2012/10/09 - 2012/10/14
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旅人のくまさんさん
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エストニアの世界文化遺産の古都、タリン散策の続きです。トームペアの丘の上にある『コホトゥオツァ展望台』からの眺望を楽しんだ後、下町地区に向かいました。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
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トームペアの展望台からのタリンの眺望を紹介しながら、エストニアの歴史についても紹介しておきます。現在は『エストニア共和国』、通称が『エストニア』です。首都はタリンで、バルト三国では最も北に位置し、南は同じバルト三国のラトビアと、東はロシア連邦と国境を接します。北はフィンランド湾を挟んでフィンランドと、西はバルト海を挟んでスウェーデンと向き合います。(同上)
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イチオシ
エストニアは、1991年12月のソ連崩壊で独立を回復し、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟して、親欧米政策をとっている国です。経済協力開発機構(OECD)に加盟し、通貨はユーロ、人口は130万人程です。面積は九州本島の1.23倍、地形は平坦で、最高標高は318メートル、国連分類で北ヨーロッパの国です。(同上)
*写真は、赤い屋根の街並みのタリンの眺望です。 -
中世の時代には、ハンザ都市として栄えた港湾都市でもある首都のタリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つです。特に85キロ北に位置する対岸のヘルシンキとの往来が活発とされます。(同上)
*写真は、タリンの街と、その先のバルト海のフィンランド湾の光景です。 -
報道の自由度ランキングの上位国であり、公用語はエストニア語です。複数の言語を話せる国民が多い国です。また、『Skype(スカイプ)』を産んだ国であり、外国のIT企業の進出も多く、ソフトウェア開発が盛んです。早期のIT教育や国際学力調査で欧州の上位国としても知られます。『スカイプ』は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス向けのソフトです。(同上)
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エストニアは、13世紀以降、デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国などの支配を経て、第一次世界大戦末期の1918年にロシア帝国から独立しました。第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦により占領(バルト諸国占領)され、翌1941年に独ソ戦でナチス・ドイツが占領、1944年、ドイツ軍を押し返したソ連により再占領・併合されました。(同上)
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1991年、ソ連崩壊の過程で独立を回復し、2004年、EU・NATOに加盟しました。2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関の本部所在国となりました。なお、エストニア政府は、建国年を1918年としていて、1991年にソ連の占領から独立を『回復』したと見做しています。自国は『旧ソ連構成国』ではないとしています。正式な国名は、エストニア語で、『Eesti Vabariik(エースティ・ヴァバリーク)』とされます。(同上)
*写真は、トームペアの丘の上に建つ風見鶏の光景です。 -
エストニアは、ITを行政に活用する『電子政府』を構築していて、結婚・離婚を除く行政手続きの99%をインターネット上で完結させることができます。エストニアの省庁や企業、個人は『X-Road』という基盤情報システムで個人情報を登録・利用しています。個人情報の所有権は各個人にあると定めており、自分の情報へのアクセス履歴を閲覧できます。(同上)
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『Kohtuotsa Vaateplatvorm(コホトゥオツァ展望台)』の表示があった説明看板の光景です。その文字の下に『タリン』の表示の写真がありました。 コホトゥオツァ展望台は、トームペアの丘の上にある、タリンの街が一望できる展望台です。写真の下に詳細な説明文と地図もありました。(同上)
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『コホトゥオツァ展望台』に設置された望遠鏡の光景です。右手にコイン入れが見えていましたので、有料施設のようです。『ヴァナリン』と呼ばれる、タリン旧市街の眺望には最高の場所でした。中央やや右手奥に見えている高い尖塔が、『聖オレフ教会』になるようです。旧市街の東北方面に位置します。(同上)
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エストニアの電子政府・電子国家の紹介の続きです。国外の外国人にもインターネット経由で行政サービスを提供する『電子居住権』(E-Residency) 制度に5万人以上が登録しているようです。この制度は投資を呼び込むとともに、エストニアに好意的な人を世界で増やし、他国干渉の抑止力の狙いもあるようです。(同上)
*写真は、トームペアの丘の周りの公園の光景です。 -
エストニアの歴史紹介です。現在のエストニアの地に元々居住していたエストニア族(ウラル語族)と、外から来た東スラヴ人、ノルマン人などとの混血の過程を経て、10世紀までには現在のエストニア民族が形成されていきました。13世紀以降、デンマークとドイツ騎士団がこの地に進出して以降、エストニアはその影響力を得て、タリンがハンザ同盟に加盟し、海上交易で栄えました。(同上)
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しかし、その後もスウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきました。1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊すると自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じました。1918年2月24日にエストニア第一共和国の独立を宣言し、その後はソ連やドイツ帝国の軍事介入を撃退して独立を確定させました。(同上)
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イチオシ
一番高い尖塔は、『聖オレフ教会』の塔です。聖オレフ教会は、ノルウェーの聖人王を祀った教会で、13世紀半ばにはすでに記録に登場しています。15世紀に大幅な改修が行われたものの、何度か落雷の被害を受けて修復され、1840年にほぼ現在の形となりました。塔の高さは124メートルに及び、これは旧市街で最も高い建物です。15世紀には159メートルもの高さがあり、当時は世界一高い塔だったともいわれています。(同上)
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『コホトゥオツァ展望台』からのタリンの街の眺望の紹介は、これでお終いです。『パットクリ展望台』からは、フィンランドのヘルシンキとの間にあるフィンランド湾方面が眺望でしますが、タリンの街並み眺望には、その東側に位置する『コホトゥオツァ展望台』が最適でした。(同上)
*写真は、トームペアの丘の周りの公園と、その中に建つ建物光景です。 -
小雨ですが、相変らず降り続いていたタリンの街の光景です。トームペアの丘から下町地区に向かう途中の街並み光景です。タリンの歴史紹介の続きです。1920年2月2日に締結されたタルトゥ条約で、ソ連から独立を承認されました。1921年には国際連盟にも参加しました。(同上)
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『アンバー(琥珀)宝石店』の看板です。琥珀は、タリンの名産品になるようです。今から2千~1億年前に成長した針葉樹、その針葉樹の石化樹脂が海底に幾十にも積み重なったものが琥珀です。ヨーロッパでは、北海とバルト海が主要な産出地とされます。琥珀の中に、肉眼で見える昆虫などが入っているものが特に高価なようです。(同上)
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イチオシ
『バルチック・アンバー』の表示があったお店のショーウィンドウ光景です。琥珀を使った首飾りなどがずらりと並んでいました。バルト海で採れる琥珀の意味が込められたお店の名前のようです。(同上)
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リトアニアの歴史紹介の続きです。箇条書きで、主な出来事を紹介します。
○1940年にソ連に占領されました。
○独ソ戦の中で1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領されました。
○第二次世界大戦末期の1944年にはソ連に再占領され、併合されました。
○ソビエト連邦の崩壊直前の1991年に独立回復を宣言しました。
○1991年、国際連合へ加盟しました。(同上) -
○1994年8月31日にロシア軍が完全撤退したあと、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強めました。
○2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) に加盟しました。
○2004年5月1日、欧州連合(EU)に加盟しました。
○ロシア連邦との間には、国境問題が残りました。(同上)
*写真は、飛翔する燕の姿の看板光景です。 -
○2007年4月27日、タリン解放者の記念碑撤去事件を機に、『青銅の夜』と呼ばれるロシア系住民による暴動がタリンで起こり、ロシアとの関係が悪化しました。
○同時にロシアから、世界初の大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)が行われ、国全体で通常時の数百倍のトラフィック(信号量)が発生し、エストニアのネット機能が麻痺しました。(同上) -
○このサイバー攻撃を機に、2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関であるNATOサイバー防衛協力センターが首都のタリンに創設されました。
○エストニアの電子政府は、改竄などがされにくいブロックチェーン技術を採用しました。(同上)
*写真は、実用と飾りを兼ねたような、大きな木製の車輪を持った屋台です。 -
○リトアニアは、ソ連とナチス・ドイツによる占領と抑圧を受けた経緯から、それぞれの象徴だった『鎌と槌』と『鉤十字(クロイツ・ハーケン)』の使用と掲揚を、2007年施行の法律で禁止しました。
(追記):2018年、国民の情報のバックアップを保管する『データ大使館』をNATO加盟国であるルクセンブルクに設置しました。(同上)
*写真は、この日の朝一番に見学した、『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂』の光景です。 -
ロシア連邦との間に残った国境問題は、2014年2月18日、エストニアとロシアの領有権問題について両国外相は、ソ連時代の国境線を追認する(すなわち、エストニア側が領有権主張を放棄する)形での国境画定条約に署名しました。(同上)
*写真は、屋外席も設けられたレストランか喫茶店の光景です。 -
2014年2月18日、エストニアとロシアの領有権問題についての国境画定条約は、エストニア議会は国境条約批准プロセスを進めましたが、その後はロシア側がエストニアの『反露感情』について抗議を繰り返し、批准プロセスは停滞したままとなっているようです。(同上)
*写真は、雨に濡れた石畳のタリン旧市街の光景です。 -
エストニアの『政治』についての紹介です。その政体は共和制で、『議会(リーギコグ:Riigikogu)』は一院制で、任期は4年です。また、大統領は議会によって選ばれ、任期は5年です2007年2月26日から28日に、世界で初めて議会選挙に関してインターネットを利用した電子投票が行われました。電子化が進んでいて、議会への出席時にノートパソコン等の電子端末持ち込みが自由であり、かつ、インターネットでの議会出席も許可されているため、議論への参加や投票のとき以外は、議員が議会へ直接実際に出向く必要もありません。(同上)
*写真は、中央奥に見える『聖オレフ教会』の尖塔光景です。 -
建物の間の石段を下りた時の光景です。公道の一部らしい石段でした。タリンの貴族階級や騎士団が住む『山の手』と、商人が住む『下町』を結ぶ通りは、高い城壁で隔てられ、両者を結ぶ通りは、『長い足』と『短い足』と呼ばれる二つかありませんでした。しかも、その間の通路には頑丈な扉があり、夜は閉ざされていたようです。(同上)
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『聖ニコラス教会』の尖塔です。聖ニコラス教会は、13世紀からすでに存在したとされ、当時はタリン市内のただ二つの教会の内の一つとされます。13世紀当時にタリンに城壁がまだなかったため、市民にとって聖ニコラス教会は要塞や避難場の機能も持っていました。14世紀に増築が行われ、15世紀の改築が現在の姿になっています。(同上)
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エストニアは、政府が発行する個人IDカードを15歳以上のエストニア国民のほとんどが持っていて、行政サービスのほとんどが個人端末から済ませることが可能とされます。また、このIDカードは運転免許証や、ショッピングの際のポイントカードとしても機能しています。役所などでは人員や紙などのコストを4分の1、窓口の人員は10分の1ほどに減らすことが可能になったようです。(同上)
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うまく判断が付きませんでしたが、大小の人と動物がモチーフになった透かし彫りのようでした。地元では、このマークで想定されるお店のようでした。年号も記されているようでしたが、1966年か、1906年か判断が付きませんでした。(同上)
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歩道に黄葉の落ち葉が散り敷いて、晩秋の装いになっていたタリンの街角光景です。なぜか、落葉したはずの木々が、新緑のような彩りを見せていました。大した降りではありませんが、冷たい雨でしたから、傘を差した人が多かったようです。(同上)
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