2012/10/09 - 2012/10/14
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旅人のくまさんさん
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リガの旧市街紹介の続きです。この後の建物では、『ユーゲント・シュティール建築群』と呼ばれる様式の建物を紹介します。フランスの『アール・ヌーボー』と呼ばれる系統の建築のドイツ語の呼び名です。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
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フランス語で『アール・ヌーボー』と呼ばれている様式についての紹介です。『アール・ヌーヴォー:(フランス語: Art nouvea)』とは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動のことで、『新しい芸術』を意味します。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に捉われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴とされます。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたりました。(同上)
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『アール・ヌーボー』の紹介が続きます。第一次世界大戦(1914~1918年)を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインがアメリカを中心に普及するようになりますと、『アール・デコ:仏: Art Déco』への移行が起き、アール・ヌーヴォーは衰退しました。(同上)
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『アール・ヌーヴォー』の特徴の紹介です。
○デザイン:曲線的
○モチーフ:花や植物などの有機物
○イメージ:エレガントで装飾的
○流行時期:19世紀末から20世紀初め
○中心地:ヨーロッパ(ベルギーのブリュッセル、フランスのパリ)
*写真は、『アール・ヌーヴォー』の特徴を持つ建物の装飾です。(同上) -
『アール・デコ』の特徴の紹介です。
○デザイン:直線的
○モチーフ:幾何学模様
○イメージ:機能的で合理的。装飾性は低い。
○流行時期:1910~1940年頃
○中心地:ヨーロッパやアメリカのニューヨーク
*写真は、アマトゥ通りの『ユーゲント・シュティール(アール・ヌーボー)』の建物光景です。(同上) -
『アール・ヌーヴォー』の盛衰と、リバイバルについての紹介です。
○アール・ヌーヴォーの理論的先駆は、ヴィクトリア朝イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に求められます。イギリスの『ウィリアム・モリス(1834~1896年)』や『ジョン・ラスキン(1819~1900年)』に代表されます。
○アール・ヌーヴォーという言葉は、『パリの美術商、『サミュエル・ビング(1838~1905年)』の店の名前から一般化しました。ビングは、パリで美術商を営んだユダヤ系ドイツ人の出自で、日本の美術・芸術を欧米諸国に広く紹介したことでも知られます。(同上) -
『アール・ヌーヴォー』の盛衰と、リバイバルについての紹介の続きです。
○1960年代のアメリカ合衆国でアール・ヌーヴォーのリバイバルが起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進み、古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになりました。
○アメリカにおけるアール・ヌーヴォーの第一人者として知られるのが、『ルイス・カムフォート・ティファニー(1848~1933年)』です。
○ティファニーは、金細工師、宝飾デザイナー、ガラス工芸家、アート・ディレクターで、主にステンドグラスやモザイク加工のガラスランプの製作などにおける芸術家として名を馳せました。(同上) -
『アール・ヌーヴォー』の盛衰と、リバイバルについての紹介の続きです。
○アメリカの小説家、『トルーマン・カポーティ(1924~1984年)』の1958年発表の中編小説『ティファニーで朝食を』は、1961年にヘプバーン主演の映画にもなりました。自由奔放に生きる女性が主人公です。
○『ティファニーで朝食を』は、1960年に龍口直太郎訳に始まり、2008年の村上春樹訳の出版(新潮社)が話題となりました。
○ブリュッセルやリガ歴史地区のアール・ヌーヴォー建築群は世界遺産に登録されています。ブリュッセルも見学する機会がありました。(同上) -
リガの旧市街で見掛けた、逞しい姿の犬の石像です。犬というより、狼の雰囲気がある姿でした。先ほどから紹介しているリガ旧市街の石畳の道を監視しているようにも見えた犬の石像でした。引き続いて紹介しますが、『アール・ヌーヴォー(独:ユーゲント・シュティール)』の付録のような楽しい石像です。(同上)
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柱を支えているのか、柱に吊り下げられているのか分からなかったカエルさんです。そのカエルさんの顔は、柱を支え続けてきた満足そうな雰囲気でしたから、吊り下げられているのではないようです。遊び心が一杯の『アール・ヌーボー』の壁面飾りでした。(同上)
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世界遺産のリガ旧市街のお店のショー・ウィンドウ光景です。塔や建物などを模した、飾り物が展示されているようでした。サンゴのような飾りが沢山ありましたが、自然の物ではなく、人造品のように見えました。(同上)
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同じく、リガ旧市街のお店のショー・ウィンドウ光景です。こちらには、女のお子さんが喜びそうな人形の数々が並んでいました。民族衣装を着た本格的な造りの人形のようですから、広い年代の方に喜ばれそうな品々でした。海外旅行のお土産にも相応しい品々です。(同上)
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『Latvijas Balzams』の文字の看板があったお店の光景です。ラトビアの『香油』のお店のようでしたが、リキュール(蒸留酒)のお店かも知れません。右隣が、鳥居に日の丸マークの和食の店、左が飲食店(バー)のようです。(同上)
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リガの中心地とも言われる『ドゥアマ広場(Doma laukums)』の周りの建物群の光景です。この広場から放射状に道路が伸びています。右手奥に見えているのは、このあと紹介する『リガ大聖堂』です。その手前に見えるのは、オープン・カフェのようでした。その左手に不思議な壁装飾の絵がありました。(同上)
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不思議な壁装飾の絵があった建物を右端にして、その横に伸びる大通りの光景です。『ドゥアマ広場』から放射状に延びる道路の一つのようです。それにしても、壁の絵は不思議な構図でした。人の顔にも、開いた雨傘のようにも見えました。壁に描かれた植物は、本物の鉢植えとも混然一体となっていました。(同上)
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不思議な壁装飾の絵の部分的なズームアップ光景です。山高帽を被った男性の像でした。全体はだまし絵のような雰囲気でしたが、この部分は、随分とまじめに描かれていました。遠くから眺めた時には、人の顔の右目にも見えた部分です。(同上)
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マンホール蓋ではありません。ユネスコのマークが入った案内標識です。推測も入りますが、左側が英文による世界文化資産の紹介、右側がラトビア語による個別の建築物、もしくは英文に類似した説明文のようでした。(同上)
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『リガ大聖堂』です。『リガ大聖堂(ラトビア語: Rīgas Doms)』は、ラトビアの首都リガの旧市街にあるルーテル教会の大聖堂です。世界遺産として登録されている『リガ歴史地区』の一部になります。1211年、アルベルト司教によってダウガヴァ川の近くに建てられたのが始まりです。ラトビアの夏至祭、『Līgo(リーゴ)』が開かれる広場としても有名です。(同上)
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『リガ大聖堂』の尖塔のズームアップ光景です。創建された後、増改築が何度も行われ、ロマネスク建築、バロック建築などの建築様式が混在するようになりました。現在の建築物は18世紀後半のものです。バルト三国における中世の大聖堂の中で最大規模とされています。大聖堂にあるパイプオルガンは、1882年から1883年にかけて製作され、1884年1月31日に設置されたものです。夏至祭の『Līgo(リーゴ)』の紹介の続きです。北欧の国ラトビアでは夏が短く冬が長いのですが、夏至は一年で一番陽が長い日とあって、昔から特別な一日とされてきました。毎年6月23日と24日が祝日になり、夜をまたいでお祝いします。(同上)
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更にズームアップした、尖塔の最上部の光景です。『Zāļu tirgus(ザーリュ・ティルグス)』と呼ばれる市場は、リーゴの前日に首都リガの大聖堂広場で開かれる、一日だけのマーケットです。人々はこの日、リーゴに必要なものを買いに広場に集まり、夏至への思いを高めます。売っているのはチーズや乳製品、蜂蜜、ワインなどの食料品に加え、沢山のハンドクラフトやリーゴでダンスをする時にかぶる花かんむりです。(同上)
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リーゴの花かんむりは、女性は野原で摘める花、男性は樫の葉と昔から決まっています。今はもう少し自由で、華やかな切り花も使われていますが、現地の人に人気なのは伝統的なグリーン多めのスタイルとされます。その模様は、ネット情報でも見ることが出来ます。その一例を紹介しておきます。(同上)
*『ラトビア・リガの夏至祭マーケット:https://taptrip.jp/8774/?msclkid』 -
足場を組んで改修工事中の、リガ大聖堂の建物のズームアップ光景です。現代工法の金属製の足場が使われていました。2011年に身廊の銅屋根が取り替えられ、その後も補修が続いているようでした。(同上)
(追記):2016年頃に補修工事が完了したようでした。2015 年には、タワーの外装も再メッキされ、木製の支持構造が更新されました。 -
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工事用の足場が組まれた、リガ大聖堂の建物光景です。この写真で見ますと、身廊の銅葺き屋根は、真新しいものに吹き替えられたようでした。宗教活動は 1939 年から 1989 年までのソビエト連邦時代は禁止されていたようです。大聖堂はコンサートホールとして使用されていました。(同上)
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同じく、全面に工事用の足場が組まれた、リガ大聖堂の建物光景です。その上に修復工事を完了したらしい銅葺き屋根が顔を覗かせていました。リガ大聖堂は、1991年に宗教活動のために再開され、ラトビアの福音ルーテル教会によって使用されています。(同上)
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『ドゥアマ広場』の一部らしい石畳の広場のズームアップ光景です。自然石が使われているらしく、大きさも色合いも、微妙に異なる敷石の素材でした。きれいに並べるため、大きさや形はできるだけ揃えられているようでした。世界遺産のリガ旧市街には、『リーヴ広場』、『ドゥアマ広場』と、『市庁舎広場』の3箇所の女広場があります。(同上)
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世界遺産の中心地とも言われる『ドゥアマ広場(Doma Iaukumus)』の周辺には、『リガ大聖堂』を始め、建築学的にも歴史的にも貴重な建物が立ち並びます。どの角度から撮っても絵になる場所とも言われています。また、リガ旧市街は『ヴェツリガ(Vecrīga)』とも呼ばれています。(同上)
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少し紹介が遅れましたが、リガ旧市街(ヴェツリガ)の見所の紹介です。(同上)
○リガ城:現ラトビア大統領官邸、ダウガワ川の河畔。
○リガ市庁舎:市庁舎広場の中心的な建物。
○ブラックヘッド会館:市庁舎広場のギルド会館の建物。
○市庁舎広場:リガの守護神が建つ、旧市街の中心的な広場。 -
○リガ大聖堂:1211年に建設が始まった由緒ある教会、ドゥアマ広場。
○聖ペテロ教会:13世紀初頭に始まる、リガのランドマークの教会。
○聖ヨハネ教会:1234年、ドミニコ修道会の設立。
○聖ヤコブ教会:1225年建設のカトリック教会。(同上) -
○猫の家:ドイツ人ギルドと張り合った、ラトビア人商人の建物。
○火薬塔:唯一現存する防衛施設、ラトビア戦争記念館。
○城壁:リガの旧市街を取り巻く城壁、かつては2キロの長さ。
○スウェーデン門:城壁の場所に17世紀に造られた門。(同上) -
○リーヴ広場:第二次大戦後の区画整理で出来た広場。
○ドゥアマ広場:リガ大聖堂が聳える中心的広場。
○小ギルドコンサートホール:小ギルド跡の音楽ホール。
○大ギルドコンサートホール:大ギルド跡のラトビアを代表する音楽ホール。(同上) -
○ブレーメンの音楽隊像:1990年、姉妹都市のブレーメンから贈られた像。
○三人兄弟の家:ラトビア建築博物館として使用。
○ユーゲント・シュティール建築群:新旧市街に存在。
○自由記念碑:新旧のリガ市街の境界に建つ42メートルの高さの記念碑。(同上)
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