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 モンテネグロの世界文化遺産の古都・コトルの紹介です。1166年に建てられた聖トリプン大聖堂、総延長4.5キロの長さを持つ、岸壁の城壁などが見所です。

2012初夏、クロアチア等の東欧旅行(43/50):6月25日(8):コトル、世界文化遺産の古都、時計塔、5つの広場

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2012/06/20 - 2012/06/27

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旅人のくまさん

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 モンテネグロの世界文化遺産の古都・コトルの紹介です。1166年に建てられた聖トリプン大聖堂、総延長4.5キロの長さを持つ、岸壁の城壁などが見所です。

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  • モンテネグロの世界文化遺産の古都・コトルに到着しました。少し遅い昼食となりましたが、早速予約のレストランでの昼食です。

    モンテネグロの世界文化遺産の古都・コトルに到着しました。少し遅い昼食となりましたが、早速予約のレストランでの昼食です。

  • 中々雰囲気のあるつくりのレストランでした。予約してあったメインの料理は、シーフードです。

    中々雰囲気のあるつくりのレストランでした。予約してあったメインの料理は、シーフードです。

  • シーフードですから、迷わずグラスの白ワインです。のども乾きましたので、生ビールも注文しました。

    シーフードですから、迷わずグラスの白ワインです。のども乾きましたので、生ビールも注文しました。

  • 最初に出された料理は、ヘルシーな野菜サラダでした。鮮度もよく、各種のハーブも使ってありました。ドレッシングの味付けもよく、ビールにも白ワインにも合いました。

    最初に出された料理は、ヘルシーな野菜サラダでした。鮮度もよく、各種のハーブも使ってありました。ドレッシングの味付けもよく、ビールにも白ワインにも合いました。

  • 次の料理もなかなかヘルシー、味付けも申し分ありませんでした。ポテトと紫キャベツをメインにハーブをまぶしたサラダです。こちらもビールにも白ワインにも合いました。

    次の料理もなかなかヘルシー、味付けも申し分ありませんでした。ポテトと紫キャベツをメインにハーブをまぶしたサラダです。こちらもビールにも白ワインにも合いました。

  • 食べるに夢中で、後の写真は撮り忘れましたが、お腹が空いていた好条件も重なり、大満足の昼食でした。

    食べるに夢中で、後の写真は撮り忘れましたが、お腹が空いていた好条件も重なり、大満足の昼食でした。

  • 昼食のレストランの周りの光景です。背後に山が迫っていました。ところで、国名の『モンテネグロ』は、『黒い山』の意味とされます。社会主義連邦共和国ユーゴスラビア崩壊後、コトルはユーゴに帰属していましたが、その後、2006年6月3日に人口60万人で独立したモンテネグロに帰属することとなり、今日に至っています。

    昼食のレストランの周りの光景です。背後に山が迫っていました。ところで、国名の『モンテネグロ』は、『黒い山』の意味とされます。社会主義連邦共和国ユーゴスラビア崩壊後、コトルはユーゴに帰属していましたが、その後、2006年6月3日に人口60万人で独立したモンテネグロに帰属することとなり、今日に至っています。

  • コトルの入口門の光景です。門の上にはモンテネグロの横長の赤い国旗が掲げられていました。モンテネグロの国旗は、2004年7月に制定されました。1993年に制定された国章が中央に配置されています。国章は、中央が聖マルコのライオン、その外側が双頭の鷲です。正面の門はコトル湾に面しているため、『海の門』とも呼ばれます。

    コトルの入口門の光景です。門の上にはモンテネグロの横長の赤い国旗が掲げられていました。モンテネグロの国旗は、2004年7月に制定されました。1993年に制定された国章が中央に配置されています。国章は、中央が聖マルコのライオン、その外側が双頭の鷲です。正面の門はコトル湾に面しているため、『海の門』とも呼ばれます。

  • 花が咲いていたヤシの木の光景です。日本の樹木で例えれば、シュロ(棕櫚)のような葉の形をしていました。

    花が咲いていたヤシの木の光景です。日本の樹木で例えれば、シュロ(棕櫚)のような葉の形をしていました。

  • ここからは、コトルの城壁内に入城しての見学です。背後に岩山が迫る天然の要塞ですが、更に城壁を設けて堅固にされた都市国家でした。

    ここからは、コトルの城壁内に入城しての見学です。背後に岩山が迫る天然の要塞ですが、更に城壁を設けて堅固にされた都市国家でした。

  • コトルのシンボルとなっている時計台です。1602年、アントニオ・グリマニ市長時代に建設が始まったとされます。地震の影響で西に傾いたままになっているようです。現地時刻は午後の3時10分ほどです。

    イチオシ

    コトルのシンボルとなっている時計台です。1602年、アントニオ・グリマニ市長時代に建設が始まったとされます。地震の影響で西に傾いたままになっているようです。現地時刻は午後の3時10分ほどです。

  • 今は6月末、旅行途中の気温が30度Cを超えることもありました。城壁内の露店は日除けのパラソルが開いていました。

    今は6月末、旅行途中の気温が30度Cを超えることもありました。城壁内の露店は日除けのパラソルが開いていました。

  • 『武器の広場』と呼ばれる石畳の広場です。広場を取り囲む建物は、宮廷、旧市庁舎、ヴェネチア時代の武器庫などです。

    『武器の広場』と呼ばれる石畳の広場です。広場を取り囲む建物は、宮廷、旧市庁舎、ヴェネチア時代の武器庫などです。

  • ツアーに参加しましたので、最初の時間帯は団体行動でした。説明はあまりお聞きしませんでしたが、最後尾を歩きながら写真だけは撮っておきました。

    ツアーに参加しましたので、最初の時間帯は団体行動でした。説明はあまりお聞きしませんでしたが、最後尾を歩きながら写真だけは撮っておきました。

  • 広場と名が付く場所は、5箇所ほどあります。最初に武器の広場を紹介しましたが、そのほかの4つは、『小麦粉の広場』、『聖トリフォン広場』、『美術館広場』と『聖ルカ広場』です。ここも広場の一つです。『小麦粉の広場』のようです。

    広場と名が付く場所は、5箇所ほどあります。最初に武器の広場を紹介しましたが、そのほかの4つは、『小麦粉の広場』、『聖トリフォン広場』、『美術館広場』と『聖ルカ広場』です。ここも広場の一つです。『小麦粉の広場』のようです。

  • 緑色の木の扉だけを撮影しましたが、この建物も由緒がありそうでした。扉の周りの彫刻も凝った造りでした。ネット情報では、『ベスクチャ家の館の扉』と紹介されていました。

    緑色の木の扉だけを撮影しましたが、この建物も由緒がありそうでした。扉の周りの彫刻も凝った造りでした。ネット情報では、『ベスクチャ家の館の扉』と紹介されていました。

  • ここも広場です。5つの内の2つの特定があっていると仮定しますと、残りは3つです。左手に『ピマ宮殿』の建物が見えていますから、ここはまだ『小麦粉の広場』です。

    イチオシ

    ここも広場です。5つの内の2つの特定があっていると仮定しますと、残りは3つです。左手に『ピマ宮殿』の建物が見えていますから、ここはまだ『小麦粉の広場』です。

  • 『ピマ宮殿』の建物のアップ光景です。1667年の大地震の後の17世紀に建設された、ルネッサンス・バロック様式の建築物です。正面のアーチ門やバルコニーが時代の面影を残しています。

    『ピマ宮殿』の建物のアップ光景です。1667年の大地震の後の17世紀に建設された、ルネッサンス・バロック様式の建築物です。正面のアーチ門やバルコニーが時代の面影を残しています。

  • こちらは別の建物のバルコニーです。建物自体もかなり新しい時代の物のようです。バルコニー以外に、装飾はほとんどありません。

    こちらは別の建物のバルコニーです。建物自体もかなり新しい時代の物のようです。バルコニー以外に、装飾はほとんどありません。

  • 狭い小路を抜けると次の広場になるようです。前方に赤い屋根の建物が見えてきました。予想では、カテドラルがある、『聖トリフォン広場』です。

    狭い小路を抜けると次の広場になるようです。前方に赤い屋根の建物が見えてきました。予想では、カテドラルがある、『聖トリフォン広場』です。

  • 壁に掲示してあったポスターです。宗教画風の格式高い絵でしたが、レストランの宣伝でした。写真はパスタ、ピザやサラダなどです。

    壁に掲示してあったポスターです。宗教画風の格式高い絵でしたが、レストランの宣伝でした。写真はパスタ、ピザやサラダなどです。

  • 小路の先の赤い屋根の建物が大きく見えてきあました。『聖トリフォン広場』ですと、その周りにはカテドラル、司教の館やドラゴ宮殿があります。

    小路の先の赤い屋根の建物が大きく見えてきあました。『聖トリフォン広場』ですと、その周りにはカテドラル、司教の館やドラゴ宮殿があります。

  • 『聖トリフォン広場』に間違いがありませんでした。2本の尖塔を持つ、カテドラルの建物光景です。聖トリフォンの遺品や遺骨は、809年にヴェネチア商人によってコンスタンチノープル(現イスタンブール)からコトルに持ち込まれました。それらの遺品を収める教会として、このカテドラルを建設したとされます。聖トリフォンは、コトルの守護聖人です。

    イチオシ

    『聖トリフォン広場』に間違いがありませんでした。2本の尖塔を持つ、カテドラルの建物光景です。聖トリフォンの遺品や遺骨は、809年にヴェネチア商人によってコンスタンチノープル(現イスタンブール)からコトルに持ち込まれました。それらの遺品を収める教会として、このカテドラルを建設したとされます。聖トリフォンは、コトルの守護聖人です。

  • 取り敢えず5つの広場を団体行動で歩きました。『ドラゴ家の宮殿』に似たイメージの建物ですが、特定はできませんでした。最上階は改装されているようです。1階は、ハンドメイドの宝石店になっているようでした。

    取り敢えず5つの広場を団体行動で歩きました。『ドラゴ家の宮殿』に似たイメージの建物ですが、特定はできませんでした。最上階は改装されているようです。1階は、ハンドメイドの宝石店になっているようでした。

  • 『グレゴリーナ宮殿』の建物光景です。コトルの貴族・グレゴリーナ家の屋敷として18世紀に建設されたバロック様式の宮殿です。現在はモンテネグロの海事博物館として使用されています。『美術館広場』の周りの建物の一つです。

    『グレゴリーナ宮殿』の建物光景です。コトルの貴族・グレゴリーナ家の屋敷として18世紀に建設されたバロック様式の宮殿です。現在はモンテネグロの海事博物館として使用されています。『美術館広場』の周りの建物の一つです。

  • 『美術館広場』の周りの建物光景です。この広場の周りにはボッケリアン海軍本部事務所、グレゴリな宮殿やコミュニティ井戸などがあります。

    『美術館広場』の周りの建物光景です。この広場の周りにはボッケリアン海軍本部事務所、グレゴリな宮殿やコミュニティ井戸などがあります。

  • 『美術館広場』の周りの建物光景です。コトルの中心部辺りになります。ここにも日除けの大きなテントがありました。

    『美術館広場』の周りの建物光景です。コトルの中心部辺りになります。ここにも日除けの大きなテントがありました。

  • 飾りがない、すっきりとした建物光景です。内部は分かりませんが、比較的新しい作りの建物のようでした。

    飾りがない、すっきりとした建物光景です。内部は分かりませんが、比較的新しい作りの建物のようでした。

  • 広場にセットされていた大型のテントの光景です。お昼のランチタイムは過ぎましたから、次はディナータイムが稼ぎ時のようです。

    広場にセットされていた大型のテントの光景です。お昼のランチタイムは過ぎましたから、次はディナータイムが稼ぎ時のようです。

  • この小路を抜けると、次の広場に出そうです。残りは『聖ルカ広場』だけになりました。

    この小路を抜けると、次の広場に出そうです。残りは『聖ルカ広場』だけになりました。

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