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昨晩到着した、エストニアの首都・タリンのホテルの紹介です。到着した昨晩に降っていた雨は、今朝も降り続いていました。エストニアを含むバルト3国は、地形的に雨が多い地方とされます。この地方で言えば、普通の天候が続いているようでした。世界遺産の古都・タリンで最初に見学したのはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)

2012秋、バルト三国旅行記(3/40):10月10日(1):エストニア、タリン、ネフスキー大聖堂、トームペア城

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2012/10/09 - 2012/10/14

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

昨晩到着した、エストニアの首都・タリンのホテルの紹介です。到着した昨晩に降っていた雨は、今朝も降り続いていました。エストニアを含むバルト3国は、地形的に雨が多い地方とされます。この地方で言えば、普通の天候が続いているようでした。世界遺産の古都・タリンで最初に見学したのはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)

  • タリンで宿泊した、『パーク イン・セントラル・タリン』ホテルの自室の紹介です。この旅行のために入手したガイドブック、『バルト三国(るるぶ)』には、『館内は、スタイリッシュなモダン・デコ・スタイル、家族連れから、ビジネス、旅行者にも、幅広く対応』、と紹介されていました。すっきりとした造りの部屋でした。(同上)<br />

    タリンで宿泊した、『パーク イン・セントラル・タリン』ホテルの自室の紹介です。この旅行のために入手したガイドブック、『バルト三国(るるぶ)』には、『館内は、スタイリッシュなモダン・デコ・スタイル、家族連れから、ビジネス、旅行者にも、幅広く対応』、と紹介されていました。すっきりとした造りの部屋でした。(同上)

  • 浴室の紹介です。お洒落なカーテンが使われ、壁面には冬季用の暖房設備もありました。清掃も行き届き、申し分ありませんでした。『パーク イン・セントラル・タリン』の立地場所は、ガイドブックには、世界遺産の旧市街にある『ラエコヤ広場まで徒歩15分』と紹介されていました。地図で確認しますと、南北に延びる城壁まで4~500メートル程東に位置するホテルでした。(同上)

    浴室の紹介です。お洒落なカーテンが使われ、壁面には冬季用の暖房設備もありました。清掃も行き届き、申し分ありませんでした。『パーク イン・セントラル・タリン』の立地場所は、ガイドブックには、世界遺産の旧市街にある『ラエコヤ広場まで徒歩15分』と紹介されていました。地図で確認しますと、南北に延びる城壁まで4~500メートル程東に位置するホテルでした。(同上)

  • エストニアの世界遺産の紹介です。文化遺産に2件登録されていますが、自然遺産や複合遺産はありません。(同上)<br />○タリン歴史地区(旧市街):(1997年登録)<br />○シュトルーヴェの測地弧:(2005年登録)<br />今回旅行では見学していませんが、『シュトルーヴェの測地弧』について、簡単に紹介しておきます。『ドイツ出身のロシアの天文学者、フリードリヒ・フォン・シュトルーヴェが中心となって、1816年から1855年に掛けて子午線弧長の三角測量のために設置された三角点群(ウィキペディア)』と紹介されていました。<br />*写真は、入口ドア方面の光景です。昨晩濡れた折畳み傘を広げておきました。

    エストニアの世界遺産の紹介です。文化遺産に2件登録されていますが、自然遺産や複合遺産はありません。(同上)
    ○タリン歴史地区(旧市街):(1997年登録)
    ○シュトルーヴェの測地弧:(2005年登録)
    今回旅行では見学していませんが、『シュトルーヴェの測地弧』について、簡単に紹介しておきます。『ドイツ出身のロシアの天文学者、フリードリヒ・フォン・シュトルーヴェが中心となって、1816年から1855年に掛けて子午線弧長の三角測量のために設置された三角点群(ウィキペディア)』と紹介されていました。
    *写真は、入口ドア方面の光景です。昨晩濡れた折畳み傘を広げておきました。

  • 世界遺産の『シュトルーヴェの測地弧』について、少し補足しますと、『これらの観測点群は、地球の大きさなどを正確に測る上で多大な貢献をしたものであり、当時設置された265か所の測量点のうち34か所が、2005年にユネスコの世界遺産に登録された。これは、10か国に跨る珍しい物件だが、設置された当時はわずか2か国(スウェーデン=ノルウェーとロシア帝国)に跨っているに過ぎなかったも紹介されていました。(同上)<br />*写真は、台の上に置かれた旧式のテレビの光景です。

    世界遺産の『シュトルーヴェの測地弧』について、少し補足しますと、『これらの観測点群は、地球の大きさなどを正確に測る上で多大な貢献をしたものであり、当時設置された265か所の測量点のうち34か所が、2005年にユネスコの世界遺産に登録された。これは、10か国に跨る珍しい物件だが、設置された当時はわずか2か国(スウェーデン=ノルウェーとロシア帝国)に跨っているに過ぎなかったも紹介されていました。(同上)
    *写真は、台の上に置かれた旧式のテレビの光景です。

  • 朝の光が差し込んできた窓際の光景です。外光よりも室内照明の明かりがほとんどでした。どうやら今日の見学は、折りたたみ傘が手放せないようでした。10カ国にまたがる『シュトルーヴェの測地弧』は、南北線上にあり、今回旅行のバルト三国はすべて含まれます。10カ国の内には、ロシアや、北欧3カ国も含まれています。(同上)

    朝の光が差し込んできた窓際の光景です。外光よりも室内照明の明かりがほとんどでした。どうやら今日の見学は、折りたたみ傘が手放せないようでした。10カ国にまたがる『シュトルーヴェの測地弧』は、南北線上にあり、今回旅行のバルト三国はすべて含まれます。10カ国の内には、ロシアや、北欧3カ国も含まれています。(同上)

  • 泊まったホテルでの朝食です。バイキング方式でした。トマトやキューリ、ピクルスなどのほか、チーズやハム類も色々と戴きました。パン類や飲み物も各種揃っており、申し分のない朝食でした。今回のバルト三国旅行では、昼と夜に、安くて美味しいワインを楽しめたのも最高でした。(同上)

    泊まったホテルでの朝食です。バイキング方式でした。トマトやキューリ、ピクルスなどのほか、チーズやハム類も色々と戴きました。パン類や飲み物も各種揃っており、申し分のない朝食でした。今回のバルト三国旅行では、昼と夜に、安くて美味しいワインを楽しめたのも最高でした。(同上)

  • 『パーク イン・セントラル・タリン』の公式サイトからの紹介です。『客室は鮮やかな色調の明るい内装で、ワークスペース、モダンなバスルーム(バスタブまたはシャワー、ヘアドライヤー付)、エアコンが備わります。全室禁煙です。24時間対応のフロントデスクのスタッフが荷物預かり、ランドリー&ドライクリーニングサービスを手配しています。専用サウナや敷地内のビューティーサロンでリラックスできます。ほとんどのホテルエリアは車椅子でアクセス可能です。』、と紹介されていました。(同上)<br />*写真は、壁飾りのズームアップ光景です。

    『パーク イン・セントラル・タリン』の公式サイトからの紹介です。『客室は鮮やかな色調の明るい内装で、ワークスペース、モダンなバスルーム(バスタブまたはシャワー、ヘアドライヤー付)、エアコンが備わります。全室禁煙です。24時間対応のフロントデスクのスタッフが荷物預かり、ランドリー&ドライクリーニングサービスを手配しています。専用サウナや敷地内のビューティーサロンでリラックスできます。ほとんどのホテルエリアは車椅子でアクセス可能です。』、と紹介されていました。(同上)
    *写真は、壁飾りのズームアップ光景です。

  • 同じく、『パーク イン・セントラル・タリン』の公式サイトからの紹介です。連泊したい居心地の良いホテルでした。『レストランでは地元料理、食物アレルギー対応の料理、各種ベジタリアン料理などの様々な各国料理のアラカルトメニューを楽しめます。子供用メニューも用意しています。(このホテルは)タリン港から1km、市内主要駅のBalti Jaam(タリン中央)駅から1.4km、タリン空港から5kmです。(同上)<br />*写真は、ホテル内の長い廊下の光景です。

    同じく、『パーク イン・セントラル・タリン』の公式サイトからの紹介です。連泊したい居心地の良いホテルでした。『レストランでは地元料理、食物アレルギー対応の料理、各種ベジタリアン料理などの様々な各国料理のアラカルトメニューを楽しめます。子供用メニューも用意しています。(このホテルは)タリン港から1km、市内主要駅のBalti Jaam(タリン中央)駅から1.4km、タリン空港から5kmです。(同上)
    *写真は、ホテル内の長い廊下の光景です。

  • このホテルは、グリーンキー・エコ評価プログラムのメンバーのホテルとされ、利用者の口コミ情報も、ひゃかが高かったようです。今日の見学に出かける時に撮影した『スカンディック・パレス・ホテル』の建物正面光景です。日本国旗は見当たりませんでしたが、各国の国旗が玄関先に掲げてありました。フィンランド国旗(青十字)、ドイツ国旗(黒・赤・黄の三色)等でした。(同上)

    このホテルは、グリーンキー・エコ評価プログラムのメンバーのホテルとされ、利用者の口コミ情報も、ひゃかが高かったようです。今日の見学に出かける時に撮影した『スカンディック・パレス・ホテル』の建物正面光景です。日本国旗は見当たりませんでしたが、各国の国旗が玄関先に掲げてありました。フィンランド国旗(青十字)、ドイツ国旗(黒・赤・黄の三色)等でした。(同上)

  • 今日の天候は、折畳みの傘が手放せないようでした。泊まったホテルから、西に少しだけ移動して、世界遺産の『タリン旧市街』地区に向かいました。荷物はすべて観光バスに預けましたが、歩いてもわずかな距離でした。しかし、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂までは、少し距離がありましたから、観光バスで送って貰ったかも知れません。(同上)

    今日の天候は、折畳みの傘が手放せないようでした。泊まったホテルから、西に少しだけ移動して、世界遺産の『タリン旧市街』地区に向かいました。荷物はすべて観光バスに預けましたが、歩いてもわずかな距離でした。しかし、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂までは、少し距離がありましたから、観光バスで送って貰ったかも知れません。(同上)

  • 推測になりますが、タリン旧市街の城壁になるようです。旧市街を取り囲むようにして造られた城壁は、14~16世紀の間に増築を繰り返し、約2.5kmの長さのうち、現在は約1.9kmが残され、その一部を歩くことができます。城壁には20の塔が並び、博物館や展望台、カフェとして使われているところもあります。左端付近に見えているのが20あるとされる塔の一つのようです。城壁は、修復されたものかもしれませんが、中世を思わせる石積でした。(同上)

    推測になりますが、タリン旧市街の城壁になるようです。旧市街を取り囲むようにして造られた城壁は、14~16世紀の間に増築を繰り返し、約2.5kmの長さのうち、現在は約1.9kmが残され、その一部を歩くことができます。城壁には20の塔が並び、博物館や展望台、カフェとして使われているところもあります。左端付近に見えているのが20あるとされる塔の一つのようです。城壁は、修復されたものかもしれませんが、中世を思わせる石積でした。(同上)

  • 城壁の上を歩くウォーキングでは、下町の南西にある塔『キーク・イン・デ・キョク』にある要塞博物館を見学し、階段に疲れてきたら続く『乙女の塔』にあるカフェで休憩できるようです。城壁の通路に設けられたカフェ席からデンマーク王の庭を眺めれば、歩き疲れた足だけではなく、心も癒やされること間違いないようです。デンマーク国旗が生まれた場所として、観光名所にもなっています。(同上)

    城壁の上を歩くウォーキングでは、下町の南西にある塔『キーク・イン・デ・キョク』にある要塞博物館を見学し、階段に疲れてきたら続く『乙女の塔』にあるカフェで休憩できるようです。城壁の通路に設けられたカフェ席からデンマーク王の庭を眺めれば、歩き疲れた足だけではなく、心も癒やされること間違いないようです。デンマーク国旗が生まれた場所として、観光名所にもなっています。(同上)

  • ガイドブックで見ますと、旧市街の建物を囲むように、公園や緑地帯などが存在しているようでした。この樹木、林がその緑地帯に該当しているようでした。公園の手入れされた木々ではなく、雑木林風の木々でした。(同上)

    ガイドブックで見ますと、旧市街の建物を囲むように、公園や緑地帯などが存在しているようでした。この樹木、林がその緑地帯に該当しているようでした。公園の手入れされた木々ではなく、雑木林風の木々でした。(同上)

  • カメラに収めましたが、名前が特定できなかった建物の光景です。近世以降の、まだそれほど年月を経ていない建物のようです。それでも、『タリン旧市街』のエリア内に位置する建物かも知れません。ガイドブックでは判断が出来ませんでした。(同上)

    カメラに収めましたが、名前が特定できなかった建物の光景です。近世以降の、まだそれほど年月を経ていない建物のようです。それでも、『タリン旧市街』のエリア内に位置する建物かも知れません。ガイドブックでは判断が出来ませんでした。(同上)

  • 中央やや左手に、木々に隠れていますが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の建物が見えてきました。地図で確認しますと、南北のこの通りを挟んで、左がトームペア城、右がアレクサンドル・ネフスキー大聖堂になるようでした。前方になる北側と。東側になる右手に向かって登り勾配になっていました。(同上)

    中央やや左手に、木々に隠れていますが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の建物が見えてきました。地図で確認しますと、南北のこの通りを挟んで、左がトームペア城、右がアレクサンドル・ネフスキー大聖堂になるようでした。前方になる北側と。東側になる右手に向かって登り勾配になっていました。(同上)

  • アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の建物光景です。19世紀末にロシア皇帝の『アレクサンドル3世(1845~1894年)』の命により建立されたロシア正教の大聖堂です。1242年にドイツ軍を破り、その後、ロシア正教会の聖人に列せられた『アレクサンドル1世・ネフスキー公(1220~1263年)』に奉げられました。(同上)<br />

    アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の建物光景です。19世紀末にロシア皇帝の『アレクサンドル3世(1845~1894年)』の命により建立されたロシア正教の大聖堂です。1242年にドイツ軍を破り、その後、ロシア正教会の聖人に列せられた『アレクサンドル1世・ネフスキー公(1220~1263年)』に奉げられました。(同上)

  • 『アレクサンドル1世』は、中世ロシアの英雄として讃えられている人物です。妻はポロツク公ブリャチスラフの娘・アレクサンドラ、息子には長男のヴァシーリー(ノヴゴロド公)、次男のドミトリー(ウラジーミル大公)、三男のアンドレイ(ウラジーミル大公)、末子のダニール(初代モスクワ公)がいます。(同上)

    『アレクサンドル1世』は、中世ロシアの英雄として讃えられている人物です。妻はポロツク公ブリャチスラフの娘・アレクサンドラ、息子には長男のヴァシーリー(ノヴゴロド公)、次男のドミトリー(ウラジーミル大公)、三男のアンドレイ(ウラジーミル大公)、末子のダニール(初代モスクワ公)がいます。(同上)

  • 『アレクサンドル1世』は、死後早くから聖人視されることが始まり、1547年にはロシア正教会から列聖され、正教会の聖人となりました。これはアレクサンドルが、東方に進出してきたカトリックの影響を排除することに熱心だったことが大きく影響しています。聖人としての称号は、『ネワの聖大侯アレクサンドル』とされます。写真は、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂のズームアップ光景です。ロシア正教会の建物をモデルとしたようです。(同上)

    イチオシ

    『アレクサンドル1世』は、死後早くから聖人視されることが始まり、1547年にはロシア正教会から列聖され、正教会の聖人となりました。これはアレクサンドルが、東方に進出してきたカトリックの影響を排除することに熱心だったことが大きく影響しています。聖人としての称号は、『ネワの聖大侯アレクサンドル』とされます。写真は、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂のズームアップ光景です。ロシア正教会の建物をモデルとしたようです。(同上)

  • 彼に因む教会・修道院としては、『ピョートル1世(1672~1725年)』によって建立された、サンクトペテルブルクの『アレクサンドル・ネフスキー大修道院』が有名です。修道院のために選ばれた場所は『ネヴァ川の戦い』の古戦場です。この戦いは、1240年7月15日、ロシアのネヴァ川河畔(現在のウスチ・イジョラ付近)での、ノヴゴロド公国(共和国)と第二次スウェーデン十字軍との戦いです。(同上)

    彼に因む教会・修道院としては、『ピョートル1世(1672~1725年)』によって建立された、サンクトペテルブルクの『アレクサンドル・ネフスキー大修道院』が有名です。修道院のために選ばれた場所は『ネヴァ川の戦い』の古戦場です。この戦いは、1240年7月15日、ロシアのネヴァ川河畔(現在のウスチ・イジョラ付近)での、ノヴゴロド公国(共和国)と第二次スウェーデン十字軍との戦いです。(同上)

  • アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の壁面の装飾の紹介が続きます。少しズームアップして、色調もパソコンで少し調整した壁画の光景です。天使に囲まれた像は、推測ですが、『アレクサンドル・ネフスキー公』のようです。この聖堂を贈られた人です。(同上)

    イチオシ

    アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の壁面の装飾の紹介が続きます。少しズームアップして、色調もパソコンで少し調整した壁画の光景です。天使に囲まれた像は、推測ですが、『アレクサンドル・ネフスキー公』のようです。この聖堂を贈られた人です。(同上)

  • 帝政ロシアの一地方にエストニアが組み込まれていた1894年から1900年の間に『ミハイル・プレオブラジェンスキー』によって、典型的なロシア復古主義のスタイルに設計され建設された大聖堂の紹介が続きます。(同上)

    帝政ロシアの一地方にエストニアが組み込まれていた1894年から1900年の間に『ミハイル・プレオブラジェンスキー』によって、典型的なロシア復古主義のスタイルに設計され建設された大聖堂の紹介が続きます。(同上)

  • 次に紹介するのは『トームペア(Toompea)城』です。タリン歴史地区西部のトームペアにある丘の上の城です。南側の高さ50.2メートルの塔は、『のっぽのヘルマン(ドイツ語で支配者の意)』と呼ばれています。日本では、財団法人日本城郭協会が2010年(平成22年)12月に『ヨーロッパ100名城』の一つ(23番)に選定しています。(同上)

    次に紹介するのは『トームペア(Toompea)城』です。タリン歴史地区西部のトームペアにある丘の上の城です。南側の高さ50.2メートルの塔は、『のっぽのヘルマン(ドイツ語で支配者の意)』と呼ばれています。日本では、財団法人日本城郭協会が2010年(平成22年)12月に『ヨーロッパ100名城』の一つ(23番)に選定しています。(同上)

  • トームペア城の正面玄関の上部に飾られた、三頭の獅子像の紋章です。トーンペア城は、歴代の支配者の旗が掲げられてきました。いまでも国旗はエストニア国歌が流れるなか、塔の上に日の出とともに揚げられ、日の入りとともに収められています。(同上)

    トームペア城の正面玄関の上部に飾られた、三頭の獅子像の紋章です。トーンペア城は、歴代の支配者の旗が掲げられてきました。いまでも国旗はエストニア国歌が流れるなか、塔の上に日の出とともに揚げられ、日の入りとともに収められています。(同上)

  • トームペア城の紹介が続きます。その歴史の紹介です。11世紀までにエストニア人は木造の城を建設しました。13世紀、リヴォニア帯剣騎士団が占領して本格的な要塞建設を開始し、18世紀末までの改修で現在のような外観となりました。20世紀末にエストニアがロシアから独立して後は、エストニア国会の議事堂として使用されました。『リヴォニア帯剣騎士団(正式名称リヴォニアのキリスト騎士修道会)』は、騎士修道会の一つです。1202年に設立され、1237年にドイツ騎士団に吸収されました。(同上)

    トームペア城の紹介が続きます。その歴史の紹介です。11世紀までにエストニア人は木造の城を建設しました。13世紀、リヴォニア帯剣騎士団が占領して本格的な要塞建設を開始し、18世紀末までの改修で現在のような外観となりました。20世紀末にエストニアがロシアから独立して後は、エストニア国会の議事堂として使用されました。『リヴォニア帯剣騎士団(正式名称リヴォニアのキリスト騎士修道会)』は、騎士修道会の一つです。1202年に設立され、1237年にドイツ騎士団に吸収されました。(同上)

  • 中央奥に聳える塔が、『のっぽのヘルマン』です。現在国会議事堂となっているピンク色の建物です。トームペア城は、支配者が変わるたびに補強・改築されました。18世紀後半には、当時の権力者エカテリーナ2世が知事官邸として使用するため改築を命じ、それまでの城という外観から宮殿に近い姿になりました。これが現在のトームペア城の姿になりました。(同上)

    イチオシ

    中央奥に聳える塔が、『のっぽのヘルマン』です。現在国会議事堂となっているピンク色の建物です。トームペア城は、支配者が変わるたびに補強・改築されました。18世紀後半には、当時の権力者エカテリーナ2世が知事官邸として使用するため改築を命じ、それまでの城という外観から宮殿に近い姿になりました。これが現在のトームペア城の姿になりました。(同上)

  • 赤い屋根の建物越しに見えていた尖塔の光景です。似たような尖塔がいくつかありますので、自信はありませんが、トームペア地区にある『聖母マリア大聖堂』の尖塔のようです。『聖母マリア大聖堂』は、トームペアの語源となった、タリン最古の境界とされます。1219年、デンマーク人による征服の時、木造の教会が建てられ、後に石像の大聖堂になったようです。(同上)

    赤い屋根の建物越しに見えていた尖塔の光景です。似たような尖塔がいくつかありますので、自信はありませんが、トームペア地区にある『聖母マリア大聖堂』の尖塔のようです。『聖母マリア大聖堂』は、トームペアの語源となった、タリン最古の境界とされます。1219年、デンマーク人による征服の時、木造の教会が建てられ、後に石像の大聖堂になったようです。(同上)

  • )駐車場の柵越しに眺めた、『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂』の建物光景になるようです。カラフルな屋根飾りがいくつも並んでいました。エストニアがソビエト連邦から独立した時、この大聖堂が取り壊されることも検討されたようですが、実行はされませんでした。(同上)

    )駐車場の柵越しに眺めた、『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂』の建物光景になるようです。カラフルな屋根飾りがいくつも並んでいました。エストニアがソビエト連邦から独立した時、この大聖堂が取り壊されることも検討されたようですが、実行はされませんでした。(同上)

  • 人の姿はありませんでしたが、芝生が刈りこまれ、手入れされた公園の光景です。10月の初旬から中旬に代わる時期ですから、黄色の落葉が散り敷いていました。日本ですと、紅葉の落葉もありますが、北欧付近では黄葉がほとんどのようです。紅葉も、褐葉と呼ばれる、黄葉との中間色が多いようです。(同上)

    人の姿はありませんでしたが、芝生が刈りこまれ、手入れされた公園の光景です。10月の初旬から中旬に代わる時期ですから、黄色の落葉が散り敷いていました。日本ですと、紅葉の落葉もありますが、北欧付近では黄葉がほとんどのようです。紅葉も、褐葉と呼ばれる、黄葉との中間色が多いようです。(同上)

  • 公園の標識でしょうか、絵文字らしいものが記されていましたが、判読できませんでした。縦に並んだ五つの紋章のようにも見えました。鉄策で囲われた一画にあった門柱のようでした。中央の文様は、日本で例えれば菊花似ていましたが、上下合わせて四つの文様は、微妙に少しずつ異なっていました。因みに、エストニアの漢字表記は『愛沙尼亜』です。ついでにラトビアが『拉脱維亜』、リトアニアが『立陶宛』になります。(同上)

    公園の標識でしょうか、絵文字らしいものが記されていましたが、判読できませんでした。縦に並んだ五つの紋章のようにも見えました。鉄策で囲われた一画にあった門柱のようでした。中央の文様は、日本で例えれば菊花似ていましたが、上下合わせて四つの文様は、微妙に少しずつ異なっていました。因みに、エストニアの漢字表記は『愛沙尼亜』です。ついでにラトビアが『拉脱維亜』、リトアニアが『立陶宛』になります。(同上)

  • 『Toompea Loss』のタイトルがあった説明看板の光景です。エストニア語での『トームペア城』のことのようでした。赤い屋根の建物群の航空写真が添えてありました。写真の右下付近に見える塔が、『のっぽのヘルマン』になるようです。リトアニア語での表記は、『Pikk Hermann(ピック・ヒルマン)』です。(同上)

    『Toompea Loss』のタイトルがあった説明看板の光景です。エストニア語での『トームペア城』のことのようでした。赤い屋根の建物群の航空写真が添えてありました。写真の右下付近に見える塔が、『のっぽのヘルマン』になるようです。リトアニア語での表記は、『Pikk Hermann(ピック・ヒルマン)』です。(同上)

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