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我々は長浜での最後の訪問地に姉川の古戦場跡を訪れた。<br /><br />長浜の中心街を東に進み、北陸自動車道を潜り、さらに進むと国道365号線に突き当たる。<br /><br />国道365号線を渡り、地方道を北西少し進むと出くわす川が姉川で、”野村橋”が架かっている。<br /><br />この辺りが元亀元年(1570年)織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉景健連合軍が姉川を挟んで激戦を繰り広げ、織田・徳川軍の勝利に終わり、これを切っ掛けに小谷城と共に浅井家は滅亡する事なった地。<br /><br />野村橋を北方向に渡った左の端の袂に、この戦で亡くなった武将たちの霊を弔い、「姉川戦死者の碑」が建っていた。<br /><br />その横に芭蕉の弟子で、芭蕉が賞賛したと云われる、俳人・木道の句碑ある。<br /><br />  春風や 麦のなか行く水の音  木道<br /><br />野村橋越しに伊吹山が、反対方向に、小谷城のあった小谷山が、今も激戦の地を見守っている。

奥の細道を訪ねて最終回(第16回)26姉川の古戦場

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2012/10/21 - 2012/10/21

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WT信

WT信さん

我々は長浜での最後の訪問地に姉川の古戦場跡を訪れた。

長浜の中心街を東に進み、北陸自動車道を潜り、さらに進むと国道365号線に突き当たる。

国道365号線を渡り、地方道を北西少し進むと出くわす川が姉川で、”野村橋”が架かっている。

この辺りが元亀元年(1570年)織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉景健連合軍が姉川を挟んで激戦を繰り広げ、織田・徳川軍の勝利に終わり、これを切っ掛けに小谷城と共に浅井家は滅亡する事なった地。

野村橋を北方向に渡った左の端の袂に、この戦で亡くなった武将たちの霊を弔い、「姉川戦死者の碑」が建っていた。

その横に芭蕉の弟子で、芭蕉が賞賛したと云われる、俳人・木道の句碑ある。

  春風や 麦のなか行く水の音  木道

野村橋越しに伊吹山が、反対方向に、小谷城のあった小谷山が、今も激戦の地を見守っている。

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