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奥の細道によれば芭蕉は敦賀に到着した8月14日は夜気比神宮へ、16日は種が浜(色が浜)と法華寺(本流寺)に行ったことが記されているが、15日は「亭主の詞にたがわず雨降」との記載しかなく、行動に関しては色々調べてみたが不明。<br /><br />漸く(社)敦賀文化協会の”奥の細道「芭蕉の足跡」”に”敦賀での芭蕉の行動”として、15日”天屋玄流宅・金前寺に遊ぶ”とあるの見つけたので、ここではそれに順じることし、当日の先生の案内の訪問先をそれに加えることにしました。<br /><br />実際の行程とは多少順序が違うのでご了解ください。<br /><br />気比の松原からほぼ敦賀湾に沿って東に進んだ蓬莱町に、天屋玄流宅跡がある。<br /><br />天屋玄流は当時回船問屋を営んでいた本名室五郎右衛門。<br /><br />天屋家は明治に至るまで北前船主として財を成し、今は空地の天屋玄流宅跡は平成14年まで洋館建てのビルが建っていたと案内板にある。<br /><br />玄流は翌日、芭蕉を種が浜(現敦賀半島の色浜)に案内しているが、敦賀文化協会の”奥の細道「芭蕉の足跡」によると、当日の金が崎辺りの観光と2日続けて案内役を引き受けているようだ。<br /><br />次の訪問地金前寺は敦賀の街北東の外れにあるので、その途中芭蕉が気比の海を詠んだ句碑が建つ、敦賀市民文化センター(桜町)前に立ち寄る。<br /><br />  国々の 八景更に気比の月  芭蕉<br /><br />この句は奥の細道に記載されている句ではなく、昭和34年に大垣でたまたま発見されたと案内されていた。<br /><br />

奥の細道を訪ねて最終回(第16回)12敦賀散策その3敦賀で芭蕉を案内した天屋玄流の旧宅跡と気比の海を読んだ芭蕉の句碑が建つ、”芭蕉翁月塚”

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2012/10/20 - 2012/10/20

436位(同エリア474件中)

WT信

WT信さん

奥の細道によれば芭蕉は敦賀に到着した8月14日は夜気比神宮へ、16日は種が浜(色が浜)と法華寺(本流寺)に行ったことが記されているが、15日は「亭主の詞にたがわず雨降」との記載しかなく、行動に関しては色々調べてみたが不明。

漸く(社)敦賀文化協会の”奥の細道「芭蕉の足跡」”に”敦賀での芭蕉の行動”として、15日”天屋玄流宅・金前寺に遊ぶ”とあるの見つけたので、ここではそれに順じることし、当日の先生の案内の訪問先をそれに加えることにしました。

実際の行程とは多少順序が違うのでご了解ください。

気比の松原からほぼ敦賀湾に沿って東に進んだ蓬莱町に、天屋玄流宅跡がある。

天屋玄流は当時回船問屋を営んでいた本名室五郎右衛門。

天屋家は明治に至るまで北前船主として財を成し、今は空地の天屋玄流宅跡は平成14年まで洋館建てのビルが建っていたと案内板にある。

玄流は翌日、芭蕉を種が浜(現敦賀半島の色浜)に案内しているが、敦賀文化協会の”奥の細道「芭蕉の足跡」によると、当日の金が崎辺りの観光と2日続けて案内役を引き受けているようだ。

次の訪問地金前寺は敦賀の街北東の外れにあるので、その途中芭蕉が気比の海を詠んだ句碑が建つ、敦賀市民文化センター(桜町)前に立ち寄る。

  国々の 八景更に気比の月  芭蕉

この句は奥の細道に記載されている句ではなく、昭和34年に大垣でたまたま発見されたと案内されていた。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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