舶航行の多い海域の一つとされ、太平洋の付属海の南シナ海とインド洋の一部のアンダマン海を最短距離で結ぶ主要航路となっています。通過する貨物で最も多いのは、中東産の石油および石油製品です。しかし、シンガポール付近のフィリップス水路は幅が2.8キロと非常に狭く、水深も23メートルしかないため、世界の航路のなかでも有数のボトルネックとなっています。(同上)
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この海峡を通過できる船の最大のサイズは、『マラッカマックス』と呼ばれ、大型タンカーの巨大化を制限する要因の一つとなっています。ケッペンの気候区分では、海域と両岸のほぼ全域が熱帯雨林気候 (Af)に属します。海流は年間を通して南東から北西へ向かって流れます。写真は、今回お世話になった、マレーシアの観光バスです。(同上)
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マラッカ海峡は、通常は波が穏やかですが、北東季節風が発達する季節には、海流が速度を増します。マラッカ海峡に流れ出すおもな河川には、スマトラ島のカンパル川、アサハン川があります。沿岸国は、インドネシア共和国、マレーシアおよびシンガポール共和国があり、タイ王国を沿岸国に含める場合もあります。(同上)
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海運業界では、この海峡付近を『海峡地』と一括して呼称することがあり、主な貿易港にマレー半島側のペナン(ジョージタウン、ペナン州)、ムラカ(英名マラッカ、ムラカ州)、ポートケラン(旧名ポートスウェッテナム、セランゴール州)、シンガポール、スマトラ島側にドゥマイ(リアウ州)などがあり、現代における最大の港湾都市はシンガポールです。(同上)
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海峡の両岸では、天然ゴムの栽培が盛んで、世界的な産地となっています。海峡に臨むマレー半島側の主要都市として、上述の諸都市のほかペナン島のジョージタウン、ペラ州のタイピンなどがあり、インドネシア側にはスマトラ島最大の都市メダン(北スマトラ州)のほか、ドゥマイ、アチェ州のランサ、北スマトラ州のタンジュンバライなどの諸都市があります。(同上)
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クリスマスに向けて盛り上がっていたイベント会場のように見えました。舞舞台の背後には、トナカイとサンタのイラストがありました。イベントのスタッフらしい女性の方達は、お揃いの赤いベストにズボン姿でした。イスラムの国らしく、赤いスカーフも統一されていましたが、このスカーフはジャブやヒジャーブと呼ばれているようです。(同上)
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マラッカ海峡の歴史の紹介です。西暦166年の『大秦王安敦の使者』や4世紀末から5世紀初頭にかけての東晋(中国南北朝時代)の法顕、7世紀後半の義浄、14世紀のイブン・バットゥータ、15世紀の明の鄭和の大遠征など、いずれもこの海峡を利用しました。また、13世紀末の『東方見聞録』の著者マルコ・ポーロもこの海峡を利用し、風待ちのためスマトラ北端のペルラクに5ヶ月間滞在しています。(同上)
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マラッカの市街区域にやって来たようです。マラッカは、『マラッカ海峡の歴史的都市群:ムラカとジョージタウン』の名前で、2008年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。『ムラカ』は、『マラッカ』のことです。1511年、ポルトガルのインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが征服し、東南アジアにおけるポルトガル海上帝国の拠点、ポルトガル領マラッカとしました。(同上)
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ポルトガル時代には、要塞(サンチャゴ砦)やキリスト教会(セントポールチャーチ)が建設され、司令官が常駐していました。イエズス会のフランシスコ・ザビエルは、ここから東アジア布教に出発しています。15世紀、イギリスの支配下にあったマレーシアで、中国から移住して来た人々は、貿易やプランテーションなどで富を築きました。それらの中国人男性は、現地のマレー系の女性と結婚することが多く、二つの文化を融合させた『プラナカン』という独特の文化が生み出しました。(同上)
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昼食の『ニョニャ料理店』の玄関光景です。『惹娘』の漢字の表札が掛かっていました。ニョニャ料理は、プラナカン料理とも呼ばれています。プラナカンとは、15世紀後半からマレー半島にやってきた、主に中華系の移民と、現地の女性との間に生まれた子孫のことを指します(旅行情報メディア・ミルミ)。 (同上)
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ニョニャ料理は、中国の料理方法にマレー料理を融合させたものです。プラナカンの男性を『ババ』、女性を『ニョニャ』と呼び、プラナカン女性が作った料理ということで、『ニョニャ料理』と呼ばれています。ココナッツやスパイスを多用するマレー料理との融合で、エスニックな味わいの煮込み料理が多いのが特徴です。(同上)
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イチオシ
シンガポールのニョニャ料理の代表的なものの紹介です。(同上)
〇Popiah(ポピア):クレープのような薄皮で巻いたソフト春巻きです。
〇Ayam Buah Kelua(アヤム・ブアクルア):チキンとブアクルアの煮込みです。
〇Sambal Udang(サンバル・ウダン):エビのサンバル炒めです。
〇Kueh Pie Tea(クエ・パイティー):帽子の形をした前菜です。 -
話が少し前後しますが、『マラッカ王国(1402頃~1511年)』の紹介です。15世紀から16世紀初頭にかけてマレー半島南岸に栄えたマレー系イスラム港市国家です。漢籍史料では『満剌加』と表記されています。16世紀初頭にマラッカに滞在し、『東方諸国記』を著した、ポルトガル人『トメ・ピレス』によれば、『マラッカ』の語源は『隠れた逃亡者』に由来するとされています。(同上)
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マレー半島という、交易において重要な位置に立地していたことが、国家の形成に多大な影響を与えました。香料貿易の中継港としてインド、中東からイスラム商船が多数来航し、東南アジアにおけるイスラム布教の拠点ともなりました。当初から中国・明王朝の忠実な朝貢国であり、同時期に交易国家として繁栄した琉球王国とも通好がありました(続く)。同上)
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マラッカ王国の建国神話についての紹介です。マラッカ王家の末裔が治めるジョホール王国で編纂された年代記『スジャラ・ムラユ』によれば、マラッカ王室はアレクサンドロス大王の血を引き、インドのチョーラ王国の王ラジャ・チュランと海の王の娘の間の子を祖とします。ラジャ・チュランの三男スリ・トリ・ブワナはパレンバンの王に迎えられ、後にシンガプラ(現在のシンガポール)に移住しました(続く)。(同上)
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彼の曾孫がマラッカに移住して王国を建設したと『スジャラ・ムラユ』は伝えますが、ピレスの『東方諸国記』や中国の史料より、実際の王国の建国者は後述する『パラメスワラ/パラミソラ』と判明しています。『スジャラ・ムラユ』に書かれる『スリ・トリ・ブワナ』から彼の玄孫の五代にわたっての事績は、パラメスワラ一代に起きた事件を5人の人物に託したものとされます(続く)。(同上)
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イチオシ
その後の『マラッカ王国の建設』についての紹介です。14世紀末から15世紀初頭にかけてマジャパヒト王国で起きた内戦(パルグルグ戦争)に巻き込まれた、スマトラ島南部パレンバンのシュリーヴィジャヤ王国の王子パラメスワラが、従者を伴ってマレー半島に逃れたのが王国の起源とされます(続く)。(同上)
*写真は、綺麗に整備された、白壁のマラッカ旧市街(の光景です。 -
当初一行はトゥマシク(シンガプラ、現在のシンガポール)に逃れましたが、トゥマシクは海賊たちが跋扈する危険な地であり、またタイのアユタヤ朝からの攻撃に晒されたためにマレー半島を移動し、15世紀初頭にパレンバン、シンガプラなどに居住する『オラン・スラット』(またはバジャウ)と呼ばれる、マラッカ海峡の海上民の協力を得て村落を造り、集落を『マラッカ』と名付けました(続く)。(同上)
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『マラッカ』の王となったのは、『パラメスワラ』です。マラッカの建国の時期は1402年と推定されることが多いですが、14世紀末に既に王国が成立していた可能性も指摘されています。1405年に明への朝貢を開始し、東西貿易の中継港としての道を歩み始めます。パラメスワラの子『イスカンダル・シャー』は、マレー半島におけるマラッカ王国の支配領域を拡大し始めます(続く)。(同上)
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マラッカ海峡の交易路を確保するために、北スマトラの東海岸に存在するサムドラ・パサイ王国に目を付けますが、当時のマラッカの軍事力はパサイに比べて劣っていました。イスカンダル・シャーは、戦争という手段に訴えず婚姻関係を作る道を選択し、72歳という高齢にもかかわらずパサイの王女を娶りました(続く)。(同上)
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パサイの仲介により、敵対していたマジャパヒトとの関係が良化し、またパサイに住むイスラム教徒のマラッカへの移住も始まりました。イスカンダル・シャーは、周辺地域の海賊、漁師にマラッカへの移住を積極的に勧め、彼の治世の3年目(1416~1417年頃)には人口は2000から6000人に到達しました(続く)。(同上)
*写真は、『紫気』の扁額が掛かった門の光景です。 -
マラッカの発展には、パラメスワラが連れてきたシュリーヴィジャヤの貴族と海上民以外に、明が実施した私貿易の禁止によって東南アジア各地に留まらざるを得なくなった中国人のコミュニティも寄与しました。彼らは明への朝貢貿易を組織し、また中国の造船技術と東南アジア島嶼部本来の造船技術が合わさったジャンク船を建造して海洋交易で活躍しました。(同上)
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