ヘルシンキ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
<はじめに><br />2012年の6回目の旅行となりました。リトアニア、ラトビアとエストニアのバルト三国の旅です。バルト海に面した国ではポーランドもありますが、こちらは別の機会にゆっくり旅行しようと計画しています。この3カ国ではエストニアのタリン、ラトビアのリガとリトアニアのビリニュスの3箇所の世界文化遺産巡りがあります。いずれも歴史的に価値のある古都です。そのほかには、6千名ものユダヤ人を救った『命のビザ』の発行で世界的に有名になった杉原記念館や、十字架の丘などの見学も楽しみなツアー旅行です。事前に旅行社からお聞きした電話では、かなり冷え込んでいるとの現地情報でしたから、スーツケースにハーフコートも用意し、防寒対策も整えておきました。<br /><br /><旅のあらまし><br />10月9日(火)<br />10時30分のフィンランド航空のAY080便でセントレア国際空港を飛び立ち、フィンランドのヘルシンキに向かいました。バルト3国を巡る6日間の旅行の始まりです。ヘルシンキには14時40分頃に到着しました。ヘルシンキとの時差が6時間ですから、約10時間のフライトでした。<br />ヘルシンキでは約2時間のトランジット、16時55分のAY3929便でエストニアのタリンに向かいました。バルト三国の内では一番東に位置します。フィンランド湾を南に渡るだけですから35分ほどのフライトです。機内食はありませんから、ヘルシンキの空港内で軽く夕食を済ませておきました。飲み物は、もちろんワインです。<br />短いフライトでタリンに到着したのは17時30分頃でした。日本人現地ガイドさんと落ち合い、迎えのバスでホテルに向かいました。移動だけの1日でした。ツアー参加者は12名と、旅行者側にとっては有難い人数でした。<br />10月10日(水)<br />昨晩到着したタリンのホテルは、世界文化遺産のタリンの旧市街に近い場所でしたから、朝の出発は9時と、ゆっくりできました。天候はあいにくの雨模様でしたが、雨の多いバルト三国にとっては、通常の天候のようでした。雨具を用意をしてのタリンの旧市街散策でした。<br />世界文化遺産のタリンの旧市街で見学した主な施設は、ラエコヤ広場、旧市庁舎、アレクサンドルネフスキー大聖堂、トーンペア展望台などです。タリンの旧市街は、1997年に歴史的地区として世界文化遺産に登録されています。トームペアの丘に、1050年に最初の要塞が建設されたのが、タリンの街の始まりとされます。この日の午後は、隣国のラトビアの首都、リガへの移動時間でした。<br />10月11日(木)<br />昨晩到着したラトビアの首都、リガでは郊外のホテルに泊まりました。昨日のタリンと同じように、午前中に世界遺産の旧市街の見学、午後が隣国のリトアニアのビリニュスへ移動する行程でした。リガの旧市街では、リガ大聖堂、市庁舎広場、ブラックヘッド会館、猫の家、火薬塔やスウェーデン門などを見学しました。天候が回復し、旅行日和となりましたが、いつ天候が急変するかわかりませんので、この日も雨具を用意しての見学でした。<br />リガでの見学を終えて、更に西側に位置するリトアニアに向かう途中、十字架の丘に立ち寄りました。お墓ではありませんでした.平和や親族などの無事を願う十字架の山には、心が打たれるものがありました。リトアニアの首都、ビリニュスには、暗くなってからの到着でした。<br />10月12日(金)<br />午前中はリトアニアの世界文化遺産のビリニュスの旧市街見学、午後は、オプショナルツアーでのカナウスとトラカイの見学でした。リトアニアだけは2連泊です。トラカイ城の見学では、素晴らしい虹の光景に出合いました。現地ガイドさんも始めて見たという、二重の虹でした。<br />ビリニュスの旧市街で見学したのは、大聖堂広場、大聖堂、聖アンナ教会夜明けの門、聖ペテロ・パウロ教会などでした。丘の上からの旧市街の眺望もできました。世界文化遺産に登録されたのは、1994年のことです。<br />カナウスの見学は、6千名ものユダヤ人を救った、『命のビザ』の発行で世界的に有名になった杉原記念館が一番の目的です。1900年に岐阜県加茂郡八百津町に生まれた杉原千畝山氏は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に領事代理として赴任していました。人道的な立場から名誉や自らの命まで懸けて発行した『命のビザ』は、世界に誇ることが出来る行為です。この行為に対する海外からの問い合わせにも『センポ・チウネ』という人物は存在しないと、戦後永らく白を切っていました。日本政府による公式の名誉回復が行われたのは、河野外務大臣時代の2000年10月10日のことでした。<br />10月13日(土)<br />今回のバルト三国旅行は、実質的に昨日で終了しました。今日からは帰国の途です。ビリニュス発のフィンランド航空のAY3752便は、11時45分、ヘルシンキには13時半頃でした。帰りは、ヘルシンキでのトランジットの時間は4時間近くありました。<br />10月14日(日)<br />現地時間で13日の17時15分ヘルシンキを飛び立ち、10時間弱のフライトで、ほぼ定刻の朝の9時前にセントレア国際空港に降り立ちました。順調なフライトでした。十分に満足できたバルト三国旅行が無事終了しました。<br />*旅行記作成で主に参照参照したのは、ウィキペディアと、『るるぶ・バルト三国』です。

2012秋、バルト三国旅行記(1/40):10月9日(1):出発、セントレア国際空港、ヘルシンキ国際空港へ

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2012/10/09 - 2012/10/14

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<はじめに>
2012年の6回目の旅行となりました。リトアニア、ラトビアとエストニアのバルト三国の旅です。バルト海に面した国ではポーランドもありますが、こちらは別の機会にゆっくり旅行しようと計画しています。この3カ国ではエストニアのタリン、ラトビアのリガとリトアニアのビリニュスの3箇所の世界文化遺産巡りがあります。いずれも歴史的に価値のある古都です。そのほかには、6千名ものユダヤ人を救った『命のビザ』の発行で世界的に有名になった杉原記念館や、十字架の丘などの見学も楽しみなツアー旅行です。事前に旅行社からお聞きした電話では、かなり冷え込んでいるとの現地情報でしたから、スーツケースにハーフコートも用意し、防寒対策も整えておきました。

<旅のあらまし>
10月9日(火)
10時30分のフィンランド航空のAY080便でセントレア国際空港を飛び立ち、フィンランドのヘルシンキに向かいました。バルト3国を巡る6日間の旅行の始まりです。ヘルシンキには14時40分頃に到着しました。ヘルシンキとの時差が6時間ですから、約10時間のフライトでした。
ヘルシンキでは約2時間のトランジット、16時55分のAY3929便でエストニアのタリンに向かいました。バルト三国の内では一番東に位置します。フィンランド湾を南に渡るだけですから35分ほどのフライトです。機内食はありませんから、ヘルシンキの空港内で軽く夕食を済ませておきました。飲み物は、もちろんワインです。
短いフライトでタリンに到着したのは17時30分頃でした。日本人現地ガイドさんと落ち合い、迎えのバスでホテルに向かいました。移動だけの1日でした。ツアー参加者は12名と、旅行者側にとっては有難い人数でした。
10月10日(水)
昨晩到着したタリンのホテルは、世界文化遺産のタリンの旧市街に近い場所でしたから、朝の出発は9時と、ゆっくりできました。天候はあいにくの雨模様でしたが、雨の多いバルト三国にとっては、通常の天候のようでした。雨具を用意をしてのタリンの旧市街散策でした。
世界文化遺産のタリンの旧市街で見学した主な施設は、ラエコヤ広場、旧市庁舎、アレクサンドルネフスキー大聖堂、トーンペア展望台などです。タリンの旧市街は、1997年に歴史的地区として世界文化遺産に登録されています。トームペアの丘に、1050年に最初の要塞が建設されたのが、タリンの街の始まりとされます。この日の午後は、隣国のラトビアの首都、リガへの移動時間でした。
10月11日(木)
昨晩到着したラトビアの首都、リガでは郊外のホテルに泊まりました。昨日のタリンと同じように、午前中に世界遺産の旧市街の見学、午後が隣国のリトアニアのビリニュスへ移動する行程でした。リガの旧市街では、リガ大聖堂、市庁舎広場、ブラックヘッド会館、猫の家、火薬塔やスウェーデン門などを見学しました。天候が回復し、旅行日和となりましたが、いつ天候が急変するかわかりませんので、この日も雨具を用意しての見学でした。
リガでの見学を終えて、更に西側に位置するリトアニアに向かう途中、十字架の丘に立ち寄りました。お墓ではありませんでした.平和や親族などの無事を願う十字架の山には、心が打たれるものがありました。リトアニアの首都、ビリニュスには、暗くなってからの到着でした。
10月12日(金)
午前中はリトアニアの世界文化遺産のビリニュスの旧市街見学、午後は、オプショナルツアーでのカナウスとトラカイの見学でした。リトアニアだけは2連泊です。トラカイ城の見学では、素晴らしい虹の光景に出合いました。現地ガイドさんも始めて見たという、二重の虹でした。
ビリニュスの旧市街で見学したのは、大聖堂広場、大聖堂、聖アンナ教会夜明けの門、聖ペテロ・パウロ教会などでした。丘の上からの旧市街の眺望もできました。世界文化遺産に登録されたのは、1994年のことです。
カナウスの見学は、6千名ものユダヤ人を救った、『命のビザ』の発行で世界的に有名になった杉原記念館が一番の目的です。1900年に岐阜県加茂郡八百津町に生まれた杉原千畝山氏は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に領事代理として赴任していました。人道的な立場から名誉や自らの命まで懸けて発行した『命のビザ』は、世界に誇ることが出来る行為です。この行為に対する海外からの問い合わせにも『センポ・チウネ』という人物は存在しないと、戦後永らく白を切っていました。日本政府による公式の名誉回復が行われたのは、河野外務大臣時代の2000年10月10日のことでした。
10月13日(土)
今回のバルト三国旅行は、実質的に昨日で終了しました。今日からは帰国の途です。ビリニュス発のフィンランド航空のAY3752便は、11時45分、ヘルシンキには13時半頃でした。帰りは、ヘルシンキでのトランジットの時間は4時間近くありました。
10月14日(日)
現地時間で13日の17時15分ヘルシンキを飛び立ち、10時間弱のフライトで、ほぼ定刻の朝の9時前にセントレア国際空港に降り立ちました。順調なフライトでした。十分に満足できたバルト三国旅行が無事終了しました。
*旅行記作成で主に参照参照したのは、ウィキペディアと、『るるぶ・バルト三国』です。

  • 名古屋市地下鉄と名鉄電車を乗り継いでやって来たセントレア子kぅ歳空港です。そのターミナルビルの屋上デッキの光景です。10時30分発のフィンランド航空機でヘルシンキに向かいます。リトアニア、ラトビアとエストニアのバルト三国の旅の始まりです。(同上)<br />

    名古屋市地下鉄と名鉄電車を乗り継いでやって来たセントレア子kぅ歳空港です。そのターミナルビルの屋上デッキの光景です。10時30分発のフィンランド航空機でヘルシンキに向かいます。リトアニア、ラトビアとエストニアのバルト三国の旅の始まりです。(同上)

  • 国内線の駐機場の光景です。全日本空輸(ANA)の青い機体が並んでいました。報道等では、通称の『全日空(ぜんにっくう)』と呼ばれることも多い会社です。持ち株会社の『ANAホールディングス株式会社』の完全子会社です。フラッグキャリアの『JAL』に次ぐ規模を持ちます。(同上)

    国内線の駐機場の光景です。全日本空輸(ANA)の青い機体が並んでいました。報道等では、通称の『全日空(ぜんにっくう)』と呼ばれることも多い会社です。持ち株会社の『ANAホールディングス株式会社』の完全子会社です。フラッグキャリアの『JAL』に次ぐ規模を持ちます。(同上)

  • 全日本空輸(ANA)の機材と一緒に並んでいた、金色の星マークの機材は、『スカイマーク』です。『日本航空(JAL)』と『全日本空輸(ANA)』に次ぐ、国内第3位の規模の航空会社です。1996年(平成8年)11月に、当時のエイチ・アイ・エス社長の澤田氏らの出資により設立されました。(同上)

    全日本空輸(ANA)の機材と一緒に並んでいた、金色の星マークの機材は、『スカイマーク』です。『日本航空(JAL)』と『全日本空輸(ANA)』に次ぐ、国内第3位の規模の航空会社です。1996年(平成8年)11月に、当時のエイチ・アイ・エス社長の澤田氏らの出資により設立されました。(同上)

  • 手前に見える赤い尾翼マークは、日本のフラッグキャリアの『日本航空機(JAL)』です。1951年8月に創立された、日本で最も長い歴史を持つ、フラッグキャリアの航空会社です。 ハブ空港は、東京国際空港、成田国際空港、大阪国際空港と関西国際空港の4箇所です。セントレア(中部国際空港)は、4箇所の焦点空港の内の一つです。(同上)

    手前に見える赤い尾翼マークは、日本のフラッグキャリアの『日本航空機(JAL)』です。1951年8月に創立された、日本で最も長い歴史を持つ、フラッグキャリアの航空会社です。 ハブ空港は、東京国際空港、成田国際空港、大阪国際空港と関西国際空港の4箇所です。セントレア(中部国際空港)は、4箇所の焦点空港の内の一つです。(同上)

  • この日(10月9日)のセントレア空港の上空光景です。スジ雲に近いような、薄い雲が伸びていました。青空が広がっていましたので、上々の旅行日和と形容してもよさそうです。(同上)

    この日(10月9日)のセントレア空港の上空光景です。スジ雲に近いような、薄い雲が伸びていました。青空が広がっていましたので、上々の旅行日和と形容してもよさそうです。(同上)

  • セントレアの屋上デッキから眺めた、西側方面になる伊勢湾の対岸の光景です。対岸は、四日市などがある三重県方面になります。その手前に、右手にある名古屋港に向かう船の姿が見えていました。(同上)

    セントレアの屋上デッキから眺めた、西側方面になる伊勢湾の対岸の光景です。対岸は、四日市などがある三重県方面になります。その手前に、右手にある名古屋港に向かう船の姿が見えていました。(同上)

  • 少しズームアップして撮影した、離陸直前のNAN機の光景です。ANAの国内線ですと、北は北海道から、南は宮古、石垣、沖縄など、20箇所近くに定期便があります。東京(成田・羽田)は就航していますが、大阪は新幹線と対抗できない距離なのか、飛行便はありません。(同上)

    少しズームアップして撮影した、離陸直前のNAN機の光景です。ANAの国内線ですと、北は北海道から、南は宮古、石垣、沖縄など、20箇所近くに定期便があります。東京(成田・羽田)は就航していますが、大阪は新幹線と対抗できない距離なのか、飛行便はありません。(同上)

  • 伊勢湾の沖合を行く、タンカーらしい貨物船の光景です。船体の下部が赤色に塗色されていました。LNG(液化天然ガス)運搬用のタンカーかも知れませんが、球形の容器は見えていませんでした。ただし、LNGタンカーには、球形タンクを積載しないタイプもあるようです。(同上)

    伊勢湾の沖合を行く、タンカーらしい貨物船の光景です。船体の下部が赤色に塗色されていました。LNG(液化天然ガス)運搬用のタンカーかも知れませんが、球形の容器は見えていませんでした。ただし、LNGタンカーには、球形タンクを積載しないタイプもあるようです。(同上)

  • セントレアの管制塔の光景です。セントレアの管制塔は高さが86.75mで、日本では羽田、成田に次いで第三位の高さで民間空港ですが、管制塔の管理は総務省の地方組織の東海総合通信局の管轄のようです。見学コースが設けられ、食堂も一般開放されているようです。(同上)

    イチオシ

    セントレアの管制塔の光景です。セントレアの管制塔は高さが86.75mで、日本では羽田、成田に次いで第三位の高さで民間空港ですが、管制塔の管理は総務省の地方組織の東海総合通信局の管轄のようです。見学コースが設けられ、食堂も一般開放されているようです。(同上)

  • 開港した2005年度の年間利用客数は1,200万人超でしたが、これをピークに、2008年のリーマン・ショックなどにより、2011年度は900万人を割りました。その後、格安航空会社(LCC)の就航や訪日外国人旅客の増加により、徐々に回復しました。<br />(追記):2015年度に、2008年度以来7年ぶりに1000万人台を回復しました。<br />*写真は、北側から眺めたセントレアの航空写真のようです。(同上)

    開港した2005年度の年間利用客数は1,200万人超でしたが、これをピークに、2008年のリーマン・ショックなどにより、2011年度は900万人を割りました。その後、格安航空会社(LCC)の就航や訪日外国人旅客の増加により、徐々に回復しました。
    (追記):2015年度に、2008年度以来7年ぶりに1000万人台を回復しました。
    *写真は、北側から眺めたセントレアの航空写真のようです。(同上)

  • 2本目の滑走路を整備する具体的な滑走路延長などの仕様は未定ですが、増設される空港島の造成作業には名古屋港の浚渫土を有効活用する案が提起されています。中部国際空港(株)の構想によると、埋立てにより空港島の面積を約200ha拡張したうえで、現在の滑走路から300m沖合に3,500mの並行滑走路を1本新設するとしており、事業費は約2,000億円を見込んでいるようです。(同上)

    2本目の滑走路を整備する具体的な滑走路延長などの仕様は未定ですが、増設される空港島の造成作業には名古屋港の浚渫土を有効活用する案が提起されています。中部国際空港(株)の構想によると、埋立てにより空港島の面積を約200ha拡張したうえで、現在の滑走路から300m沖合に3,500mの並行滑走路を1本新設するとしており、事業費は約2,000億円を見込んでいるようです。(同上)

  • 尾翼のマークで紹介する国際線の機材の一部です。『タイ国際空港機』です。タイ王国最大の航空会社で、スワンナプーム国際空港をハブ空港とするフラッグ・キャリアです。尾翼マークは、『タイの伝統的なデザインをモチーフに、シルク、寺院、蘭などのイメージを加え、タイの文化を象徴したもの』とされます。(同上)

    尾翼のマークで紹介する国際線の機材の一部です。『タイ国際空港機』です。タイ王国最大の航空会社で、スワンナプーム国際空港をハブ空港とするフラッグ・キャリアです。尾翼マークは、『タイの伝統的なデザインをモチーフに、シルク、寺院、蘭などのイメージを加え、タイの文化を象徴したもの』とされます。(同上)

  • 台湾の『チャイナ・エアライン(中華航空)』の尾翼マークです。『台湾の国花の「梅」がデザインされています』、1959年12月、中華民国空軍の退役軍人らによって『中華航空公司』が設立されたのが始まりとされます。(同上)

    台湾の『チャイナ・エアライン(中華航空)』の尾翼マークです。『台湾の国花の「梅」がデザインされています』、1959年12月、中華民国空軍の退役軍人らによって『中華航空公司』が設立されたのが始まりとされます。(同上)

  • フィリピンのフラッグ・キャリアのフィリピン航空の尾翼マークです。『 赤と青の帆と太陽を重ね合わせたデザイン』です。ハブ空港は、	ニノイ・アキノ国際空港とクタン・セブ国際空港の2箇所で、1941年3月の創業です。(同上)<br />

    フィリピンのフラッグ・キャリアのフィリピン航空の尾翼マークです。『 赤と青の帆と太陽を重ね合わせたデザイン』です。ハブ空港は、 ニノイ・アキノ国際空港とクタン・セブ国際空港の2箇所で、1941年3月の創業です。(同上)

  • セントレアの屋上デッキからの紹介の最後です。主な施設は次の通りです。(同上)<br />○運用時間 : 24時間<br />○滑走路 : 1本、長さ:3,500m×幅:60m<br />○誘導路 : 延長約10.2km、幅30m<br />○エプロン :スポット数87

    セントレアの屋上デッキからの紹介の最後です。主な施設は次の通りです。(同上)
    ○運用時間 : 24時間
    ○滑走路 : 1本、長さ:3,500m×幅:60m
    ○誘導路 : 延長約10.2km、幅30m
    ○エプロン :スポット数87

  • セントレアの第1ターミナルの4階光景です。この階の後方(背後)から、スカイデッキに出ることが出来ます。前方の階段・エスカレータを降りますと、国際線と国内線の出発フロアーの3階になります。前方の案内表示は、直進が『アクセスプラザ』、右方向が『国際線出発ロビー』、左方向が『国内線出発ロビー』の表示でした。(同上)

    セントレアの第1ターミナルの4階光景です。この階の後方(背後)から、スカイデッキに出ることが出来ます。前方の階段・エスカレータを降りますと、国際線と国内線の出発フロアーの3階になります。前方の案内表示は、直進が『アクセスプラザ』、右方向が『国際線出発ロビー』、左方向が『国内線出発ロビー』の表示でした。(同上)

  • セントレアで、ご挨拶を忘れてはいけないのが、謎の旅人フーさんです。少し暗い中でしたが、出発の挨拶を心の中でしておきました。『名前の由来は「Who」と爽やかな風の擬音である「フー」から来ているそうです。名古屋万博の「モリゾー」「キッコロ」をデザインしたアランジアロンゾがデザインしたそうです』、と紹介されていました。(同上)

    イチオシ

    セントレアで、ご挨拶を忘れてはいけないのが、謎の旅人フーさんです。少し暗い中でしたが、出発の挨拶を心の中でしておきました。『名前の由来は「Who」と爽やかな風の擬音である「フー」から来ているそうです。名古屋万博の「モリゾー」「キッコロ」をデザインしたアランジアロンゾがデザインしたそうです』、と紹介されていました。(同上)

  • セントレアのターミナルビル内の光景が続きます。この階は4階か3階か判断が付かなくなってしまいましたが、人の並び方から判断しますと、国際線と国内線の出発口がある3階のようでした。(同上)

    セントレアのターミナルビル内の光景が続きます。この階は4階か3階か判断が付かなくなってしまいましたが、人の並び方から判断しますと、国際線と国内線の出発口がある3階のようでした。(同上)

  • 3階フロアーから振り返って眺めた、4階方面の光景です。エスカレーターの上に、先ほど挨拶した謎の旅人フーさんの見送り姿がありました。国際線の入口は、この階の左手になります。(同上)

    3階フロアーから振り返って眺めた、4階方面の光景です。エスカレーターの上に、先ほど挨拶した謎の旅人フーさんの見送り姿がありました。国際線の入口は、この階の左手になります。(同上)

  • 出国審査の入口にある大きな電光表示板の光景です。最上段にヘルシンキ行きのフィンランド航空のAY80機が表示されていました。10時30分発、搭乗ゲートは16A番でした。途中の経由地がない直行便です。ヘルシンキとの時差は7時間、現地時刻で9日の14時に着陸、14時30分にゲート到着予定です。逆算しますと10時間30分のフライトになります。(同上)<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    出国審査の入口にある大きな電光表示板の光景です。最上段にヘルシンキ行きのフィンランド航空のAY80機が表示されていました。10時30分発、搭乗ゲートは16A番でした。途中の経由地がない直行便です。ヘルシンキとの時差は7時間、現地時刻で9日の14時に着陸、14時30分にゲート到着予定です。逆算しますと10時間30分のフライトになります。(同上)





















  • セントレアの16À番の搭乗口の光景です。先ほど紹介したフィンランド航空のAY80便は、日本航空(JAL)のJL7075便とのコードシェアになっていました。往きは10時間30分のフライト時間ですが、同じコースでの帰路は1割ほど短くなりますので、9時間30分ほどの予定になるようです。10時間を切りますので、実に楽です。(同上)

    セントレアの16À番の搭乗口の光景です。先ほど紹介したフィンランド航空のAY80便は、日本航空(JAL)のJL7075便とのコードシェアになっていました。往きは10時間30分のフライト時間ですが、同じコースでの帰路は1割ほど短くなりますので、9時間30分ほどの予定になるようです。10時間を切りますので、実に楽です。(同上)

  • 搭乗したフィンランド航空のAY80便の室内光景です。エアバス社製の機材が使用されています。エアバス社は、ヨーロッパ(欧州連合の内の4カ国)の航空宇宙機器開発製造会社です。設立当初の事業体の名称はエアバス・インダストリー 、2001年に株式会社になりました。(同上)<br />(追記)2015年から、A350-900シリーズのA359が使用されています。

    搭乗したフィンランド航空のAY80便の室内光景です。エアバス社製の機材が使用されています。エアバス社は、ヨーロッパ(欧州連合の内の4カ国)の航空宇宙機器開発製造会社です。設立当初の事業体の名称はエアバス・インダストリー 、2001年に株式会社になりました。(同上)
    (追記)2015年から、A350-900シリーズのA359が使用されています。

  • 座席前の画面に表示されたフライト情報の計器の数々です。5種類の景気で表示され、中央が方角表示でした。182(DEG)の表示でしたから、機首が真南を向いた時の表示のようでした。真北で0DEGの表示になるようです。右上の高度表示が1738メートル、左上のエアー・スピードが453キロでした。(同上)

    座席前の画面に表示されたフライト情報の計器の数々です。5種類の景気で表示され、中央が方角表示でした。182(DEG)の表示でしたから、機首が真南を向いた時の表示のようでした。真北で0DEGの表示になるようです。右上の高度表示が1738メートル、左上のエアー・スピードが453キロでした。(同上)

  • セントレアを飛び立った後、左旋回をした時のフライト画面表示の紹介です。着陸前の時間調整での旋回は時々経験しますが、フライト直後に旋回したことは、あまり記憶にありません。着陸機との空域調整だったのでしょうか。(同上)

    セントレアを飛び立った後、左旋回をした時のフライト画面表示の紹介です。着陸前の時間調整での旋回は時々経験しますが、フライト直後に旋回したことは、あまり記憶にありません。着陸機との空域調整だったのでしょうか。(同上)

  • セントレアを飛び立って間もない時刻のフライト画面です。日本上空を飛行中の機体は、ほぼ北向きの方角になっていました。能登半島の東側辺りで日本海に出るコースのようです。この後のフライト画面を確認しますと、韓半島はもちろん、中国上空も一切通過していませんでした。(同上)

    セントレアを飛び立って間もない時刻のフライト画面です。日本上空を飛行中の機体は、ほぼ北向きの方角になっていました。能登半島の東側辺りで日本海に出るコースのようです。この後のフライト画面を確認しますと、韓半島はもちろん、中国上空も一切通過していませんでした。(同上)

  • 行程の半分ほどをフライトしている時の画面です。機体の直前に見えているのがオビ湾です。中央シベリア上空を飛び終えて、西シベリアの上空を飛行中の画面になるようです。機体の前方、下側にウラル山脈が見えています。(同上)

    行程の半分ほどをフライトしている時の画面です。機体の直前に見えているのがオビ湾です。中央シベリア上空を飛び終えて、西シベリアの上空を飛行中の画面になるようです。機体の前方、下側にウラル山脈が見えています。(同上)

  • 拡大表示された、同時刻のフライト画面になるようです。模擬の機体の尾翼付近にノリリスクの文字が見えますが、この辺りが右側の中央シベリア高原と、左側の西シベリア平原との境付近になるようでした。ノリリスクは、北シベリア低地の南側にも位置します。機体の前方には、ウラル山脈の西側のペチョラ川の河口が記されています。(同上)

    拡大表示された、同時刻のフライト画面になるようです。模擬の機体の尾翼付近にノリリスクの文字が見えますが、この辺りが右側の中央シベリア高原と、左側の西シベリア平原との境付近になるようでした。ノリリスクは、北シベリア低地の南側にも位置します。機体の前方には、ウラル山脈の西側のペチョラ川の河口が記されています。(同上)

  • 座席前の画面に表示されたフライト情報の紹介です。機首は西南方角の231度を指し、機体高度は12186メートル、速度が時速872キロです。ついでに風速が毎時41キロ、垂直速度が毎分8メートルでした。(同上)

    座席前の画面に表示されたフライト情報の紹介です。機首は西南方角の231度を指し、機体高度は12186メートル、速度が時速872キロです。ついでに風速が毎時41キロ、垂直速度が毎分8メートルでした。(同上)

  • 前方に、目的地のヘルシンキが黄色の円で表示されたフライト画面です。前方の入り組んだ湾がバルト海になります。機体の左に、ロシアのサンクトペテルブルク、更にその左にモスクワの文字も見えます。(同上)

    前方に、目的地のヘルシンキが黄色の円で表示されたフライト画面です。前方の入り組んだ湾がバルト海になります。機体の左に、ロシアのサンクトペテルブルク、更にその左にモスクワの文字も見えます。(同上)

  • セントレア国際空港を飛び立ち、ヘルシンキ国際空港直近までのフライト軌跡の画面です。北に大きく迂回して、中国上空を通過しない、ほとんどロシア上空を通過する軌跡でした。平面の画面上では、迂回したように見えますが、丸い地球ですから、目的地に向かっての最短コースかも知れません、ロシア上空では、ウラル山脈も北側に迂回したようでした。(同上)

    イチオシ

    セントレア国際空港を飛び立ち、ヘルシンキ国際空港直近までのフライト軌跡の画面です。北に大きく迂回して、中国上空を通過しない、ほとんどロシア上空を通過する軌跡でした。平面の画面上では、迂回したように見えますが、丸い地球ですから、目的地に向かっての最短コースかも知れません、ロシア上空では、ウラル山脈も北側に迂回したようでした。(同上)

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