2012/10/09 - 2012/10/14
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旅人のくまさんさん
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タリンでの見学を終え、午後の時間はラトビアのリガへの移動でした。タリンからはほぼ真南に向かって、約200キロの行程です。明るい内にリガに到着し、この日の夕食は、泊まったホテルで戴きました。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
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エストニアのタリンから、ラトビアのリガに向かう景色を写真紹介しながら、日本外務省の公式HPを参照して、ラトビアの国情についての概要を紹介します。
①面積:6.5万平方キロメートル(日本のおよそ6分の1)
②人口:189万人(2021年1月現在:中央統計局)
③首都:リガ
④言語:ラトビア語
⑤宗教:プロテスタント(ルター派)、カトリック、ロシア正教 (同上) -
ラトビアの略史の紹介です。最初は独立前の出来事です。
○13世紀初:ドイツ騎士団が進出し、領有される。
○1282年:リガがハンザ同盟に加盟する。
○1583年:リヴォニア戦争の結果、リトアニア・ポーランド領となる。1558年から1583年にかけての、現在のエストニア、リヴォニアの支配を巡る戦争です。(同上) -
ラトビアの独立前の出来事の紹介の続きです。
○1629年:スウェーデン・ポーランド戦争の結果、一部分がスウェーデン領となる。
○1721年:北方戦争の結果、大部分がロシア領、残りはポーランド領となる。
○1795年:第3次ポーランド分割により、全土がロシア領となる。1795年に行われたポーランド・リトアニア共和国の最後の分割です。(同上) -
次は、ラトビアの独立後の出来事です。
○1918年11月18日:独立を宣言する。
○1920年8月:ロシア社会主義連邦ソビエト共和国との間に平和条約締結。
○1940年:ソ連に編入。(同上) -
ラトビアの独立後の出来事の続きです。(同上)
○1990年3月:共和国最高会議選挙。
○1990年5月:独立回復を宣言する。
○1991年8月:共和国の地位に関する基本法を採択。
○1991年9月6日:ソ連国家評議会バルト三共和国の国家独立に関する決定を採択。 -
ラトビアの独立後の出来事の締括りです。
○2004年3月29日:NATO(北大西洋条約機構)に加盟する。
○2004年5月1日:EU(欧州連合)に加盟する。
(参考):NATOは、ヨーロッパおよび北米の30カ国ほどの軍事同盟、EUは、 ヨーロッパ を中心に 27か国 が加盟する経済的および政治的連合です。(同上) -
ラトビアのその後(旅行以降)の出来事も少し紹介しておきます。
○2014年1月1日:ユーロ導入。
○2015年上半期:EU議長国。
○2016年7月1日:OECD加盟。(以上、外務省公式HP)
(参考):旅行時には、ユーロが利用できず、現地通貨への両替が必要でした。(同上) -
次は、手元のガイドブック(るるぶ・バルト三国)を参照して、ラトビアの首都、リガの紹介です。ダウガワ川の右岸に位置し、1~10メートルの標高の砂地の上に築かれたリガの街は、19世紀半ばまでは城壁に囲まれていました。中欧風のリガの端正な町並みは、『バルトの貴婦人』と呼ばれてきました。(同上)
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リガの人口は、約697万人(2013年)とされ、バルト三国で最大です。しかし、独立を回復した1991年以降は減少に転じています。これは低い出生率と、ロシア系住民の流出やEU加盟後の他のEU諸国への移住が主な要因とされます。このままですと、2050年には現在の半分にまで減少するという調査結果もあります。(同上)
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エストニアのタリンからラトビアに向かう途中、ガイドブックで確認した限りでは、エストニアの『パヌル』以外にはめぼしい都市はないようでした。エストニアの内陸部を南下し、リガ湾に達した場所にパヌルの街が記されていました。パヌルの公式サイトでは、『エストニア発祥の地』と紹介されていました。パヌルからリガまでは、バスはリガ湾に沿って南下するようでした。(同上)
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イチオシ
パヌル付近でリガ湾に注ぐのは、『パヌル川』になります。パヌルの人口は4万人程です。公式サイトでは、『パルヌの歴史は、街が最初に言及された1251年に始まります。14世紀と15世紀には、パルヌは重要なハンザ同盟都市であり、17世紀にはスウェーデンの支配下にあり、19世紀にはリゾートタウンとしてのパルヌの発展が始まりました』、と紹介されていました。(同上)
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通り過ぎただけのパヌルの街ですから、詳しいことは紹介できませんが、公式サイトからの紹介を続けます。『1996年、パルヌはエストニアの夏の首都となりました。パルヌ博物館は街のカラフルな歴史の良い概要を提供しますが、街の歴史は、街中を移動したり、興味深い建築やさまざまな観光スポットなどでも感じることができます』(同上)
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ラトビアの紹介に戻って、ラトビアの経済状況についての紹介です。『2005~07年には二桁の経済成長を誇っていましたが、08年の世界的経済危機の影響を受け、09年の経済成長率はマイナス14%まで下落しました。ドンブロウスキス政権(当時)は、IMF、EU、世銀等の国際機関からの支援を受けながら、厳しい緊縮財政政策と構造改革を実施しました(日本外務省公式HP)』(同上)
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こうした政策が次第に効を奏し、2011年は6.4%、12年は4.0%のプラス成長となりました。2013年以降はEU基金等も活用しつつ、2~4%程度の安定した成長が続きました。2018年は4.8%成長と、バルト3国の中で最も高い成長率を記録しました。:ラトビア中央統計局発表。(同上)
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ラトビアの主要産業についての紹介です。『ラトビアは、古くから東西南北の交通の要路にあり、運輸・物流が盛んです。政府は、リガ及びヴェンツピルスの2港を自由貿易港に、リエパーヤ、レーゼクネ、ラトガレ(南東部ダウガウピルス市周辺)を特別経済区に指定し、外国企業を誘致して、中継貿易を推進しています』(同上)
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『通過貨物は、主に石炭や石油関連製品などです。CIS諸国と西欧諸国を結ぶ経路が主なルートとなっています。リガ空港は北欧のハブ空港として機能し、国営エア・バルティックを中心に、欧州を中心に80を越える空港と直行便が就航しています』
(追記):2018年、エストニアからポーランドを結ぶ高速鉄道『レール・バルティカ』の計画が発表されました。2026年を完成目途としています。(同上) -
『近年では、情報通信技術(ITサポート、ソフトウェア開発、クラウドソリューション、AI、ドローン等)、スマートマテリアル(光スイッチ、光ファイバー製品等)等の分野が成長していて、ライフサイエンス(製薬、化粧品等)分野では、ソビエト時代からの伝統を引き継ぎつつ研究開発が進んでいるようです』(同上)
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『人口減少が続く一方で、労働生産性上昇率はOECD諸国の中で比較的高く、賃金水準が低いことから人件費コストが低く、法人実行税率を低く抑え、対内投資促進を図っています。観光業、運輸業、サービス業、製造業、建設業等は堅調を維持しているようです』(同上)
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日本とラトビアとの国家関係です。箇条書きで紹介します。
○第二次大戦前:日本はリガに公使館を有していました。
○1940年:ソ連によるラトビアの併合に伴い同公使館を閉鎖しました。
○1991年9月:日本はバルト三国に政府ミッションを派遣しました。
○1991年9月6日:ラトビアを国家承認しました。(同上) -
○1991年10月10日:外交関係開設。
○1992年6月:在スウェーデン日本大使館が兼轄開始。
○2000年1月:在ラトビア日本大使館開設。(同上)
*写真は、ガイドブックの地図を参照しますと、リガ湾に注ぐダウガウ河の河口付近の光景になるようです。リガに到着です。 -
○2006年4月:駐日ラトビア大使館開設。
○2009年3月:常駐の初代駐ラトビア日本大使着任。2009年10月には、江田参議院議長がラトビアを訪問しています。(以上)
*写真は、リガ湾に注ぐダウガウ河の河口付近のズームアップ光景です。日本とラトビアは、2021年に友好100周年を迎える予定です。 -
イチオシ
ラトビアの首都・リガにあるホテルに明るい内に到着しました。リガで泊まったホテルは、『MARITIM・PARK・RIGA(マリティム公園・リガ)』でした。その静かな公園の中のホテルの自室から眺めた、周りの光景です。空は夕焼けで染まり、木々は紅葉で染まっていました。(同上)
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同じく、リガで泊まったホテルの『MARITIM・PARK・RIGA(マリティム公園・リガ)』の自室からの光景です。緑が多いリガの郊外でしたが、観光用のホテルが数多く立地しているようでした。(同上)
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リガで泊まったホテルで頂いた夕食です。前菜の野菜サラダです。バルト三国のそれぞれの国で泊まったホテルは、設備も場所も良く、満足しました。食事も美味しく、お値打ちなハウス・ワインを存分に飲むことも出来ました。(同上)
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イチオシ
真っ先に注文した、白と赤のグラスのハウス・ワインです。後は料理に合わせての追加になります。ラトビアでは、ビールが最も好まれているようですが、自家製のワインも広く飲まれているようでした。(同上)
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メインの料理です。パンも別に用意してあったようですが、私にはこれだけの量で充分です。右上に丸く装ってあったのはパスタでした。ヘルシーに見えたパスタは、日本の料理で例えれば、きしめんのような造りでした。きしめん風のパスタは、中国旅行の時にも食べたことがあります。(同上)
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食事の後には、例外なくデザートが提供されました。見た目だけで判断しても、中々凝った造りのデザートでした。欧州風の食事サービスが定着しているように見受けました。デザートの評価は苦手ですから、これだけの紹介にしておきます。(同上)
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ホテルと、その周りの夜景の光景です。左上付近に『MARITIM・PARK・RIGA・HOTEL』の名前を略した、『MARITIM・HOTEL』の青い電光文字が浮かび上がっていました。(同上)
(追記):その後、ホテル名は、『ベルビュー・パーク・ホテル・リガ』に変更になったかも知れません。 -
同じく、泊まったホテルの夜景光景です。カードキーが入った紙袋に記されたルームナンバーは『1020』でしたから、泊まったのは10階の20号室だったようです。中々規模の大きなホテルでした。(同上)
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夜景の最後の紹介も、周りは真っ暗でしたから、泊まったホテルの明かりの灯った1階の光景です。車の音も聞こえない、静かな森の中のホテルのイメージでした。リガ旧市街まで1.7キロほど、翌日見学したラトビア国立オペラ座までは3キロの位置に立地したホテルでした。(同上)
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