2012/10/09 - 2012/10/14
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旅人のくまさんさん
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リガのピルセータス運河と、旧市街の街並み紹介です。リガ旧市街では砲弾が壁に残ったままの火薬塔や、猫の像が屋根の先端に飾られた家等を見学しました。色々な動物の像や、壁いっぱいに数々の紋章が描かれたりと、遊び心もいっぱいのリガの街でした。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
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細い花茎が伸びて、その先端に紫色の小さな花が固まって咲いていました。バラ科の『吾亦紅(われもこう)』や、キク科の『薊(あざみ)』などの花を連想しましたが、別種のようです。野草ではなく、草花として植栽されているようでした。南米原産のクマツヅラ科の宿根バーベナにも似ているようでしたが、名前は特定できていません。(同上)
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リガの旧市街と新市街との間にあるピルセータス運河の周りの光景です。先に紹介しましたが、リガ城の周りにあった城壁を取り壊し、その場所に掘られた3キロほどの長さの運河です。現在のリガ城跡は、ダウガワ川の畔の旧市街にあり、大統領府と国立歴史博物館として利用されています。(同上)
(追記):リガ城跡は、2013年に火災に遭い、2016年に修復が終了しました。 -
ピルセータス運河の河畔に置かれていた、若駒のような姿のブロンズ像の光景です。ネット情報を探してみましたが、何も見付かりませんでした。この辺りには、かつての城壁の名残でしょうか、石畳や石垣がありました。眺めは、お堀クルーズを優先した場所のようにも見えました。(同上)
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こちらは河畔にあった小さな建物の光景です。瓦ぶきで二階建て、オリエンタル風の雰囲気の造り物でした。玩具のような大きさの建物で、水上クルーズの写真を拝見しても、出入口は造作されていませんでした。(同上)
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オリエンタル風の雰囲気の建物のズームアップ光景です。白壁には、造作では無く、稚拙な絵で建物の造りが細くされていました。この建物も、お堀クルーズの目を楽しませるのが目的のように見えました。(同上)
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1857年にロシア皇帝の『アレクサンドル2世(在位:1855~1881年)』の命令で、時代遅れになった城壁を取り壊して開削された、幅90メートルのお堀りですが、その役割も時代遅れになり、幅10メートル程を残して埋め立てられたようです。遊覧船が運行されていますから、入口と出口は、ダウガワ川に繋がっていることは間違いありません。(同上)
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土手に降り積もった黄葉や褐葉が水面に映り込んで、ピルセータス運河が秋模様に染められていました。灌漑用の水路としても使われていないようですから、現在は、もっぱらリガ市街の観光の脇役としての立場になったようです。ピルセータス運河の河畔には緑が残されましたので、自然の保全には役立っているようです。(同上)
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リガ城の城壁の跡を掘削して造られた、ピルセータス運河の当初の幅は、90メートルだったとされます。その運河が、10メートル幅を基準に埋め立てられ、その埋め立て地に生じた林のように見えました。現在の地図を参照しますと、部分的に90メートル程の部分の運河も残されていました。(同上)
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黄葉の樹木のズームアップ光景です。褐葉と呼んだ方が相応しい色合いだったかも知れません。左手に見える五つの電球を持つ街灯は、推測ですが、四つの州と、その統一を象徴する中央の電球と紹介しましたが、リガの国章には、四つではなく三つの星が歴史的な州として描かれています。ラトビアの国章は、1918年11月18日のラトビア共和国の独立宣言の後に構成され、1921年6月16日に正式に採用されたもので、ヴィドゼメ、ラトガレ、クルゼメ=ゼムガレ(クールラント=セミガリア)という歴史的な三つの地方を、統一ラトビアに統合することを示しています。(同上)
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橋の上から眺めた、ピルセータス運河の光景です。水の流れを感じさせない、鏡のような水面の光景でした。かつての運河は、ピルセータス川とも呼ばれているようです。この辺りではかなりの川幅が残されていました。その川の両側に緑樹帯が出現していました。(同上)
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ピルセータス運河の河畔光景です。野生の水鳥さん達の姿がありました。一番手前が雄の『真鴨(マガモ)』、後の三羽は、全て雌のマガモのようでした。マガモは、カモ科に属し、北半球の冷帯から温帯に広く分布し、北方で繁殖するものは冬季は南方への渡りを行い越冬します。(同上)
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ざっと数えて、70種ほどの紋章が描かれた壁面の光景です。壁面の上部付近にラトビア語で『Latvijas Krajbanka(ラトヴィヤス・クラジバンカ)』の名前の銀行の宣伝マークでした。ネット情報情報によれば、『旧ヤコブ兵舎』になるようです。かつてのスウェーデン兵が寄宿していたとされます。スウェーデン門の近くに位置する横長の黄色の建物です。(同上)
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『ラトヴィヤス・クラジバンカ』の銀行とマークが描かれた部分より上部のズームアップ光景です。最上段には、ラトビアの国章が記されているようです。ラトビアの国章は、1918年11月18日のラトビア共和国の独立宣言の後に構成され、1921年6月16日に正式に採用されました。この黄色の横長の建物は、現在は飲食店などが入居しています。(同上)
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同じく、『ラトヴィヤス・クラジバンカ』の建物壁面光景です。2011年に清算が行われ、ラトビア政府の管理となったようです。スウェーデン門の外側のトゥアルニャ通り沿いには、かつてのスウェーデン兵の旧ヤコブ兵舎があります。黄色の外壁にオレンジ色の屋根が可愛らしい全長200m以上も続く横に細長い建物です。ヤコブ兵舎は、18世紀に建設されてから、何度か再建されながら、1990年代までは軍事施設として使用されていました。ラトビア独立後は、建物内部が改装され、バーやレストラン、カフェ、ショップなどが軒を連ねるようになり、現在は多くの観ます光客で賑わう人気のスポットへ生まれ変わっています。(同上)
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『火薬塔』の光景です。バルト海の真珠と称される美しい街、ラトビアのリガ歴史地区は、1997年に世界遺産に登録されました。リガ歴史地区において、かつての防御施設の中で唯一現存する塔が火薬塔です。リガの火薬塔は、4世紀(14世紀の誤?)に建設されましたが、建設後、上部をスウェーデン軍に破壊されました。(同上)
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その後、1650年に修復されますと、高さは、25.5m、壁の厚さ3mを誇る火薬を保管する火薬庫として使われていました。外壁には、17~18世紀にロシア軍が放った砲弾七つが、今も壁に埋め込まれています。塔の高さは、26メートルです。後ほど、その砲弾の一つをズームアップで紹介します。(同上)
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『火薬塔』の脇に設置されていた、半分武将、半分が嘲笑的な表現に見える石像の光景です。親子の動物像のようです。塔は1330年に『砂の塔(パウダータワー)』として最初に言及されました。その名前は、」明らかに塔の反対側の砂の丘に由来するようです。塔の入口は地上5メートル(16フィート)で、建物は狭い階段からしか入ることができませんでした。(同上)
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紅葉した蔦が這う『火薬塔』のズームアップ光景です。元々は町の防衛システムの一部でしたが、現在のパウダータワー(火薬庫)は1650年に建設され、1937年から1940年にかけて、ラトビア戦争博物館の構造に追加されたときに改装されました。1621年のポーランドに対するスウェーデンの攻撃中、1650年に現在見られるパウダータワーは、地下室を除いて、タワー全体が破壊されました。水平断面では、タワーは馬蹄形でした。場所によっては、厚さ3メートル(9.8フィート)の壁があったようです。(同上)
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更にズームアップした、火薬庫の光景です。塔の一部は郊外に面していて、都市側の壁は木でできていました。当時のレンガは高価な建築材料だったためのようです。火薬塔の名前は、明らかに火薬が保管されていた17世紀にまで遡ります。塔には11門の大砲があり、『爆弾キャッチャー(?)』が設置されていました。5階と6階の間に、3層の樫と松の丸太の厚さ1メートルの天井が置かれていました(同上)
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火薬庫壁面の蔦の紅葉の光景です。塔の後半には、刑務所と拷問室があったとされます。また、武器は1883年まで保管されていました。戦争の生き残りでもある火薬塔の中は 『ラトビア戦争博物館(Latvijas Kara Muzejs)』になっています。2013年4月現在の入場料はなんと無料と紹介されていました。(同上)
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火薬塔の壁には、七つの砲弾が残されていると紹介されていましたが、その内の1個が目視出来ました。球状の砲弾のようでした。場所によっては、暑さが3メートルある壁が実感できるような光景でしたが、厚さ3メートルの壁は、城壁部分のことで、火薬塔のことではないような感じもします。(同上)
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修復された、赤煉瓦の城壁と相対している二階建ての建物になるようです。中世時代のリガは、高さ10メートル、長さ2キロの城壁で囲まれ、15世紀には、城壁は更に補強されていたようです。城壁は、この建物の左側だったか、右側の背後だったか、記憶があいまいです。見学の道順から言えば、この建物の左側になります。(同上)
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『大ギルドコンサートホール』の建物光景です。19世紀半ばに現在の姿になりましたが、元は、裕福なドイツ人が実権を持っていた時代のギルド会館を始まりとする建物です。現在は、ラトビア国立交響楽団の本拠地として有名になりました。このオーケストラは、1926年にラトビアのラジオセンターオーケストラとして設立された、国内最初の常設オーケストラです。(同上)
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建物の屋根の上にある2基の小塔には、黒猫を象った銅製の彫像がそれぞれ設けられていて、いずれも背中をアーチ状に丸め、尻尾を上に立てているいます。建物の名称は、この黒猫の彫像に由来します。地元の言い伝えでは、この建物を建てた商人は、通りの反対側に会館をもつ大ギルド組合への加入資格を満たしていたにも関わらず、加入することができませんでした。大ギルドは、ドイツ人が影響力をもっていて、その商人は、ラトビア人であるからという理由で加入を拒絶されました。そのことに憤慨したラトビア商人は、黒猫の彫像を、尻尾が大ギルドの会館のほうに向く形で屋根の上に取り付けました。』、現地ガイドさんも同じ説明をされていました。(同上)
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『猫の家』の屋根飾りのズームアップ光景です『猫の家』は、リガ旧市街にあるメイスタル通りの10番地に立地しています。建築家のフリードリッヒ・シェッフェルにより設計され、1909年に建てられました。建築主は、ラトビアの商人です。建物には、アール・ヌーヴォーの建築様式が見られます。現在は、オフィスビルとして利用されていて、1階にはレストランが開業しています。(同上)
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2箇所の小楼の上に猫の像が飾られた、『猫の家』の光景です。後年になると、大ギルドの建物は、コンサートホールとして利用されるようになり、黒猫のブロンズ像は、音楽が聴こえてくる方向に向きを変えたとされます。この説のほか、その後ラトビア人商人が大ギルドに入会が認められると、猫はくるりと方向を変え、今の姿に向き直したとする説もあります。(同上)
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『猫の家』と、その周りの建物光景です。この写真に現在は『大ギルド・コンサートホール』となった建物は写っていませんが、地図で確認しますと、4~50メートル程の近接した西南に位置しています。『小ギルド・コンサートホール』は、更に40メートル程の南西の延長線上に位置しています。(同上)
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『猫の家』と、その周りの建物の1階付近のズームアップ光景です。左側の『猫の家』の1階は、レストランのようでした。上階は、オフィスビルとして利用されているようです。世代交代があり、ドイツ人主体の大ギルドと、ラトビア人の大商人の力関係も様変わりしてしまったようです。(同上)
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猫の家や、大小のギルドコンサートホールがあった付近の光景です。この付近には『リーヴ広場』が地図に記されていましたので、その一部だったかも知れません。手元のガイドブックには、『リーヴ広場』のことを『第二次再選後の区画整理で出来た広場』と紹介していました。お洒落なオープンカフェや、カフェー、レストランがあることも紹介されていました。(同上)
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先端が細く絞り込まれたドーム屋根のズームアップ光景です。そのドームの上には、王冠風に見えた屋根飾りがあり、黄色と青色の旗も翻っていました。ラトビアの国旗は、白色を上下の赤色で挟んだに2色黄ですから、この旗とは異なります。リガの市旗は、上が白色、下が青色で、中央に市章がありますので、それとも異なります。(同上)
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