2012/12/14 - 2012/12/19
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旅人のくまさんさん
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キャメロン・ハイランドの見学を終え、ペナン島に向かう途中に立ち寄った、ウブディア・モスクの紹介です。州を納めるスルタンが建造したモスクです。9つの州のスルタンは、持ち回りでマレーシアの王様を務める人達です。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)
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これで、キャメロン・ハイランドとはお別れですが、紹介が足りませんでしたから、ペナン島に向かうあいだに補足の紹介をしておきます。キャメロン・ハイランドについて興味を持ったのは、タイ王国旅行の時でした。タイのシルク王と言われたジム・トンプソンの旧家を見学した時に謎の失踪を知った時でした。(同上)
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ジム・トンプソンこと、『ジェームズ・ハリソン・ウィルソン・トンプソン(1906~1967年?)』は、1906年にアメリカのデラウェア州の裕福な家に生まれ、父が評議員を務めるプリンストン大学を卒業後、ペンシルベニア大学で建築学を学びました。失踪前に暮らしていたのが、バンコクに残るジム・トンプソン・ハウスです。先程旧家と紹介しました。(同上)
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イチオシ
木造のトンプソン・ハウスでしたが、随所に彼の建築家としての工夫が凝らされていました。フリー旅行での旧家見学ですから、旅行前に少し下調べをしたバンコクの見学先の一つでした。シルクを運ぶのに海運を利用したらしく、旧家は運河に面していて、バラストとして使った石像なども目にしました。(同上)
*写真は、ハイランド郊外の岩山光景です。 -
トンプソンは、1931年からニューヨークで建築家として活躍した後、第二次世界大戦にアメリカが参戦する前にアメリカ陸軍に自ら志願して一兵卒として入隊しました。その後、ノースカロライナ州に湾岸防衛歩兵隊の少尉として赴くものの、1942年には上官の誘いを受けてアメリカ軍の諜報機関であるCIAの前身機関であるOSSに転属しました。(同上)
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カリフォルニア州で秘密工作の訓練を受けた後、1944年6月に行われたノルマンディー上陸作戦に従軍し、その後も諜報員としてヨーロッパで活動しました。その後は、1945年5月のドイツ降伏によりヨーロッパ戦線が終結した後も、日本一国でアメリカやイギリス、中華民国などの連合国軍との戦いを続けていました。(同上)
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ドイツ降伏後の1945年6月、シンプソンは日本軍へ対する秘密作戦に従事するため、インドシナ半島に赴きました。しかし、同年8月に日本軍が降伏し、戦争が終結したため、作戦には従事せずに、終戦前に連合国に鞍替えしたタイに留まることになりました。その後、戦略情報局のバンコク支局長に就任しますが、第二次世界大戦の終結により帰国命令を受けました。(同上)
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しかし、アメリカに残る妻と離婚したことなどもあり、タイに残ることを決意し、当時バンコク唯一のヨーロッパ風ホテルとして知られていたオリエンタル・ホテル(現在のジ・オリエンタル・バンコク)の経営に携わった後、当時機械織りによる大量生産の普及などで衰退の一途をたどっていたタイ・シルクに着目しました。(同上)
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私財を投げ打ってタイ・シルクの復興とその売込みに没頭した結果、アメリカのファッション業界を中心に注目を浴び、ハリウッド映画『王様と私』の衣装として使用されるなど、欧米諸国でタイ・シルクの人気が上がりました。その結果、トンプソンはタイ・シルクを復興させた人物として、欧米のみならず世界中で知られることになりました。(同上)
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1967年3月26日に、休暇で訪れていたマレーシアの高級別荘地、キャメロン・ハイランドにあるシンガポール人の友人の別荘「ムーンライト・コテージ」で忽然と姿を消しました。マレーシア軍や警察、現地の住人など数百名を動員した大規模な捜索活動にも拘らず、その姿は二度と発見されることはありませんでした。(同上)
*写真は、剥落が続いていた崖の光景です。 -
失踪当時、トンプソンは自らの名を冠したタイ・シルク製品生産、販売の成功によりアジアだけでなく、アメリカやヨーロッパでも有名になっていただけでなく、失踪当時ベトナム戦争が激化していて、それに伴い東南アジアでも諜報活動が盛んになっていた背景があり、そのことと、事件の関連性も調べられたようです。(同上)
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トンプソン自身が、以前諜報機関に所属し、失踪当時もアメリカなどの諜報関係者と接触を持っていたこと、政変が繰り返されていたタイの政府上層部や反政府指導者に知人が多かったことなどから、身代金目的の営利誘拐から、諜報活動がらみの誘拐と暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害まで、さまざまな失踪理由が取りざたされました。(同上)
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現在に至るまでその行方も生死も謎のままです。松本清張はこの事件をヒントに推理小説『熱い絹』を書きました。なお、失踪から5か月後の8月30日、トンプソンの姉であるキャサリン・トンプソン・ウッド(当時74歳)がペンシルベニア州の自宅で、他殺体で発見されていますが、この事件の犯人は検挙されていなく、トンプソンの失踪との関連も不明です。(同上)
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トンプソンがその半生を費やしてその復興と普及に努めたタイ・シルク製品は、現在ではタイの有力な産業の一つとなっていて、特に自らの名を冠した「ジム・トンプソン」ブランドは、その高い品質と優れたデザインにより、タイ・シルクの最高級ブランドとして世界的に名高く高い人気を誇ります。(同上)
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「ジム・トンプソン」ブランドのブティックは、バンコク都内をはじめとしたタイ国内だけでなく、日本やジム・トンプソンの母国のアメリカ、イギリスなど世界各国に展開しています。トンプソンは、タイやカンボジア、ビルマなどの古美術の収集家としても著名でした。当時収集した美術品の多くは、失踪前に暮らしていた、「ジム・トンプソン・ハウス」に今も飾られています。(同上)
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諜報員から富豪になり、謎の失踪を遂げたことから、彼の足跡を辿るツアーをはじめ、その名を冠したホテル・客室・ハンバーガーなど、現在もジム・トンプソンをテーマにしたさまざまな観光がタイ王国やマレーシア国で展開されています。(以上)
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途中、休憩に立ち寄ったホテルの玄関光景です。入口に『貴賓酒店』の表示がありましたから、中国系のホテルのようでした。ネット検索では、詳細が分かりませんでした。(同上)
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『貴賓酒店』のクリスマスの飾りの光景です。『メリークリスマス&ハッピィ・ニューイヤー』の表示がありました。中国語の『酒店』は、『大酒店』を含めて『ホテル』の意味です。(同上)
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一寸だけ覗いてみた、『貴賓酒店』の1階ロビーの光景です。人の出入りが少ない時間帯だったようです。なかなか立派な、内装のように見受けました。(同上)
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ここからは,「ウブディア・モスク」に到着するまでは、再び車窓光景になります。先に紹介した、松本清張さんの『熱い絹』は、1983年8月15日から1984年12月31日まで報知新聞に連載され、1985年4月に初版が刊行されました。手元にその初版本の上下巻があります。ジム・トンプソン失踪事件の紹介が長くなりましたので、ここからは、キャメロン・ハイランドの紹介です。(同上)
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ここからは,「ウブディア・モスク」に到着するまでは、再び車窓光景になります。先に紹介した、松本清張さんの『熱い絹』は、1983年8月15日から1984年12月31日まで報知新聞に連載され、1985年4月に初版が刊行されました。手元にその初版本の上下巻があります。ジム・トンプソン失踪事件の紹介が長くなりましたので、ここからは、キャメロン・ハイランドの紹介です。(同上)
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彼が滞在した、「ムーンライト・バンガロー」は、丘の上に現存します。英国統治時代の国土調査官、ウィリアム・キャメロンによって1885年によって開発され、その名から命名されました。英国植民地時代より、丘陵を利用した茶葉生産が盛んです。現在でもマレーシア最大の茶葉生産地域であり、高原野菜などの生産も非常に盛んです。(同上)
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近年では年金生活者を中心として、日本人の長期滞在者も増えていて、彼ら向けのコンドミニアムの建設も盛んです。街のレストランや、喫茶店、インターネットカフェなどでは、多くの日本語併記を見かけます。(同上)
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熱帯に位置するマレーシアのなかでも、標高が高いことから1年を通して冷涼な気候です。最高気温は概ね25℃を下回ります。降水量は多く、明瞭な乾季は見られません。(同上)
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クアラルンプールとイポーからのバスが、タナ・ラータにあるバスターミナルから発着します。
〇クアラルンプールのプドゥラヤ・バスターミナルから高速バスで約4~5時間。
〇イポーから高速バスで約2時間。 (同上) -
主な宿泊地は、次の通りです。
〇エクアトリアル・キャメロンハイランド
〇キャメロンハイランドリゾート
〇スモークハウスホテル
〇ヘリテイジホテル(今回宿泊地)
〇ストロベリーパーク
〇ファーザーズ・ゲストハウス (同上)
*次に紹介するのは、松本清張さんの『熱い絹』のあらすじです。 -
1967年8月12日、軽井沢の別荘に滞在中のアメリカ人女性が寝室にて扼殺死体で発見され、壁には色鮮やかな熱帯蝶の標本が掲げられていた。長野県警の長谷部警部は、被害者の兄が、妹の殺害にも関わらず「出張」から戻らないのを不審に思い、調べた結果、兄・ジェームス・ウィルバーが、7月16日にマレーシア・キャメロンハイランドにおける天然の「密室」で、忽然と姿を消していた事実を知る。(同上)
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軽井沢の事件との関連を思い廻らす長谷部だったが、8月26日、キャメロン・ハイランドの山腹密林中で、今度は熱帯蝶採集ツアーに参加した日本人の惨殺死体が発見された。ICPO(インターポール)の要請を受けた長谷部は、マレーシアへ飛ぶ。奇怪な透視術師や舞踊団の交錯する中、一連の事件の謎解きが始められる。(同上)
*『熱い絹』は、テレビドラマにもなりました。 -
イチオシ
クアラカンサーにある、『ウブディア・モスク』の紹介です。マレーシアで最も美しいモスクと言われています。アラビアンナイトに出てきそうな外観のモスクです。クアラカンサーは、マレー半島北西部にある、ペラ州の都市です。(同上)
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イチオシ
クアラカンサーは、18世紀後半からスルターンが居住する王都として知られました。内部見学はできませんでしたが、ウブディア・モスクには、かつての宮殿を改築した王宮博物館、現スルターンの公邸などがあります。3本のミナレットに囲まれた黄金のドームは見応えがありました。(同上)
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クアラカンサーは、18世紀後半からスルターンが居住する王都として知られました。内部見学はできませんでしたが、ウブディア・モスクには、かつての宮殿を改築した王宮博物館、現スルターンの公邸などがあります。3本のミナレットに囲まれた黄金のドームは見応えがありました。(同上)
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