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ラトビアの世界文化遺産、リガ旧市街の紹介の続きです。三人兄弟の家と呼ばれる建物は、現在はラトビア建築博物館になっていましたので、入場して見学しました。カトリック教会の『リガ大聖堂』は外観だけの見学でした。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)

2012秋、バルト三国旅行記(19/40):10月11日(8):ラトビア、リガ、スウェーデン門、聖ヤコブ大聖堂、三兄弟の家

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2012/10/09 - 2012/10/14

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旅人のくまさん

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ラトビアの世界文化遺産、リガ旧市街の紹介の続きです。三人兄弟の家と呼ばれる建物は、現在はラトビア建築博物館になっていましたので、入場して見学しました。カトリック教会の『リガ大聖堂』は外観だけの見学でした。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)

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  • この後紹介する『スウェーデン門』の付近のリガ旧市街の町並み光景です。通路に面した側には出入口はない、守りを固めた家並みでした。城壁の外側の通りだったかも知れません。年代を経たように見えた、石畳の通りでした。(同上)

    この後紹介する『スウェーデン門』の付近のリガ旧市街の町並み光景です。通路に面した側には出入口はない、守りを固めた家並みでした。城壁の外側の通りだったかも知れません。年代を経たように見えた、石畳の通りでした。(同上)

  • 『スウェーデン門』の右横にあった『Troksnu iela』の文字表示です。『Troksnu』の読み方が分かりませんでしたが、『Troksnu通り』の意味でした。手元のガイドブックにも、『iela』の表示は沢山ありましたが、この表示は、最初は『Lela』と読み間違えてしまいました。(同上)

    『スウェーデン門』の右横にあった『Troksnu iela』の文字表示です。『Troksnu』の読み方が分かりませんでしたが、『Troksnu通り』の意味でした。手元のガイドブックにも、『iela』の表示は沢山ありましたが、この表示は、最初は『Lela』と読み間違えてしまいました。(同上)

  • 『スウェーデン門』の右上にあった、ラトビア語らしい『ZVIEDRU VARTI 1698』等の文字があった銅板表示の光景です。機械翻訳で『スウェーデンのヴァルティ 1698』と表示されました。ラトビア語の『Vārti』は、城門やゲートを意味するようです。1698(年)が、スウェーデン門が建設された年になるようでした。(同上)<br />

    『スウェーデン門』の右上にあった、ラトビア語らしい『ZVIEDRU VARTI 1698』等の文字があった銅板表示の光景です。機械翻訳で『スウェーデンのヴァルティ 1698』と表示されました。ラトビア語の『Vārti』は、城門やゲートを意味するようです。1698(年)が、スウェーデン門が建設された年になるようでした。(同上)

  • リガ旧市街を取り巻く城壁の場所にある『スウェーデン門』の光景です。城壁と塁壁の間にあった建物を改造して、17世紀後半に造られた城門です。当時のスウェーデン軍の兵舎の出入口として使われました。『塁壁』は、『砦や砦の城壁』とされるようです。窓辺に赤い花が飾ってあるのは、ヨーロッパの光景そのものです。赤い花は、除虫効果があるゼラニュウム当たりのようです。(同上)

    イチオシ

    リガ旧市街を取り巻く城壁の場所にある『スウェーデン門』の光景です。城壁と塁壁の間にあった建物を改造して、17世紀後半に造られた城門です。当時のスウェーデン軍の兵舎の出入口として使われました。『塁壁』は、『砦や砦の城壁』とされるようです。窓辺に赤い花が飾ってあるのは、ヨーロッパの光景そのものです。赤い花は、除虫効果があるゼラニュウム当たりのようです。(同上)

  • この写真を撮った時には、漠然と遺跡が残されているのではと思っていました、しかし、道の真ん中にも類似のものがあり、使途などを考えさせられることになりました。いくつか類似の品を目にしたことで、使途が類推出来ました。(同上)

    この写真を撮った時には、漠然と遺跡が残されているのではと思っていました、しかし、道の真ん中にも類似のものがあり、使途などを考えさせられることになりました。いくつか類似の品を目にしたことで、使途が類推出来ました。(同上)

  • 『スウェーデン門』の周りの石造物のズームアップ光景が続きます。この箇所では、コンクリート造りではなく、石造であることが確認出来ました。金具類が残っているのは、使われなくなった施設が撤去され、その基礎部分だけが取り残されているようでした。部分的には、モルタルで補修されているようでした。(同上)

    『スウェーデン門』の周りの石造物のズームアップ光景が続きます。この箇所では、コンクリート造りではなく、石造であることが確認出来ました。金具類が残っているのは、使われなくなった施設が撤去され、その基礎部分だけが取り残されているようでした。部分的には、モルタルで補修されているようでした。(同上)

  • 緩いカーブを描いた石畳の道と、その両側の2~3階建ての街路光景です。この町並は、『ユーゲント・シュティール(仏:アール。ヌーヴォー)』の影響を受けた造りではないようでした。商店らしいものがない、住宅街のようです。スペースの問題でしょうか、この通りには植木鉢の姿はありませんでした。この通りは、道の中央部分が雨水の配水溝のようでした。(同上)

    緩いカーブを描いた石畳の道と、その両側の2~3階建ての街路光景です。この町並は、『ユーゲント・シュティール(仏:アール。ヌーヴォー)』の影響を受けた造りではないようでした。商店らしいものがない、住宅街のようです。スペースの問題でしょうか、この通りには植木鉢の姿はありませんでした。この通りは、道の中央部分が雨水の配水溝のようでした。(同上)

  • 歩道の真ん中に設置してあったブロンズ製の頑丈そうな施設の光景です。一見して、消火栓設備のようにも見えましたが、外れかも知れません。中間付近の左右にライオン像があり、それぞれ、金輪を加えていました。『リガ旧市街の消火栓』でネット検索しましたら、よく似た写真もヒットしましたが、消火栓なのか、自信はありません。(同上)

    歩道の真ん中に設置してあったブロンズ製の頑丈そうな施設の光景です。一見して、消火栓設備のようにも見えましたが、外れかも知れません。中間付近の左右にライオン像があり、それぞれ、金輪を加えていました。『リガ旧市街の消火栓』でネット検索しましたら、よく似た写真もヒットしましたが、消火栓なのか、自信はありません。(同上)

  • 黄色と白色に外壁の色が統一されてた通りの光景です。珍しく、車の姿も見えましたが、多分、事前の許可が取られた地元の車のようです。右側の街路は、『ユーゲント・シュティール(仏:アール・ヌーボー)』の影響を受けた、お洒落な町並み光景のようでした。(同上)

    黄色と白色に外壁の色が統一されてた通りの光景です。珍しく、車の姿も見えましたが、多分、事前の許可が取られた地元の車のようです。右側の街路は、『ユーゲント・シュティール(仏:アール・ヌーボー)』の影響を受けた、お洒落な町並み光景のようでした。(同上)

  • この一角には、右手に珍しく街路樹の光景がありました。寺院か、大型の公共施設があるエリアの樹木のようでした。(同上)

    この一角には、右手に珍しく街路樹の光景がありました。寺院か、大型の公共施設があるエリアの樹木のようでした。(同上)

  • 歩道の真ん中にあった『消火栓』と見間違えた施設が、この場所にもありました。正解は中世時代を思わせるチェーン留めの支柱でした。それにしても凝りに凝った支柱です。(同上)

    歩道の真ん中にあった『消火栓』と見間違えた施設が、この場所にもありました。正解は中世時代を思わせるチェーン留めの支柱でした。それにしても凝りに凝った支柱です。(同上)

  • リガ旧市街旧市街の、石畳の歩道のズームアップ光景です。歩道の中央に浅い雨水の溝が設けられているようでした。初めて目にしたような歩道の構造でした。大量の雨水が流れることがないのか、あるいは、溝から溢れた場合は、道路全体が排水路になるのかも知れません。目視では、道路の両端の方が少し高くなっているようにも見えました。(同上)

    リガ旧市街旧市街の、石畳の歩道のズームアップ光景です。歩道の中央に浅い雨水の溝が設けられているようでした。初めて目にしたような歩道の構造でした。大量の雨水が流れることがないのか、あるいは、溝から溢れた場合は、道路全体が排水路になるのかも知れません。目視では、道路の両端の方が少し高くなっているようにも見えました。(同上)

  • 立派な石造りの建物の出入り口付近の光景です。石造りか、コンクリート製の外壁なのか、はっきりとは判別できませんでした。まだ新しい立派なドアの上には、ステンドグラスらしいものが見えました。手元のガイドブックや、ネット検索しても建物の名称は分かりませんでした。(同上)

    立派な石造りの建物の出入り口付近の光景です。石造りか、コンクリート製の外壁なのか、はっきりとは判別できませんでした。まだ新しい立派なドアの上には、ステンドグラスらしいものが見えました。手元のガイドブックや、ネット検索しても建物の名称は分かりませんでした。(同上)

  • 壁面の窪みに飾られた人物石像の光景です。古代か、神話の世界を表現したものでしょうか、長い爪を持った怪獣が、逞しい戦士のような人物に組み敷かれていました。その情けない顔が、可愛らしくも見えました。例えば、ローマ神話では、『ジュピター(ラテン語:ユピテル)』、『ネプチューン(ギリシャ神話:ポセイドン)』、『マーズ(ラテン語:アレース)』など、色々と強そうな神様がいます。(同上)

    壁面の窪みに飾られた人物石像の光景です。古代か、神話の世界を表現したものでしょうか、長い爪を持った怪獣が、逞しい戦士のような人物に組み敷かれていました。その情けない顔が、可愛らしくも見えました。例えば、ローマ神話では、『ジュピター(ラテン語:ユピテル)』、『ネプチューン(ギリシャ神話:ポセイドン)』、『マーズ(ラテン語:アレース)』など、色々と強そうな神様がいます。(同上)

  • ラトビアの紋章らしい下に記されていたラトビア語は、『Latvias Repubikas Saeima』でした。機械翻訳では『ラトビアス・レプビカ・サエイマ』や、別の翻訳では『ラトビア共和国の正師』となりました。『ラトビア共和国(Latvijas Republika)』は間違いないようですが、『SaeimaまたはSaetma』の和訳、あるいは英訳がはっきりしませんでした。(同上)

    ラトビアの紋章らしい下に記されていたラトビア語は、『Latvias Repubikas Saeima』でした。機械翻訳では『ラトビアス・レプビカ・サエイマ』や、別の翻訳では『ラトビア共和国の正師』となりました。『ラトビア共和国(Latvijas Republika)』は間違いないようですが、『SaeimaまたはSaetma』の和訳、あるいは英訳がはっきりしませんでした。(同上)

  • 『ラトビア共和国』の公的な施設のようですが、具体的な施設名が割り出せなかった建物の光景です。手元のガイドブックや、ネット検索で調べてみましたが、ヒントが掴めませんでした。先に紹介した、神話の英雄像のようなものも、この建物の壁面に飾られていました。(同上)

    『ラトビア共和国』の公的な施設のようですが、具体的な施設名が割り出せなかった建物の光景です。手元のガイドブックや、ネット検索で調べてみましたが、ヒントが掴めませんでした。先に紹介した、神話の英雄像のようなものも、この建物の壁面に飾られていました。(同上)

  • 表紙気に記された、『Saeima』または『Saetma』だけの和訳を試みても、『サエイマ』、あるいは『サエトマ』の和訳以外は出現しませんでした。ラトビア語以外にも、仏語、独語、ラテン語でも同様でしたので、一旦は降参です。『Saeima』または『Saetma』は、この場所の地名かも知れません。しかし、ガイドブックの道路名などでは見つかりませんでした。(同上)

    表紙気に記された、『Saeima』または『Saetma』だけの和訳を試みても、『サエイマ』、あるいは『サエトマ』の和訳以外は出現しませんでした。ラトビア語以外にも、仏語、独語、ラテン語でも同様でしたので、一旦は降参です。『Saeima』または『Saetma』は、この場所の地名かも知れません。しかし、ガイドブックの道路名などでは見つかりませんでした。(同上)

  • 『Latvias Repubikas Saeima』の標識があっても、施設名が分からなかった建物の最後の紹介です。大きさから言っても、広い会議室や宿泊施設などがあってもおかしくない建物でした。心残りですが、完全な降参です。(同上)

    『Latvias Repubikas Saeima』の標識があっても、施設名が分からなかった建物の最後の紹介です。大きさから言っても、広い会議室や宿泊施設などがあってもおかしくない建物でした。心残りですが、完全な降参です。(同上)

  • 『聖ヤコブ大聖堂』の正門か、通用門になるようです。建物が大きいので、相対的に出入口が小さく見えました。旧市街地のダウガウ川に近い地域で、3人兄弟の建物のすぐ近くに位置します。1225年に建てられた建物が始まりとされます。カトリック教会の『大聖堂(カテドラル)』とされます。(同上)

    『聖ヤコブ大聖堂』の正門か、通用門になるようです。建物が大きいので、相対的に出入口が小さく見えました。旧市街地のダウガウ川に近い地域で、3人兄弟の建物のすぐ近くに位置します。1225年に建てられた建物が始まりとされます。カトリック教会の『大聖堂(カテドラル)』とされます。(同上)

  • 同じく、正面から眺めた『聖ヤコブ大聖堂』の正門の光景です。通用門にしては少し立派過ぎます。古い石造の建物に、モザイク風の塗色を施して、目立つように工夫してあるようでした。1522年にリーガの2番目のドイツ語のルター派教会になり、1582年にイエズス会に返されましたが、1621年にルター派に戻されました。その後、1923年にカトリック教派に返され、大聖堂になりました。(同上)

    同じく、正面から眺めた『聖ヤコブ大聖堂』の正門の光景です。通用門にしては少し立派過ぎます。古い石造の建物に、モザイク風の塗色を施して、目立つように工夫してあるようでした。1522年にリーガの2番目のドイツ語のルター派教会になり、1582年にイエズス会に返されましたが、1621年にルター派に戻されました。その後、1923年にカトリック教派に返され、大聖堂になりました。(同上)

  • 直近から見上げた、『聖ヤコブ大聖堂』の建物光景です。聖ヤコブ大聖堂は、カトリック教会のリガ大聖堂です。このゴシック様式の教会は、聖ヤコブ(ゼベダイの子のヤコブ)に献堂されています。ゼベダイの子のヤコブは、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人で、使徒ヨハネの兄弟です。アルファイの子ヤコブと区別して『大ヤコブ』とも呼ばれます。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されています。(同上)

    直近から見上げた、『聖ヤコブ大聖堂』の建物光景です。聖ヤコブ大聖堂は、カトリック教会のリガ大聖堂です。このゴシック様式の教会は、聖ヤコブ(ゼベダイの子のヤコブ)に献堂されています。ゼベダイの子のヤコブは、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人で、使徒ヨハネの兄弟です。アルファイの子ヤコブと区別して『大ヤコブ』とも呼ばれます。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されています。(同上)

  • 少し離れた場所から眺めた、『聖ヤコブ大聖堂(カテドラル)』の尖塔光景です。尖塔の緑の色は、緑青によるもののようです。ゼベダイの子のヤコブは、正教会では聖福音者イオアンの兄聖使徒イアコフと呼ばれます。 『マルコによる福音書』によると、ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、そのまま父と雇い人を残してヨハネと共に弟子になったとされます。(同上)

    イチオシ

    少し離れた場所から眺めた、『聖ヤコブ大聖堂(カテドラル)』の尖塔光景です。尖塔の緑の色は、緑青によるもののようです。ゼベダイの子のヤコブは、正教会では聖福音者イオアンの兄聖使徒イアコフと呼ばれます。 『マルコによる福音書』によると、ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、そのまま父と雇い人を残してヨハネと共に弟子になったとされます。(同上)

  • 『聖ヤコブ教会』の尖塔のズームアップ光景です。長方形の銅板を一面に張り付けてあるようでした。時計の針が13時10分前ほどを指していました。兄弟二人は、『ボアネルゲス(雷の子ら)』と呼ばれていたようです。ヤコブはエルサレム教会においても一貫して中心的な立場を占めていましたが、『使徒行伝』によるとユダヤ人の歓心を買おうとした『ヘロデ・アグリッパ1世(紀元前10年?~紀元44年)』によって捕らえられ、殉教したとされます。ローマ帝国に公認された古代ユダヤの統治者でした。紀元44年頃のことと推定されています。(同上)

    『聖ヤコブ教会』の尖塔のズームアップ光景です。長方形の銅板を一面に張り付けてあるようでした。時計の針が13時10分前ほどを指していました。兄弟二人は、『ボアネルゲス(雷の子ら)』と呼ばれていたようです。ヤコブはエルサレム教会においても一貫して中心的な立場を占めていましたが、『使徒行伝』によるとユダヤ人の歓心を買おうとした『ヘロデ・アグリッパ1世(紀元前10年?~紀元44年)』によって捕らえられ、殉教したとされます。ローマ帝国に公認された古代ユダヤの統治者でした。紀元44年頃のことと推定されています。(同上)

  • 『聖ヤコブ教会(セント・ヤコブ・カテドラル)』の標識の光景です。1225年に設立された教会です。『カテドラル』は、キリスト教における司教座聖堂・主教座聖堂のことで、『大聖堂』とも和訳されます。正教会の大聖堂と、聖公会やカトリック教会の大聖堂とでは語義に差があるようです。(同上)

    『聖ヤコブ教会(セント・ヤコブ・カテドラル)』の標識の光景です。1225年に設立された教会です。『カテドラル』は、キリスト教における司教座聖堂・主教座聖堂のことで、『大聖堂』とも和訳されます。正教会の大聖堂と、聖公会やカトリック教会の大聖堂とでは語義に差があるようです。(同上)

  • 分けて撮影した『三人兄弟の家』の光景です。向かって右端に位置する白い家です。この建物は、15世紀に建築されたリガ最古の石造住宅とされ、階段式の切妻屋根とゴシックの壁龕で装飾されています。この住宅が建築された時代は、リガの土地問題が深刻ではなかったため、玄関を石のベンチで飾っていたりします。(同上)

    分けて撮影した『三人兄弟の家』の光景です。向かって右端に位置する白い家です。この建物は、15世紀に建築されたリガ最古の石造住宅とされ、階段式の切妻屋根とゴシックの壁龕で装飾されています。この住宅が建築された時代は、リガの土地問題が深刻ではなかったため、玄関を石のベンチで飾っていたりします。(同上)

  • 『三人兄弟の家』の家の中央と左端の建物光景です。<br />○中央は、淡い黄色の外壁が印象的な建物です。17世紀に建築され、正面はオランダのマニエリスム様式となっています。<br />○最後に、向かって左端の建物です。17世紀末に建設されたグリーンの外壁の末っ子は、他の2軒に比べ幅の狭い建物で、バロック様式の破風が特徴的です。(同上)

    イチオシ

    『三人兄弟の家』の家の中央と左端の建物光景です。
    ○中央は、淡い黄色の外壁が印象的な建物です。17世紀に建築され、正面はオランダのマニエリスム様式となっています。
    ○最後に、向かって左端の建物です。17世紀末に建設されたグリーンの外壁の末っ子は、他の2軒に比べ幅の狭い建物で、バロック様式の破風が特徴的です。(同上)

  • 三人兄弟の家の更に右側に位置する家の光景です。三人兄弟の家についての下調べ不十分で撮影しま念のために撮影しておいた建物です。改めて、建設時代も建築様式も異なる三人兄弟の家を紹介します。<br />○(右端):15世紀のゴシック様式の、白い家。<br />○(中央):17世紀のマニエリスム様式の、薄黄色の家。<br />○(左端):17世紀末のバロック様式の、緑色の家。(同上)

    三人兄弟の家の更に右側に位置する家の光景です。三人兄弟の家についての下調べ不十分で撮影しま念のために撮影しておいた建物です。改めて、建設時代も建築様式も異なる三人兄弟の家を紹介します。
    ○(右端):15世紀のゴシック様式の、白い家。
    ○(中央):17世紀のマニエリスム様式の、薄黄色の家。
    ○(左端):17世紀末のバロック様式の、緑色の家。(同上)

  • 三人兄弟の家の並びにあった、別の建物の紹介です。英文表記の『Linen and Souvenirs』の文字がありました。リネン(Linen)は、『亜麻布(あまぬの)』のことです。また、『Souvenirs』は、記念品のことです。旅行のお土産店のようでした。花の絵があしらわれた、案内看板でした。亜麻の繊維の色は、『亜麻色の髪』等、金髪などの形容に用いられます。(同上)

    三人兄弟の家の並びにあった、別の建物の紹介です。英文表記の『Linen and Souvenirs』の文字がありました。リネン(Linen)は、『亜麻布(あまぬの)』のことです。また、『Souvenirs』は、記念品のことです。旅行のお土産店のようでした。花の絵があしらわれた、案内看板でした。亜麻の繊維の色は、『亜麻色の髪』等、金髪などの形容に用いられます。(同上)

  • お土産店の入口に飾ってあった、房咲きの花のドライフラワーの光景です。地味なように見えて、随分と手間をかけた手造りの飾り物のようでした。台座の部分も、縄のように編んだものでカバーされていました。(同上)

    お土産店の入口に飾ってあった、房咲きの花のドライフラワーの光景です。地味なように見えて、随分と手間をかけた手造りの飾り物のようでした。台座の部分も、縄のように編んだものでカバーされていました。(同上)

  • 名前:『ゼラニュウム』<br />分類:フウロソウ科テンジクアオイ属<br />分布:南アフリカ原産。<br />その他:花壇で咲いていた、赤色と白色の花の光景です。(同上)

    名前:『ゼラニュウム』
    分類:フウロソウ科テンジクアオイ属
    分布:南アフリカ原産。
    その他:花壇で咲いていた、赤色と白色の花の光景です。(同上)

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